はてなキーワード: カプチーノとは
ある日Twitterで、「夫を松潤扱いしてみた」というブログを拝見した。
ただ私を松潤扱いしてくれるような人は周囲にいない。
では自分で自分を松潤だと思いこみながら生活してみるのはどうか………いや、無理だ!!!ゆで卵嫌いだし、あそこまでストイック生活できない!!
早速松潤になることは諦めたが、他のジャニーズになりきって生活してみるのも面白いのではないかと考えた。
そこで厳正なる審査を経て、選ばれたのはSnow Man向井康二氏だ。
2 タイ語喋れる
3 服装が好み
5 個人的に好き
4に関して。
私はとてもとてもズボラだ。とにかく部屋を片付けられない。掃除機がかけられない。布団から出られない…と言った悩みを抱えている。
しかし雑誌等での発言を見る限り丁寧な暮らしをしていそうな向井康二になり切れば少し改善されるかも知れない。
(なお今回の向井康二生活は、雑誌などで見かけた向井康二エピソードを元に「康二くんならこうするのでは?」と想像しながら行ったものであり、必ずしもこれが向井康二さんの生活であるとは限りません。もし全然違うやんと思われる向井康二さんがいらっしゃいましたらひっそりご連絡ください。)
少し前のnon-noでモーニングルーティンを教えたくれたのでそれを参考にしながら1週間を始めた。
普段なら5度寝するところだが、今の私は向井康二。2度寝でちゃんと起きて、朝食。
雑誌にはカプチーノとヨーグルトと書かれていたが、ヨーグルト嫌いなのと朝からカフェイン取ると気持ち悪くなるのでスムージーとパンで代用。実家生活以来の朝食だった。
この日は大学の授業があったので日中はそれに専念することした。
夜は友人と夕飯に。そこで大変なことに気がつく。
「カメラ忘れた…」
向井康二ならきっとこういう時もカメラを持ち歩いて写真を撮っていただろう。その友人が普段私が被写体として撮影してる友人だったので、余計悔しさを感じた。
帰宅後は酒のせいもあってメイクも落とさずそのまま寝落ち。やっぱ初日から100%向井康二にはなれない。無理ない範囲で適度に向井康二要素を入れていくことを決意した。
久しぶりにパックなんぞしてみる。パックするとなんか肌の調子が良くなって気分が上がるような気がしないでもない。
昼は暇だったので、Weiboの投稿を真似て数年ぶりにギターを持ち出して弾いてみた。難しくて早々にやめた。
夕方は久しぶりにスーパーへ。朝食用のパンと夕飯の食材を購入した。久しぶりの自炊、意外と楽しいかも。
夜もパックして、就寝。パックした自撮り写真をノリで室龍太的存在の先輩に送ってみた。
この日は向井康二氏のようにお風呂上がり以降スマホを見ないことを実践してみた。
寝る前にブルーライト見なかったせいか、いつもよりすっきりとした目覚めだったような気がする。
この日は母の誕生日だったので、少し照れ臭いがテレビ電話してみた。普段LINEで済ませがちだが、悩みの相談乗ってくれたりアドバイスくれたりと、たまには電話してみるのもよいなと思った。来月帰省することを決意。
大学の講義を終えて暇だったので、カメラを持ってお散歩へ。何気ない景色をフィルムに収める。身近にSnowManという最高の被写体がいるなんて向井康二羨ましいなとふと思った。
夜も引き続き自炊。ついでに友達からおっそわけしていただいた"つけのも"も頂く。いや逆ゥ!!(CV.向井康二)
そういや向井康二さん、ベッドの上コロコロするって言うてたな…と4日目にして思い出す。試しにコロコロしてみたら、まあ色んな髪の毛やらなんやらひっついてくるわ。
普段あんま気にならないけど、たまにはコロコロするのもいいなと思った。
ついでにカーペットもコロコロ。久しぶりにコロコロ使ったから、コロコロくんも目が回ったことだろう。
この日はリモートではあるが久しぶりに働いた。家の中で数時間働くだけで疲れるのに、コンサートやリハーサル等何時間も動き回るジャニーズの皆さんの体力半端ないなと尊敬した。
夜は友人とディナー。今回はちゃんとカメラを持ってきた。ちょうどフィルムを使い切ったので、その足で現像に出した。データ楽しみ。
この友人は宮舘涼太さん的な子で、なんと言うのか独特で面白い子だ。ちなみに彼女は馬術部なのでリアル白馬の貴族だ。いや、普通に一般市民やけどな!と私の中の向井康二がツッコむ。
วันนี้จกินอาหารกล่องวันกับเพื่อน.
