はてなキーワード: 双極性障害とは
やはりかけがいのない親友である党員3人には私の現状説明が必要だろう。
ねんごろを続けていくためにも私のことをより正確に知ってほしい気持ちもある。
ゆえに術式の開示を行う。
①双極性障害ニ型
③薬物依存(処方薬が7種類くらいある)
これら三要素が原因である。
①双極についての説明
私はだいたい3ヶ月周期でゆるやかな躁鬱カーブを描く(躁シフト3ヶ月→鬱シフト3ヶ月→躁シフト……)。
※前回の4人登城カナディアン回では今思えば相当な鬱シフトだった。色々とすまん。この場で謝る。
3ヶ月周期説は必ずしもきっかりではないが、例年梅雨付近は(鬱シフトに)落ちる。ほぼほぼ例年。
※「鬱」というと仰々しいが、私は自己肯定感が強いので鬱々(希死念慮とかいわゆるうつ病のイメージ)はない。
主な症状は「バイタリティの低下、意欲気力低下」であり、激鬱だと「社会的断絶(音信普通=雲隠れ)」
といった感じである。今回は5年ぶりくらいの激鬱だった。
原因としては今回鬱転前の躁期が異例に高く・長かったため、揺り戻し反発・鬱の谷も深かったのがひとつ。
あとはまぁ周期、梅雨時期低迷のジンクス(統計的有意)のため落ちるべくして落ちた。
それと3年間の疲れ(後述)。
今回(の休職と雲隠れ)、直接的な原因となったのがコレである。
夜寝るには最強の睡眠薬(サイレース4mg)が必要だし、朝起きるのは最強の覚醒薬剤(コンサータ72mg)が必要である。
もともとそんなに体力はないのだ。コンサータで5日働いたら土日は48時間ダウンしてた日常を3年続けてきた。
今回は3年越しの疲れがでてKOした感じだ。
症状としては体温異常(基礎体温37.5度)、熱感、聴覚過敏悪化+ひどい耳鳴り、疲労感、思考鈍化。
職場で首まわり(動脈)に氷嚢のようなものを巻いていたり、おでこに冷えピタしてたりしてフラフラしていたため、
見るに見かねてという感じで上級管理職(役員クラス)から一ヶ月程度休んではどうかと面談で言われた。
当時は自身の身体がヤバいという自覚がなく(いつもそうだ。自覚は難しい。後で気づく)、
ちょっと突っ張ったが、上司からの実質的な休職勧告だったため、突っ張りきれずという形で休職となった。
『さて休みはどんな1ヶ月にしようか!いろんなことができるぞ!有意義で生産的な1ヶ月にしよう!副業してもいいな!』
最初は本気でそう思ってた。本気と書いてマジ。
では実際はどんな一ヶ月だったか。
まず寝た。1週間くらい。そして1週間ぶりにシャワーを浴びた。
次に2週間部屋に引きこもった。食事も1階のダイニングで食卓を囲むことができず、
そして2週間シャワーすら浴びれなかった。服を脱いで浴室に行くというアクションすらできなかったのだ。
やべぇ。
4週間め。リハビリをしようと思ったが、まぁ、なぁなぁで家からは一歩も出れなかった。
リハビリ失敗。まぁなるべく長くコンサータ抜きたかったし、コンサータないとわたしは無能だし。
タイムリミットギリギリまで引きこもり延長。食事は多少とれるようになったが。
休み明け前日にようやく外出して、通院して出社して軽い事務手続きをした。
くっそ溜まったLINEとかを(頑張れば)少しは返せるようになった。メールは128通受信してた。
iPhoneSE3のスクリーンタイムレポートは平均0分だった。
PC室の窓は埋めてあるし(DIY)、寝室のカーテンは完璧な遮光カーテン、
26度のエアコンを24時間×30日間=720時間一切の休みなしで稼働させてた。寝室とPC室の2台とも。
ちなみにPC室にいる間はniconico動画(笑)を垂れ流してた。
ようつべすら見る気力はなかった。
なんだかんだつべは意識高いというか実用的だから(エンタメ系を再生しないせいかもしれんが)。
愚にもつかないなんも役に立たない無駄な動画がちょうどよかった。
本も読めなかったが4週間めにはずっと積んでた村上春樹の「街とその不確かな壁」を読んだ。
③薬物依存(処方薬)
これは数々の障害を抱えてる以上しかたないのだが、とにかく薬が多い。
つよつよの眠剤(サイレース&ピレチア&レスリン&メラトニン&デエビゴの5種カクテル)で無理やり寝て、
つよつよの劇薬(コンサータMAX量:72mg)で無理やり起きて働く。
※実際コンサータは耐性がついて90mg,99mg,108mg,126mgとか常習的に飲んでいたりしたが……(※OD)。
ちなみに新卒入社後の1年間は劇薬コンサータ90mg(※OD)を常用した結果、
瞳孔が開いてしまいドクターストップで退職しました。懐かしいなぁ。
どうやら頑張りすぎてしまう体質らしい。過激な努力を好んでいた。
で、今回の3年間は……
もちろん身体負荷的にも脳依存・脳ダメージ的にもかなりヤヴァいレベルであったらしい。
で、1ヶ月はほぼほぼ休薬してた。
というか休薬のための1ヶ月休職だった。
先週復帰したわけだけど、コンサータは今のところ27mgでセーブしてる。
耐性抜きしたしね。
27mgでずっとやっていければいいね……。
わりときちんと日々双極スコアのログをつけているので、そこそこ信頼できる見通しだと思う。
※双極14年選手だし……
◆医者コネで日本中の双極専門医にかかりまくったが、医師の総意は「マイナス1を目指せ!」らしい。(ふーん)
◆休職中は(双極)マイナス10オーバーくらいだったかも。5年ぶりの快挙(?)。
◆今はマイナス3程度。シーズナリティ的にゆるやかに上昇していくはず……
◆と思ったけど、案外リハビリ(社会復帰)を頑張ってるせいか、結構な角度で上昇してるみたい。自覚以上に。
◆てかもう今日時点でマイナス2~1くらいあるかも。あんまり急上昇しすぎるようなら薬調整してペース落とす処方にしないとなぁ。
◆で、予定だと、8月11日にプラマイゼロ到達、以降もゆるやかな(だといいなぁ)上昇を続け、
8月下旬~9月1日あたりには完全にプラス圏の躁期に入る、見立て。
◆ぶっちゃけ鬱期に行動(労働・雑事・手配)するのは辛いから「躁期までじっくり我慢の時だ」と今週はずっと言い聞かせてた。
◆ちなみに双極の一般論として「躁のほうが失うものが多いから危険」というのが医療サイドのセオリー。
◆まぁ患者サイドとしてはもちろん躁期のほうが心地よいのだけど。
◆実際わたしも過去にひどい散財やヤベぇスピード違反とか繰り返してた。事故ってないのが奇跡。
◆梅雨に落ちるジンクスと並んで、夏に高まるジンクスもある。唐突思いつきグアム単騎も夏だったし。
◆今は敏感というか振れ幅が大きいのかも。
3ヶ月周期説はベースオブベースのサイクルで、週単位、一日単位でも突発的な躁転、鬱転はもちろんあるよ。
