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2024-05-03

ゴールデンウィークにどっか行くなよってことだろ

のぞみ自由席がないかひかりこだま自由席パンパンなんだって

普段スッカスカなんだけどな

もう指定席取れなかったら行くなよ

anond:20240503062556

束になってたらほどいて計量するのかな

(束になってたら計量する必要はないと思うが)

そもそも束になってるパスタを買わないな。

それほどこだわりがあるわけではないけど、普段買うのはバリラとかディチェコとかその辺(高すぎないやつを適当に買う)。普通スパゲッティーニなら日本メーカー製品も多いけど、細いカッペリーニとか太いフェットチーネとかだとほとんど売ってなくない?あとペンネ

たまに気が向いたとき生パスタを打つこともある。その場合は打った時点で100gごとに小分けにする。

「一部ブクマカが一様に」

普段公費の遣い方にやたらと文句付ける傾向が見受けられる一部ブクマカが、な・ぜ・か一様に激怒しているのが趣深いw

見たところ怒ってるっぽいブコメは2〜3個くらいしかないのだけど、「一部」に限定してから「一様に」ってちょっとダサすぎひんか?

一部が一様とか言って良いなら、一部の日本人は一様にMLB二刀流で大活躍してるぞ。

anond:20240503100148

わたしは、「子ども二の次にしなかったから、仕事が長引いてしまったのでは??」と感じました。

"結果"が全てと相談者さんの夫さんはおっしゃっていますが、

夫さんに見えている結果は「散らかったままの部屋」「定時を過ぎても仕事をしている相談者さん」であり、相談者さんの訴える"頑張り"は、「締め切りが迫っている仕事をこなした」「病気の子2人の相手をしながら仕事をした」という、わたしから見ればまさに"結果オーライ"なのでは…??という内容だと感じました。

性別逆ならどう聞こえるか、は、たしかに考えるところはありますが、そのような『もしも』の話の前に、このケースなら、何故そもそも"激怒"に至るのかと、不思議に感じましたね。

たった一通のメールから、正確に普段関係性までも読み取ることは不可能ではありますが、その後の相談者さんと夫さんの関係性が改善されているといいなと思います

退職エントリー的な何か

ずっとソフトウエアエンジニアで飯食っていたのですが、2021年4月からIT系専門学校教員を3年間やってきました。

今年の3月末で退職し、技術系の会社転職しました。

教員は初めての経験でした。

始めるうえでやって良かったこと。逆にがっかりしたことを書こうと思います

いずれちゃんと書くつもりだったのですが、途中で飽きてしまったのでwとりあえず下書きっぽいのを投げてます

—-

教員になってすぐに、理事長含むお偉方の前で模擬授業をやったのですが、そこでの理事長評価がとても良かったそうです。私がいないところで褒められたので、どこが良かったのかわからないのですが、模擬授業中の他教員からフィードバックでは、「常に教室中を見回して聞き手のことを見ている」「適当時間質問タイムを入れている」などをいただきました。この辺りは説明プレゼンを数多くこなしていれば普通に対応できると思います。どちらかというと、「初手で理事長に好印象付けに成功した」が大きかったと思います

とりあえず、なんとかなりそうだとの感触を持ちました。


まず、何を考えて教員をやったか。やって良かったこと等。

さて、私は大卒専門学校のことも知らないし教員歴もありません。

なので、経験のある社員教育OJT)をベースに、不具合があったところを修正する、という方針で臨みました。

新人から入社数年くらいの社員に対しては

課題解決方法提供、答え合わせまで行う。

課題解決のための材料提供のみ行い、課題解決自身で行なってもらう。こちらが全てお膳立てして、こちらの想定に沿った解決策の提示を行なってもらっているので、まだ自立しているとは言えないが、本人は自分努力解決したという自意識を持っている。

③「なぜこの課題解決すべきなのか」という問題提起のみ行い、解決のためのリソースを入手するところから自力でやってもらう。これができるようになると、こちらの想定を超えた課題解決を行うことがあり、仕事を任せることができる。

という順序で指導を行っています

こちらをベースに、不具合のあるところをアレンジする方針で臨みました。

基本方針

①専門知識は全て教員が持ち、必要情報を全て提供する「教師と生徒(≠学生)の関係

②体調が悪い時には自ら病院に通い、専門技術を持った医者医療サービスを受けるような「医者と患者の関係

RPGの「武器屋」のように、自ら魔王は倒さないけど、各自に合った良い武器の選び方、武器の使い方は教える「勇者武器屋関係

という3つの関係の使い分けです。

③だけちょっと表現が違いますが、これが1番学生に通じやすかったんです。

また、学生は「さん」づけで呼びました。TPOによっては呼び捨てしますが、「あの子」のような「子」とは呼びませんでした。「あの子呼ばわり」というとネガティブな印象の方が私には強いので。


学生対応について

基本的学生との接触回数・接触時間を増やすことで、学生から好感度信頼度は上がります(人によって上昇率に差はあるにせよ)

なので、登校日はできるだけ朝早く教室に顔を出しました。

学生によっては、授業の始まる30分前には学校に来ています

朝早くから在室しているメンバーは固定されがちですが、まずは少数の学生であっても、良い評判を勝ち取り、口コミで他の学生評判が広がってくれれば良いと考えました。

これはずっと続けたかったのですが、特に3年目は仕事が忙しく、時間ギリギリ通勤するのがやっとだったので中断してしまったのが残念です。


専門学校大学と違うところの一つが、専門学校にはゼミ研究室がないことです。

コロナ禍でオンライン登校が多かったせいもあると思いますが、学生同士のつながりが希薄です。クラブ活動も全面ストップだったので、クラス外の学生、学年を跨いだ学生同士の連携ほとんどないように感じました。

大学だと、学生が何かわからないことがあれば、まず同じ研究室生・同級生に、次に先輩に質問し、それでもわからなければ教員に聞きにくると思うのですが、専門学校だと、割と軽微な質問まで教員にきます。もちろん困っている学生がせっかく相談に来てくれたのだからそのつながりは大事しますが、教員に聞きにくるまでに捨てられた無数の質問もあったんだろうなと思いましたので、そちらをなんとかしたいと考えました。

まずクラス内の学生のつながりを強化したいと考えました。

ひとつツールなどの紹介です。

こんな便利なツールがあるよ。よかったら授業で使ってください。という「紹介」をしました。

かい使い方までは言わなかったのですが、特にグループワークで学生自主的に使ってくれました。

特に人気があったのはMiroブレインストーミングカンバンなど)、Figmaアプリデザインなど)、Notion(技術共有などWiki的な使い方)などです。どれも複数人の同時編集機能があるので、グループワークで使うのに相性が良かったようです。

ツールの使い方、どんな図面ドキュメントを書くかなど、学生同士が細かく相談したり、あるチームの成果を別のチームで紹介したり等、学生自主的に動いてくれました。

統制が取れた、良いチームワークができたと思っています

統制とは(辞書に載っている意味とは違うかもしれませんが)個人自主的に別の個人やチームに共感し、自主的にその方針に従っている状態が保たれている時、「統制が取れている」と言う言い方を、私はします。

フォローアーシップが十分に発揮されている状態、と思って頂ければと。


もうひとつ放課後教室開放です。

1年目は登校授業が週1に制限されていたので、放課後学生居残りまで発想が及ばなかったのですが、「夏休み中に登校して、学校基本情報勉強をしたい」との学生の申し出があったのでいろいろ調べたところ、前日までに登校計画書を提出すれば対応可能だとわかりました。計画書さえ出せば毎日登校でも良いそうです。その後、通常授業の日も事前に学生名などを届けることで教室が使えることになったので、できるだけ学生を呼ぶようにしました。

