はてなキーワード: ソバとは
もしも個人特定された場合は「アクタージュを終わらせた女」になってしまう。
アクタージュは作品の性質から「中年になっても少年ジャンプを読み込み自分の好きな作品の凄さを語れる自分をネットで見せつけることでしか承認を得られない」ようなヤベー奴、もっと言えば「実質のIQは下から2割でPQは下から5%のクソ偏差値なのに、本人の脳内ではどっちも上から1割ぐらいで、自己イメージと乖離しまくった自称天才善人実態キチガイクソバカサイコモンスター」をファンとして獲得しやすい。
もしそいつらに見つかったら、奴らは自分の人生そのものを破壊されたと勘違いして最悪殺しにくるぞ。
守られて欲しい。
漫画レビューでしか自分の価値を証明できないと信じ切って、各地のコピペを継ぎ接ぎしただけで自分が賢くなったと思い込んだ狂人から、本当に頼む。
俺の思い出で、高校数学で組み合わせを学んだとき「やべえ!」と思ったことがあって、俳句のことなんだけど、あんなもん5・7・5の合計17文字しかないんだから、やべえ、俳句、そろそろ文字使い切っちゃうよ!と思ったことがあった。
冷静になって考えてみれば、ひらがな46文字の17乗(だよな…?)だから、ものすごい数になるわけで心配は要らなかったのだが、あのときは勝手に俳句の行く末を案じてマジで驚愕した。
なんにせよ、文字数が有限ならその組み合わせも有限なので、その後、ボルヘスの『バベルの図書館』を読んだときも(クソバカでかい架空の図書館が登場する幻想小説で、有限のページ数におけるあらゆる文字列の組み合わせからなる全てのパターンの本がそこに収められている、という設定)、そうか、言葉の組み合わせってのは有限なんだ…と不思議な感じがした。
話は飛んで、先日のこと。
「GTAオンラインの現状がやばすぎて草」というスレまとめが話題になって、はてなでもtwitterでもトレンドになったりした。
http://blog.livedoor.jp/madoyuka/archives/25745071.html
俺も爆笑させてもらって、特にその中のある書き込みにハートを撃ち抜かれた。
「仲間になるか迫られてBANが怖いから断ったら猫にされてそれから人間に戻れなくなった」。
腹がよじれるほど笑うとともに感動し、不思議な感慨を抱きもした。
言葉の選び方といい、単語の順序といい、完璧だ。最高だと思った。
と同時に、このフレーズに到達するまで、人間は言葉を生み出してから2000年以上かかったんだな!
言葉の組み合わせというのは、パターンは膨大とはいえ、有限なのに…。
単語の中でも「BAN」がクセモノで、この言葉が今日の意味を得るまで、どうしても技術の進歩が必要だったわけだけど、そう考えると、まだ限りある言葉の組み合わせの中に、俺たちの爆笑の鉱脈をいつか掘り抜いてやろうって文章が息を潜めてるんだろうな。
それが見つかるまでにはもっと技術が発達したり、余分な言葉が死んで消えていくのを待つ必要があるのかもしれないが、それが出てくる未来が少し楽しみだと思う。🦑
頑張れよ!ビチグソババア!
その逆も又然り
相談所に大金払って全部アドバイスして貰って何なら同席お願いして駄目出しまでして貰って「最初に比べたら別人ですね」とまで言って貰えても、「結婚生活をイメージできない」「私よりもお似合いの人が現れると思います」のお祈り文句しか返ってこないと人間不信を通り越して女性嫌悪になる気持ちが分かり始める。
清潔感がない、相手を人間として見てない、性欲出し過ぎ、あたりのマウンティングクソバイスは基本無視、相談所の人に相談すると具体的な指摘とその改善方法を教えてくれるからお勧め。相談所はいわば予備校か進研ゼミ、払った分の元は取れると思う。結婚できるとは限らないけどな。
twitterでたまに、男オタクは女や非オタク男と比べて「男は仕事、女は家事」のような性別役割分業を支持する割合が高く保守的である、という結論の棒グラフが回ってきているのを見かける(例:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/phanomenologist/status/1228500960588124163)。あれはしばしばフェミニストによって「男オタクの女性蔑視の表れ」のように引用されるが、そもそもどういう文脈で出てきた棒グラフだったかちゃんと確かめた人はいるのだろうか? そして、あのグラフをめぐって学者同士の意見が対立していることはどのくらい知られているのだろうか?
