はてなキーワード: 休みとは
交際開始から、たばこの本数がどんどん増えていく夫には、ずっと一緒にいたいから禁煙してほしいと伝え続けてきた。
次の職場に移ったらやめる、来年になったらやめる、子供ができたら絶対やめる。
子供を育てるために生活を変えねばいけないよ、禁煙も必須だよ。このタイミングで難しければ今回は諦めよう。3人も楽しいだろうし、夫婦2人でも私は楽しい。
そう伝えて、妊娠に伴う体調の変化を表に出さないよう3週間返事を待った。一度も急かさなかった。
子供を育てよう、出産までに禁煙するよと確かに彼は言った。繰り返し確認し返事は変わらなかった。
夫婦揃って医療従事者で喫煙のリスクは十二分に承知している。いつからやめる?時折繰り返し確認した。禁煙外来はここが近いみたい、保険診療に該当するみたいだよ。最近本数はどう?
その後、やっぱりやめるのは無理だ、と妊娠22週を過ぎた時に告げられた。
崖から突き落とされた気分になり、同時に、里帰りしてSIDSのリスクが下がる2歳ごろまで単独で育てるしかないと思った。
どうにか禁煙して欲しかった。2人で育てると決めたのだから、2人の子供なのだから一緒に成長を見守りたい。
互いの両親にも相談した。男親は1年間子と過ごして初めて親としての自覚が湧くものだというのが九州出身還暦女性たちからの返事であった。育児は母親主体でやるものだ、というおまけのアドバイスもついてきた。あまりそんなに厳密にやっても息切れしてしまうよとも。一所懸命彼もやっているのだから無理強いしちゃいけないよ。
絶望した。
SIDSやその他のリスクを分かっているから避けたい。赤子は自立して煙から逃げることはできない。危険を避けられない。環境を整えねば。子を守ろうとしているだけ。
妊娠辞めたいと思いながら、決して口には出さぬよう三ヶ月続いた悪阻を耐え抜いた。部屋は荒れたが家事は1人でやった。サプリメントは必ず飲み忘れないようにした。なまものを避け、食事の栄養素を確認し過不足ないよう心がけた。歩いて張りを感じれば休み、動き始めた子に話しかけた。宅急便の受け取りでもマスクを徹底し、外出を控え、それでも風邪をひいたが薬を飲まず耐え抜いた。専門領域ではないから、教科書や産婦人科や小児科の専門家の見解で勉強した。
検診は毎回1人、エコー動画や妊娠経過を夫と両家に欠かさず送った。初孫で大喜びしてくれていたから。自分の体調はさらりと、心掛けて子の様子をなるべく詳しく伝えた。
名前も考えたいと家族から申し出があり、皆の大事な子なんだと嬉しく感じ候補をいくつか挙げてもらい検討した。
自分の考えを伝えたが、60を超えた人間の考えはそうそう変わらないということは十分理解している。十年どころではない育児環境等のギャップがあるのだ。自分とは別の人間なのだ。電話を切って号泣した。
里帰りしたら、出生後子は月に一度、2.3日間父親と過ごせるかどうかが精一杯の環境。愛着形成どころではない。子を守って三人で一緒にいたいだけ。
検診に通い、他の家族の例を調べ、そしてもう一度喫煙について調べ、
家族で過ごす場所では完全禁煙、外で喫煙し帰宅した場合子に触るのは入浴してからというのを前提に
ないしは
B.子と私は公共交通機関ないしはタクシーのみ利用。マイカーには乗らない
2択を夫に提示した。
妊娠後期の今までやめたくないと言ってきたのだ
、この提案を聞いてAを速攻選べないのならBしかないだろうと思った。
悩ませて欲しい、考える時間が欲しいと言われたがもうそんな時間はない。ない選択肢を期待させる言葉はいらない。今すぐ答えを出せるはず、と伝え、Bで...と夫が答えたのが一昨日の話。
本当は3人でドライブに行くのが夢だった。ずっと2人で乗ってきた思い出の車、もう私も乗れなくなる。分かったよ、と努めて普通に返事をし入浴した。涙が止まらずシャワーを流しっぱなしにした。子供の命は私が守るしかない、これしかない、泣いてる暇はないんだからしっかりしろと言い聞かせ浴室を出た。
