はてなキーワード: 還元とは
こういう記事を目にした。ちなみにこのQuoraというサイトについては初めて見るのでQAサイトなんだろうなという事以外は何も分かっていない。
上司に工数を出したら「私なら半分で終わる」と言われ工数を削られました。それならあんたがやれと思うのですが、こんなときどう捉えるべきですか?そもそもあんたが作ったんだから速いだろと反論したくなります。
(本当はリンク先の該当する回答を全て読んで欲しいのだが)
私が覗いた時点で1番上に来ていた松本 祐司さんという方の回答(この表示順のルールについても知らない)を読んで自分なりに思うことがあったのでそれを書きたい。まずは客観性のない私の主観でその方の回答を要約してみる。
・確かにその上司はコミュニケーションスキルが足りない
・逆の立場になって考えてみると相手はあなたに期待していたともとれ、結果的に残念に思われたとここでは規定する
・残念に思われた結果、回される仕事は雑務、誰でもできることになっていき、次第に年齢がいけば、リストラ候補にもなりうる
・上司の期待に応えられていない現状を素直に認めて、自分の能力を上げることを勧める
・最後に「上司を避難する気持ちで仕事をするな」という言葉を教えてくれた(今では成功して偉くなった)昔の上司とその言葉をまもって今のポジションにいる自分自身の美談が語られている
よく見る模範解答だと感じるし、正直なところ5年前や10年前であれば特に違和感もなかったろうと思う。
現在の私はこの回答自体にも違和感を感じるが、この回答が1番上、つまり1番多く見られる(おそらくベストアンサーだろうと思わされる)回答になっていることにも違和感を持った。自分が働く側にまわってそれなりに経ったからだろう。この方が会社や上司側の視点で多くを書いているので私は個人や部下側の視点で書いてみようと思う。
端的に「能力を上げることしか解決策がない」とする意見だが回答に書かれている文脈においてこれは非常に危険な考えだと思っている。
確かに質問者にとって現実的で有効であると思われる解決策であることには同意するが、能力をあげることしか解決策がないというのはいささか恣意的ではないだろうか。そして「能力をあげる」という言葉の方向性は最終的に上司の想定の半分の期間でものごとを終わらせることを目標例にしている。つまり上司の意向に沿って現在の仕事で成功していくことを質問者が望んでいる前提となっている。
質問自体も前提条件や背景など分からない部分が多いのである程度想定で書くしかないということも分かっているが
こういう上昇志向と個人の能力を鍛えることで何でも解決しようとする考えを勝手にドラゴンボール思想と読んでいる。
質問者が本当にそれを望んでいるならそれで構わないし、そうであればこれ以上ない最良の回答だろう。
質問者がドラゴンボールで言うZ戦士の系譜であれば少なくとも質問者と回答者という単位では問題ない。
そして実際にZ戦士達はそのせいで(おかげでとも言えるが)永遠に続く戦いの螺旋に身を投じることになる。
しかし多様性が叫ばれ、日本の経済も落ち目となり、これまで力を持っていたものが弱体化し、疑われ、多くのものが見なおされている昨今、日本で働いている人間の多数派が悟空やベジータのように己の適正を理解し、適切な職場や業界に位置しており、そこで仕事における能力の(殆ど無限と言ってもいい)上昇とそれによる出世を望んでいると同時に望める状況にあるとは到底思えない。
そもそも人間が自分自身の求めていることを正確に把握していることの方が稀だとすら思っている。
そして我々の世界はマンガではない。我々の肉体をはじめ、現実のあらゆるものは有限だ。
そして最後に加えられた物語(美談)がより一層この回答の訴求力を強めている。人間にとって物語というのは劇薬だ。
しかし人生というものを物語で解釈、意味づけしようとする考えに対してそれは物語である限り間違えているとユヴァルノアハラリ氏は21Lessonsの中で説いている(たしか)。
大事なのは上司と部下、組織と個人がいかにバランスを取っていくかに思えてしまう。
信頼関係を構築するには適切なルールやシステムが機能していることが必要だ。
例えば頑張ってもそれに見合った対価がもらえなかったとしたらどうだろうか。
仕事は多くの場合上司や社長、株主がおり、ある種彼らの都合のいいように時間や能力のリソースを奪われていると考えることも出来る。
仮に上司が人間的に信用できたとしてもルールやシステムがそれを阻む場合もある。
昔から言われている昇給と昇格が切り離されていなかったらどうだろうか。
会社側で重要なポストというのは限られているし、自分の適正が管理職にあるとは限らない。
