はてなキーワード: スノッブとは
ドラクエのような一本道のゲームがつまらない、という話に違和感があるのは、見出しに書いた理由からだ。
RPGの物語が一本道だったとしても、楽しむことができるのは確かだ。
キャラクターに自己投影したり、映画を見るように筋書きに没頭したり。
ただ、それはあくまでも、子供のころに楽しかったという思い出の中の話である。
ゲームとして、それがどれだけよくできている話だったとしても、
「物語」という、有史以来続く土俵の上で戦うには分が悪すぎる。
だから、考え方の温度差ができる。
ゲームのファン、アニメのファンが、好きなゲーム、好きなアニメを語るいっぽうで、
そうすると結局、子供のころは楽しかったけれど、大人になるとちょっと……となる。
「ライトオタクと本来のオタク」や、「漫画を書きたいなら漫画だけ読んでいてはダメだ」という話にも繋がるだろう。
最近よくはてな村の人達が「はてなのホッテントリはライフハックや生活の知恵みたいな記事、英語学習法ばかりでつまらない!俺達のはてなを返せ」というような意見がよく見られます。
僕もはてなホッテントリはあまり見ません。なぜなら、自分にとって興味のある情報はあまり集まっていないからです。
しかし、だからといって「今のはてなホッテントリはつまらない!ライフハック、英語学習、生活の知恵の糞記事ばかりじゃねぇか!」というのは違うと思うんですよね。だって、僕にとってつまらないものも、他の人は興味があるかもしれない。なら、自分がつまらないからという理由だけで、他人が楽しんでるものをけなすのはゲスいって義務教育でならうことでしょ。多くの人が興味があるから、数千はてブもされているわけでしょ。けど、はてな村周辺の声の大きいノイジーマイノリティって、自分にとってつまらないものをまるで他の人にも価値のないものみたいな主語の大きい言説をするじゃないですか。
実際、はてな村を自称してブコメつけて悦にいっている人達って、30人〜50人くらいじゃないですか。IDコールでしあって、twitterでもなれあっている感じの、あの人達。
で、彼らの意見なりブログは確かに面白いこともあるけど、はてなは彼らだけのサービスでもないわけです。せいぜい数十人程度しかいないはてな村の人達よりも、英語学習やダイエット、美味しい料理のつくりかたに興味のある人の絶対数の方が多いのだから、そちらを優先させるべきってのが企業として当たり前だと思うんですよ。つまり、はてな村の方々は「自分にとって面白いことと多くの人が興味のあることは違うのだ」というごくごく当たり前のことを理解されたらどうか。
だって、はてな村の人達が嬉々としてブックマークしているのって、たとえば青二才さんとかの記事じゃないですか。僕も青二才さんの記事を見るは好きだけど、彼の自意識の吐瀉り記事に、B!kumaの女の子達は1ミリも興味がないと思うんですね。
だから、自分が興味を持てないからといって「絶対的に価値がない」みたいな言い方をするのは違うと思うんですね。要するに、「オレの好みにあわなくなった」ってだけでしょ?それを、主語を広げて、「英語学習やライフハックや生活の知恵の記事なんてクソ記事だ!ホッテントリにあがらないようにしろ!スパム報告だ!」とかいうのは、やっぱりどうかな、って思います。じゃあ、はてな村の方々がウヒョウヒョやっているネットウォッチ案件だったり、9000%内輪で完結しているスノッブじみたアニメ評論がホッテントリにあがればいいの?っていうさ。時代って変わるじゃないですか?昔ながらの山々も切り開かれてゴルフ場が出来たり、古き良き商店街はショッピングモールに食いつぶされる、認めましょうよ。はてな村は限界集落で、声の大きい少数派なんですって。
まぁ、一部のブログの自演ブクマについてはちょっとずるいなぁ、という気もするんですが、実際、自演できるのなんてせいぜい5ブクマくらいじゃない?5以降は需要があるから伸びているんで、それをブックマークする人達が数百人いるんなら、それはそれでいいんじゃないかなと。チャンスをつくっているわけであって、勝利を捏造しているわけではないというかね。多目に見てあげればいいのでは?
さらにいうなら、「ホッテントリのために仲間同士でブックマークしあう」ことと「お!村長さんが記事を更新してはる!ブクマせな!」という善意の馴れ合いブックマークの区別ってなかなかつきにくいので、スパム判定ってできないですよね。はてブ使用歴が長い人達の身内ブクマは許されて、使用歴が短く総ブクマ数が少ない(50以上100未満とか)人の身内ブクマはダメ、ってのはおかしな理屈になってしまうし。彼らが自演するごとに、僕の年収が10万ずつ減るわけじゃないんだから、放置しておけばいいと最近は思っています。
結論を言うとこうなります。ブクマ数からいって、今のはてなのマジョリティは美味しいカルボナーラのつくり方や海外留学せずに自宅でTOEIC900点をとる方法に興味がある人達なので、彼らが興味のあるエントリがホッテントリになる。彼らははてな村の方々が興味のあることにはまるで興味がない。だから、声の大きい少数派の方たちはいっそ諦めてホッテントリとの付き合い方を変えましょう。
よくいうじゃないですか、『変われないものを変えようとするな。変えられるものを変える努力をしろ』って。もうはてなは一般層が使うようになって、これは変えられないし、何をいっても無駄。変えられるのは、はてブとの付き合い方だけです。ホッテントリにライフハック記事があがると、近親の誰かがピンポイントで車にはねられるわけでもないのだから、いっそホッテントリなんかにこだわらずに、村はてブhttp://childs.squares.net/murahatebu/を使いましょうよ。僕はそうしてから、かなり快適になりました。いいじゃないですか、ゴルフ場に山をすりつぶされても、ショッピングモールに店をくいつぶされても。村人であつまってせんべいかじってれば意外と楽しいもんですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080726155322
<彼女ができないやつの10の鎧 >
本当は忙しいんだが、我慢できないから長文を書く。
#より子 『それでいいのですか?』
#http://www.nicovideo.jp/watch/sm1336679
#http://www.youtube.com/watch?v=Css-AEw1-ys
#曲が良いだけに歌詞がムカつき過ぎる
元増田は、人が鎧をまとうには、それだけの理由と経緯があることを
