はてなキーワード: バリバラとは
体幹5級です。難病患者で疲れやすい。車いすではない。杖ではない。ずっと立ってるのつらい。長距離歩けない。
良かった点
1,11年前にフジ行った時はヤマト運輸で荷物を送ったのですが、えんじ色のヤマト運輸のかまぼこ型の建物に、みんなの荷物が山になっていて何百もある中を、一つ一つ自分のを探した。周りの人と協力して名前を聞いて「それ出てきたらおしえますから!」なんて言ってた。
今回フジ行くことになって一番の懸念事項が「ヤマト運輸の荷物探し」だったんですよ。くそ重い荷物のなかで、ひっくり返しながら自分の荷物探していくなんてできないよー。
今年行ってみたら伝票をバーコードでやって、奥の棚からヤマト運輸の人が持ってきてくれた!事前に心配していたことの大半が、この時溶けていったのだった。
2,体力を温存するようにしていたので、テント出るのを昼過ぎとかにした。
オデッザの後、「なんかわたしまだ元気じゃん?これからアンフェアとか行っちゃう?」って思ったけど、ホワイトからテントまでの遠さを思ってやめた。
全身濡れて辛かったので、スクリレックス途中で帰った。睡眠時間取ることを心がけました。
3,子供を連れて行かなかったこと。ほんとにあの暴風雨は死を予感したので、連れて行かなくて良かった。
つらすぎて面白い点
1,土曜夜の暴風雨でテントがぺしゃんこになり、髪と服びしょ濡れでテントの布の中に挟まって時を過ごしたこと。姿勢は、寝てるから辛くはないが、トイレに行ったりテント状態見るため外にでるとびしょ濡れになる。一応モンベルのゴアテックスみたいなの着てたけど5年ぐらいたってるから、濡れて不快。暴風雨のなかわたしは4回トイレに行った。(傘なし)
風に恐怖を感じたし、もしここで飛んできたポールがささって死んでも、SMASHに責任を問わないでくれと思いました。(スマッシュ go round)
2,レッドマーキーの脇からの入口の、あの草生えてるところの傾斜角度。ここにゲート作るって正気じゃない。転びやすいので怖かったです。
3,防風雨の後の日曜帰るので、びしょ濡れでくそ重い荷物多分10キロぐらい、テントサイトからヤマト運輸までかついで持ってった。かたつむりの速度で下をむいて歩いてく。それからまた、シャトルバス乗り場までが遠い。
録画してたバリバラを見た。
自分は、難病を患って闘病生活送った後に重度の身体障害が残ったアラサー女。
障害は今でも少しずつ進んでる。
NHK バリバラ | 特別企画 脱・MZK! (最もズレてる健常者)
http://www6.nhk.or.jp/baribara/lineup/single.html?i=590#top
私は、バリバラに出演されている方ほど自分の障害についての考え方を確立できていない。
できることなら今すぐ障害を取り去って走りたい、シロツメクサの上を転がりたい、海に飛び込みたい、雪に身体を埋めたい、境目がわからなくなるぐらい誰かを抱きしめたい。
放送を見てハライチの岩井さんについて思ったのは、たぶん素直な人。障害のある人を身近に感じられなかったがゆえの他人事感。
でも、障害のある人だって障害のない人や自分と別の障害のある人の苦労とか存在を身近に感じられていないことが多いと思う。
障害のある人同士でも障害の種類や程度が違えば、壁を作ったり差別している現場を見たこともある。
何が言いたいかというと、岩井さんと友達になりたいなってこと。
岩井さんが好きなロックバンドは、私が20年以上愛してきたバンド。同じバンドを深く愛せるっとことは、心の深いところでつながれるということだと思ってる。
一緒にライブに行きましょう。そうすれば、障害があるから違うこと、障害があるけど同じなこと、わかると思う。
「自分の障害が無くなる代わりに、他の誰かが障害者になるとしたら」という岩井さんの質問に対する私の答えは、
みんなで分け合えたらいいのになということ。約100年の人生の中の少しの時間、障害のある時間を生きてみたら誰しも得るものがあるはず。
