はてなキーワード: 矯正とは
同性婚を取り入れたことで話題になった『ファイアーエムブレムif』で、同性愛指向を薬で矯正するシーンがあったと話題になり、一部で吹き上がってるわけですが。
https://twitter.com/deviltruck2010/status/616765502656917504
違 う よ。
これそんなエピソードじゃなかったよ。
そもそも海外版未発売のソフトの海外レビューを鵜呑みにするなよ。元記事に至っては今になって訂正入れてるよ。
もしここに書かれてるエピソードまんまならとっくに国内で問題になってますよ。
日本の作品にしちゃ珍しく同性婚取り入れたって話題になったソフトですよ。ジェンダーに関する知識をきちんと持った人が、どっかで買って遊んでますよ。
こんなエピソードあったらそらもう、大変ですよ。
あ、以降はこのエピソードに関するネタバレになりますのでご注意ください。
ネタバレ気になる人にひとつだけ言っておくと、上で挙げた記事に書かれてるようなホモフォビア要素は決してないので安心して遊んでください。
さて、訂正前の記事や、それを鵜呑みにした方々の誤解の中では、
↓
ヘテロ男性主人公のカムイが、すべての人が女性に見えるようになる薬を彼女に盛る
↓
↓
薬の効果が切れるも、「男でもいい!カムイが好き!」と無事ストレートに目覚めたソレイユ、カムイとめでたく結婚
というお話になってる様子。
本当にその通りならえらい話ですよ。
ここまでヘテロ中心な価値観は、込めようと思ってもなかなか込められませんよ。
でも実際は、
↓
彼女は可愛い女の子が苦手、というより好きすぎて、見ると気絶してしまう。この悪癖?で苦労していて、自分が強くなれないのもそのためだと思っている
↓
カムイ、性別が逆に見える薬を彼女に盛る。女の姿をしたカムイと一緒に過ごすことで慣れていく作戦
↓
↓
っていう話。
いや確かにキモさは抜けてないけども。
PC的にまずい要素はないでしょこれ。
あんたら本当に遊んだの?
いやまあ遊んでないんですけどね。元記事は海外の人が日本語版を頑張って遊んだレビューだから誤解してるわけだし、ツイッターでキレてる人は@deviltruck2010のツイートやはちまの記事を鵜呑みにしてるだけだし。
元記事の人は、言葉を完全には理解しないまま遊んで、可愛い女の子を見たら気絶するっていう描写から「彼女はレズビアンだ!」と誤解したんだろうけど、設定自体のダサさキモさはともかくとして、可愛い女の子見たら気絶する→レズビアンだ!ってのは性愛中心的すぎないか。
でもまあ、FEifは、
コロプラのあのアプリで話題になった「なでなで」要素があったり、
そもそも全体としてギャルゲー臭かったり(結婚によってのみ支援Sつけられるってのがそもそもナンセンス)、
とまあ全体としてジェンダー観がやっぱり古くてキモい。ソレイユも「私の胸触ってみて」とか言い出すし。
だいたい前作に至っては「男同士で何を考えとるんじゃ」みたいなセリフが平気で出てたぐらいだし、トモコレの同性婚の騒動の時に任天堂が明らかにLGBTを軽視する弁解をしてたのも記憶に新しい。
任天堂がまたやらかした、という記事を見たら「やっぱりか」となる気持ちはわかる。つもり。
それだけの地盤がある。
でも、買って遊べとは言わないから、せめて、中途半端に遊んだだけの海外記事やら、アフィブログの記事やらを根拠にするのをやめてくれ。
発売前に誤った内容で叩くのをやめてくれ。ほんとに。
本当の話だけど叩くな、とかはさすがに言わないから。
ツイッターでこれにキレてる奴に限って、少しツイートを遡ると、デマには気をつけようとかソースは確認しようとか書いてるorリツイートしてるのが多いんだよ。
でだいたい怒りのデスロードについて熱く語ってる。いやこれはどうでもいい話だけど。
お前もデマ撒いた側になってるぞわかってんのか?