考えたことがあるのか。
女達「オメェ、それって体育祭の写真?」
オレ「……うん」
と答えるや否や手から封筒をバシッともぎ取られ、
女達「いたいた! イケメン君が写ってる!」と勝手に写真を切り取られ、
オレ「あの、ちょっと待って欲しいんだけど」
女達「ルッセェーんだよ! 誰もテメーに話しかけてねーんだよ!」
オレ「それ、オレが焼き増しした……」
女達「あー、ウッセーなぁ、いらねーよ! この汚ねぇ写真!」
しかもビリビリに破かれて紙ふぶきみたいに投げ返されたことがあるか。
女子は全員ズベ公だった。
(こう書くと偏見と決め付ける増田がいるだろうが、詳細は後述する。)
学生時代、どんな男の子も一度は"大学デビュー"とやらを夢見る時期に、
オレも人並みに恋に落ちた。
自分の立ち位置もプライドもトラウマも女性観も何もかもかなぐり捨てて、
女「最近失恋したばっかりで、[今は]そんな気持ちになれないの」
オレ「そうか……じゃ、気長に待つよ。いつでも待ってるよ」
その後だ。そろそろ良いかな? と映画に誘えば、
女「ゴメン、ちょっと面倒くさいや」
同じ趣味があると分かってその交友関係に誘えば、
女「なんかイヤ! 理由? んー、イヤだから」
ここまでは、まあ分かる。
さすがに引き際かと思い、接触を減らそうとすると、
女「えー! ○○展に行ったの!? 誘ってくれたら一緒に行ったのにー!」
女「ね! 私がコーラスやってた時は、5度のハモりが好きでねー」
ときた。
ならばと、何かイベントとかにお誘いしても、最初の拒絶に戻ってまた繰り返し。
こんな感じで付かず離れず、離れず付かずで結論の出ないまま、大学生活4年を
オレは棒に振った。
サークルの卒業コンパで、「実はオレ、彼女のことが好きやってん」と
カミングアウトしたら、まわりから
「実は俺も」「俺もだ」「なんと! 俺もだ」
の声が多数。
周りに男たちを等距離にはべらせてチヤホヤさせてたのね。
……ちなみに、世間ではアッシー君、メッシー君、ミツグ君、そして[キープ君]
なんて言葉が流行り始めていた。
サークルクラッシャーなんて便利な言葉が出てくるのは後の時代。
酒井順子がオンナのライフハックとして"自分の崇拝者をキープしておけ"と
言ったのは、もっと後の時代だ。
その後、社会人になって、オレが見てきた女たち。
・同僚、上長にはバリキャリ兼お母さんみたいに面倒見良く振舞う
女先輩が、後輩のオレには職場の不満を解消するかのように
「もー、ブーブーちゅわん(オレのことだ)ってば、
好き好き大好きー!」
とヌイグルミ扱い。普段は発散できない幼児性が爆発
・失脚してリストラ含みで物流オペレータをやらされてる四十男。
妻子のためにと歯を食いしばって耐えるその男性に、
「えっとぉ、FAX送信とかはぁ、アタシたち優先にして欲しいんですよねー。
ハッキリいって使えない人がぁ、色々占有されると迷惑なんですよねー」
・スカウトされて転職、マネージャーになって3日ほど。現場の女子達からの
ヒアリングを総合すると、
「えっとぉ、課長さんの仕事って、要はアタシたちの要求は全部上に通してぇ、
あたしたちが嫌に感じる要求はぁ、全部アンタが板ばさみになって
握りつぶしてくれることなんですよねー。
平たく言えば傀儡。もしそれが嫌だったりー、アタシ達からみて
使えねーと思ったらー、役員に泣きついて追い出してもらいますから。
現場にぎってるのはアタシたちだし。ということでヨロシクぅ」
そりゃ、前任者も辞めるわけだよ。
などなどなど。
オレは思ったね。
「ああ、こいつら自分たちが愉快に過ごすために、小社会を操作する
実際、マネジメントは降ろしてもらって、自分の専門性を活かした
チェック部門の門番というか見張り番に就いたとたん、
「私たちって、良い同僚関係よね? よね!?」
「あ、同じ趣味なんですね!? こんどディスカッションしましょーよ!」
とまあ、好意的に接してネ! という秋波のドぎつい事といったら。
上に書いたリストラ男の件も含めて、
「ああ、しっぺ返しや不利益が無ければ、誰に対してもどこまでも残酷に。
なにか損得が絡んでくると、どこまでもフレンドリーに」
なのだなぁと。
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌のどれか1つでもいいから
行動原理に加えている
つまりは大雑把な意味でのヒューマニズムを持ってる奴がいたもんだが、
いつだって馴れ合いのオトモダチ関係と派閥。派閥の中でも株が微妙に上がった、
下がった。それだけ。地頭の良さと判断の手際のよさは認めないでもないが、
話を男女関係に戻す。
何でオレは女と付き合えないんだ? 自問してみた。
> 8. 「女は信用できねえ!」
> そう思ってると顔に出ます。あなたの目が「お前なんて信用できねえ」って目になります。
> そりゃ、そんな人信用できませんって。
まったくその通りだ、実際に信用できないんだからしょうがない。
じゃ、なぜ信用できないんだ? 女という女が全部が全部、オレの知ってる通りの
存在だったら、今頃とっくに社会は崩壊しているはずだ。おかしい。
しばらく考えて、結論が出た。
悪いのは、自分自身だ。
オレの欠点をサクっと書いておく。
・キモオタくさくて芝居がかった気持ち悪いコミュニケーションしかできない。
やたらスノッブ(=表面的に教養っぽい馴れ合いが好き。本当の知性とは無縁)な
家庭に育ち、オタ系人間とばかり付き合ってきた影響なのか。
なので、自分の立ち位置は"ギャグメイカーでトリックスター役"で、それで良いんだ、
と自分を納得させていて、それで過去に友達がいなかったわけではないが、後から、
「オマエさぁ、言動がイタくて笑えるから仲間に入れてやってんだよね。
気が付かなかった?」
と言われる事もしばしば。
おまけに、家庭でのプチ虐待のせいでオドオドした臆病者だった。
・先天的に要領が悪い、脇が甘い。
発達障害の一種だと思うのだが、予定やToDoをキッチリ、カッチリと自己管理していくことが
壊滅的にできない。
待ち合わせはいつも遅刻、学生時代、社会人時代とも、イベントやプロジェクトや自主制作は
いつも自分の分担だけ頓挫または炎上。
だから人に当てにされない。
さらに、人からダメ出しされないような穴のない立ち振る舞いが、どーしても出来ない。
そして無用心。
擬友人の一人が言うには、
(たとえば、
B氏「堅苦しい席じゃないだろ? なんでカジュアルで来ないんだよ?」)
すぐにパニック起こすじゃん? あれ、俺たちがローテーションを組んで、
わざとやってたの知ってた?
