はてなキーワード: 年子とは
初体験まで出会ってから半年以上掛かったという点がポイントじゃないか。
結婚式準備には最短でも3ヶ月以上掛かるので、出会いから成約まで最短で1ヶ月だとしても、ここで4ヶ月経過している。
つまり最短でも結婚後2ヶ月目で妊娠ということは最短でも結婚記念日の1ヶ月後には第1子が誕生している。
しかしこれは出会いから4ヶ月後に結婚式を挙げているということが前提。
時期にもよるけれど式場予約はかなり大変で人気の式場であれば尚更。
妥当な線を考えるならば結婚式前に仕込みが終わっているということ。
例えば結婚後半年の時点で第1子が誕生しており、お盛んなのは読んでわかるし、その後は年子と考えるならばそこまでおかしくなくなってくる。
そこから1年置きに産んだって、3人産むには6年かかるんだけど…?
しかも35で結婚なら、即妊娠したとしても初産36の高齢出産で?事実だとしたら奥さん身体ボロボロになってそう…
1年鯖読んでて本当は6年前の話、としても最後の出産は41歳という超高齢出産に違いはないし、
それで4歳と2歳の子供抱えながら仕事もやってる?超人ですか?
そもそも既に2人子供いる39歳がもっと子供産みたいって思うかなあ。んでそんな即妊娠できるかなあ。
2人産むのだって相当無理があって、1人産めたら御の字って年齢なのに。
それとも1年空けずに年子でどんどん産み続けたんだろうか?
それはそれで身体ボロボロになるよなあ…若くたって母体の健康考えて1年は避妊しろ、が産科の常識なのに
36の産後まもない妻に対して避妊もせず次々妊娠させる夫って…
典型的なDV多子家庭じゃん。無理やりセックスして避妊もしない夫とそれに逆らえないから次々妊娠させられる妻、っていう。
今40くらいってのは事実だろうに、それでもこの程度の知識すらないのか…
子だくさん=セックスしまくりの仲良い夫婦!くらいのイメージしかないんだろうな。現実の妊娠も出産も育児もイメージ出来なくて。
中学生か。
が、相手役は東出昌大でよかったのだろうか、演技が大根だと感じた。これはいったいどうなんだろうか、とずっと頭の上に??を浮かべながら見ていた。
杏はさすがの演技とキラキラした存在感、原田泰造の全開の泰造っぷり、儲け役をマンキンで見せてくれた和田正人、役どころを掴んだ財前直見、宮崎美子への開眼(あんな性の悪い演技するなんてもう!好き!)、キムラ緑子の手練れに翻弄される、吉行和子のぬか床ナレーション。
そして何よりも、近藤正臣の存在感あるダメオヤジぶり、ほれぼれするような古い大阪弁と貫禄の演技。
毎週のテーマのごはんの美味しそうさ、食べるシーンのうつくしさ、高畑充希の瑞々しさと歌唱力への驚き、関西制作回ならではの茂山逸平を堪能など、話始めるときりがない良さだったのだが、西門悠太郎役は東出でよかったのか、と思いながら見ていた。
役どころには合っていたと思う。「家」と「妻」と「己」との間に宙づりになり、カチカチに硬く、あまり人生を上手くやれない男。やりたいことも能力もあるのに上手く回せずひたすら不遇を生きる男、狂言回しでもある主人公の妻に引っ張られて自分の人生や家ともやがて融和していく、気の毒で不器用で愛おしい男。
東出昌大は、大根役者なのか。初めて演技を見たのが「ゆうたろうさん」だったので、役どころと合っていたのだろうと思う、あー大根だ、と一刀両断にはしなかった。不器用無骨演技をしてるのかなと思ってたのだが、他の演技や映画を見ても落語ディーパーなどでの素のしゃべりを見てもあんな感じなので、演技じゃなくて素でやってたかアレ、まぁ役者って役どころでもあるからそれはそれで、サイコパス役とかストーカー役とかドはまりしてたし、そういう役者になればいいよ、と納得させていたのだ。そしたらリアルもサイコパス寄りだったんかなーという気持ちになってきた、不倫騒動の件で。
