まあ、それがルートとしては一番近いのかもしれん。
https://anond.hatelabo.jp/20171211180854
これは英文法のSVOみたいなもので、チェックも何も、今日本語で書いていても対応してるからな。
俺の職場には10年以上使われ続けてきたPHP7に対応させるだけでも一苦労な秘伝のPHPコードがたくさんあるんだけど
どうすりゃ良いんだろう
…まあそれはそれとして
そろそろPHPやJavaやJavaScriptのような言語だけではいかんなーと最近考えている。
でもRustやGoは今までとパラダイムがちがって取っつきづらくSwiftはLinuxでのサポートが不安だ…
PHPのような仕事がやりやすいPHPの後継言語ってなんだろうか…(Hackは置いておいて)
やっぱりNode.jsなのかなあ…RubyPythonはいまいち決め手に欠けている。
教えて増田さん!
熊谷千葉市長は千葉市が行った、コンビニにおける成人向けコーナーについて、これの表紙にカバーをかけることを要請するという行政上の行いに対し、民主主義的プロセスによって決定されたものであり、この要請は正当なものであると主張している。
また、その要請を端緒として決定されたイオングループにおける成人誌等に関する流通規制について、これは民間が独自に行ったものであり、表現規制という批判は当たらないと主張している。
以上のことについて反論すべくつらつら書いたのが、書いたら満足してしまった部分があるので、増田にて放流することとした。
五千文字以上の乱文を読むことは骨が折れると思うので、主たる主張を始めに書く。
まず、民主的プロセスのみを根拠として表現規制を行うことは肯定することには大きな問題がある。
表現規制を行うのであれば、表現の自由の重大さから鑑みて、単に民主的プロセスの正当性のみではなくそれ相応の慎重さが求められると考えるが、千葉市が成人向けコーナーの雑誌に対しカバーをかけることについて民間に要請するにあたり、慎重に取り扱ったという証拠は今のところ提示されていない。
またイオングループの自主規制は、その前提となった千葉市の要請に基づくものであり、これと一体として論じるのが適当である。
このことは、ミニストップと熊谷千葉市長が共同して記者会見したことからも明らかなように、千葉市の要請とイオングループの規制は政治的にもセットで語るべき問題であることは明らかである。
よって、イオングループの決定についての政治的責任を、熊谷千葉市長は一定程度負わなければならない。
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ある表現物に対し、役所などの行政が規制を設けることは、これはすべて表現規制である。これは表現規制という単語を見れば明らかである。
よって、千葉市によって行われたコンビニに対する表紙の隠ぺいなどの要請は表現規制の要請である。
また、イオングループによる撤去について、これの端緒となったのは千葉市の要請であり、その因果関係があることは熊谷千葉市長も認めるところであり、また共同記者会見を行いイオンの発表として千葉市の要請を端緒としていることを明記しているのだから、千葉市の要請した表現規制の延長として捉えることは自然なことである。
このようなイオンの動きは「自主規制」と呼ぶべきものでもあるが、日本の表現規制の歴史においては行政による規制と自主規制は両輪の関係で不可分であり、特に本件はイオングループによる自主規制も行政による規制の要請とそれを受けての自主規制であることから、これを一体として論じることが適当である。
一度ここで確認したいことは、あらゆる表現が許容されるわけではないということだ。これは、一部の表現が法などによって規制されていることからも明らかであろう。例えば他者の人権を侵害するようなものは名誉棄損の罪などによって規制されているし、性器の露骨な描写についてはわいせつ物として規制が行われている。
すなわち、あらゆる表現のなかから、他者の人権などと比較し、規制されなければならないものについてこれを行っているのである。
したがって、今回の千葉市についてもその表現規制が妥当であるかどうかが検討されたかどうか、またそれが客観的に見て妥当であるのかどうかを見なければならない。
