はてなキーワード: チャリティとは
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2行目が男性の性的消費の問題をストリップのあるなしが表してるって伝わっちゃったのかな
あと間違ってはないって言ったのは上の増田がじゃないよ
分かりにくくてごめんね
性的消費を問う話はしてないよ
社会的な機会の平均化とそのための許容度の話
消防士のカレンダー有名だけど例えば同じように女性消防士や別の職業の制服で女性がセクシーにチャリティやって(もしかしたらあるかも)それで消防士は許容されて女性が叩かれたりその企画自体が女性差別だとされたならそれは同性においても無意識に性的な面で女性に自由が認められていない、ジェンダーロールがしみついてるって話になる
そこを理解してない人が多い
だから性的消費自体は男性も女性も悪ではないよ別にしてもいいよ主観的な範囲のものだし
問題になるのはその性別自体や個人を客観的に性的消費物と定義してそう扱う事
ストリッパーも性的消費に阿る職業ではあるけどそれはあくまで仕事として提供してる内容であって従事する人間自体がそうだってわけではないって話
でも性的消費を排除しようって人達はその仕事内容と個人をセットにして性的消費された人間、として扱うんだよね消費されたのは提供されたサービスでありもしくは単に主観的な一方的な感想でしかないものなのに対象の人間自体を性的に消費できるものだって定義してる
別に国家予算から考えたらオリンピックに使われるお金なんてごくごく一部じゃん
ってか、そもそもよっぽどのお金持ちでもない限り税金からオリンピックに使われるお金なんて1000円とかそんなもんなんでない?
普通に金ある人ならスポーツ関連の株買っとけば余裕でペイ出来るし
ちょっと余裕があるなら不動産とかも仕込んでしこたま儲けられるじゃん
よくボランティアがブラックだみたいな話あるけど、オリンピックなんて世界運動会みたいなもんなんだから金もらまで手伝おうとか思うなよ
チャリティイベントに金もらって出演してる芸能人じゃあるまいし金金言うのやめな(笑)
それにいろいろ政治思想的なもんから自民が決めたことに賛成出来なのかもしれんけど
スポーツしにくる選手や外国人は関係ないんだから快適に過ごせるように協力してあげたらいいじゃん
別に国家予算から考えたらオリンピックに使われるお金なんてごくごく一部じゃん
ってか、そもそもよっぽどのお金持ちでもない限り税金からオリンピックに使われるお金なんて1000円とかそんなもんなんでない?
普通に金ある人ならスポーツ関連の株買っとけば余裕でペイ出来るし
ちょっと余裕があるなら不動産とかも仕込んでしこたま儲けられるじゃん
よくボランティアがブラックだみたいな話あるけど、オリンピックなんて世界運動会みたいなもんなんだから金もらまで手伝おうとか思うなよ
チャリティイベントに金もらって出演してる芸能人じゃあるまいし金金言うのやめな(笑)
それにいろいろ政治思想的なもんから自民が決めたことに賛成出来なのかもしれんけど
スポーツしにくる選手や外国人は関係ないんだから快適に過ごせるように協力してあげたらいいじゃん
偽善だ!
正しいチャリティーじゃない!
