はてなキーワード: ミニスカとは
女性の服装には頓着しない方だ。
友達でも、恋人でも、知り合いでも、他人でも、基本的には好きな格好すればいいと思っているし、
それぞれにかわいらしさってのは見出すことができる。
ちょっと嫌いとかじゃなくて、深い溜息がでるくらい、嫌いだ。憎んですらいる。
『かわいい』のか?あれは。
俺はファッションには疎いし、女性となればなおさらわからない。
だけど、最近流行っているらしいFFワンピースとかはものすごく『かわいい』と思うよ。
ぎゅっと絞るわけでも、ずんどうになるわけでもない曲線と、少し広がる裾の華やかな感じがすごくいい。
たぶんデートとかで着てこられたら最高に嬉しいと思う。
話を戻すと、ミニスカート+ホットパンツのスタイルの良さがまったく理解できない。
生地の組み合わせの統一感、外し方、色合い、丈の感じ、いろいろ選択肢はあるのかもしれないけど、
それぞれの良さが引き立つとか、わーっとした気分になるわけでもない。
言ってしまえば、ただまとまっているだけのような気がする。
それぞれ独立したものだから、まとめるのも大変だとも思うけど、
だったらまとめなくて良くないですか?という疑問がまずひとつ。
次に、この疑問を女性にぶつけると、たいてい次の2つの回答が得られる。
1)動きやすい
2)パンチラ防止
これは正直、理解できないことはないし、この2つの回答は合わせて1つ、といってもいいかもしれない。
でも、ここでさらに大きな疑問が出てくる。
女性は、『動きやすく』て『パンチラしない』メリットを享受するあまり、何かを失っているとは考えないのだろうか。
このスタイルの良さが理解できないと書いたが、理解できないものを嫌いだという根性は俺にはない。
じゃあなにが嫌いかってさ、
このスタイルの女性たちの、もれなく油断している感じがすごく嫌いだ。
このスタイルでエスカレーターを登る女性は、後ろを気にすることなく、ノシノシと上がっていく。
待ち合わせに急ぐのか、それともせっかちなのかわからんけど、大股でずんずん歩く。
居酒屋で合コンをしている男女の中、このスタイルの女性の膝は、こぶし2つ分ほど空いている。
女性に処女性なんて求めはしないが、恥じらいのない女性ほどつまらんものはない。
そんな女性に「えー恥ずかしいよ・・・」なんて見せ掛けだけの恥じらいを見せられても、困惑するだけだ。
このスタイルの女性とベッドに入るとき、ホットパンツを脱がせるのは大変だ。
「ちょっとごめんね」と言って、ボタンを外して、ジッパーを下ろして、
せえので腰を上げてもらって、やっと脱がしたと思ったら、今度はなんとも言い難いタイツを履いてるわけだ。
ホットパンツ単体について、同様のことを思うかというと、そうではなくて、
むしろ健康的で元気な人なんだろうなというポジティブな印象しかない。
そのときミニスカホトパンガールはなにやってるかと言うと、パラソルの下でぬるい恋バナしてたりする。
午前の仕事終わりでブラウスとタイトスカートで参戦したやつよりも働かないから手に負えない。
動きやすさとパンチラ回避を得られるかわりに、恥じらいと色気を失って、
そして男の女性に対する幻想まで打ち砕く。これが悪夢じゃなくてなんなんだよ。
どうせさ、おしゃれなショップ店員とかに、「これと組み合わせるとかわいいですよ」とか、
「今はいてるミニスカートにピッタリ」とか言われただけなんでしょ?
ほんとはかわいいとも思ってなくて、『あ、動きやすいですね』とか言って買っちゃったんでしょ?