障害のある人も、障害のない時間を生きてみたらどう思うかな。想像するほど自由じゃないかもしれないよ。
でも、そんなことはできない。でもでも、想像はできる。経験や想いを共有することはできる。そのことを加速させるために、学校、職場、趣味の場、街で、障害の有無とは関係なくつながれる社会にしていきたい。
岩井さん、ライブ会場で客席を見回してみてください。絶対に障害のある人がいます。同じ空間で同じように音楽を楽しんでいる障害のある人がいます。実は身近にいるんですよ。
おれがゲイだったらおそらく嫌だろうなとおもってその時はうなづいていたんだが
知り合いのゲイに聞いてみたら、「あんなのいいに決まってんじゃん」と言ってきて驚いた
そんなもんかなと思っていたらそいつがやってる店(2丁目)ではわりとみんな好意的な感じだった
ノースフェイスのリュックが「ホモランドセル」として流行っていると話題になったが
ゲイが自分からネタにしたんだからOKなんだよっていうブコメみて何言ってんだって思った
よくよく考えればそうだ
どこかの男が男を代表することにイラっとすることがあったからだ
男は強者だというなら女の人は女で考えればいい
どこかのオタクが勝手にオタクを代表してるのを見てイライラしたことがない人だけが石を投げなさいみたいな
オタクだっていろいろだろう、オタクとオタクが意見戦わせてるの見たことあるだろ(というか、それしか見たことない)
県民ショーで自分の出身県を代表して適当なこと言ってる芸能人が嫌だし
そして個人的な話だけど、僕は障害を持っているのだが、ぼくはNHKのバリバラが嫌いだ
そんでなに勝手に24時間disってんだよ、お前に何の権限があるんだ!かってに代表面スンナ!と思った
そんではてなの連中が「いやー意義のある番組だよね~」とか言ってるのが腹立つ
そう、僕は頭がちょっと薄いのだ
ハゲが自分でネタにしたからOKなんてことになるんだろうか?おれはネタにしてほしくないのだが
多様性~とかいって、ゲイのだれかがいったことすべてだと思ってゲイのかたもつやつ全然多様性じゃないだろと
障碍者も多様だぞ
マツコがいつだったか私がゲイを代表するのはまずいみたいなことインタビューで言っててなんとなくわかるな~と思った、ゲイじゃないけど
自分は今働いている会社で唯一の障碍者だけど、周りの人にとっては私が障碍者のひな型になってしまう。それが怖い。
もっと多様なんだよ
障害者差別はもともと「悪いこと」だと社会で共通の認識があったし
それと同時に障害者を「健気でかわいそうな人たち」と見る抑圧があった
「感動ポルノ」とかね
その抑圧に障害者番組も加担していたのではないかという反省から生まれたのがバリバラ
保毛尾田保毛男って前世紀の(悪い意味での)遺産とか負債とか叩かれてるけど、
常に迫害を受けつつも、乗り越えてきた、ハゲデブチビメガネやら、バリバラの自ら進んでネタになっていく精神とは全然違うのね
被差別意識を持たせてしまってる世の中も悪いけど、当事者が開き直らんと好転せんよ
詳しくは明かせないけど自分もいわゆるマイノリティー的な側面を背負って生きてるから(数年前にまた重荷が増えた)、気持ちはわかる。
わかるけど、
「俺ホモなんですよー!」って明るく言われるのと、
「俺……実は……やっぱりいいです」って隠されるのって周囲の反応が違って当然だと思うのです。
(実際背負ってる案件で周囲に明かせてるのと明かせてないのが混在してるから、割り切れないという気持ちはわかるのですが)
実際ゲイ方面の方って、ネタにして割り切って、振り切って自分の武器にしてる人が多いのに勿体ないなーって。
ホモでもない人が、典型的な(典型でもない差別的な)キャラクターを作るってことに反感を覚えることは否定しないけれど、そこを否定したら、コントとかキャラ作っての演芸方面のコンテンツが終わってしまうとも考えられる。
バイトリーダとか、良くいるショップ店員的、とか大御所の演歌歌手的なのはOKなんでしょ?