そもそも、杏が、双子が生まれた次の年にまた子供産んだ時にこつんと小さく引っかかっていた。双子ちゃん産んですぐ年子って杏ちゃんの体とか子育てとか…金持ちだから金で解決できることも多かろうが、金では解決できない母体の健康とか行き届かなさとか大丈夫…と心配し、でもまぁ女優さんは育児休暇期間をまとめた方が仕事復帰しやすいだろうし、夫婦で決めたことなわけでと思っていた。
んだけど、東出昌大は、双子が産まれてやっと離乳食で何とかなるかなぁという乳児育児真っ最中に次の子を仕込んでて、更にその最中にも平行して不倫を続けてたってことになる。相手の女優も不倫匂わせインスタ疑惑があるメンヘラタイプだ…不倫相手を見る目も無い。相当クレイジーでサイコパスというか…セックス依存か何かなのかなとすら邪推が捗る。へっぽこ系サイコパス。
子供を産む前は、絶対に一人っ子でいいと思ったんだけど実際に子供を1人産んで、自分は子供を産む力があるんだとわかるとじゃあ第二子も産めるなら産みたいという気持ちになってきた。
でも、第二子産んじゃったら贅沢はできなくなるし、きっと家計は苦しい。子供一人だったら貯金も貯まるだろうし、色んなところに旅行に行ける。
子供のとき妹と仲が悪かったんだけど、私の出産後、妹が色々と育児をサポートしてくれてありがたかったのでやっぱりきょうだいがいるっていいなぁという気持ちになってきている。
まあ、きょうだいだからって必ず仲が良くなるとは限らないし、「きょうだいは他人のはじまり」という言葉通り大人になってから全然付き合いがないきょうだいもいる。
第二子ほしくなってきたなぁ。今専業主婦なんだけど、パートとかフルタイムの仕事しながら子作りする自信はないので(一人目は専業主婦のときに頑張って作った)第二子作るんなら就活せずに専業主婦を続けなくちゃいけないと思う。
大変だと思うけど福原愛ちゃんみたいに年子産んでしまったら高齢出産のカウントダウン気にせずに済むから一気に産んでしまいたい気持ちがある。
産後ほぼレスだけどそろそろ二人目考えようかという事で来月から子作り始める
もう3年近く何もしてないけど上手く進むだろうかなあ
子どもが可愛すぎて一人っ子でいいかと思ってたけど周囲が2歳差3歳差で第二子妊娠出産してるのを見たら
やっぱり二人目欲しいなあと思ってしもた
でも年子や2歳差でイヤイヤ期の子どもにイライラする怒鳴ってしまう第一子を蔑にしてしまうという意見を見たら
子どもは好きで姉/兄になるわけじゃないのにそんなの理不尽だよなああああとまた迷う
またトツキトオカ吐いたり動悸がしたり寝れなくなったり仰向けで寝れない日がやってくるのかあ…
そして死ぬほど痛い陣痛に耐えて汗まみれで出産して裂けた所を縫われて悪露をどばどば出して貧血でふらふらしながら新生児の世話をするのかあ…
はてな見てると自民党に反対する人とか、消費税増税反対な人多く見えるんだけど世間はそうじゃないんだなあ。
社会人なりたての2年前?3年前の選挙はとりあえず多数派だし自民党入れておくか、他は名前がかっこ悪いし(希望とかみんなとか幸福とかなんなの?ばかなの?)
共産党は何か怖そう、ロシアとか中国とか?なんかやばい奴らなんでしょ。
よくわかんないから投票所に向かう途中にあったポスターで笑顔の優しそうな眼鏡のおじさんに入れた(自民党の)。
あれから3年ぐらい経って、
消費税が10%になるとか、なんか統計が改ざんされてるとか、老後2000万必要(!)だとか聞いて、
あれ?このままだとやばくない?っていうか毎月めちゃめちゃ税金とられてるけどこれってちゃんと使ってもらえてんの〜〜!?って。
あと去年子供生まれて、出費も増えて、お金ちゃんと貯めないとっべーなっていう。
保育園無償化とか大学の学費一部無償化とか…恩恵受けないしなあ。
っていうか保育園無償化も大事だろうけど保育士の給与改善して保育園の数を増やして欲しいんご。
だから今回は「保育士の待遇改善するぜ〜」、「消費税増税やめるぜ〜」、って言ってる党に入れたぜ
あと選択的夫婦別姓…?とかLGBTのパートナーシップ…?とか、多様性ばんばんざいじゃん。
今回はちゃんと各党のことも、自分の区の候補者のことも調べた!