大きな波(長期サイクル)と中くらいの波(中期サイクル)と小さい波(短期サイクル)があるのよ。
【結論】
★そんなわけで激鬱期にはご心配ご迷惑かけました、現在回復中・リハビリ中です。
★8/12にはプラマイゼロの見込みなので安心してくれ。それだけは伝えたかった。
★夏の陣(ある意味ラストトリップと言えよう)を楽しみに展望しつつ、やっていきましょう。
以上、よしなに。
2023/07/21(金)21:55、某党首より。
(了)
やはりかけがいのない親友である党員3人には私の現状説明が必要だろう。
ねんごろを続けていくためにも私のことをより正確に知ってほしい気持ちもある。
ゆえに術式の開示を行う。
①双極性障害ニ型
③薬物依存(処方薬が7種類くらいある)
これら三要素が原因である。
①双極についての説明
私はだいたい3ヶ月周期でゆるやかな躁鬱カーブを描く(躁シフト3ヶ月→鬱シフト3ヶ月→躁シフト……)。
※前回の4人登城カナディアン回では今思えば相当な鬱シフトだった。色々とすまん。この場で謝る。
3ヶ月周期説は必ずしもきっかりではないが、例年梅雨付近は(鬱シフトに)落ちる。ほぼほぼ例年。
※「鬱」というと仰々しいが、私は自己肯定感が強いので鬱々(希死念慮とかいわゆるうつ病のイメージ)はない。
主な症状は「バイタリティの低下、意欲気力低下」であり、激鬱だと「社会的断絶(音信普通=雲隠れ)」
といった感じである。今回は5年ぶりくらいの激鬱だった。
原因としては今回鬱転前の躁期が異例に高く・長かったため、揺り戻し反発・鬱の谷も深かったのがひとつ。
あとはまぁ周期、梅雨時期低迷のジンクス(統計的有意)のため落ちるべくして落ちた。
それと3年間の疲れ(後述)。
今回(の休職と雲隠れ)、直接的な原因となったのがコレである。
夜寝るには最強の睡眠薬(サイレース4mg)が必要だし、朝起きるのは最強の覚醒薬剤(コンサータ72mg)が必要である。
もともとそんなに体力はないのだ。コンサータで5日働いたら土日は48時間ダウンしてた日常を3年続けてきた。
今回は3年越しの疲れがでてダウンした感じだ。
症状としては体温異常(基礎体温37.5度)、熱感、聴覚過敏悪化+ひどい耳鳴り、疲労感、思考鈍化。
職場で首まわり(動脈)に氷嚢のようなものを巻いていたり、おでこに冷えピタしてたりしてフラフラしていたため、
見るに見かねてという感じで上級管理職(役員クラス)から一ヶ月程度休んではどうかと面談で言われた。
当時は自身の身体がヤバいという自覚がなく(いつもそうだ。自覚は難しい。後で気づく)、
ちょっと突っ張ったが、上司からの実質的な休職勧告だったため、突っ張りきれずという形で休職となった。
『さて休みはどんな1ヶ月にしようか!いろんなことができるぞ!有意義で生産的な1ヶ月にしよう!副業してもいいな!』
最初は本気でそう思ってた。本気と書いてマジ。
では実際はどんな一ヶ月だったか。
まず寝た。1週間くらい。そして1週間ぶりにシャワーを浴びた。
次に2週間部屋に引きこもった。食事も1階のダイニングで食卓を囲むことができず、
そして2週間シャワーすら浴びれなかった。服を脱いで浴室に行くというアクションすらできなかったのだ。
やべぇ。
4週間め。リハビリをしようと思ったが、まぁ、なぁなぁで家からは一歩も出れなかった。
リハビリ失敗。まぁなるべく長くコンサータ抜きたかったし、コンサータないとわたしは無能だし。
タイムリミットギリギリまで引きこもり延長。食事は多少とれるようになったが。
休み明け前日にようやく外出して、通院して出社して軽い事務手続きをした。
くっそ溜まったLINEとかを(頑張れば)少しは返せるようになった。メールは128通受信してた。
iPhoneSE3のスクリーンタイムレポートは平均0分だった。
PC室の窓は埋めてあるし(DIY)、寝室のカーテンは完璧な遮光カーテン、
26度のエアコンを24時間×30日間=720時間一切の休みなしで稼働させてた。寝室とPC室の2台とも。
ちなみにPC室にいる間はniconico動画(笑)を垂れ流してた。
ようつべすら見る気力はなかった。
なんだかんだつべは意識高いというか実用的だから(エンタメ系を再生しないせいかもしれんが)。
愚にもつかないなんも役に立たない無駄な動画がちょうどよかった。
本も読めなかったが4週間めにはずっと積んでた村上春樹の「街とその不確かな壁」を読んだ。
③薬物依存(処方薬)
これは数々の障害を抱えてる以上しかたないのだが、とにかく薬が多い。
つよつよの眠剤(サイレース&ピレチア&レスリン&メラトニン&デエビゴの5種カクテル)で無理やり寝て、
つよつよの劇薬(コンサータMAX量:72mg)で無理やり起きて働く。
※実際コンサータは耐性がついて90mg,99mg,108mg,126mgとか常習的に飲んでいたりしたが……(※OD)。
ちなみに新卒入社後の1年間は劇薬コンサータ90mg(※OD)を常用した結果、
瞳孔が開いてしまいドクターストップで退職しました。懐かしいなぁ。
どうやら頑張りすぎてしまう体質らしい。過激な努力を好んでいた。
で、今回の3年間は……
もちろん身体負荷的にも脳依存・脳ダメージ的にもかなりヤヴァいレベルであったらしい。
で、1ヶ月はほぼほぼ休薬してた。
というか休薬のための1ヶ月休職だった。
先週復帰したわけだけど、コンサータは今のところ27mgでセーブしてる。
耐性抜きしたしね。
27mgでずっとやっていければいいね……。
わりときちんと日々双極スコアのログをつけているので、そこそこ信頼できる見通しだと思う。
※双極14年選手だし……
◆医者コネで日本中の双極専門医にかかりまくったが、医師の総意は「マイナス1を目指せ!」らしい。(ふーん)
◆休職中は(双極)マイナス10オーバーくらいだったかも。5年ぶりの快挙(?)。
◆今はマイナス3程度。シーズナリティ的にゆるやかに上昇していくはず……
◆と思ったけど、案外リハビリ(社会復帰)を頑張ってるせいか、結構な角度で上昇してるみたい。自覚以上に。
◆てかもう今日時点でマイナス2~1くらいあるかも。あんまり急上昇しすぎるようなら薬調整してペース落とす処方にしないとなぁ。
◆で、予定だと、8月11日にプラマイゼロ到達、以降もゆるやかな(だといいなぁ)上昇を続け、
8月下旬~9月1日あたりには完全にプラス圏の躁期に入る、見立て。
◆ぶっちゃけ鬱期に行動(労働・雑事・手配)するのは辛いから「躁期までじっくり我慢の時だ」と今週はずっと言い聞かせてた。