何も言わなかったが私が泣いたことに気付いていたらしく、夫は昨日今日ずっと元気がなかった。
励ましてあげたいが、私は何も言えない。
銭湯までは自転車で10〜15分くらい、道中は基本的に平坦で、途中に川があったり幹線増路沿いのデカくて走りやすい道があったりして、なかなかファンシーだ
仕事が19時〜20時くらいに終わって、自転車で10分くらいかけて家に帰って、ササっとメシを食って、またチャリに乗り、シャカシャカ漕いで、銭湯に着くのがだいたい9時前、8時40分くらい
銭湯は10時に閉まるんで、おおよそ一時間くらいの余裕があるということになる
それまでといえば仕事を8時までやったらもうその日はおしまい、ゲームをやる気力すらないことも多く、ネットをジッとみてターン終了、ネクスト・デイ、そういう感じで俺は生きていた
銭湯通いだとそうはならない
銭湯に行かざるをえない 銭湯に行かなければ風呂に入れないから、家に帰っても寝そべらずに、立ち上がって外に出ることになる
チャリを漕いで、本当に通っていいのかわからない畦道を走り、橋を渡り、デケエ道路の対岸で煌々と輝くホームセンターを見ながら、銭湯まで行くことになる
銭湯備え付けのよくわからんリンスインシャンプーで髪を洗い、大浴場に浸かり、ぬるい露天風呂に40分浸かり、月が見えるポジションを発見して喜ぶことになる
家に帰って寝るだけの時間で、銭湯に繰り出して露天風呂で月を眺めることができるという事実は実際けっこう感動的だった
実際、なってる
給湯器が直って、自分ちでシャワーが浴びられるようになったら、全然銭湯に行かなくなってしまった 時間的にはいけるとわかっているのにね
回数券があと15回分くらいあるから、今後全く行かないってことはないだろう
残業のあとに無理矢理銭湯に出かけるというのは、あの期間にしかできなかったことだろうと思う
黄金の日々だった
ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダーッいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだー!ウワーッ
『かわいいw』
ふん!抱っこして!
『いいよ〜おいで〜』
キャッキャッ
兄…そういうのもうやめたほうがいいと思う…
ガタッ 何だよいきなり入ってくんなよ
それさ、リビングまで聞こえてるんだけど
年明けすぐに発生した能登半島の地震で、東日本大震災のことを色々と思い出した。
当時小学2年生で、地震発生時は帰りのHR中。関東でもかなり揺れて、確か震度5強か5弱か。揺れてる最中のことはほとんど覚えていなくて、隣の席の机から水筒が落ちてきたこと、その席の子は背が高く頭が入り切ってなくて落ちた水筒が頭にぶつかっていたことだけ覚えている。
そのまま保護者引渡しになって、グラウンドで姉と一緒に親を待っていた。外出中だった母はすぐ迎えに来てくれて、かなり早く家に帰れた気がする。そのまま急いでコンビニに寄って水とカップ麺を買って、ガソリンスタンドで給油して、家に帰った。
この時私はだいぶ興奮していた。
楽しいとか面白いとか、そういうのではなくて、台風で学校が休校になるとかと同じ感じ。地震そのものはめちゃくちゃ怖かったので、どちらかと言えば目が血走ってるような興奮だった。
震度5の揺れなんて初めてで、5分近く揺れ続けたのも初めてで、学校であんな切羽詰まった教頭の放送を聞いたのも初めてだった。昔の地震の記録映像とかでしか見たことないような、知識としてしか知らないような規模の地震だったから、そういう時は学校で一晩明かすとか、しばらく店が閉まって学校も仕事も休みで社会機能が成り立たなくなるとか、そういうレベルのことが起きると思ってた。