そもそも成果の分だけきちんと利益が還元されるというのは基本的に国や世界の経済が上向きになっている必要があるし、人間による評価というものは構造的な欠陥を持っている。
つまり以前は有効に機能していたとされる構造やシステムに問題が生じてきていることの方が多いのではないかと思う。
そしてそこに健全(であると思えるよう)なシステムや環境がないと人間の行動はなるべくリスクを取らず、なるべく仕事の量を増やさず、なるべくストレスを避けるといったものになるか、あるいはその逆になるのは自然だろう。いずれにせよ多面的かつ長期的な利益追求のために目指すべき形ではない。
もちろん営利組織は利益を拡大していかなければならないので能力向上や納期短縮は重要だろう。
それを否定するつもりもないし、不真面目な社員がさぼるのを助長するという意見もあるかもしれないが、まずそんな人間を採用する仕組みに何かしらの問題がある。
個人の持つあらゆる能力をあげておくに越したことはない。それには自分も同意する。
しかしそれと同時にお互いの利益がなるべく一致するような新しい評価や報酬のシステムや環境がつくられ、健全なコミュニケーションや信頼関係がなければいけないはずだ。
それにはトップが牽引して組織的に動く必要があるし、個人の能力向上だけでは解決できないだろう。
個人のレベルでは比較的それらのシステムが整備されている場所へ移ることも手段の1つだ。
おかしいだろ。
冬に備えてなかったんだぞアイツは。
っつーか、蓄えがないんじゃ、冬が来なくても怪我したり不況で日々の糧が得られなくなったりしたら終わりだろ。
アリはそれがわかってるから地味でつまらない生き方を我慢して続けてるんだよ。
いざ困ったらアリに助けを求めて、アリは真面目に働いて築いた蓄えを切り崩してそいつら養ってやらなきゃならないって、
そんなバカな話があるか。
自己責任ってワードは批判される事も多いが、自分の意思で選んだ生き方で行き詰るのが、自分以外の誰の責任だってんだ。
だいたい、仮にキリギリスが一発当てて大金持ちになったとして、それをアリに還元するか?
しねえだろ。
自分で使うだろ。
キリギリスはハイリスクハイリターンの人生生きてるつもりかも知れんが、
いざ困った時にアリに健康で文化的な生活を支えてもらおうなんて思ってる時点で、リスクをアリに押し付けてんだよ。
キリギリスは最後まで自分の選んだ道に責任取れよ。言っとくが、アリが無情なわけじゃねーからな。
勉強しなかった奴が大学に入れないのが不公平じゃないのと同じで、
リスクに備えなかった奴が降って湧いた災難で死ぬのは、何も意外でもなければ不公平でもない。
そんなもんをアリが支えなきゃならない方が不公平ってもんだ。
30代。若いころから恋することもなく、セックスで快感を感じたこともなく、最終的に生活が料理と筋トレと仕事だけで完結するようになってしまった。
生活以外にはガジェットと住環境くらいにしかお金の使い道が無いので、貯金は貯まっていく一方。人並みに恋愛ができていれば家族にお金を使えたんだろうなと思うと悲しくなってくる。
コロナ前まではパパ活っぽいことをしていた。若い女の子に適当にスイーツを食べてもらってそれを眺めているだけなのだけど、存外楽しい。あと、「世間にお金を回す」という貢献ができてる気がして満足感もあった。
しかしコロナ騒ぎで外に出ることがなくなり、パパ活もどきも中断。暇なので料理と筋トレと仕事により打ち込んだら、パパ活のモチベーションは消えていった。緊急事態宣言が終わったとしても、しばらくそういうことはしないだろう。
友人からは女嫌いなのかと疑われるが、そんなことはない。パパ活もどきをしていたように、他人が楽しそうにしてる姿を見るのは好きなんだ。ただし、恋愛的に、性的に興味が無いのだけど。
10代で初体験したとき、ゴムにモノが入らずに悪戦苦闘し、最終的に生で致したが何十分経っても達することができなかったことを思い出す。
経験を重ねていくうちに、どうも国内では自分のモノが入るゴムが生産されていないことと、手でも口でも達することができないくらい感覚が鈍いことが分かった。
20代中盤で性欲はほとんど無くなった。生まれて20年以上少しも満たされたことがない欲なのだから、量が激減したことには納得している。
人物そのものを愛せればそんなことは対した問題ではないのかもしれないけど、残念なことに生まれてこの方他人に対して愛着とか独占欲みたいなものを感じたことがない。
こういうのって動物の本能の一部なんだろうか? 個人的にはそう感じないのだけど、他の人間は自然にそういう感情を覚えるものなんだろうか?