◆ちなみに双極の一般論として「躁のほうが失うものが多いから危険」というのが医療サイドのセオリー。
◆まぁ患者サイドとしてはもちろん躁期のほうが心地よいのだけど。
◆実際わたしも過去にひどい散財やヤベぇスピード違反とか繰り返してた。事故ってないのが奇跡。
◆梅雨に落ちるジンクスと並んで、夏に高まるジンクスもある。唐突思いつきグアム単騎も夏だったし。
◆今は敏感というか振れ幅が大きいのかも。
3ヶ月周期説はベースオブベースのサイクルで、週単位、一日単位でも突発的な躁転、鬱転はもちろんあるよ。
大きな波(長期サイクル)と中くらいの波(中期サイクル)と小さい波(短期サイクル)があるのよ。
【結論】
★そんなわけで激鬱期にはご心配ご迷惑かけました、現在回復中・リハビリ中です。
★8/12にはプラマイゼロの見込みなので安心してくれ。それだけは伝えたかった。
★夏の陣(ある意味ラストトリップと言えよう)を楽しみに展望しつつ、やっていきましょう。
以上、よしなに。
2023/07/21(金)21:55、某党首より。
(了)
やはりかけがいのない親友である党員3人には私の現状説明が必要だろう。
ねんごろを続けていくためにも私のことをより正確に知ってほしい気持ちもある。
ゆえに術式の開示を行う。
①双極性障害ニ型
③薬物依存(処方薬が7種類くらいある)
これら三要素が原因である。
①双極についての説明
私はだいたい3ヶ月周期でゆるやかな躁鬱カーブを描く(躁シフト3ヶ月→鬱シフト3ヶ月→躁シフト……)。
※前回の4人登城カナディアン回では今思えば相当な鬱シフトだった。色々とすまん。この場で謝る。
3ヶ月周期説は必ずしもきっかりではないが、例年梅雨付近は(鬱シフトに)落ちる。ほぼほぼ例年。
※「鬱」というと仰々しいが、私は自己肯定感が強いので鬱々(希死念慮とかいわゆるうつ病のイメージ)はない。
主な症状は「バイタリティの低下、意欲気力低下」であり、激鬱だと「社会的断絶(音信普通=雲隠れ)」
といった感じである。今回は5年ぶりくらいの激鬱だった。
原因としては今回鬱転前の躁期が異例に高く・長かったため、揺り戻し反発・鬱の谷も深かったのがひとつ。
あとはまぁ周期、梅雨時期低迷のジンクス(統計的有意)のため落ちるべくして落ちた。
それと3年間の疲れ(後述)。
今回(の休職と雲隠れ)、直接的な原因となったのがコレである。
夜寝るには最強の睡眠薬(サイレース4mg)が必要だし、朝起きるのは最強の覚醒薬剤(コンサータ72mg)が必要である。
もともとそんなに体力はないのだ。コンサータで5日働いたら土日は48時間ダウンしてた日常を3年続けてきた。
今回は3年越しの疲れがでてダウンした感じだ。
症状としては体温異常(基礎体温37.5度)、熱感、聴覚過敏悪化+ひどい耳鳴り、疲労感、思考鈍化。
職場で首まわり(動脈)に氷嚢のようなものを巻いていたり、おでこに冷えピタしてたりしてフラフラしていたため、
見るに見かねてという感じで上級管理職(役員クラス)から一ヶ月程度休んではどうかと面談で言われた。
当時は自身の身体がヤバいという自覚がなく(いつもそうだ。自覚は難しい。後で気づく)、
ちょっと突っ張ったが、上司からの実質的な休職勧告だったため、突っ張りきれずという形で休職となった。
『さて休みはどんな1ヶ月にしようか!いろんなことができるぞ!有意義で生産的な1ヶ月にしよう!副業してもいいな!』
最初は本気でそう思ってた。本気と書いてマジ。
では実際はどんな一ヶ月だったか。
まず寝た。1週間くらい。そして1週間ぶりにシャワーを浴びた。
次に2週間部屋に引きこもった。食事も1階のダイニングで食卓を囲むことができず、
そして2週間シャワーすら浴びれなかった。服を脱いで浴室に行くというアクションすらできなかったのだ。
やべぇ。
4週間め。リハビリをしようと思ったが、まぁ、なぁなぁで家からは一歩も出れなかった。
リハビリ失敗。まぁなるべく長くコンサータ抜きたかったし、コンサータないとわたしは無能だし。
タイムリミットギリギリまで引きこもり延長。食事は多少とれるようになったが。
休み明け前日にようやく外出して、通院して出社して軽い事務手続きをした。
くっそ溜まったLINEとかを(頑張れば)少しは返せるようになった。メールは128通受信してた。
iPhoneSE3のスクリーンタイムレポートは平均0分だった。
PC室の窓は埋めてあるし(DIY)、寝室のカーテンは完璧な遮光カーテン、
26度のエアコンを24時間×30日間=720時間一切の休みなしで稼働させてた。寝室とPC室の2台とも。
ちなみにPC室にいる間はniconico動画(笑)を垂れ流してた。
ようつべすら見る気力はなかった。
なんだかんだつべは意識高いというか実用的だから(エンタメ系を再生しないせいかもしれんが)。
愚にもつかないなんも役に立たない無駄な動画がちょうどよかった。
本も読めなかったが4週間めにはずっと積んでた村上春樹の「街とその不確かな壁」を読んだ。
③薬物依存(処方薬)
これは数々の障害を抱えてる以上しかたないのだが、とにかく薬が多い。
つよつよの眠剤(サイレース&ピレチア&レスリン&メラトニン&デエビゴの5種カクテル)で無理やり寝て、
つよつよの劇薬(コンサータMAX量:72mg)で無理やり起きて働く。
※実際コンサータは耐性がついて90mg,99mg,108mg,126mgとか常習的に飲んでいたりしたが……(※OD)。
ちなみに新卒入社後の1年間は劇薬コンサータ90mg(※OD)を常用した結果、
瞳孔が開いてしまいドクターストップで退職しました。懐かしいなぁ。
どうやら頑張りすぎてしまう体質らしい。過激な努力を好んでいた。
で、今回の3年間は……
もちろん身体負荷的にも脳依存・脳ダメージ的にもかなりヤヴァいレベルであったらしい。
で、1ヶ月はほぼほぼ休薬してた。
というか休薬のための1ヶ月休職だった。
先週復帰したわけだけど、コンサータは今のところ27mgでセーブしてる。
耐性抜きしたしね。
27mgでずっとやっていければいいね……。
わりときちんと日々双極スコアのログをつけているので、そこそこ信頼できる見通しだと思う。
※双極14年選手だし……
◆医者コネで日本中の双極専門医にかかりまくったが、医師の総意は「マイナス1を目指せ!」らしい。(ふーん)
◆休職中は(双極)マイナス10オーバーくらいだったかも。5年ぶりの快挙(?)。
◆今はマイナス3程度。シーズナリティ的にゆるやかに上昇していくはず……
◆と思ったけど、案外リハビリ(社会復帰)を頑張ってるせいか、結構な角度で上昇してるみたい。自覚以上に。