ということで、以下であのグラフが出てきた文脈を紹介してみるよ! なお、増田は男オタクだけど、統計とか専門外だよ!
あの棒グラフの出典は、社会学者の北田暁大による若者と趣味に関する研究の一節である(北田 2017: 291)。だがもちろん研究というものはそれだけで完結するものではなく先行研究の積み上げた文脈のもとに成り立つものだ。そして北田(2017)が特に目の敵にして批判しているのが、心理学者の山岡重行による研究である。山岡は2016年の単著において腐女子を心理学的に分析し、腐女子の恋愛観だけでなく彼女たちに向けられたイメージについても論じた(山岡 2016)。
山岡の研究はどう評価すればいいのか難しい。確かに興味深い点が多く、たとえば2015年時点でもオタクに対する否定的イメージが存在し、そのなかでも腐女子は同じオタクからも否定的に見られているということを学術的に明らかにしたこと(山岡 2016: 99, 132)などは、オタクのあいだでは公然の事実とはいえ一定の意義があるだろう。しかし一方で、男オタクと腐女子は相性が良いんだからもっと恋愛すればいいのにというようなアドバイスは大きなお世話というかクソバイスの極みであり、腐女子の心理について質問紙調査のみに基づいてものを言うのはいいとしてもBL作品の構造を論じる上でテキストクリティークを欠いていることは理解しがたい(山岡 2016: 229-230)。山岡はデータに基づく研究の重要性を主張するが、物語の構造などの質的な面に踏み込むのであれば、数字で示されたデータだけでなく様々なテクストに当たって読み込むという人文学的な手法を採用する必要があるはずだ。心理学の実証研究としては面白いが、実証以外の部分で余計なことを言い過ぎている、という評価をするのが最も良いだろうか。
では、それを批判した北田の研究はどのようなものなのだろうか。実はこれ、読んでみるとわかるがかなりのツッコミどころの塊なのだ。
まず、北田がこの調査で用いた方法論について確認してみよう。北田が依拠しているのは、2010年に練馬区の1988年~1990年生まれの男女に対して行った調査である。つまり、2020年現在のアラサーに対して10年前に行われた調査に基づくデータである。このデータは、北田が中心となっている若者の趣味についての共同研究の一環として採られたものであり、北田(2017)が収録されている本に収められた他の論文も同様にこのデータを出典としている。
北田は、東浩紀(2001)のデータベース消費論に依拠しつつ、男オタクの消費が東の言うようなデータベース消費である一方で女オタクすなわち腐女子(ここ、「ん?」と思う人が多いだろうけどとりあえず脇において続きを読んでほしい)の消費が関係性消費である、という先行研究で提示される図式を踏襲する形で分析を進めていく。当然、ではこの論文で言う男オタクと女オタクってのはどんな集団を指すんだ、腐女子かどうかはどうやって決めるんだ、という操作的定義が求められるわけだが、北田がどんな定義をしているのかを以下で見てみよう。
北田はまずオタクの操作的定義を示すが、この時点で首を傾げてしまう。たとえば「ライトノベルが好きだ」という質問はいいとして、「マンガがきっかけでできた友だちがいる」や「アニメがきっかけでできた友だちがいる」という項目は、そりゃそれに当てはまるオタクは大勢いるだろうがコンテンツがきっかけでできた友人がいるかどうかはオタクとしての本質に何も関係ないよね? もちろんこの研究では若者と趣味というテーマを掲げていて、趣味と人間関係がどう連関しているかという点も研究対象に入るわけだからそういう質問項目が悪いわけではないのだが、それをオタクの定義に使われると困惑するほかない。やめてください! 友達がいないオタクもいるんですよ!
