はてなキーワード: プーチンとは
乾坤一擲でロシア領内に侵攻したウクライナの戦略だけどこれが大きな失敗になりつつあるように見える。
もともと攻め込まれていた地域から貴重な戦力を引っこ抜いての反撃だった。
そうすることでロシアも攻勢している地域から戦力を転換するはず。
だから守備力が減少してもなんとかなるだろうという見通しでもって行われた。
ともかくロシアは動じることなく本来の戦略目的を遂行するべく突き進んでいる。
結果として目も当てられないような大突破が実現しつつある状況に陥りつつある。
この戦争は戦争だから当たり前だけどいろいろな要因によって左右された戦争だ。
だけど究極的に要約すると、結局のところロシアのプーチンとウクライナのゼレンスキーという指導者の格の違い、これが戦争の結果として現れつつあるのだと思う。
だけどプーチンのほうが1枚も2枚も上手だったというだけの話だ。
ただプーチンも苦しくないわけでは決して無いはずだ。
何か、またひとつの要素で攻守が入れ替わるようなタイミングが訪れることは十分にありえる。
あとはどちらがどこまで我慢できるのか。
■村上隆が何をやろうとしているのか理解して嫌いではなくなった
https://anond.hatelabo.jp/20240829132621
「西洋を中心とした世界の信じられないようなハイソサエティの間で流通している概念上のアートの文脈に日本のアニメや漫画といったオタクカルチャーのスタイルもアートであると認知させるため芸術活動をしている」ということだ。
西洋の正統的なハイカルチャー、アートらしいアートがアートだった時代っていつよ?
100年前の話してる?
そこに日出ずる国からなんか異質なもん(アニメ絵やアホみたいなイラスト)がやってきて「なんだこれは!?」「いやこんなのはアートじゃない」みたいな騒ぎになり、それにまけじと「アート概念の領域を拡張する闘争」をやってるって?
何がアートで何がアートでなくて、なんてとっくの昔に脱構築に脱構築を繰り返してしっちゃかめっちゃかになってるのよ。
津軽三味線弾きがゴットタレントに乗り込んだら欧米人は驚いてひっくり返るだろう、ってくらい素朴(というか…)なこと言ってるよ。驚くわけねえじゃん。
まず「信じられないようなハイソサエティ」ってのがよ…村上龍が昔そういう幻想振りまいてたけどな。まだそんな夢見てる奴がいたとは。
難解なゲージュツがわかるフリしたいセレブ()に取り入って「わかりやすくわけわからないもの」をハメ込む業者だよ。
昔から一貫してそれだけやってんだよ。
「みろよジャップのこの人形。イカれてるだろ。オレっちこれ100万ドルで買っちゃったりなんかしてw」って金持ちの友達に自慢すんだよ。
カート・コバーンとかがへったくそな素人バンド前座にして愛でるみたいにな。
別に村上隆も商売だし非難すべきことでもないけど当人のハッタリ真に受けてどうすんの?
お前らプーチンが平和願ってまーすとか演説したら「プーチンは平和を願っていたんだ!」「よくわかった!」って感動すんの?