しかし、熊谷千葉市長のツイートを読む限り、民主的手続きの正当性を主張するのみであり、そのような妥当性の検討を行った形跡は確認できない。
また、表紙の隠ぺいについては自由競争市場に対する規制であることもここで指摘しておきたい。
「民意があり、議会が承認しそれを行政が実行したものであるから、この表現規制は正当なものだ」
とまとめることができるだろう。
しかし、これを以ってして表現規制を行うことの危うさについてここで指摘しなければならない。
なぜならば、民主主義は必ずしも正しさを担保するわけではないからである。
例えば、以下に例示したものは民意に基づき、民主的な手続きに基づき行われたものだが、果たして正当化しうる政策だろうか。
ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働党(NSDAP)は一応は民主的な選挙によって議席を獲得し、一応の手続きを経てユダヤ人に対する迫害を行った。
日本がアメリカとの戦争状態に入ったとき、アメリカは世論の後押しを受けて日系人を強制的に収容した。またこのときその財産も事実上簒奪された。これらの名誉回復は1980年以降にようやく行われた。
「黒人専用」「白人専用」といった人種差別政策が行われていた。これらは民意によって支持されていた。
オーストラリア政府によって行われていた一連の非白人への差別政策。
また、熊谷千葉市長の主張を言い換え、このようなものも導くことができるだろう。
『民意の代表たる議員が議会質問をもって提案し、関連予算が議会で承認され、並行して市民意見も聴取して改善を求める意見が多数と確認』
されたならば外国人や性的少数者に対する排斥などを行うことは正当である」と。
これらは不当に差別的なものであり、人権の侵害であることは論を待たないと思うが、熊谷千葉市長はこの理屈で表現規制は行えるものとしているとしているのだから、これについても是であるとこれまでのツイートからでは判断せざるを得ない。
そうではないのであれば、熊谷千葉市長はある特定の物事については単に民意や議会における手続きだけではなく、より広範な正義に基づいて判断するべきだと考えているのであり、そしてその特定の物事には、表現に対する規制は入っていない、ということになるだろう。
表現の自由も、単に手続き上満たしているからといって、これに制限を加えることを正当化することができるのだろうか。
私はそうは思わない。表現の自由は大切なものであり、表現の規制はこれを慎重にしなければならないと考える。
そしてそうであるならば、それは単に手続きを満たしているからと言ってそれを実行することを正当化することはできない。
表現の自由は基本的人権の一つであり、すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利をいう。
また、ここには報道や出版の自由なども含まれる。民主主義において自由な討論は欠くべからずものである。政府などによって恣意的に表現を規制することは原則としてあってはならない。
日本における性的表現物に対して規制している法律は刑法175条で定義しているわいせつ物頒布等の罪である。
サンデー娯楽事件により、わいせつ物を構成する三要件が定義された。
すなわち、
.性欲の興奮、刺激を来すこと
その後チャタレー事件、悪徳の栄え事件などで判例を積み重ねている。
刑法175条の運用として、警察は局部が映っているかどうかで取り締まりを行った。このとき、陰毛も性器の一部として取り締まりの対象としていたが、1980年頃から徐々に変化し始め、陰毛が映っていても直ちにそれをわいせつ物とされなくなっていき、1990年に入ると事実上陰毛については刑法175条の規制の対象ではなくなった。「ヘアヌード解禁」とも呼ばれる。
このように、判例に拠らず行政側の恣意性によってわいせつ物の判断が変動していくのが我が国におけるわいせつ規制の特徴の一つである。
1950年のチャタレー事件をきっかけとして各地の地方自治体で青少年健全育成条例が制定されていき、それと同時に民間のPTAなどで悪書追放運動が起きる。特にマンガが標的とされ、各地で燃やされるなど過激化した。
