はてなキーワード: 弱虫とは
2人の子供を育てていると、なるほど人間は二種類に分かれるなと思うことがある。もし3人の子供を育てていたら人間は三種類に分かれるなと思うのだろうか、少し気になるが確かめるには残念ながら我が家は貧乏すぎる。
下の子は借りてきた言葉を喋るタイプだ。最近はYouTubeとパワーパフガールズから借りてきてるので口が悪い。でもあまり魂が乗ってないのであまり言われても傷つかない。「やーい、弱虫!」「このへなちょこメガネ!」「お前は私の召使よ!」「クソ雑魚おちんちん!」正直笑ってしまいそうになるが、必死に堪えて注意している。自分のあらかじめ用意されたボキャブラリーから言葉を出しているので会話のラリーのテンポは良く、話していてラクではある。
上の子は自分の気持ちに当てはまる言葉を探して話している感じがする。なのでテンポはあまり良くなく「うーん、、えっとぉ!」が多い。が面白い表現を小さな頃からする。片手で抱っこされるのが嫌な時「2つのお手手でだっこして!」と叫んでいたし、なかなか眠りにつけないときは「うまく目つぶれない!!」パパに自分で食べろと言われて「パパが自分で食べさせて!」
最近でもママのこと好き?と聞くと「うん、でもママって足とか、、あの、、なんか、トゲトゲやん」と話したり。(無駄毛処理をサボっていた)
※利用規約を読み、検索し、恐らく大丈夫であろう範囲で書きます。が、テーマはタイトル通りなのでよろしくお願い致します※
※深夜の勢いを借りて書くので突然消えるかも知れない※
食欲、睡眠欲、性欲。
私は三大欲求全てに従順だ。食べるのも、寝るのも、そしてオナニーも大好きだ。
セックスが好き、と言えないのは悲しいが。今はそれは大した問題ではない。
私は性欲と長い間付き合っておきながら、性欲との向き合い方に自信が無い。
それは悩んでいる、と言うほどのものではないが、水垢みたいにずっとこびり付いて離れない。
オナニーがしたくなる周期から刺激の与え方まで、実用的なところではそこまで悩んだことはない。有難いことに思春期の頃からネットはあったのでオカズにも妄想にも事欠かなかった。
それでも食欲や睡眠欲ほどのはっきりとした輪郭はなく、正解など誰も教えてはくれなかった。
それどころか、私は今まで自分の性欲について話したことがあるのはたった一人。初めて付き合った恋人だけだった。
しかし彼女も性欲はあまりない人間だった、ように思えた。私が求めれば返してはくれたが、それよりも触れるだけの手を求められていた気がする。
だから自分の性欲について、そこまで深いことは言わなかった気がする。
ここまで見れば思春期真っ盛りの若者に見えるが、実際書いているのはアラサーなのだから本当に性欲というものに関して未熟だと痛感している。
本当にそうなのか分からない、周りにあるだろう『普通』と比べて焦り落ち込むことがないだけマシなような気がする。
そう、もう自分が普通かどうかは関係ない。というか、性欲なんで人によって形はバラバラなんだから他人と比べる方が間違っている。
しかし未だに暇な時には下半身は何度でも刺激を求めてくる。しかももっと、もっとと強い刺激を欲してくる。
今までは欲したことのなかったアダルトグッズの通販ページを見に行くようになった。まだ購入はしていないが、欲しいという気持ちは日に日に膨れていく。
このまま求めるままに与えていいものなのだろうか。道具での刺激に慣れると、普通のセックスでは満足できないとも聞く。
恋人の出来る予定は暫くないが、いざ出来たときそれでは困る、とは思う。
じゃあ我慢するべきなのだろうか。でも寝るのを我慢し続けることが出来ないように、性欲だってある程度は我慢できるものの無視する事は出来ない。
正直に言うとセフレが欲しい。気の向くままにセックス出来る友達が欲しい。ただ酷く面食いなのでかわいい女の子がいい。
そんな都合のいい人はいないし、居たとしても性欲のことを口に出せない私には、セフレはできない。だから一人でいい。
