はてなキーワード: ゴミの日とは
一週間ずつ、30軒位で掃除当番を回している。
当番内容は、火・金の燃えるゴミの日と木のプラスチックゴミの日、水にある紙類・不燃ゴミ・ペットボトル等の回収後に、回収されなかったものがあるかチェックし、軽く掃除。
共働き等が以前から多い地域だからか回収直後でなくとも当日中にやればいいという決まりだ。
夫婦ともこれまでと変わらず車で仕事に行ってる。A夫の方はタバコも今まで通り吸ってる。
とりあえず、今回は次の家庭に回した。
病気だから、センシティブな話題で深く聞いていけないのはわかる。
だが、代わってくれた家庭の奥さんに(元から近所トラブルがあるとはいえ)、
「俺達の代わりにきちんとやれよww」
と囃し立てながら、タバコの吸殻を投げつける人を信じてられるのか、と。
それでも、信じなきゃいけないのかと。
体調が万全で無いときは書く気力というか
なかなか書くことが進まないわ。
豆の缶詰、
缶を開けたらそのまま食べられるタイプのやつで
もちろん缶詰のまま食べたりなんかしないけど、
豆なので素っ気ないっちゃー素っ気ないけど
食べ応えは結構あるので
ローリングストックをローリングせずに買ってきてすぐ食べるってことも可能なのよね。
どっかのSFにでも出てくるようなセリフを言ってみたくなるわけなのよ。
まあ飽きずにずっと食べ続けても平気なタイプの人なので私って、
案外宇宙時代突入でそう言ったものを食べ続けるのは得意気に得意かも知れないわ。
ヨーロッパに行ったときなんかやたら毎食豆のスープでその時は参っちゃったけど、
今になっていい想い出の豆ね!ってそう思うわ。
薄い味のスープに具が豆だけって言う、
耐え忍ぶ国民が今日もこれだよって差し出されたスープ皿にはそんな豆のスープがあって
それをただひたすら食べるシーンを思い起こしてしまうし、
必死になってきゅうりの缶詰を開けるピアノマンみたいでもあるわね。
まあそんなわけで、
日頃の食生活が荒れに荒れまくっているわけではないんだけど、
最近はと言うより、
ここんとこ2週間ぐらい豆の缶詰でもう人類それだけでいいんじゃない?って思うほどひよこ豆だし、
わざわざ
目の前にあったのよひよこ豆が。
振り向けばカエル!って言うけど
私にとっては振り向けばひよこ豆ってところね。
缶のゴミが増えまくるのが玉に瑕だわ。
ゴミの日でさ、
ここの住民はなにか強いられているのかと思われても仕方ないぐらい
そのぐらい空き缶が溜まるのよね。
ちゃんと2週間に1回来る缶のゴミの日を逃さないようにしたいものよ。
火も通さないのに美味しそうだ!って言っちゃダメなんだからね。
うふふ。
最近こちらのお店ばかりのを買って求めているけど総じて味が濃いわ。
対岸のお店まで渡って今行けないので、
早く元気になったあかつきには行くわ。
健康の尊さを感じつつ
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
あのさ、
自宅待機でテレワークなんだけど、
早めのパブロン!って勢いで怪しく思い自ら自宅待機していたから東京のメンバーは濃厚接触者では無い説濃厚らしく、
そこは無きことを得たのか事なきを得たのか
どちらでもいいけど、
コロナで亡くなられたときコロナで亡くなったか公表しますか?しませんか?って選択できるらしくって、
それカウントされないようにしている人も含めたら、
もっと随分多い数らしいって事を
ひた隠しにしているようよ。
うーん、
身近にコロナが迫ってきてる感じがする恐怖、
このコロナ禍の中でコロナの話しをする頃なのかも知れないわね。
自宅と事務所の往復なので
遠出の遠方には遠征していない
まん延の
まんを平仮名で書くから緊張感に欠くこともないことないかしら?って
あそこも全部漢字で書くべき緊張感を漂わせた方がいいと思うのね。
台湾の方が営んでいる私がよく行くお店なんだけど、