◆てかもう今日時点でマイナス2~1くらいあるかも。あんまり急上昇しすぎるようなら薬調整してペース落とす処方にしないとなぁ。
◆で、予定だと、8月11日にプラマイゼロ到達、以降もゆるやかな(だといいなぁ)上昇を続け、
8月下旬~9月1日あたりには完全にプラス圏の躁期に入る、見立て。
◆ぶっちゃけ鬱期に行動(労働・雑事・手配)するのは辛いから「躁期までじっくり我慢の時だ」と今週はずっと言い聞かせてた。
◆ちなみに双極の一般論として「躁のほうが失うものが多いから危険」というのが医療サイドのセオリー。
◆まぁ患者サイドとしてはもちろん躁期のほうが心地よいのだけど。
◆実際わたしも過去にひどい散財やヤベぇスピード違反とか繰り返してた。事故ってないのが奇跡。
◆梅雨に落ちるジンクスと並んで、夏に高まるジンクスもある。唐突思いつきグアム単騎も夏だったし。
◆今は敏感というか振れ幅が大きいのかも。
3ヶ月周期説はベースオブベースのサイクルで、週単位、一日単位でも突発的な躁転、鬱転はもちろんあるよ。
大きな波(長期サイクル)と中くらいの波(中期サイクル)と小さい波(短期サイクル)があるのよ。
【結論】
★そんなわけで激鬱期にはご心配ご迷惑かけました、現在回復中・リハビリ中です。
★8/12にはプラマイゼロの見込みなので安心してくれ。それだけは伝えたかった。
★夏の陣(ある意味ラストトリップと言えよう)を楽しみに展望しつつ、やっていきましょう。
以上、よしなに。
2023/07/21(金)21:55、某党首より。
(了)
やはりかけがいのない親友である党員3人には私の現状説明が必要だろう。
ねんごろを続けていくためにも私のことをより正確に知ってほしい気持ちもある。
ゆえに術式の開示を行う。
①双極性障害ニ型
③薬物依存(処方薬が7種類くらいある)
これら三要素が原因である。
①双極についての説明
私はだいたい3ヶ月周期でゆるやかな躁鬱カーブを描く(躁シフト3ヶ月→鬱シフト3ヶ月→躁シフト……)。
※前回の4人登城カナディアン回では今思えば相当な鬱シフトだった。色々とすまん。この場で謝る。
3ヶ月周期説は必ずしもきっかりではないが、例年梅雨付近は(鬱シフトに)落ちる。ほぼほぼ例年。
※「鬱」というと仰々しいが、私は自己肯定感が強いので鬱々(希死念慮とかいわゆるうつ病のイメージ)はない。
主な症状は「バイタリティの低下、意欲気力低下」であり、激鬱だと「社会的断絶(音信普通=雲隠れ)」
といった感じである。今回は5年ぶりくらいの激鬱だった。
原因としては今回鬱転前の躁期が異例に高く・長かったため、揺り戻し反発・鬱の谷も深かったのがひとつ。
あとはまぁ周期、梅雨時期低迷のジンクス(統計的有意)のため落ちるべくして落ちた。
それと3年間の疲れ(後述)。
今回(の休職と雲隠れ)、直接的な原因となったのがコレである。
夜寝るには最強の睡眠薬(サイレース4mg)が必要だし、朝起きるのは最強の覚醒薬剤(コンサータ72mg)が必要である。
もともとそんなに体力はないのだ。コンサータで5日働いたら土日は48時間ダウンしてた日常を3年続けてきた。
今回は3年越しの疲れがでてダウンした感じだ。
症状としては体温異常(基礎体温37.5度)、熱感、聴覚過敏悪化+ひどい耳鳴り、疲労感、思考鈍化。
職場で首まわり(動脈)に氷嚢のようなものを巻いていたり、おでこに冷えピタしてたりしてフラフラしていたため、
見るに見かねてという感じで上級管理職(役員クラス)から一ヶ月程度休んではどうかと面談で言われた。
当時は自身の身体がヤバいという自覚がなく(いつもそうだ。自覚は難しい。後で気づく)、
ちょっと突っ張ったが、上司からの実質的な休職勧告だったため、突っ張りきれずという形で休職となった。
『さて休みはどんな1ヶ月にしようか!いろんなことができるぞ!有意義で生産的な1ヶ月にしよう!副業してもいいな!』
最初は本気でそう思ってた。本気と書いてマジ。
では実際はどんな一ヶ月だったか。
まず寝た。1週間くらい。そして1週間ぶりにシャワーを浴びた。
次に2週間部屋に引きこもった。食事も1階のダイニングで食卓を囲むことができず、
そして2週間シャワーすら浴びれなかった。服を脱いで浴室に行くというアクションすらできなかったのだ。
やべぇ。
4週間め。リハビリをしようと思ったが、まぁ、なぁなぁで家からは一歩も出れなかった。
リハビリ失敗。まぁなるべく長くコンサータ抜きたかったし、コンサータないとわたしは無能だし。
タイムリミットギリギリまで引きこもり延長。食事は多少とれるようになったが。
休み明け前日にようやく外出して、通院して出社して軽い事務手続きをした。
くっそ溜まったLINEとかを(頑張れば)少しは返せるようになった。メールは128通受信してた。
iPhoneSE3のスクリーンタイムレポートは平均0分だった。
PC室の窓は埋めてあるし(DIY)、寝室のカーテンは完璧な遮光カーテン、
26度のエアコンを24時間×30日間=720時間一切の休みなしで稼働させてた。寝室とPC室の2台とも。
ちなみにPC室にいる間はniconico動画(笑)を垂れ流してた。
ようつべすら見る気力はなかった。
なんだかんだつべは意識高いというか実用的だから(エンタメ系を再生しないせいかもしれんが)。
愚にもつかないなんも役に立たない無駄な動画がちょうどよかった。
本も読めなかったが4週間めにはずっと積んでた村上春樹の「街とその不確かな壁」を読んだ。
③薬物依存(処方薬)
これは数々の障害を抱えてる以上しかたないのだが、とにかく薬が多い。
つよつよの眠剤(サイレース&ピレチア&レスリン&メラトニン&デエビゴの5種カクテル)で無理やり寝て、
つよつよの劇薬(コンサータMAX量:72mg)で無理やり起きて働く。
※実際コンサータは耐性がついて90mg,99mg,108mg,126mgとか常習的に飲んでいたりしたが……(※OD)。
ちなみに新卒入社後の1年間は劇薬コンサータ90mg(※OD)を常用した結果、
瞳孔が開いてしまいドクターストップで退職しました。懐かしいなぁ。
どうやら頑張りすぎてしまう体質らしい。過激な努力を好んでいた。
で、今回の3年間は……
もちろん身体負荷的にも脳依存・脳ダメージ的にもかなりヤヴァいレベルであったらしい。
で、1ヶ月はほぼほぼ休薬してた。
というか休薬のための1ヶ月休職だった。
先週復帰したわけだけど、コンサータは今のところ27mgでセーブしてる。
耐性抜きしたしね。
27mgでずっとやっていければいいね……。