そして北田は、上記のような質問で定義した「オタク」を更に「二次創作が好きか否か」で分類する。つまり、オタクを「二次オタク」「非二次オタク」に区分し、それをさらに男女で分けるわけである。そしてこの「二次創作好き」というのを定義する指標として「マンガの二次創作(同じ登場人物で、原作のストーリーとは違うストーリーを考えたり読んだりすること)に興味がある」(北田 2017: 270)というのを持ち出している……えーっと、これだと、『銀河英雄伝説』も『炎の蜃気楼』も『東方』も『アイドルマスター』も原典はマンガではないので当てはまらないのではないか? この調査の後にヒットした『ラブライブ!』も『艦隊これくしょん』も『刀剣乱舞』も『ユーリ!!! on ICE』も、いずれも原作はマンガではない。仮に私が当時練馬区に住んでいてこんなアンケートを渡されていたら、「私が買っているのはアニメ作品の二次創作なんだけど……」と回答に悩んでいたことだろう。「作品」「コンテンツ」とでも言い換えれば済むところをなぜ「マンガ」と表現したのか理解に苦しむ。ゲームを全部ファミコンと呼ぶおかんかよ(この喩えもいい加減古くなってきたな……)。
さらにこの調査は、「二次創作が好きな女性オタク(女性二次オタク)」と「二次創作が好きではない女性オタク(女性非二次オタク)」を区別しているが、肝心の二次創作の中身については区別していない。つまり、BL同人を読んでいようが男女カプの二次創作をしていようが「女性二次オタク」だし、商業BLや一次創作同人専門の読み手で二次創作に手を出していなければ「女性非二次オタク」である。つまりこれは、二次創作が好きなオタクを析出することはできても、本質的に腐女子を析出できる調査ではありえない。もちろん同じことが男オタクにも当てはまり、女キャラが無駄に淫乱になって男相手にサカる同人誌も女キャラ同士がプラトニックにイチャイチャする同人誌も同じ「二次創作」である。種つけおじさんレイプと百合を区別できない質問項目をもとにデータベース消費と関係性消費の対立みたいなこと言っていいのかな……いやダメでしょ。
だが北田の定義のおかしさはこれに留まらない。彼はなんと、「二次創作好きでオタク度の高い女性を『腐女子』という言葉でまとめあげることにはもちろん問題がある。二次創作好きとBL好き、やおい好き、女オタクなどの差異を孕んださまざまな概念が交差する地点に『腐女子』概念は存在している」としつつも、便宜的に「『二次創作好きで、オタク尺度が高位2層である女性』を、操作的に腐女子と」定義している(北田 2017: 307)。はぁ???
言うまでもなく、腐女子の全員が二次創作に興味を持つわけではなく、二次創作に興味を持つ女性オタクの全員が腐女子でもないのだから(男女CPや百合の愛好者はどうすればいいんだ)、この段階で北田が研究対象を正確に捉えられていないことがわかる。「BLが好き」という質問項目を入れてないのに「腐女子」の操作的定義なんてできるわけないだろ! この問題については山岡からもtwitterでツッコまれているほか(https://twitter.com/yamaokashige/status/1131363111636615168)、「興味」と「嗜好」を区別すべきだとも批判されている(山岡 2019: 21)。妥当な指摘だろう。意地悪なこと言うけどさ、これを注に放り込んでるのって悪意ありますよね?
