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はてなキーワード: ポルノグラフィとは

2023-09-05

小児性愛を題材とした非実在表現によるポルノグラフィ」考

まず大前提として、小児性愛者がその性的欲望を「実際の」小児に対して実行するということは、現代においては大多数の国で刑法上の犯罪でもあり、社会通念上も許されない行為とされている、ということは踏まえた上で。

小児性愛者向けの非実在表現によるポルノグラフィ供給流通については、そもそも小児性愛」という性的欲望のかたちをどうとらえるか、という根本的な立場の違いによって、2つの異なる考え方が生まれてくる気がする。

小児性愛は「実践不可能な周縁的セクシュアリティの一類型である

小児性愛は「小児と性交してはいけない」という社会規範に適応できない障害一種である



要は、小児性愛という欲望自体病理なのか、そうではないのか、ということだ。行為犯罪でも欲望のもの病理でないとするのなら、欲望自体に介入する根拠は乏しい。病理であるのなら「当事者メンタルヘルスのためにも」(パターナリスティックな)介入が可能になる。

そして、そうした心理的傾向---特に特定対象に対する選好・執着・嗜癖依存など---が病理かどうかを決めるのは、究極的には医療専門家集団ではなく社会的なコンセンサスだ。たとえばADHDは昔は「不注意」という傾向だったが、いまは労働現場における時間管理タスク処理に対する要請水準が厳しくなったことで、立派な「障害」になった。アメリカ福音派保守派教会は、昔は同性愛行為宗教上の罪としていたが、90年代以後はゲイ男性性的傾向を障害とみなして「治療」する修復療法(reparative therapy)を盛んに行っている(あまり効果はない)。我々が今後、それらと同じような手つきで小児性愛当事者を扱うかどうかということだ(これは、シロクマ先生がお好きな医療化という論点とも深く関わってくる)。

小児性愛実践が「犯罪」であり「悪」であるということについては、現代社会では一定コンセンサス確立したといっていいけど、「現実世界被害者がいない形で解消される小児性愛という欲望のありかた」自体病理とみなすべきかどうかについては、どこかに絶対の正解があるわけではない。今のDSMICDMSDマニュアルにどう書いてあろうと、それは私達の社会観念の反映であり、相互作用的に規定されているのだから。これは我々自身が考え、議論し続けなければならない問題だ。「小児性愛を題材とした非実在表現によるポルノグラフィ流通」の是非も、その結論しだいで変わってくる。

2023-04-05

ポルノ女優セクシー女優って違うの?

ポルノ女優」と「セクシー女優」は、両方とも性的コンテンツに出演する女性を指しますが、一般的には以下のような違いがあります

ポルノ女優は、性行為性的行為を明示的に表現するポルノグラフィックな映像写真に出演する女性です。ポルノ女優は、一般性的表現に特化しており、性的行為描写に重点を置いています

一方、セクシー女優は、より規制された性的表現に出演する女性であり、例えば、水着やランジェリー広告ファッションショーテレビ番組映画、またはテレビ広告に出演することがありますセクシー女優は、性的行為表現することはありませんが、性的な魅力や魅力的な外見を強調することがあります

総じて言えるのは、ポルノ女優セクシー女優は、両方とも性的表現に関与する女性ですが、ポルノ女優はより露骨過激表現に特化し、セクシー女優はより規制された表現に特化する傾向があるということです。

2023-03-15

トランスや反ポルノグラフィに反対するフェミニスト

女性差別の解消の為にフェミニストやってたんじゃなくて

トランスジェンダーポルノを許してもらう為に単にロビー活動やってたんじゃないか

本当に女性の為にやってんなら

萌え萌えアニメアイコンフェミニストを名乗るはずがないし

エロ漫画描いてるのなんて論外

男性器つけたまんま女子トイレに入ってこないでくれ

そんなのがゾーニング大事!なんて声高に主張してるの考えれば考えるほど矛盾すぎる

お前らの存在ゾーニングして目の前から消えてくれ

AI時代は更に容姿性別重要になる

後天的努力知識を付けて食いつなぐ領域ほど置き換えやすいため

人々から好ましいと思われる容姿といった生来能力や女体といった性的資本価値

相対的に更に高まる時代と言える

いくら理想仮想人格ポルノグラフィAIによって生み出せると言っても、私たちが肉体を捨てない限り

実際の人間やそれを再生産する機能というもの代替しにくい

2022-07-03

1999年紀伊國屋書店における漫画撤去問題

出典: フリー百科事典ウィキペディアWikipedia

1999年紀伊國屋書店における漫画撤去問題とは、1999年児童ポルノ販売禁止されたことをきっかけに、紀伊國屋書店で成年向けマンガポルノにとどまらず、ヌードや性描写を含んだ一般向けの漫画までもが一時撤去された出来事である。過剰な自主規制の一例と指摘される。

概要

1999年児童買春児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童保護等に関する法律(以下、児童ポルノ禁止法)が施行され、児童ポルノ販売禁止されたことにより、各書店では児童ポルノに該当するおそれがある書籍雑誌などが撤去された。そんな中、紀伊國屋書店が各店舗に対して、児童ポルノ禁止施行にともなう注意事項を通達した。その中に、児童ポルノ禁止法の規制対象外であった漫画アニメーションも注意が必要な物の中に含まれていた[1][2]。

その結果、BLを含めた成年向けマンガだけでなく、『バガボンド』や『ベルセルク』、『あずみ』などのポルノグラフィではない、未成年ヌード描写や性描写を含んだ一般向け漫画が、一時的紀伊國屋書店から撤去される事態になった[3][4][5]。他にも山本直樹や『センチメントの季節』を初めとした榎本ナリコの一連の作品なども撤去された[6]。

あずみ』は1997年文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した作品であり、また『バガボンド』は2000年文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞、『ベルセルク』も2002年に第6回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞を受賞している。これらはいずれも芸術的価値が高いと評価された作品であった。

この影響はマンガだけにとどまらず、『本上まなみ写真集』などの有名タレント出版物撤去対象になった。売り場には「児童ポルノ禁止法が施行されました。当店は法律を順守します」という内容の張り紙が出され、この一連の撤去の影響は大手出版社を始め、数十社にも及んだ[6]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/1999%E5%B9%B4%E3%81%AE%E7%B4%80%E4%BC%8A%E5%9C%8B%E5%B1%8B%E6%9B%B8%E5%BA%97%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%BC%AB%E7%94%BB%E6%92%A4%E5%8E%BB%E5%95%8F%E9%A1%8C

2022-06-12

anond:20220608222829

Kendall(2007)ものっけから不穏だ・・・

概要で「これらの結果は、ポルノグラフィレイプ代替であることを示唆している」とか言ってるし、本当かよ。

ちなみにKendall(2007)の前にも先行研究があり、Court(1976)、Baron and Straus (1984) Jaffee and Straus (1987)がある。これらはポルノの利用とレイプ被害に正の相関(すなわちポルノをよく利用する地域レイプ被害が大きい)が見出されていたんだが、地域固有の効果コントロールできていない(cannot control for unmeasured location-stpecific effects)と書かれていて、これらを改良したのがこのKendall(2007)らしい

 

簡易的な「differences-in-differences」法で調査したところ、インターネットが急速に普及した25州と普及が遅かった26州を比べ、レイプ発生件数人口10万人あたり-2.2件の差があったそうな。つまりインターネットの急速な普及に伴ってレイプ発生率が減った

このような差は1995-2003、すなわちwindows95発売以降インターネットが普及した時のみ現れ、1990-1995年の間では特に差が出なかったらしい。そうなんだー

これはどういう効果なのかな?中身までには触れてないはず。ポルノの影響かもしれないし、個人情報発信によってそれこそ認知の歪みが是正されたのかもしれない

 

なお、Kendall(2007)でもレイプ固有の影響なのか犯罪全体が減っているのかは調べてて、殺人件数も調べてる

殺人件数継続して減っているらしいけど、急速に普及した州は普及が遅かった州より減りが遅かったそうな

インターネット殺人起こりやすくしてる?