あとひとつ就活の利用です。

卒業の1年以上前内定を取る学生もいますので、彼らに未内定学生フォローを手伝ってもらいました。

面接でどんな質問があるか」等、最新の就活事情は私もわかりませんし、その辺の情報学生が1番詳しいです。

教員就活支援担当のいうことより、同年代学生経験談の方が、説得力もありますし、学生真剣に聞いてくれます

さらには、就活フォロー名目で、学生との1on1に当てていました。

自己PRネタ探し」などの名目で、学生経験などをかなり詳しく聞くことができます普段なかなか聞けない「みんなより1学年上なのはなぜ?」などの質問もできますので、私にとっては貴重な時間です。



授業について

私は座学をほとんど受け持たず、実技メインの授業でした。

実技メインなのは助かりました。

技術者として他の人に指導なり水平展開するのと、基本的に同じやり方が取れるからです。

技術リーダー仕事は「自身スキルを持って、他の技術者の成果を向上させる」です。それは教員でもほとんど同じです。

受け持ちも3、4年生なので、2年以上プログラミングを学んだ人たちです。ずぶの素人集団ではありません。

特にグループワークの授業では「チームがより良い成果を出すためには、チームメンバー技術知識経験をフルに生かすこと」を命題に、かつて学んだCrew Resource Managementの技術ベースCRM自体学生に学んで欲しいわけではないので)に、Psychological SafetyやHealthy Conflictの考え方を交えた取り組みを行いました。

引き継いだシラバスからデザイン思考を用いた企画発案、スクラムによるアプリ開発を重点に、他の部分は極力削ぎ落としたり簡単に取り上げるだけにしたのも良かったと思います

実際の授業では、先に挙げた通り学生同士の教え合いを活発化させることをメインに、こまめに学生の机の間を回って、学生から質問なり、ただの雑談があったときにすぐに話ができるようにしていました。

このあたりは、工夫というほどではないですね。

専門学校は1コマが50分しかないので、途中で集中力が切れてしまったら、時間内の回復は難しいです。

なので、できるだけ授業を止めない。たとえばあるチームの質問を他のチームにも展開したいと思った時には、その場で一旦授業を止めるのではなく次のコマの開始時にまとめて話をするようにしました。

逆に、これは50分持たないな、と思った時には、あえて中間に5分ほどアイスブレイクを入れることもあります


この辺り、授業進行・クラス運営技術ではなくアートだなと強く感じました。


優秀な学生への対応

基本的には「中間層の学生をメインに授業設計する」「よりできる学生は本人の自主性・成長力に期待する」「それ以外の学生個別対応」で対応しました。クラスに40名以上もいると、全員個別対応はできませんので・

ただ、できる学生からと放っておいてもいいわけではない。常に気を配っている姿勢を見せつづけないといけない。

で、そういう学生には「こちからお願いごとをする」機会をできるだけ作るようにしました。

直近2年連続で学年総代を私のクラスから輩出させていただいたのですが、彼(女)らは、4月の時点では特に目立って他学生への気配り・目配りができるタイプではなかったです(仲間内では人気がある学生でしたが)。「総代候補」の学生数人を中心にこちからお願い事を増やし「ありがとう」という感謝の意を伝えるようにしました。

結局、総代になった学生は、私から最もお礼を言った学生になりました。

総代になる学生は、何か具合の悪いことが起こった時に逃げたしだりやる気を失ったりせず、問題解決しようとするか、少なくともテンションが大幅に下がることがないですね。そういう「胆力」がある学生結果的に総代になってくれて、個人的にはうれしかったです。


成績・出席率の良くない学生対応

高校時代の出席率が良くない学生は、(高校入試偏差値が高くても)成績がよくないケースが多いです。高校時代の出席率は入試担当部門に行けば見せてもらえるので(そのことを知ったのは教員やって1年以上経ったころでしたが)、予め当たりをつけることができました。

ちなみに今は高校時代の成績、出席率は教務担当オンラインで見られます。なぜか国語の成績はシステムに入ってないので、そちらは相変わらず見に行かないといけないのですが。


人数はそう多くないのですが、高卒資格入学してくる学生は、これらの情報がありません。学生コミュ力結構な差があって一概にいえないのですが、教員含む大人との駆け引きは苦手な学生が多い印象です。つまり就活が大変になるということです。


調子の良くない学生典型例として心療内科受診経験者も結構いたのですが、教員にも隠していることが多く、引き継ぎにも書かれていないケースや、本人から教員に言わないで欲しいという申し出もたまにあります

私の場合心療内科受診を勧めた学生受診歴なしの学生はいなかったのですが(受診歴あるのに本人から申告されるまで気づかなかった学生はいます。)こういう対応ができる教員はそう多くないので、学生が隠したがる一員になっていると考えています

対処法は学生による、としか言いようがないですね。学生むけの無料相談室を勧めるところまでは共通ですが。


前年度の担任から、「特に問題点はない素直な学生だが成績は良くない」という引き継ぎを受けた学生が、実は大人を騙すことになんのためらいも無い人物だったことがありました。私などからすると「こんな単純なウソ大人通用すると本気で思っているのか?」と思える幼稚な対応でしたので、すぐに保護者連絡を取って(当然保護者は気づいていますので)、保護者担任連携が強固に取れていることをアピールすると、少なくともウソ通用しないことは気づきます基本的には保護者から先生、なんとか卒業だけはさせてください」という言質を取って、とっとと卒業してもらう、というスタンスです。

やたら素っ気ない態度と、1年の時から比較して成績が急降下していた学生がいたのですが、彼女の友人から父親と決定的に仲が悪く、そのためか年長男性に心を開かない」ことを教えてもらうまでは、全くとりつく島がなく、苦労した学生がいました。会話が成立するようになってからも、特に強い言葉を使ったつもりもないのに学校に来なくなってしまうことが時々あったのですがなんとか就職も決まり、今は元気にやっている様子です。

出席率・単位が不足する学生には補習を受けてもらうのですが、私を含めごく少数の教員は「他の人よりちょっと多く学校に来てもらうことになったけど、これが終われば進級・卒業できるんだから、あとちょっとけがんばろう」というスタンスでした。補習が終わり「これで卒業決定です。4月から新社会人として頑張ってください」というと、学生自ら反省とか決意とかを言ってくれるので、こちらはそれを信じて送り出します、

一方で補習中ずっと説教モード教員も多く、聞いているこちらがうんざりしました。説教しない教員同士で「学生はすでに十分反省しているのに、なんでまだ怒るんでしょうね」とヒソヒソ話をしてたものです。

保護者面談について

事前に全く想定していませんでした。

私自身、大学どころか、高校中学先生と両親が面談をやっていた記憶がありません。

とりあえず

保護者スポンサーステークホルダーとして対応する」

「できるだけエビデンスを揃える」

で臨みました。

成績の良くない学生就職を控えている学生保護者との面談特に重要です。

「もうすぐ社会人なのだから自分決断・行動してほしい。先生にお尻を叩かれてから行動を起こすようでは困る」という保護者は多い、というか、ほぼ全員です。こちももとよりそのつもりです。

単純に放置する保護者も多いのですが、「1人前になるのはゴールではなくスタートですよね?1人前の人間としての能力を持ったら、その力をどう使うべきでしょう?困っている人を助けるのも、力の使い方のひとつと思います」などと偉そうなことを言って、保護者連携を強化しました。

最新の就職事情がわからない。自身IT系人間ではないので、どういう支援をしたら良いのかわからない、という保護者の方には、過去学生活動事例、本校学生就職先、勤務地などの資料をもとに、説明を繰り返しました。

大学就活に関する情報ネットにたくさんありますが、専門学校生に特化した情報は意外とありません。それはこちらも同じなのですが、「ここは大学生とほぼ同じ。ここは事情が違う」という情報を集めてご報告しました。


保護者自身も、保護者懇談を予想していなかった人もいます

先生と会ってどんな話をしたらいいのかと思っていたが、お話できてよかったです」というメールをいただいた時にはホッとしました。

教員を辞めた理由について

1. とにかく忙しい。

去年の3月末で辞めた教員の補充しなかったため、仕事が山積みになった

その前年にもベテラン2名が辞めていたので、土日も休めない状況になった。

2.やることがなくなってしまった

2年目で数値化できる数値はほぼずべて学年トップ場合によってはIT学科トップや全校でも2、3番手などになってしまい、さらに上を目指すものがなくなった

3.学科長の方針独自すぎる

校長など経営陣の意向を取り違える。他の学科長と連携しないなど、独自路線を突っ走る。かといって学科の取りまとめもやらないので、成果の出ない(クラス数激減)学科になった。

