はてなキーワード: 恐ろしいことにとは
「幼児型セックスドールの生産・販売・の廃止を求めます。」という署名活動がchange.orgで行われている。
①日本の【児童買春・児童ポルノ禁止法】にて幼児型セックスドールの製造・販売・所持を規制すること
②小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングやセラピーへの取り組み
③ECサイトなどに未だ販売される【幼児型セックスドールや児童ポルノ】の取り締まり、及び【販売禁止を徹底】
以上3つを求める署名活動だそうだ。
②に関しては私も賛成ではあるが、いかんせん①や③に関しては記事を読んだ限り感情が先行している雰囲気が否めない。
案の定Twitterでは「人形は実在の人間ではない。児童ポルノ禁止法は実在の児童を守るための法律であり人形の摘発に労力を割かれているうち実在の児童を守れなくなる」「表現の自由の侵害だ」などの批判が出ている。
たしかに、現参議院議員である山田太郎氏が、2016年に行った警察庁へのヒアリングでは、フィギュアは非実在の人物を扱ったものであり児童ポルノには当たらないとなっていた(https://togetter.com/li/942630)。そのため、モデルのいないラブドールについても同じ扱いにはなるのだろう。
けれども、この騒動を見ているうちにどうにもむず痒い思いが沸き起こってきた。署名に賛成の人間も反対の人間も、「ラブドール」というものを置き去りにして議論を進めている感があまりにも強すぎるのだ。
一緒に暮らしているのは身長130cm台で、布のボディに骨格の入ったいわゆる「ぬいぐるみドール」というものだ。身長からわかる通り彼女の外見は、この署名に賛同した人たちから見れば「幼児型ラブドール」としか言いようがない、唾棄すべきものだろう。
だから、私はこの署名に活動には反対である。彼女との生活を守り、またラブドールを愛好する方たちと彼らのパートナーの人形たちを守るためだ。
そして、この文章を書くに至った、私の性的嗜好についても伝えておかねばならない。
無機物で作られ、有機的な肉体よりも完璧に編み上げられた造形を持つ人形しか、私は愛することができない。故に、ラブドールの規制は私にとってパートナーの喪失であり、個人の性的嗜好の否定に他ならない。性的嗜好は個人を構成する不可欠な要素であり、直接他人に害をなすことがなければそれを妨げられるいわれはない。
だから、私は声を上げねばならない。ラブドールというパートナーの喪失が、ひいては「私自身」の喪失に繋がるのだから。
当該署名ページには既に陳情を送ったが、もっと広くこの問題を知ってもらうためにこの文章を書いている。前置きが長くなってしまったが、もうしばらくお付き合い願いたい。
もしも定義が書かれているのであれば恐縮だが、ページの隅から隅まで探しても見つからなかった為上げさせていただく。
身長・体型など、「その人形が幼児を模している」という明確な定義がなされていないことは、ラブドールだけではない全ドールオーナーにとっての脅威ではないのか。
ただ、この定義がされていないのはまあ、仕方のないことではある。
基本的にドールというのは頭と胴体が分離する仕様になっていて、同じメーカーの頭と胴体でアタッチメントが合えば好きにすげ替えることも可能だし、別メーカーの頭と胴体を組み合わせているドールオーナーだっている。購入したときは一般的な成人女性の体格であったドールの首をすげかえて、幼児体型のボディに載せ替えることもできるし、逆もまた然り。これはラブドールだけではなく、性的な用途のない比較的小さなサイズのドールでも同じだ。
つまり、ドールの体型というのは不定であり、「幼児型ラブドール」の明確な取り締まりというのは不可能に近い。どんなに成人の顔立ちをした頭のドールでも幼児の胴体とすげ替えてしまえば「幼児型ラブドール」の出来上がりだ。
また、知り合いに性的用途に用いることのできる1/3ドール(50cm前後のドール)を持っている人がいる。このドールは胴体部分にオナホを装着できる仕様になっているものだ。(1/3ドールを性的な目で見ることを忌避する人は多く、これは標準的なものではない。念の為に付記しておく)。
この1/3ドールは身長約50cmと新生児並みのサイズであり、身長でいえば幼児どころの騒ぎではないだろう。けれども胸部のパーツを変えることでバストサイズを成人女性のようなバランスにすることができる。「幼児の身長をした成人女性の体型のラブドール」だ。元々ラブドールとして制作されたものでも、扱いやすさから成人女性を100cmほどに縮めた人形だってある。前述の規制を作るとしたら、これはどのように解釈したら良いのだろうか。
また恐ろしいことに、ほとんどのドールの頭と胴体はすげ替え可能なのだ。もともと性的用途を考えられていないドールの頭を、この性的機能を持ったドールの胴体に装着すれば、どんなドールでもたちどころにラブドールになる。
だとしたら、性的用途でないドール、高身長かつ成人体格のドールでも「幼児型ラブドール」になる可能性を秘めているのではないか?