さらに、男オタクに関しても、「二次創作好きオタク男性≒ディープな男性オタク」(北田 2017: 294)と記述している。当たり前だが二次創作にはたいして関心もないがディープなオタクはいるだろうと言わざるを得ない。声優のおっかけを熱心にやっているオタクはディープなオタクではあるかもしれないが二次創作が好きなオタクとはいえないだろう。
総じて、北田の研究は、オタクとしてディープであるか否かとか腐女子であるか否かといったことを、すべて「二次創作が好きか」で測ろうとしている。だがそれはとんでもない勘違いである。二次創作が好きな人とディープなオタク/腐女子であることとの間にはある程度の相関関係はあるだろうが、あくまで論理的には一対一で対応しているわけではないのだから、ディープなオタクを定義したければ注ぎ込んだ時間やカネや知識量を、腐女子を定義したければBL趣味の有無を、それぞれ尋ねるべきだったのだ(特に、客観的な測定が困難な「ディープなオタク」と違って、腐女子かどうかは「BLが好きだ」という項目を入れた上で性別と組み合わせれば一発で判定できるのだから、ここで手抜きをしているのは許しがたい)。
少なくとも山岡の著書にはパッと見で「おかしいぞ?」と思うような操作的定義はあんまり見当たらなかったのに、北田の論文の操作的定義はパッと見でもわかるツッコミどころが多すぎる。これもうどんなグラフ出されても信用できないでしょ。データの処理とか以前に操作的定義がおかしいんだもん。
で、北田にさんざんdisられた山岡は別の著書(山岡 2019)を発表して北田に反論している。個人的にはその議論はおおむね妥当であるように思えたので、詳しく知りたい人は山岡(2019)を読むか、彼のtwitterを見てほしい。私は統計とか詳しくなくて、前提となっている操作的定義のおかしさは指摘できても、標準得点に差があることは「対極にある」ことを意味しない(https://twitter.com/yamaokashige/status/1125940271298990080)とか、このへんはまったく気づかなかったので。
最後に、北田と山岡のどちらの研究もおかしい、と思ったポイントがあるので言及しておく。
北田のデータは練馬区の若者から採ったものであり、山岡のデータは都内の複数の私立大学の学生から採ったものである。つまり、東京圏に居住しているか、通える距離に住んでいる若者のデータに偏っており、さらに後者は大学生のみのデータとなっている。これが血液型性格判断の話であればいいかもしれないが(よくないけど)、オタク文化の拠点が東京などの大都市に集積していることと、就労等によって趣味との関わり方が変化すること、そして趣味に学歴が及ぼす影響を考えると、「東京圏の若者」のみに焦点を合わせて「オタク」の全体像を論じることは適当ではない。そこで集められたサンプルは、オタクコンテンツが身近に溢れていて可処分時間が多く学歴も高いオタクのサンプルに過ぎず、オタクの代表例とも若者の代表例ともいえない。
とはいえ、では他にどういう調査のやりようがあったのか? というと、思いつく計画がどれも高額の研究費を要求するものになってしまって個々人の研究ではなかなか厳しい。少なくとも、東京だけでなく日本全国(最低でも、大阪や札幌などの東京以外の大都市圏)からもサンプルを抽出することは必要だろうし、そのサンプル調査には大勢の非オタクも引っかかる以上はサンプル数もそれなりのものにする必要があるだろうし……こういう大がかりな質問紙使った研究ってやったことないからイメージ湧かないんだけどどんくらい金かかるんだろう。
それと、北田も山岡も統計的データを重視しているので、あえて質的な研究には踏み込んでいないのだろうが、それでもやはりいずれの研究も当事者の言説分析を欠いていることは大きな欠点であろう。オタクは自分たちについて膨大な自分語りを残してきており、それを悉皆調査すべきだとは無論言わないが男オタクや腐女子が自分たちのことをどう語っているのかも踏まえた上で論じられればなお良かったんじゃないかな。もちろんそれは大規模な質問紙調査並にめんどくさい手続きであり、代表性とかどうやって保証するんだ、という感じではあるのだが、せめてオタク自身の手になる非学術的な文献はもっと多く引用されていてもよかったのではないか。それは一歩間違えば大塚英志(2018: 136-140)が指摘するような当事者の営為を無視した簒奪的な研究にもなりかねない、と思う(もちろん彼らは文化そのものを論じているわけではないので、文化を論じる研究者に求められるほどの慎重さは要求しなくてもいいとは思うが)。
いやでもやっぱりこれ北田(2017)のほうがひどいわ。山岡(2016; 2019)の操作的定義を見てると、彼自身がオタクではないにせよ、趣味によってつながる人間関係のありようみたいなのを肌感覚でわかってるって感じがするけど、北田の定義はトンチンカンなんだもん。もしわかった上でやってるならクソだけど、仮に本気でああいう定義を持ち出してきたんだとしたら、それはもう根本的に趣味でつながる人間関係がどんな感じなのか肌でわかってないってことだよね。趣味人としてのリアルからかけ離れすぎてるんだよな。
あと北田の研究がひどすぎるからって社会学全般が悪く言われないといけない理由はないので念のため。北田の研究は別に社会学者なら誰もが参照してしかるべきみたいな位置づけのそれではないので……
よく分からんのだが、その北田氏の研究がいい加減なものだとしても
2007年の練馬区の若者においては、漫画やアニメが好きで二次創作を好む男が
これ、回答の平均値じゃなくて標準得点を元にしたグラフなのよ。標準得点をもとにそんなこと言えるか? って山岡が批判してるからそれ読んで(https://twitter.com/yamaokashige/status/1126035720122953729)。
ワイが間違ってたわ。言えるっぽい。すまん。
続きはanond:20200722142616で。
参考になりましたか?