随分立派な正義感をお持ちで。心強いです。
毎年この時期(だけ)こんなにも「正しい」チャリティーのあり方について関心を寄せてくれ、
「正義の」支援を提言してくれる(普段は不思議と見かけない)人が多く、勇気が出ます。
「億集まったって、それ以上が企業に渡ってる。」
そうですね。
そんなコンテンツ主体ではない無駄のないの募金窓口を作ってください。
アメリカ流の「チャリティーの定義」とやらを実現してください。
そして私たちが今以上に努力でき、社会に貢献しやすいよう、ぜひご支援をお願いいたします。
普段周りに迷惑をかけている以上、僭越ながらもっと恩返しを、還元を、貢献をしたいんです。
少子化の時代に、子供を2人産むことができました。私は障がい者ですが、子供は健常者です。
24時間テレビでは今年2億6787万円が集まったそうです。
毎年、この効果で支援や活動の幅が広がったという声が身近なところでも聞こえます。
その24時間テレビを叩き、
もっと正しい方法、いい方法を説いてくれている皆さんには大きな期待を。
そこまでして良い支援をしたいという強く激しいメッセージに感謝をいたします。
「24時間テレビなんていらない」というだけの結果を生んでくれるのなら
全力で参加し、応援し、申し訳ありませんが甘えさせていただき、
そのお礼として私もできる限りの貢献を、微力ですがしたいと思います。
*
24時間テレビ以外にも、ご支援いただける機会はたくさんあります。
番組が気に入らない / 気が乗らないのなら、支援しなくてもいいんです。
ただ、結果を出している人や物事に対して、「後ろめたさ」「眩しさ」みたいなものを棍棒に持ち替えて、
「実行し結果を出ている人」「それによって救われる人」「救われた恩返しをしたい人」を叩くのはやめてください。
しない善よりする偽善 とまでは言えませんが、肯定/否定の行動もせず
あの番組はやらせだのネットでくだらないバッシングを読んで思ってた
なにがくだらないかっていうと
なにより本当だとして自分に得があるのか、ここを思い至らないバカが多すぎる
自分がスレてない時代、子供時代に負けないで、サライを出演者が歌ってるシーンで
感動はしなかったか
さまざまなバラエティで真剣になって笑ったり怖がったりする思い出はなかったか
やらせだくだらないと騒ぐたびにこの辺の思い出から顔を背けるデメリットがある
もちろん自分は子供の頃からくだらないと思ってたと子供じみた言い訳を添えて
だんだんと目の前のお涙頂戴を素直に観れなくなるのは仕方ないかもしれない
その場合の正解は槍玉にあげるのではなく意識的に目をそらすだけで良かったのに
https://mainichi.jp/articles/20180816/k00/00m/040/170000c
のブコメを読むと、総踊り中止の理由が分かってない人が割といた。記事中には
と経緯が書かれているのだが、どうやら全体像が分かってないと意味が取れないっぽい。
そこで収益改善策として市長(じゃないかもしれなけど)が言い出したのが、
『集客力がある(はずの)有名連を4つの有料演舞場に分散すればまんべんなくチケットが売れる(はず)』
というアイデア。このアイデアに妥当性があったかは拙者、阿波踊りには疎いのでさっぱり分からぬでござる。
ので、対立は終息して来年以降の開催の方向で妥協するんじゃないでしょうか。
http://www.topics.or.jp/articles/-/87040
その後も様々な方法で売りぬこうとするが、成果は芳しくなかった。
「いや、そういう善良な人間はかえって危険だ。時と場合によっては躊躇なく人を殺す」
俺たちは、もはや正攻法では無理だと考えていた。
「この石にスピリチュアル的な何かがあるって謳ってみる?」
「いっそ今回のことを社会問題にでも仕立て上げて、有耶無耶にしてしまう?」
「それもいいかもなあ。でも色々と面倒くさそうだなあ」
アレコレ案は出すものの期日は迫っており、俺たちは内心ほぼ諦めていた。
おもむろに、唯一売れた石の売り上げである500円を俺たちは眺める。
そうタイナイが呟き、俺も心の中でそれを復唱した。
他に買う人……。
「そうだ!」
俺は気づいた。
「マスダ、何か思いついたの?」
タイナイは要領を得ないようだった。
「いや、マスダ。その買う人が見つからないからこんなに苦心しているんじゃないか」
「忘れちゃいないか。俺たちには買う人のアテがあるんだよ」
更に言えば、あのエセ経営者へ仕返しもできる一石二鳥の方法だ。