ここは持続給付金とか飲食店とかそう言う類いのはやってないのかしら?って一抹の不安にも駆られるけど、
なんか飲めるっぽくって
超常連だったらこっそり湯呑みにワインを注いで出してくれたりして内緒だよって言うところのお店も多いって聞くし
世間はやっぱり飲みたがっているのかしら?って思うけど、
これ以上何を気を付けていいか、
しっかり消毒してマスクして、
フェスには行かないようにするとか。
家に籠もってゲームするしか娯楽がビール以外に無いのも辛みだわ。
家のビールの消費量が累計で試算すると経済産業省がビックリするぐらい
缶のゴミの日に出すゴミ袋にたまった空き缶をみてドン引きするわ。
焼け石にファイヤーよね。
ちょっとでも
周りにそういう感染者の話を聞くと緊張感が漂うわ。
こないだ銭湯でご一緒になった人、
しばらくお見かけしなかったと思ったら
いまはコロナ直って復帰したけど、
臭覚や味覚は正常の頃を10として今でもまだ2ぐらいな感覚しかないのよねーって言ってて
ならないに越したことはないのでならないようにしなくちゃね。
気を付けないとね。
鶏のムネ肉をふんだんに使ったサンドイッチで
これも美味しいわねって思ったわ。
ここんところ夜肌寒くなったような気がするし、
キンキンに冷えたウォーラーも寒さ覚える頃なのかも知れないし、
まだ暑さもぶり返すって言ってるし
もうどうなることやらって感じよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
月一しかないけどだいたい毎月出る
100均で買うようなプラ製品の末路はだいたいこの日に処分する
あと俺はプラモデルの趣味があるので不要になったプラゴミや塗料のこびりついた空き瓶やカッターの刃なんかもこの日に出す
一度ゴミの持ち込みに行ったことあるけど山の斜面を整地して地面を掘ってそこに投げ入れるだけだった(細かくはだいぶ違うけど)
とりまここに埋めておくので未来の人類よ、あとはよろしく頼むという処理方法
2021年、令和の世の中、人類はまだゴミの処分に手こずっている
ググるとうちの地方の埋め立てゴミを直接持ち込みに行く場合の搬入先が今年の4月で変更になってるようだ
新しい搬入先がどういうところなのか具体的な情報がネットでは見つけられなかったのでよくわからない
搬入先住所を見る限り少し街中にあるのと中継所という名称なので改めて細かくゴミの仕分けするようになるんだろうか
埋立終了とか施設廃止の情報はないからまだ継続して投棄場として使うんだろうな
その前の投棄場は昭和47年にできて平成10年に埋め立て終了、令和2年に施設廃止、現在は管理のみとのこと
47年生のゴミ処理場は令和の未来人なら処理できると信じて施設を作ったんだろうけどまだ俺たちには処理できねえわ、ごめんね・・・
詳細
・私(陰キャ)
・友だち2人はどっちも2、3個年上(陽キャ、友だち多い)
・私は数年前まで年齢近い方の1人とたまに2人きりでご飯食べたり遊んだりしてた(相談事も全部こっちに)。
・勤務先で知り合っていつのまにか3人で遊ぶようになってた
・毎年プレゼントを贈り合う(書いてて思い出したけど、2人とも貰っても一度も嬉しそうだったことなかったかも)
・奢るとか奢られるとかは無し
・何処か行くとかなら必ず割り勘
辞めた。つまり会わない。予定を合わせもしない。連絡しない。もちろん会いに行かない。急にむこうから会いに来たら避けようがないが、まぁ、そんなことは起きないだろう。そう思っている。
急だったが、今月どうする?とのグループラインに断りの旨メッセージをいれた。じゃあ今月はやめとくかー、とその場では解散。個人のラインから、どうした?となぜ断ったのか詳しく聞かれたが、疲れてて会いたいと思わない、と入力。送信。
もう会わない。強く強く決意する。もう虚しくなりたくない。
対等ではなかったのを知っていた。気づいてた。思い知ってきた。
2体1にされることはけしてなかったけど、うまいこと離された場所にいつも1人。