4. 他教員と話が合わない

4年ではスクラム開発を取り上げるのですが、4年担任はよくいえばスクラムガイドに忠実。悪くいえば批判精神がない、なぜこういうルールになったのかまで考えが至らないタイプでした。

スクラムガイドには、チームは「10名以下」と明記されているのですが、チーム開発経験の乏しい学生にこの人数は多すぎです。

実際、成果を出したチームは4人チームが最も多かったのですが、ずっと多人数チームに固執し続けていました。

4年生は当然実力はあるのですが、それに見合った成果が出ませんでした

成果の出ない授業の担当は、本当に苦痛でした。

5.他教員が働かない

関係者以外の目に触れた実例として卒業式の例を。

私は卒業生・保護者来賓の方の誘導係でした。

2、3名で案内をしていたのですが、体が不自由そうな保護者の方をエレベーター誘導したり、 Permalink | 記事への反応(2) | 13:20

殺生とは無縁のものは月である

微生物がいそう?

月に乳酸菌大腸菌がいたとして普段生活の中で無邪気に手洗いしているだろ

何億もの菌にそれぞれ5分の魂

そんなことを言われても困る

[]サラリーマンこわい話

数年前転職してきた(具体的な年数は記載しない。「a few years」の数年前)上司が飛んだ。もちろん形式上は通常の手続きでの自主退職だけど、引き継ぎなども特になくクロージングもなく「いなくなった」。

私もサラリーマン人生いから、今まで「鳴り物入り」の同僚や上司が来て、淡々と去っていくのを見てきた。中でも今回の「飛び」は印象深かったから、個人場所特定されない話として残しておこうと思った。

上司は本とその中に書いてある理論が好きだった。

推薦図書を全員にメールで送ってきた。結局ほとんど誰も読まなかったらしいけど、私は「上司の推薦図書=実質義務」だと思っているから、アマゾン中古本と図書館で借りることで一冊(アマゾンでも高かった)除いて全部読んだら「本が好きらしいので」と5冊持ってきて結局「義務」が私だけ5冊増えた。想像つくとは思うけど結局「読まなかった人へのペナルティ」も「読んだ人へのアドバンテージ」も特に無かった。もちろんそのあたりも最初から想定していたので特段の感慨はない。

感想?「何冊かは『読む』本じゃないよね」ということ。

仕組みやシステムを構築する時、困ったり抜けを確認するために該当箇所に当たってチェックする本だなというのが感想

就任後一ヶ月くらいで、私を呼んで分析用のデータ作成を指示してきた。

もちろんこちらも誠実に対処すべく質問をする。

網羅すべき内容は?」「全部」

「どのくらいの期間で?」「できるだけ早く。3日位で」

これを聞いた瞬間に感じた。

(ああ この方自分で読んでそして我々に推奨してきた本の中身を理解してない)と。

推奨図書のうち一冊には「なんでもそうだけど 内容を明確にして対処するのが一番大事だよね」的な書物があったんだけどな、ついでに自分仕事人生の中で「全部」と言われたデータが役に立った例は古今東西あった例はないな…と思いながらデータを取りまとめる。

想像通り3日で作ったデータは死蔵品と化して、最後まで日の目を見ることはなかった。

推薦図書の中に「全てのデータを取得してアウトプットして活用する」的な本もあった。

だけど上司アウトプット資料殆どたことがない。強いて言うなら文字位置がガタガタなPowerPoint位と画像貼り付けノートとして使われてたEXCELくらいかな。

データ使いこなすと言うならまずはMicrosoft Officeを使いこなしてほしいかな、と思っていたけど流石に直接そう話すわけにもいかなかった。

そんな中で上司招集課題案件対応するための会議が始まる。

予感はしていたのだけど「ここ(現業)は◯◯が低迷し…」から始まった瞬間、皆の顔が微妙に歪むのを観察していた。私も現職で数社経験しているから身にしみて知っているのだけど、私が努めてきたどこの職場でも「課題問題もある。それは皆わかってる。でも別に好きでそうなってるわけじゃないし誰かがサボってそうなってるわけでもない」。そこまでの経緯や体制など色々な原因が横たわっているからそこを改善しないとどうにもならない。それをさも「怠惰」が原因であるかのように話をしてもどのプレイヤーも得をしない。

予想はつくと思うけど、その後も会議はたくさん招集された。だけど上司から出てくるのは「課題」「問題」「事象」。いや、上司に求められているのはその3つに横たわる「原因」を分析する能力なんだ。それら3つはもう全員が理解してる。だからすぐに「会議を開くこと。そして上司の話を聞くこと」が会議目的と化した。そして上司目的語が大きかった。業務遂行するうえで、顧客のどの層を想定するかは割と大事ポイントなのだけど、常に上司の口からは「お客さん」というワードけが出てきた。それとなく傷つけないように目的語を会議中に修正した事は何回かあったけど結局最後まで変わらなかったな。

私の嫌な予感は的中し、上司の話を聞き流す人が着実に増えていった。

その結果どうなったか上司コミュニケーションの機会そのもの自分で減らしていった。立場上忠実(にならざるを得ない)直属の部下のみを招集しての会議のみがやたらと増えた。直属の部下は上司との会議のすぐ後に他部署との会議自分業務を抱えて辛そうだった。そのなかで上司はいつも5時になるとすぐログアウト。そして退社するのがルーティンになっていた。

いかいか、は別として、現職の経営層は管理職に「プレイングマネージャーであることを望む傾向が強い。仮にプレイングマネージャーでなかったとしても、課題問題もあるわけだから暇な訳が無い、だからポジション募集して貴方が来たんでしょう?と思うのはごく当たり前のこと。だからイマイチ何をしているのかわからないが毎日定時で退社する上司」が現職の職場で目立ち始めるのに時間はかからなかった。

私の現職の部署はやや職場位置特殊で、本社の中枢部分に数人のデスクがあり、分館みたいな所で私を含む大部分のスタッフが働いている。

そんな中で、上司は分館の会議室に脇目もふらず直行して会議だけ行い(内容は少し聞こえてくるのだけど、何かが決まっている雰囲気はあまり感じられなかった)会議が終わるととてつもない速さで分館からいなくなり、分館スタッフと話す事は殆どなくなった。

コミュニケーションを嫌がる(怖がる、かもしれない。少なくとも私にはそう見えた)ものからメールの返信もいつも一行から三行位。「ふわっとした」疑問形で返されることも多かったから、メール案件上司が介入した結果結論に到達せずに途中で止まってしまう事が多かった。

承認書類も途中で止まるようになった。上司承認が止まるものから業務案件も滞る。その中で招集された会議上司承認待ち案件について「あの案件が停滞しているのは何故?」という発言が当の上司から出てくるというギャグみたいな状況に数度直面した。

外部業者コンサルも好きだった。

でも両方とも魔法使いじゃない。外部業者コンサルと打ち合わせを行うと、初回で外部業者必要しているデータそもそも持ち合わせていないことがわかり数回の打ち合わせで大半が立ち消えとなり、事前検証や打ち合わせの時間分の工数が消える結果となった。

それでもいくつかの案件稟議通過した。

おそらくは経営陣側が「上司の力量に一旦は任せてみよう」という判断になったのだと想像している。その一方でこうも思った「後日経営陣は確実に費用対効果確認してくるだろう。まあ私が問われるわけじゃないからいいけど…」。