職業体験という名目で、学生を酷い商売に加担させた罪は重いぞ。
「マスダの目が据わっている……酷いことになるぞ」
期日の時。
売り上げ報告の日だ。
「それじゃあ売り上げを見せて貰おうか」
俺たちは無言で売り上げを渡す。
「総売り上げは……500円。全然売れなかったようだな」
「いいえ、全部さばけましたよ」
俺の言葉を聞いて、眉をひそめる。
見え透いた嘘に見えたのだろう。
まあ、それも当然のことだ。
だが、嘘は言っていないのである。
「だったらキミたちの持っている、その石はなんだ」
「これは僕たちが買った石ですよ」
「……んん?」
新譜といってもセルフカバーベストみたいなやつで、しかも発売までロクに知らされてなかったけどコンセプトは「ライブ感」なんだそうでほぼ全曲一発録りだったとのこと。
自分は中村一義大好きで、このアルバムも総じて大好きで、でもこの一発録りであるが故の「雑さ」みたいなのがすごくもどかしくもあって。
それを誰かと共有したいんだけど残念ながらリアルの知人に中村一義のファンはおらず、また相手がファンならファンで「自分がクサしたとこ相手が気に入ってたらどうしよう」とか余計な事考えてたぶん本音のとこは言えないと思うんで増田って素晴らしい。
ライブでさんざん聞いてるバージョンなんでまあ今さらこれといった印象もなく、でもこれがいつでも聞けるのはやっぱり嬉しいし、原曲とはまた違った聞きやすさというか中村一義知らない人にも勧めやすい類のよさがあってやっぱりいいよねって思う。完成された名曲。
これも犬猫同様、安心して聞ける一曲。まあでもこっちは、原曲ののほほんのした声の方がむしろ精神的にクるものがあるかなあと。
アレンジというか、方向性自体はとっても好き。ただ一義自身が変に熱込めすぎて一部歌い方がアレな感じになってるとこがあって、それがすごく惜しい。
具体的に言っちゃうと「すっぷーうーくぬぁいんかんねー」とか。やりすぎなんす。
そんな一義の対極に走ることでバランスを取りに行ったかのような、あずままどかの甘〜いコーラスが大好き。こういう、原曲にまったくない要素でいいなあと思えるのはカバーの醍醐味よね。
これも好き。一歩間違うと名無しのおっさんがチャリティだか地下商店街の広場だかで歌ってそうな感じになりかねないんだけど、そこはそれ曲も本人もやっぱ名無しのおっさんとは格が違うので。
てか仮に中村一義が97年にデビューすることなく名無しのおっさんとして街の片隅でこれ歌ってたとしても、きっとなんか耳に残って気になるんじゃないかと思う。
好き。楽しい。「オイ! オイ!」て掛け声も、ほどよく品がないというかケンカ弱そうな感じがしてとってもよい。わーんつーすりー!
ああこれもいいなあ。まあ原曲から印象があんま変わってない気もするけど。「特に変に手を加えずに、2017年の今ロザリオをやるとこうなりました」って感じ。
あらら…また。ちょいやりすぎですよ一義さん。奥歯のないおじいちゃんですか。曲自体はいい曲なんだけどねー。
ラジオでもちょこちょこ流れてて「あ、なつかし!」ってなった人もいるっぽいけど。やあ、名曲ですわあ。
そしてこれに関しては、「ライブ感」てコンセプトがドハマりして大成功の一曲だと思ってる。
てか、久しぶりに原曲聞くとすごいテンポがもっさりしてて驚く。いや、もったりしてんのは初期中村一義の最大の魅力のひとつなんだけど。
なにせ元々からして曲後半の疾走感が素晴らしい曲なので、そこにライブのアレンジとウルフの雄叫びパワーが上乗せされるともうバッファローマンも砕け散る1200万パワー砲ウルフマン。
力押しかも知んないけど、だからなによっていう。いや、ウルフすげえ。
これまた、方向性はとってもいい。てか大好き。大好き、なんだけど、もうちょっとだけコーラスを綺麗に揃えてほしかった。そこら辺のファンを4、5人かき集めて歌わせたかのような揃わなさというか、きたなさ。
あとまた一義さん。「ちぇちょちぇ〜を合わ〜すちゃみぇ〜にぃ」てもう中村一義がシャクレた顔で歌ってるとこしか頭に浮かばない。ノッポさんのチューリップハット被ってシャクレて歌う一義さん。
でもそれでも、聞いててすごい幸せな気分になるんだよなあ。
もう一回録ってよ。
原曲がまず名曲中の名曲。それのアレンジとして、こういうのもいいよねっていう。てかこれもライブでいっぱい聞いたし。
こういう可愛らしい曲、なぜか中村一義はよく似合うんよねえ。声が活きるっていうか。
これもなかなかいい。原曲も大好きだけど、これはどっちもありだな。一切捻りなしの、ファンに向けたド直球。