ザっと前提を書き殴ってきたが、本題はそんな人生にどんな社会的意味があるのだろうかということ。最近そればかり考えている。
一個体としては自分の好きなように生きていけばいいのだけど、社会の構成員としては「他人と関わり合う活動をせず」「自分のためにしか金を使わず」「子孫を残さず」みたいなのって失格なんじゃないかと思っている。
社会なんか知らんと開き直ってもいいのだけど、今自分が衣食住に困らず好きなものを好きなだけ買えるような生活ができているのは社会のおかげなわけで。社会に価値を還元しないライフスタイルを続けるのにうしろめたさがある。
どうしたもんかね。
いやめっちゃ働いてるわビックリした〜自分で自分の時間を金に還元してたわ〜やば〜呼吸してるだけで褒めてもらえるほどのことしてないし良い声もしてないからやっぱ労働して金にしちゃお〜
誰かが貯金したりすると社会に回るお金が足りなくなって、必要なのにお金が行き渡らない人がいる。
だから銀行がお金刷って国債発行するし公共事業として社会に還元する。
これって足りない人に輸血するみたいなもんやろ?
血(お金)が余ったら回収すれば良いけど、必要でもないのに輸血した分返さなきゃって考えはアホみたいじゃね?
お金が余ってるから働かなくていいやってサボる奴が出てきたとき。
それらふまえると、借金だから消費税増やさないといけないは正直嘘だよね。
余裕があると働かない奴がいるから消費税で尻を叩かないといけないって本当のこと言えば良いのにw
まあさすがに言えないかw
そのとおりだなとも思うけど、
「ラクして儲けようとしているくせに」みたいな、
あるように感じたので、
夢も希望もない話を、
書きたいなと思った。
■パチプロの1日
・主にパチンコメイン
8時:
起床。
朝食を食べながら各種情報をチェック。
8時半:
還元に期待できる店があればそこへ向かう。
早めに家を出たりする。
(9時頃に抽選を行う店と並び順入場の店がある)
(打てる台候補については後述)
この場合は9時過ぎまで
家でのんびりしていることもある。
10時:
開店。
絞りきれない場合は、
台を押さえずに試し打ちをして状況を確認する。
満足できればそのまま続行するが、
最近はせいぜい「不満がない程度」のことも多い。
その場合、近隣の店をある程度回って、
良さげな台を探すこともある。
(その間に取られていることもあるので判断は難しい)
「不満がない程度」なら
そのまま店回りをして情報収集。
そのまま一旦帰宅。
21時頃、
12時:
打っている時は基本的にお昼休憩は取らないし、
お昼も食べない。
お昼までに打てる台がなかったり、
できるだけ食べるようにしている。
17時:
理論上は打ち続けたほうが良い台だったとしても、
夜8時半くらいまでは続行。
そこまでに当たりが取れなかったり、
それ以降、当たりが終了したらそこでヤメ。
候補台でも、結局は運なので、
自分の引きが弱くて負けることも珍しくない。
20時半:
閉店まで打ち切らなかった場合、
残り時間で閉店チェックを行う。
台の出玉状況、回転数、やめた状況などの情報が
23時:
帰宅。
長かったり短かったり毎日変動はあるが、
土日は混雑しているので、
朝イチで有力台を取れなければ、
前述のとおり、基本的には打てる台が見つかるまで、
夕方くらいまでは店を回る。
収支:
1年で270万くらいだった。
週単位で見たら
自分はヘタクソで、
運がないとも思っているし、
複数台を押さえたり、
あからさまなぶっこ抜きをしたり、
マナー違反してまで勝ちたいという強欲もないので、
もっと稼げる人、
■最後に
運だけで勝ってる人もいるかもしれないけど、
たまたま運が少しだけ続いていただけかもしれない。
100%ではない以上、
常に悪いほうに偏る可能性もあったと思う。
ラクなんてしてないことは間違いないと思うし、
(もし運だけで勝ってる人がいたら、それはもう才能だ)
それぞれみんな生きるのに必死なんだということが
伝わればと思って書いてみた。
どうせ公務員のくせにと批判する奴が圧倒的だと思うけど、そんなものは無視だ。
今のところ、公務員は通常どおりに給与は出てるし、夏の一時金(ボーナス)も普通に出るだろう。