実は女の子は死にたいとも思っていましたが、生きたいとも思っているのです。
すると、通りかかった美しい女の人が少女に話しかけてきました。
「自殺はやめなさい」
「誰も死んで悲しんでくれる人なんていないし、苦しいもん」
「貴方は美しくないから悲しんでくれないのよ いい?お化粧なり、縮毛矯正なり、整形なりをしなさい 私も死んじゃいたいと思った時があったでも、それは自分の容姿の良さに気づいていなかったからなの 私は整形なんてしなくても容姿が良かったから、整形がどういうものかわからないけど
私は美形で幸せ」
と言って何処かへ行ってしまいました。
励ますように見せかけて、自慢話をされたのです。
昔、近所に住んでいた同い年の男の子のお姉さんはお化粧も整形もしたのに美しくなかったのです。
する前よりは良くはなりましたが、それでもいいとは言えないのです。
女の子は手術をする前のお姉さんに、わたしは貴方と似ていて嫌だと言われてました。女の子は自分は整形をしてもお化粧をしてもお姉さんと同じようにあまりよくはならないと思いました。
生きたい気持ちが少しなくなりました。
「死にたいの?」
「うん」
「自殺なんてやめなさい 気持ちを明るく持って、恋人を作りなさい 僕も死にたくなる時があるのだけど、彼女がなんとか心を支えてくれるんだ。僕は幸せだ。」
「私の彼氏になってくれる?」
「それは無理だね 僕にはもう彼女がいるし、君みたいに弱々しくて、いいところがない人間を彼女になんかしたくない」
「そうですよね」
とても元気そうで美人な素敵な女の人が男の人のところに来ました。男の人は素敵な女性と手をつないで何処かへ行ってしまいました。
男の人も自慢話をしただけでした。
女の子はしばらく息ができませんでした。
「貴方、死にそうな顔をしているわ」
「ここで死ぬのはやめなさい 私の大事なだいじな孫が向こうで遊んでいるの ここで貴方が変な方法で死んでしまうと孫がどうなるかわからないわ」
「死にたいです」
「やめなさい 私の孫に変なの見せないで」
「死にたいんでしょ」
女の子と同じくらいの年をした男の子が女の子の顔を覗きこんで言いました。
「うん」
「天国に行きたいの?」
「天国にいけなくてもいいの とにかく、もう人と会いたくない 見たくない 贅沢なのかな」
「わかった 僕は君のことがわかるよ」
「嬉しい」
天国にいけたのでしょうか。
女の子はとても満足そうな顔で死んでいきました。
私は異性愛者で、同性愛者の友人もいないんだけど、なんでこんな感覚になるのか分からないんだよね。
同性愛者って左利きの人と同じようなもんだと思ってて(一説によれば割合も同じぐらいらしいし)、数が少ないけど確かにいて、生まれつきのものでしょ。
だけど世の中は、異性愛者や右利き前提で作られてる。昔も今も右利きに矯正されることがある。不利益を被ってる。
反対に、スポーツなどで優遇されるよね。これはオネエが芸能界にいるのと同じような原理で、少ないからこそ独自性に価値があるっていう。
だから左利きと同性愛者の人って立場的にはすごく似ていると思うのに、左利きの人は後ろ指を刺されたり、結婚できなかったりはしない。そのへんの差がどのへんから来るのか不思議なんだよ。
私は異性愛者で、同性愛者の友人もいないんだけど、なんでこんな感覚になるのか分からないんだよね。
同性愛者って左利きの人と同じようなもんだと思ってて(一説によれば割合も同じぐらいらしいし)、数が少ないけど確かにいて、生まれつきのものでしょ。
だけど世の中は、異性愛者や右利き前提で作られてる。昔も今も右利きに矯正されることがある。不利益を被ってる。
反対に、スポーツなどで優遇されるよね。これはオネエが芸能界にいるのと同じような原理で、少ないからこそ独自性に価値があるっていう。
だから左利きと同性愛者の人って立場的にはすごく似ていると思うのに、左利きの人は後ろ指を刺されたり、結婚できなかったりはしない。そのへんの差がどのへんから来るのか不思議なんだよ。