最初にシングルで聞いた時はなんか歌い方がホモっぽくていまいちだったけど、20周年記念のこのアルバムのラストに持ってこられるとやっぱりちょっと心に染みるもんがある。
思い入れの強いファンの中には「俺の青春のアレをアレばっかりをまた作って」って不惑までそれ引きずってどーすんのみたいな声もずっとあるみたいだけど、俺はこの先も変わってく中村一義を楽しみにしてるよ。
だから自国民を助けるのに比べて、大した考えなく安易に手を差しのべられるんだよ。
支援してるNPOの連中だって、ジジババが孫に小遣いあげる感覚で手伝ってんだろ。
そもそも自分は、小学校のユニセフ募金で金せびられてた頃からずっと思ってたんだよ。
「なんでこんな困ってんだよ現地の人間もうちょっと頑張ってどうにかしろよ」って。
でも、利害関係のある自国民を税金で助けようとすると、正当性が必要になるからね。
決して余裕がない中で「どうしてあんなの助けるんだよ」とか文句言われたりで、
まあいろいろ大変なんだろう。
その点、無関係かつ無責任な人間が来て金ばらまく分には、そういう面倒なことがない。
結局、チャリティだったら自分が助けたいものを助けていればいいんだから。
チャリティだから。「無料公開することが正義」みたいなこと言ってないから。クラウドファンディングで金を集めたわけじゃないから。
http://b.hatena.ne.jp/entry/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1609/27/news146.html
フェミニストが完全に納得する回答って、あらゆる性的なイベントを廃止する以外にないよね。そんなの実現不可能だし、やったとしてもとんだデストピアだと思うんだけど。
フェミニストが性的なものを嫌うように、性的なものを好む人だって居る。人の考えや嗜好はそれぞれで、多様な人が折り合いをつけてやってかなきゃいけない。
だけどフェミニストがやろうとしてるのは、自分の考えと合わないものを徹底的に排除するってだけ。そりゃ、白い目で見られるのは当然だってーの。
フェミニスト個人がどんな考えを持とうが自由なんだけど、それをあたかも正義のように押し付けて来るのがウンザリする。お前は正義の代弁者じゃねーっつーの。
この世にはおっぱいを揉みたい男がいっぱい居る。(そうでない男も当然居る。)それはどうしようもない事実なんだ。
その一方で、好きな人になら揉まれてもいい、好きな人の気を引くためにあえて揉ませたい、好きじゃないけどイケメンなら揉まれたい、お金を貰えたり名前を売れたりするなら揉まれてもいいっていう女もいる。
抑止しないと性が乱れるって?別にそれでいいじゃない。性行為が活発になって一体何が問題なんだ。
世の中色んな人が居て成り立ってるわけで。世の中の全員を性的なものから遠ざける権利なんて誰にも無いよ。
そりゃ合意のない性行為は当然良くないけど、合意があればいくらでも好きにすればいいでしょ。本人の意思でやるならヒッピーのようなフリーセックスだって別に構わない。
そうしたいのをダメだダメだと騒ぎ立てて止めさせる権利は一体どこにあるの?
Fondriest これが「フェミ」に対するうまい返しだと思ってる奴は脳味噌が腐ってるな。元々非対称性が問題な所に形式だけの対称性を持ち込んでもなんの反論にもならない
腐ってるのはお前だっつーの。形だけじゃなかったら中身=思想まで変えろってことを言ってるんだろ。思想統制でもしないと満足できないんだろ。お大事に。
miz999 「効いてる効いてる」と勝ち誇るコメントが多いが、これそもそも性的搾取がチャリティの建前で表に出てくることへの根源的疑問から始まってるんだから、男性の性的搾取も同じように問題にできるんだが
性的なものに「搾取」というラベルをつけて排除しようとしてるだけだよね。性的な表現やイベント、サービス等が世の中から根絶しないと、こういう人は満足しまい。
pew 以前のやり方が性差別的であったと認めるならその件について説明するべきだし、認めないならやり方を変えずに正面切って反論すればいい話。論理的でも何でもなく、「チッ反省してまーす」と変わらない幼稚な対応。
問題にするほうが問題だろこんなん。性的なイベントがダメだっていう人が居る一方で、良いっていう人も居るんだよ。いちゃもんに対する説明責任なんてものは存在しない。そもそも論理的でない指摘にどうやって論理的に返すっていうの?