わりときちんと日々双極スコアのログをつけているので、そこそこ信頼できる見通しだと思う。
※双極14年選手だし……
◆医者コネで日本中の双極専門医にかかりまくったが、医師の総意は「マイナス1を目指せ!」らしい。(ふーん)
◆休職中は(双極)マイナス10オーバーくらいだったかも。5年ぶりの快挙(?)。
◆今はマイナス3程度。シーズナリティ的にゆるやかに上昇していくはず……
◆と思ったけど、案外リハビリ(社会復帰)を頑張ってるせいか、結構な角度で上昇してるみたい。自覚以上に。
◆てかもう今日時点でマイナス2~1くらいあるかも。あんまり急上昇しすぎるようなら薬調整してペース落とす処方にしないとなぁ。
◆で、予定だと、8月11日にプラマイゼロ到達、以降もゆるやかな(だといいなぁ)上昇を続け、
8月下旬~9月1日あたりには完全にプラス圏の躁期に入る、見立て。
◆ぶっちゃけ鬱期に行動(労働・雑事・手配)するのは辛いから「躁期までじっくり我慢の時だ」と今週はずっと言い聞かせてた。
◆ちなみに双極の一般論として「躁のほうが失うものが多いから危険」というのが医療サイドのセオリー。
◆まぁ患者サイドとしてはもちろん躁期のほうが心地よいのだけど。
◆実際わたしも過去にひどい散財やヤベぇスピード違反とか繰り返してた。事故ってないのが奇跡。
◆梅雨に落ちるジンクスと並んで、夏に高まるジンクスもある。唐突思いつきグアム単騎も夏だったし。
◆今は敏感というか振れ幅が大きいのかも。
3ヶ月周期説はベースオブベースのサイクルで、週単位、一日単位でも突発的な躁転、鬱転はもちろんあるよ。
大きな波(長期サイクル)と中くらいの波(中期サイクル)と小さい波(短期サイクル)があるのよ。
【結論】
★そんなわけで激鬱期にはご心配ご迷惑かけました、現在回復中・リハビリ中です。
★8/12にはプラマイゼロの見込みなので安心してくれ。それだけは伝えたかった。
★夏の陣(ある意味ラストトリップと言えよう)を楽しみに展望しつつ、やっていきましょう。
以上、よしなに。
2023/07/21(金)21:55、某党首より。
(了)
やはりかけがいのない親友である党員3人には私の現状説明が必要だろう。
ねんごろを続けていくためにも私のことをより正確に知ってほしい気持ちもある。
ゆえに術式の開示を行う。
①双極性障害ニ型
③薬物依存(処方薬が7種類くらいある)
これら三要素が原因である。
①双極についての説明
私はだいたい3ヶ月周期でゆるやかな躁鬱カーブを描く(躁シフト3ヶ月→鬱シフト3ヶ月→躁シフト……)。
※前回の4人登城カナディアン回では今思えば相当な鬱シフトだった。色々とすまん。この場で謝る。
3ヶ月周期説は必ずしもきっかりではないが、例年梅雨付近は(鬱シフトに)落ちる。ほぼほぼ例年。
※「鬱」というと仰々しいが、私は自己肯定感が強いので鬱々(希死念慮とかいわゆるうつ病のイメージ)はない。
主な症状は「バイタリティの低下、意欲気力低下」であり、激鬱だと「社会的断絶(音信普通=雲隠れ)」
といった感じである。今回は5年ぶりくらいの激鬱だった。
原因としては今回鬱転前の躁期が異例に高く・長かったため、揺り戻し反発・鬱の谷も深かったのがひとつ。
あとはまぁ周期、梅雨時期低迷のジンクス(統計的有意)のため落ちるべくして落ちた。
それと3年間の疲れ(後述)。
今回(の休職と雲隠れ)、直接的な原因となったのがコレである。
夜寝るには最強の睡眠薬(サイレース4mg)が必要だし、朝起きるのは最強の覚醒薬剤(コンサータ72mg)が必要である。
もともとそんなに体力はないのだ。コンサータで5日働いたら土日は48時間ダウンしてた日常を3年続けてきた。
今回は3年越しの疲れがでてダウンした感じだ。
症状としては体温異常(基礎体温37.5度)、熱感、聴覚過敏悪化+ひどい耳鳴り、疲労感、思考鈍化。
職場で首まわり(動脈)に氷嚢のようなものを巻いていたり、おでこに冷えピタしてたりしてフラフラしていたため、
見るに見かねてという感じで上級管理職(役員クラス)から一ヶ月程度休んではどうかと面談で言われた。
当時は自身の身体がヤバいという自覚がなく(いつもそうだ。自覚は難しい。後で気づく)、
ちょっと突っ張ったが、上司からの実質的な休職勧告だったため、突っ張りきれずという形で休職となった。
『さて休みはどんな1ヶ月にしようか!いろんなことができるぞ!有意義で生産的な1ヶ月にしよう!副業してもいいな!』
最初は本気でそう思ってた。本気と書いてマジ。
では実際はどんな一ヶ月だったか。
まず寝た。1週間くらい。そして1週間ぶりにシャワーを浴びた。
次に2週間部屋に引きこもった。食事も1階のダイニングで食卓を囲むことができず、
そして2週間シャワーすら浴びれなかった。服を脱いで浴室に行くというアクションすらできなかったのだ。
やべぇ。
4週間め。リハビリをしようと思ったが、まぁ、なぁなぁで家からは一歩も出れなかった。
リハビリ失敗。まぁなるべく長くコンサータ抜きたかったし、コンサータないとわたしは無能だし。
タイムリミットギリギリまで引きこもり延長。食事は多少とれるようになったが。
休み明け前日にようやく外出して、通院して出社して軽い事務手続きをした。
くっそ溜まったLINEとかを(頑張れば)少しは返せるようになった。メールは128通受信してた。
iPhoneSE3のスクリーンタイムレポートは平均0分だった。
PC室の窓は埋めてあるし(DIY)、寝室のカーテンは完璧な遮光カーテン、
26度のエアコンを24時間×30日間=720時間一切の休みなしで稼働させてた。寝室とPC室の2台とも。
ちなみにPC室にいる間はniconico動画(笑)を垂れ流してた。
ようつべすら見る気力はなかった。
なんだかんだつべは意識高いというか実用的だから(エンタメ系を再生しないせいかもしれんが)。
愚にもつかないなんも役に立たない無駄な動画がちょうどよかった。
本も読めなかったが4週間めにはずっと積んでた村上春樹の「街とその不確かな壁」を読んだ。
③薬物依存(処方薬)
これは数々の障害を抱えてる以上しかたないのだが、とにかく薬が多い。
つよつよの眠剤(サイレース&ピレチア&レスリン&メラトニン&デエビゴの5種カクテル)で無理やり寝て、
つよつよの劇薬(コンサータMAX量:72mg)で無理やり起きて働く。
※実際コンサータは耐性がついて90mg,99mg,108mg,126mgとか常習的に飲んでいたりしたが……(※OD)。
ちなみに新卒入社後の1年間は劇薬コンサータ90mg(※OD)を常用した結果、
瞳孔が開いてしまいドクターストップで退職しました。懐かしいなぁ。