父が亡くなって今年で9年になる。
父親と過ごした年数よりもいない年数のほうが多くなってしまった。
兄弟もいないし、母と二人暮らしだし今は母と不仲だし正直なんか周りを見ていると悲しい気分になるときが多い。
自分の父親が亡くなったっていう話はせずに生きている前提というかその場でぼやっとさせてしまった。
なんか嘘をついたようでちょっともわっとするんだけれど、
正直に「父親はいません」っていうのも、自分も相手も嫌だし先輩とも自然にかかわっていきたい。
そういえば一度歯列矯正が何かの補助で安くできるという話を聞いて矯正歯科に無料で検診(?)してもらったけれど
その時の歯科衛生士さんが「お父さんは?」って執拗に聞いてくるので最初は「来ていないです」って答えていたんだけれど
だんだん腹が立ってきて「病気で亡くなりました」って言ったら空気が凍りついてしまったことがある。気まずかった。
そういう風に聞かれたときってどういう風に答えれば最善なのかと
矯正歯科は未成年は両親そろっていかないといけない場所なのかが気になってしまった記憶がある。
でも、そういう風に自分が言ったのもよくなかった。あまりにもストレートすぎ。
最終的には高いことと矯正した時口が突出するリスクが平均より高いということでやらなかった。
私は仮に誰かに父親が病気で亡くなったと伝えたとしても、
父親がいないからと言って気を遣ったりしないで普通に接してほしいと思う。
絶歌を読んだ。
この本はあの酒鬼薔薇本人が書いただけあって、ぶっ壊れた部分と、理解可能な部分がごちゃまぜに同居して読むのは疲れる。おすすめできない。
ぶっ壊れたままというのは、出所後も基本的に他者への関わり方が分かってない点と、パニックに陥ったときに暴力衝動が抑えらていない点だ。さらっと描写される他者への無関心とあたりまえのように描かれる暴力描写に、とてつもない違和感を覚える。
それでも矯正されたというのは、出所後はそういう自分の弱点を認識して、他者をなんとか理解することで社会に関わっていこうという意思を感じるから。14歳の頃にはそういう姿勢はなかったと思われるので、これは矯正プログラムの成果だろう。ただ彼にとっての社会復帰とは、正解を探す作業なのだ。職場の人にお茶を勧められ休憩しようと言われても「喉乾いてないからいいです」と断るのは「間違い」だと認識して正していく、それが彼の社会復帰の方法だ。その方法はやはり普通の感覚の社会生活とは違うので、更生していると思う反面、そのぶっ壊れ具合に衝撃をうける。
酒鬼薔薇は根本的になぜあのような凶行に自分が及んだか分かっていないようだ。
理性のたがが外れて、性的衝動と殺人衝動に自分の行動が支配されてしまった。なぜそうなってしまったのか、自分のことなのにわからない。だから理解したい。自分で自分を理解したい。
理解したいから、何度も何度も自分の記憶を掘り起こす。何度も思い出すうちに記憶は強化されていく。過去のシーンは安っぽい比喩と装飾にあふれているが、美しく描写されるのは記憶の中の自然であり他者だ。酒鬼薔薇は基本的に自分と関係ないものへは無関心を貫くが、自分を無条件で受け入れてくれる他者や場所には強い愛情を感じる性質がある。そうしてそれを美しいものだと認識している。だから自分を受け入れた美しいものをケレン味たっぷりに飾り立てて描写する。それは記憶の掘り返しが何度も繰り返され強化された証拠だと思われる。だって酒鬼薔薇が美しく描写したタンク山とか池は当時の報道で何度も観たけど、なんてことはない風景だったもの。
逆に自分のことは徹底的に醜く汚いものとして描写される。美しい他者と醜い自分、この断絶が凶行の原因だと認識しているようだ。そんなこと言われて誰が納得するだろう。また文中、他の文学作品からの引用が多数あるがそれも自分を知る手がかりだ。自分の記憶を掘り返し、また文学作品に自分を投影することで、なんとかして自分を理解したいのだ。