良くなかった。

私の対応分野は「問題課題解決」や「業務の仕組み再構築」。

基本的には与えられた条件の中で新たな費用を発生させないことを前提としているが、どうしても少額の費用最近はサブスク的な月1000〜2000円とかの定期支払いが多い)が必要になる時があるが、そういう少額費用の決済が恐ろしく渋くなった。どれだけ費用対効果説明する資料を作っても駄目。

その中で「稟議通過したこの件だけど、まだまだ足りないかもっともっと金を使うぞぉ」的な資料を見つけてしまいため息しか出なかったのをよく覚えている。

結局はこの稟議案件数件が致命傷になったようだ。

会社数字でのリターンを求めてくる。でも部下とのコミュニケーション同様「ふわっとした」説明しかできなかったらしい。資料を作って見せるスキルもないからすっかり経営からマーク」されたらしい。

その結果、上司が分館に来て誰とも目を合わさなテーブルデスクではなく)で黙々とノートPCと向かい合って「何か」をして、5時になると姿を消す姿を連日目にするようになった。

から退職の話を聞いても何も驚かなかった。

だけど一つだけやっておきたいことがあった。

着任後半年くらいしてから現業未来像をどうするか」でブレーン・ストーミング会議を行いたいと言われてメンバー招集されたことがある。

結局はブレーン・ストーミングでもなんでもなかった。

役員が”将来像”は『A』になると言っているから、皆『A』にするための方策を考えて」だった。

私は基本的官僚スタッフなので、方向性として示された事をいかに実現させるかに頭を絞るのが職務だと捉えている。だがこの件は看過しているとまずいと考えて話をさせてもらった。「『A』はできない訳ではないのですが、会社体制対応のものを変える必要があり現職の状況には沿っていないと考えます。恐らくなのですが『B』という考え方があり…」とホワイトボードを使って説明した。参加者全員が納得してくれ、上司も「まあいいでしょう」と話をして次の会議予定を設定した。

次の会議になった途端、上司が『A』の話をし始めた。私から「先日お話した『B』の話は役員にしていただけましたか?」と話したところ「役員は『A』と言っているから」の一点張り。結局この将来像は、微妙にどうなっているかからない状態になっていた。

上司退職が決まって10日後位のこと。この”将来像”とは別案件で当の役員が来ることになった。別案件とは書いたが、この別案件の作り込み方は”将来像”によって180度に近いくらい作り込みが変わってくる。私もそれで悩んで色々な絵図面を散々描いては直し、を繰り返してきた。

私が事前に”将来像”について役員に直接確認する必要があるよねという話をしていたので、自ずと役員を前にその話題に流れていくことになった。

役員笑顔で話してくれた”将来像”は…

『B』だった。

私が話した内容とほとんど一致していた。

誤解しないでほしいのは、別に自分の自慢をしたいわけじゃないということ。

何故このような意思疎通の不全が起きたかということだ。

少しだけ捕捉すると『A』は「0か1か」の案で、『B』は「濃淡をつける」案。

外部の方からするとどっちも似たようなものに見えるのだが、実際は業務の作り込みから顧客への応対からシステムから何もかもが違ってくる。

恐らくなのだが、役員が『B』で話したのを、上司忖度して「役員の期待?に応えるためにはもっと厳しくしないと!『A』じゃないといけないだろう」と脳内変換したのではないかと推測している。

念の為だけど上司を責める気はまったくない。誤認や勝手忖度は初めての案件場合よくあること。問題はそこからどう修正するかであり、それを可能にするのがコミュニケーションだと思っている。

その会議には退職間近の上司も参加していてほとんど何も喋らなかったが、役員が『B』を笑顔で話している時に上司をちらりと見たところ、ずっと下を向いていた。

会議後、役員は次の会議に向かった。そして上司はそっと席を立った。その時、他部署の方が「◯年前にさっきの話を聞いていればこんなに時間からなかったのに…」と言っていたのが全てを表していたと思う。

その日から10日間、上司ほとんど別館のテーブルノートPCをおいて「何か」を見ていた。手は殆ど動いていない。誰かと会話する時間は一日10分程度。それでも定例の直属部下とのミーティングは開催されるし、案件会議には一応「出た」。そしてほとんど何も喋らなかった。

外部業者ほとんど実現可能性のない案件相談から次の打ち合わせの打診がメールで入ってくると「◯◯が設定します」の一行メールで返信が入ってくる。当該◯◯さんに「どう進めます?」と聞くと「話聞いてそれで終わりだねー」と「せやな」で返すしか無い見解いただき安心した。つまり上司が片っ端から声をかけてきた外部業者コンサルトのルートはほぼすべてがクローズされるという結果となった。

そして、上司最後に二回だけ話す機会があった。

一つは大きめのプロジェクト案件で私が話した内容。

実は十数年前現業転職したときから気になっていた。

やっと手が出るようになったのだが、他部署に関わることのため話の持って行き方をずっと考えていた。何とかうまく「敵に回さないよう」話ができた後、上司からしかけてきて「やっぱりダメだよね◯◯部署。ところでXXのデータには当たってみた?」

‥いや違うんだと。◯◯が怠惰でやっていないのではなく、現職の業務体制で手が出ていないだけでそこに「悪」存在しないんだと。そして私がやるべきなのは問題提起と提案まで。実務は◯◯に依頼しなくてはならないから、私がXXに当たる意義はほぼないんだと。何より私はただ一件の話をしているのではなく、背後に眠る数百件の類似ケースとその検証に手を回せない体制改善しようとしているんだと。

純粋な親切心でそこまで言おうかなと迷ったが、意味も意義も無いのでやめた。

もう一回は最後最後

退職1時間前に退職事由説明した長いメールが届いた。

退職メールではなく、普段から自分の口と文章資料経営陣とも部下ともコミュニケーションを怠らず「わかってもらう」努力を欠かさなければ結果が変わったかも…)と思いながら返信。

返信した30分後位に挨拶に来た。

聞いてみたところ、メールを出してすぐログアウトしたので返信は見ていないとのこと。

なので私の画面で返信をお見せした。

私の返信を要約すると「理論大事。だけど現実リンクさせないと殆ど無駄打ちに終わる」「コミュニケーション不在はやばい」となる。できるだけ親切に描いたつもりだった。

上司から感想はなかった。「頑張ってください」の一言だけだった。

私も想定内だったので「ありがとうございます」と挨拶した。話を聞く限り返信を返したのは私だけのようだ。

恐ろしいのはここから

上司が退室して10分後には「なんの支障もなく回る活発な職場」「上司がかつて通した稟議案件は(経営陣が追加コストを嫌気して)廃止になるかもしれないから準備をしておこう、と話すスタッフたち」の姿が。

…そう、最初からそんな人は「いなかった」んだよ。という扱い。

程度の問題ではあると思うんだけど、人間には承認欲求というごく当たり前の感情があるはず。これが怖くない人はいないと思う。

そのために何をすればいいか、という自戒も込めてここに残しておく。

https://anond.hatelabo.jp/20240502110846

anond:20240503022602

元増田意見に沿ったデータだって

そこから読み取れるし

別に探すとしても割と豊富にあるはずだけど

普段からデータ扱う仕事は他の人にやってもらってるのかな

匿名ダイアリーエリートっぽいね

2024-05-02

心配ポルノ

合意の上でやっていることや本人が楽しくやっていることなのに、一枚の画像や切り抜いた短い動画文章をパッと見ただけで

「無理やりやらされてかわいそう」 「本当は嫌なんだろう」 「体調が悪かったに違いない」 「気まずそう」など決めつけて

あなたのためを思って!心配しているのよ!という名目

その人が実は合意の上で楽しく行ったことをめちゃくちゃに否定して関わった人間のことも強い言葉誹謗中傷する現象が多すぎる

もし相手共感されなかったら開示請求されるレベルの強い言葉を使うなら

前後の流れとか当事者の間柄とかある程度事実関係確認したりしないのか

炎上上等の捨てアカウントじゃなくて普段平和に使ってるようなメインアカウントでやってるからびびる


もうひとつ少しパターンの違う「心配ごっこ

年数や事例は適当だけど

20年前は病んでたけどそれ以降から現在までは明るく元気に活動している作家映画監督

30年前にある店舗店長傷害事件を起こしてその店舗は潰れたけどそれ以降は目立った事件はないし普通に全国展開して繁盛しているチェーン店

40年前に凄惨殺人事件があったけど今は新しい名物ができて観光客で賑わってる地方とかがふいにクローズアップされた時

「あの人生きてたんだ!?かわいそう……、ちゃんご飯食べてるのかな?自殺とかしてなくて安心した」

「あの店ってアレだよね……?従業員の人たち大丈夫なのかな……?」

地名見て殺人事件思い出した、地元の人たちの風評被害心配……!」

みたいなことを言う奴ら

おまえに心配されんでも元気にやっとるわと思う

明確な加害(誹謗中傷)とは違う方向性で失敬な奴で対象を貶めてるしファンぶってるけど何も知らないし調べようともしないしやっぱり「心配している」をしたいだけ

何なら本当は「今何してるか知らないけど生きてたんだ?つまんねw」 「あの店の店長ってだけで犯罪者かと思っちゃうよなw」 「縁起悪w呪われた地w」と囃し立てたいのを心配するふりで包んでいるだけ