あと、「オマエのためを思って」とかいって色々アドバイスしてたの、
実はウソを混ぜ込んでたんだ(笑)。
感心して聞いてるのを見て、影で笑ってたんだぜ」
・妙に頭は良い
人間関係知性(かわいがられる能力、人を魅了する能力)が病的に低いのに対して
なにか不都合やトラブルがあったら、原因究明よりも、
「誰も味方のいないアイツ(=オレ)の凡ミスってことにしておけ。誰も困らないから」とか。
これじゃ、人間関係がすべての出発点である女子たちとソリが合うわけが無い
・デブで運動音痴
……結果として、
・人望無し、味方につけても実利無し
・そばにいて生理的・感覚的な気持ちよさは皆無
という異性関係上では驚異的なロースコアの持ち主だったんだ。オレは。
オレの特徴が、女子の不愉快な部分を引き出していたんだね。
だから、もしオレの出身学校や勤務先に元増田が在籍して、その"偏見の無い目"で、
女子たちを見れば、多分彼女たちは、
ということになるんだろう。
それは、元増田が、平均的な"価値"というか影響力のある人間だからで、
同じ女子たちが、たとえばオレみたいに侮辱しても怒らせても何にも心配の無い
男子の前では、大部分が『肉体の門』に出てきた焼け跡のパンパンみたいな
ズベ公になるんだよ。同じ人間なのにね。
> みんな密かに自分を磨いている現実にも目を向けてもいいかも。
磨けば光る部分なんて欠点じゃないよ。
どう改善しようとも残る本質的なマイナスの特徴を、欠点って言うんだ。
自分自身の定義の一部といってもいい。
さて、状況は整理できた。(増田諸氏が同意しようとしまいと、オレ的には)
それならそれで、進むべき道はある。
"護身完成"(『刃牙』が元ネタだけど、この場合は『電波男』(本田透)から孫引き)
を目指すんだ。そう思った。
世間にはアベックがあふれ、同期は家庭と子供をもうけ、飲み会に行けば、
女子達「(オレ)さん、Aさんって、やっぱり、D・Tだとおもう?」
オレ「ちがうんじゃね? どっちにせよ、他人のことだろ?」
女子達「だとしても、S・D・Tでしょ~、やっぱ(笑)」
オレ「君達、そうやってオレのことも話題にするわけ?」
なんてやり取りが普通。
だから、喪男板とか、その周辺のブログとかを見て、自分が一人で歩いているわけ
じゃないことを始めて知ったときは、少し救われたね。
でも、ネットのおかげで、元増田みたいな発言に触れる機会も増えた。
話が飛ぶが、元増田も含めた、「ホントは悔しいんでしょ?」系の発言って
オレが仕えた一部の上司に少し似ている。
新入社員当時、同期がそろいもそろって無気力な新人類だったのが
歯がゆかった。
「え~、やんなきゃダメですか~?」「ちょっとぉ、残業は都合がつかなくて~」
何を言ってるんだ、新人のスキルなんてハッスルすることくらいしかないだろう!
そう思ってたら、上司に呼ばれた。
「どうだ仕事は? 聞いたぞ、クリエイティブ部署が希望だったんだってな。
じゃ、B君とかC君が制作やってるの見て悔しいのか? ん~? 悔しいんだろう?
だったら部署違いでも企画とかバンバン書いて提案してみればいいんだよ。
読んでやるから」
オレは書いたね、何本も何十本も企画を。そうしたら、その企画はそのまま
召し上げられて何本か採用されて、それっきり。
オレの処遇に変化はなし。
何のことはない、めぼしい企画が尽きた統括部長が、アピールしたがりの
1年生を挑発して、アイディアを只で引き出しただけだったんだね。
(唐沢俊一が似たようなことを書いていた。
駆け出しのころ、原稿を発注するともしないとも明言されずに
サブカル系の新鮮なトレンドを収集するのにタダで使われてただけだったそうな)
同じような経験を何度もして、結局のところ分かったことは、
「いじけるなよ! 食い付いて来いよ! もっと熱くなれよ!」
みたいな挑発には、乗らないのが最善。ハッスルしても徒労に終わるだけなので。
じつは、上に書いた無気力・新人類路線が、最善の戦略だったんだね。
彼らは、積極的に意図的に無気力でダンマリで低体温をやってたんだよ。
少しだけ話を戻すけど、元増田の発言って、ジョギングやサイクリングを
しつこく勧めてくる人間にも似ている。
色々と利点を並べた上で、「ま、無理にとは言わないよ、そうやってウジウジと
やらない理由を並べてればいいんじゃない? せいぜい笑ってやるからさ」
みたいな。
ところで、もしジョギングを勧めている、その相手が車椅子に乗ってる人間だったら、
どうする?
足が動かない人間には、動かない人間なりの自己実現の道がある。
そんな車椅子の人間にジョギングを勧めるほど悪趣味な人間は多くは無いけど、
モテ/非モテのゲームに参加しない人間は同じくらい悪趣味な挑発をいつも
浴びせられる。
理由は簡単で、負け組みにいっぱい参入して欲しいんだよ。
(元増田がそこまで考えてエントリーを書いたとは思わないけど)
「うちのチームは万年Bクラスなんで、意味が無いから解散します」って言ったら、
翌シーズンからは3チームでAクラスとBクラスを分けることになるんだぜ?
カップル⇒結婚⇒家庭ってのは別として、その前段階のモテ/非モテってのは、
言ってみれば、自己承認の感覚っていう限られたパイを奪い合うゼロサムゲームだ。
(上に書いたサークルクラッシャーの例を参照されたし)
弱っちくて不案内な初心者を定期的に勧誘しないと、自分たちが良いポジションに
立てないじゃないか。
> 2と似たようなものですが、世の中の裏に恋愛至上主義という巨大なモンスターが棲んでいるという陰謀論系。
べつに、電通や光文社がゲルショッカーや黒十字軍やコミンテルンみたいに策謀をめぐらしてる
わけじゃない。当たり前だ。
でもね、津々浦々の小社会では、みんな自分の株の上がり下がりに神経を尖らせていて
そんな集合無意識が、結果として世相全体のレベルでは巨大なモンスターになって、オレやオレの同類達の
なけなしのプライドと自己承認を根こそぎにしようと襲い掛かって来ているんだ。実際。
でも仕方が無い、自分が選んだ道だ。
だけど、楽な道じゃないんだぜ。
モテのゲームを抜けようとした人間にしか見えてこない、まるで暴走族の足抜けに対するリンチや、
女子グループの抜け駆けに対する制裁みたいな、えげつない、しつこい、悪趣味な
同調圧力があって、それに拮抗できるように、ゲームを降りる胆力、ゲームを降りる意志力、
ゲームを降りる知力を血の出る思いで研鑽してるんだ、こう見えても。
だから、
> 5. 「俺のことなんかほっといてくれ」
> 非モテ全般をいじってるエントリに対してわざわざ「俺のことかー!放っといてくれよ」って言っちゃう系。
こういう風に挑発に乗るのは、それは研鑽が足りないからとしか言いようが無いが、
それは少なくとも挑発してくる人間に言われたくはない。
さんざん挑発しておきながら、不愉快だから「不愉快だ」とリアクションしたら、
「未練たらたらですねー(笑)、酸っぱいブドウですか~?」って、そりゃなんだよ?