もう無理して組み合わせなくていいよ。
パンチラしそうだなと思ったら君の後ろに立つし、
足が太い、短いと言ったら、それでも君はかわいいよと言うよ。
誰かのいいなりになって、色気と恥じらいを捨てないでくれ。
俺にいい夢見させてくれよ。頼むよ。
だってさー、足見てちんこ気持ちよくなるわけでもないし、お尻も胸元もそうだし。
見ることによって性的快感が得られる人もいるだろうけど、そんなのごく一部で大半の男はもんもんとするだけだと思うんだよね。
なんで性的快感に直接つながりもしないものにもんもんとさせられなきゃいけないんだろう。
なんつーか、もう見せると触るはセットにして提供してほしい。
女の自尊心を満たすためだけに苦しむ男の身にもなれって感じ。
「そういうカッコをするということは、第三者にじろじろ見られて、触ってもいいかという質問をされてOKだしたら触らせることを了解しているとみなす」という法律ができてほしい。
たとえば、
「すみません、きれいな足(お尻)ですね。ちょっと舐めてもいいですか? ちんこを擦りつけてもいいですか?」
とか
「すみません、魅力的な胸元ですね。ちょっと揉んでもいいですか? ちょっとちんこを挟んでみてもいいですか?」
暑くなって俺みたいな人間が増えるから、その中からタガが外れた人間が痴漢になって事件が増えるんだろうなー
まったく近頃の若いもんはけしからんブツブツとか内心で思いながら。
うれし腹立たしいこの季節が早く終わってほしい。
僕はコミュ障ですが、目線が下にあるからじゃなくて、普通に見ちゃうので勘弁してほしいですね。
この時期、薄着になったり胸がはだけたり、ミニスカやホットパンツだったりして
目がそっちに行ってしまうので、煩悩をおさえるのに一苦労します。
山にこもりたい。
また週末がやってきたよね。
出会い系は退会し、出会いアプリも削除したが、こんなのちょっと手間取るだけで、復活させるのは簡単だ。
というか、何度も復活させたことがある。
でも、今週は円光しなくても何とか我慢できそう。
JCとやりたいって気持ちもあるが、今は仕事も順調だからそれで捕まって社会的信用失いたくないってのが歯止めになっている。
前にJCとやった時は事後に逮捕されるかも知れないって心配でうつ病になった。そのJCもとっくに成人してる歳か。
それから、夜道でミニスカの女子の後をつけて、チャンスがあればめくったろうなんて考えが当たり前のようによぎる。でも、今は実行してない。
携帯普及前は何度もやったけどな(電車痴漢、路上痴漢、のぞき、盗撮はやった。レイプはしたことない)。
ちなみにオナニーは我慢してません。オナニーやりすぎもセックス依存症の症状の一つらしい。
実際、休日一日やり続けたり、出勤前にイクまでやってて遅刻しかけたことはこれまでも何度もあるけど、1回の短時間の円光で2万払ったり、性犯罪に走ることの生活破壊力に比べたら、大したことはない。自分で性欲をある程度解消してたら外出するときの保険になるしね。
ある程度、増田で吐き出して、自分が異常者なんだってことを自覚できたおかげかな。
ただ、街行く女や職場の同僚女性はセックスの対象としてしか見れない。おっぱいや腰つき、おしり、股間、脚しか興味を引くものがない。
普通の男女関係(ただの知り合い同士や友達同士)ってのが、いまいち理解できない。自分とセックスする可能性でしか女性との距離がはかれない。
男ならだいたい経験あると思うんだけど、美人とか可愛い子とか露出の多い女の子を見かけるとついついちらちら見てしまう。たぶん見られてる方は「あーみてるわー」って気づいてるんだろうなって思うし、そう思われるのは嫌だけど見てしまう。
自分がイケメンなら「きゃーイケメンにみられてるー」ってなるんだろうけど、残念ながら小太りブサメンです。サーセン。