これが、私の恐れている規制の形だ。
私は、パートナーである人形と一緒にいたい。だからもしも幼児型ラブドールの規制がなされ「身長●cm未満の人形の所持を禁止」などとされれば、泣く泣く彼女の頭をすげ替えて規制対象外の高身長の人形にするだろう。頭(顔)の部分に私は彼女の本質を感じているし、そこが変わらなければどんなに体型が変わったとしても「彼女」であり続ける気がするからだ。
けれども、おそらくそれは許されない。なにせドールの頭はすげ替え可能なのだ。どんなドールでも「幼児型ラブドール」に変わる可能性がある以上、現行の頭と胴体が脱着可能な人形は全て規制せざるを得なくなるだろう。それは、絶対に許すことのできない事態だ。
また、ラブドールは基本的に重量がある。シリコン製のものであれば20〜40kgほどが基本で、大柄な人形だと50kg近いものもある。
「本物の人間より軽いではないか」と思う方もいるかもしれないが、本物の人間を抱き上げたときには、抱かれた人間が意識的に動作を助けるよう力を分散させたり動かしやすいよう関節を曲げたりする為、実際にかかる力は体重よりも軽くなる。しかしドールにはそれがない上、米俵のように担ぎやすい形もしていない。凹凸だらけの重い物体を動かすには、想像以上の力が必要なものだ。40kg台ドールのオーナーの中には家の天井にウインチを設置している人もいるという。
私が身長130cm台のドールを選んだ理由もここにある。小さければ軽く、移動させることも容易だ。
ただ前述のように100cmほどの小型サイズで成人女性の体型をしているラブドールもいる。小児性愛者でないのなら、持ち運びが容易というだけならそちらを選べば良いのではないか?と疑問に思う方もいるかもしれない。
けれども、私は人形性愛者なのだ。人形は人間に近く作られているほど精巧だ。限りなく人間に近く作られていればこそ、人間にはない造形美が際立つのである。だからこそ、「実物の人間に近い」と「取り回しができる」の折衷として、130cmのドールを迎えることにした。
130cmのドールを選んだということはそのような外見に性的興奮を覚えるのではないか、ならお前は小児性愛者なのだろうと言う方もいるかもしれないし、そこについては本題から逸れる為強く否定の弁を述べることはしない。
けれども、知っておいてほしい。幼児型ラブドールを迎える人間の中にも様々な人種がいることを。
純粋に幼児の外見が好きなもの、自分の持ち運びできるサイズを考えた者。そして私のように「等身大」と「持ち運び」双方を考えた者。
持病のために重いものを持ち運べず人間のパートナーもいない為ラブドールのお世話になろうという人間がいたときに、自分が持ち運びできるサイズの人形を選んだことで「小児性愛者」と罵られたとしたら。それは本当に正しい矛先なのだろうか。
つまり、「幼児型ラブドール」という曖昧なものを批判するときに、それを愛好する人々を全て「小児性愛者」と一括りにして批判することに傲慢さを感じるのだ。
②人形への愛のなさ
この署名活動およびそれに賛成する方の意見を見ていると、そこにひとつの無意識がみられる。「ラブドールは実在の人間に向くはずだった性欲をぶつける代替物である」ということを無邪気に信じていることである。だから彼らは幼児型ラブドールを持つものはいずれ実在の児童を害すると考えている。
私にとって人形は「人間の代わり」ではなくそれ自身が一個の客体である。私は彼女と暮らす中で彼女の意思を無言の中に感じ取り、それを叶えることでささやかな幸せを得ている。それはエゴでしかないかもしれないが、私は彼女といることで確かな幸福を感じているのだ。大切に扱った器物には魂が宿ると古来から日本では言われているが、私はたしかに彼女の中に魂を見出している。それは決して代替可能なものではないはずだ。「魂」が突飛であれば「愛着」と言えばわかってもらえるかもしれない。
彼女のいない生活など想像したくもないし、また彼女がいなくなった後に人間の、成人女性を愛せと言われたところで、それは彼女ではないのだ。
ここに、全ての人間の性的嗜好の対象は人間であるという傲慢さを感じてしまう。
また、この署名への賛成派も反対派も、この「愛着」について全く無頓着であるところに、前述のむず痒さの本質がある。実際のラブドール愛好家を置き去りにして議論が進んでいる感が拭えないのだ。感情が法律を左右することなどあってはならないが、それにしたって「賛成」と「反対」の二元論になりすぎていやしないか。