今の自分は幸いにして適職を見つけ、少数だが信頼の置ける友人たち(なんと女性もいる! 人妻だけど(笑))を
何グループか確保して、職場では"枯れたオッチャン"のポジションを得て、そこそこ確実に楽しくやっている。
このエントリーは、元増田が書いたエントリに、(本当はそんな筋合いは無いにもかかわらず)グサっと
きてしまった後進たちのために書いた。
書くことも尽きたので、元エントリに逐語的に反応して終わる。
1. 「だって俺だけベリーハード設定なんだもん。残機も回復アイテムもないし敵は鬼のように強いし、やってられないよ」
自分にとって楽しくないゲームは、いかに周囲が賞賛しようとクソゲーです。
MMORPGのギルドマスターから「出勤するからログアウトしたい? 甘ったれんな!」とか言われたら、誰だって
そいつが異常だと思うでしょ? 間違った自己修養精神は何の果実ももたらしません。
あなたにだけベリーハード設定に思えるゲームは、まちがいなくあなたにとってベリーハードなゲームなのです。
ご心配なく、ベリーハードに感じている人は他にもたくさんいます。
2. 「女と付き合う(結婚する)ことでかかるコストはこんだけ、対して見返りはこんだけ。割に合わなすぎる!」
女と付き合う(結婚する)ことによるコスト/リターンは人によって変わってきます。
「一般的な人なら儲かる」と吹き込まれたとしても、自分が恒久的に赤字となる見通しなら、
1)自分が悪いんだと考えて、反省と修正を加えながら石にかじりついても事業を継続する。
2)さっさと撤退して他の事業を探す
と、2つの道がありえますよね? 私なら後者を選びます。
3. 「恋愛至上主義社会に組み込まれたが最後、俺たちは搾取され捨てられるだけなんだ。そんな社会に参加したくない」
恋愛至上主義なんて幻想に過ぎません。幻想に過ぎませんが、口裂け女のように反応が反応を呼び、
ほかの○○至上主義とは比較にならないくらい現実化して実際にあなたを搾取します。
素養と運があれば搾取する側に回れます。
折り合いはつけられません。乗るか降りるか、2つに1つです。どちらもあなたの自由です。
自分の素養と相談して決めてください。
4. 「でもイケメンじゃないし」「でも結局イケメンじゃないから相手にされないし」
> いい加減自分が選ばれないのは「外見が醜いから」じゃなく「内面も醜いから」である事に気付いてもいいかも。
人間は多面的な生き物です。彼女-彼氏という関係では外面も内面も醜いあなたに良い経験は出来ませんが、
他の人間関係では美しいあなたと美しいパートナー(達)が良い関係を持つことが出来ます。
彼氏-彼女関係において美しくあるために研鑽を積むか、他の人間関係に活路を見出すかは、あなたの自由です。
5. 「俺のことなんかほっといてくれ」
「ほっといてくれ」というエントリが不要なら、いじってくるエントリを書かないで下さい。
もしも、いじるのはそっちの勝手だというなら、リアクションするのもこちらの勝手です。
> そこで「俺のことも構ってよ!俺も寂しいんだよ!」って言えない無駄なプライドが全てです。
そこで、「誰かを見下していないと不安なんだよ」といえない無駄なプライドが全てです。
6. 「結局○○ですね、わかります」
曲解系。
無駄な修飾を省いて、シンプルな真意を確認することを曲解と呼びますか。
(例:彼女持ちor彼女無しっていう価値観から自由になろうとすると、
[臆病者の防衛機制]とレッテルを貼ってくるんですね、わかります。)
7. 「○○や△△の良さが判らないような人種なんて・・・」
家柄や年収や美醜のように、パートナーの条件に何を設定するかなんて、それぞれの勝手じゃないですか?
折り合いが付くか付かないかは同人同士の問題であって。
条件が折り合って付き合うことになるも、折り合う相手がいないから一生、誰とも付き合わないも
当人の自由では?
8. 「女は信用できねえ!」
実際、信用できなくなる経験を腐るほどしてる人がたくさんいます。
信用できないと思ってたら信用されないとして、ニワトリ-卵の水掛け論になるくらいなら、
相互に不信感を持っているほうが、無理やり信頼しようとするより健全では?
どこかで信用するにたる女性(女性にとっては男性)を見つけるかもしれませんし。
そうしたら、はじめて信用することを始めれば良いかと。
9. 「女は怖い生き物だ、嘘つきだし○○だし△△だし□□だし・・・」
> じゃ、逆にあなたがどれくらい高等な生き物なのか説明してください。
「嘘つき」というのが良いたとえですが、どちらかというと、女性が男性より
はるかに高等だから怖いのではないでしょうか? それも、情報戦、人心操作、
また、倫理や観念や建前のせいで複雑で脆弱になりがちな男性の精神に対して、
「自分がご機嫌になることを勝ち取る」という一点からゴールがブレない
精神の強靭さも恐怖の対象です。
10. 「スイーツ(笑)」
オタクというのは没頭するものの対象が千差万別なので、何オタクなのかについて無理解と理解の違いがありえますが、
「スイーツ(笑)」の対象とは、ネイルアートにせよエステにせよ旅行にせよ、はては美術館めぐりやゴルフに至るまで
「羨む層から羨まれる層へとちょっとだけ自分のライフスタイルのクラスを上げる」という一点に要約できるので、
具体的には(ネイルエステ旅行美術館ゴルフ等々)何をしていても、サザビーを組むのとキュベレイを組むのくらいの
違いしかありません。
11. 結局「その鎧、悪い事言わないから、1回脱いでみたら?」っていう。
大小多数、なんども苦い経験をして、自分自身のことを多少は理解して、自分の元々のポテンシャルを努力で
補填するほど彼女が欲しくないことが分かったので、「モテ能力を磨く努力」と「モテ抜きで生活を充実させる努力」
のうちで後者を選んだだけで、言いかえれば
「自分の素養では多大な労力を投下しないと素敵な彼女なんて回ってこない。だから、
彼女なんて作らずに別の方法で幸せになろう」
という実にシンプルで経済原理にそった選択をしただけのこと。
いうなれば、眉を整えたりメールをマメに出したりする労力を払う代わりに、自分の心の中に
「彼女欲しいよー! ラブラブ生活が送りたいよー!」という欲求があふれ出さないように城壁を
築いているだけです。どちらも等価です。
> 変わりたくないなら訳の判らない中間地点でクネクネするのは単に見苦しいだけだしやめたら?って思うし。
中には終生パートナーが途切れることが無い、という最初から結論が出ている人もいますが。
私自身、大学デビュー、社会人デビューと何度もクネクネしてきました。
相互に満足できるパートナーが見つかる可能性があるのに早々に鎧を着込んでしまうのももったいないし、
そもそも女性全般にソリが合わないのに強引に婚活に飛び込むのも後々禍根を残します。
それをハタからみて見苦しいの一言で止めろというのは、横暴なのでは?
オシャレそのものが好きな男もたくさんいるんじゃない?