入れたい人が二人いて、どっちに入れるか悩んだけど票が競ってる方に入れた。
これで良かったのかは正直わからん!
配偶者がどこに入れたの?って聞くので、「どこに入れたの?」って聞き返した。
結婚5年目。一年半くらい前からずっと離婚したくてモヤモヤしてる。
毎日離婚したいと思ってる訳じゃない。楽しい時もある。浮気とか借金とかDVがある訳でもない。けど平均すると週の半分くらい夫と別れたい気持ちに押し潰されてる。
きっかけは恐らく第二子の育休明け直前直後に夫の結婚式ラッシュが重なり、平日ワンオペなのに土日も年子育児がワンオペ気味になったこと。慣らし保育がやたらと長い園で、復帰の準備もままならないままいきなりフルタイムになった自分を横目に、毎週末のように時には泊まりで気にせず結婚式に出掛ける夫。GWだけで3回行ってたよ。ブツクサ文句言ってたら「冠婚葬祭に笑顔で送り出してくれないのはおかしい」「育休中なんだから家事育児をやるのは当たり前」「家事育児が向いてないからストレスがたまるんだ」「俺は育児してても全く苦にならない」「結婚式をキャンセルすれば満足か」と夫は暴言三昧。
いやいやいや。
育休中でも夫と50:50で組んでるローンは毎月払ってたし、生活費も貯金切り崩して毎月入れてましたが?それなりに家計負担してるのになんで家事育児はデフォルト自分担当なの?
そもそも自分の方が給料高いのに、お前に出産授乳能力がないから分担できず、自分が体張って産んだんですが?
なんで逆ギレしてんの?そこはワンオペさせてごめんねだろいつもありがとうだろ。
信頼関係が根本から揺らいでしまい、その後から喧嘩になっても夫の言ってることが全く受け入れられない。夫も夫で譲るタイプじゃないから喧嘩しても結論が出ず仲直りもなあなあで終わる。更にモヤモヤする。この繰り返し。
子供にとっては良いパパだと思うけど、あと何十年もこの人と暮らすのかと思うと辛い。そもそも子供にとって両親が不仲で良いものか。ぶっちゃけ自分はそれなりに収入あるし、実家も近いし、ほぼ100%親権取れるだろうし、別れても大して困らない。でも父親の存在は大きい気もする。でも価値観合わない夫とこれ以上暮らすの辛い。
離婚のメリデメ考えて気持ちが揺れ動く日々。結論出ない。モヤモヤの日々。
いつか気持ちが晴れる日が来るのか。
家父長制が崩壊したのに「嫁」なんて言葉を気取って使ってるのはアホくさいからやめろという話だよ。
息子の妻。家父長制下にあった日本では,いわゆるシャモジワタシを受けて主婦となるまでの期間の妻をさす呼称であった。当時の嫁が,一家の主婦となるまでには,長い試練の生活を強いられるのが普通で,新潟県佐渡の「添うて7年子のある仲だ,嫁にしゃくしを渡しゃんせ」という民謡などにも,その間の事情はうかがわれる。しかし,家父長制の崩壊した新憲法下の今日では,嫁と主婦との間に,かつてのようなへだたりはなくなってきている。 (→杓子 )
一家の経営において,社会慣行上容認される家政管理を中心とする主婦の権限。家長権が強大であった時代の商家,上層農家においては,家事全般にわたる責任者としての座が家長の妻に与えられ,これとともに食生活,衣生活など家事の切り回しに関する権限が,主婦権として確立されていた。オカミ,オウエ,エヌシ,イエトジ,オカタなどの呼称があるのはその証左である。主婦権の譲渡はヘラワタシ,シャモジワタシなどと呼ばれ,通常,嫁が婚家の家風になじんだ時期をみて,姑から嫁に対してなされた (→杓子 ) 。隠居制による家族では,夫婦単位に生活が営まれるため主婦権も姑と嫁に分散される。家長権が弱まり,核家族化した近代家族においては,家父長制下にみられたような主婦権は存在しなくなってきている。