でもねー、綺麗な子や可愛い子って目の保養になるんだよね。見ただけでちょっとだけ幸せな気分になれる。見かけた子が印象的だったりドストライクだったりすると、ついつい何度も見てしまう。さすがに後をつけたりはしないけど、もっかいどっかですれ違わないかなー、とか期待して目で探してしまう。やっぱキモいですね。サーセン。
露出の多い子に関しては、特に最近、ミニスカやショートパンツに生足の子が多くて、見るつもりなくてもついつい目が行ってしまう。なんか見ることに罪悪感を感じる。サーセン。
実際、見られてる方ってどうなんだろね。
以前美人の知り合いが、駅なんかでは男から見られてるのがよくわかる。じとじと見る奴キモい、って言ってたけど、見られることによって「自分はカワイイ」という自信を得られる場合もあると思うんだが。まあ、それも「イケメンに限る」なのかもしれんけど。
特に肌の露出に関しては、出してる以上は見られるって自覚してるんでしょ、と思わないこともない。じゃなけりゃあんなに足出す意味わかんないよね。
胸のすぐ下に腰があるように見せかけて脚が長みえるようにしたい意図は分かるがどう考えても人体の構造的に腰の高さと脚の長さは変わらないので歩くときすごくマヌケなどこのジャングルの部族ですか的なすごく長いスカートとか。
それがオシャレであるという予備知識のない人にとってはどう見てもそのスジのお方にしか見えないので私の頭の中の危機管理センターがわずか0.05秒で回避行動をとるそのプロセスをもう一度みてみよう!蒸着!タトゥータイツとか。
階段のぼるときにおさえるくらいなら長くすればよくね?ていうか見せるために短いんじゃないの?ミニスカとか。
ハイパーメディアがクリエイトされそうな太い黒縁のメガネとか。
もはや運搬の道具という本来の目的を逸脱して久しいゴテゴテのバッグとか。
相手の具体的な名称を出すけど、事実なんで、名誉毀損とか言い出すなら、証拠音声は警察に提出してもいいと思っている。
俺はメンヘラ歴10年くらいだが、入院歴も犯罪歴もない、ごく普通の市民として生きている。
俺は、「こころメンタルクリニック」という札幌の駅前の個人医院にかかっていたことがある。
院長がミニスカートだということで、2chでも話題のクリニックだ。
まあ、そんなことはどうでもいい。
俺は今、別の病院に転院していて、そのミニスカ女医にカルテの開示を求める手紙をしたためて、クリニックを訪れた。
ミニスカは頑として、その手紙(というか、一応「診療情報提供のお願い」と題したドキュメント)を受け取らない。
押し問答の果てに、用心棒みたいなガラの悪い男2人組みが呼ばれた。
隣に調剤薬局があるんだけど、それを経営しているエム・エム企画株式会社とかいうとこの連中らしい。
http://www1.biz.biglobe.ne.jp/~MMkikaku/
で、俺は階段でそのチンピラみたいな男に腕をつかまれて、ひきづられた。
俺、ちょービビリ。
チンピラは、警察が到着するまでの間、俺をバカだとののしっていた。
俺、わなわな震えがきたけど、じっと耐えた。
この部分はばっちり録音できているので、ネットで公開することも検討中だ。
やってきた警官は、双方の事情聴取をしたんだが、なにせ俺は元患者ということで、いうなればキチガイ扱いだ。
念のため言っておくが、俺はたしかにメンヘラだが、妄想を見たり、他人に危害を加えたりするタイプじゃないんだ。
だが結局、チンピラは俺を引きとめようとするために腕をつかんだだけで、お咎め無し。
警察が言うには、俺が被害届を出しても受理されないそうだ。
ひっぱられた腕が痛い。
受付の人がいうには、相手がある怪我の場合、健康保険は使えないそうだ。
俺、ビンボー。俺、どうしたらいい?
チンピラは、過失相殺を主張して、告訴しても処分されず、民事訴訟でも治療費を払ってもらいない可能性があるそうだ。
俺は何も悪いことをしていないが、精神障害者だ。
健常者だったら、警察もまともにとりあってくれたんじゃないだろうか?