まあ銃乱射の憎悪犯罪とか、アメリカ特有の何かはあるのかもしれん

 

また、暴力犯罪(violent crime)および財産犯罪(property crime)はインターネットアクセスに対して優位な差がないって言ってる

これはBhuller et. al. (2013)と同じことを言っていて、なにか性犯罪だけインターネット普及率と関係性が高いようだ。不思議だ…

 

インターネット売春には負の相関が、インターネット家出には正の相関があるとされている

その他の性犯罪(強姦近親相姦ソドミー(アメリカでは犯罪なの?)、わいせつポーズ)なんかは相関が見られないらしい

Bhuller et. al. (2013)の「出会い系ポルノ利用との区別がつかない」結果と総合して、

家出した青少年出会い系の利用増加で被害に合ってる」という構図が見えるが?

 

また、年齢ごとの性犯罪インターネット利用の関連を見て、15-19歳男性が一番犯罪の減少率が高かったので、

そこからポルノの利用との相関を見ている。これは正しいの(?)

 

結論として、この研究結果は「他の国、他の時代、あるいは他の方法論やデータセットを用いたさらなる研究必要である」と注意はされているが、

ポルノグラフィーのアクセス自由化は、女性性的被害を増加させない可能性があることを示唆している。」

と結ばれている

2022-06-07

anond:20220606174313

元増田です。一点、ちゃんと訂正(と追加的な説明)および指摘しておきたいことを話します。

インターネット性犯罪なのか、ポルノグラフィ性犯罪なのか?

いくらコメントを頂いた中でBhuller et. al. (2013)は「インターネット性犯罪関係を見ただけで、ポルノグラフィ性犯罪関係を見ているわけじゃないだろう」というコメントがありました。これについて少し説明します。

まず一点謝罪と訂正からです。私はBhuller et. al. (2013) のAbsractの最後文章”Our findings suggest that the direct effect on sex crime propensity is positive and non-negligible, possibly as a result of increased consumption of pornography.” を引用したうえで、「つまりインターネットによって性犯罪は増加したこと示唆され、おそらくそれはポルノ消費の増加によるものだろう」と訳しましたが、指摘もらった通り、Possiblyをおそらくと訳すのは間違っていました。Possiblyは恐らくよりもっと蓋然性の低い”もしかしたら”という訳のほうが適切だったように思います。この論文インターネット性犯罪の影響をメインに扱っているもので、ポルノグラフィの影響はあくま示唆的なものに留まるわけですね。

ではこれが何故、私の論旨に影響しないのか、という点に進みます。端的に言えば、Kendall (2007)も全く同じ限界(Limitation)を抱えているからです。Kendall (2007)は分析において、あくまインターネットの普及と性犯罪の関連を扱っています。Kendall は本文で"Nevertheless, it must be admitted that from this analysis one cannot fully distinguish between the effect of pornography and that of other content available online"、つまりこの分析では(インターネット上)のポルノグラフィの影響と、その他のインターネットコンテンツの影響を識別することはできない、と述べているわけです。この二つの論文は同じ論点とその示唆を持っています。この二つの論文が同じ限界に直面している以上、Bhullerらの論文がKendallの論文に比べてirrelevantとはいえないと私は考えます

査読至上主義

私は特に査読至上主義者ではありません。トップジャーナル掲載された論文辛辣批判されされた例はたくさんあります私自身、そのような論文瑕疵を見つけたこともあります。ただ蓋然性観点から、15年未査読である論文と、トップジャーナル掲載された論文の信ぴょう性を同等に扱うことはできないと主張しています。この二つにおいて前者より信ぴょう性がある(+重要であるものとすることは、経済学研究価値規範を逆さまにしない限り、ありえないことです。

2022-06-06

anond:20220606174313

読んでみようと思ったら手嶋氏への反証となるべき論文

Bhuller et. al. (2013)

の方、Oxford に USD $52.00 払わないと本文読めないから無理っすね。概要だけならこんな感じらしい

 

インターネットの利用は性犯罪の引き金になるか?我々は、犯罪インターネットの普及に関するノルウェー独自データを用いて、この問いに光を当てる。2000年から2008年にかけて、限られた資金ブロードバンドアクセスポイントを整備した公共プログラムがあり、インターネット利用の外生的変動をもっともらしく示している。我々の道具変数による推定では、インターネットの利用は、レイプやその他の性犯罪の報告、告発有罪判決の大幅な増加と関連していることが示された。我々は、インターネット利用が性犯罪の報告にどのように影響するかについて、3つのメカニズム、すなわち、報告効果潜在的加害者被害者マッチング効果性犯罪傾向への直接的効果を強調する概念的枠組みを提示した。これらのメカニズム重要性を調査するために、個人の報告行動、警察捜査刑事告発有罪判決に関するデータ使用した。我々が行ったどの分析も、インターネット利用と性犯罪の正の関係が、報告行動の変化によってもたらされていることを示唆していない。我々の発見は、性犯罪傾向に対する直接的な効果は正で無視できないものであり、おそらくポルノグラフィーの消費の増加の結果であることを示唆するものである

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

possibly as a result of increased consumption of pornography って書いてる部分、書き方が慎重になっているんで

本文読むとこの点は論証はしておらず推論になっているように読めるんだが

2022-04-04

anond:20220404160110

董卓不燃ごみ)@inumash

よく「セクサロイドが実現したら女性性的役割から解放されるのにフェミニストはなんで反対してるの」みたいなこと言う人がいますが、

産業機械誕生によって労働者に何が起こったか」と「性サービスポルノグラフィ女性性的抑圧から解放たか」の2つを考えれば簡単にわかる話です。

https://twitter.com/inumash/status/949642078836867072

この後に続く連投が素晴らしいが。

端的に言うと、セクサロイドが作られると、生身の女性セクサロイド扱いしたがる男性が増えて、

さら女性は困り果てるというものです。

2022-01-25

anond:20220125165841

言ってしまえば日本の神仏倫理では小児性愛のもの問題は無いんだよな 結果的児童が絡むので児童虐待の方で倫理的に問題があるだけ

ポルノグラフィも同じで海外では「セックスの中でポルノ倫理的に如何わしい」という社会的圧力存在するが日本では「性的ものは全て如何わしい」扱いなのでポルノ交尾区別存在しないしどうせ如何わしいからと「現在有効刑法でどう定められているのか」だけが問題になる

このよく分からん倫理雰囲気存在しない特徴は中国ですら備えていない特徴で日本においては対外ソフトパワーとして極めて優位に働いている

2022-01-04

anond:20220104063540

不快だ」という表明は自由にしたらいい我慢する必要はない。どしどしやればいい。

その不快感に応えるかどうかは、私企業公共機関自由だ。

私企業マーケティング問題無視できないだろうし、公共機関不快感の蓄積を見て配慮必要だとする判断もありうるだろう。

問題となるのはそれを不快感の表明にとどまらず、広告が「性差別」のバリエーションだとする批判に踏み込んだ場合

性的搾取とか性的モノ化とか性犯罪を誘発とか性犯罪と地続きとか。

これらは見逃すことができない。

もちろん「性差別だ」と声を上げる自由もある。

ただし、ある表現が「性差別である」と認定された場合いくらゾーニングされればOKと言われようが、表現としては決定的なスティグマ刻印されることになる。

そのことを踏まえて、もしその広告性差別バリエーションだという主張をするならば、

性差別である=誰かの人権侵害されているという十分なエビデンスをもとに、慎重に判断してくれよ」

という慎ましい要求をしているだけなんだ。

本当に誰かが搾取されているのか、モノ化は誰かの人権を損ねるものなのか、本当に性犯罪助長されるのか。

これらの検証は不可欠なプロセスだ。

不快感は性差別存在の論拠たり得ない。

追記

公共の福祉として健全化を求めるのは自由だが、一部たる個人が全体たる公共になることはないしな

というコメントを見かけて。

ありがとうございます

公共の福祉」は、「◯◯の自由」といった人権制限を受けるのは、唯一その自由権の行使が別の人権侵害している時に限る、というものなので、ちょっとイメージされてるものは違うんじゃないかな。

で、表現規制の問題こそ、この「公共の福祉」が適用されるべきだと思うのだけど。

石に泳ぐ魚事件表現自由プライバシー権の相剋だけど、発想としては萌え絵も同じだと思うんだよね。

その萌え絵、本当に誰かの人権侵害してるんですか?という。

追記2】

このコメント意味不明だな。

歴史的に見れば、「萌え」の起源ポルノグラフィである、と見るべき。この前提を否定しないまま議論を進めても、いずれ「性差別」の論点は避けられなくなる。

性差別」の論点は避けられなくなる、って、どういう意味だ?