私が知らないだけで、実は皆そうなのではないかな、と淡い期待を抱いてこの文字を書いている。
人間みんな気持ちのいいことは大好きで、でも性欲なんて知りませんという顔で歩いているだけなのかもしれない。
ここまで書いておきながら、正直全部わかってる。
私が匿名でしか聞けない弱虫なのがいけないのだと。わかってはいる。わかっていても勇気が出ない。
他人と比べるのは間違っていても、どうしても自分だけで埋められないピースは、誰かに助けてもらうしかない。
世界が少しでも埋まったらいいな。
コメント、ブクマコメ共に沢山の意見をありがとうございます。正直に言うと、(性に関しての偏見だとは思いますが、)真面目な意見をこんなに頂けるとは思いませんでした。本当に人に言えなかったことなので、どれも参考になりました。
ハッピー浮かれポンチが書いた記事あんま見かけないから書いちゃお。
小説、絵、歌、詩。とにかく自分が生み出す創作物がメチャクチャに好きだ。自分が読みたくて見たくて聴きたいから頑張って形にしてる。いつもそうだ。
なんなら自分のブログの文章とかも好き。好きなことについて長々と書かれているから忘れた頃に読むと「分かり!!!」って興奮するし、当たり前だけどツボが一緒だから読んでて楽しい。
デザインセンスも好きだし言葉選びも好きだし、絵も、下手だな〜って思うけどやっぱり好きなんだよね。描いた人物の表情とか服装とか手とかに萌え転げてしまう。
余談だけどこの前作った本はタイトルが良すぎた…本棚に並んだその本の背表紙を見るたび「タイトル…かっこよ…」と痺れている。
とにかく「自分の作るものに自信がない」って思ったことが一度もない。本当に生まれてこのかた、一度もないんだ。
自分自身が誰よりも熱烈なファンなので、作品が出来上がった後の反芻タイムもウルトラ長い。最高〜って思いながら見返す。何百回も。
作ってる時も楽しいし出来上がった後も幸せなことが確定しているから、死ぬまで創作やめられないだろうなと思う。
なんて素敵な文章書くんだ…とか、この表情が見たかったのよ…とか、才能がすごい…みたいなことを結構本気で毎回思っている。
自費で本を作ったりすると金銭が絡むので、在庫抱えたくないとか一冊でも多く売れてくれ…とかは思っちゃうけど、webに公開したものはそういう心配いらないから楽。
誰かからの評価があればもちろん嬉しいんだけど、だけどそれがなくても成就しちゃってるんだ。私と私の創作物が既にハチャメチャに両思いだから。
誰も読んでなくても、感想が一つも来なくてもあんまり気にならない。ちぇ〜くらいは思うけど、もう創作やめよう…には絶対に絶対に繋がらない。だって自分が誰よりも新作を楽しみに待っててくれてることを知っている。
メチャクチャ気合入れて書いたけど全然読まれてないお話とかもあって、ちょっと寂しい気持ちはあるんだけど、それが自信喪失になったことはない。
もう絶対的に自分の作ったものが好きだから、この気持ちだけで立ててしまうんだよな、いつでも自分の足で。
ブクマもリツイートもお手紙も感想DMも超嬉しい。ありがとう大切にしますって心から思う。だけどそれに寄りかかって創作することはこれから先も絶対にないから、そこんとこマジで安心だなって自分に感じてる。安泰。
「読者がいるから」「感想の為に」「誰々に知ってほしいから」の類が動機っていう意見を見ると、苦しくないだろうか、期待を裏切られた時メチャクチャしんどいのでは、と勝手な不安がしゃしゃる。行動の動機が他者なの、ダメだった時怖いよな。
でも行動の動機が他者だとしても歪まずにやり続けられる人だってきっといる。そんなあなたはメチャクチャすごいしかっこいい。どんな理由だろうと貫いてる人はかっこいいんだ。読者のため感想のためバズるため、なんでもいいよ、作品を完成させたあなたはメチャクチャに優勝だ。
私はきっとダメなんだろう。弱くなる。キモくなる。貫けないんだろうな。だから動機を他者にすることはしない。