繰り返すが、俺はふだん、ごくごく普通の市民として生活している。
だが、暴行を受けた現場が精神科の廊下だったのが運のつきだったんだな。
オチの無い話ですまん。
オマイラも気をつけろよ。
30歳wって揶揄する奴。まあたしかにきつい面もあるけれども、少子高齢化社会では勤労者の高齢化も考えられますので今後は…
40歳ミニスカサンタも当たり前になってくるんじゃないかね…と思うのはおかしいのかね。
福岡市中央区の繁華街・天神地区に、今年も女性サンタクロースの集団が
12月の週末に現れ、きらめくイルミネーションの中でクリスマス気分を
盛り上げている。
サンタの衣装を着ているのは、天神地区のデパートや商業ビルなど
12施設の従業員ら約50人。
天神を盛り上げ、人を呼び込むのが狙いで、昨年に続き2回目。
今年最初の登場となった8日は、午後5時ごろから2グループに分かれ、
各施設前で魅力をPR。最後は1日にリニューアルオープンしたばかりの
警固公園に集結した。
「警固公園もきれいになり明るくなった。天神にはいろいろな施設が
あるので、来て楽しんでほしい」と笑顔を見せた。
ソースは
http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/121210/cpd1212100814000-n1.htm
サンタの衣装で福岡・天神のクリスマスをPRする商業施設の従業員ら=8日、福岡市
http://www.sankeibiz.jp/images/news/121210/cpd1212100814000-p1.jpg
http://www.sankeibiz.jp/images/news/121210/cpd1212100814000-p2.jpg
それは、画面の中だけでなく、リアルにおいてもだ。公演、ライブはもちろん、握手会など近い距離でも、僕らは彼女らを感じられる。
日常をただ、平々凡々と暮らしていたのでは出会うことさえ、許されなかった弩級の美少女に。
僕は、彼女に憧憬を好意を覚える。彼女らは資本主義世界でプロダクトされた理想の美少女で、彼女らはマスプロダクトされた彼女らについてのプロダクトを以て、僕に彼女らを伝えてくれる。
好きだ、大好きだ。愛してる。
まるで、この世の理、万有引力に導かれるかのように。不思議な話だ。
現実世界では、近づくことさえ、許されなかった彼女らに、恋することが許される。
彼女らがアイドルになってくれたおかげで。彼女らは僕らの想いを拒絶しない。
しかし、彼女らのファンは残酷な真実に気づくだろう。画面の中で、ステージで、輝く彼女らを見て。
いや、むしろ、無数にいる彼女らのファンや握手会で自分の後ろに立つ係員を見て気づくかもしれない。
もっと、自然に、もっと、普通に。例えば、クラスメイトのように、近くで出会えればよかったのに。
でも、僕は気づく。もともと、彼女らは特別で、本当は、出会えなかった。
だから僕は、彼女らがアイドルでいてくれたことに感謝しなくてはならないのかもしれない。
【秋元康の罪】
今や、過熱したアイドル業界を牽引するAKB48を始めとする48グループ。
古くはおニャン子クラブの時代から、アイドル業界を手のうちに収める彼には、その業界を発展させたという功績がある。
そして、罪もある。
AKB48の最新曲『真夏のsounds good!』でその罪について検証しよう。
この夏を代表するであろうこの曲のPVは彼が指揮したらしく個性的な設定が付与されている。
その最高指揮を執るのが、彼、秋元康だ。
軽快な曲、爽快な歌詞とは裏腹にPVの物語性にはダークなものが感じられるだろう。
AKB48を卒業することが予定されている前田敦子を助けようとする渡辺麻友。
「もういいよ行って。行きなってば先に。私たちは私達が変わるためにここに来た」
次々に倒れていくメンバー。