自分を理解することで心の安定を図りたい、というのがこの手記を書くモチベーションになってることはたしかだろう。ひどく利己的で、被害者感情を逆撫ですることは確かだけども、もともと自意識しかないぶっ壊れた人間なのだ。今の他者を理解しようという姿勢は矯正プログラムの成果でしかない。
ところで、この本で笑うべきでないのは十分分かっているが、どうしても笑ってしまった箇所がある。
それは彼が捜査員や検察官、カウンセラーといった大人たちに最後まで内緒にしていたという、彼の中で性衝動と殺人衝動が結びついた原体験だ。
小5のとき、最愛のバーチャンを亡くした彼は思い出に浸ろうと入ったバーチャンの部屋で電マをみつける。電源を入れ興味本位で股間に当てた彼は今までにない快感に身を震わせる。小5の彼は電マオナニーで気絶するほどイクという壮絶な精通体験を得たのだ。それはバーチャンの死と深く結びつき、性的快感と「死」が関連付けされてしまったのだ。その後も電マオナのとりこになり、その行為は強く死を意識させる冒涜的な行為であったので、それが猫殺しの時にもイッた原因になったと彼は自己分析してるのだ。
この本から教訓を得られることがあるとすれば、電マは年頃の男の子の手の届かないところに保管しなければいけない、ということだろう。
今の自分は、もしかしたら今後の人生で持てるモノのほとんどを持ってしまっているかもしれない。
実家は比較的金持ちだ。父親が稼いでいる。千代田区の民間のマンションの家賃なんて払える人間は少ないだろう。
自分が後天的に手に入るモノ つまりお金はもう手に入った状態なのだ。
持病も安定している。
ツライ今が頂点なのだ。
正直、金でいい思いはしてきている。
だけど、なぜか苦しい。
自分は容姿のいい健康な体が欲しいけども、手に入らないことは明らかである。
それが手に入らないと幸せになれなそうな気がする。
容姿のいい健康な女の子になりたい願いはおそらく今どこかでも、誰かに願われ、奇蹟は起こらず涙が流されているだろう。
これまで、「自分」を主語にしてたくさん、手に入らないモノについて述べてきた。
自分語りは飽きられるという指摘はごもっともだ。あと1回書いてしまうかもしれない。でもやめようと思う。
実は、自分語りじゃないモノも書いている。課題のシナリオなのだが、何も書けない。ただただ、「自分が」「自分が」である。
文章を書けば、気持ちがラクになると思っていたけども、そんなことはなかった。
とても、真摯にコメントを書いていただいた方に申し訳ない気持ちでいっぱいである。言葉というのは所詮は気持ちを変えられるかもしれない程度のモノでしかないことに気付いた。
○○○大学○像○部という、カリキュラムは専門でいいと言われたらそれまでな、一番無職率が高くて、学費は薬学部と大して変わらない高額な、僕と同じ高校の専門的なこともやっておらず、バカな同級生が進学した関西で大学受験をしたものにとっては噴飯モノの大学の三流学部の僕は今日もいつも通りの気持ちで大学に行く。
もう行きたくない。
何故か、楽天トラベルで神戸のシティホテルを予約してしまったので、今夜泊まり、明日の大学の授業は自主休講しようと思う。
神戸大学の花形学部を卒業した父親が稼いだ金で僕は神戸でシティホテルに泊まるのだ。
いつ無くなるか分からない金で優越感を少しでも感じようとしている。潮風を少しでも浴びようとしている。夜全く寝れない体をフカフカのベットで夜睡眠に矯正したい。
いつまでも容姿のいい女の揺れる胸で泣いたりしたくない。ありとあらゆることにコンプレックスを持ちたくない。
紋切りだろうが消えちゃいたい。
http://megalodon.jp/2015-0608-1101-42/anond.hatelabo.jp/20150608073626