じゃあ、そういういじられても平気でいられる地位を作っていかないといけないんだと思うんだけれど、そーゆーふーには進んでいかんのかねぇ
http://isumi.rail.shop-pro.jp/?eid=2918
「腑に落ちた!」
「結論出たね」
「人の気持ちに寄り添った優しさ」
「すばらしい」
「完全に同意」
「もやもやを代弁してくれた」
「中立的」
怖いんですけど。
中立?記事の入り口でちょちょっとバニラの非を指摘しといてるだけじゃん。
何と何の中に立ってるの?
事前連絡あったら断っていたらしいけど?そしたらはいじゃあ諦めますと言うのがあるべき姿ってことか。
最後のほうの「今回限りということにしましょうね」って言い方、
小さい子に「おりこうさんにしましょうね」と言うかのような言い方でゾッとする。
おりこうさんにしといて変わる社会ならよかったね。
先日のPRつけるつけない騒動のときの徳力氏エントリ思い出して、
え、まさかこれでめでたしめでたしって収束してしまう?と怖かったけど、
いまだに騒動おさまってなくてほっとした。
実際、この社長が身近にいたらいい人なんだと思うよ。
同業者の事情とか、健常者への迷惑のことはすごく考えてくれてるもん。
正しいものとは思えない、
そんな意見が半分くらいあってもいいと思うのに、
こんなにも絶賛の嵐なことに絶句。
優しい文章って、多数派にとって気持ちがいい文章、ということ?
社長が言う「他の人に迷惑をかけないように」をすべての障害者が遵守していても、障害者に迷惑のかからない社会がどんどん勝手に実現したらいいのにね。
http://www.sankei.com/entertainments/news/161127/ent1611270010-n2.html
について。
「これだけ身体的にハンディキャップあってバッシングされるのもすごいですね」というのはその通りで、このバッシングは、障害者という弱者に対するイジメ、というよりははるかに、強者に対するやっかみに近いと思います。乙武さんがそこまでの存在になったことに関しては、本当にスゴイな、と思います。
記事には出てきませんが番組では、乙武さんが実は話したかった話題、として相模原事件、パラリンピックの他に、24時間テレビのバリバラも挙げていました。かなり面白い話になったはずです。他にも今年は乙武さんに語ってもらうべき話題が多かったと思うので、非常に残念に思います。
まあ、まだ怒っている方もおられると思うので申し訳ありませんが、個人的には人の家庭の不倫とかどうでも良いのですみません。
あと、これは前から言いたかったことで、ついでに書いてしまいますが、『五体不満足』は今、是非とも読むべき、読み直すべき本だと思います。
というのも、私がこれを初めて読んだのは、Twitterで「手も足も出ない。あ、初めからなかった」みたいな障害自虐ネタを連発しているのを知った後で、その頃にはすでに乙武さんは成功者であり強者側でした。
そうなってから読んでみると、スゴイな、とか、面白いな、とは思いましたが、感動する、とかましてや、号泣する、というような感じはありませんでした。というか、どちらかと言えば、一言でいうとあの本は「自慢」ですよね。My Way的な。
もちろん、それだけではないのはわかりますし、あえてそのような面を強調している意図も理解しているつもりです。それでもさすがに号泣はしない。
そう考えると、本が出始めの頃に感動して号泣していた人がいたとすれば、それはおそらく、障害者を弱者としてみなして、いわば感動ポルノを自分で勝手に作っていたのではないか。そんな疑念があるのです。
そういう観点で、『五体不満足』を今、もう一度読んでみて欲しいと思います。初めて読む人もそうですが、昔読んだ人には特に、以前との感想の違いを感じて欲しいと思います。
ポルノのポルノたる所以は,女性の複雑な主体性を無視して,その劇中での人格を観客である男性の性的興奮を刺激することにのみ隷属させることにある。
で,24時間テレビ〜バリバラ近辺で知られるようになった感動ポルノもまた同様に,障害者の複雑な主体性を無視して,その番組中の人格を観客である健常者の感動を呼び起こすことにのみ隷属させることを指している。