そんなダークな情景を見せたあとに、PVは青空の下で彼女らが踊るものになる。
真っ白な水着。真っ青な海と空。清々しいほどに爽やかで、それが先ほどの情景と対比される。
これほどまでに綺麗な未来が、つまり、新生AKB48が生まれ得るのだと期待させる。
それはPVの終盤、渡辺が前田を連れていくシーンだ。行く先は、先程、白い水着を着て、砂浜で踊っていたメンバーの下。
生まれ変わるなら、彼女らは前田を迎えるべきではないし、前田はそこを目指すべきではない。
渡辺もそれを助けるべきではないし、助けているということは、前田が抜けた後の新生AKB48の可能性を否定しているとも言える。
前田もAKB48を抜けた後の自分の可能性を否定しているのかもしれない。
つまり、秋元氏は彼女らに新生AKB48の可能性を彷彿とさせるPVを提示しながら、その可能性をPVの中で否定しているのだ。
アイドルグループは予定調和でなく、突き進んだ結果であるべき、ジャンケン大会のようにガチであるべきだという秋元氏の思想とは反するようにも思える。
しかし、よく考えて欲しい。
私にはそうは思えない。
彼は、凋落したことのない、紛うことなき、この時代の寵児であり続けたし、今ではその世界の重鎮だ。
彼に単なる根性論など通用しない。
努力だけではだめだと、成功するには運も必要だと、グーグルプラスで語った彼には美辞麗句に賭された、文字通り飾り物の世界ではなく、本当の世界が見えている。
だから、単純にがんばれば、努力すれば認められるというメッセージを発さないのだろう。
それは、彼の信念に反するから。
そう、彼の思想はこの世界を精緻に写しだしたものであるように思えるし、それに僕は同意する。
だが、この思想が彼の罪を生んだ。
つまり、それは、その一種リアリティ溢れる思想、イデオロギー性を伴った作品を彼女ら、世界で認められうる美少女らに歌わせ、演じさせてしまったというところ。
僕らは、アイドルに夢を見ている。
小難しいことを、批判めいたことを歌ってほしくはない。
社会批判。その歌詞、そのメッセージ性は痛いほどに、僕の胸に届く。
しかしそれを彼女らに歌わせることで、彼女らは政争の具のような体裁を見せてしまう。
なんの色付けもされていない、ピュア=純真な女の子を僕は見たいのにも関わらず。
別の例では、秋元氏は純真な、つまり、彼女らが思っていることを彼女らが歌っているという構図の作品を生み出すことに成功している。
それが、SKE48(KⅡ)の『お待たせsetlist』だ。
選抜総選挙で高柳明音は、秋元氏にこう叫んだ。「私達に公演をやらせてください」と。
彼女らは、それまでリバイバル公演(他のチームの公演楽曲で公演する)ばかりを行い、自分たちのオリジナル公演が行えなかった。
だから、彼女らSKE48(KⅡ)とファンの思いを高柳は秋元に代弁した。総選挙の会場で熱を込めて語った。
秋元氏はそれに呼応するように公演楽曲を書き、オリジナル公演を与えた。
『お待たせsetlist』には、SKE48(KⅡ)の思い、そして、ファンの思いが込められている。その歌詞は秋元氏が書いたものだが、聞く者にとっては、彼女らの気持ちそのものが歌われているように感じられる。
僕は、彼女ら=色付けされていないプレーンな彼女らを望んでいるのではないか。
そこには、如何に崇高な思想やイデオロギーであっても介在するべきではないのではないか。
だからこそ、僕らは秋元氏が秋元氏の思想、イデオロギーを彼女らに歌わせ、演じさせることに強烈な違和感を覚えるのである。
さて、散々彼の罪を述べてきたが、彼の功績は大きい。夏に控える前田敦子の卒業に関して、彼はこのように述べている。
「相変わらず表現は下手だが、その分、ストレートに伝わってくる。時々見せるはにかんだ表情は、あの頃の“あっちゃん”のままだ」と。