古くはダンディズム(近代ヨーロッパのスノッブの一種)、そこから派生したクラシックオタク(オーダースーツとかシャツとかね)、
ストリートスナップを席巻する人々とそのフォロワー(彼らはコーディネートやスタイリング重視)、髪型やスタイリング剤にすごく凝る人(若年層に多し)
みんな装わないと完成しないし、彼らの欲望が「モテ」にドライブされてるわけではないのは言うまでもない
そこまで行かなくても、「試着してみて気に入ったからこの服を(モテとか関係なく)買う」なんてのは、ごくありふれた感覚だしね
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E7%94%B0%E5%BD%B0
長いけど引用。
人文知の現在については、『表象』no.01(2007)における松浦寿輝との対談において、「プラグマティックな工学知とそれによる利潤追求がすべてだ」(テクノキャピタリズム)という発想の全面化により、「人文知の成立する余地が失われた」。「いまや国家もハイ・カルチャーに興味をなくしつつあるし、オタクあがりのIT成金もハイ・カルチャーに興味をもっていない」。残っているのは、「日本における動物的スノッブあるいはスノビッシュな動物としてのオタク、その幼児的倒錯」しかないように見え、実際、「幼児的退行を売り物にするカルチャーが、日本的なオタクの特殊な表現であるということで、世界的に売れてしま」う。「2000年前後に、ドラスティックな変化があった。それまでは近代文学というものが辛うじて生きていた。しかしいまやそういう意味での文学とは違うところ、いわゆるライトノベルやケータイ小説、アニメやゲームのほうが、主流になってしまった。文学もそういうふきさらしの荒野に出てしまったと言う感じははっきりする」
しかし「素直に言って、僕はそういうものは最悪だ」と思うし、「市場の論理がすべてだとは絶対に思わない」。とはいえ、それらへの「反動として、ヨーロッパ的(あるいは東洋的)な古きよき教養に戻るというのも望ましくもなければ可能でもない。亡命知識人の体現するヨーロッパとアメリカの臨界に、20世紀の人文知の最大の可能性があった。それを21世紀にどうやって取り戻せるのかというのが、ひとつのモチーフになる」と述べている。
この鋭さはやはりすごい。
これについこの前の内田樹の話がかぶってくる。
http://blog.tatsuru.com/2011/08/01_1108.php
こちらは引用しないけど、ネット上の言論が暴力的になってきているという彼の印象と、それについての言説。
で、
サブ・カルチャーが社会において力を持つということは社会の教養レヴェルが(全体的に)落ちたということではないのか?
教養の不足、というのは、他者との距離感を錯誤する。わたし、と、あなた、の違いが曖昧にしか感じられなくなってくる。
総理大臣に『バカッ!』ということが、冗談でなくて本気で彼に伝わる、そんな感覚さえもつようになるのでは?
そして政治家もまたひとしく教養を欠き、彼らの十八番であった言葉遊びができなくなって、記者会見で泣き出す?
政治家でない私が政治家と違うのは、互いの囲まれた環境(circumstance)が違うのだから当然で、彼の言葉を理解できないから『理解しようとする』。
今そういうことを皆できなくなってきてるのではないか。
『おマエ氏ね』と書き込むひとは、案外以前より一層、本気で書くようになってきたのではないか。
二人のコトを読んでそんなことをぐるぐる、もやもや、考えた。
だいたい本人の利害かナルシシズムで説明が出来た。
「女がわりー」は本人や友人がスーフリ方向なサークルをやってたと考えれば要するにただの自己弁護だし
「時代かー」はナルシシズムそのものだ。
つるんでる友人と集団自己陶酔とか
程度の差を考えなければいたって普通の若者、若者のお約束ともいえる。
違いはそういうディテールぐらいで)
一方
ひたすら目に付く人間、特に女について、常に敵意を剥き出して難癖つけているだけ。
ここには、ネットで問題起こす若者にありがちな「私達とそれ以外」的な感性が、ありそうでない。
女への基準不明なほど広範な敵意や悪口は、狭い友人の輪の中ですら株が上がりそうな感じがしない。
オシャレゴリラのツイッターは、それが彼の友人や後輩にどのように愛されて楽しまれたか容易に想像がつくが
アディダス社員のツイッターやミクシィにはそういうのすらない。
大学の同学年の女、若きイケメンスポーツ選手の妻、スーパーで見かけるおばさん達、
攻撃対象の選定が「女」以外に共通点不明。
ラインナップを見るに嫉妬とか対抗心と言った簡単な説明も出来そうにない。
果ては自分の帰属先の一つである”勤め先”にも無用かつ理由も無い悪態をついてる。
オシャレゴリラやトンコツ王子ほどわかりやすい精神構造や利害を持たない
もう少し破滅的なピチガイだった気がする。
まあそんな差異なんかほぼ誰も興味ないだろうし
ここに墓碑として駄文をうずめておきたい。
それはフィクションの世界で用いられる「役割語」の働きのせい。
翻訳に限らず、日本人の書いた日本語の小説・マンガなどを見ても「~だぜ」「~~ですわ」「~~じゃ」など、不自然な語尾の特徴付けは行われている
そうする理由としては語尾に特徴を着けることによってキャラクターのイメージを強化すること、
セリフ部分を一読して誰の発言なのかよく分かるようにするため、などがある
これらを「役割語」と言って、金水敏という国語学者がこれに詳しい。
翻訳というものは、ただ単に語から別語への移植をするだけではなく、移植の際に翻訳者の新たな創作が加わるという一面もあるので
英会話の訳(外国人インタビューの翻訳等のことを言っているのでしょうか?)もフィクショナルな付け足しが行われるものと思われる。
(また日本語だけでなく英語にも、日本語の「~~ですわ」等にあたるような口調の特徴はあります。
私は英語に詳しくないのでよく知らないが、イングランド調であったり、スノッブな口調であったり、オカマ、田舎言葉、黒人言葉、などなど)
君の中では、ちょっと厚い本や美術館へ行くということは
本来普通の生活をしていたら有り得ないような一般的基準を逸脱した行為なんだね。
だって、素直に答えることが間違ってるってことはそういうことでしょ?