PDについてはこちらを参照:http://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_personality.html
有名なのは境界性人格障害や自己愛性人格障害、いわゆるサイコパスといわれる反社会性人格障害あたりだが、ある程度は治療と投薬によって行動や認識の歪みが改善されるといわれている。
最初は,問題が患者自身にあるということをわからせるよう努力すべきある。もう1つの原則として,人格障害の治療には長い時間がかかるということが挙げられる。通常,長期の精神療法または同じような人々とのエンカウンターによって繰り返し直面化を行うことで,自身の防衛,信念,および不適応的な行動パターンを本人に気づかせることが必要である。
(中略)
対人関係上の問題,すなわち依存性,不信感,傲慢,操作的態度などを変えるには通常1年以上を要する。対人関係の変化をもたらすかなめは個人精神療法で,これは患者が自身の対人関係における問題の原因を理解するのに役立つ。セラピストは患者の思考と行動パターンの望ましくない結果を繰り返し指摘する必要があり,ときには患者の行動に制限を設ける必要がある。このような療法は演技性,依存性,受動-攻撃性人格障害の患者にとって不可欠である。一部の人格障害(例,自己愛性や強迫性のタイプ)では,態度,予想,信念が精神的にどのように体系化されているかということが関係しており,このような患者に対しては,通常3年以上の精神分析が勧められる。
引用:http://merckmanual.jp/mmpej/sec15/ch201/ch201a.html
要は彼らの出してくるストロークに反応せず、犬や猫をしつけるように「だめ」「よくない」と突っぱねることが大事だ。もともと対人関係のコントロールは下手でないはずなので、ある程度行動が矯正され、認識の歪みが是正されれば彼らはさして害のある人ではない。メンヘラには絶対接触するなみたいなことがネットではよくいわれているが、そういう分断処理をするくらいならおかしいことにはNGと出していったほうがよほど建設的だ。そしてそういうことをする人がいないまま年月ばかり重ねると、ますますパターンが硬直化するので手が付けられなくなる。
なのだが、PDの人々だってもちろん人間だし、目の前の箱だって使えるので、人の同情を引く方法については常に研究を重ねている。彼らにとって今一番「アツい」ツールはモラルハラスメントに被害者という立場らしい。
本当のモラルハラスメントの被害者とモラルハラスメント被害者を装う人格障害者の違いは
というあたりで判別が付けられる。
例としてこれを見ることにする。
http://anond.hatelabo.jp/20150527070630
魚拓はこちら:http://megalodon.jp/2015-0527-1210-33/anond.hatelabo.jp/20150527070630
話の内容をまとめると
SAS(無呼吸症候群)は寝ている本人はわからないので基本的に家族やパートナーに対しても問診をおこなって、疑いがある場合は検査をする。ただし検査は自宅で寝ている時に呼吸などのチェックを行うものであり、この増田が言うとおりいびきの音が録音されていて無呼吸と思われるなら、入院して同じように睡眠時のデータを取る。問診で録音があるにも関わらずSASではないといわれたなら単にいびきがうるさいだけ。いびき改善にマウスピースを使用することはあるが、別にデータの改竄をする必要はない。また他の病院でマウスピースを作らせるというのも意味不明。おそらくこれはなにかを隠したいための嘘と思われる
メンタルがやばいのに同棲は開始し、しかも自分は仕事をやめたが、安定していないので同棲は解消できないというのはおかしい。自分勝手な理論である。
どういう成り行きで同棲することになったかは知らないが、ただでなくても面倒な引っ越し以外のもろもろ(特に同棲の場合は契約も面倒だし)を丸投げされたら普通は嫌になる。そこでやっぱり同棲はやめましょうと本来相手はいうべきだが…