しかし、民間企業の給与やボーナスが悪化すれば、人事院勧告(県・政令市は人事委員会勧告)に反映されて給与・一時金ともマイナス勧告が予想されるし、そうなれば4月に遡って冬の一時金から減額分をカットされる。しかも、それだけでは足らないし市民への示しがつかないからと、首長や議会の自由裁量で条例化して、上乗せで給与の何%かをカットされる可能性もある。これは、いまコロナの最前線で戦っている保健所や医療関係であっても、全体が同じ条件で苦しんでいるのだからと容赦はないだろう。(但し、コロナ対応した職員に対する特殊勤務手当が国で決まったから、地方公務員も国にならえで支給されるはずだから少しは報われる)
というわけで、とりあえずもらっておくことにした。
コロナ陽性判明後に、保健所に嘘をついた上で山梨から帰京した人がはてブや匿名掲示板等でぶっ叩かれている。
Twitterでは「山梨20代女性」なんていうワードでトレンドになっているらしい。検索してみれば、早くも特定しようという動きがでているのが垣間見える。
今朝TVをつけたときにやっていたワイドショーでも、この女性の行動の「身勝手ぶり」について逐一「報道」していた。
個人的に見れば、この人の行動は徹頭徹尾、愚かな判断だと思う。東京へ帰るという選択がまず百害あって一利なしに思えるし、そもそも保健所に嘘をついたってバレるのは時間の問題だ。10秒くらい考えればわかりそうなことがわからなかったのは、賢明ではなかったと言わざるを得ない。
でも私たち人間はそういうものだ。不安なことがあると衝動的に愚かな判断をしてしまう。子供の頃、同級生がどうして先生に「宿題はもうやった」「ほうきを折ったのは僕じゃない」とすぐバレるウソを付くのかさっぱり理解できなかったが、いざ親に「メガネを壊したのはお前か」と聞かれて、なるほど追い詰められた人間は愚かな選択をしてしまうものだと合点がいった記憶がある(そのあとどうなったかは、あまり思い出したくない)。
実際、同じ人であっても、金銭的に不安定な状態にあるときは、そうでないときに比べてIQが大きく下がることが研究でわかっている。お金の不足は自らの先行きに対する不安に直結する。コロナへの感染もまた、社会や自分の生活がどうなるかわからない、という不安に直結するものだろう。
先行きへの不安は、衝動的で、非論理的な行動を招いてしまうのだ。
もちろん、この女性が一体どういう心境でこの判断に至ったのか私にはわからない。もしかすると一片の不安のかけらもなかったのかもしれない。でもそんなことは実はどうでもいい。なぜなら、社会の人間のほとんどは衝動的で非論理的な判断をし、「失敗」するものだからだ(そうでなかったら、今ごろ人種差別とか性差別とか、もっとマシな状態になっているはずだ)。多くの場合それは、友人に窘められたり、上司に叱られたりする程度で済む。でも中には、人生を大きく変えてしまうような「失敗」もある。スピリチュアルな100万円の壺を買ってしまったり、消費者金融につられてしまったり、交通事故に巻き込まれてしまったりといったたぐいの「失敗」だ。
でもそうやって「失敗」してしまう人を救うために、行政や社会システムは存在している。バカな買い物をしてしまった人のためにクーリングオフ制度や、財政的「失敗」をしてしまった人のための(あるいは多くの場合、「失敗」した家庭にうまれてきた人のための)生活保護、そして事故って骨を折っても破産してしまわないための健康保険、というように、社会システムには「失敗」した人のためのセーフティネットが組み込まれていて、それを行政が運営している。健康保険がないとどうなってしまうのかは、米国を見れば明らかだ。
また、「失敗」がある種意図的なものであったり、他の人の人権を侵害したりしかねないものに対しては、法律によって罰則が設けられている。たとえ「失敗」でも人を殺してしまえばそれ相応の罰則を受け入れる必要があることに(罰則の程度について議論があるのは当然として)今更異議を唱える人はあまりいないだろう。