まったく信じられない話だ。ネタとしか思えない。
私も本も読むし美術館にも行くが、確かに同じような経験がある。
しかし同じような立場の人なら分かると思うが、厚い本を読むことや美術館に
行くことは一部の知的エリートの為の限られた趣味というわけでは決してない。
そこらの主婦やヤンキーだって、厚い本読む奴は読むし美術館にだって行く奴は行く。
だからそれらがスノッブな、権威を振りかざすための道具のようなものにはなり得ない。
確かに知的なものや文化的なもの(語弊がありそうだが敢えてそう表現する)を
過剰な権威を持って扱われることは昔から続いているものだが、
いい加減それが全く意味のないことだということに気づいて欲しいものである。
http://anond.hatelabo.jp/20100831203134
はっきり言って、HMV、Right On、ピンクラテ、IKKA、ヴィレッジヴァンガード、ワーナー・マイカル、無印良品がある程度で「擬似東京」なんて言う人がお目出度すぎる。あんなもん、東京資本が中国の工場で作ったものを売ってるだけで、別に東京の文化を売っているわけでもないし、東京の記号ですら無い。確かにそれっぽい服を買ったり、けいおん!のCDを買ったり、特攻野郎Aチームを見に行くにはいいかもしれないけど。でもそれ、別に東京じゃなくてもできるじゃん。
そういうわけで、本当に擬似東京「トーキョーモール」に有るテナントを妄想してみた。
紀伊国屋でも三省堂でもなく青山ブックセンター。今となってはブックオフ傘下となってしまい、スノッブハイソ書店としての地位はすっかり凋落してしまったけど、それでもここで洋書や美術書を買ったり、トイカメラを買ったりするというのは、一種のトーキョー的消費じゃないだろうか。どれもこれもアマゾンで買えるものだけど。
イオンモールがランドマークになるようなクソ田舎で一番文化的にレベルが下がるのは映画。フジテレビとかが制作するような映画とか、ハリウッド大作とかはワーナー・マイカルで十分だけど、ユーロスペースでやるような単館系は田舎じゃ見る機会がない。いや、それどころか「涼宮ハルヒの消失」ですら見れない県は沢山ある。
ここも青山ブックセンターと同じで、アマゾンで買えるんだけど、でもかつての田舎の音楽少年ってここに憧れてたよね。
去年のここの銀座店オープンの時、田舎のおしゃれ好きさんたちが、現金握りしめてならんでたよね。
アップルストアを家電量販に含めるのは間違っているんだけど、扱い的にここ。MacもiPhoneも別にヤマダ電機で買えるんだけど、最上階でやるワークショップとかイベントとかはアップルストアでしかやっていない。
あとは神田古書店街とか下北沢のライブハウスとか秋葉原とか中野ブロードウェーとか色々あるんだけど、それを言い出すとモールじゃなくなるので除外する。
「スノッブ」「『私はあなたの仲間である』というマーキング」「『私はあなたの仲間だ』と囲い込むためだけの言葉選びや引用」
こうしたものだけで、徹底的に埋め尽くした漫画なり小説を、かいてみたい。
ただただ囲い込むだけの、仲間意識を強めるだけの、中身なんて何もない「それ」を、かいてみたい。
こちらの文章を読んで、いろいろ思った。
「スノッブ」「『私はあなたの仲間である』というマーキング」「『私はあなたの仲間だ』と囲い込むためだけの言葉選びや引用」
こうしたものだけで、徹底的に埋め尽くした漫画なり小説を、かいてみたい。
ただただ囲い込むだけの、仲間意識を強めるだけの、中身なんて何もない「それ」を、かいてみたい。
それで世界を埋め尽くしてみたい。
セカイを「無意味」で埋め尽くしたい。
「わかっている奴ら」からの深い考察なんて拒絶したい。
って、いうか。
現代の創作はもうほとんど仲間意識を強める言葉や引用を散りばめるだけで成り立っている。それが最近の貧困さの原因でもある。
最近のサブカル好き同士の会話なんて、お互いが好きなキーワードを連発し合ってにやりと笑っているだけの、本当に貧困で醜悪で、言葉にできない酷さだ。そんな人間が日本の文化を滅ぼすんだ。どんどん自閉していき緩やかに自滅していく。
増田さんの文章を読んでいて、(最近読んでいないから、ちょっと古いのかもしれないけど)ミヤダイ(宮台真司)の「終わりなき日常を生きろ」に、
「永久に輝きを失った世界」のなかで、「将来にわたって輝くことのありえない自分」を抱えながら、そこそこ腐らずに「まったりと」生きていくこと。
とあったのを思い出します。
継承していかなければならない「文化」にしろ、打ち破るべき「文化」にしろ、はっきりとした基準が、無くなっちゃったけどさ。
ひょっとしたら、これを書いた増田さん、苦しみながらそういう文化を求めているのかもしれないけれど、それってキツくないですか? 個人的には、昔ながらのサブカルは死んだし、おたくは乗り越えられた、と思っているけど、増田さんの中ではまだ戦い(ハルマゲドン)を求めてそうな気もする…… 、いや、失礼だよね、こんなことを書いたら。
増田さんの書いた内容とは、ちょっとずれた内容だけれど、あなたが醜いと思っている連中も、「必要があるから醜くなった」とするなら、ちょっと違う見方ができませんか? という話。
……ところで、「まったり革命」って、どうなったんでしたっけ?
ただ、取り上げている「モテキ」にしろ「伊集院のラジオ」にしろ、「音」なんだよね。
「映画秘宝」は別として、漫画家は増田(評論家?)と違って、思想や論理ではなく、感性など身体的な感覚を重視しているのかな? と思った。
日本の文化が、かなりマズい方向へと進み始めている。私はこれを止めなければならない。そのためにこれを書く。
まずはひとつの記事を紹介しよう。あまり人に広めたくないあまりにも醜悪な文章だ。
しかし、現代における様々な問題を見事に一点に凝縮しているので、思い切ってリンクする。
http://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/51007015.html
例えば「格好悪いふられ方」とか「深夜高速」とか「ザ・ミーハー」とか「はっきりもっと勇敢になって」とか。
オレにはその絶妙なセンスがツボで
「おっ、大江千里か!」とか「フラカンね、はいはい」とか「森高かよ!」とか
「ついに岡村ちゃん使ってきたかあ」とか
毎回楽しみにしていて連戦連勝ですべて当ててきたのだが
去年の秋ごろに初めて「・・・知らんなあ・・」となった。
後悔した。やはり醜い。スノッブとはこいつのことを言う。
何が醜いかというと、モテキの作者がただ見栄えをよくするためだけに楽曲タイトルを引用する態度と
その引用元がわかることに喜んでしまうという読者との共存関係だ。
同じように注目されているマンガで『ザワさん』というものがある。このマンガでも全く同じ現象が存在した。
それは耳にイヤホンを指している男子高校生に対して矢印書きで書かれた「伊集院のラジオを聞いている」という文字だ。
「そんな高校生、今どきいるか」という二重の意味で驚愕したのだが、本当の問題はそこじゃない。
この引用は作品のクオリティに何の影響も与えていない。ただただ、作者が好きなものを作品内で提示したにすぎない。
わかってる奴だけが気づいて不気味にニヤリと笑うだけだ。この醜悪な一連の行為はいったい何なのか。
はっきり言うと「私はあなたの仲間である」というマーキングにすぎない。
ザワさんで言うと「私は伊集院のラジオを聞くような人間です」「伊集院のラジオが好きな人は仲間です」というメッセージ。
作品内にわかる人間だけがわかる符牒を忍び込ませ、その意図は仲間意識を強めるためだけ。
これはニッポンのサブカルチャーのもう至るところに散見される。