また夜勤明けの休みの日にわざわざ引っ越し日を設定すればそれは機嫌が悪くなるだろう。夜勤がある仕事なら日中いない日もあるわけだが増田がわざわざそれを選ばずに最悪な日を選択したのは、他者が感情を持っていることを理解できていないためだと思われる。面接の準備もして実家に帰っているのでさして緊急事態ではないようだから、二時過ぎに親の家に帰るというのはわりと非常識である。親子だから許されるというのもあるが…
また、
自分の母親は最近再婚して、同棲前に顔合わせしたんだけど、その時も借りてきた猫のように相手がおとなしく、相手の紹介や両親との会話にまったく積極性が感じられなかった。
出会って一ヶ月の彼女の母親の再婚相手に対して積極的に行く理由は特にない。
またこの他全体を通して、「母親に対していい顔をしたい」「自分が怖いのでやりたくない」「相手が可哀想=自分に迷惑をかけられたくない」「迷惑をかけそう=自分が恥をかきそう」と言い換えられるところを見ても、この人の世界には自分と母親しかいないと思われる。
相手がどんな調子で詰ったのかはわからないし、実際怖かったのかもしれないが、増田も怒鳴り返しているようだし、電話したり翌日の準備をして出る程度の余裕はあるらしい。とはいえここは相手の様子がなんとも言えないので実際にかなり恐ろしかった可能性はある。が、その後のストーカー化して殺人事件に発展しそうというのは飛躍である。
全体を読めばわかるが、引っ越しの丸投げ、夜勤明け日を知っていながらの引っ越し、同棲するにもかかわらず勝手に仕事をやめ解消には応じない、自分は病院に行かないが相手のいびきに関しては病院に行く、夜中に蹴飛ばす(これはわりとお互いさま)、などなど散々相手を煽っていくスタイルである。適当なところで手を切らない相手も相手だが、過労寝不足の状態で声を荒らげずにいられたら、相当の聖人である。
この増田の場合、妙に母親の顔色を伺うところがあるのでおそらく母子の問題があるのだろうが、それはそれとしてこれのブコメのようにモラハラ被害者かわいそうというスタンスをとると、この手の増田は増長してますます人格障害がひどくなる。たとえブコメであっても、むしろネットだからこそ、しっかりと矛盾点を指摘していったほうが、同情を寄せるより本人のためだと思う。
いまだに「街灯ない夜道を1人で歩く女が悪い。だからレイプされる。襲った男が悪いに決まってるが、女も悪い」みたいな戯言をのたまう馬鹿がいる。
まず、レイプ被害に遭った女性に落ち度があったとしても、それは「こうすれば被害を未然に防止できた」という視点から自分で反省すべき落ち度であって、他人から責められるべき落ち度(法的な故意・過失)ではない。それゆえ、他人が「女も悪い」なんて批判すべきではない。
では、それを「電車でベビーカーをたため」論に置換してみる。「混雑している電車内にベビーカーをたたまずに持ち込む母親が悪い。だから舌打ちされ、暴言を吐かれ、無言のプレッシャーを加えられる。不快感を示す乗客が悪いに決まってるが、母親も悪い」という感じに。
レイプのケースとベビーカーのケースで大きく異なるのは、レイプ犯に同意するやつはいないだろうが、乗客に同意するやつが出てくるってことだ。そりゃ、自分を犯行直前のレイプ犯に痴漢してみても「迷惑」は感じないが、自分が乗客の立場なら「迷惑」だと思うやつもいるだろうからね。
だが、それは女性側からすれば、知ったことじゃない。自分に落ち度がないのに、被害に遭うのだから。本来、矯正すべきは自分の倫理観や道徳や空気を読む力ではなく、レイプ犯や乗客のそれなのだ。
「いや、それは間違ってる。電車内はベビーカーをたためよ。マナーだろ」という指摘がありそうだが、それはお前らの勝手なマナーに過ぎない。事実、JRや各私鉄、国交省などは、乗客に対してベビーカーの乗車に協力する旨を呼びかけている。鉄道会社の規則にもベビーカーをたためとは書かれていない。