出産適齢期を逃すから不倫はダメだと有料noteに書いている人がいた。
「独身のとき既婚者とつきあったこともあり、恋愛は自由だと考えていた。でも結婚して子供を持ったら我が子への愛はどんな恋愛にも勝ることがわかった。
子供を持たない決意があるなら別だがら、それがないまま貴重な出産適齢期を恋愛で逃す女性は不用意。そうと知りながら出産適齢期の女性と交際する男性は人として配慮がなさすぎる」
不倫の是非はともかく、この理屈でいくとそもそも持病や年齢など身体的な理由で妊娠する、させることが望めない人は子育てを望む相手と親密になるべきではないと書き手は思っているのだろうか。
先日年下の夫から妊娠の見込みがないと離別を切り出された女優がいたが、書き手はこの離婚についても子供が望める年齢の夫が正気に帰って親族はホッとしているだろうと書いていた。
年齢は見た目である程度判断できるが、見た目ではわからない持病や障害で子供が望めない人は世間で思われているより少なくない。書き手の価値観のなかではそういう場合と不倫が同様の理由で忌避されるのだろうか。
だとしたらいつ、どのタイミングでそういったセンシティブで踏み込んだ個人的な事情を開示するべきだと考えているのだろうか。
十代の頃から斬新な切り口で興味深い話を書く人だと思ってフォローしていたが、子供を持ったら「嫁して三年子なきは去れ」の世界にいきついたようで、複雑な気分になった。
とてもちいさい。
わたしの小さめの手のひら(握って隠せる的な!)で隠せるほどに小さかった。沖漬けのほたるいかみたいだった。
イケメンだしやさしいし、ノリも合うしと思っていたのにどうしよう。こんなことで冷めるってことはあんまり相手のこと好きじゃなかったってことだったのかな。
冷めるというか、混乱してる。
だって、むかーしむかし、おとうさんに連れられて行った一緒に行った銭湯で見た、年子の兄のサイズと一緒だったんだもの。
え、パニックで見間違えたのかな?家ついたら似たサイズのもの探してみよう。
こわい。行為どころじゃなくなった。
なんか頭がぐるぐるしている。相手が達したのだけ確認して、ああ、ちゃんと機能してる……と確認して、よかった?じゃあね!と言って帰ってきてしまった。
たぶん徹頭徹尾失礼だ。でもこのまま居座って本番になってもいやな未来しか見えないし、下手なこと言って傷つけたくないし。
ていうか、こわいってなんだよ。なおのこと相手に失礼だな。やめやめ。
でも、変なノスタルジーすらある。今から銭湯、いくか……?いや、先にサラダパスタたべよう。お腹が満たされれば、ほたるいかに見えなくなるかもしれない。
ほんとどうしよう。なんかいけないことした気分だ。
仕様上可能ではあるから、なんとか行きずりみたいなので避妊せず作るとする。もしくはある程度は原価だと割り切ってお金出して作るとする。1トライの結果が出るのが翌日〜10ヶ月。失敗したら成功するまで続ける。
で? 産んだあとどうすればいいの? 物と違って、産めって言った人(組織)は買い取ってくれる訳じゃないんだよね?倫理があるから。つまり原価がペイできる収入が得られる訳でもない。エサ代保守代アップデート代20年分/人も自腹。そして育成中にあと2回産まないといけない。当然自分の餌代保守代も必要。資産がない場合は着床〜出産ノーミスで全員年子で作れたとしても23年。無事社会に納品できても報酬なし。納品できなかったらお見舞い金が出るのかな?って思ったけどさすがに毒が強すぎるのでやめる。とりあえず納品しても報酬なし、やりがい搾取。その上別に大事に扱われない。民間は大事に扱ってくれるかもだけど、公的機関は若者を大事にしない。基本的人権を保証しない。需要を示したのそちらでは?
