30代。若いころから恋することもなく、セックスで快感を感じたこともなく、最終的に生活が料理と筋トレと仕事だけで完結するようになってしまった。
生活以外にはガジェットと住環境くらいにしかお金の使い道が無いので、貯金は貯まっていく一方。人並みに恋愛ができていれば家族にお金を使えたんだろうなと思うと悲しくなってくる。
コロナ前まではパパ活っぽいことをしていた。若い女の子に適当にスイーツを食べてもらってそれを眺めているだけなのだけど、存外楽しい。あと、「世間にお金を回す」という貢献ができてる気がして満足感もあった。
しかしコロナ騒ぎで外に出ることがなくなり、パパ活もどきも中断。暇なので料理と筋トレと仕事により打ち込んだら、パパ活のモチベーションは消えていった。緊急事態宣言が終わったとしても、しばらくそういうことはしないだろう。
友人からは女嫌いなのかと疑われるが、そんなことはない。パパ活もどきをしていたように、他人が楽しそうにしてる姿を見るのは好きなんだ。ただし、恋愛的に、性的に興味が無いのだけど。
10代で初体験したとき、ゴムにモノが入らずに悪戦苦闘し、最終的に生で致したが何十分経っても達することができなかったことを思い出す。
経験を重ねていくうちに、どうも国内では自分のモノが入るゴムが生産されていないことと、手でも口でも達することができないくらい感覚が鈍いことが分かった。
20代中盤で性欲はほとんど無くなった。生まれて20年以上少しも満たされたことがない欲なのだから、量が激減したことには納得している。
人物そのものを愛せればそんなことは対した問題ではないのかもしれないけど、残念なことに生まれてこの方他人に対して愛着とか独占欲みたいなものを感じたことがない。
こういうのって動物の本能の一部なんだろうか? 個人的にはそう感じないのだけど、他の人間は自然にそういう感情を覚えるものなんだろうか?
ザっと前提を書き殴ってきたが、本題はそんな人生にどんな社会的意味があるのだろうかということ。最近そればかり考えている。
一個体としては自分の好きなように生きていけばいいのだけど、社会の構成員としては「他人と関わり合う活動をせず」「自分のためにしか金を使わず」「子孫を残さず」みたいなのって失格なんじゃないかと思っている。
社会なんか知らんと開き直ってもいいのだけど、今自分が衣食住に困らず好きなものを好きなだけ買えるような生活ができているのは社会のおかげなわけで。社会に価値を還元しないライフスタイルを続けるのにうしろめたさがある。
どうしたもんかね。
精神科で薬を処方されてあっけなく人生が好転するかもしれんぞ。
寄付とかどうだろう。 ひとまず自分の事は自分のお金で面倒見れるように生きて、残った財産は全て赤十字に寄付してくださいって遺言書に書いとこ。