以上が、私が幼児型ラブドールの規制に対して感じた違和感についてである。
もっと述べたいこともあるが、話がまとまらず蛇足になってしまうことも多いので割愛させていただく。
大前提であるが、私は現実の児童への虐待は絶対にあってはならないことだと考えている。
私自身はラブドールの彼女とひっそり暮らし一緒に朽ちていくつもりである。しかし甥っ子や姪っ子たちが性的被害にあったら絶対に犯人を許さないし、場合によっては刑務所に入る覚悟で制裁を加えるつもりだ。
人形と人間は別である、という冒頭で出た意見に集約されてしまうのだろうが、人形を人間とは全く別のものとして愛している人間だっているということを知って欲しかったのだ。
そして最後に、こちらの署名では小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングやセラピーへの取り組みを求めるということだが、これについては小児性愛に悩んでおり、ラブドールでも発散することができないという当事者のためにも行うべきだと思う。
また、この文章を読んで人形性愛者という存在を知った方は、是非人形性愛者に対するカウンセリングやセラピーを行ってくれるような施設を紹介してほしい。
人形と生活している人形性愛者にとって、この署名を知ったことは本当に苦しみを覚えたのだから。
【5月27日再付記】
30も半ばになり振り返ってみると、ずっとそうやって生きてきた人生だった。
始まりは母だった。そう言うと厳しい家庭だったのかと思われるかもしれないが、逆だ。癇癪持ちというわけでも気が強いわけでもなく、むしろ半端にお嬢様育ちの母は気が弱かったように思う。夫婦喧嘩が起こるたびに私は母についた。そうしなくては母がもたないように思えたのだ。そして、母が壊れてしまうことは私にはとても恐ろしいことに感じた。そんなことが続くたび、私は常日頃から無意識に母の機嫌を取るようになっていた。
両親が離婚したころ、私は思春期だったが特にショックは受けなかった。これで母の精神に安寧が訪れると安心したほどだった。しかしそれからも私は女性の機嫌を取り続けることになった。
同級生から好意を寄せられれば、こちらも気があるようなないような、相手が気落ちしたりしないように振舞った。恋人ができれば、相手の理想の私を演じてみたりした。それらは私にとってとても自動的な行動だった。自分でそうしたいと思っているとか、相手の好意を得たいがためにそうしているとか、そういった感情からくる行動ではない。ただ目の前の女が気落ちすることに耐えられず、私にはそうならないように振舞うほか選択肢がなかったのだ。女が気落ちすることは、私にとって人生最大の恐怖であった。結局最後には私が限界を迎えてすべてを投げ出し、より一層彼女たちを傷つけるとしてもだ。
そんなことをしているうちに、私は現実の女が怖くなり二次元の世界に引きこもるようになった。社会的な活動をやめたわけではなかったが、学生時代のほとんどを引きこもってゲームに費やした。
しかし結局は一緒だった。ゲームの中で仲の良くなった女性とゲーム内で結婚(システム上の優遇があった)したところ、ゲームの中でも現実と同じことをすることになった。彼女がスネれば機嫌を取り、ほかの仲間たちとの間を取り持ち、呼ばれればすぐにゲームにログインした。どんどんエスカレートする彼女の要求は、私のストレスが限界を迎えるまで続いた。
そうこうしているうちに私は社会人となり、学生時代の穴を埋めるようにて女遊びを覚えた。半引きこもりのくらい人生を送ってきたとは言え、女の機嫌を取って生きてきた人生だから、女を口説くことは難しくなかった。考慮すべきは2点、私の容姿に対してマイナス感情を抱いていない女の連絡先を得ること、その女と寝るときに行う最後の一押しをどうするかだけだ。その間にある色々なことについてあれこれ考える必要はない。私は自動的に機嫌をとり続けているのだから。
その後私は引き際を誤り一人の女性と結婚したが、家の中でずっと女の機嫌を取り続けることに大変な苦痛が伴うことは言うまでもない。疲れ果てた私は、結局女に頼った。女は私が機嫌をとり続けている限り私に優しいのだ。もちろんそれも長く続くものではない。ひと時の癒しを得ても、私が彼女たちの要望に応えれば応えるほど彼女たちの要求はエスカレートし、私は限界を迎える。
結果、私には何も残らない。私がしてきたのは女を傷つけることだけだ。私は女たちが傷つくことを恐れるがあまり、彼女たちを深く傷つけ、彼女たちは私から去っていく。全部最初から決まっているのだ。女がいる。私は彼女たちの機嫌を取る。彼女たちの要求は増大する。私は限界を迎える。彼女たちは傷つく。私は一人になる。くそったれだ。全部俺のせいだ。