「失敗」の種類によっては、これら「救済」と「罰則」両方の性格を併せ持つ対応をするのが必要なこともある。例えば違法薬物使用などは、周囲への影響を考慮して法的な罰則が設けられているが、実際に必要なのは依存症治療であるという点で、その顕著な例だろう。
こういったシステムは、非論理的で愚かな私たちが、一つの失敗で社会的・物理的に死んでしまうようなことなく、円滑に生活していくための、社会の「バッファ」としてそこに存在している。「バッファ」のないシステムは、すぐバランスを失って崩れてしまう。人類が長きに渡ってありえない量の二酸化炭素を大気に排出し続けて炭素サイクルをめちゃくちゃにしても、地球の生態系がまだ大量絶滅を経験していないのは「バッファ」のおかげだ(それも、サンゴの大量白化を見れば分かる通り、もう崩れつつあるのだが)。
はてブや匿名掲示板で「山梨20代女性」を叩き、特定して吊るし上げようとしている人々は、衝動的な判断をしているという点に於いて、本質的に「山梨20代女性」と全く変わらない、オロカモノだ。あなたがいくら懸命に彼女の行動を叩き、牽制したところで、「失敗」する人は絶対に出てくる。それどころか、「失敗」するのはあなたである可能性もある。それでも叩くのは、叩けば「失敗」をする人はいなくなるだろうという誤認か、あるいは自らの先行きの不安を叩くことに向けたいという欲求によるもので、どちらにせよ非論理的で愚かな選択といえる。
ただ一つ違うのは、「山梨20代女性」の行動が、既に感染してしまった彼女自身への悪影響はあまりないのに対し、「山梨20代女性」を叩く人々の行為は、自らの首を絞めているということだ。
考えてみて欲しい。感染経路を把握して感染拡大を防ぐのは行政の役割であって我々には特に何もできないのに、この「山梨20代女性」の行動を逐一報道させ世間に知らしめることに一体何の目的があるのか?
その「目的」は、はてブや匿名掲示板で「山梨20代女性」を吊し上げ、特定しようとするみんなの動きが、雄弁に物語っている。
私たちが「山梨20代女性」を叩くとき、そこには「行政の対応に落ち度はなかったのか」という疑問は存在していない。
この女性は陽性が発覚したあとなぜ移動できたのか?感染者の隔離は行政の仕事ではないのか?最初から検診・検査が迅速にできていればこうはならなかったのではないか?症状が出てから4日放置するという検査要件自体、感染の機会を大きく広げていないか?症状が出ていても、生活が苦しくて実家に帰らなければならないような人は、一体どうしろというのか?そもそも「日本では大きく広がらない」「4、5月頃には収束している」なんて言って対策を怠っていた人が、本当は一番無責任ではないのか?
こういったシステムとそれを運営する行政に対する正当な疑問は、「身勝手な行動をしたオロカモノがいました」という行政からの発表とそれを広報するメディア、そしてそれに乗せられてオロカモノを断罪する人々によって、巧妙に隠蔽される。
この一件だけではない。自粛を「要請」されても、明日生きていくために店を開け続けたり、満員電車に乗り続けたりしなければならない人に対して、「人殺し」と吐き捨てたり張り紙を貼ったりして自粛しない者たちをリンチする社会は、生活の補償・保障なく自粛を「要請」されるという構造の欺瞞に気づくことができない。
愚かな我々を、救済にしろ罰則にしろ本来受け止めるかべきバッファが機能していないという問題は、愚かな行動をしてしまう我々個人の問題に還元され、それに対し我々は反発するどころか自ら自警団へ志願して、我々自身の首を絞めている。
それを知った上で、みんなは「山梨20代女性」を吊るし上げる勇気があるのだろうか。自らの知性に絶対の自信を持てるのだろうか。
私は持つことができない。
社会の中から「オロカモノ」を探し出しリンチする一方で、何も考えずに愚か者を為政者として選出し、その愚か者に扇動されまた「オロカモノ」を探しだしまたリンチする……というループを繰り返す社会にしたいなら、好きにすれば良いと思う。個を喪失し、考えることをやめた日本社会に、ある意味お似合いの帰結だ。
ただ、私は参加したくない。私は時々オロカモノになってしまうことが許される社会に住みたい。
それは今のうちに、はっきり言っておこうと思う。