勘弁してくれよ。
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「翻訳」「紹介」なんかしなくてももう好きなやつは勝手に直でナルトや駿やタツキ観てんだよ。おフランスでもブラジルでもバングラでも。
何がアートかは白人様が決める、ムラカミはそこにオタカルも加えてもらえるよう孤軍奮闘してる…ってお前らいつの時代から来たんだよ
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「翻訳」と言えば日本語から各国語への翻訳のことだと思い込んだり
「スカム」は一言でイメージを掴めるようにもののたとえで言ってるのに「本来のスカムの意味じゃない〜」
津軽三味線はじっさい出演してたのを踏まえて言ってるに決まってるのに「実際出てるけどガイジンおどろいてるだろー」
あたまがわるすぎて話にならない。
というか何書いても結局バカが何かモノ考えてる気分に浸るためのダシにされてる気がする
徐行抜かす
政治家ZUN
組み紐
参賀に行く
儲かってるのかバイト
使用語彙
はじめがつまらない
雑兵黄門
一メガさシーン
公立何位
文章力ある体
ワインくゆらせ
利用停止回答見れない不便
文章力憤る
猿の衛生床
橋の持ち方
不清潔同族嫌悪
才能の無駄サイドが同じ
ふた金支持
改行知恵袋で
なぜ高校野球それ以下よりも
共通語なぜわかる
停止中に回答消えて
好きのあり方同じフリ
文書で注意
移動金もらえぬ
ゼロ年代のインターネットには、Alex Kさんという日本語が堪能なウクライナ人がいた。彼は日本語版ウィキペディアで、ウクライナに関する有益な記事をたくさん執筆していた。ウクライナ語のиをすべて「ウィ」と表記した結果、「フメリヌィツィクィイ」みたいな記事名ばっかりになっていたが、これも彼の正確さを重んじる姿勢のゆえだと好意的に見ることはできる。
しかし、Alex Kさんはウクライナ民族主義者であった。もちろん、民族主義者であっても良質な記事を書いてくれるなら問題はない。だから彼は、ウクライナの歴史上の人物や、都市や、教会についての記事を執筆し、加筆し、あるいは修正のために議論した。そしてある日、ひとりの日本人編集者が、彼の書いたウクライナにある教会に関する記事を修正しようとした。それが問題のはじまりだった。
話を150年ほど遡る。鎖国が終わり、自由にキリスト教を布教してよいことになったので、欧米人はこぞって宣教師を日本に向かわせた。宣教のためには、現地の言葉で書かれた聖書が必要不可欠である。だから宣教師たちは、それぞれが独自の日本語版聖書を作った。正教会の宣教師だったロシア人の聖ニコライは、漢文の素養のある日本人に助けられながら、教会スラヴ語(教会で用いられる古風なスラヴ語)に基づいていかめしい文体の日本語訳聖書を作った。カトリックやプロテスタントは、時代に合わせて聖書をよりやさしい日本語に置き換えてきたが、正教会の聖書は、明治時代からその言い回しなどがほとんど変わっていない。結果として、正教会の聖書は読みにくく、使われる語彙もカトリックとは異なっている。たとえば、こんなふうに。
正教会 | カトリック |
---|---|
主教 | 司教 |
顕栄 | 変容 |
生神女 | 聖母 |
至聖三者 | 三位一体 |
イイスス・ハリストス | イエス・キリスト |
これがいいか悪いかは、その人の価値観によるだろう。他の教会と共通する用語を使うべきと考える人もいれば、独自の伝統を守るべきだと考える人もいてよい。だがそれを決める権利は日本人の正教徒にしかなく、外部の者はそれを尊重すべきであるはずだ。
このようにキリスト教各派が使っている用語がバラバラなので、日本語版ウィキペディアでは、「各派の独自用語を尊重する」というデファクトスタンダードが確立された。たとえば日本政府は少し前までローマ教皇のことを「法王」と呼んでいたが、ウィキペディアではカトリック独自の呼称である「教皇」が採用された。カトリックの教会が「主教座」と表記されていたときは、カトリック用語の「司教座」に直された。だからその日本人編集者は、2009年に、Alex Kさんの書いた記事にある「三位一体」「変容」を、「至聖三者」「顕栄」に直した。
ところが、Alex Kさんにはそれが気に入らなかった。ウクライナ語や英語では、当然ながらこのような区別は存在しない。Alex Kさんは、「三位一体」は日本語の定訳なのに、なぜ「至聖三者」という日本正教会独自の用語を使わなければいけないのか? と反論した。さらに、大部の国語辞典を参照して、「顕栄」とは立身出世するという意味であり、「変容」の方が教義的に正しい、とも主張した。これに対し、日本人編集者たちは次のように答えた。