3人で会ってもこっちを見ないで進む2人だけが分かる会話。
あげても消費されないプレゼント。(一年前に贈った瓶入りのジュースを家に遊びに行った際2人とも消費しなかったので飲んでくれと振る舞われた。たいして美味しくなかったね。良かった。好きだといっていたので贈った物を、他の人にそのままあげてた。バレてるよ。いや気づいてごめん。)
質問に、あ? とだけ返事をされる。面倒くさそうに返される質問への答え。
不意に睨まれる。
2人きりの食事の誘いを断られる。(冗談めかしても真面目に断られる。)
誘ってないのに断られる。何処どこに行きたいんだよねーと話しかけると、無理だわ〜と断られる(これは流石に笑った。)
2人が遊んでるところに運悪く出くわしてしまう私。
後ろの席に座っているのに、前の席から聞こえてくる陰口。嫌味な発言。
いつのまにか開催されていた飲み会の話をされて、ぽかんとしてたらなんで来なかったのか詰問。誘われてないから、との返答にそれはありえないよーとのこと。そうなんだ。
こういう態度なのに一緒に旅行とか行くんだぜ?狂ってる。行く前に2人が連絡取り合って決めてた色んなことが当日旅行先で発覚して内心驚く。驚いてちょっと納得できなくてそんな自分がちっちゃくて情けなくて、いつもちょっとだけ死にたくなってた。(サプライズ、大好き。)
ごめんなさい。うまくできなくて。無駄にプライド高くてすみません。邪魔ですみません。こんなの友だちじゃない。そう思ってごめんなさい。許せなくてすみません。嫌いだったり好きだったり自分に都合よく繰り返してすみません。
解決したくて結構頑張って色々やったけどダメでした。贈り物は高価なものあげたりしてた時もあった。そうじゃないよね、ごめん。
話し方かえて。話は簡潔に。結論から。しつこくしない。気にしない。変われなくてごめん。イラつかせてごめん。ごめんなさい。いつも漠然と怖くて、傷つけるだろうから本音言えない。悪者にもなれない。一番は嫌われたくなかった。色々遅いな。すみません。
まぁそうだよね。元々がダメな奴だから。いつもこれで自己完結。
聞いてみようかと思ったこともあったけど、聞いたらそれこそ終わりだろうって思っていたからいまだに聞けてない。なんで? て聞きたいけど、多分声出したら泣く。怖い。だからこうなってる。
なんか、なんだろ。居てごめん。すみませんて何度も思ってきた。この2人と居て。
生きててごめん。死ねなくてごめん。頑張ってるんだけどね、プライド高くて自分大好きだから死ねなくてごめんなさい。
でも不思議だ。嫌われてないと思うんだから。嫌われてないよ。好かれてもないけどね。大切でもない。居てもいいけど、居なければなお良し。それが私。
嫌われてない。今年も人伝に届いた2人からの誕生日プレゼント。それぞれ渡された2つの包み。虚しい2つ。嬉しくない。私は、2人から貰うもの、いつも嬉しかったのにな。
一ミリも伝わってない。こんなにズレてるのに。
去年の年末に、大阪市内で暮らしていた母が突然倒れた。原因はコロナだった。
母が倒れてから亡くなるまでの経過を、当時つけていた自分の日記から転載していく。
(日記の部分は長いので、時間のない方は最後の所感だけでも目を通してほしい。)
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2020/12/17(木)
夕方17時頃、仕事中だった。叔母から私の携帯に連絡があり、実家で母が倒れたということを知らされる。
この時点で、電話口からは「母はコロナに感染していて、心肺停止状態だ。救急搬送されて今は病院にいる。」という情報が耳に入ってきた。
いきなりだったので何のことか理解が追いつかずにうろたえていると、とりあえず搬送先の病院に連絡してほしいと言われる。
母がコロナに感染しているということもショックだったが、心肺停止ってどういうことだ?感染が判明して、いきなり重症化したってこと?