私の主張は、「本当に性差別であるかどうか慎重に問え」なんだから最初から性差別」は論点ではあるけど…。

よく分からないけど、萌え絵起源ポルノグラフィから個別の絵柄はどうあれ性差別に相当するって意味?そんな雑な議論ある?

萌え絵っつったって千差万別(何でこんな当たり前のことを言わねばならんのだ)なんだから萌え絵起源がどうとか、全く関係ないでしょう。

性的搾取とか性的モノ化とか性犯罪を誘発とか性犯罪と地続きとかは、全て批判側が言ってるんですよ?

そう主張するなら言いっぱなしでなく、それをきちんと証明しなさいよ、という当たり前の話じゃないですか。

追記3】

このコメントもなあ。何でそんなに文意を掴めないんだろ?

不快だ」とは言わせてやるからその理由コントロールさせろ的な、歪んだパターナリズムなのでは。

不快理由コントロール???

そもそも不快感」に理由なんて要らないでしょうが

だって主観なんだから

で、不快感の表明は好きにすればいいって言ってるの。

何でこんなことも読み取れないかなあ。

繰り返すと、不快感の表明に留まらず、ある表現を「性差別であると踏み込んで批判するなら、そう主張する側が相応の論拠を示せと言ってるの。

それすら不要だと考えているなら、いくらなんでも甘えすぎでしょ。

2021-12-20

anond:20211220090743

ポルノグラフィーを100回辞書で引けって感じではある

外来語に当てはめただけなんだっけ児童ポルノ

2021-10-22

表現の自由大事だけど、表現価値には格差もある

もともと言論表現の自由って、自分が考えた思想意見表現したり、他人のそれを受け取ったりすることで、人間は全体として向上していくんだ、っていうことから出てきた考え方だよね。特に政治の分野とかではそういう思想言論表現の自由がないとヤベーことになっちゃうし、実際に何度もなっちゃったから、やっぱりそういうことは自由にしようねとなったんだよね。

で、何がそういうものを守るのに大切な言論表現で、何がそうじゃない言論表現かを決めるのは、その決め方自体権力にとって有利だから、こういう言論表現OKとかNGとかって線引きはなるべくやめて、幅を広くとっとこうね、ということになってるんでしょ。

でも、もっぱら読者の性欲を満たすために描かれてる暴力的凌辱的なロリエロ漫画とかは、そういう意味での思想言論ほとんど含んでないし、逆にそういう思想性や言論性を見出したらヤバいわけじゃん。女の子を連れ去って凌辱して主人公たちが満足して終わる漫画表現思想を読み込んだら、女の子を連れ去っては凌辱して主人公たちが満足して終わる行為ストーリーを通して肯定するものだ、ってなっちゃ可能性が高くて、それは他者危害原則抵触する扇動行為にあたるわけじゃん。だからこそ作者も、LOとかも、擁護派も、この漫画はそういう行為を実際に肯定するものじゃないよ、あくまで単なるフィクションだよ、と予防線を張るわけでしょ。実際に漫画の手口を真似して犯行した犯罪者が出てきても必死にその関係否認するわけでしょ。

で、そういう「思想性がない」(と主張する)、フィクションの、専ら性的欲望喚起するためのポルノグラフィって、理屈から言えば、法律保護しなきゃいけない根拠相対的に薄弱になっていくんだよね。そもそもだって別に表現の自由絶対」じゃないし、それぞれの国で定義された価値の低い表現増田が言ってるわけじゃないよ、法律学に「低価値表現」っていう概念があるんだよ)の一部には自由を認めてないわけだ。名誉毀損とか、わいせつ表現とか、ヘイトスピーチとか、優良誤認とか、医事法違反とか、著作権侵害とか、プライバシー侵害とか、偽証とか、法律規制されてるNG表現は、今の日本法律でもいっぱいある。

ちなみに性表現に寛容なイメージがある米国でも、性行為のみを描写したハードコアわいせつ物は、写真や実写動画だけなくイラスト二次絵)も言論自由による保護物に該当しないとされてるし、ミラーテストというわいせつ判断基準では

①平均的な人が、その所属する地域社会等のコミュニティのそのとき基準(contemporary community standards) に照らしてその表現物を見た場合、全体として好色的な興味に訴えていると考えるか。

② その表現物が、当該州法によって明確に定義された性的行為を、明らかに不快感を覚える方法で、描写又は記述しているか

③ その表現物が、全体として見た場合、まじめな文学的芸術的政治的又は科学価値を欠いているか



の3項目で言論表現の自由保護に値するかどうかが判断されている。ちなみに米国では「正常で健康的な性的欲求喚起するだけ」のポルノ性器描写は、ここでいうわいせつ物にあたらず、「裸体、性、または排泄行為に対する恥ずべき、あるいは、病的な興奮に訴えるもの」ということになっている(Brockett v. Spokane Arcades, Inc.)。ようはその社会時代文脈のなかで平均的人物像によって「異常な」性行為とみなされるものについては、思想自由市場での取扱商品にはしませんよ、ということ。日本人にとってアメリカンポルノストーリー演出・演技が妙に「健康的」に見えるのは、そうでないと法に抵触するわいせつ表現になるかもしれないリスクがあるからなんだよね。ちなみに児ポミラーテスト関係なく問答無用違法

から思想言論表現の自由」には「なるべく幅は広くとろう」とは言いつつも、その中身には中核と周縁とすでにNGと決められたものの3つの領域があって、周縁部では、表現価値表現のもたらす社会害悪性との衡量が個別になされたり(わいせつ性の判断)、総じて社会害悪性が認められたときには新たにNG枠に入れられたりしてる(ヘイトスピーチ法)、というのが実態だと思うんだよね。

で、そういう「NG枠」の側に一部のロリエロ漫画が加わるかもしれないことを、「これまでしっかり守られてきた表現の自由が、これを皮切りになし崩しにされる! 蟻の一穴!」みたいに煽るのは、ちょっと違うんじゃないかな、とも思う。体制自由を認めた表現けが許されているって意味では、今までもそうだったんだし、仮にロリエロ漫画が法的に規制されても、その規制の時に使われた理屈保護法益が異なる表現に対してまで拡げるのは、そう簡単なことじゃない。「グレーからブラックに何かを移動させたら、他の表現もどんどんブラックに動かせるようになるぞ」という警鐘は、そういう現実的状況を踏まえない雑語りに聞こえるし、そもそもロリエロ漫画自体が法的な保護を受ける価値がある表現かどうか、そして実際に社会害悪性をもたらすかどうか」を真正から議論する自信がないから、「ここを規制したら他の表現の自由も脅かされるぞ!」という論法に頼ってるんじゃないの、って印象もある。

そういう人達が、「表現の自由」が脅かされることへの危機意識を、たとえば愛知トリエンナーレの「表現不自由展・その後」をめぐるあれこれでも堅持してたのならまだ納得できるんだけど、いま二次元関連で「表現の自由」を強く主張する人達の中には、愛トリの時に「天皇に対する冒涜表現は、人々が大切にしている価値観に対する攻撃」みたいな理屈で展示中止の抗議活動威力業務妨害的なやつも含め)を正当化してた人達もいたんで、それについてはやっぱり「あなたがたのいう表現の自由って、結局自分が消費したい表現にだけ適用されるダブスタで、表現区別するなという自分たち自身も十分セレクティブに振る舞ってるんじゃないの」という印象を持っちゃう。もちろんそのダブスタ批判は、かつて表現不自由展を擁護していて、いま「非実在児童ポルノ」への規制論を容認してる人にも当てはまることなんだけど、さっきの衡量論にもとづけば、それは完全に対称の関係じゃないとも思うんだよねー。