このような反論にAlex Kさんがきちんと応答していれば、もしかしたら有意義な論争になったかもしれない。だがAlex Kさんは、すでに論駁された自身の主張を繰り返すだけだった。あまつさえ、投票に参加しなかったにもかかわらず勝手に記事名を元に戻すなどの問題行動を起こした。最終的にAlex Kさんは日本語版ウィキペディアから出禁を言い渡され、現在のゆくえは杳として知れない。
Alex Kさんは何が気に食わなかったのだろうか。それはおそらく、日本正教会の立ち位置にある。実は、日本正教会は完全に独立した教会ではない。日本正教会はロシア正教会の一部なのである。
それの何が問題なのだろうか。日本のカトリック教会は、全世界の信徒を統べるカトリック教会の地方支部に過ぎないではないか。それと同じように、日本正教会がロシア正教会の支部であって何か問題があるのか? カトリックと正教会の組織運営上における最大の違いが、まさにこの点にある。カトリック教会は全世界の組織がピラミッド状になっているが、正教会では各地にある正教会は対等な存在で、それらを統べる上位者はいないのだ。つまりカトリック教会が「世界政府」だとしたら、正教会は「国際連合」のようなものなのだ(コンスタンティノポリスの全地総主教はあくまで同輩中の首席にすぎない)。
正教会において、国際連合における独立国のように振る舞うことができる教会のことを「独立教会(autocephalous church)」という。ロシア正教会やブルガリア正教会などはみな独立教会であり、対等な存在である。そして、国際連合に加盟する独立国の中にも自治区があったりするように、独立教会の内部にも自治を許された独自の組織が存在することがある。日本正教会はこのパターンで、教会内の人事は基本的に日本人の信徒や神品(聖職者)で決めているが、教会トップはモスクワから承認を受ける必要がある。日本正教会は、少数派であるキリスト教の中でもさらに少数派で、文科省の統計では人口1万人いるかいないかだ。小さな島が独立を諦めてイギリス領に留まることを選ぶのと同じように、日本正教会はロシア正教会から独立しようとしていない(というか日本だけじゃなく、そもそも東アジアに独立教会がない。中国正教会もロシア正教会の傘下だし、韓国や香港に至っては全地総主教の下の単なる府主教区であって自治権はない)。
つまり、ウクライナ民族主義者であるAlex Kさんにしてみれば、「日本正教会を尊重せよ」というのは、「ロシア正教会を尊重せよ」というふうに聞こえていたのではないか。なるほど彼からすれば、ウクライナ語では正教会とカトリックとで同じ言葉を使うのに、ロシア正教会日本支部ではわざわざ別の言葉を使ってカトリックと差異化しようとしている、と映ったのだろう(ウクライナには「儀式のやり方は正教会だが、組織としてはカトリック」という教会が存在しており、かつてロシア帝国から激しく弾圧されたことから、ウクライナ民族主義の核になっている)。
しかしAlex Kさんが見落としていたのは、日本正教会は日本人によって運営されている教会だ、という点である。確かに教会の設立はロシア人によるものだし、ある時期まではトップがロシアから派遣されていた。だが日本人の正教徒は自分たちで教会組織を運営するようになり、ここ半世紀は教会のトップも日本人が務めている。しかも、日露戦争やロシア革命によって生じた反露世論によって痛めつけられた上での話である。ロシア正教会が気に食わないというウクライナ人の気持ちは理解するが、逆風に耐えながら百年以上も信仰を守ってきた日本人信徒に対する尊重くらいは求めてもよいはずだ。
ところが、Alex Kさんが示したような日本正教会への侮蔑あるいは敵対は、残念ながらウクライナ人のあいだにしばしば見られる。たとえばウクライナ正教会は日本支部を開設しているが、その神品であるパウロ・コロリューク(Павло Королюк)は、「生神女就寝祭」を「聖母就寝祭」と呼ぶなど、日本正教会の用語法を意図的に無視する姿勢を打ち出している。ウクライナでならば好きな用語を使えばいいが、あいにくとここは日本であり、日本正教会の管轄地である。郷に入っては郷に従うべきではなかろうか。また、コロリューク神父あるいは彼に近しい誰かは、日本正教会を侮蔑するツイートを公然としている。まあ、こういうツイートでウクライナへの共感が強まると思っているならご自由にされればよい。増田は、コロリューク神父はキリル総主教の精神的双生児なのだから、似た者同士もっと仲良くすればいいのに、という感想しか持てなかったが。