ฉันกินพาสต้า
(私はパスタを食べた)
กลับบ้านและเรียนภาษาไทย
(家に帰ってタイ語の授業を受けた)
สัปดาห์นี้ฉันเป็นโคจิ
(今週私は康二だ)
พูดภาษาไทยได้นะ
(タイ語喋れるよ)
แค่ยังไม่เก่งค่ะ5555
(でも上手ではないんだけどねwwww)
5555555555555
(だから多分この文章も間違ってると思うと言いたかったが上手く文章化出来なかったので取り敢えずタイ語のwにあたる5((タイ語で5はハーと言い、それを連続させるとhahahaとなる為。ん、なんか突然ジェスさん出てきたな。))を生やしてみる。)
ここ最近タイ語の授業がついて行けなさすぎて、苦手意識を持っていたけど、今日の私はタイ人のオカンを持つโคจิ。やればできるっ!!とはいえやっぱり躓いてしまった。難しすぎるやろこの言語。でも明らかにタイ語能力は向上してきた。この調子で頑張ろう。สู้ๆ!!!
朝食時に紅茶を淹れてみた。なんかちょっとだけ生活がアップグレードした気分。
この調子で部屋もアップグレードしてみようと思い、地層のように溜まっただしっぱなしの洋服をひたすら整理することにした。
洋服好きの彼は収納にも拘っているようだが、今持っている設備ではそれを真似することは出来ないので、代わりに愛情持って服を畳んで、いつもより丁寧にしまった。ここでふと気がついたが、これはもはや向井康二でもなんでもない。普通の人や。
でも普段避けがちなことでも、「今日の自分は〇〇(本名)じゃないから!」という意識を持つと、第三者的視点から自分の行動を見つめ直すことができるような気がする。普段の自分ならなんとも思わないけど、もし別の人がこの部屋の有様をみたらなんと思うだろう…と考えると自ずと次の行動が見えて来るような気がする。知らんけど。
こうしてもはや向井康二だか誰だか分からないけど、私以外の私になった私は久しぶりに洋服が散乱していない床を目にすることができた。
ついでに地層の底から化石という名の無くしたと思ってた指輪を発掘した。
君にいいことがあるように…
この日も朝食はトーストfeat.紅茶。やっぱ紅茶って美味しいなと思った。
昼過ぎ近所に住む友人を呼び出してお散歩がてらミニ撮影会をした。うん、最強にかわゆいお写真撮れた。二度目になるが、最強の被写体が身近にいる向井康二さん羨ましい…とはいえ私の友人もSnowManに負けないくらい最強の被写体だけどね!とSnowManに対して謎の対抗意識を燃やす。
話は変わるが、自分の撮った写真を喜んでくれる人が存在するだけで、カメラマンやってて良かったなと思う。私の場合喜んでくれるのは被写体のみだが、向井康二氏の場合被写体となったメンバーの他に大勢のファンも喜んでくれるのだから、きっとカメラマン冥利に尽きるんだろうな。うーん、やっぱ一度ガチで向井康二になって、各方位に喜ばれるようなお写真を撮りたい…
今日は夕飯の時間が短かったので、グリーンカレーとそうめんでちゃちゃっと。そう、松竹座でお馴染みのアレだ。たまたまそうめんとグリーンカレーあったので組み合わせみたら美味しかった。タイでもこんな感じの組み合わせ食べたことあったな…とふと思い出す。
巷でいう"担タレ"のようなことをした1週間だった。
結末を一言で言うと「私は向井康二にはなれなかった」一方で、「苦手なことをそれが得意な人になりきって行うと少し苦手意識が薄れた」ような気がした。
人は往々にして「自分は〇〇だからできない」と決めつけて、可能性を自ら狭めてしまうことが多い。私も朝起きられないことや、部屋を片付けられないことがもはや自分にとってのステレオとなっており、自らそのステレオタイプ化した自分を打開することを恐れていたのかもしれない。
私はこのある一種のズボラさの原因を、性格云々ではないところにあるのだと予想している。それはきっと医者に行くと診断が付くかもしれない。薬を処方されることでマシになるものかもしれない。
ただ私は怖いのだ。
仮に薬を飲んで整理整頓できる規則正しい人になったとしたら、果たしてそれは私なのだろうか。