創作以外の自分のことは全然好きじゃないし自信もないしクソ弱虫ゴミ屑最悪って思ってるけど、まあその分のマイナスがこっちでプラスになってるんだろうなって思えば、しゃーないこれが自分だって前向きになれる。
首吊り自殺、というワードを見て思い出したことがある。
私は数年前首吊り自殺を真剣に検討していた時期があった。
そしてとある掲示板にたどり着いた。
そのスレッドは首吊り自殺の方法を模索する内容のものだった。
それによると、どうやら、首吊りには大きく分けて2種類あるようだった。
首吊り、といわれて一般的に思いつくのが「定型」であり、望めば足が地に着く状態で、血流を絞めることでオチるものを「非定型」と呼ぶらしい。後者は失敗する確率も高いとのことだった。
スレを辿っていくと、時折「非定型」を試そうとするものを揶揄するレスが見られた。
非定型するやつは構ってちゃん
本当に死のうとしてない
死ぬ勇気がないやつらだ
覚悟が足りないから定型で吊らないのだ
弱虫だ、甘えだ
なんというか。自殺を望むようなスレッドでさえ、こんなマウントめいたレスがあるのか。死ぬ方法に対してさえマウントが存在するのか。なんだかくらくらした。
結局、私は死ななかった。その後、自殺を考えていた原因が唐突に解決し、私はロープを捨てた。
今思えば、ある意味あのマウントは的を得ていたのかもしれない。でも私にはもう関係のないことだ。
いつまでも記憶に負けていられない、今はそんなこと起こっていないじゃないかと奮い立たせ、自分を必死で元気づけることを続けてからしばらくは全く起こらなくなっていたから、すっかり油断していた。
もう10年以上も経っているというのに、どうして忘れられないんだろう。
ブスだと笑われ続けたこと。
教室に入るたび臭いと騒がれ、顔を顰められ、遠巻きに笑われ続けたこと。
優しい顔をして慰めてくれていたと思っていた人が、影では私のことを『臭いデブス』と笑い、馬鹿にしていたこと。
忘れた方が絶対に、確実に幸せに生きられるのに、どうして忘れられないんだろう。
『もう何年も経つのに未だに立ち直れないなんて、なんて弱虫なんだ、情けない』と泣いた親の顔が、忘れられない。
苦しみなんていらないくせに、『お前の苦しみなんて大したことない』と言われると悲しくなる。
本当にその通りだとしたら、どうして私はいつも死にたいと思っているんだろう。
どうして部屋で首を吊るための方法を淡々と考えてしまうんだろう。
どんな人でも、理不尽な扱いや嫌がらせを受けたり、人間関係や金銭など諸々のトラブルに巻き込まれたりして「こいつ嫌い!死ねばいいのに!」という感情になることはあると思います。
私は高校の頃「嫌い、死んでほしいくらい嫌い」と思っていた同級生がいました。
その方が去年、自殺したということを知ったので自分用の記録として書きます。
亡くなった人をAさんとします。
違うポジションでクラスも違っていたので1年生の頃は特に関りもなく、休憩時間や移動時に隣になれば世間話をする程度の関係でした。
Aさんともう一人(Bさん)が率いるグループ(X)が部の雰囲気を悪くしているということで、部全体を巻き込むトラブルになりました。なぜXグループが部の雰囲気を悪くしていたのか、その原因はほぼ忘れてしまいましたが、「課題を提出出来ずに居残りになるのがなぜ悪いのか」と開き直って、真面目にやっている人が割を食うみたいなそんな感じだった気がします。
一応県ではトップの強豪校で目指せ全国!って感じの部だったので、居残りや遅刻にはものすごく厳しく連帯責任があるほどでした。とにかく顧問の権力が絶大で、口ごたえすればめちゃくちゃに怒鳴られますし、私含め皆洗脳されていたと思います。
その事件については部全体での話し合いで一応解決しました。その後、トラブルは度重なり、Xグループと他グループが対立したり、それきっかけでBさんが退部したりと色々ありました。2年になると私は部長候補、Aさんは副部長候補となり、表面上は事務的に普通に接しているけど、お互いあまり良く思っておらずなるべく関わり合いになりたくないという感じでした。