(そもそも、ウクライナ正教会が日本支部を開設しようという時点で「シマ荒らし」といえる。日本在住の正教徒は基本的に日本正教会の聖堂に通うべきだからだ。とはいえ、移民が移民先に支部を作るのは米豪などでも問題になっているし、ルーマニア正教会も日本に支部を築いたことがあるので、ウクライナだけの問題ではないのだが。根本的には日本正教会が独立教会ではないのでナメられているのだろう。あるルーマニア人は「在日ルーマニア人が教会に行くのに、何でモスクワの許可が必要なんだ?」と嘯いたそうだ)
さらに、一昨年開かれたホロドモールの犠牲者を追悼する合同祈祷式には、コロリューク神父だけではなく「日本における総主教代理であるアンブロシオス府主教」が出席していた。日本の総主教代理とはどういうことか? 実は、全地総主教は日本正教会の自治権を認めておらず、韓国に派遣したギリシャ人の神品を日本の正教会のトップに任命しているのだ。彼は韓国の正教会のトップでもあるので、というかそっちが本業なので、ふだんはソウルにいる。なるほど、ウクライナ正教会が全地総主教によって承認された関係上、全地総主教が認める総主教代理を認めねばならないという事情は理解できる。だがそこでも、日本正教会が日本人の運営する教会だということは無視されている。明治時代からの由緒ある聖書を守り続けている日本人信徒がおよそ1万人いて、神学を修めた日本人の神品が何人もいるというのに、ふだんは韓国に住んでいるギリシャ人が日本の正教会のトップを名乗るというのは、日本人への侮蔑だとは思わないのだろうか?
ロシアのウクライナ侵略が許されざる暴挙であり、ウクライナ人へのジェノサイドであることにはいささかの異存もない。プーチンとプーチンを盲目的に礼賛するロシア正教会のキリル総主教は腹を切って死ぬべきである。Оккупанты, идите домой! だがそのことと、日本人が守り育んできた日本の教会を軽んじてよいかということとは、まったく別の問題であるはずだ。ウクライナ人、特にウクライナ正教会の関係者は、日本正教会に敬意を払うべきだ。彼らはどんなに苦しい状況でも正教会の信仰を守りぬいた人びとであり、彼らの培ってきた伝統は尊重されるに値する。もしもウクライナ正教会がイイスス・ハリストスの教えを日本で守り広めたいと思うなら、まずは彼らの伝統に倣うことから始めるべきだろう。
ところで、ウクライナ語版ウィキペディアの「日本正教会」の記事には、次のような記述がある。
На відміну від католицької і більшості протестантських церков Японії, Японська православна церква не використовує усталеної в японській мові християнської термінології. З 19 століття вона розробила власний словник. Більшість термінів вважаються застарілими словами і малозрозумілі для сучасних японців[13].
この「注13」は次のようなものだ。これは英語版やロシア語版にはない、ウクライナ語版オリジナルの記述である。
Наприклад звичне для японської мови слово «Трійця» саммі іттай (三位一体, дослівно: «три особи одна суть»), що зафіксоване у провідних японських словниках, японські правослані замінили на сісей санся (至聖三者, дослівно: «найсвятіші три особи»). Ця заміна сприймається неадекватно, оскільки друга частина словосполучення — санся означає не лише «три особи», а й «третю строну» або «аутсайдера». Інший приклад — «Преображення». В сучасній японській мові для позначення цього слова використовується термін хенйо (変容, дослівно: «зміна образу»). Японська православна церква замість нього вживає термін кен'ей (顕栄, дослівно: «проявлення слави»), який в японських словниках тлумачиться як «стати заможним» або «вибитися в люди».