1989年東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が発生、宮崎勤が逮捕され、大量のアダルトビデオを所持していたと報道されたことで、これらのメディアが人間に悪影響を及ぼすとしてメディア効果論が起こた。また、それに関連して朝日新聞が漫画本が子供に悪影響を与えると社説で論じたことをきっかけとして再びコミック追放運動が起きた。これらを受け、成年向けコミックでも激しい自主規制が行われた。
各地で制定されている青少年健全育成条例で定められており、過激な暴力や性表現のものを包括的、あるいは個別的に指定する。指定された書籍は18歳未満への販売が禁止され、区分陳列をしなければならないほか、業界団体が自主規制として指定を受けた図書の流通を制限している。
業界団体の出版倫理協議会が制定した、性描写が過激な成人向けコミックにつけられるマーク。
コンビニで定めている成人誌とは区分が異なる。これらはコンビニには原則として流通しない
-コンビニ向け成人誌
コンビニエンスストア側が成人向けとして区分し、成人向けコーナーなどに陳列する雑誌。
-春画の展示
春画は江戸時代に版画で刷られた性的表現物で、今日ではその美術性が評価されている。
しかし、日本国内でこれを自由に展示することはできない。なぜならば、性器に修正が施されておらず、わいせつ図画にあたるからである。数年前に実現した春画展も、主催者と警察など関係先がなんども折衝を重ねて半ば例外的に開催にこぎつけたと理解している。
その春画展に合わせて春画を掲載した週刊誌のいくつかがわいせつ図画を掲載したとして警察から指導を受けている。
このように、日本の性的表現物については行政側の規制の要請と民間団体の自主規制とが複雑に折り重なっており、民間側の自主規制についても含めて表現規制として論じられる。特に今回は熊谷千葉市長並びにイオングループが千葉市の要請をきっかけとしていることを認めており、千葉市の要請とイオングループの自主規制については一体として論じるのが適当である。
政治的にも、ミニストップと熊谷千葉市長が共同して記者会見したことなどから、この自主規制とそれによってもたらされる表現規制に対し、一定の政治上の責任を負っている判断される。
熊谷千葉市長はコンビニ成人誌に対して自主規制を行っていないかのように批判したが、コンビニ向け成人誌はコンビニで流通できるよう自主規制がすでに行われているし、その内容は青少年健全育成条例などによって規制を受けている。
表紙についても水着を着用するなどわいせつ性を抑えており、青年誌などと比較して規制しなければならないほど突出して過激であるとは言えない。言えるのであればその根拠を規制する側である行政は提示しなければならない。
また、表紙の卑猥さについて基準を設けての規制ではなく、区分陳列されていることによって一律で規制しようとしたことは、表紙の卑猥さとは無関係の規制である。これは当初の規制の目的のひとつである、成人向けコーナーの雑誌の過激さによってもたらされる不快さを低減するための措置としては不適当である。
以上より、私はコンビニにおいて成人誌と区分される雑誌に対して表紙をカバーするなど表現規制を行うことについては正当性を見出すことはできない。
また熊谷千葉市長のツイートを読む限り、これら比較検討を行い、それでもなお成人向けと区分される雑誌の表紙を隠さなければならないことの正当性を検討した過程が見えず、よって表現規制に対する慎重さを読み取ることはできない。
不快に思わされないことは人権の一部と言えるが、その人権を擁護するために他者の権利を侵害する場合、これを比較検討して結論を出さなければ公平ではない。
例えば、性的少数者に対する不快感はどうであろうか。近年、性的少数者についての認識が変化し、これを受容する方向に世論は形成されているが、これまでの歴史において性的少数者は迫害されてきた。性的少数者が迫害された理由はいろいろ考えられるが、そのうちのひとつは個々人が思う同性愛者に対する不快感によって、同性愛者を迫害することへの肯定的世論が構成されていたからだろう。
多数が不快に思っているのだから、性的少数者を迫害してもいいのだろうか。
もちろん、これは否である。性的少数者を不快に思う気持ちは内心の自由ではあるが、内心の不快によって性的少数者の人権を侵害していいわけではない。
表現の自由も同様である。単に不快であるというだけではそれを規制することは他者の表現の自由に対する侵害である。