とりあえず病院に電話をかけると、担当の医師から、母の現在の状態を説明するのですぐに病院まで来てほしいと言われる。
慌てて職場を飛び出して病院にかけつけた。母はコロナ感染の疑いがあるということで、面会は禁止されていた。
遅れて病院にかけつけてきた姉と共に、ICUの前で医師から説明を受ける。
今日のお昼前に、実家で母が突然倒れた。側にいた父が気づいて、すぐに救急要請し、救急隊員がかけつけてくれた。
その時点ですでに心肺停止状態だったので、病院まで搬送される間に心臓マッサージ等の蘇生処置が取られた。
すると、止まっていた心臓が動き出した。その状態で病院のICUに運び込まれた。
精密検査をしてみると、膝に血栓ができていることがわかり、それが肺に飛んで、肺がつまって呼吸ができなくなり、それに伴い心臓も停止したらしい。
今現在、意識はなく、心臓を動かす薬を最大限に投入して、さらに心臓を動かす装置を取り付けて、無理やり動かしている状態だという。
蘇生処置の時に折れた肋骨が肺に突き刺さっていて、身体に大きなダメージが出ている。
心肺停止中に脳に酸素が届いていない時間が長かった為、脳にも大きなダメージが出ている可能性が高い。
今夜間か翌日中には、また心停止する可能性が高く、そうなったときにはおそらくもう助からないとはっきり言われた。
コロナの検査も行われていて、2種類ある検査の内の1つ目では陽性と判定が出ている。もう1つの検査で陽性と出れば確定らしいのだが、それは明日に結果が出るとのこと。
次に心停止した場合には、心臓マッサージ等の蘇生処置を取るかどうか確認されたのだ。
姉と二人でしばらく悩んだが、心停止した場合には、もう蘇生処置は取らずに自然に任せてくださいと回答した。しんどい。
コロナ陽性の疑いがあるので母とは面会することはできないのだが、看護師さんのご厚意でリモートで面会させてもらえることになった。
姉のスマホと私のスマホをラインのビデオ通話でつなげておき、その状態で看護師さんが防護服を着て、母の病室に姉のスマホを持ち込んでもらい、私のスマホから母の様子を見せてもらったり、話しかけたりさせてもらえた。
母の意識はないし、当然反応もないのだが、様子は大体わかった。口に管をつながれてつらそうな感じだった。気の毒で涙が出そうになる。
その後は、ICUの前で待機することもできないので、一旦帰宅することにする。
看護師さんから、次に病院から連絡をもらうタイミングをいつにするか確認された。母が心停止した時に連絡してもらうことにする。しんどい。
帰り道のタクシーの中で姉と少し話をしたのだが、どうもよくわからない。
同居していた父から少し話を聞いた感じでは、母は一週間くらい前から喉が痛かったり咳が出たりして、具合が悪そうだったらしい。
母は今年で73歳。基礎疾患などはなく、最近まで健康そのものだった。
コロナに感染すると、風邪に似た症状が続いて、その後いきなり重症化するというのは知識としてあったが、膝の血栓が肺に飛ぶとはどういうことなのだろう。コロナと何の関係があるのだろうか。血栓ができやすくなるというのは聞いたことがあるような気がするが、それのことなのだろうか。
「コロナ 血栓」でネット検索して色々調べると、やはり血栓ができる可能性が高くなることが最近わかってきつつあるというニュース記事がトップにあがっていた。
2020/12/18(金)
一日中いつでも病院からの呼び出しに応じれるように身構えていたが、結局連絡はなかった。
気を抜くと涙が出てくるので、気持ちを抑え込むのに精一杯だった。
あまり頭が回っていないので、頭を使わない単純作業を中心にこなしていた。
お昼過ぎに姉から連絡があって、母のコロナの残りの検査の結果がわかった。母はコロナ陽性で確定らしい。
同時に、同居していた父が濃厚接触者になってしまうとのことで、思わず頭を抱えてしまった。
母だけではなく、父まで感染したとなっては目も当てられない。
2020/12/19(土)
保健所から実家に連絡があって、父のPCR検査の日程が決まったらしい。次の月曜日だ。
もし陽性だったらどうしようと思いながらも、その可能性は高そうだと覚悟を決める。