どうやら頑張りすぎてしまう体質らしい。過激な努力を好んでいた。
で、今回の3年間は……
もちろん身体負荷的にも脳依存・脳ダメージ的にもかなりヤヴァいレベルであったらしい。
で、1ヶ月はほぼほぼ休薬してた。
というか休薬のための1ヶ月休職だった。
先週復帰したわけだけど、コンサータは今のところ27mgでセーブしてる。
耐性抜きしたしね。
27mgでずっとやっていければいいね……。
わりときちんと日々双極スコアのログをつけているので、そこそこ信頼できる見通しだと思う。
※双極14年選手だし……
◆医者コネで日本中の双極専門医にかかりまくったが、医師の総意は「マイナス1を目指せ!」らしい。(ふーん)
◆休職中は(双極)マイナス10オーバーくらいだったかも。5年ぶりの快挙(?)。
◆今はマイナス3程度。シーズナリティ的にゆるやかに上昇していくはず……
◆と思ったけど、案外リハビリ(社会復帰)を頑張ってるせいか、結構な角度で上昇してるみたい。自覚以上に。
◆てかもう今日時点でマイナス2~1くらいあるかも。あんまり急上昇しすぎるようなら薬調整してペース落とす処方にしないとなぁ。
◆で、予定だと、8月11日にプラマイゼロ到達、以降もゆるやかな(だといいなぁ)上昇を続け、
8月下旬~9月1日あたりには完全にプラス圏の躁期に入る、見立て。
◆ぶっちゃけ鬱期に行動(労働・雑事・手配)するのは辛いから「躁期までじっくり我慢の時だ」と今週はずっと言い聞かせてた。
◆ちなみに双極の一般論として「躁のほうが失うものが多いから危険」というのが医療サイドのセオリー。
◆まぁ患者サイドとしてはもちろん躁期のほうが心地よいのだけど。
◆実際わたしも過去にひどい散財やヤベぇスピード違反とか繰り返してた。事故ってないのが奇跡。
◆梅雨に落ちるジンクスと並んで、夏に高まるジンクスもある。唐突思いつきグアム単騎も夏だったし。
◆今は敏感というか振れ幅が大きいのかも。
3ヶ月周期説はベースオブベースのサイクルで、週単位、一日単位でも突発的な躁転、鬱転はもちろんあるよ。
大きな波(長期サイクル)と中くらいの波(中期サイクル)と小さい波(短期サイクル)があるのよ。
【結論】
★そんなわけで激鬱期にはご心配ご迷惑かけました、現在回復中・リハビリ中です。
★8/12にはプラマイゼロの見込みなので安心してくれ。それだけは伝えたかった。
★夏の陣(ある意味ラストトリップと言えよう)を楽しみに展望しつつ、やっていきましょう。
以上、よしなに。
2023/07/21(金)21:55、某党首より。
(了)
やはりかけがいのない親友である党員3人には私の現状説明が必要だろう。
ねんごろを続けていくためにも私のことをより正確に知ってほしい気持ちもある。
ゆえに術式の開示を行う。
①双極性障害ニ型
③薬物依存(処方薬が7種類くらいある)
これら三要素が原因である。
①双極についての説明
私はだいたい3ヶ月周期でゆるやかな躁鬱カーブを描く(躁シフト3ヶ月→鬱シフト3ヶ月→躁シフト……)。
※前回の4人登城カナディアン回では今思えば相当な鬱シフトだった。色々とすまん。この場で謝る。
3ヶ月周期説は必ずしもきっかりではないが、例年梅雨付近は(鬱シフトに)落ちる。ほぼほぼ例年。
※「鬱」というと仰々しいが、私は自己肯定感が強いので鬱々(希死念慮とかいわゆるうつ病のイメージ)はない。
主な症状は「バイタリティの低下、意欲気力低下」であり、激鬱だと「社会的断絶(音信普通=雲隠れ)」
といった感じである。今回は5年ぶりくらいの激鬱だった。
原因としては今回鬱転前の躁期が異例に高く・長かったため、揺り戻し反発・鬱の谷も深かったのがひとつ。
あとはまぁ周期、梅雨時期低迷のジンクス(統計的有意)のため落ちるべくして落ちた。
それと3年間の疲れ(後述)。
今回(の休職と雲隠れ)、直接的な原因となったのがコレである。
夜寝るには最強の睡眠薬(サイレース4mg)が必要だし、朝起きるのは最強の覚醒薬剤(コンサータ72mg)が必要である。
もともとそんなに体力はないのだ。コンサータで5日働いたら土日は48時間ダウンしてた日常を3年続けてきた。
今回は3年越しの疲れがでてダウンした感じだ。
症状としては体温異常(基礎体温37.5度)、熱感、聴覚過敏悪化+ひどい耳鳴り、疲労感、思考鈍化。
職場で首まわり(動脈)に氷嚢のようなものを巻いていたり、おでこに冷えピタしてたりしてフラフラしていたため、
見るに見かねてという感じで上級管理職(役員クラス)から一ヶ月程度休んではどうかと面談で言われた。
当時は自身の身体がヤバいという自覚がなく(いつもそうだ。自覚は難しい。後で気づく)、
ちょっと突っ張ったが、上司からの実質的な休職勧告だったため、突っ張りきれずという形で休職となった。
『さて休みはどんな1ヶ月にしようか!いろんなことができるぞ!有意義で生産的な1ヶ月にしよう!副業してもいいな!』
最初は本気でそう思ってた。本気と書いてマジ。
では実際はどんな一ヶ月だったか。
まず寝た。1週間くらい。そして1週間ぶりにシャワーを浴びた。
次に2週間部屋に引きこもった。食事も1階のダイニングで食卓を囲むことができず、
そして2週間シャワーすら浴びれなかった。服を脱いで浴室に行くというアクションすらできなかったのだ。
やべぇ。
4週間め。リハビリをしようと思ったが、まぁ、なぁなぁで家からは一歩も出れなかった。
リハビリ失敗。まぁなるべく長くコンサータ抜きたかったし、コンサータないとわたしは無能だし。
タイムリミットギリギリまで引きこもり延長。食事は多少とれるようになったが。
休み明け前日にようやく外出して、通院して出社して軽い事務手続きをした。
くっそ溜まったLINEとかを(頑張れば)少しは返せるようになった。メールは128通受信してた。
iPhoneSE3のスクリーンタイムレポートは平均0分だった。
PC室の窓は埋めてあるし(DIY)、寝室のカーテンは完璧な遮光カーテン、
26度のエアコンを24時間×30日間=720時間一切の休みなしで稼働させてた。寝室とPC室の2台とも。
ちなみにPC室にいる間はniconico動画(笑)を垂れ流してた。
ようつべすら見る気力はなかった。
なんだかんだつべは意識高いというか実用的だから(エンタメ系を再生しないせいかもしれんが)。
愚にもつかないなんも役に立たない無駄な動画がちょうどよかった。
本も読めなかったが4週間めにはずっと積んでた村上春樹の「街とその不確かな壁」を読んだ。
③薬物依存(処方薬)
これは数々の障害を抱えてる以上しかたないのだが、とにかく薬が多い。