現在COVID-19対策でリモートワークが多くの会社で試されており、今後リモートワークが普及した場合に住宅事情がどのようになるのかを考えてみたい。
・立地について
通勤が減るので駅近至上主義は少し和らぎ、生活面での利便性が重要となる。しかしリモートワークが普及してもしばらくは出勤と在宅を織り交ぜるような運用となる可能性もあり、会社から離れすぎても困る。このことから都心から少し離れているが、駅周辺は商業化が進んでいるような駅の徒歩〜自転車圏(徒歩25分くらいまで?)が選ばれやすくなる。関東だと船橋大宮浦和とか、関西だと北摂阪神といったところ。今でもそこそこ人気のエリアではあるが、23区や大阪市内じゃなくてもいいやという人は更に増えそう。駅まで行けば大体のものは揃うし、日々の買い物なら近所のスーパー等で事足りる。リモートだからって生活のことを無視してド田舎に行ける人はそうそういないだろう。
・間取りについて
一人暮らしなら机と椅子を置くスペースが取れればあまり気にすることはないが、家族がいれば書斎がほしい。書斎は無いにしても寝室に机と椅子に置ければなんとかなるかな。リビングなど共有スペースで仕事をするのはなんとしても避けたい。そうなると家族構成にもよるが80m2以上は確保したくなる。駅近60m2台のマンションではキツい。接触を減らすためにリモートワークをしている現状だと本末転倒と批判された貸スペースもコロナ後ならなかなかの需要がありそうだ。
リモートワークでは通信環境はかなり重要だ。賃貸の無料インターネットのカスさに改めて気付かされた。無料でなくともマンションでは在宅勤務が増えれば速度低下の可能性が高い。ゆくゆくは5Gやそれ以降の無線通信でリモートワークできるようになるかもしれないが、今のような従量課金に近い料金体系だと恐ろしいことになりそう。できれば戸建てで光回線引いておきたい。
・家の快適性
家で仕事をするようになるなら快適性の優先度も上がる。特に寒さ暑さはできるだけ緩和しておきたいし、こたつで仕事をしようもんなら腰が逝く。エアコンフル稼働させるにしても電気代が結構変わるはずだ。となると立地と築浅どちらを取るかとなったときに築浅に流れる割合が増えそうである。今まで持ち家ではそこそこアピールされていた断熱性気密性が賃貸でもアピールポイントとして持ち上がるかもしれない。賃貸でもアルミサッシが廃れていくならいいことだ。
・持ち家か賃貸か
COVID-19を経験して借金リスクを避けようという考えで賃貸派が増えるかもしれないし、リモートワークが普及すればどこに住んでも働けるからトータルの住居費が安くなる持ち家派が増えるかもしれない。今は前者が圧倒的に多いだろうね。
ここまでなんとなくの考えを垂れ流したが、私自身は去年に住宅購入を考え始め、こんな状況になる前に方針をほぼ決めてしまった。幸い上記の条件はそこそこ満たせてるので一安心といったところ。書斎は無いがしかたない。
恐ろしいことに、ここからは、もしかすると俺もそうかもしんねえな?という可能性が導かれてきて結構かなりゾッとする。
たまに、ヘビー級のボクサーに軽く小突かれたぐらいのパンチの持ち主がいて、目から星を出しながら「マジか…」と思うが、それでも自分では気づかないんだろう。
においってやつは鼻から入った粒子がレセプターと結びついて知覚されていると聞いたことがあるが(真偽は知らない)、口臭の持ち主の受容体は自身の匂いの元で満員御礼なんだろうか。それとも他の匂いをキャッチする余裕は残ってるんだろうか?
とか思いながら、とりあえず一生懸命歯とか舌とか磨いている…。
社会のインフラとして、金融機関は緊急事態宣言下であっても営業を続けている。
私は某銀行の都心の店舗に勤めているので、内心怖いなとは思っているが、山手線に乗って都心へ出勤すること自体は受け入れている。
銀行員として、それは当然のことだ。今だからこそ、コロナで苦しむ法人や個人事業主や個人に、銀行としてできることは沢山あると思う。
だからコロナの影響で緊急融資や住宅ローンの返済猶予の相談に来る顧客については親身になって対応している。
でもさー、不要不急な手続きで窓口に来る客については、本当に腹が立つんだよね
定期預金の預け入れ、法人口座の新規開設、休眠口座の解約、通帳記帳、
ニュース見ろよ!出歩くなって言ってんじゃん!!人に会うなって言ってるじゃん!!