実際は普通だった。
平時に比べたら普通じゃない。コンビニで酒が落ちて割れて中身が出たままとか、30分に1回は震度3が来るとか、全然普通ではない。でも、学校も休みにならなかった。テレビも番組は違うけど放送してた。コンビニは瓶が割れてても営業してた。電車も走ってたし電気もついてたし水も出た。
すごくびっくりした。
私の中では震度5強とかはめちゃくちゃ大きい揺れで、生きていくのがしんどくなるようなものだと思ってた。でも、家の皿が何枚か割れても、タワマンのエレベーターが止まったままでも、私から見える生活はほとんど変わらなかった。
今になって考えれば、それだけ災害に対しての備えがあったんだろうな、と思う。
10年以上前だから、今と比べればその備えも足りなかったんだろう。東北では関東と比べ物にならないような揺れだっただろうし、津波では恐ろしいほど被害が出た。東北に住んでいた従兄弟は中々学校が再開しなかったという話も聞いた。
それでも、これだけ大きいと感じた揺れでも、何も私の周りは変わらなかった。親も普通に仕事に行った。私も姉も変わらず学校に行った。あれだけ興奮していたのに、非日常は存在しなかった。存在させないような日々の努力が存在しただけ。
10年以上経って、能登の地震を見て、やっとそれに気がついた。当時より発達したSNSやテレビ放送で、東日本大震災の経験が垣間見えた。日本海に近い実家にいた友人は、津波から逃れるために避難したけど、家は被害に遭わなかったと聞いた。ここは大丈夫といって逃げない家族を引き摺ってでも避難してきた、というツイートを何件も見た。
潰れた家の写真もたくさん見た。
あの時の非日常だった部分が、今こうして活きている。そう見えた。日常のままあの日を通り過ぎた私たちは、血で滲んだ教えを、そうやって生かしていく。
多分、東日本大震災をまともに覚えているのは、私やその1個下の年齢くらいがギリギリなんだろう。今の中学生はそもそも生まれてなかったと聞いて、気が狂いそうになった。全然発狂した。あの震災はもっと最近だって。
そこにあったのは小学2年生の日常でも、私はその日常を続けられたことも、私の見えない場所に非日常だってたくさんあったことも、忘れちゃいけない。
能登半島地震で被害に遭われた方々に、お見舞い申し上げます。募金など間接的な支援しかできませんが、復興をお祈りしています。
煽り抜きや皮肉抜きにマジで無職になって長い休みを取ればいいんやで
とりあえず鬱休業しとこ?
なお、こういう時のために家賃を安く抑えておくってマジ大事なんですわ
お部屋をデコるのが趣味とかヤリ部屋作る目的があるわけでも無いのに
貯金や生活保護ではどうにもならない賃料のマンション借りるとかマジ論外よ
とはいえ隣人ガチャや騒音ガチャにキリキリするのもアホらしいので、RC、SRCは必須
そうなると郊外やベットタウンや地方都市でも仕事ができることが必須になるので
怠くなったら働かないがしたいならリモワ出来る職は選んだ方がええで
引きこもりになりたい
連休中も社用携帯に怯え、一日一日と休みが減るにつれて心もすり減って
寝る子はなんとかって言うけれど、
よく寝れる時は良く寝た方がいいわよね。
寝食を忘れて寝ているわ!
つーか寝食の寝に寝るって含まれてるじゃん!って思うけど。
あー、
と言うかさー
もう3日よ。
あっと言う間に3日になっちゃってるわー。
やっぱりあれ時間が溶けるわね。
ずーっとやり続けられちゃうんだもん。
文字通り時を忘れて、
それなので、
スプラトゥーン3はやるけど、
あれはあれで2時間ごとのスケジュールがあってバトルステージが時間が経てば変わるので、
2時間経ったのねーって驚きの実感をすることができて止めどきがあるんだけど。
でさ
有人なのでマジみんな競り合ってて適当に走っているとどんどん追い抜かれるのよ!