つよつよの眠剤(サイレース&ピレチア&レスリン&メラトニン&デエビゴの5種カクテル)で無理やり寝て、
つよつよの劇薬(コンサータMAX量:72mg)で無理やり起きて働く。
※実際コンサータは耐性がついて90mg,99mg,108mg,126mgとか常習的に飲んでいたりしたが……(※OD)。
ちなみに新卒入社後の1年間は劇薬コンサータ90mg(※OD)を常用した結果、
瞳孔が開いてしまいドクターストップで退職しました。懐かしいなぁ。
どうやら頑張りすぎてしまう体質らしい。過激な努力を好んでいた。
で、今回の3年間は……
もちろん身体負荷的にも脳依存・脳ダメージ的にもかなりヤヴァいレベルであったらしい。
で、1ヶ月はほぼほぼ休薬してた。
というか休薬のための1ヶ月休職だった。
先週復帰したわけだけど、コンサータは今のところ27mgでセーブしてる。
耐性抜きしたしね。
27mgでずっとやっていければいいね……。
わりときちんと日々双極スコアのログをつけているので、そこそこ信頼できる見通しだと思う。
※双極14年選手だし……
◆医者コネで日本中の双極専門医にかかりまくったが、医師の総意は「マイナス1を目指せ!」らしい。(ふーん)
◆休職中は(双極)マイナス10オーバーくらいだったかも。5年ぶりの快挙(?)。
◆今はマイナス3程度。シーズナリティ的にゆるやかに上昇していくはず……
◆と思ったけど、案外リハビリ(社会復帰)を頑張ってるせいか、結構な角度で上昇してるみたい。自覚以上に。
◆てかもう今日時点でマイナス2~1くらいあるかも。あんまり急上昇しすぎるようなら薬調整してペース落とす処方にしないとなぁ。
◆で、予定だと、8月11日にプラマイゼロ到達、以降もゆるやかな(だといいなぁ)上昇を続け、
8月下旬~9月1日あたりには完全にプラス圏の躁期に入る、見立て。
◆ぶっちゃけ鬱期に行動(労働・雑事・手配)するのは辛いから「躁期までじっくり我慢の時だ」と今週はずっと言い聞かせてた。
◆ちなみに双極の一般論として「躁のほうが失うものが多いから危険」というのが医療サイドのセオリー。
◆まぁ患者サイドとしてはもちろん躁期のほうが心地よいのだけど。
◆実際わたしも過去にひどい散財やヤベぇスピード違反とか繰り返してた。事故ってないのが奇跡。
◆梅雨に落ちるジンクスと並んで、夏に高まるジンクスもある。唐突思いつきグアム単騎も夏だったし。
◆今は敏感というか振れ幅が大きいのかも。
3ヶ月周期説はベースオブベースのサイクルで、週単位、一日単位でも突発的な躁転、鬱転はもちろんあるよ。
大きな波(長期サイクル)と中くらいの波(中期サイクル)と小さい波(短期サイクル)があるのよ。
【結論】
★そんなわけで激鬱期にはご心配ご迷惑かけました、現在回復中・リハビリ中です。
★8/12にはプラマイゼロの見込みなので安心してくれ。それだけは伝えたかった。
★夏の陣(ある意味ラストトリップと言えよう)を楽しみに展望しつつ、やっていきましょう。
以上、よしなに。
2023/07/21(金)21:55、某党首より。
(了)
当方、夜の店大好きおじさんだ
いろんな疾病を抱えてる夜の子達に接してきた
遊ぶのもそっちのけでいろいろ聞いたのだが、社会身分不安定で将来も見えず、障害を受け入れられず、デリで本強に耐えるという身の上話であった
上に書いた友人も双極性2型だ
彼は発症から15年でようやく受け入れて、就労見直しと人生立て直しをしている
話を聞いていてこちらも胸にくる状況であった
2年以内には無職になるか社会制度の隙間に潜り込むかぐらいしか昼職ルートは難しい
そして、夜の仕事とはしばらく縁を切れないだろう
本強を受け入れているのでいろんなリスクもある
そして、脳機能の低下による判断の低下もあり、別の問題も起きそうだ
こんな状況でも、友人との縁を維持して、家族にもうわべは取り繕いつつ、本人が望む社会生活が成り立つのは夜の仕事を体調に合わせて行えるからだ
反対はしない
だが、モヤモヤする
何故、女性だけなのか?家族からも疎まれ友人とも関われず社会から孤立した男性は支援しなくていいのか?
本人が疾病と向き合える状況になく社会福祉への道が遠く、まともな就労も出来ない男性の生活はアレで良いのか?
決して陽を当てろという話ではない
AVを含めて社会的には当座を凌ぐ機能の側面があるのにそこまで否定する事なのか?
夜産業の従事者全般の行き場の無さや生活の酷さも含めて女性支援だけをするのか?
目の前の苦難に満ちた女性を前に愚息も動かず、ニコニコと話を聞きつつ、この子にとっての良い道は誰にもわからんなと思った
そこまで思った所で愚息は復活をし、気を許した目の前の人にそっと挿入し、やっぱり生だよなって思った
間違い電話の折り返しで母と話したとき,祖母が数か月前に亡くなっていたと教えられた.
祖父はかなり前に他界している.祖母は一人暮らしで痴呆症も進行し,介護施設に預けてから大分経っていた.
最期は呼吸が困難になり苦痛でのたうち回った.母は何度も病院に呼び出され最終的に看取りはしたが,火葬などの手続きは叔母に任せたそうだ.
年齢的には大往生と言ってよいのだろう.祖母には末っ子の一人っ子として幼少の頃は大分可愛がられた.
母から伝え聞いた話によると医者を志していた才女だったようだが,時代や親族がそれを許さなかったそうだ.
おぼろげながら思い出せる会話からも教養の片鱗は覗かせていた.
2DKの狭い実家にほぼ毎年帰省してはいたが,親子間の関係はかなり冷え切っていたように思える.
理由ははっきりしていて,母は幼いころ大叔父にレイプされたそうだ.
母は我慢強い性質ではあるものの,全てを隠しとおせるほど強靭ではない.
当時も周囲に告発したものの,祖母,つまり実の母には「お前が股を開いたんだろ」と言い捨てられたらしい.
そのときの母の絶望は想像に難くないが,当然ながらそのやり取りは姉弟にも知られ,親子関係は破滅した.
私はその経緯を学生の頃,母から涙ながらに電話で教わる.まさに青天の霹靂だった.
因果関係は不明だが,母は障碍者手帳を持つ程度には重度の双極性障害で,私は虐待を受けていた.
短気で仕事に没頭しがちだった父と母は相性が悪く,離婚していないことが不思議なくらい夫婦仲はよろしくない.
小学生の頃,母に連れられ不倫相手の家に泊まったこともある.当時はポケモンカードを買ってもらい口封じされる程度には単純だった.
いつしかその行為も終わったが当時専業主婦だった母は精神を病み,私を風呂場に閉じ込め,叩き,包丁でお気に入りの自転車のサドルをめった刺しにした.