「あらー、そんな心配してくれなくても、気を付けてるから大丈夫。銀行には散歩がてら来てるだけ」
とか言ってる暇すぎて特に用事もないくせに通帳記帳するためだけに毎日銀行にやって来るバカ(大体70~80代の爺さん婆さん。恐ろしいことに一人ではない)、
ホイホイ出歩いているお前らがコロナに感染しようがそんなことはどうでもいいんだよ!
お前のせいで、こっちが感染するかもしれないから嫌なんだよ!!
お前が触った書類に触りたくないし、お前と近くで喋りたくないんだよ
不要不急なのに銀行窓口に来ちゃうお前みたいな危機感の薄いバカって、どうせコロナ対策もしっかりできてないでしょ?
手洗いうがいとかもちゃんとできてないんでしょ?
お前のせいで、なんで私が、ひいては私の大事な家族が感染リスクを負わなきゃならないんだ
軽蔑する。
もし万が一、この記事を読んで緊急事態宣言下であっても銀行窓口に来る妥当性のある客がヘンに遠慮したり尻込みしたりする場合があったらマズいと感じたので追記する。
法人個人問わず、融資を受けることを検討している方、借入中の返済計画の見直しをしたい方
資金繰りのために休眠口座や普段使っていない口座に眠っている資金さえもかき集めたい方
期限が迫っている決済をしたい方 など
ご来店ください。
GW中の祝日も、休日返上でコロナ関連の緊急融資相談を受け付けする金融機関は多いです。ぜひ活用してください。
余談だが、いまはコロナ対策の交代勤務で窓口人員が足りないためローカウンターを手伝ったりロビーで入店制限係をやったりしているが、もともと私は融資畑の人間である。
窓口業務と並行して融資チームの業務をやっていると、次々と緊急融資相談やら住宅ローンのリスケやら年金担保融資の相談が入ってくるのが実感としてよくわかる。
やはり、今は平時ではない。
平時ではないので、「窓口じゃなくても出来る手続き、不要不急な手続き」をしたい人は
①インターネットバンキング(アプリ含む)
③郵送
④ATM(銀行店舗内ATMだけでなく、空いているのでぜひコンビニATM等も活用してほしい)
⑤税公金自動支払機
のどれかで何とか頑張ってやってみてくれ。
事業主がATMに通帳記帳に来るのは、まったくかまわない。通帳記帳をするためだけに窓口に来るのは止めてくれ、という趣旨だった(信じがたいことに、そういう手間のかかる常連客が結構いる。頼むからATMで記帳するくらい自分でやってよ、と思う)。
一昔前に比べると各金融機関のネットで出来る手続きは飛躍的に拡大してる。
銀行員あるあるなのだが、仕事をするため毎日銀行に通っている銀行員の多くは、実はプライベートで客として銀行の窓口に行くことはあまりない。行かなくてもネット等で大半の手続きが済むからだ。
法人向けのインターネットバンキングサービス水準がまだまだだ、という意見ならば、少なくとも弊行の場合は甘んじて受けるしかない(他行は知らん)。
けれど個人客ならば、はなから「ネットじゃ出来る訳ない」と決めつけずにもう一度銀行のHPを見てみてほしい。三菱UFJはネットでキャッシュカードの暗証番号の変更ができるし、みずほはネットで喪失通帳の発見の届け出も出来る。
ネットやATMで済むことをしに、わざわざ対人窓口まで来て、顧客も行員もお互いに感染リスクを高めあう必要はないと思う。
念のため、主要行のインターネットバンキングからできる手続きの一覧を貼っておく。
https://www.jp-bank.japanpost.jp/information/corona_ibservice.html
https://www.smbc.co.jp/kojin/direct/service/
https://direct.bk.mufg.jp/btm/ser_naiyo/index.html?link_id=direct_top_service_2
https://www.mizuhobank.co.jp/retail/products/direct/about/service/index.html
最後に、ブコメ等で労ってくれた皆さん、ありがとうございました。
口汚くて申し訳なかった。
エレベータのメンテの人が今日たまたまメンテでいらっしゃったので訊いたんです。
エレベータって夜中に勝手に動くことあるんですか?と。そしたら遠隔で診断やメンテナンス出来るように夜の1~3時に動かすことはあります、だそう。
時間も言ってる時間とあってるし、あながちこないだ深夜勝手にエレベータが動いて違うフロアに移動してたこともあり得るってことで、ちょっと安心しました。
でも夜中に自分のいるフロアにチーンってエレベーターがきたら恐ろしいですよね。
今日も何個か増田を書きましたが、恐ろしいことにまたブクマやトラバはつきませんでした。