とりあえず、保健所からの要請で、当面は父は自宅から外出することは禁止されているので、その間の食料品などの物資供給を、私がサポートすることになった。実家とは電車で15分ほど離れた場所に住んでいる私が、姉と比べると比較的近所だということで、私の担当になった。
午前中に父から必要なものの注文をメールで聞いて、午後から実家近くのスーパーに行って買い物した。それを実家の玄関先に置いておく。父と顔を合わせることは絶対にしてはいけないので、ピンポンダッシュした。
2020/12/20(日)
今日も父から注文が入ったので、救援物資を届けに行く。昨日は食料がメインだったが、今日は日用品が多かった。
父のPCR検査だが、タクシーで来るように指示されているらしく、お金を払う時に手間取らないように千円札10枚を封筒にいれて、それも救援物資と一緒に届けておいた。
帰宅後、姉とラインで、母の感染経路が本当にわからないという話をした。
父からの話では、最近の母は普段から買い物や銀行くらいしか行っていなかったそうなのだが、どこで感染したのかが本当にわからない。
不織布ではなく、自作した布マスクをしていたから、それで防御力が弱かったのだろうかとか、そのくらいしか要因が思いつかない。
2020/12/21(月)
お昼過ぎに、姉から連絡あり。病院から電話があって、母が元気になってきているらしい。
一時は危なかったが、今は心臓もちゃんと動いてきた。血圧も元に戻ってきたとのこと。
検査は市内の大学に併設の病院でやっていたのだが、大学の建物の中ではなく、小さなテントの中でやっていたらしい。
テントの中には小さなヒーターが置いてあって、他にも何人か来ていたが、間隔を開けて並んでいたそうだ。もちろんお互い会話はなし。
検査は一瞬で、「上を向いてください、チクっとしますよ」って言われて、鼻から管みたいなものを入れられてすぐ終わったらしい。
検査費用はかからなかった。保健所からの指示で受ける分には無料らしい。
2020/12/22(火)
ひとまずほっとした。
これから2週間の間はまだ外出禁止で、保健所から2日に一回連絡があって、健康状態を聞かれることになるらしい。
どうして一緒に暮らしていても、感染しないのかが不思議だった。
そのことをラインで姉と話し合ったが、よくわからないという結論で終わってしまった。
最近のコロナは変異して感染力が上がっている?母はそれで感染したのか?
でも、父には移っていないのが謎。かかりにくい人とそうでない人がいる?
2020/12/23(水)
どうも母に対する勧告書のようで、コロナから回復した際には、他人と接触する仕事をしたら罰則があるとかそういうことが書かれているらしい。
母が回復することはあるのだろうか。なんとか意識が戻るところまでいってくれないだろうか、そんなことばかり考えてしまう。
2020/12/24(木)
母が倒れて今日でちょうど一週間。病院からの連絡は特に何もない。
どうなっているのかが気になる。
2020/12/25(金)
今日で仕事納めだが、明日から休みになるという開放感がまるでない。
頭の中は母のことでいっぱいだ。
2020/12/26(土)
父に救援物資を届けに行った。
母が倒れてから、実家に帰る頻度が上がっているが、家の中には絶対に入れないので、あまり帰宅した感触がない。
2020/12/28(月)
家でぼんやりしていると、夕方16時頃に、母の担当医師から連絡があった。
母の症状は横ばいで、もう睡眠薬は与えていないが、ゆさぶったりしても反応はなく、意識が戻らない状態であるということ。
そして、12/24(木)に2度目のPCR検査を行ったが、結果は陰性に変わっていたとのこと。
1/4(月)から一般病棟に移ることになるので、そのタイミングで面会できる機会を設けると言われた。
一般病棟であっても原則面会は禁止なのだが、今回だけ特別に認めると言われた。
もし今後、血圧が下がっていったり、酸素の取り込み状態が悪くなるなどした時に、心臓マッサージや血圧を上げる薬の投与をするかということを尋ねられた。
どちらも体に負担をかける行為になってしまうが、どうしますかと訊かれた。
「今後、母の意識が戻ることはあるんですか?」
「心停止していた時間が長く、脳に酸素が届いていない時間が長かった為に、再起不能なまでにダメージがきているので、回復は難しい」
とはっきり言われた。
じゃぁ、と思った。