彼女につまり、この世界で美少女と認められたアイドルにバイアスをかけることなく、アイドルというひとつのステージを卒業させる。
そのことには頭が下がる思いだ。
さて、そのようなイデオロギー性の濃いアイドルの対極にハロープロジェクト系列のアイドル、モーニング娘。やスマイレージといったアイドル勢がいる。
一時程の勢いはないが、それでも業界内で存在感を放っている。そんな彼女らはイデオロギー性から解放されたアイドルといえる。
彼女らの歌う曲の歌詞や、日常を何の疑問も持たずに歌いこなすものであり、楽曲名からさえ強い思想は感じられない。『プリーズミニスカ ポストウーマン』(スマイレージ)『ピョコピョコウルトラ』(モーニング娘。)といった曲名からは、いわゆるおバカな空気さえ感じられる。
純粋な気持ちを歌っているかどうかで言えば、アイドルを眺める視点では、こちらの方が、彼女らの気持ちが歌われていると想像できる。
まさか、つんくがうぶな乙女の気持ちを持って生活しているとは思うまい。
【つんくの罪】
そんなつんくにも罪はある。
それは、作品そのものではなく、それらを歌いこなす際の彼女らについてである。疑問に思ったことはないだろうか。
彼女らの楽曲は、つんくが曲詩ともに担当する。48グループの秋元氏が詩のみの担当であることとの差がここに出ているのかもしれない。
よくよくハロプロメンバーの歌い方のくせを聞いていると、そのくせが似たものであることに気づくはずだ。
そう、つんくの歌い方のくせに似ている。と。
つんく自体、アーティスト時代の歌い方のくせは強いものだった。
それ自体はなんら問題がないのだが、その歌い方のくせを彼女らに楽曲提供することで一種押し付けているのではないか。
ピュアな彼女らの、女の子らしい歌い方を黙殺してしまっているのではないか。そう感じられて仕方ないのだ。
ここでも、僕らは嘆くことになる。彼女らの気持ちを彼女らの歌いたいように歌っているものが欲しいのに。本当の彼女らが欲しいのに。
資本主義に浸け置きにして、彼女らの骨を抜くのはもうやめてよ!そんな不自然な美少女見たくないよ!
そんな思いにかられて、すべてに思想やくせのないアイドルを探す。いることはいるのだ。
例えば、SUPERGiRLS
例えば、YGA
天下のavex、そして吉本興業のプロデュース。資金力も申し分ない。ルックスも申し分ない。でも、なかなか売れないのだ。
吉本興業に至っては、NMB48という48グループの力を借りて、アイドル事業に参画する始末。
暫くすると、何故かその女の子の目の前に男がやってきた。
空席の目立つ電車内だったが、男は女の子の目の前に釣革を握ると、
思いっきり前傾姿勢で女の子の股や太腿、胸元などを覗き込んだりしていた。
更に様々な角度からずっと彼女を舐め回すように凝視。まさしく視姦。
この時点で「おい、やめろ」と言いたかったのだが、
「俺は何もしてねーよ!」と逃げ去られそうだったので、引き続き観察のみ。
駅に停車する直前、男は別の両に消えた。やれやれよかった、と思ったら
停車と共に空席になった彼女の隣席に男が滑りこんできた。
まだいたのかよお前、というか、明らかにこれから何かやるつもりだろう。
その中に自分の手を入れた。これ絶対、変なことするつもりだろう。
例えパーカーの下で女の子の体に触れていても、隠れていて誰にも見えない。
女の子はまだ眠ったままだ。そんな女の子の体に男は体を密着させて寄りかかった。
なんだかまるで仲の良いカップルが寄り添っているか、いちゃついているかにしか見えない。
実はこの男が痴漢のくせに、なかなかのイケメンであり爽やかな顔立ちをしているせいだろう。
行動的には気持ち悪くて不快で堪らない男なのに、顔だけ見ると意外なのだ。
まぁ、ならば念の為に、最もアレな瞬間に証拠写真を撮ってやろう、と
携帯カメラを構えたのだが、これじゃ自分が痴漢鑑賞者みたいじゃないか?