たぶん人間には心配欲というものがあり支配欲や加害欲に似ているのかもしれない

ASTLIBRAってなんでこんなに評価高いの?

10連休取ったので普段やらないことでもするかとフリーゲームをやることにした。

脳筋魔法使いセブンスコートが大当たりでホクホクしつつ人気がクッソ高かったASTLIBRAに着手。

……

…?

これ、つまんなくね?

黒歴史ノートみたいな寒いノリのかけあい

展開バレバレで雑なストーリー

飛ばせないクセにつまらOP

やたらしつこいヒットストップ

レベルアップ前提で大味の戦闘バランス

何もかもが辛い。

とにかくしんどい

フリゲのしんどい所詰め合わせみたいなゲームだった。

かにまあフリゲにしては頑張っているとは思うんだけど、これを「凄いフリーゲームだ!!」と評価したいかと言われると完全にNO。

フリーゲームでなきゃ遊べない所は全然なくて、知られざる低予算PS時代ゲームいくらでも似たようなのがありそう。

これを個人で作っているのは凄いんだけど、個人で作っているのが凄いというだけで、面白いかというと全然そうでもない。

高校大学文化祭でコレが出てきたら「おっ、この学校にはやる気あるやつおるなー」となるかもだが、東京ゲームショウ専門学校展示だったら「努力する姿勢評価するけどセンスがね……」となること請け合い

なんだろうなあ・・・努力だけしか評価に値する部分がない感じなんだよね本当。

これが総合得点ランキング1位になっちゃうんじゃ、フリゲ未来はないかなあ。

学歴コンプレックス卒業した 1/4


約十年前に、とある4年制大学卒業した。名を佛教大学という。

高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったこである

実際には文科系総合大学だった。ちょっとだけど理系もある。

なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めは3月下旬である。ずいぶん時間がかかってしまった。

普段から増田投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。

佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも偏差値が高いとはいえない。Fランクではないが、基本的には関関同立不合格だった人が入学してくる。滑り止め率が極めて高い大学である

なんで自分がここに入学たかと言うと、やはり滑り止めだ。第一志望としては同志社大学(政策学部)に行きたかったのだが、実力があと一歩及ばなかった。残りの関関同立も全滅して、残念ながらこの大学社会学部に進むことになった。

大学4年間のことはそこまで覚えてない。実際には、いろいろあったんだろうけど。

学業一生懸命に取り組んだ。授業をサボることもあったけど笑 成績はいい方だった。卒業単位が揃った後でも、まだずっと授業に出続けていた。学問が好きだった。

アルバイト金閣寺にあったマクドナルドで、部活(実態サークル)は地味めの文化系だった。いわゆる【文芸サークル】みたいな感じか。みんなでドキドキ(?)な文芸を書いてたんだが、大学生なんで、俺を含めたほぼ全員が既存作家コピペだったのが記憶に残ってる笑

ただ、今になると記憶がない。本当に記憶がない……自分はこの大学で何をしていたっけ? そんなに無為ではなかったはずだが。

学食は1人で食べることが多かった。それ以外の行動も、1人または少人数のどちらかだ。授業は半期ごとに目いっぱい取った。32単位分を。教職課程は2つ取っていた。186単位を取得して卒業したんだっけ。サークル飲み会では、やっぱり1人でちびちびと飲んでいた。大した思い出は詰まってない。

冒頭が退屈なのはよくない。本題に入ろう。まずはアブストラクトだ。

大学1回生の時に思ったんだ。「このままじゃダメだ」って。第一志望の大学に入れなかったけど、大学生活をエンジョイして、就活では結果を出して、大学入試の結果をバカにしてきた家族兄弟や親戚を見返してやろうと思っていた。

でも、正直心が折れかけたよ。1回生の頃からそうだったけど、とにかく在学生の質が低すぎた。ヤバイと感じていた。ただし、これは当時の考え方にすぎない。今だと「どこの大学生でもあんなもん」くらいの緩い考え方である

当時は、実力を高めることに貪欲だった。飢えていたのだ。強い自分に。弱い自分が嫌だった。人としてレベルが低い学生を見ると腹が立った。自分がこいつらと同じなのかって思うと腹が立ってしょうがなかった。一刻も早く、ここから卒業して、立派な社会人になりたいと思った。

そういうわけで、学業とか、TOEICとか、文芸サークルとか、アルバイトもそうだけど、とにかく何でも頑張って、最後は……いい会社から内定をもらうことができた。アベノミクスの始まりの頃で、景気はゆるやかに上向いていた。

入社したところは、いわゆる一流ではないけど、佛教大学卒業者で会社員~という観点からすると、いいところだった(電子機器を作ってるところ)。同学年では、全学部を含めて№1の結果だった。

さて。ここからは、各学年の時の思い出を綴っていく。

一番最後に、今の自分気持ちを書いてみたい。



大学1回生の頃~

入学式と最初オリエンテーションが終わった後、知恩院という重要文化財のある宗教施設に行くことがあった。大学がやっている新入生向けのイベントだった。浄土宗大学だったので、そういう縁からか、知恩院僧侶の方々が歓迎的な催しをやってくれた。

今思えば、重要文化財のお堂にあれだけの新入生を詰め込んで、いろいろやってくれるってスゴイことだったと思う。

この時はまだ、この大学に悪い印象はなかった。しかし、本格的に授業が始まってからは、上に挙げたようなマイナスイメージが付きまとうようになった。大学時代日記を参考に書いていく。

以下、特定の思い出エピソードを語る場合は、太字タイトルを付けて1字下げにする。

1.授業中の男子学生

 新入生向けの英語の授業だったかな。前の席に座ってた男子学生が、先生の話を聞かずにケータイを弄っていた。先生がさ、「授業中です。携帯電話はやめなさい」って言ったんだけど、彼は聞かなかった。

 先生それから何度か指導をするんだが、やっぱり聞かない。で、そいつは「う~い、わかりやした~」みたいな感じで答えている。先日まで高校生だった人には、授業はきついのだろうか(と当時の日記に書いてあった)。

「もういい。お前は落とすっ!!!!」

 先生が小さい講義室の中で、声を張り上げた。いやあ、あれは久々にびっくりした。その学生は退出を命じられ、教室には重苦しい雰囲気が漂った。

 当方は、京都まれ京都育ちである佛教大学には、高校生の時にオープンキャンパスで来たことがあった。その時は、悪い環境じゃないなと思った。学生以外にもいろんな人がキャンパスにいた。学食には障がい者とか、ご老人とか、浮浪者の人とか、中高生とか、とにかく多様性に富んでいた。どんな人でもキャンパスに受け入れる空気感が好きだった。

 しかし、【カオス】というのは多様な方向に拡がる。それは、いい方向ばかりとは限らない。そういうものなのだ……。あと、ついでを言うと、この頃はちょうどキャンパスの再整備工事最中だった。今ではクソデカ超立派な新一号館が鎮座している。