今まで積み上げてきた「私」という人格はどこか消えてしまうのではないか。
それが異様に怖いのだ。
しかし短期間だけ別の人に"なり切れば"、元の自分の人格を持ったままいつもとは違う行動を起こす勇気が出るのだ。
今回たまたま選ばれたのは向井康二氏だったが、別に芸能人でなくても良い。身近な友人やアニメキャラ、妄想上の人物でも良い。
そと間だけでも自分が苦手なことが得意な人になり切ることで、少し勇気がでたような気がした。
他人に完全になり切るのは最早本人からしたら恐怖だろうし、自分の人格そのものを否定することになるので、推奨は絶対にしないが、短期的に誰か別の人物になり切って行動するのは良いかもしれない…と思った1週間だった。
カフェイン中毒と言って良い位にコーヒーを飲む。フレンチプレスで淹れるかエスプレッソかで飲むわけだが、豆を買いに行く度に面倒な思いをする。
もともと家にはハンドミルがあってそれで挽いて淹れる。二年程前に全自動のエスプレッソメーカーを貰って、それにはミルが組込まれているので、エスプレッソはそのミルで挽くことになる。いずれにしても豆をそのまま買うわけだ。飲む量が多いので豆の消費量もそこそこある。だからあまり高い豆でなく、それでいて炒り具合も選べるところ……早い話が成城石井とか……で買うことになるわけだ。ちなみに豆は買って帰ると冷凍庫に放り込み、使う分だけ出して挽き、飲むことになる。
エスプレッソに限らず、豆をそのまま買うというのは、最近のスーパーでは結構面倒な話だ。何年か前に豆のまま売られていた商品が今では中細挽きの粉になっているケースが多い。大手スーパーも、豆のままでリーズナブルなものをひとつ置いていればマシな方だろう。ましてやエスプレッソ用の豆なんてのはない。illy の粉とかあればまあマシな方。だから、成城石井でエスプレッソ用(「エスプレッソ」「イタリアンロースト」「フレンチロースト」辺りの名前で売ってるものね)の豆を探して買うわけだが、
と必ず聞かれる。オートマチックに、だ。いや、エスプレッソの豆を挽いて売ってもらって、密閉できる缶とかなしでどうするわけ?これはむしろ豆で売るのが普通なんじゃないのか?と首を捻りながら、何と言うか考えて、「……そのままで」とか「豆のままで」とか言うわけだ。これが本当に面倒で嫌になる。少し丁寧な店員で、
「こちらは豆のままでよろしいですか?」
とか聞いてくれる人には一度、二度位しかお目にかかったことがない。
要するにdefaultは粉なんだな。世間のdefaultはそうなんだろう。別にスーパーで中細挽きの豆を見て憤る気なんてないんだ。でも、深く炒って少々油の滲んでいるような豆を売っていて、それを挽くのがdefaultって、そうなの?そうなのかなあ。何かいちいち「お前は標準じゃない」って言われてるような気がして面倒で面倒で。俺はただエスプレッソやカプチーノを、同じ値段でちょっと手間をかけて美味しく飲みたいだけなのに。マニュアルでそうなっている、っていうのなら、その辺り、ちょっと考えてもらえないのかなあ。
私は基本的に甘いものを飲まない。そしてエスプレッソ系のコーヒーをよく飲む。だからスタバに席が空いていると入ることがあるんだが、甘くないものを頼むと剣呑な顔する店員がいるんだよな。
私が頼む確率が一番高いのが「ダブルトールカプチーノ」。トールサイズのカプチーノにエスプレッソのエクストラショットをひとつ足したものだが、説明が面倒なので直接こう頼む。そうすると、きょとんとした顔をされるか、良くて「はいはいではサイドメニューは?」と待ちに入るか。この間が何か厭なんだ。スムースに済ませたいのに。
腹一杯のときはエスプレッソを直接頼むこともあるんだが、そのときはもっと酷い。コンパナ(エスプレッソにホイップクリームを落としたもの)をドッピオで、とか言うと、下手するとベテラン店員呼びに行かれるから。
私の認識では、スタバってエスプレッソベースのコーヒーが売りで、そういう店でのこういう使い方ってノーマルなものだと思うのだけど、これは世間では非常識なのか?