また、個々人の趣味嗜好は多様であることから、単に不快さを理由としたとき、その範囲は無制限に拡大していき、実質的にすべてが不快であるから規制する、ということにもなりかねない。
よって、不快さを根拠として表現を規制することは適当ではない。
以上すべてより、千葉市が当初求めた成人向け雑誌にカバーをかける要請について、これ表現規制であり、またこの規制は適当ではない。
イオングループが発表した流通規制は千葉市が要請した表現規制と一体として論じられるべきものである。また、イオングループが実行した自主規制に対し、熊谷千葉市長は一定の政治的責任を負う。
追記でどんどん香ばしくなってるというか、根底の動機ミサンドリーしかないのでは。
承認欲求の飢餓感がうざったいのはわかるとしても、「休日だけ身につけて解放された気分になる」は素直な感想だと思うし全然個人の自由を理解する気なさそう。
タイトルの通り。この前、冬の賞与面談があった。今回支給された賞与の評価理由をフィードバックする面談な。
そこで現部署の上司に言われたのが「心当たりもある方は思うけど、上期は休みも多かったから、前期より評価は下げてます。金額が少下がっているけど、下期は挽回する気持ちで頑張ってください」
俺は頭が悪いからそうっすかー頑張りますわ!でまとめてしまったけど、後から考えると悔しいわ。
その前に心当たりってやつについて説明すると、今年の4月に遡る。
今年の4月時点でその部署に1年間在籍してて、ペアで仕事してた先輩が異動することになった。
そこで新しく着任した先輩と仕事することになったんだがまぁウマが合わない。詳細省くがパワハラの嵐とおもつてくれ。
最終的には心療内科にかかって診断書貰ってそれを産業医に持ち込んで、俺が異動することになった。
この頃の俺は今年度分の有給を使い切る勢いで仕事を休んでいた。夜は眠れないし食欲もないし、どうしても会社の最寄駅で降りられないことが何度もあった。限界だと思って心療内科に行ったら診断書もらったというわけ。
休職を申し出たが、いろいろ上のメンツもあったのか部署移動という話になった。頭がぼんやりしててあまりはっきり覚えていないのだがそういう結果になった。
そうして話は最初に戻る。
冬の賞与は上期(4〜9月)の評価で決まることになるから、9月に異動した俺の評価は、場合は前部署の上司がすることになる。
現部署の上司も、評価を前部署の上司に確認したところ、まあ休みも多かったから減額査定、という評価だったらしい(現部署の上司にそう説明されたってことで、実際はどういう言われ方をしたのかはわからないけど)
結果パワハラに耐えきれず休みがちになった結果、会社から期待された仕事量をこなせず評価はマイナスということのように見える。
理屈は分からんかもないけど、自分を守ったことの結果がこれかよ。休むのに使ったのだって欠勤じゃなくて有給だぜ。
前部署の先輩がどういう評価を受けたのか知らねーが、人を休職手前まで追い込んどいて、のうのうと生きてやがるのか。
結果そういう会社の期待に応えられない自分が悪いのか。俺は誰に向かってクソッタレと叫べばいいんだよ。クソが。
無性に悔しくて悔しくてぜんぜん眠れない。
何に影響を受けたのかは知らないが、それが元作家である父の口癖だった。
作家とはいえ、世間に誇れるヒット作のない父に憧れていたわけではない。
それでも作家として家族を養い、食えなくなってからは会社員になって家族を守ってきた父を一応は尊敬していた。
趣味という趣味のない父が唯一集めていたウイスキーは、俺にとって「尊敬できる大人」の象徴だったのかもしれない。
机に置かれたストロングゼロのロング缶に目を落とす。
父に憧れていたわけではないが、俺は今、文筆業に就いている。文筆業、webライターといえば多少聞こえはいいが1記事いくらで発注者に都合のいい記事を書く、掃いて捨てるほどいるフリーランスのひとりだ。
それだけでは食っていけないので会社員時代の貯金を切り崩す日々を送っている。
俺が生まれたときの父の年齢をとうに上回った今、父と俺の人生は何が違うのだろう。
書いているものの違い。守るべき家族の有無。筆を折って会社員になるか、会社から逃げて筆を取るか。机に置いた酒の違い。
仕事に貴賎はないし、ウイスキーとストロングゼロ、どちらが上でどちらが下なんてことはない。ましてや人生に正解も不正解もない。
そんなことはわかっているが、ふと気がつくと頭の中に湧き上がってくる声を止めることはできない。