ご覧の通りの性格ゴミで外見もそのままの子供嫌い、でも身体的に子作りが不可能な人の分を誰かが請け負って産まないといけないから、私であっても作れるなら作って産まないと人口維持できない。性行為が嫌とか関係ない。保守手伝ってくれる人がいないのも関係ない。保守代がないのも関係ない。女しか頑張ってねーだろ痴漢問題のやり取り見ろよあれ、って思っても何にもならない。
知り合いに子供が産まれたんだけど双子の男の子で私も双子の男の子が欲しかった。その子は結婚して2年くらいで自然に妊娠して産まれてるし今20代だったはずで、私だってそのくらいの年齢でそうやって子供に恵まれたかった。私は結婚して子作り始めて5年子供できなくて一度流れて治療してやっと授かった。渇望していた男の子ではなくて女の子だった。それでも自分の子供は超可愛いし、妊娠の経過も順調で正期産だったし、出産も初産とは思えないほど順調だったし、まだ1歳前だけど大きな病気もなく健康に育ってくれているし、凄く育てやすい子供だからこれ以上望んだらバチが当たりそうなくらい恵まれているんだけど、どうしても知り合いが羨ましい。
彼女が双子を妊娠したことは某SNSで知ったんだけど見ると嫌な気持ちになる自分がいるから見ないようにしていたのに、たまたま普段開かない別のSNSを開いたときに出産報告を見てしまった。だから今この日記を書いている。まあそこで見なくても共通の知り合いからその話題いつか出ただろうから遅かれ早かれ知ることにはなったとは思うんだけど。
そう、こんなに自分には可愛い子供がいるし環境だって恵まれているのに、他人をみて妬ましくなってしまうのが凄く嫌なのだ。子供にだって申し訳ない。それでも思ってしまう。辛い。自分が嫌になる。この性質どうにかしたい。
自分でも、どこにでもいる、むしろ人より下位にいる人間だとわかってる。
でもなんとかして働きに出たい。
経歴
新卒で総合職社員として務めるが半年でやりたいこと(文を書くことや本と携わること)ができないと判断して、退社
色々あり籍だけ入れ彼と同棲、そのまま転職活動しようとしてたら妊娠発覚
妊娠出産、子どもは2人はほしく、企業入ってからまた育休とか取るよりは一気に済ませた方がいいかも知れん、と思い立ち、年子を生む決意をする。
そろそろ動き出せるとわかりつつ、どうしたらいいのか二の足を踏んでる…育児しか経験したことがない27歳を雇ってくれるところなんてあるのか。
チマチマと在宅でライターをやっている。(0.1円から始めていま0.7円ほど。これ以上は利用してるサイトじゃないところで活動しないと無理かなと思ってる。)
作家は諦めたからできればライターで企業に勤めたいと思ったけど、ライターっていまかなりフリー。
自分でホームページやったり名を売りに行かないと無理な感じがして、自ら名を売り出す行為が自分にできるとは思えなくて、ライターも無理なのかな、と思い始めてしまってる。
長年の夢の作家は諦めた。
もう、夢は叶わなかったな、なんて思いをしたくない。
なれるものに、なりたい。
わたしは、なりたいものには、ならなかったという思いをしたくない。
自分と同じように何者にも所属できず心を病んだ友人が、自死してしまった。
でも、何者にもなれず、どこにも所属していない人間が死を選択する世界、と、同じ世界にわたしも立っているわけで。
死ねと言われてるわけではないと理解してはしてるけど、居心地が悪く、苦しい。
でも子育てが終わった後に、手元に思い出しか残らない状態が辛くて、専業主婦のままはいやだ。
わたしは何ができるんだろう。
何かできることはあるんだろうか。
雇ってくれるところはあるんだろうか。
何者かになれるのだろうか。
いつまでこのような厨二病的な世界にわたしは囚われてるんだろう。
※
すみません、在宅でライターしてると言っても一年でならすと月2〜3万が限度です。
頑張ってもこのままだと月5万くらいしか無理かなと。
毒親の話を読んで似た人がいて吐き出したくなって誰にも言えないからここに書く。
父親が妹を自分の顔に似ていると赤ん坊の頃から毛嫌いした。年子の長女の私の事は猫可愛がりし私の赤ん坊の頃はほとんど父親がかまっていたと聞いた。