Bさんの抜けたXグループはその後もイケイケ路線を貫き、全体としてはまとまっているものの各々では不穏な雰囲気が漂っていました。3年生が引退して代替わりすると、私は部の雰囲気に嫌気がさして部長になることを辞退し、XグループにいたCさんが部長、私とAが副部長になりました。
その後は割と平和でしたが、CさんとAさんが裏で結託している様子、私がXグループで叩かれている様子は分かりましたし、常に2対1になってしまいます。私だけならまだしも、その他の真面目に勉強や練習している人を馬鹿にしたりするのは本当に呆れましたし悔しかったです。その他も最終下校時刻を守らない、放課後マックで騒ぐなど小さいトラブルもありました。しかし「決定的なトラブルやいじめ」というものはなく、常に冷戦が続いていたと思います。
結局3年生になった私たちの代は成績も残せずさっさと引退しました。さらに言うと、Cがトラブルを起こし、途中で私が部長をやる羽目になりました。これがものすごく屈辱的でした。今更部内改革を起こす気にもなれず、そもそも3年生になってからは部や競技そのものに情熱を持てなくなっていてさっさと負けて引退したいという気持ちでいっぱいでした。
また3年生ではAとBと私が同じクラスだったのでその二人がウェイウェイしてるのを常に目にする状況でした。これが一番きつかったです。
Bさんに対してはいい印象が全くなく、しかし今思えば「嫌いになるような痛烈な事件」というものもありませんでした。ちいさなイライラが少しずつ積み重なって心から「嫌い、本当死んでほしい」と思うようになりました。
卒業するころになると、Xグループはほぼ全員受験失敗(Aは志望を下げて合格)、私は皮肉なことに部活の成績(あとは普通に評定も良かった)で推薦で大学に受かりました。
やっぱり最後は努力したものが勝つのだなぁとちょっと見返した気持ちになって大学進学をしました。
そのあとはOBとしてたまに手伝いの要請が来るくらいで、私は進学先が遠方だったこともあり会うことはほとんどありませんでした。
大学進学後に困ったことがありました。AとXグループに陰口をたたかれたり嫌がらせを受ける夢を何度も見るのです。3年の時は部活を辞めたくて辞めたくて仕方なかったため、自分は春に退部したという設定で「途中で投げ出した弱虫」みたいに陰口を言われてました。
これは社会人になっても続いていて、自分の中で相当トラウマになっていたのだと思います。
そして25歳のある日、SNSの「知り合いかも?」にBが出てきました。なんとなしに眺めていると、「Aが死んだなんていまだに信じられない」という投稿がありました。投稿を遡ると去年亡くなったようでした。親切なことに死因が自殺であることと、精神を病んでいたらしいことが書かれていました。実家に電話してOB会の名簿を確認すると、Aの名前がなくなっているようなので本当らしかったです。
Aが死んだ。その事実に対して割と何とも思わなかったのが正直な感想でした。
名前しか知らない同級生が引っ越したくらいのどうでもいいような内容に感じられました。
そのあと「あぁ私はきっと過去のAの記憶から解放されるのだな」と安堵しました。
悲しい、という気分にはほとんどならなかったです。
BがAの死について苦しんでいる様子がSNSを通じて伝わってきたので、正直そこは「ざまぁ」と仄暗い喜びを感じました。
しかし、Aは私の苦しみを知らずさっさと人生リタイヤしてしまったのだな、と思うと「ずるい」と正直思います。でもAはAなりに色々あったようなので、そこは少し気の毒だなとは思います。
高校卒業してAは自分の中で完全に過去の人になっていて、大学の研究なり仕事なり「今の世界には必要ない人」になっていたからこんな軽い感情の動きで済んだんだと思います。
それが大学卒業直後やトラブルの渦中だとしたら、また違うと思います。
しかし、今現在進行形で「死ねばいいと思っている人」がいる人に「時間がたてば、どうでもよくなるよ」なんてことは言えません。これはあくまで私の例で、その人の感情には全く当てはまらないからです。