残念ながら、子育てをしたことがないか子育てに非協力的だった人間で共感力スペックが低いやつには、ベビーカーをたたむということの大変さが理解できないようだ。無論、不可能ではない。不可能ではないが、ベビーカーのせいで乗客ひとりが電車から弾き出されても構わないと思える程度には厳しい作業なわけだ。ベビーカーをたたんだせいで、荷物と赤ん坊を抱えなければいけなくなった母親を「当たり前だろ」なんて感じられるなら、己の心の狭さを恥じたほうがいい。
ここまでは頷いてくれた読者であっても「さすがに満員電車は厳しいんじゃないの?」と考えている人もいるだろう。もちろん、厳しい。できることなら満員電車へのベビーカー持ち込みは避けるべきだろう。街灯のない夜道を女1人で歩かない方がいいのと同じくらいには、満員電車にベビーカーを持ち込まないほうがいいに決まってる。特に首都圏の満員電車は人を殺しかねないからな。
しかし、それはあくまでも母親が判断すべきことであって、他人がすべき論で語ることではない。お前らに満員電車に乗らざるをえない事情があるように、母親にだって事情があるんだよ。サル並みの知能指数をもつ母親なら、安全上の観点から満員電車にベビーカーを持ち込みことを躊躇するだろうが、それでもそうせざるを得ない理由があるんだろう。もっとも母親にそんな事情がなかったとしても、それを周囲がとやかく言う問題でもない。むしろベビーカーは赤ちゃんのパーソナルスペースなんだから、そのスペースくらい周囲の乗客は確保してやるべきだし、座席を譲ってやるべきだんだよ。
母親ひとりに優しくできない日本では、「お・も・て・な・し」はヨソモノ向けの精神にすぎない。内には徹底的に厳しく接する。自分に優しく他人に厳しい。だから、ブラック企業が生き続け、労働者は心を病んだり過労死したりする社会になる。そして皮肉にも、今日ベビーカー批判をしたやつが、昨日はブラック企業批判を展開するのだ。実は同根の問題が形を変えて表出したにすぎない。母親を思いやれない人間が、労働者を思いやれと主張することの滑稽さよ。
(まとめ)
そもそも保険適用外という時点で、近視はハゲ同様「厚生労働省的には病気じゃない」と。
つまりレーシックにしろPRKにしろリレックスにしろICLにしろ、「健康な眼球を傷つける」行為でしかない。
そうなると個人的には、歯列矯正よろしく恒久的に眼球そのものの形状を矯正する、オルソレンズの発展版みたいなのがいいなあと。
確かコルネアプラスティだっけか?なんかアメリカでの研究が失敗したとか良からぬ情報もあるけど。
でも現代の医学では、凸レンズを削ってピント補正するが如く角膜を削るか、凹レンズをかますが如く補正レンズ内蔵化のいずれかの方法しかない。
それくらい酷い眼球形状の変化って、普通に病的な変形と言っていいと思うんだけど。
なんとも腑に落ちない。
もう30も過ぎたオッサンなんだけどさ、最近やっと俺の意思で俺の生きたいように生きてるなーって快適になってきたんだ。
んでもし子供なんてできたら生活の大部分をそれに傾けて子供のために生きなきゃいけなくなって、できることも極端に減るだろうなと思う。
周りで子供できた人いっぱいいるけど、今できることで無理なくできる範囲で頑張ろうとか、いかに人を使って成果を出すかとか、みんなそういう思考になっていって、まー社会人としてはまともな志向だってのはわかんだけど、全然魅力的じゃないんだよね。
とは言ってもこういう考えだと社会的に色々齟齬が出てきていい加減厳しいなって思うわけで、俺を洗脳するなり論破するなり認知心理学的に治療するなりして、まっとうな価値観に矯正してくれそうなカウンセリングを探している。
JPOPの歌詞みたいなペラペラのありきたりなポエムを壊れかけのレイディオみたいに語られるだけじゃ全く心が動かされないので、まともな人がよい。どこかないだろうか。割と本気なんだ。