一般的なスキンケア用品は「薬事法」により、「医薬品」「医薬部外品」「化粧品」のどれかに分類され、効果・効能の範囲が明確に分かれています。
- 「医薬品」とは、病気の「治療」を目的とした薬のことで、厚生労働省より配合されている有効成分の効果が認められたものです。医師が処方するものもあれば、ドラックストアなどで購入することもできる大衆薬(OTC)もあります。ワセリンや保湿外用剤などがスキンケアに用いられる医薬品です。
- 「肌荒れ・荒れ性」「にきびを防ぐ」「日焼けによるシミ・ソバカスを防ぐ」「皮膚の殺菌」など、効果のある有効成分が配合されているのでその効果を訴求できます。また「薬用」とは「医薬部外品」で認められている表示ですので「薬用=医薬部外品」となります。
こういうこと無責任に言う奴は同じ職場で仕事をすることになったとか何かのきっかけでお互いの素性を知らずに社会人同士として元増田と出会ったとしたら
この人なんて素敵なんだろう!ずっとこのままでいてほしいな!なんてお前らは絶対に思うわけがない
この人変な格好だな、オタクなのかな、歳のわりに顔つきや言動が幼くて気持ち悪いな、と確実に思うだろう
オタクトーク以外では日頃のハイテンションさが嘘のように根暗になるタイプの可能性すらあるし
絶対に好感は持たない
「いや私は元増田のことをダセェなんて思わない自信がある」という人もいるだろう
ただそういう人は相手がジャージだろうと萌えキャラがでかでかとプリントされたTシャツだろうと
他人に興味関心のない冷淡な人間なので何も気にならないというだけで
そのような人間の「あなたはそのままでいいよ」なんて暖かで優しい人ぶったクソバイスに一切耳を傾ける必要はない
風呂に入らないオタクに「私は鼻炎で匂いが分からないからお風呂に入らなくてもいいよ」って言ってるのと一緒
「私は鼻炎で匂いが分からないからお風呂に入らなくてもうちに遊びに来てもいいよ」なら言ってもいい
「私はあなたが恥をかこうと何をしようと何も思わないので好きにすればいい」なら言ってもいい
「お風呂に入らず素の体臭を撒き散らすあなたはとても素敵だからお風呂に入らないまま出勤したりアニメイトに買い物に行ったりしていいよ」これは悪魔の囁きなので聞き入れる必要はない
そもそも元増田はクソダサくて小汚い格好に自分なりの絶対的なポリシーがあり
自分の顔の黒ずみに誇りと自信を持って毛穴をおっ広げて好き好んで見せつけていたのではなく
きっちり化粧をしたBCDと会ったことで自分の顔のあまり見せたくない汚い部分を自分だけが上手く隠せてないことに直面し己を恥じて
これからはちゃんと黒ずみを隠さなきゃいけないと決意しつつあるのであって
そんな元増田に「黒ずみなんか隠す必要がないからこれからもどんどん見せていこうよ!!」と囁きかけるのはやっぱりアホで無責任で恐ろしさすら感じる