徐々に死に向かっていくのを、ただ見送ることしか私達にはできないのか。
そのことを踏まえたうえでの選択だ。
姉と電話で小一時間相談した結果、母の容態が悪化した際には積極的な回復処置は取らずに、自然に任せる方針でいくことにする。
肉親の生死に関わる方針を、こんなに短時間で決断していかないといけない残酷さに打ちのめされた。しんどい。
2020/12/29(火)
母の症状は横ばいとはいえ、高熱が出ていたり、少しずつ呼吸が弱くなっていったりと、厳しい状態であるらしい。
それを聞いて、またしんどくなってくる。
実家へ、四度目の救援物資の配達に行った。今日は姉にもついてきてもらった。
保健所によると、明日で父の外出禁止は解除になるらしい。なので、配達するのも今日で最後になるだろうとのこと。
お墓参りのことを父が気にしていたので、それもあわせて行ってきた。
姉はお金を触ったり、玄関のベルに触ったりするたびに、逐一手をアルコール消毒していて、結構神経過敏になっているみたい。
でも、大阪市内に入ったら、そこまでしないと今は危ないのかもしれない。
2020/12/31(木)
父によると、母の友人から、自宅に電話がかかってきたりしているらしい。
携帯がつながらず、音信不通になっているので、母のことを心配しているのだろう。
ちょっと家の用事で忙しくしているということにして、父が適当にごまかしているようだ。
2021/1/1(金)
元旦だが、一日家でじっとしている。
何もする気になれない。
2021/1/3(日)
姉とラインで少し話しをした。
いままで母がやってあげていたことが全部抜け落ちてしまうので、それをどう拾い上げていくか?
晩ごはんは生協のお弁当の配達を使うとか、家事も最低限やりやすいような形を模索していくとか、色々とそんなことを相談した。
2021/1/4(月)
今日は仕事初めだったが、なかなか集中して仕事に取り組めなかった。休憩多めでなんとか乗り切った。
今日から母が一般病棟に移る。でも、コロナの影響で、一般病棟であっても面会は全面禁止らしい。
でも、この間医師から連絡があったように、条件付き(一度に二人までの入室、事前に検温すること)で一度だけ面会が許可されるとのこと。
今日は、父と姉が二人で面会に行くことになった。
人工呼吸器が繋がれているので、口の周りは痛々しいけど、それ以外はそんなに変化はなかったらしい。
話しかけたり、手をさすったりしたけど、反応はない。手はすごくむくんでいて、結婚指輪が入らないので外されていたらしい。
母が救急搬送を受けた時に身に着けていた衣服が返却されてきたけど、ビニール袋でぐるぐる巻にされていたらしい。ウィルスはもう消えていると思われるけど、空ける場合は洗濯して欲しいと看護師さんから言われたとのこと。なんか怖いからそのままゴミの日に出すことにしたらしい。
私は、明日一人で面会に行くことになる。
2021/1/5(火)
ところが事前の検温で37.4度が出てしまい、病室には入れてもらえなかった。また後日来てくださいとのこと。
もよりの駅から病院まで20分くらい歩いたので、体が温まっていたのかもしれない。
また金曜日あたりに行こうと思う。
次は駅から病院までタクシーで行って、コートは脱いで、事前に一階で体温を何度か測って安全なのを確認してから挑むことにする。
2021/1/6(水)
もう母が倒れてから三週間近く経つからだろうか。この異常な状態にも、体が徐々に慣れてきているのかもしれない。
2021/1/7(木)
首都圏で緊急事態宣言が出たが、大阪ももうすぐ出ることになるようだ。
2021/1/8(金)
母の面会に行ってきた。
仕事を抜けて、最寄り駅まで電車で移動し、そこからタクシーで病院まで行った。
1階ロビーに腰掛けて、自分で持ってきた体温計で検温してみたら36.5度だったので、今日は大丈夫であることを確認して7階へ。
「お待ちしてました。お熱どうですか?」と看護師さんから言われ、「さっき測ったら36.5度でした」と応えると「じゃぁ、入ってください」と言われる。
母は口に管を入れられていて、そこだけ痛々しかったが、鼻から上は顔色もよく、穏やかな表情だった。
10年ほど前に咽頭がんで亡くなった義父が、亡くなる直前、意識を失った状態でとても苦しそうな表情をしていたのを覚えていたので、そのイメージで予想していたのだが、ぜんぜん違った。まるで眠っているみたいに見えた。