そして有人パイロット同士なのでバチバチぶつかり合ってスパークポイントが発生しまくりまくりまくりすてぃーなので
いつもより多めにスカイウェイを走れるような気もあるので有人パイロットの多きはそれはそれで良きことかな!って思うけどみんな本当に速いのよね。
そんなこんななので、
ぜんぜん生産性のないお正月休みずーっとゲームばかりってのもね。
そうそう、
年末年始のおやすみの時の飲食店ってなんか店員さんも少なくてみんなイライラしているオーラを入店してもちろん飛び込み前転で入店したんだけど、
そのただならぬみんなワクワクが止まらない楽しい年末年始なはずなのに、
慌ててキャンセルして飛び出したぐらいよバイクは盗んでないけれど。
そのぐらい年末年始のオペレーション人数少ないお店のただならぬイキフンを感じながら、
それじゃ猫のロボットがいるお店に行きましょう!って思ったけど
この時期はきっとお店人多そうなので、
猫の手も借りたいぐらい!ってマジでそれを地で行くようなそのレストランは
たぶん人多そうよねーってもはや超中期的に躊躇してしまうのよね。
なので今日の三が日までは大人しく家にいてゼルダ以外のゲームを楽しむようにして過ごしたいあと今日一日の我慢よね。
とはいえ、
ゲームばかりやっているのはしんどいのでやることないなー!って思いつつ早くに就寝してしまうと言うもはや早寝早起きを健康的に実践して過ごしているそれはそれで合格点を自分自身にあげたいよくできましたスタンプを自分のおでこに押したい山脈に向かってヤッホー!って叫ぶわ。
1年の英気を養うためにしっかり身体を休めておくってのも
そう言うことにしておくわね。
うふふ。
お昼と一緒に何か気の効いたものでも食べたいけれど、
この三が日は絶賛引き籠もり中なので、
ゼルダでお料理が美味しい肉料理ができるとお腹空いたなーって思って出掛けて何か狩ってこようかなーって思うのよね。
まあお昼になったら考えるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
○ご飯
○調子
むきゅーはややー。13連休7日目。
まだまだ休みなのでダラダラしてる。
土の約定武器2本、干支、トリプルゼロと重要なものはちゃんと確保出来て大満足、いい天井だった。
これで全属性の約定武器が出揃ったし、僕の手持ちにも2本づつ揃えれた。
今回のガチャとは関係ないけど、リゾネーター系の武器も素体はあるので、リミテッド武器の勘所は揃ってきてる。
まだ本数が足りない属性があるけど、天井タイミングは悩ましい。
ただ今年は加護系の石、神石とマグナ石の限界超越で色々と環境が激変するだろうから、この価値がどうなるかは未知数だなあ。
流石に約定とリゾネーターが抜けることは無いと思いたいけど、どうなるんかなあ。
そうだね。なんか震災のニュースばかり見て泣いたりしてしまう。
気持ちを切り替えて、SNS離れて映画みたり、気楽なTVみたり、読書したりして気持ち紛らわせて。
せっかくのお正月休みだって長くないし、特に若い人、学生さんは楽しいことをしてもいいと思う
楽しいことにためらいがあると、辛さが増してゆくばかりだよ。気晴らしは絶対必要。買い物やゲームもしてね。
心配のあまり、被害があまりないみんなまで調子悪くなったりするのって誰も望んでいないと思う。
元気出して。
初めて正社員として採用された会社がブラックなんじゃないかと思い始めている。
でもずっとフリーターだったせいでブラックだったのか自分が甘いだけなのかどうか判断がついてない。
自分が甘いだけなのであれば考えを改めたいので、今後のために「社会人ナメすぎ ホワイトなほう」とか「まあまあブラックだけどうちのほうが辛い」とかそういう披露大会でもいいので、一般的に見てうちがどんなもんなのか教えてほしいです。ブラック度合い以外のところにフェイク入れてます。塾の運営みたいなことをやってる。
・勤務時間
定時は9時〜17時だけど授業は9時〜18時までやってることが多い。