仮校舎とかもあった。実際、授業中の思い出と同じくらい、工事現場が間近にあったイメージが強い。

2.想像を絶する張り紙その他

 一般的に、若い人ってモラルが低くなりがちである。それはいい。若いんだからマナー常識もこれから勉強すればいい。

 しかしbut。自分学内で見た貼り紙の中には、「え……?」というものがいくつかあった。以下に列挙する。

(貸出物品のこと)

 多目的情報ルームみたいな施設があったのだが、職員カウンターの前にこんな趣旨張り紙がしてあった。

「今後は学生への事務用品の貸し出しは行いません。貸した後で帰ってこないことがあまりに多いためです」

 久保帯人ブリーチじゃないけどさ、俺にしてみれば「なん…………だと…………」だった。

体育館張り紙

 キャンパス内の鷹稜館(おうりょうかん)という建物には、体育館兼式辞ホールがある。飲食禁止である。昼休み中に駄弁るのもダメ。そういうルールだった。しかし、学生の中には、スポーツとかするエリア内でメシを食べたり、授業の空き時間ステージ上で寝てる人が多数いた。

 いつからだろうか、「館内での飲食や休憩はできません。見つけ次第指導します」といった貼り紙が増えていた。その際の、自分認識としては……「なんでこんな貼り紙存在するのだろう。管理者ダメって言ってんだからダメなんだよ。なんで従わないって選択があるんや?」というものだった。

 大学生になって一年も経ってなかったが、高校時代とは違う風景がそこにあった。大学自由なところとは聞いていた。でも、俺が想像していたのはこういう自由ではなかった。

コピーカードのこと)

 何円だったかは忘れたが、学内のどっかで【コピーカード】を販売していた。ただ、部活(サークル)が小説などを書くところだったんで、印刷物を刷る時の負担が大きいんだよな。100%公的もの(ex.学内新聞関係)だと部活動費で賄えるが、個人的趣味出版物だと難しいものがある。

 同じ部活にいた文学部学科は忘れた)の女の先輩が、趣味同人誌を作ってたんだけど。その人が、ゼミ教授から一時的に借りているコピーカードがあって……教授が持ってるコピーカードって、枚数無制限なんだよな。もしくは1万枚とか度数があったと思う。

 もうわかってるとは思うが、その先輩は、印刷無料販売用のマイ同人誌を大量印刷していた。確かあれは、『TIGER & BUNNY』か『ギルティクラウン』のどちらかだった。さすがに今では、どっちか思い出すことはできないけど。

  「先輩、それヤバいっすよ」と言ったけど、先輩は素知らぬ顔で答えるのだ。

増田君。文学活動にはね、お金必要なんだよ。これも社会のためだと思って、見逃してほしいな♪」

 だってさ。あまりクールだった。いやぁ、あの時は痺れたね……笑

 (参考:https://tadaup.jp/702e034b1.jpg)

 ※度数1000のコピーカード画像自分教授から借りてそのままだった笑

この頃から自分は佛大の学生とは距離を置こうと考えていた。

早く、とにかく早く実力を身に付けたい。レベルが高い社会人になるべく、今から努力を積み重ねるのだ!! この課題については、なんとしても早く――昨日のうちにでも達成する必要がある。

そして、大学卒業後は、一流どころの大企業へ。そんな牧歌的なことを考えていた。

https://anond.hatelabo.jp/20240502193039

anond:20240502170456

まぁ東京京都大阪北陸も行きやすいか旅行たくさん行けるし、普段人でごった返すわけでもないか生活やすいし悪くないと思うで

中学生の時のエロい思い出と、結果的いじめられた話

当時、中学2年生だった俺は「真面目キャラ」としていじられる風潮があった。友達アニメゲームの話をしたかったが、周りの圧もあって中々言い出せず、ゲームもしない、アニメもみない体で話を合わせてた。

ある日、クラスメイトの不良女が何を思ったのか、休憩時間教室に登場(普段学校内のどこかでたむろしてるか、そもそも学校に来ない)。不良の中では割と高い立場にある(兄姉も不良で有名で父親893から)が、本人はそんなに悪いことをしないので俺は怖いと思ってなかった。

そんな不良女が椅子にまたがってたんだが、他のクラスメイトヤンチャ程度の男子。今で言う陽キャに近い)とはしゃいでいたらこけて、パンツが丸見えになった。

俺はその様子を全部見てたんだが、そのヤンチャ男子の1人に「うわ、増田がガン見してるw」と言い出して、目をつけられた。こいつら的にはいつもいじってくるから普段と同じ感じなんだろうが、不良女が絡んでるから俺は超嫌だった。

うわ、めんどくさいことになった、と思った俺は無視を決め込んだが、不良女もキャーキャー言い始めてさらに状況は悪化した。そんな中、不良女が「きもーw童貞のくせにw」って言ってきたんだが、ガキだった俺はこれにカチンと来た。ずっと無視してたが、「お前だって処女だろ」と煽った。

「はぁ?違うし。お前みたいな童貞とは違って何回もやってるから

証拠見せろよ」

「はあ?」

「俺の目の前で誰かとセックスしてみろよ。何回もやってるならできるやろ?まぁ、どうせ嘘やろうからビビってやらんやろうけどな」

「うざ。じゃあ、お前とやってやるよ。来い」

っていう流れで、俺は不良女とセックスする流れになった。証人としてヤンチャ男子4人を引き連れて、そのまま校舎出て、近くにあった見知らぬ誰かの家(仕事で夜まで帰ってこないらしい)の小さい庭に入った。不良女曰く、やる時はここでやってるらしく、先輩たちから教えてもらったものらしい。

ここからはさくっと話を終わらせるが、ヤンチャ男子は「まじでやんの?」とビビりつつ、俺もビビりつつ、実際にセックスはしたし、俺が終わった後にヤンチャ男子も不良女とセックスした。穴兄弟で草なんよ。こんな状況でもやっぱおっぱいエロいし、まんこエロかったからフル勃起して、1分くらいピストンしてすぐ射精した。ちなみに、不良女はまじで余裕そうだった(喘ぎ声は出してたけど)。それから自由解散みたいになって教室に戻った。

それ以降、周りからは白い目で見られて2度と誰も話しかけてこなくなったし、友達は失ったし、俺の話が学校中に広まって先輩の不良にもいじられるようになった。当時はまだスマホなくて良かったが、先輩の不良には「ちんこ見せろ」って言われたり、尻の穴に指突っ込まれたり、それを写真に撮られたりで結構大変だった(殴る蹴るのいじめはなかった。下ネタ中心)。んで、無事に不登校になった。後、学校先生も俺に対する態度が露骨に変わったのもつらかったかな。セックスの件は親にも言及されたし、色々と大変だった。

地元では俺の名前は広く知れ渡ってたが、今はどうか知らん。あれから結構時間経ったし、家族地元から離れてるから。でも、正直、あの時のセックスが1番エロくて思い出しながら抜いてしまう。俺ってMなんかなぁ。