姉が言っていたように、手はむくんでぱんぱんだった。手と二の腕を握りながら何度も話しかけてみたが、反応はない。
いまにも目を開けて起き上がってきてもよさそうな感じがするのに、そうはならなかった。
時々、母がつながっている機器類から「ピコピコーン!」というアラート音が鳴るので、それが母にとってうるさくないのかなと気になった。
面会する時には、看護師立ち会いで、時間は5分だけだと事前に聞いていたのだが、看護師さんはすぐ病室からいなくなって、その後も一切呼びにこなかったので、結局一時間くらい母の側にいた。
一時間くらいたって、「ちょっとお体拭きますねー」と言いながら看護師さんが病室に入ってきたので、そのタイミングで帰ることにした。
職場の私の席の2つ後ろの島(5メートルくらい離れている)に座っている人が、コロナ感染の疑いがあって、今PCR検査を受けていて、結果が出るのが明後日らしい。
その島の人たちは全員帰宅していた。多分、当面はリモートになるのだろうか。
もし検査が陽性ならば、保健所が消毒しに来るし、その間はオフィスは立ち入り禁止になるのだろうか。
2021/1/11(月)
私の方は相変わらず時々、しゃくりあげるような呼吸と涙が出てくる。不意に母親のことが頭をよぎって、それに引きずられるようにして乱暴に心が揺さぶられるような感じだ。
2021/1/12(火)
仕事してると不意にしんどくなってくる。どこまで行ってもしんどいタイプのしんどさ、絶望感。
2021/1/13(水)
2021/1/14(木)
もうどうしたらいいのかわからない。どうしようもないのだけど。
2021/1/15(金)
出社してる時と特に変わりなく、集中力途切れずに仕事できたと思う。
今は週イチだが、これならフルリモートでもやっていけそうな気がする。
できるだけ出社時と同じ環境に自室を揃えることがコツだと思った。
仕事終わりの疲労感は、出社時とあまり変わらない。けど、通勤時間の2時間を有効活用できるのがいい。
2021/1/17(日)
一日家でぼんやりしているだけだった。何もする気がしない。
2021/1/18(月)
仕事に行っていたが、夕方に病院から私の携帯に電話があって、母の酸素の取り込み量が低下していて、今夜にも亡くなるかもしれないと告げられる。
慌てて姉と父に連絡し、病院へ向かう。
病室に入る前の事前の検温で、また37度が出た。いい加減にして欲しいこの体温計。体温計をリセットして、「熱はなかったです」って嘘の申告をして突破する。
二人づつしか面会できないとのことなので、はじめに父と二人で病室に入る。
母は苦しそうな感じもなく、穏やかな感じだった。今日は髪型に乱れもなく、きれいに見えた。
酸素取り込み量の数値が90を切るとまずくて、一時は70くらいまで低下していたが、持ち直して80くらいまで戻してきていると看護師さんから説明される。
母の意識はないが、それでも苦しかったりの感覚はあるのだろうか。
一旦、全員帰宅することにした。また容態が急変するようなことがあれば、連絡が貰えることになっている。
2021/1/19(火)
またすぐに連絡が来る可能性が高いので、それを待っているようで心身が疲弊していく。
2021/1/20(水)
ずっと非日常が続いているようで、そういう緊張状態にいつまでも心身が慣れていかずに悲鳴を上げている。
続き
↓
さっき帰ってきたらテレビのある部屋に置いてあった本が全部無くなってた。
朝出勤したときはあったので、たぶん妻に捨てられたんだと思う。そういえば今日は古紙布類のゴミの日だ。
今回捨てられた本はGWにまとめて読もうと思ってた本だ。
可能性としては、喧嘩か何か怒るようなことがあった復讐だと思うのだけど、心当たりのある事が起こってからすぐに行動しないので原因が何なのかわからない。
なんでこういう事をするのか?と何度か言ったことはあるけど、さらに口論になるだけで埒が明かないので何も言わないことにしてる。
俺にとって本当に大切なものはなぜか捨てない。今回の本もエヴァのフィギュアもまた買おうと思えば買える。たぶん計算してやってるんだと思う。
でも、いつか本当に大切なものまで捨てられそうで怖いので、できるだけ物を持たないようにしてる。