(「ロリエロ漫画害悪性の根拠を出さないと保護法益が決められない」というのは、そういうダブスタ系の人達よりもずっと筋が通った理屈だけど、わいせつ物陳列・頒布罪にせよヘイトスピーチ法にせよ、その害悪性の根拠が、国会法廷の場でしっかりしたエビデンスのかたちで示されたことはないと思う)

2021-09-23

社会における性的表現のあり方の理想の食い違いとか

昭和から平成の前半では、ポルノグラフィー・猥褻物への禁止圧力は主に保守系政治運動と結びついてて、左翼側はそういう禁止圧力の緩和やポルノ開放みたいな要求だったけれど、今では政治的には左翼側の人間が、猥褻理由とせずに「性差別助長する表現」を理由として、萌え絵代表される様な一部の表現禁止政治的に主張し、保守右翼側の人間が「性差別的」と決めつけられた表現表現自由を旗印にして守ろうとする、俺みたいな者の目から見ると「なんだか変な」時代になった。

 

日本右翼保守(要するに自民党)は、本質的には民主主義ではなく「統治者にとって都合よく制度設計された、民主主義と称するもの」を追求しているが、それ故に正面切って表現自由否定することは出来ないので、刑罰を以て表現を禁じるやり方(猥褻図画や小説の取り締まり。チャタレー裁判とか、愛のコリーダとか)をなるべく露骨に使わずに、出版業界映像業界自主検閲組織を作らせて「自主的に検閲しているので、法的には何の表現規制存在しない」状態を作り上げることで実質的表現規制をする様になってる。なので、公共利益公序良俗保護理由に法的に制限できる猥褻ならともかく、表現自由一義的に示す表現である思想的・政治的表現規制」はさすがの日本国でも不可能になってる。(少なくとも現状はポルノほどあからさまな実質的表現規制犠牲にはなっていない)

 

で、昭和の頃の左翼だと、こういった猥褻表現禁止であっても、国家による国民活動への制限は最小限であるべきで、猥褻規制はその限度を超えている、みたいな話をするものだったのだけれど、今やその左翼、とりわけフェミニストの中で「猥褻から」とは言わずに「性差別であるから禁じられるべきで、規制は全く十分でない」という意見が主流を占める様になってきたのが2010年代じゃないかなと思う。

 

何を以て性差別的かという理由付けは色々見るのだけれど、メディア効果論(それも強力効果論)に基づいたものが多いと感じるが、(多くは女性である自分にとって極めて不愉快であり加害的であって、公共の場での存在は許されない、ってものもかなり見かける。これ、伝統的な右翼によるポルノ撲滅運動題目が「子供教育に悪い」だの「破廉恥で見るに耐えない」だったのと、ほぼつながってないか?と思うのである極右極左政治的主張は逆だが、粗暴さや残酷さ、頑なさや頭の悪さは同じに見えるのと似た感じだが、そう言ってしまうと純然たる悪口になるので止めておく。

 

左翼側・フェミニズム側の表現規制主義者(本人たちが自分をそう認めることは絶対に無いが、それは右翼側でも同じこと)も、自民党と同じ様に自らが表現規制者と呼ばれる事を非常に嫌う。そうした中で憲法の示す建前を崩さずに「実質的表現規制」を行おうとするなら、自民党政府のもとで成功してきた、自主検閲組織業界に作らせて『自主的な規制権力から強いる』事で実質的表現規制を行うやりかたがやはり踏襲される。

特にフェミニストとされる人達特定表現(宇崎ちゃんとか)を特定場所日赤)で禁じようとする時には、これが権力による直接的な規制ではなく、在野の民間人による公的機関企業に対する言論圧力によって当該機関企業の「自己規制を促した」のだから、これは絶対表現規制じゃない、って言い方だった。彼らの言う通り、確かに憲法上の建前は守られた上で(彼らにとって存在の許し難い)不快性差別表現を「実質的に刈り取る」ことに成功していて、最初にこの自粛要請という「単純だが案外に強力な仕組み」を考えた政府役人自民党政治家達、そのアイデアをそのまま利用したフェミニストは賢いなと思う。

 

左右の違いが全然いかと言うと、それはそうでも無い様で、大昔の矯風会の様な保守アンチポルノ団体はあらゆる猥褻表現をあらゆる流通ルートにおいて消滅させようとしている感じなんだが、今の左翼フェミニズム的な「反性差別表現」をやっている人達は、流石に左翼であるだけあって「ポルノであるならこの世に存在を許さない」などということは主張しない。存在が許されない表現はある程度は絞り込まれていて、大体それが「男オタク好みの性的表現物」に被さっているし、流通に関しても「表通りに出てこなければ許す」という感じである。 ポルノショップ無修正ポルノ販売されることまで禁じろという主張はしてない。(コンビニ一般書店水着グラビア雑誌販売を禁じろは言ってるのがいるが)

 

良く知らない世界なのだが、腐女子世界における「学級会文化」というものがあり、世間に対して目立たぬように「厳しく自粛」(恐らく自己認識としては自粛ではなく相互批判によるコミュニティの自浄作用だろう)する傾向があって、それは同性愛を正面から扱う表現であるために『世間の目を憚る代物』である自覚があり、それ故に何かと謂われなく侮辱されたり非難されたりする『腐女子表現世界』を守ろうって云う同調圧力が(人・場所によっては)やたらに強い、って話を聞く。

そういう文化があるためなのか、同様な「当然の自粛」が男オタク表現物でも行われるべきで、それが全く行われずに結果として表通りの世間流出し、そこで調子良くのさばるべきではない、って理念が、腐女子でもある一部のフェミニスト(一部じゃなくてマジョリティなのかもしれないが)には潜在的にあるのではないかと考えているが、ちょっと確認が難しい。

 

この「表現自粛」に対する積極的な考え方は男オタク世界にはあまりなさそうなもので、この部分では政治的には極右オタクでも昭和左翼的な「政府による自由規制は最小限であるべき」って建前を大事にしてたりするし、左翼オタクならもちろんそう考えるはずなのであるがそうなっていない。これは恐らく今の左翼フェミニスト達による「最小限の規制対象」の裁定基準が「表現自由戦士」と悪意と侮辱を込めて呼ばれる人達にとっては理不尽に厳格であるってことなんじゃないかと思う。かくいう俺もフェミニスト達、とりわけネトフェミ悪罵される人達基準ちょっと、いや全く受け入れられない。

 

昭和左翼自民党政府による「公序良俗保守的性道徳観」の保護に反対した訳だが、基本的右翼である表現自由戦士」はフェミニズムからの「公序良俗=反女性差別的性道徳観」の保護に反対している訳で、その意味では政治的立場と主張の食い違いは無いとも言える。

 

どちらにせよ、憲法の建前からして最優先で守られている政治的表現と違い、その殆どエンタメである文学映画マンガアニメといった表現は、我国が戦前戦後内務省警察権力が強い強権的国家であったこともあり、公序良俗保護理由目的として簡単規制を受けがであることは戦後歴史証明してる。

 