なので実際は生徒の対応とか当日の支度で朝8時には教室に着いていないと間に合わないし、授業が終わってから翌日の準備をするしかないので早くても18時20分頃、19時退勤はザラ。
けどタイムカードは9時ギリギリ、18時直後に押すように遠回しに言われている。
社員みんなそうしているので自分だけ実際の時間通りに押すわけにいかない。同調圧力に弱くてすみません。誰かが声を上げないといけないことは分かってますが右に倣えをしています。
ワンオペで電話応対もあるし、そもそも間に合う仕事量じゃないので当然昼休みなんてない(勤務時間上は1時間引かれてる)のでおにぎり齧りながらパソコン触ってる。
途中、みなし残業で指定されている残業時間が大幅に減らされて、「これで残業代で給料が増える!」と思ってたら続けて「だからさらに残業を減らすように」と言われた。すでにギリギリで切り詰めているので、タイムカード押す時間を誤魔化せという意味でしかない。
ちなみに他の社員に合わせてタイムカードを短めに押してもある程度の残業時間はカウントされるはず(定時9−17のところタイムカードは9−18なので)なんだけど、定例会議では残業時間0ってなってる。
・経費
必要な物品は定期的にアスクルとかで注文するんだけど、そもそも予算がケチなのですぐ足りなくなる。そういうときどうするかというと、各々が近場の100均で自腹で買ってる。クリアファイルとかコピー用紙とか掃除用具とか。領収書もらって経費精算みたいなのは認められていないらしい。みんな当然のようにそうしているが私はそうしたくないので、ボロボロのクリアファイルを無限に使い倒している。
・休日出勤
恥ずかしながら休日出勤が何なのかよく分かってないんですが、休みの日に出勤したら給料は出ないですよね?
休みのはずの社員から当然のように電話がかかって来る。タイムカード押してないので給料は出てない。
教室間で移動させなきゃいけない物品はなぜか宅配便を使わず、休みの社員が自家用車で運搬している。
会議で「○○さんは長距離運転するのが好きみたいだから」でひと笑い起きてたけどクソおもんなくないですか?
ガソリン代が出てるのかとかは知らない。私は比較的新入社員寄りなので、まだそういう役目はまわってきていない。
パッと思いつくところだけ書いたけど、離職率も高い。先に辞めた社員からは退職証明書を出してもらえなかったと聞いた。
あ、手取りは20を少し超えるくらいです。ボーナスは1月分。中途で入った初年度の寸志は無かった。
とにかく基本給以外の余分なお金を絶対に支払いたくないらしい本社も本社だけど、休日出勤とか自腹で備品を買ったりとか、黙って続けてる私たち側も相当頭悪いのでは?という考えが最近止まらない。思い出したらまた追記します。
残業自慢でもブラック自慢でもいいんですが、この会社がブラックなのか、それともこういうのはまかり通っていることなのか、辞めたほうがいいとは思うんだけどワンオペなので言いづらいとか、見捨てていいのかとか教えてください。お願いします。
😷ワイはずっと休みでええわ
夢の中では神様が出てきて、見た目はさだまさしにそっくりだった。
その神は天秤のようなものを手にしながら「これから自分の未来のことが全て分かるように出来るけど、どうする?」と聞いてきた。
夢の中の俺は当然、頷いた。
やってくださいと懇願し、神はニヤッと笑うと光に包まれ、姿を消した。
それから起きると自分のアパートで、頭のなかで妄想がブワッと広がった。妄想、というかイメージのようなものだった。既視感のある光景のような。そういう意味では思い出のような感じでもあった。なんだか不思議な気分のまま外出し、記憶を思い出すように「あっ」と閃き、前方をみると野良猫が歩いてきた。脚にすりすりしてきて、この光景には見覚えがあった。
そのとき神様に会ったことも、そこでしたやり取りのことも思い出した。
猫が寄ってくるのが分かったのもそういうことか…と理解し、それからの生活は一変した。
仕事ではミスがなくなり、成果を認められるのは当然で、何故なら既に知っているから。