物心つくと母は父親に甘える私に、お父さんは嫌いと言いなさい、じゃないとあんたの事嫌いになるよと言った。私は父親より母のことが好きだったので泣いてすがった。妹は構われずいつのまにか立っていたとのちに母は言った。
私は母の言う通り、あんたなんて嫌いと言いお父さんと呼ばなくなった。
父親は妹を泣かせて遊んだ。妹はこの世の終わりのような声で泣いた。泣き叫ぶ事を妹は中学生までやめることができなかった。母はそれを疎ましがって疎まれるのが怖くて私は声をあげて泣くことはなかった。
父親が妹をいじめて母と険悪になると私に母は産むんじゃなかったと言った。そう言われるのが怖くて私が父親に抗議する立場となった。そうすると母は父親の機嫌を損ねなくてすむから。
父親が妹を意味もなく小突いたり、私だけを甘やかそうとすることを口汚く罵りながら、して欲しいことがある時は甘えてコントロールすることが私の役割だった。いくら私が、お前なんか嫌い、きちがい、と言っても父親は私にだけ甘かった。
妹の泣き叫ぶ声を私も疎ましく感じていた。母に父親とあのこさえいなければと言われ真に受けていた。ある日泣く妹を母は玄関から閉め出した。私は母を、もういいでしょ、と説得してからでないと鍵をあけることができなかった。私はくずだった。
小学低学年になり、すかしっぺをくらわすふりをするという遊びが流行った。まだ嫌いと言いつつ自分にやさしい父親に甘ったれた感情が残っていた私は嫌がらせもこめてその遊びをとった。父親はニヤニヤと、してはいけない事だ、お母さんに嫌われるよ、と言った。母に嫌われることが何より嫌だった私は、ごめんなさいもうしません内緒にしてくださいと父親に謝った。父親は内緒にして欲しがったら乳首をなめてと言って私はした。
中学年になると妹はストレスで学校で問題をおこすようになった。家のお金や私の物を盗み、怒るとお姉ちゃんがと泣き叫ぶ。住宅密集地だったため丸聞こえで近所の人に挨拶をすると無視されるようになった。
大人に指図して生きているのがわかるのか私は先生に好かれない子供だった。授業中に睨むなと叱られ母に相談すると、あんたは大人を馬鹿にしていると言われた。
父方の祖父母にも生意気で可愛くないと言われいると母から聞いた。母方の祖母もあんたがなつかないから引っ越したと言われた。妹も私も味方の大人はいなかった。
中学生になると妹は荒れ似た家庭の友達の家に入り浸るようになった。親の寝室にはアダルドビデオの山があった。私はかまってくる男子に学生が拉致されて犯されるビデオを貸した。父親も発情した男子も馬鹿にしていた。その男子に好意をよせ胸を触らせてあげる女子などがいたが私が媚びないからそんな態度だと犯かすぞと言われた。ああ男はそうできるのかと肌身に感じた。
そんな中母が入院することになった。あまり帰ってこない妹と風呂場やトイレを間違えたふりしてあけようとしたり股関を見せてくる父親と過ごすことにノイローゼになった。
私は気が狂っていたんだと思うがお風呂の湯船に浸かり麺棒を股に刺した。自分で自分を守った気がした。食欲もなく母が退院すると私が病院につれていかれ栄養失調だと怒られた。
卒業間近に父に愛人ができ、借金でも虐待でも別れなかった母は離婚を決意した。
その頃にはもう妹は我慢の限界で父親に反抗し物を壊し私や母に殴りかかるようになっていた。当然だ。母の兄が妹をなだめようと受け止めなんてできやしないのに近づき、妹が暴れると妹を罵った。母にその日の夜、あの子らはいらないだろうと児相に預けるように言われたが断ったよと伝えられた。
小学生の時の帰り道けんかをして妹を泣かせてしまった。それを見た知らないおばさんが私を嫌な子だと非難すると、お姉ちゃんをいじめるなとこんな姉妹関係なのに怒ってくれるやさしい子なのを知らないくせに助ける気なんかないくせに妹を馬鹿にした。今でもあの親戚たちが死んだら笑うくらいには憎い。
妹は社交的で可愛く人好きのする人間になった。でもいまだに心に爆弾を抱えているし、私に対して愛憎の入り交じった感情をもっているのがわかる。
私は妹が好きだ。お姉ちゃんは好きだと言ってくれる妹に罪悪感が消えることはないと思う。