Alex Kさん! 生きとったんかワレ! 「顕栄」についての一方的な解釈が健在なのを見てとても懐かしい気持ちにさせられた。さらに、「三者」は部外者というニュアンスもあるから、「「至聖三者」」はTrinityの正確な訳ではないそうだ。もちろんこれは日英露各版のどこにも書かれていない新発見である。確かに「第三者」という語を思い出せば、「三者」に部外者という語義があることは明白だ。このウクライナ人編集者の勉強熱心さには頭が下がるので、次はぜひ序数という概念についての記事を書いてほしい。しかし何より驚嘆すべきは、これほど独創的な日本語解釈が堂々とウクライナ語版ウィキペディアに載っているということだろう。ウクライナ人に向けて世界の言語についての知識を広めようとするAlex Kさんの思いには頭が下がる。きっとそのような手法はモスクワで身につけられたに違いない。いや、実にあっぱれ。<
核シェアリングというのは
なんか字面的にメジャーな選択肢としてそういうものがあるのかと思いがちだが、そんなものは存在しない。
アメリカが同盟国や属国に核のスイッチをレンタルしてまわってるというような事実はない。頼んだって絶対に渡してくれない。
冷戦の最前線の西ドイツに配備した核をポスト冷戦期のNATO体制に引き継ぐ際の小細工に核シェアリングという名前をつけただけの完全な特殊解だ。
「これまで無辜の被害者のスタンスで核廃絶を訴えてきたのに今更掌返しするのは体面が悪い」などというのは国内の特殊な文脈でしか理解されない論理。核でやられたから核を持ちたがって不思議はないというのが世界標準の論理だ。そもそも日本が核廃絶を訴えているということすらろくに認知されてない。
プーチンが核を使うぞ使うぞと脅しつつ使いあぐねているように核は使いにくい。
その一方で持ってることの恩恵ははかりしれない。
ICBMのサイロやSLBMによるフルスペックの戦略核抑止体制を構築し、単独で世界のどこの国とも相互確証破壊の両すくみに持ち込めるような核戦力は無用の長物だ。
パキスタンのように「一応持ってるから下手にちょっかい出すと一発がある」くらいのささやかな核保有が一番お得であり、日本もできればそうしたい。
n=1なのだが、聞いてくれ。
入社したときから、話しやすくて、よい距離感を取れる、付き合いやすい同僚だなーと思ってきたのだが、時々このような発言をするので驚いている。
他の社員は、上記のような発言について、うんうんとうなずきながら聞き流している。
そもそも、有名国立大学で工学部の修士を出ている、という時点で、私よりはるかに学歴上なのに、
こうした方が一般的には陰謀論と呼ばれることを普通に話していることにびっくりした。
みんなも、「まさかこの経歴で、この人柄なのに陰謀論者だった」という経験ある?
あったら聞かせて。
・知識ある人たちからしたら現状では占領を維持出来るほどの戦力ではないらしいが、南部のドニプロ川の橋頭堡を維持し続けられてることを考えると実際には占領維持が可能なのかもしれない。
++橋頭堡化説
・ロシア国内に入ってしまえば地雷原がないため機械化部隊を活躍させやすくなる。占領を維持して他に浸透するための入口にしたいのではないか。
++陽動説
・撤退戦でのリスクが高いらしいがロシアの防空網がボロボロでありドローンによる監視網、その他西側諸国が情報を収集してることを考えると大規模な部隊をロシアが送り込んでくる前に撤退は可能なのではないかと思わないでもない。他を攻撃するための布石として一番ありえそうな説。また一度越境攻撃を成功させることでウクライナ軍は越境攻撃をしてくる、とロシア側が認識したのなら全戦線においてそれを警戒する必要が出てくるため二重の意味で陽動が可能になる。
クリミア奪還が目的なら地理的には最も離れてるので時間稼ぎに最も適してる場所だろう。
・ウクライナにもガスパイプラインが通っており占領維持が困難な戦力であるのならこれはありえないのでなかろうか。
・プーチンの政治体制を揺らがせることが目的なのではないか説。ただこれが目的ならロシア国内で革命を煽るなど直接的な行動もしないと効果が薄いように思う。