それを守りたいと思うのであれば自分右翼であれ左翼であれ、機会を捉えて発言して意見議論することはどんなに嫌でも避けられないのであろう。 ああ嫌だねえ……

2021-08-13

牟田和恵が本格的にトランス差別に参戦していて笑えない

ポルノ・買春問題研究会|国際情報サイトというTwitterアカウントがある。

https://twitter.com/appjp_kokusai

その名の通りラディカル・フェミニズム団体であるポルノ・買春問題研究会通称APP研の国際情報サイト公式ツイッターという立ち位置だが、

一見してわかるようにポルノ買春問題に関するツイートほとんど見られず、毎日トランスジェンダーは女ではないみたいなツイートをしたりリツイートしたりしている。

このアカウントを見ればツイッターにおけるトランス差別的な言説を広めるインフルエンサーはだいたいフォローできると言っていい。

このアカウントAPP研の中心メンバーである森田成也が運用していると言われている。

昔は同じく中心メンバー中里見博運用しているって言われてた気もするけどその辺はわからん

まあとにかくポルノグラフィや売買春問題についてではなく常にトランスジェンダーは女ではないみたいな話をしているってことです。

個人的にはAPP研外郭団体のPAPsでトランスジェンダーの金尻カズナが理事長を務めていたりするのにAPP研アカウント毎日トランス差別言説を繰り広げていることについて関係者たちがどう思っているのかとかが気になるところだけど、まあそれはいいわ。

で、そのAPP研アカウントがこのようなツイートをした。

幸せそうな女が憎いというインセル心理と、シス特権をもっている女が憎いというトランスセル心理とは酷似している。どちらも女性現実無視し、自分主観一方的評価し、自分が持っていないものを持っている存在として憎悪する。

午後1:45 · 2021年8月8日

https://twitter.com/appjp_kokusai/status/1424230315329871876

先日の小田急刺傷事件に絡めて、女を憎んで事件を起こした犯人と同じようにトランス女性にもインセルを併発しているやつがいる、という話をしたわけですね。

当然普段からトランス女性は女ではないみたいなことを言っていいねリツイートを稼いでいるアカウントがこのようなツイートをしたわけですからトランスジェンダー当事者や一部の学者から批判されました。

そしてそれに対して牟田和恵教授ツイッターで行ったリアクションが以下の通り。

トランセル」はトランスジェンダー一般を指しているのではなく、女性恫喝的、攻撃的なTRAのごく一部を批判しているだけ。他方、トランス権利擁護主張派の方々には「Terfは、持って生まれた性を変えるのは異常だとトランス差別してる」と、フェミには有り得ない誤解をしている方も。皆、冷静に!

午後8:16 · 2021年8月12日

https://twitter.com/peureka/status/1425778321745350660

TRAvsTerfの対立が作られてしまって、フェミ(いわゆるTerf)攻撃の陰で、まだまだ一般的に多いあからさまなトランス差別が見過ごされ、かつ、女性安全を後退させるような動きが「多様性」として称揚されることに危機感を感じてます

午後9:07 · 2021年8月12日

https://twitter.com/peureka/status/1425791103756759045

要するに「TERFと呼ばれている人たちはトランスジェンダー差別しているのではなく一部の攻撃的なトランス当事者活動家批判しているだけ。本当にトランスジェンダー差別しているやつらは別にいるのにそれを見過ごしているぞ!」と言っているんですね。

トランスセルっていうのはトランスジェンダー+インセル造語だけど、元の由来がどうかは知らんがAPP研が使うからには「女を憎みながら女になりたがってる男」というレッテル貼り用途しか見えないわけで、そんなもんを擁護するために「差別者は他にいるぞ!」なんて援護を送るフェミニズム研究者教授様はマジですごいな~と思うわけです。

だいたい「あからさまなトランス差別を見過ごされ」って、あなたがいつもいいねしているjijiなんかがまさにあからさまなトランス差別言説を展開しているインフルエンサーじゃんって話で。

anond:20210714204405

“「Terfは、持って生まれた性を変えるのは異常だとトランス差別してる」と、フェミには有り得ない誤解”に関してもAPP研リツイートしているアカウントを見りゃ「チンポを切ったところで女になれるわけがない、女は女」くらいのことを平気で言ってるアカウントいくらでも出てくるわけです。

それらすべてに目をつむった上で「本当に差別してるやつは別にいる=女は安全を求めているだけ=本当のトランス差別は男がやってる」って言ってるんですよ。なんじゃこりゃ。

「実社会トランス差別しているのは男」だったとして(全然そんなことはなく女も普通に差別していると思いますけどね)、今まさに「インターネット上でトランス差別言説を繰り広げているお前」について問われていることにそれが関係あるんですか?

ただのwhataboutismじゃん。いや、「女は安全を求めているだけの完全なる無謬であり一切差別をしていない」まで普通に言ってるやつが大勢いるからwhataboutismですらないか。無敵かよ。

普段インターネット上で行われた女性差別的言説に対し厳しい批判を行い、時に実社会立場までもキャンセルする活動に邁進している方々が、なぜ自分差別を指摘されたときには実社会差別インターネット上の差別言説を比較して後者はるかに低く見積もり無罪を主張するのでしょうか。

あ、実社会女性差別インターネット上の女性差別言説は両方男がやってるけど、実社会トランス差別は男がやっててインターネット上のトランス差別言説は女がやってるから繋がらないという理屈なのかな。すごいな~

普通にインターネット上のトランス差別言説を見て死にたくなってる当事者大勢いると思いますけどね。

ほんとなんで自分たちの差別を問われたときだけインターネット書き込みなんて大したことないみたいな話になるんだろ、不思議だ~

APP研アカウント見てると、あ、この人もそっち側なんだ~ってなるんで勉強になりますよ。食欲がなくなるのでおすすめしませんが。

追記

b:id:nikakuinikaku 非常に残念だ・・・・・/そのAPP研アカウント男性運用してるって事?だとしたら最悪だな、女性のTerfは勿論肯定は出来ないがそこに至る気持ちは分かる部分も有るが、男性Terfってもはやただの差別主義者だろ

APP研にはかつてあった四トロっていう新左翼の残党が合流していて、森田成也もそこで幹事をしていた人物

そこでは過激活動をしているか警察に駆け込めないことにつけ込んで男性活動家女性活動家レイプするという行為が平然と行われていた。

それが明るみになったらなったで「組織運動の名を貶めたことを反省します」みたいな謝罪になってない謝罪をして、女性活動家が離れることに繋がったりした。

詳しくは「ABCD問題」でググってください。

そういう経緯もあってフェミニズム理論を受け入れざるを得なくなった新左翼APP研苛烈な反ポルノ・反売買春・反セックスワーク運動などを行っているということだと思われる。

でもお前らの卑劣レイプはお前らの卑劣行為であってポルノ売買春セックスワークも何の関係もないじゃんって? 私もそう思います

まあとにかく組織内での女性差別を厳しく指弾され組織自体が瓦解したというトラウマから反対側の極端なフェミニズム理論に傾倒してるってことなんじゃないかな。

女の安全第一だ!って言いながらトランス女性差別する言説を流布するのもその一環。

凶悪強姦魔ツイッターフェミニスト自称して男の原罪だとかポルノが悪いとか言ってたやつと似たようなものかもね。

anond:20210714204405

この記事で紹介した牟田和恵が乗っかったデマ性的マイノリティ権利向上に反対しているネトウヨが広めたものだったんだよね。

女性安全のために女性性的マイノリティ権利向上に反対しているネトウヨデマを広めるってもうわけわかんねーよ。

「ただの差別主義者だろ」っていうのは「その通りですね」としか言いようがないです。

2020-11-18

僕はVtuberが好きだった(追記有)

僕はVtuberが好きだった.

今は嫌いだ.大嫌い.ムカデゴキブリを見たときと同じような不快感を催す.Vtuber動画を見てるという人も嫌いだし,そのような人とはできるならかかわりたくない.

それでも昔は好きだった.キズナアイやシロといった昔の「バーチャルユーチューバー」は好きだった,今でもそこまで嫌いではない.ホロライブにじさんじなどが嫌い,これらの団体がこの世からなくなるのであればよろこんで命を差し出す.

ツイッターで流れてきたキズナアイ配信の切り抜きがきっかけだった,そのときバーチャルユーチューバーなんて言葉は知らず「3Dモデルがきれいモーションキャプチャーされてコンテンツになってる」程度の認識しかなかった.

後にバーチャルユーチューバーなるコンテンツと知り,それからしばらくで世間的にも人気になって,僕もおっかけた.