例えば映画秘宝文化圏。こいつらはやたらと「俺たちボンクラは」という言葉を連発する。
「ボンクラ」というキーワードだけでただ連帯している。このような囲い込みは排外主義を伴なう。
事実、映画秘宝は「ボンクラ」というキーワードに引っかかる人間だけを相手し、
お決まりの作法を繰り返して、自分たちの文化圏外を口汚く批判するだけでゼロ年代を終えた。
現代の創作はもうほとんど仲間意識を強める言葉や引用を散りばめるだけで成り立っている。それが最近の貧困さの原因でもある。
最近のサブカル好き同士の会話なんて、お互いが好きなキーワードを連発し合ってにやりと笑っているだけの、
本当に貧困で醜悪で、言葉にできない酷さだ。そんな人間が日本の文化を滅ぼすんだ。どんどん自閉していき緩やかに自滅していく。
島本和彦が『天元突破グレンラガン』を評した言葉を紹介しよう。
言葉が先行してて、明確な定義はないのだが、ハテナによるとこんな定義がされている。
1.過剰な自意識を持った主人公が(それ故)自意識の範疇だけが世界(セカイ)であると認識・行動する(主にアニメやコミックの)一連の作品群のカテゴリ総称。
2.[きみとぼく←→社会←→世界]という3段階のうち、「社会」をすっ飛ばして「きみとぼく」と「世界」のあり方が直結してしまうような作品を指す。
アニメでいうと「新世紀エヴァンゲリオン」が代表格になるだろう。
で、小説の世界だと「0世代」にくくられる西尾維新や佐藤友哉らがこの文脈で語られることが多い。
で、「ライ麦畑で捕まえて」を一読して、この世界的な青春小説は「セカイ系」の元祖だったんじゃなかろうかなんてことを考えた。
成績不良で高校を退学させられたホールデンが、実家に戻るまでの「三日間の彷徨」を口語体の一人称によって語るというものだ。
道中ホールデンは様々な人に会うのだが、いちいちこいつ病気じゃないのかという態度とり、悪態をついては、相手を怒らせる。回想シーンに登場する旧友や恩師にたいしても、冷笑的な批判をくりかえす。
ホールデンにとって「よきもの」として騙られるのは、死んだ兄、妹、道中に出会った尼くらいのものである。
じゃ、ホールデンの思考回路が支離滅裂かというと、価値判断の基準だけはぶれがない。
ホールデンは、大人社会の「欺瞞」や「スノッブ」に対する徹底的な反抗者としてかかれており、彼の「ピュア」や「イノセンス」は一貫してくどいほど強調されている。
その「ピュア」や「イノセンス」に触れるものに対して、彼は悉く過剰反応を起こす。
ただ、ホールデンのいう「インチキ」というのは、大人が嬉しくもないのに「nice to meet you」ていうのは許せないとか、その程度のもので、潔癖症に近いものがある。
おまけに最期にホールデンが語る夢は、「聾唖になって森のそばに住みたい」だとか、「ライ麦畑で遊ぶ子供たちの監視員になりたい」とかもう「引きこもりの妄想」の領域に入ってる。
「ピュア」でも「イノセンス」でもいいけど、いいかげんにしろって感じだ。
どっちかというと「イノセンス」というよりただのヘタレなんじゃないだろうかという話はさておき、ホールデンの不幸は、自分がその「汚らしい大人」の領域に踏み込みつつあることを自覚していてそれゆえに「壊れて」いくことにある。彼は病気になることで、自らの「イノセンス」に殉死したとも言える。
私が「ライ麦」をセカイ系だというのは、このホールデンの過剰な自意識と、自分の価値観に基づく自己愛。そして学校を辞めたことに端的に表出されている「社会」をすっとばしたセカイへの直結(あるいはセカイからの逃走)がセカイ系の特徴とリンクしてるなと思ったからだ。
さらに「壊れていく自分」というのはセカイ系でも定番のモチーフなんだが、「ライ麦」では、壊れていく自分の攻撃性は外部に向かうのに対して、エヴァや0世代の文学では、その攻撃性は、自分へと向かい、「自虐的な自分語り」に落ち込んでいく。
この差が、時代的なものなのか、お国柄なのかはわからんけど、セカイを憎んだ「ライ麦」は、ジョン・レノンを射殺したマーク・チャップマンや、レーガン元大統領を狙撃したジョン・ヒンクリーに愛され、21世紀最大の知能犯「笑い男」(攻殻機動隊SAC)を生んだ。
「頭がいい(≒成績がいい)」ことがもてはやされるのは、いい会社に勤めていい仕事をする能力があり、いい給料を稼ぐことができる、とみなされるから。
言い換えれば、頭のいい人は(資本主義社会の)良質な労働力として社会から期待されているわけだ。金稼げよ、って。
だから親も国家も教育に「投資」するんだよね。塾行けよー、とか。国立大学の授業料は安いよー、とか。
でも、頭の良さにはざっくり言って二種類ある。
一つは、効率よく物事をこなす能力。最小の努力で最大の成果、みたいな。東大の入試問題とか、この能力を測る典型でしょ?(たくさんある問題から簡単に解けるものを効率よく正確に迅速に解いていく競争)
もう一つは、物事の本質の探究にエネルギーを注ぐタイプ。「どーなってんだこりゃ?」って疑問に思うことを徹底的にじっくりと掘り下げていく。研究者系。
後者の方がカッコよくみえるよね?本当の学力ってのはこーゆーものだ、効率重視なのは見かけ倒しのハリボテに過ぎん、って。はてなスノッブのみなさんはもちろん、一般的にもそう思われてる。気がする。
でも実際は、明らかに前者の方が優遇される。だって、後者は労働力として役に立たないもん。
だから大学で哲学博士とかとっちゃうと、そりゃまあ普通の人より「賢い」んだろうけど、「労働力」としてはバッタみたいなものだからどこの企業も欲しがらない。
じっくり時間をかけて考えたり小難しい本を読んで悦に入る人たちは世間から疎まれる。
「大学でハイデガーの研究をすることで将来何の利益を生むんですか?われわれの税金も使っているんですよ?科学技術なら将来なにかに化けて国に貢献するかもしれません。でも実存主義を教えたところで自殺者を増やすだけじゃないですか。だから科研費は人文・教養系全部カットね」
結論を言うと、じっくり考えるタイプの頭のいい人は、社会に出ると単なるデクノボーっていうこと。増田の僻み?
要するにあれだ。「足が速い人」と同じぐらいの価値。へ~すごいね~、ぐらいの感想しか持たれない。でも小学校ではチヤホヤされただろ?でも会社で「俺、100m10秒台出せるっす」とかいっても合コンの時の話の繋ぎぐらいにしか役に立たない。
でもこのタイプの人間も学力テストではそこそこいい点数とれたりするんだから始末が悪い。
「俺って頭いいじゃん!」って錯覚するし、周りも「○○くんすごいねー」って言ってくれる。いい大学にも入れる。
この資本主義社会では頭(≒効率)の良い人間は良質な労働力とみなされるから、いろいろ丁重にもてなされる。
だから、研究者タイプの頭の持ち主は、天上から一気に地べたまで突き落とされる。社会に出た瞬間。その落差たるや凄まじい。凄まじいから嫌になってひきこもる。社会から逃走する。あるいは大学に籠城する。行き着く先はニートか自殺かウシジマくんか。
まあ、超天才はこの話カンケーないっすけどね。トントン拍子に学者なり評論家なりになって食っていけるし。でもそれはごく一握り。学生ってすぐ「あの教授バカだよなーまじうぜー」とか言うけどそれ完全にお前のペガサス幻想だから。いくらボロクソに言われようが、やっぱり東大の先生は天才なんだよ。でも東大の学生がみんな天才である保証はない。足だってムチャクチャ速い天才児はオリンピックなりなんなりで活躍できるっしょ。
長々と書いたが、要するに、わたしは、社会のゴミだ、ということの確認です。
こんなの当たり前だ何甘えてやがるファック?長いから3行で?自分語りはチラシの裏に書いとけ?