とっさに怒れる人が羨ましい

とっさに怒れる人が羨ましいと自分でも思うし、そう言っている人もよく見る

とはいえとっさに怒れる人って要するに普段から怒ってる人なんだろうなと思うと、怒れない人でいいかと思う

代わりに内心で汚い処理が色々と行われることになるが、お墓まで持って行くか、ツイッター増田匿名で書くかすればよいのだろう

マスゴミは、ニート無職などの弱者男性を叩くために、ヤクザ犯人無職だと報道する。

神戸山口組・組長宅への発砲事件対立する山口組の組長の名古屋にある自宅を家宅捜索 抗争事件可能性も (2022/06/28 21:34)

https://www.youtube.com/watch?v=GvjiwylGGuQ&t=47s

こんなあからさまにヤクザでも、犯人職業無職ってことになる。

普段、「無職犯人」って報道されてるもの殆どヤクザってわけ。

マスゴミは、「ルールに従って、組員に登録されてなければ無職」っていう言い訳で、こういう誤解を招きすぎる報道をする。

でも、暴対法対処して、今のヤクザ殆ど正式に組員に登録なんてしないから、そいつらが捕まるとほぼ百パーセント職業無職」って報道される。

京アニ放火犯無職も、ヤクザだったって記事週刊誌ちょっと書いただけで、あっという間に規制されたみたいに話がされなくなって、一般人オタク叩きの道具にされた。

大体、子供の頃から悪ガキとつるんで万引き窃盗しまくってた奴なんて、ヤクザ以外にあるわけねーだろ。

下着盗んで売ってたり、コンビニ強盗したりも、全て上納金目的犯行だよ。

不良学生集団強盗した事件とか、ヤクザ上納金おさめるために、下っ端がそういうことやった事件たくさんある。

今の不安

(今の不安

とにかく毎日死にたい

こんなダメ自分、Kくんは嫌いなんじゃないか

そもそもKくんの感性を信用しろ

→私が頑張ってるから好きになってくれたなわけじゃない、私の感性を好きになってくれた

→一緒にいて楽しい、その時間をぶっ壊すのは愚か

→困ったら頼ってって言ってくれた

不安があるってことも、「24なんて自分も1番お金ない時期だった」って言ってくれた

信頼関係を築きたい、大切な人

不安に思っちゃうのは(好きだし大切だから)仕方ないけど、私をジャッジして突然捨てたりするような人じゃないし、今は私の調子が悪くてこうなってるだけだし、動けば解決することだし、大丈夫

→きっと、死にたいって言ってもふーんくらいでただ楽しいこと一緒にしてくれる

→私は私の目の前の問題解決することが今の課題

→幸い好きな仕事に就いてるし、自分のペースで働けてるし、お金やばいけどバイトもしてるし、仕事に少しずつ慣れてきたからお給料も少しずつ上げられるはず

→もし今の仕事できなくなっても、まだやれることなんてたくさんある

こんなになんとかなる感しかないのに凹んでるの時間無駄だろ

可愛いし、素敵な彼氏いて、好きな仕事できてるんだよ 今ネックなのお金問題だけだよ

一番大きい救いは、「あのときこうすればよかった」って一個も思ってないところだな 私はその時にやれることをやってた、ダメなこともたくさんあったけどそうならざるを得なかったんだなあって思ってるし、全部が今の自分形成してると思ってる ずっと成長してる 無駄ことなんて何一つなかった

たくさん悩んでおかしくなってきたからこそ、私Kくんに出会えたんだよ 良いことだったに決まってる Kくんが私に告白してきてくれたこと、普段かけてくれる言葉、言わないでおいてくれること、時間を過ごしてくれると言う事実、それを信頼すれば良いってそれだけのこと。

悲しい話。

今年度に40を迎える学年なんだが

大学高校でそれぞれ同期が亡くなったことを聞かされた。

そんな歳か、健康には気をつけないと的なことを思って調べてみたら

健康保険会社調査した結果は40歳の死亡率は1000人に対して0.96人と出ているのに同年齢で関わってる人は100人そこそこのはずなのに2人も聞かされるとは。


高校の同期はすでに四十九日が近い。

さらに、高校卒業時は高校の近くの団地から通ってたが、親が家を建てて引っ越したことで卒業アルバムの住所にはもう実家はない。唯一知ってる連絡先の携帯もすでに解約済み…

ということで、せめてもの御霊前も弔電も出せず。

大学の同期は普段なら毎年年賀に対する応答があるはずが、それがなく一瞬同期グループがざわついた。その後簡単な応答があり安堵したが…

本日昼、公衆電話からと表示された電話があった。何かと思ったら何度かお会いした奥様の声。残念なことに…だそうで。

詳しくは聞けなかったが、昨年末から体調が悪く、1月中旬病気が発覚し闘病しながら仕事を続けてたもの4月から一気に悪く仕事も休むことになり…とのこと。

こちらは数年前から転勤し、葬儀の日程案からすると参列には有休休暇を取らないとキツいが、私自身が転職したばかりでそれは叶いそうもなく、向こうも家族葬にするということで弔電を出すことにさせてもらった。

弔電の出費は虚しい。GWなどの長期連休に集まって共に馬鹿騒ぎする金だったらどれほどよかったか


とかく、死は自らの隣にいてもおかしくないということと、自らの健康には気を使わないといけないなと思い知った話。

2024-05-01

殺されそう。

身内てか兄が明らかに重度のASDADHDで、私に対して殺すブッ殺すとよく言うんだけど、普段は会話しなければ問題ないけど、兄にとって不都合風呂時間が被った)が起きると殺す殺すブッ殺す殺すって言われて、つーかまあさっきまで言われてて、ああガチでこれ殺されるわってだったんだけど、この場合どこに助けを求めればいいの? いや、ほんとむり。殺される前に化学使って混ぜたら危ない系を部屋に常備しとくしかないけど、これ平和解決無理だよね。まじどうしよ。互いにどちらかが死んで解決します。親は未介入を決め込んでます。ハハ あーあ

anond:20240501193754

https://note.com/stairlimit/n/nb76f64b326bd

現状、MMTという理論肯定的議論しているグループは二グループに分かれている。片方は学問的なグループであり、もう片方は政治的グループ

政治的グループは極めて悪質で、彼らが「MMTである」と主張する出典不明学説から荒唐無稽しか言いようのない結論自由に引き出し、それを用いて政治的対立者を罵倒している

いずれにせよこのグループは、上で挙げた学問的なグループ自身らのグループを都合よく使い分けており、普段学問的なMMT権威を用いて自説を展開するが、

都合が悪くなると「それは誤解であって、MMTはそう主張していない」「論敵はMMT勉強が足りていない」と言って反撃する傾向がある

したがって、MMT政治的グループについては、大半のまともな経済学者は数年前の時点で「議論にならないため、無視すべき」という結論に達している。

一方で学問的なグループは、それほど支持を集めているとは言えないものの、書籍出版される程度には活動実績がある経済学の一部分である。ただ、それはたいして肯定的評価ではない

学問的なMMT」は実のところ「有力な学説」とすら現状ではまだ言えないので、大抵の学者はまだ様子見しているところである

様子見というのは「正しいかどうかをもう少し考えよう」ではなく、「勉強する価値があるかどうかをもう少し考えよう」という意味だ。

まりMMTは多くの学者にとって勉強すらされていない。

Krugman described MMT devotees as engaging in "calvinball" – a game from the comic strip Calvin and Hobbes in which the players change the rules at whim.

この部分、かなり無視できない点で、つまりクルーグマン感想が正しければ、MMT論者は「理論検証できない状態」を意図的に作り出しているんじゃないかという疑いがあるのだ。

経済学では、サミュエルソンが強調して以後、ポパー型の反証主義がかなり重視される傾向にある。

僕はこれについて、必ずしも反証主義絶対だとは思わないものの、MMTのような新興理論にとっては重要だと思っている。

まりMMTだと起こり、それ以外の理論だと起こらない現象はあるのか。逆にMMTだと起こらず、それ以外の理論だと起こる現象はあるのか。それらは現実だと起こっているのか、起こっていないのか。

この検証結果次第では、MMT重要理論になり得る。

まとめると、MMT学問的には、現状では勉強するに値する魅力的な理論とすら思われていないので、まずは状況証拠を集めて、最低限勉強するに足るだけの魅力があるということを立証するところから始めるべきではないかということです。