幼少期の教育を受けることによって自らのうちに多様な価値観を培うことができることは、のちの人生の幸福度に大きな影響を与えると思う。
幸福度を感じるには自らが価値を見出せるものをいかに多く手に入れられるかによる。
もし価値を見出せるものが少ないと他者との競争が激しくなり、勝ち続けることができれば良いのだが、現実上には上がいるし、そもそも競争自体がストレスとなる。
例えば、明確であり、かつ競争することで手に入りやすい価値といえば、金・地位、だろう。
これらは、常に他者と勝ち負けを争わなければならないし、上には上がいるので足ることがない。
これらの価値観にのみ幸福度を感じることができないとしたら、そこには常に争いが産まれ、一部の勝者と多数の敗者(不幸と感じる人々)を産む。
しかし、多様な価値観を持つことができれば、勝ちか負けしかない争いから脱することができるのではないだろうか。
例えば
一日何回人に笑顔を向けられるか数えること
どこのコーヒーショップのカプチーノの泡が一番細かいのか調査すること
そんなことに幸せを感じることができたとしたら、その瞬間人は誰かと比較し勝ったり負けたりする争いから解き放たれるのではないだろうか。
冒頭に教育を受けることが多様な価値観を持つにあたって重要であると書いたのは
教育を受けることがないとどうしてもわかりやすい勝敗(金と地位)に巻き込まれるからだ。つまり搾取される標的にされてしまうということだ。
だが、イアリーチケットに対する不信感のせいで、存分には楽しめなかった気がする。
それでも気を取り直して楽しもうと、俺たちは頑張った。
そもそも、楽しませるために作られた遊園地で、楽しむ側が必要以上に頑張る時点で無理があるとは思ったけど、そこは譲歩しよう。
しかし、そんな俺たちの譲歩も虚しく、イアリーランドはことあるごとに“残念感”を出してくる。
「ん……この『ウェンズデイ君のカルボナーラ』……どこにウェンズデイくん要素が?」
「そのミートソースの模様じゃないか? ウェンズデイ君って、ほっぺたにグルグルあるだろ」
「えぇ……それだけ? 他にもっと……なんか、こう……あるんじゃない?」
そう言いながらドッペルは、フォークでパスタを掻き分け、その“なんか”を探している。
しばらくすると、ドッペルは無言でカルボナーラを食べ始めた。
答えは聞くまでもなさそうだ。
たまたまハズレメニューを引いただけかと思ったが、俺たちの頼んだものは悉くそんな感じだった。
キャラクターをイメージをしたとされるメニューは、どれもこじつけ気味な関連性しかない。
「ラテアートで、イアリー君のアホ毛が描かれていたんだけど、運んでるときに崩れちゃったっぽい」
「この『ニッキ・ゲーム』ってジュース。ニッキが入っているのは分かるけど、ゲーム要素は取ってつけたみたいな感じだなあ。クッキーに『ゲーム』って書いてるだけだ」
かたどったクッキーをジュースに浮かべただけだとか、プリントしたチョコをケーキに乗せただけだとか、すごく投げやりなクオリティのものが多かった。
にも関わらず、妙に値段が高いのも気になる。
こういうところのモノが高いのは分かってはいたんだけど、さっきのチケット関連の出来事も踏まえると、どうもボッタクリの印象が拭えない。
「私、同じジュース頼んだけど、こっちにはその取ってつけたゲーム要素すら入ってないわよ」
「いや、さすがに全く入ってないってことはないだろ。カップの底に沈んでるんじゃないか?」
「沈んでないわよ。ほら」
しかも、作りが安定していない。
「取り替えてもらいなよ」
「私、ムカついてるけど、やめとく。文句を言って得られるものが、クッキーひとつだなんて割に合わないもの」
普段なら、こういうことは抗議するタオナケが、ずいぶんと大人しい。
「通販とかでさ、『○○日までなら返品可能』ってのあるだろ? あれで実際に返品する人って、かなり少ないらしいぜ」
「それだけ、その商品に満足しているってことじゃないの?」
「その理由も半分くらいはあるだろうが、もう半分は『返品するためのコストが割に合わない』からだと思うんだよな」
「返品したのに割に合わないって、どういうことなの?」
「例えば、返品時の送料とかは消費者が負担しなきゃダメ、とかいう契約を設けてんだよ」
「うわ、セコい」
「それがなくても、わざわざ返品のためにダンボールに入れて、宛て先を調べて書いて、宅配業者に頼んで……面倒くさいだろ?」
満足に足らないし、後悔もしている。
けど、それを取り戻すために、労力をかける価値を感じないんだ。
『覆水盆に返らず』という諺があるが、仮に返せたとしても「別にそこまでしたくはない」という気持ちが勝るのだろう。
俺たちはレストランを出た後、真っ先に自販機で飲み物を買おうと思った。
お粗末な紛い物で満たされた口の中を、親しんだ既製品の味でリセットしたかったからだ。
こういうところの自販機って割高に設定しているもんなのに。
これだと、レストランで飲み物を頼んだ俺たちがバカにされている気分だ。
どうもイアリーランドは、価格設定が無頓着なきらいがあるらしい。
“したくなかった”のだと思う。
「そうだな、じゃあ帰ろう」と言って帰られる状況ではなかったからだ。
未完、収まりきらなくなったので分割 anond:20210626005632