しかし、パーカーが邪魔で、不審なほど密着してる様子しか見えない。
それに、こんな男を眺め続けるのも嫌なのでずっと観察もしていられない。
そんなこんなで十数分は経った頃、女の子が起きた。
顔を上げて、男の顔をガン見して睨み続けている。
やっと男が気づいたその時、電車が停車した。男はそそくさと去っていった。完
…と思ったら、停車待ち合わせ中のホームに男がまた現れて、
やがて待ち合わせ列車が来ると女の子も下車。やっと、ついに、終わった。
視姦されたり密着されたり手を回されたり(或いはそれ以上?)されているのを
助けられなかったけど、女の子が自分が気付いてよかったよかった。
自分の一つ隣に座っていたオバサン達も気づいていたみたいで、
こういう場合、決定的瞬間を目撃していなくても、不審な視姦や密着などでも
男にやめろと注意してよいのだろうか。どう注意すれば良いのだろうか。
などとウンウン考えていたら、下車したはずの男が再び隣の両からやってきて、
左右の座席をジロジロ物色しながら次の両へと消えて行った。
と思っていたら、次の駅を過ぎた頃にまたやって来て、左右を見回すと座った。
隣に。自分の隣に。十秒ほど悩んだ。自分がコートを脱いでおとりとなり、
ミニスカ見せて手を出してきた所で「この人痴漢です」を大声でやろうか。
でも、わざわざ気持ち悪い思いするのもなんなので、
結局、席を立って別の両へと逃げることにした。
以上、春の中央線の出来事。
あの頃はまだ服っていったら自分の家で作るもので、外で買うのはあつらえた物ってよそいきなんだよね。
そもそもお正月は新しい服でというように滅多に服なんて新しくもつものでもなかった。
だから今よりもっと胴長短足な日本人体型のはずなのにサイズがキチンとあった服を着ているから似合って見える。
女性向け雑誌の付録っていうと今は付録商法ってバカにされているけど、
元をたどるとファッション記事にモデル(イラストのこともある)と同じ服のパターンを付けたことが始まり。
パターンだから購入した人は自分のサイズに合わせて少しづつ寸法を調整してつくるからピシッと決まる。
今でも個人営業のお直しもする手芸店の店主は服を作る時代を買う時代の過渡期を過ごしたおばさん(おばあさん)が多い。
今は皆が既製服を買える時代にはなったけど、
単に、自分の知らないところで、男に裸を見られるのが嫌なんだと思う。
自己中だねーw
あくまで自分が隣にいれば普段着ないミニスカ履かしてもいいと思ってんだw 可愛い可愛いっておだてれば着ちゃうタイプなのかな。
バストがボリュームあるとか、身体が判りやすく女性的な女の子は下手にいやらしくならないようにファッションに気使うことって多いもんだけど。
つーか知らないところで見られるのがイヤなら一緒にサンバのスクール通ってショーに出るとかの選択肢もあるじゃんw
要は彼女さんが「オレのキライなものを好き」なのがイヤなだけでしょ。
議論になった時の覚悟はしてるよ。
むしろ、彼女がどのくらいの覚悟でやってるのかによる。
嫌われてでもやりたい、むしろその趣味を含めて私だと思って理解して欲しい、
ただ、習い事とかイベントとか、何となく楽しみでやってることのひとつなら、
こちらの意志を尊重して欲しい。
なんで「覚悟」とかいって、苦行みたいな側面見出そうとすんの? 楽しくてやってんだから、それでいいじゃん。
だいたい「楽しみでやってる」か「覚悟がある」かどうかの判定ってどうやってつけるの?
プロとしてお金稼いでるとかの判りやすい指標がなきゃ、何であっても「楽しくてやってる習い事」の範疇から出られないんじゃない?
つまり自動的に「=オレのためにやめてほしい趣味」ってことになっちゃうじゃん。ずるくない?
最初から結論ありきで、結局「話し合って、受け入れる」っていう過程なんかない。
「自分がイヤなんですううううう」っていうのを押し付けてるだけでしょ。「嫌いになっちゃうよ、いいの?」って甘えてるだけだよね。
彼女さん、ダンスも好きだけど嫌われたくない…ってなったら、その葛藤を自分ひとりで引き受けて、しかも場合によっては即答しないといけない。
大人しくて可愛くて良い子なんだろうなあ。
「その趣味をオレは受け入れられません、キミがそんなのやってるのスゴくイヤです」って、緩いけどフツーに脅迫なんですけどw
彼氏が大好きだから尽くしちゃう感じで受け入れちゃうのかなあ。自分の好きなもの曲げるのは尽くすときはいいけど、冷めたら反動凄いからなあ。