しかしその「死ねばいい」という気持ちは否定しないでほしいです。それは自分が嫌なことを嫌ではないと否定することになると思うので。あんまり周りの人に吹聴するのはその人自身の立場が悪くなるのでおすすめはできませんが。
②映画デートに誘い、手を繋ぐ。車で来たのでドライブをし、告白、口はダメと言われたので頬にキスし体を触られる。告白を聞き、連絡用のガラケーとタブレットを受け取る。
③2日目にデートに誘われ、ついていく
批判するのはプリキュア大好き層とオタク女なわけだけど、まず①でついていくのがおかしいでしょ、15歳で物事判断できる年齢で何故一緒にデートに行こうと思ったのか、ついていったのか。
②でも手を繋がれた時点でそこで拒否できた可能性はあったわけでしょ。逆上する可能性とか言われても、それだとほぼすべての男の求愛行動が不可能になる。
③でデートについていくって、一日置いて考えなかったのか。同意とみなしてもしょうがないでしょ。
30歳の女と付き合ってる男子高校生とか腐るほど居るわけで、その逆もまた然りで、「社会人が未成年に手を出すのはありえない!」と言っときながら、これって過保護すぎじゃない?
男に振られたり、飽きた女が「あれは無理やりだから、好きじゃないけど適当に付き合ってただけ」ってよくある言い訳だよね。
「ひ弱で意志薄弱な女」なら、「そういう状況」になった時点で合意とみなされてもしょうがないと思う。
逆にしなかったら、「あの男は弱虫」だとか「私には魅力が無いってみなされた」とか陰口叩かれるわけでしょ。
自分は未成年だから意思決定能力もなく、判断力もないって言っているのがダサい。未成年の時に出会った人も作品も友人も全て意志薄弱による成り行きの結果って言ってるようなもんで、
そんな奴のいう事真に受けるのがおかしいと思う。
一方はランキング圏外で人数はあまりいないが、昔からの濃いメンツと少数の新人がいるゲーム。Aとしよう。
他方は、ランキング上位で日本はもとより世界でもだいぶユーザー数の多いゲーム。古参から新人まで多彩。Bとしよう。
AとBは親戚だけど成り立ちや考え方が違いすぎて同じゲームとは言い難い。だけど共通点も多い。ある点で世界観を共有している。
問題はBのコミュだ。Bは低年齢層から高齢者までいて、なぜか高齢者の活動が多い。
若い人ばかりだと場が荒れやすくなるので、比較的年齢層が上の人が多いコミュに入っていたのだが、リテラシーの低さがやばい。自分たちの楽しんでいるゲームを平気で潰すような行為をしておきながら、それを一切鑑みない。別の人がそれについて半ば語尾を強めて指摘したときは、全員がその人を精神病患者だと罵った。自分たちが規約違反を犯しているのに、批判されるべきは自分たちなのに。
それ以外にもB全体の素行は悪い。たぶんだけど、良識人はとっくにBを辞めているかコミュに入っていないのだろう。
Aでも似たような違反者はいるのだが、Aだとまずそのような人への擁護はない。Aが潔癖かというと微妙だけど、Bと比べると明らかに識字率もIQも上だ。
Aコミュには問題がないかというとそうではないのだけど、少なくとも日本語は通じる。Bは無理。AとBを行き来して、なぜ似たゲームなのにここまでプレイヤーの質が違うのか、本気でわからない。自分たちの正当性なんて一切ないのに、どうして人をあそこまで陥れることができるんだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20190925195456
https://anond.hatelabo.jp/20190925213539
だが俺は1%に満たない生存ルートに乗り、夜店で売られることになった。
エサは十分だし、走り回ったりほじくったりできる庭もある。
ある台風の日、おれは空を飛んだ。アイ、キャン、フライ。飛ばされたんじゃない、飛んだんだ。
見知らぬ場所で、養鶏場らしきものを見つけた。仲間、それもメスばっかりだからハーレムか?