いーんだよ。どうせ増田だし。こういうときの増田だし。やっぱ誰かに聞いて欲しいし。いーじゃん。近藤さんありがとー。
ねえ みんな
なんで私をそんなに誉めてくれたの!?
私のどこがそんなに優れてて
いっぱい賞状やトロフィーをくれたの!?
みんながあんまり誉めたりするから
それで このザマよ
私なんてホントはダメダメだったんだ
何の保証にもならない数字で
勘違いさせないでよ!!
中高の友達と彼女はいるけど四六時中連絡取れるわけじゃないので暇。もてあましても周囲の人々に迷惑なので友達を作ろうと彼女のマイミクにコンタクトを取る。
一回目。変態キャラの人に変態的なことを送ってみる。その人本人からではなく、周りの数人からいたずらメールが帰ってくる。その後、彼女から「マイミク切られた」と苦情。ちゃんとしようと思う。
二回目。ちゃんと良識的で教養あるっぽい内容。ちゃんと話はできて、チャットする。本や音楽の話に対して、自分が思うこととかを話してみる。相手の話を聞き、自分なりに考え直してみる。楽しんでいたはずが、チャットを一方的に切られたと思ったら後にその会話を揶揄する内容の日記。翻訳&要約すると「スノッブきめぇ精神病院いけ」。いい加減にしてくれと彼女に言われる。
サークルには入っていない。というのも、やりたいこと(一応、学術系?)ができるサークルで一番まじめそうだったものが新歓で未成年に平気で酒を勧めるような内容。飲んではいけないと思ったうえ、活動内容にかかわるような話を聞いても「まあ今は難しいこと忘れて飲もうよ」。また「文系だと就職厳しいから」といった話をすると「君なんでそんなに暗いの?」。一番まじめそうなのでもこんなのかとムカついてどのサークルにも入らなかった。結果、孤立。自業自得だけど代替案はほしいと考えて、上の失敗。
思えば二外のクラスでもそんなことが起きてた。一番最初に仲良くなった人が、こちらが誰と話そうとも割り込んでくるうっとうしい人だったので遠ざけたらすべての関係性を失った。これもしょうがないと思う。
演習クラスでは数人と仲良くなった。そのうち一人の女子と悩み相談的なメールを交わす中「大丈夫だよ」「心配ないよ」みたいな長文メールを送りまくったら無視される。気持ち悪がられたというより怖いと思われたのだろう。その後、向こうから暇つぶしのメールが送られてくる。普通の会話。その程度には許してくれてありがたかった。他の男子と仲良くなり、そのうち一人とは割と話せる間柄。ただし向こうが忙しいので会ったりはできない。というより会わせる名目が浮かばない。
思えば、目的や事情がない限り人を誘ったり呼び止めたりできない人間だった。気になる人がいた時はいったんその場から離れ、用件を捏造してから戻ってきて呼び止めたりもしていた。会話の流れを頭の中で脚本みたく組み立て、その通りに行かないと二度と話しかけられない。旧友や彼女からは「そんな考えすぎなくてもいいのに」といつも言われる。考えすぎない方法を知りたいのに。気楽にやったら即座にボロがでるじゃん。
たぶん、友達になろうとした人を遠ざけたり変に距離を迫ったりするのが傍から見ていると気持ち悪いんだと思う。わかってはいる。ただ「まじめに」「楽しませよう」とするたびにスベってしまうんだ。それが余計不気味に見えるんだ、多分。
中学以降で新しいクラスとかに入った際は、いきなり突拍子もないお笑いキャラを演じて相手をびっくりさせてきた。それなりにウケていたし、場も和んでいた。というより最初から臨界点を計算づくで見せとけば、後で素の自分に引くような人は最初から去ってくれるだろうという願いだけれど。事実、いまだに付き合えてる仲間は全員その時に近づいてきてくれた人だったし。本当の人間関係しかほしくないとか考えてた。
正直今、薄く広い人間関係を得たい。……いや、どうなんだろう。でもとにかく、良かれと思ったり楽しませようと思ったことで周り中に迷惑を掛けるようにはなりたくない。自分でも何をどうすればいいのかわからないけれど、もっと普通になりたい。みんなと楽しくやりたい。それなのに、四方八方に迷惑なことを繰り返してしまう。今度こそうまくやろうといいながら、このままだと多分ずっと。
僕は何がおかしいのでしょうか。絶対何かあると思うのですが。
自己愛性人格障害とアスペルガー症候群を自分で疑ったことはありますが、問題がそれほど致命的じゃないので病院にいけません。
授業や課題をサボるようなやつなので病的な潔癖症でもないですし、単純にプライドが高いんだと思います。
学校でイスぶんなげて暴れたことが小中高とあるので精神科に通ってたことはありました。
今は「この瞬間イスをぶんなげなくてはいけない」「でなきゃお前クズ、死ね」みたいな変な強迫観念はないので行ってませんが。
そのときの病名は統合失調症だったらしいですが、「聞こえない声が聞こえる」とかは中二病的キャラにあこがれて自己暗示してただけなので仮病だったと思います。
でも「病気を装おうとする」ことと、「こうしなくてはならない」みたいな変な考えは何かおかしい気がします。
はてなってさ、ブログとかいっぱいあっていてて飽きないんだよね。まさに休日の楽しみって感じがしてさ、本当楽しい。
もうはてなで過ごした休日深夜とか最高。色んな言論を戦わせてるがちょっとスノッブな所とか、誰を叩こうか目移りしてしまうぐらい多い痛い奴とか、小学生でごった返してるうごメモとか、至高。マジ見てるるだけで幸せって感じぃ~とか思っちゃうよね、そりゃあもう。
んで、アルファのブログでほっと一息ブコメ内容に気合を入れちゃったりしちゃって書く時は特に叩きたくはなかったのに、雰囲気に呑まれて叩いちゃうの。ああ、僕は今たかが非モテ論なんかのために20分を費やしてしまいます、とか考えるわけ。それがまたいい。人を叩いてると気持ちいい。
そろそろ明け方に差し掛かってきたところで、y_arimのブログで適当にブコメ読んで帰るの。この時間になると思わずこみあげてくる寂寥感がヤバイ。明日からまた仕事か~とか思いながら、ブラウザを閉じる。もう泣きたくなるよね。接続切りたくないよね。
自blogのPVがン十万を超えたと子供のように喜ぶ態度、そしてそれを恥ずかしげもなくエントリに上げてしまうこと、こんな愛すべきアルファブロガーを他に知らない。アルファブロガーとは皆おしなべてスノッブで、アクセス数なんかに小躍りして見せる人はいない。
じゃあ、ダンコーガイとかネタフルとかがアフィリエイトの売上を報告するのは何か。彼らがやっているのは、「これだけ儲かるのだからみんなやろう」と勧誘するマルチ商法と同じだ。小飼やコグレとかいう連中を支持する者は、今さらながらマルチは後発組が損をするという事実を認識しておくべきだろう。
じゃあ、昨今のエントリで「アフィリエイト売上げが駅前の小さい書店のそれと同じくらいになった」と書いてる池田信夫センセイはその同類だな。