そして現状はそれができているようには見えず、さら政策に無理やりねじ込もうとするグループが悪目立ちしすぎるので、僕は少なくとも距離を取っている。

anond:20240501171340

コンビニに行くくらいの感覚で行ってるから特に美術館に行く」とか意識してないだけだと思うよそういう層は

美術館に行かなくても親や親戚や友達の繋がりで大作家アトリエ普段から遊びに行ってたりもするだろうけど

anond:20240501142024

「深月」とか「葉月」も「ことり」でも、大差無いと思うのだが……

乎 とか、普段使わず意味もとりにくい字を使うのはよくないと思うけど、

そして、「呼鳥」とかだと「おとりの鳥」って意味になったりするのだね。デコイ的な。

下手に漢字あてると思わぬ意味が生じたりしてむずかしいよね。

24歳、軋んで痛む足 成長期記録を始めよう

小学3年生くらいの頃、私は夜が怖かった。

お化けや暗闇に怯えていたのではない。

私の宿敵は、成長痛だった。


毎晩、眠ろうとしてベッドに入ると、自分の足から、膝から、骨が軋む音が聞こえた。

実際にはそんなもの聴こえていなかったのだと思うのだけれど、少なくとも当時の私は聴こえるなあと感じていた。

ぎゅ、ぎぎ、という音。私と、私の身体の痛みと、ふたりぼっちの夜は本当に怖かった。痛くて、心細くて、不安だった。


「お母さん、膝が痛い。眠れない。」

普段は甘え下手の子どもだったけれど、あまりの心許なさに痺れを切らし、藁にも縋る思いで母に痛みを訴えても、子どもの成長痛を目の前に母親ができることなほとんどない。

困った顔で湿布を貼ったりマッサージをしてくれたが、結局、無理やり目を瞑り布団に潜り、なんとか眠りにつくまで、その痛みはずっと私から離れてくれなかった。


24歳になり、もちろん今は、足が軋むことなんてなくなった。

東京に出て、お酒ライブハウスの楽しみを覚え、夜が大好きになった。


それなのに、今度は朝がたまらなく怖くなってしまった。


昨年の夏に、新卒入社した会社を1年半で退職した。

1年半で、といっても、入社してから研修期間が8ヶ月ほどあったため、実務自体10ヶ月程度しかしていない。

その後、3ヶ月ほどフラフラしたのち、現在業務委託という形で働いている。フリーランスWEB編集者だ。


何時に起きても誰にも怒られないし、満員電車に乗らなくていいし、今日みたいに2駅先の大好きなカフェ仕事をすることもできる。

働き方にも、内容にも、ほとんど制限がない。

企画書名刺があれば、会いたい人に会い、尊敬する人と仕事ができる。


持ち前のフットワークの軽さ、衝動性、興味範囲の広さ、好きなものへの熱量、適度なミーハーさ。

自分性格を鑑みれば、今のこの生活に飛び込んでみたのは正解でしかない、と思う。


それなのに、私は毎日暇さえあれば怯えて、泣いている。


不安なのだ毎日、ああ、また朝に追いつかれた、という感覚が拭えない。

楽しさとか、ワクワクを食い殺してしまうほどの、強靭で凶暴な不安が、ずっと私の背中を睨んでいる。


仕事をしなければいけない。

仕事をしなければいけないのは、食っていかなければいけないからだ。自活しなければいけないからだ。

仕事をしなければいけないと、食っていかねばいけないと思えば思うほど、自分の心と身体が硬く閉じていくのを感じる。

しなければいけない仕事なんてないのに、自分で決めたこと、始めたことのはずなのに、だんだん食っていくための仕事になっていく。

1つのさなエラーが、まるで致命傷のように見えてくる。

なんで他の同級生たちができていることが自分にはできないんだ、親孝行もまともにできていないよ、だなんて、ステレオタイプなつまらない比較自己否定を、気づけば繰り返してしまっている。


こんな己の貧弱さを、まあいっか、と許してあげるほどのゆとりもない。

朝が来るたびに、もうやめてしまいたい、痛い。人生を前に進めるための足取りが、いつまで経ってもおぼつかない。


家族もいて友達もいて恋人もいて、だけどこの痛みを誰かが軽くしてくれるわけではない。

何か悪いことをしているわけではないのに、無慈悲に襲いかかってくるこの痛みは、あの頃の成長痛と同じだ。

いつも、この新しい痛みとふたりぼっちだ。


先日、とある仕事の打ち合わせで、フリーランスの先輩とも言えるライターの方にこの成長痛の話をした。

日記を書いてみたら?」

彼女は、フリーランスになってから増田日記を書き、それを自費出版したという経験を持つ。

「今、私からあなたはとても可能性に満ちて眩く見えるし、大丈夫だといってあげることもできる。

だけれど、確かにあなたの痛みを肩代わりすることは誰にもできないし、他人が何をいってもあなたはきっと不安なままだと思う。

でも、そんな気持ちすらいつかの食い扶持にしてやる、って、泣きながらでも歩けば、気づいたら思いがけない楽しいことに出会えるはずだから。」


しかしたら同じことばかり書いてつまらない日記になってしまうかもしれない。

だけど、私は、毎日自分を苦しめる痛みを成長痛だと思いたい。


成長痛記録、闘病記録、ということにして、痛みとふたりぼっちの日々をここに残してみようと思う。

甘ったれ根性なしの私が、新しい痛みに立ち向かう姿を記録してみよう。

いつか、痛みで軋む音に悩まされていた日々を、エピソードトークにしてしまえる日がくるまで。

anond:20240501133927

2023-11-05

■なんでオタク男性って謝れないの?

ゆっくりネット炎上史】けものフレンズ騒動史 けもフレ2アンチ暴走とは?【ゆっくり解説

https://youtu.be/e1H6lrgSr_g?si=X0CldTaWTB3Jn35I

警察への大量通報製作陣や声優への誹謗中傷ヤクザと繋がってるという陰謀論と大量にやらかしておいて、

今ではスーッとダンマリで誰も謝らない

アノンの件だってそう。

暇空が五ノ井さんは左翼と繋がっててスパイでハニトラだ!と言い出して、それに乗せられて次々と五ノ井さんを中傷攻撃した連中。東野さんや堀口さんや村木さんを攻撃した連中。

誰一人謝ってないよね?

堀口さんの件は現在進行形だよね?

そういえばコオロギ食の件はどうなったのかな?

あんだけ陰謀論デマ垂れ流してパスコ誹謗中傷して不買呼びかけておいて、今じゃみーんなダンマリじゃないか

フェミのこと言えた口かよ

しろフェミの方がまだ謝ってるぞ

https://anond.hatelabo.jp/20231104214219

トラバで指摘されたけど、ガンプラ小売店に関するデマ、確かにそれもあったな

https://anond.hatelabo.jp/20231105101747#


2024-05-01

■みんなもうコオロギ食のこと忘れてるね

普段フェミお気持ちガー」とか言ってる人達が「昆虫食キモい」というお気持ちをもとに陰謀論デマ垂れ流してパスコ中傷して、

パスコデマを訴えると表明したら「パスコ被害者ヅラw」と更に叩き不買を呼びかけた

それについて誰か謝罪した?草津の事言えなくね?

https://anond.hatelabo.jp/20240501073729#

結婚出産願望強い人の環境

34歳独身女です

彼氏と4年同棲してる

自分でもあまりにボーッとしてるとは思うが強く結婚したい子供達欲しいって思ったことなかったのよ。それは今までの環境だったんだなと思った。

いや~部署異動して自分以外全員子持ちのグループ(男女比3:1)にきてはじめて話題に入れない感覚味わった。

エコー写真がどうたら子供風邪がどうたらって話、びっくりするほどついていけない笑

普段は率先して喋るタイプからこういう時だけ黙ってて心苦しいが本当にわかんないんだよね。ニコニコしてるけどまじで孤独。多分周りの人は全然気にしてないと思うけど。

そもそも社会人10年で今まで子持ちの人と同じグループになったことが無いことの方が異常だったんだよな~

結婚願望強い人の気持ち全然わかんなかったけど、はじめて理解出来たかも。環境によっては孤独なんだな~。33歳で今更理解しました。

ちなみに今までは

既婚子持ち男性

既婚子無し男女

未婚男女

しか同じグループでは働いたことなかったんだよね。

みんなの仲間入りする為に結婚出産するのは違うと思うけど、環境って大事だな~って思った。勉強なりました

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