食欲ポルノというのもあるらしいが,それもまた,料理本来の複雑なありようを無視して,その映されかたを視聴者の食欲を刺激することにのみ隷属させることを言う。つまり,本来は不要なクリームなりチーズなりが,本来は不要なほどに熱せられて溶けしたたっていた方が美味しそうなのであればそう見せる,ということだ。
だからポルノか否かの違いは,岡田斗司夫が言うように安直であるかどうかにあると言ってもいいのだが,同時に彼が言っている「感動させようとしているかどうか」にはない。
そんなの,誰だって感動させようとはしている。
ただ,感動させようとするときに,時に失われそうになる題材の複雑なありように気づけるかどうか,気づいた上でそれを尊重するかどうかにこそ,ポルノか否かの分かれ目はある。
クライマックスでいかにもなBGMを流すのは安直だと,岡田は安直に否定するが,話はそう単純ではない。
例えば対位法はいかにも安直ではない雰囲気を可能にする手法だと言えるが,何故そうなのかといえば,例えば残酷なシーンであればそれが持つ複雑さの中にある悲しさや可笑しさをBGMに担わせれば対象の複雑さの一端が担保されるからである。
しかし,本当の現実に寄り添えば,そもそもBGMなんて流れないわけで,何かしら音楽を流した時点で対象の複雑さを毀損してるとも言える。BGMが流れていなければ如何ようにも解釈できたはずの対象に,一定の方向付けをしてしまうからだ。
それでも,繰り返しになるが何かしらの芸術的作品を作るからには誰だって受け手に感動してほしいと思っている。ただ世界の複雑なありようが描かれていればそれが正義だというわけでもない。
もう一度言う。
感動させようとするときに,時に失われそうになる題材の複雑なありように気づけるかどうか,気づいた上でそれを尊重するかどうかにこそ,ポルノか否かの分かれ目はある。
つまり,例えば目の前の女性に対して,自らの性欲に隷属させようとして彼女の主体性を踏みにじるような,そんな行動様式で何かを伝えようとすることこそがポルノを作るという行為なのだ。
女性の,障害者の,料理(を丹精込めて作った料理人の心)の,その尊厳を一顧だにせず自分勝手な目的の手段にすることがポルノを生むのであれば,それはもはやレイプと言えよう。
感動ポルノに感動するということは,レイプの映像を見て性的興奮を覚えるのと同じくらい,道徳的には救い難く,精神分析学的には,まあしょうがないのかもね。
バリバラで出してた円グラフでも半数近くは感動ものが好きって回答だったわけだし、そりゃいるだろう。いないほうがおかしい。
半数の側の声だけが大きいからといって残りの半数が黙殺されていいわけじゃない。
ただ、感動ものを全否定してるのではなくて、感動ものばかりじゃなく違ったアプローチがあってもいいよね、くらいのスタンスに見えたけどなあ。
ゴジラ関連の話もだけど、ゴジラみたいなのばっかりにしろなんて極端なことを言う人は少ないはずで、
信長協奏曲や君の名は。みたいなのもあっていいし、たまにはゴジラみたいなのも見たいよね、でいいと思うんだけどな。
こういうこと言うと妖怪どっちもどっちって言われるんだよな。
24時間TVみたいに丸一日だけ障害者について考えるっていうのも良いかもしれないけど、それより(見るかどうかはともかく)バリバラみたいに毎週だったり高い頻度でそういう人と出会ったり、知ったりする機会を増やしたほうが良いと思う。
ということで鈴木おさむの提案した「ここがヘンだよ障害者」の放送に若干期待してる。
余談だけどバラエティ番組好きな自分としては24時間TVは感動路線ばっか出すせいであまり興味持てないので27時間みたいにバラエティ色もっと強くして欲しい。
こんなこと増田でしか書けないんだけど、NHKの受信料を一人暮らしを開始した学生のころからちゃんと支払っている。
ネット上、あるいは現実でもNHKの受信料をいかに支払わないかを篤く語る事例が多い。自慢のように言い触れる人もある。
そんな中、ぶっちゃけていうとNHKの番組が大好きな私はなかなかこれをカミングアウトできない。
間違ったことをしてないと思うが、なんとなく言いづらい。
NHK、本当に良い番組が多い。と、個人的には思う。だからその良さに金を支払う。無駄金でないと、信じている。
おすすめは「ハートネットTV」「バリバラ」「がんこちゃん」「あの日 わたしは」。