コンピューターの処理性能が向上したからこそ,人類における技術の発展があったからこそ誕生したコンテンツに夢中になっていた,活版印刷機よって生れた本を読むという新たに生れた習慣が文化になる時間追体験するような気分だった.

にじさんじが出てきてすべてが変った.

コンテンツに明示的なエロ,「セックス」が含まれるようになった.

これまでの物,すなわちキズナアイやシロやミライアカリなどが表現する女性的魅力で美や愛に近いもの,もちろんマリリンモンローのような官能性を秘めているが,それらはあくまでもすべて暗示的であった.全てが暗示のみであったというわけではなかったが少なくともコンテンツとしてそれらの表現を最小限にしようといった努力が認められた.

にじさんじの登場によって変化したエロ表現,僕が具体的に思う境界,それは消費的なセックスが暗示されているかどうかだと思う.

少なくとも「これまでの物」にはそれらはなかった.キズナアイの腕や足を露出した衣装,シロの背中あいたセーター,ミライアカリ輝夜月のキャラデザ,これらはもちろん現代エロである女性的魅力の範囲であり,アンハサウェイやミランダカーが着るドレスのような美しさとエロであった.

にじさんじは違った,月ノ美兎のいちもつ発言や「わたくしで隠さなきゃ」,静香凛のバイノーラ配信でのカウントダウンなどでより直接的なセックス表現が生れ,それは次第にエスカレートしていった.

明示的なエロは最終的に見る人に否定されず受けいれられ,市場欲望を満すために自己的に増幅し,エスカレートする.それは再び視聴者欲望を促し,まるで未来永劫終わらない運動のように,エロ表現が増加するのであった.

コンテンツ女性的魅力の美的表現ではなくセックスの暗示表現が混じり,エロティシズムであったものポルノグラフィになった.付加価値表現として含まれるようなエロが直接表現として表われ,性的に消費が可能コンテンツとなってしまった.

僕はフェミニズムの話をしたいわけではない,エロが売れるのは真理じみた事実である.通常エロ規制される,売れるからだ.しかyoutubeでこれらは規制されなかった.それどころか「スパチャ」で正当化される.

エロが悪いという訳ではない,人に必要からしかし,好きだったものエロコンテンツになったのが許せない.

モンローのような女性的魅力が控えめに混り,そしてそれ自身あくまでも付加価値で,本質的面白い物を探求しようとする精神に気高さを感じた.それらは死んだ.

新時代コンテンツは,消費と提供が繰替えされるオタクコンテンツの一つとなった.

僕は残りの人生Vtuberを再び好きになることは決してないと思う,あの開拓時代のような精神であふれた時代には何年経てども戻らないだろう.

僕はVtuberが好きだった.

11月19日追記

コメント言及ありがとうございます

深夜に勢いで書いたのもあって雑な投稿だったのにいろんなが意見があってとても嬉しいです.

コメントなどを見ながらあらためて自分意見をまとめ直すと,アイドルになってきたから嫌いになったというのが正しいような気がしてきた.

その意味エロコンテンツになったというのは過剰な表現だったかもしれない.しかアイドルになったからこそ,市場としてコンテンツとしてかわいさやエッチさの比重面白さと同じかそれ以上の物になったから嫌になったんだと思う.

個人として,初期のころのVtuber純粋動画として面白いから見ていたという自覚がある.ニコニコ動画とかyoutubeゲーム実況動画が好きだったから,その延長線上としてVtuberを見始めた.なので初期のころのバーチャルユーチューバーアイドルとして見ていたつもりはなかった.(その過程女性的要素を一切無視していたわけではないが少なくとも主軸として捉えていた気はない)

それがにじさんじで,というか"事務所"ができて「アイドル」になって,そしてコンテンツとしての主体動画ではなくアイドルになってしまったのが嫌になった原因と思う.

その結果として,アイドルとしての評価軸がVtuber評価軸に加わったことが気に入らなかったのかもしれない.

その上で,インターネットアイドルになったこ付加価値としてのエロが増えて,その事実に対して不満を述べたのが記事の内容である

アイドルであれば,特にインターネットであるなら,エロであれば売れるからエロになるのが宿命だと思うし,その結果「陰キャキャバクラ」だとか「風俗嬢」だとか言われても仕方のないことだと思う.

性嫌悪したいわけでもない,女性理想像押し付けたいわけでもない.もし仮に初期のVtuberが男で以降アイドル化の流れがあったとしても同じことを言う(もっともそのようなもの流行するかはわからないが).女性像として自分と食い違う物になったから嫌ったのではなく,そもそも女性キャラから見てたわけではない.

これらを踏まえると「原理主義者」や「老害」といったコメントは正しい思う.

僕は昨今のVの事情はそこまで正しく把握していない.

ミライアカリは美でも愛でもないよな.ここはたぶん勢いで書いた.

技術がないから悪いというわけではないが,アイドルコンテンツとして見るならば技術不要になるのは当然な流れだ.かわいければイラストが動くだけでも十分だから

VRChatの世界はあまり知らないが,こんどやってみようと思う.

全角コンマピリオドなのは本職で使うからだ.

初期のバーチャルユーチューバーたちをアイドルとして見ていなかったのが間違いであったのならば,僕に先見の明がなかったにすぎないことだ.

2020-07-11

[]NSFW

NSFWは、Not safe for work(ノット・セーフ・フォー・ワーク)の頭字語で、職場学校などのフォーマルな環境下での閲覧に注意を促すため、裸、ポルノグラフィ卑語暴力などの要素を含む動画ウェブサイトURLハイパーリンクを示す際に使われる

2020-06-22

anond:20200622100719

あなたあなたの言う「正しさ」を振りかざしてポルノグラフィを「是正」できると? 私にはその発想の方がファンタジックに、あるいは空恐ろしい全体主義者的発想にしか見えないのですが……。

「くだらない」文化にはくだらないなりの存在理由があるのですよ。「くだらない」から存在価値がないなんてことはないし「くだらない」娯楽を「是正」したら、誰もそんなもの読んだりしませんよ。教科書じゃないんだから

2020-06-08

論点整理:少女ラブドール規制論」を批判する

論点整理:少女型ラブドール規制論|青識亜論|note

最初に。私は規制派でも擁護派でもない。単にこの青識亜論と名乗るネット論客と呼ばれるらしい人の書いたと思しきこの記事批判するだけである。鬱陶しいくらいにツイッタータイムラインに流れてくるのだけど、これを流す人をフォローしてしまっているのだから仕方ない(※じゃぁ青識亜論をブロックすればいいじゃないかとの意見があったが、既にそうしている。以前はあまり気にならなかっただけだ。急に他人引用リツイートRTしまくりやがったかそいつフォロー外した)。

規制論① 少女ラブドール性犯罪を誘発する→反論 性犯罪を誘発する証拠はどこにもない」への批判

 「性犯罪者の九割がポルノグラフィを読んでいた」は、「九割がパンを食べていた」と同じぐらい何の意味もない数字だ(今どきは大概の人間ポルノぐらい見たり読んだりするだろう)。

先ず、この人は自分引用した記事を読んでいるのだろうか? 斎藤氏の記事はこうだ。

「また、当院のデータでは加害経験がある者のほぼ100%がなんらかの児童ポルノを見ているという事実があります

斎藤氏は100%だと言っているのである。この時点で既に不適切な例示だと言い得る。さらに言えば、関連性があると考えても不自然ではない「児童ポルノ」や「幼児ドール」と同様に、全く無関係でその相関を考えるのは頭がおかしいとしか思えないレベル「パン」対置して何が言いたいのであろうか(これは実はとある地方自治体議員ツイートからの流用であることは知っているが)。その上「ポルノ」は見たとしても、この記事で問うているのは児童性犯罪であって児童ポルノであり、「児童ポルノ」は大概の人が見るとは常識的には言えない。要するに反論適当すぎるのである斎藤氏は臨床現場で実際に加害経験者と関わってきたという直接的な経験から児童ポルノ児童性犯罪の関連性はあると言っているのであるから、このような駄論で反論になっていると思うのは低レベルに過ぎる。