「一段落ちてるな」
その声を振り払うため、まだ冷たさの残るストロングゼロを呷る。
いかにもなレモン味の液体が胃に収まると、炭酸のせいで一瞬頭が冴え、その後心地よい思考の鈍りに襲われる。
もうひと口、ふた口。
1本目が空になる頃、頭の中に響く声が変わってくる。
「ウイスキーを飲まないのか」
いや、コレでいい。
純文学を書き続けた父がこだわりのウイスキーを飲んだなら、安く、早く、どんな文章でも書く俺はストロングゼロがちょうどいい。
安く、手早く、雑に惚けるんだ。
机の上で、缶が倒れる音がした。
この対応表みたいなものを発見しただけなのだけど、それを貼るだけじゃ論文って感じじゃないだろうし、かと言って他に書くこともないし。
確かに「役と同じ服装」と取り繕ってもあの忌まわしき戦争を連想させるので「人殺しの服着ている」とか「軍国主義者」という誹りを受ける可能性はある以上、迂闊だったかもしれない。
……のであるが批判者側も主語が大きくなりすぎていてお話にならない、幼稚なレベルで正直失笑ものである。
(全くの余談であるが、この憲兵役の声優さんは年季の入った軍装趣味者のようで、ワンフェスでも憲兵コスプレで参加されているのを拝見した。)
憲兵という兵科自体「軍の警察」という役割を担う以上必須ということは少しでも軍隊を知っているならば分かる基礎知識であるし、自衛隊でも警務科という“ミリタリー・ポリス”を有している。
フランスでは国家憲兵隊を編成して一部の一般の警察業務を担っているし、日本軍のソレもフランスに倣った組織である。
……という点が批判者側からスッポリ抜けているので意味不明な不気味さを放っている。
逆に「いくらなんでも公式的なイベントで(忌まわしき戦争を思い出される)日本軍の兵士の恰好はどうなのか?」というところで主張を押し留めておけばある程度の賛同は得られた筈だ。
「弾圧」「横暴」というワードからナチス親衛隊(SS)と日本軍憲兵隊を結びつけるもの甚だしく不適切である。
日本軍憲兵隊の場合国軍の中の一つの組織でしかないが、SSはあくまで「ヒトラー個人に忠誠を誓う組織」だ。
そして歴史を追うごとにナチスの武装組織「突撃隊(SA)」に取って代わり、ドイツの警察機構を吸収し、国軍(国防軍)と並立する形で強力な軍隊(武装SS)が出来上がる……という具合に
際限なく国家を吸収していったのだ。
ナチス・ドイツのこうした歪さは戦後にも深く影響していて、元国防軍の将兵と元武装親衛隊の将兵の差別問題とそれに関連する武装SS将兵による復権運動
―パウル・ハウサー、クルト・マイヤー等の著名武装SS隊員らによる「我々は犯罪組織の構成員ではなく国防軍と同じ兵士だった」といった主張―に繋がるのである。
こういう歴史の顛末を知れば日本軍憲兵隊とナチス親衛隊は=で結べない筈である。
そもそも論として「欧米ではナチスのコスプレはタブー」という認識が誤りである。
日本の有名な軍装品店(エ○&グ○フなど)に行けばドイツや海外製の「ナチス時代の軍帽、軍服、勲章……etc.」が沢山売っているし、欧米で戦車や飛行機も動員して開催するほどの気合の入った
(更に全くの余談だがZ級戦争映画と名高い「パンツァー鋼鉄師団」はこうした戦争再現イベントを利用して撮影したと言われている)
日本においてもコミケでは特段規制されておらず、せいぜいイスラエル大使館を名乗る怪電話による自粛程度である→https://togetter.com/li/1047396
毎回、軍装コスプレイヤーの溜まり場に行けば必ずナチス親衛隊のコスプレ、稀にヒトラーのコスプレが居るので「ダメなコスプレ」ではない。
(どちらかといえば現行制服の自衛官や警察官の方が法律に反するので「悪」として認識されている)
当然、コスプレイベントで明白に規制されているにも関わらず、無理矢理強行する行為や何もない普通の街中でそうした軍服を着るという行為は軍装趣味者として戒められるべきであるが
特定の組織や兵科を指して「ダメなコスプレ」のレッテルを貼られる謂れはない。
……よって批判者側のヒステリックな物言いには一切賛同できない。
当然ながら日本軍憲兵隊の行い、ましてやナチスの悪行を一切肯定するつもりもないが、だからと言って「○○の行為はダメだ悪い」と声高に激高し監督や作品自体を誹謗中傷する行為を取ること自体思考停止の産物であり