だから彼女と出会うのも必然で、後に結婚することさえ知っていた。
全ては順調で、不幸に苛まれることもなく、失敗することはなくなった。
子供を設け、家族三人での幸せな生活が始まった。幸福だった。何もかも。
しかしある日の、なんでもない日常の隙間とも呼べる時間でのことだった。
昼休み。オフィス街での昼食、何を食べようか。そんなことを考えながら歩いていたときのこと。強風が吹いた。その風は俺の心を妙な角度で撫で、俺の足を止めた。
あっ…と思った。自省するように鑑みると、自分がこのあと何を食べるのは既に知っていたのだ。同時に、あのとき神がニヤッと笑った顔を思い出す。
ああ、そういうことか…。
全てを知ることは、本当に退屈で、最悪なことだったんだなと。既に全てが遅かった。取り返しはつかない。絶望に浸り、自然に涙が流れたところで目が覚めた。
夢と分かって心底ほっとした。
変な初夢だったなと思い、それでいて非常に印象的だった。それに妙にリアルでもあった。
家族と過ごせよ、あるいは自分自身で処理しろよ、と思ってたんだが自分も長い休みを渡されるとなにもやりたいことがないことに気づく。
土日は中央競馬やって終わる。
そんな生活を去年1年ずっとしてたからか休みに一人での過ごし方も忘れてしまった。
中年になって周りは結婚していくから一緒に出かける友人もいなければ恋人もいない。
そうなると平日過ごしている仲のいい会社の同僚と飲みに行くとかそういった過ごし方のほうが楽しい出来事に思えてくる。
一人はさみしい。
30代から新しい友人を作る方法もわからないし今から結婚相手は愚か恋人を作る方法もわからない、詰んでる。
うるせーやい!
うちはコールアンドレスポンス方式でやってるんでい!
と言うことで、
いや書いていますと言うより今書き立てほやほやよ。
もらってお返事を書く形式のコールアンドレスポンス方式の私の年賀状は年明けに書いているのよね。
つーか
みんな干支のプリントがしてある年賀状こしらえてくれて送ってくれたから、
そこは見習わなくっちゃ!
つーことで
年賀状っていつでも帰ると思っていた時代が私にもあったシーズンの幕開け!
売りきれのところも多々あり
師走ならぬ、
言い訳ではないけれど年賀状をもらったそのお返事を各方式にここ何年か変えていることは
決して年内に書けないと言うことではないのよ。
逆にだから
年明けは大忙しって訳なの。
私ふと思い出したけど
今思い出していつ食べようか!ってさすがに今年の年末までは持ち越せないので蕎麦だけに伸びるって2つの意味に掛けているわけではないんだけど、
思い出したらまた食べるようにするわ。
年明けお蕎麦ね!
良いアイデアね!
でもさー
オーブントースターで焼いたら言いじゃないってマリーアントワネットさんが言いそうな感じだけど、
なにかそう言うお手軽ワンパックお餅があれば、
わんぱくに年越し蕎麦を年明けお蕎麦にして食べれちゃうのにね!って思ったわ。
まあ
ゼルダでもやろうかなーって思うけど
お正月がゼルダだらけになってそれだけで終わりそうな感じがして、
つーか
なんか行き詰まって来たのよねー。
動物を狩って肉ゲットして100ルピーで買ってくれる人がいるので、
その人に売ればペキカン!って思っていたらそうは肉屋は問屋にお肉を美味しいものを卸さないみたいで、
1日に買ってもらえる回数が決まっているのよー!
考えたわねーって感じ。
そんな感じなので肉屋さんもそんなに矢を買う軍資金にはなかなか難しいみたいで、
私って何やってるのかしら?って思うゼルダ!
残念ながら今シーズンの年末年始のお休みには到底クリア出来そうにはなさそうね。
うふふ。
素晴らしいわね!
いつものこの美味しいハムタマゴサンドイッチが食べられることの幸せ!
何でもないようなことが幸せだったと思うのよ。
寒いのでホッツ白湯ウォーラーを朝一で飲んで身体温めていく感じ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!