 性犯罪の「引き金を引いた」というのも、大仰に書いてあるが、逆に言えば単に引き金となっただけであり、ポルノが無ければ別のものが引き金を引いた可能性もあるし、マクロポルノ性犯罪を増やしているかどうかについては何の論証にもなっていないのである

論証になっていないと評価するのは自由だが、斎藤氏の臨床体験から引き出されたエビデンスであり論拠にはなっているわけで、軽々に無視して良いものではない。なおこの引用部分についても斎藤氏はきちんと触れていて「児童ポルノに出合わなくとも、なんらかのきっかけで彼らが子どもへの性的関心を抱くようになった可能性はあります。けれど児童ポルノに出合わなければ、それが強化され認知が歪むプロセスをどこかで食い止められた可能性は無視できません」と書いているわけで、この人は記事適当斜め読みしかしていないことがよく分かる。以上、これでは全く反論になっていないと言わざるを得ない。但し、私は反論になっていないと批判しているだけであって、反論された論理をが正しいと言っているのではない。そうではなく、これに対するより正しい反論は、児童ポルノ性犯罪に影響するとは言えないという別のエビデンスを示すことであって、屁理屈ねじ伏せても無意味だと言いたいだけである

規制論② 犯罪の原因にならないという証拠はない→反論 証拠がないことは規制理由にはならない」への批判

 だが、これは容易に魔女裁判に至りうる危険な考えである

 もしも、犯罪を防ぐために関連しそうなあらゆるもの規制しても良いというのであれば、テロを防ぐためにある種の宗教思想規制したり、安全保障のために特定人種を閉じ込めてしまえという発想を容易に合理化する。

これも雑すぎるだろう。破防法だって実際にあるわけだし、児童性犯罪経験者の再販を防止するために情報公開GPSタグによる監視など、ある程度の人権制限をする主張はしばしばなされている。余りに親が子供を叱る叱責の怒鳴り声が頻繁に聞こえるようであれば、実際の虐待確認できなくとも児相通報することは現代では常識範疇ですらある。

 危険があるというのであれば、まずもって危険性を主張する側が十全に挙証責任を果たす必要がある。

こうした主張はかつてのオウム真理教もやっていた記憶があるのだけれど、多くの残虐事件を実際に引き起こし取り返しがつかない事態になったことは言うまでもあるまい。そう言えば拉致問題北朝鮮側社民党が似たような主張を……、はどうでも良いとして、たしかに実際に規制するには危険性をもう少しきちんと示すべきではあろうけれど、現状で危険性が示されていないからと言って、危険ではないという話にはならない。また、それを言うならば危険性はない=安全だということを主張する側が十全に挙証責任を、あるいは製造者製造物責任として安全である保証義務を貸すべきだとすら言い得るだろう。以上、これもまた反論になっていないと評するしかない。

規制論③ 少女ラブドールヘイトスピーチである反論 ラブドールは「憎悪扇動」ではない」への批判

 これは、「犯罪をしてはいけない」という強い規範の裏返しなのであって、本物の少女レイプせよと勧めるようなメッセージ性は全く込められていない。

よくもまぁこんなありきたりのつまらない詭弁を弄するものだと呆れる。じゃぁ何故「レイプ」ではなく「レ◯プ」だったのか。当然レイプがいけないことだと認識していたからの表現であるからに他ならない。だからはっきりレイプとは書けなかったのであるゾーニングされているアダルトショップ内ですらも、だ。レイプ倫理的に不味いからと認識していなければ伏せ字表現はありえない。従って、あの表現は単に「いやーお客さん、生物少女レイプするのは犯罪になりますからこちらの少女に似せた人形ならば合法ですよ」とレイプという不道徳で危ない表現を用いて商品コピーにしているだけである。何が「強い規範」なものか。尤もそうしたメッセージ性など込められていないのは当たり前、但しそうした願望が存在していることは認めている表現である。それ以外に「合法」とわざわざ表現することへの意味の取りようがない。扇動はしていないかも知れないがそれに極めて近い表現である少女レイプ願望それ自体肯定しているのだから。従って、反論としては不十分である

規制論④ 黒人を殴って楽しむ人形ならアウトのはず →反論 現実販売されているし、何の問題もない」批判

現実には、黒人イメージ写真商品画像に付したパンチングダミー人形販売されているし、特に倫理的問題存在するとも思えない。

この人がほんとにアホだなと思ったのはこれであるそもそもじょいたま氏の理屈対応していない。ボクシングそもそも相手を殴るスポーツだし、この広告はその相手イメージさせるだけのためにボクサーのような人物写真を用いているだけであるしかじょいたま氏が言っているのは「「黒人合法的に殴れる♪」という触れ込みで黒人を模した人形販売すること」である全然目的が異なるものを示して反論になるなどと、アホとしか思えない。反論するならば、「あくまでも人形から良いということで売っているだけで本物の幼女レイプしていいというメッセージ性はない」と前項でこの人自身が言った理屈で済むだけの話。

規制論⑤ 子どもが見たらトラウマになる →反論 アダルトショップ販売しているのだが……」批判

 子どもが見ないようにゾーニングをし、アダルトショップ等で販売しているのであり、通常、児童アクセスすることはできない。すでに十分に抑制された状況の下で販売されているのであって、これも詭弁である

やっつけで反論しているとしか思えないくらい穴だらけの、詭弁はお前だと言いたくなる。割と最近エロ萌え絵のだきまくらを、それを買って自宅においていた父親が、その自室に子供に入られてしまってその抱き枕子供が抱きついていた写真を、そのバカ親父はあろうことか自慢気にTwitterにアップし、はてなブックマークでで「児童虐待だ」と叩かれまくっていたのは記憶に新しい。ゾーニングされてたって、売られたらそこから出てしまうのだから、斯様に子供に抱きつかれるに至ることすらあるのだ。個人的な話だけど、少々性的な興味を抱き始めていた小6の頃、親の洋ダンスの中に超リアルな電動こけしを見つけて、めちゃくちゃショックで確かに一時期トラウマになり、親の顔を見られなくなったことはある。あんな真面目そうな親が、と。だからトラウマになること自体はあり得るので、対論者に反論することは難しい。ただ、こうは言える、だから何なんだ? と。子供時代に様々な事柄について知っていく上でショックを受けることは他にいくらでもあるのだから。何れにしても、この人の反論はいわゆる「すり替え」であり、ゾーニング問題ではない。

 

めんどくさくなったのでここまでとする。何れにしても安直反論ばかりで話にならないくらい低レベルだとしか思えないのだが。

 

追記;なお、誰かこの増田記事Twitter拡散してくれたらなと願う。反論を欲しがっている人が結構いるようだ。私自身はフォロワーとか少ないし、ツイッター上の立場が少々特殊なのでやりたくない。我がままですまん。

2020-02-04

anond:20200204141631

応援しとる、やろがい!

フェミニスト・セックス戦争 - Wikipedia

性に肯定的フェミニストの反ポルノグラフィフェミニズムに対する反応は、セックス女性快楽のための道として奨励し、反ポルノグラフィ立場政治的右派による娯楽セックスポルノグラフィに対する戦争同調するものと見なすことであった。

性に肯定的フェミニストは、このような立場セックス・ワークを選んだ女性自己主体無視していると主張し、売春本質的女性搾取に基づいたものではない、とみなした。

2020-02-01

「エセフェミ」「真のフェミニスト」と言う人の頭の中

Twitterとかではフェミニストに対するアンチフェミニストを名乗るアカウントに対してよく「エセフェミ」とか「真のフェミニストはそんなこと言わない」とか言ってたりする。

疑問で仕方ない。彼らの基準はなんだ?なにをもって彼らはその基準妥当だと思っているのか?あるいは基準なんて特にないのか?