しかし弱虫のチキンばっかりで、自由になれると言っても今の安穏な生活がいいらしい。
それでも1羽だけ、いっしょに行くという相手があらわれた。
やった、これでもうひとりぼっちじゃない。俺達は二羽のニワトリだ。
おわり
息切れというか飽きるというか。
思えば昔からそうだった。
中学の時の成績表で5が並んだ時、まだ相手が見えた。いかにそいつより努力せずに維持するか。そんなことを考えてしまった。
全国模試みたいなので二桁順位取った時にすうっとやる気が消えた。自分より上のやつも並んでるやつも、ちょっと下から上がって来ようとするやつが見えない。
まだ努力の余地はあったけれど、それが報われるとは限らない。報われたところで何を得られるのかわからない。
受験勉強をせずになぜか漫画を描き始めた。有名な漫画誌の新人賞で下の方の賞を得た。
やる気になるどころか、冷めてしまった。なんとなくこのまま頑張ればそこそこの漫画家になれると勝手に思っていたし、実際それには並々ならぬ苦労があるともわかってたと思う。
なにをやってもそう。スタートダッシュは効くし、その時は楽しいのだが、遠くにゴールや頂上が見えた時点でしぼんでしまう。
己の限界を知っている根っからの器用貧乏タイプなのか、あるいは己の限界を知ることや失敗を恐れる弱虫なのか。
野菜運動瞑想を欠かしたせいで、または生まれつきで、あるいはどうにもならない苦境のせいで、こうなってしまったわたしたちは「メンヘラに会ったら助けようだなんて思わず全力で逃げろ」と言われるのがお似合いの身分だ。そしてその言葉が正しいことを当人が一番良く分かってる。でもどうしようもなく他人を傷付け苦しめる疫病神だからといって、当人がそれを喜んでいるとは限らない。むしろその逆の場合であることさえある。そういった人間に残された希望は、死ぬことしかない。みんな薄々気付いているはずだ。すべての人にとって、それが望ましいことだということを。でも、現状では死ぬためには高いハードルを越えなければならない。ロープとぶらさがり健康機、包丁、高いビル、列車、自動車、バイク。いずれも強い恐怖と闘わなければならない。死に損なうかもしれない。誰かを巻き込んでしまうかもしれない。わたしたちはまるでリボルバーを一丁与えられて、トリガーを引けないことを嘲笑され罵倒されている弱虫だ。「あいつからは全力で逃げろ」と言われる苦しさを無視しないで。そう対応されること自体は仕方がない。この世には、すべてを許してくれる「ママ」も「神様」もいやしない。わたしはもういい歳をした大人だ。ただ一方的にリソースをつぎ込まれていい子どもではない。むしろ、リソースを差し出す側でなければならない。だから、この人生を安らかに終えることを選ばせてほしい。内からの苦しみと、外からの非難から逃げさせてほしい。いったい何が悪いんだ。Win-Winじゃないか。他者を傷つけて、自分も苦しんで、そんな人生を続けろという方が残酷だ。心身の症状に薬や理学療法が適用されるように、人格や性格、認知、振る舞いのどうしようもない問題についても、安らかな人生の終わりという「治療」が適用されてほしい。