私は逃げるように県外に進学した.小中高大院と全て国公立だったが塾に行かせ,学費も負担してくれる程度には父は稼いでいた.
勉強や研究は楽しかった.指導教員にも恵まれ,JASSOの奨学金も返済免除となる程度には業績も評価された.そこに件の電話が来た.
私は病んだ.祖母を憎悪し,母を憎み,父を恨んだ.祖母に無邪気に懐いていた自身も悍ましく思った.
ほどなくして不登校となり,カフェインのLD50を調べエスタロンモカをがぶ飲みした.ブルーシートを敷きドアノブを使って首を括ったが死ねなかった.
既に病院には通っていて、睡眠導入剤と、なぜか双極性障害の薬を処方されて早何年かたつ。
(あるときスイッチが入ると一人一気に突っ走ることがある、それを後悔するかのようにしばらく落ち込むことがある、それを繰り返す…なんていう話をしたからだろうか)
躁鬱というほどおかしなテンションの自覚はないのだが…人間誰しも浮き沈みってあるんじゃないのか、私の場合は服薬が必要なほど異常なのだろうか。
いずれにしても睡眠には難があり、数年前の当時は「昼間やたらと寝すぎる」という症状もあったが、最近はもっぱら「夜眠れない」ことに悩まされている。
「環境を変える」…確かにそうしたいところで、異動希望は出しているが、そうそう簡単に決まるものではない。
ストレスの主な原因はよくある人間関係(嫌いなタイプが上席者や重要なポジションに据えられている)であり、それは異動や転職できたとしてもいつでも起こり得るしなあ。
かつて献血に行っていた時期があった。
ふとそんな文章を書いたなと思って調べると、当時のものがそのまま出てきた。
https://anond.hatelabo.jp/20180115145722
正確に言えば、献血や、献血ルームで食べるアイスの味やらで、なんとか騙し騙し健常者だと思い込めていただけで、実はずっと前から病んでいたらしい。
だから、寂しくなると献血に行くという僕の発想は、穏便な自傷行為のようなもので、褒められたものではなかったかもしれない。実際にそういう指摘コメントもあった。
だが、動機に関係無く、当時の僕の寂しい血液は誰かの役に立っている。それだけは揺るがぬ事実だ。
精神科医に、「初めて死にたいと思ったのはいつですか?」と尋ねられて、ちょっと考えると、すぐ思い出せた。「6歳の時です」と答えた。
色んな検査をして、双極性障害という病名が告げられた。障害者手帳が交付された。「辛かったですね」と色んな人に言われたりして、その安易な言葉に泣きそうになる自分が滑稽に見えた。
薬を飲み続けることでようやく障害者雇用で働くことができている。でも半年も続かないことばかりだ。薬を飲んでも、ままならない寂しさが付き纏う。献血に行きたい。それでかつて書いた記事を思い出した。5年経っていた。5年の間に、僕の血液は医薬品に浸り、誰かのヒーローになることは叶わなくなっていた。
あの時、まだ自分が、「なんとなく寂しい」だけで済んでいた時に、血液の塊になってしまえていたらよかったかもしれない。
いや、もはや、初めて死にたいと思った6歳の時、あの時に本懐を遂げていたらよかったのかも。
でも、そうすると、僕の寂しい血液で生き延びた人の命がパラドックスに巻き込まれて消えてしまう。それはいけない。
なので、僕は僕の寂しい血液のおかげで、今日も生きていることとなる。寂しくても誰かの役に立ちたいと、そう思ってしまうせいで、今日も生きているせいで、献血には行けない。
私は帰れるうちに独り暮らし先に帰った。
研修期間に1週間以上の欠勤確定。
親が私にひたすら謝罪している。
というのも、私は実は20代後半。
技術適正が高そうだから採用されただけの年増新卒が、身体を壊し、自慢だった頭にもやがかかった感覚に陥り、マナー違反を繰り返す。
どうしたらよかったんだろう。
母親はくも膜下出血の後遺症で言葉をうまく使えないから、体調不良を伝えられなかったのは正直「だろうな」って感じだし……
私は発達障害(診断済)とか双極性障害(診断なし)とかの感じちゃうだからコロナの症状がきちんと重い。高齢の親より重い。
空気読めなくてもIQ高いことだけ取り柄だったのに。頭のもやもやと倦怠感早くどこかいってほしい。
【海外発!Breaking News】「私は刑務所で生まれた」18歳女性、今秋から全額支給奨学金で名門ハーバード大学へ(米)
オーロラ・スカイ・カストナーさん(Aurora Sky Castner)は18年前、米テキサス州ガルベストン郡の刑務所に収監されていた母親から誕生し、生まれてすぐに父親に引き取られた。
双極性障害を抱えていた父親に育てられたオーロラさんは、シングルファーザー家庭で決して裕福とは言えず、同州モンゴメリー郡内で引っ越しを繰り返したが、幼い頃から成績は常にA(日本の5段階評価の5)で読書が大好きだった。
欧米では刑務所で産まれた児童が、この状況からハーバード大学まで進学できる。
日本では同じことができるだろうか?
俺が想像するのはさ。
朝起きて「あ、今日なら働けそう!」と思ったら、電話だかメッセージングアプリだかチャットボットだか、まあとにかく連絡するんよ。
そしたら、いくつかその日の仕事候補を紹介されて、候補の中から選んで働くんよ。
もちろん、候補が全部気に入らなかったら選ばない、つまり働かないこともできる。
そういう働き方っつうか、サービス?
ねえかなあ。
俺双極性障害II型でさ、より厳密にはそう診断されててさ、すげえ働きたい時とすげえ働きたくない時があるんよ。
すげえ働きたい時にモーレツに働きまくってても、いつかすげえ働きたくない時がやってきて、突然の無断欠勤でバックレかます。
そういうことを何度も繰り返して、人様に迷惑かけまくってるんよ。
朝やる気だったらその日一日はやる気が持つから、上で言ったような働き方があればありがてえなあ。
結構そういう働き方したい人、いると思うんだけどなあ。
あったら誰か、教えてくれねえかなあ。
今ネットのデイリー新潮で奥さんが当時のこと語ってるけど、尾崎豊が精神的に参ってるのがよく分かる
覚醒剤もそうだし、事務所との確執とか、晩年は身体ボロボロだったみたいだし、病んでたんだと思う
アルバム「核」の頃とか、最後のアルバムの曲の歌詞とか、あれは精神的な病気の人の歌って感じてしまう
双極性障害とか、強迫神経症とか、医者じゃないから分からないけどなんらかのメンタル的な病だったと思うんだよ
もし尾崎豊が現代に生まれてたら、薬飲んで休んでたら大丈夫だったと思うんだよな
でもあの時代はうつ病とか差別みたいな対象だったし、どうにもできなかった
つくづく可哀想な人だと思う
逆に考えると、現代で尾崎豊みたいな歌書いて魂削るような歌い方する人は出てこないと思うんだよな
精神医療が発達して理解も広まってるから、メンタル崩す前に薬飲んだり休養したりするだろうから