自分が気に入らない」であれば彼らが気に入らないであろう主張などフェミニズムの中で色々されてきた。端的なものを挙げると、ドウォーキンポルノグラフィーそのもの批判した。今日フェミニストアカウントの中にポルノグラフィーそのもの全否定する主張をした人などそう見当たらないので、ある意味フェミニストアカウントよりも「過激」ですらある。ドウォーキンフェミニストとして著名であり、「エセフェミ」などと言うのは無理筋である

彼らにとって「うるさく」ないことか?フェミニストに限らず女性が声を上げるとき、しばしば「うるさい」「もう少し穏やかに」などという言い方をされる(ちなみにこれをトーンポリシングという)。グレタ・トゥーンベリ氏や石川優実氏への反応を見れば顕著である

お気持ち批判するからエセフェミ」なんて言い方もよくされてきた。ここでの「お気持ち」というのは「感情に基づくだけで明確な基準がない」くらいの意味と捉えてほぼ外れてはおるまい。では問うが、「感情に基づくだけで明確な基準がない」と捉える前に君らは話の流れを、つまりレスバトルを逐一丹念に追ったのか。どこで何がこじれているのかちゃん確認した上で発言したのか(Togetterでまとめられたものではなく、元々のツイートの方である)。

まあそんなことをするのは時間無駄だというのは分かる。もちろん他の時間の使い方などいくらでもあろうし、全ての案件についてそれをやれとは言わない。しかし、言及したい事案についてそれすらしていないのなら判断を下す資格はない。

じゃあ、追ったのだとしよう。「エセフェミ」とか「真のフェミニスト」というもの認定することができるくらいにはフェミニズムに精通しているという自信と、そういうもの自分認定する権限を持っていると思えるその自信はどこから来るのだろうか。

そもそも書籍等で読む「フェミニズム」の主張と君らの是とする主張はたいてい乖離している。例えば、「レディースデー男性差別だ!」というお決まりの主張に対して、「はじめてのジェンダー論」では男性差別とは言えないとしている。

君らの「エセフェミ」とやらの認定基準はなんだ。

もちろん「偽物のフェミだ」などというのは言い方を変えただけで説明になっていない。小泉進次郎構文状態である

最後になるが、自分シス男性であり異性愛である。つまりジェンダー的には男性-女性シストランス異性愛者-他のセクシュアリティ任意のものを代入して頂きたい)など多くの比較軸において「マジョリティ」であり、その視点からのものであることを断っておく。

「そんなことを言えるのはモテるからだ」とか言う人はまあいないと思いたいが、念のため言っておくと別にモテはしない。

2020-01-18

性的モノ化」の議論のまずさ

フェミニズム視点では「胸の大きい女性転職情報のPRに起用する」のはまずいようだ。

 

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yomogidango0909/status/1218363032004329478

 

上記のような意見を「本当のフェミニズムじゃない」と感じるとしたら、それは間違いである。

それどころか、現在日本フェミニズムの主流やアカデミズムの主張から必然的に導かれる結論である

このような意見はいわゆる「性的モノ化」(あるいは性的客体化、対象化)の議論立脚している。

 

フェミニズムを専門とする社会学者小宮友根と、宇崎ちゃん問題の時にイラスト付きで不適切さを分かりやす解説していたふくろさんによる以下の記事を読んでみよう。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68864

性的女性表象の持つ差別性は、フェミニズムの中では「性的客体化(sexual objectification:対象化やモノ化と訳されることも)」の悪さという観点から議論されてきました。

(中略)

たとえばポルノグラフィ批判で有名なキャサリン・マッキノンアンドレア・ドウォーキンが繰り返し主張していたのは、ポルノは「わいせつ(性欲を刺激するもの)」だから悪いのではない、ということでした。マッキノンたちのポルノグラフィ定義には、女性が「人間性を奪われ」「辱めや苦痛快楽とし」「性暴力によって快感をおぼえ」「特定身体部部位に還元される」ような「性的な客体として提示されている」という項目が含まれています。要するに、女性を「性的な客体」として提示することが悪いと考えられているのです。

最初ツイートでの「女性性的記号を利用してPRする」ことへの批判は、上記のように、女性性的記号還元するような悪さへの指摘として正当化できる。

なお、上記引用にもある通り「エロいから悪い」「胸が大きいから悪い」のではない、あくまでそれが表現の中で強調されるなどして、記号として利用されることがまずいのだ。

このように(ブコメでは散々な言われようだが)ツイート批判は、実はフェミニズムとして至って正気批判である

ところが、そこにまずさがある。

 

フェミニズムがこのような批判正気にし得るということは、フェミニズムは、時と場合によっては(件のPRのような)本人の意思に基づいた女性の行動や社会活動をも批判し得る、ということだ。

ここで一足飛びにフェミニズム批判に走ってはいけない、まずはそのような主張がどのようにして正当化されるのかを考えるべきだろう。

 

例えば仮に、件のPRの立案からカメラマンからモデルに至るまで、すべて女性がやっていたとしても、フェミニズムはそれを批判する必要がある。

女性ミソジニーを持ちうるし、性的記号不正利用も行える、レズビアン場合を考えれば女性性的欲望し消費するケースもあることも分かるだろう。もちろん男性との共犯関係もあり得る。

行為者が女性であることで(男女の非対称性から)悪さを軽減することはできるかもしれないが、免除することはできない。

ここで問題になるのは主に以下の2つ。

1.女性イラストレーターや女性漫画家のような表現者が女性をモノ化して表象する場合の扱い

2.キャンペーンガールグラビアアイドル、AV女優風俗嬢等が、自身身体を「性的な客体」に還元する場合の扱い

件のPRは2に該当する訳だが、その悪さはともに「性的モノ化」によって説明できる。

まり表現であれ自分身体であれ、女性性的にモノ化、客体化することが悪いのだ。(※1)

 

ここで「1はともかく2は自分身体自分意志でやってるんだからいいじゃないか」「被害者はいないじゃないか」と反論するならそれは間違いである。

直接的な被害者がいなければいいのであれば1も、宇崎ちゃんやその他のあらゆる表象問題化できなくなってしまう。

問題は、モデルのいないイラストであれ、合意済みの女性自身身体であれ、「女性一般に対するイメージを歪めたり利用したり、モノ化できてしまう、その悪さなである

 

こう言い換えてもいいだろう、「女性」のイメージ女性全体の言わば共有財産なのであり、イラスト女性自身身体もそれを傷付け得る。

例え女性個人合意していたとしても、それ以外の合意していない女性へもダメージが波及するために、女性身体性的にモノ化することは許されないのだ。

従って、個々の女性身体女性表象もまた、女性全体の共有財産だと言えるし、共有財産である限り、個々の女性が(集団の意に背いて)それを好き勝手にすることは許されない・批判される必要があるのだ。 

このようにしてフェミニズムは、女性に対するある程度の自由抑制批判、そしてそれによる全体主義正当化できる、できてしまう。

 

このようなフェミニズムの在り方に対して、フェミニズム自身による更新は難しい。

何故なら上記のような論理は「性的モノ化」のような基礎的な概念から論理的に導出できる以上、その更新フェミニズム全体を大きく変えざるを得ないし、

その過程で、これまでのフェミニズム批判しえていた(主に男性たちの)行為や現状を批判不能にせざるを得ないようなケースも出てくるだろう、そうしたことは、多くの女性フェミニストにとって受け入れがたい。

あるいはアカデミズム側のみのマイナー議論としてはそのような更新も期待できるかもしれないが、運動としてのフェミニズムにそれを輸入することは恐らく出来ないだろう。

例えば件のツイートに対しても、フェミニズムによる(その女性身体を共有財産化する全体主義的な傾向に対しての)批判は期待できない、という事からもそれは分かる。

こうした問題を、フェミニズムはこれからも抱えていかざるを得ない。

そしてそこから目を逸らし続けないわけにはいかない、例えそれが欺瞞でも、解決する能力がない以上は。

 

※1 なお1に該当する女性エロ漫画家フェミニズム肯定しえないことについては以下を参照

https://anond.hatelabo.jp/20200116204747

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