tahatahon いやいや男が参加するからって、セクハラ問題は全然解決してないんだけど……。これで批判もできまい!と息巻いている主催もブコメも浅はかすぎるとしか。/セクハラが当事者だけの問題だと思ってる人も多く更に引く
性的なイベントを排除するのが正義という考えは浅はか過ぎるとしか。そしてセクハラが当事者間の問題じゃないと思ってるのにはドン引きですわ。自称リベラルは存在しない問題をあたかも存在するように言うの得意だよね。性的な表現が嫌いだから見たくないってんなら、一人で目を閉じておけ。
ぶコメにも書いてしまったけど、なんで羽織袴にしないのかと長い事思っている。
もしかしたらオリンピック側で規定があるのかもしれないがアフリカ諸国なんかはいつも民族衣装で出てくるし、
日本が世界に誇る民族衣装の羽織袴/着物がなぜ採用されないのか不思議でたまらない。
・男子選手は羽織袴、黒紋付羽織で統一。(皆さんご存知と思いますが、紋付羽織袴は最高級の礼装)
・女子選手は振袖もしくは訪問着で統一。希望者は女袴を着用(袴はとても歩きやすい)既婚未婚はあまり関係なく本人が着たいものをチョイス。
・女子選手の着物はなるべく作家にバラバラに作らせる。この事により作家は名を売ることができるうえ、全国でそれぞれの伝統産業へ発注が行くことで地方にお金がおちる。(伝統産業は青色吐息なので、微々たるものだがないよりマシ)
・着物は各個人のサイズに合せて作られるが、サイズをきちんと明記したうえでネット上でオリンピック終了後にチャリティオークションを行う。
選手の中には長身の人などもいるが着物は仕立て直すことが可能&オリンピック選手が着たというプレミア感からそれなりに買い手はつくだろう。
日本人は昨今ずいぶん体格が向上してきたが、それでも上背があり手足の長い諸外国の選手と比べたらプロポーションは微妙な人も多い。
男性が紋付羽織袴を身につけると、だいたい3割〜5割増しでイケメンになる。紋付羽織袴の凛とした風格は素晴らしいものがある。
一方、女性選手のほうは、色とりどりでかつバラエティに富んださまざまな着物が登場するので、さながらファッションショーのごとき雰囲気となる。
諸外国の人々は日本の衣装の多彩さと斬新さに目を見張るであろうこと間違いなしである。
着物をまとった人がいるとその場がパッと華やぐが、数十人単位であでやかな着物で登場するのはスーツなんかよりよほどいい。
別に着物業界を応援したいわけではないんだが、選手団が着ていることで「着物、いいな」と思う人が増え、経済効果を産むかもしれない。
作家には新たな注文が舞い込むかもしれない。
いつもダサダサスーツを着ているよりよほど日本という国が印象づけられる。
国をあげての祭典なんだからこのくらいやってほしい。
自分の中にあるタチが悪い部分が存分に刺激されるものがいくつかあって、そのうちのひとつが街頭募金である。
歩く道すがら、箱を抱えて佇む人や、声高に募金への協力を叫ぶ声に触れてしまうたびに「けっ、くそが」のような悪態を心中で吐き、もちろん小銭すら投じることはないのである。特に東日本大震災関連のものか、大の大人が雁首そろえて並んでいる場合は私にとって最悪で、これらにはなんとしてもびた一文、絶対に募金に応じる気はないのであった。
かつて、まだ義務教育も中頃に届かぬ頃の時分には、私もこのような街頭募金活動に参加したことがあった。とある地方の政令指定都市でのことであり、それは赤い羽根募金ではないものの、かなり著名な団体が手伝って(主催して? 後ろ盾にいて? なんにせよ関わって)いたものだった。子供をずらりと並べて「ご協力お願いしまーす!」と叫ばせる類のものである。どこの都市でもそうなのかは知らないが、私が住んでいたその町では、該当募金といえばここ、ここにはいつも街頭募金がいるね、というような場所があり、私もそこに集合したのだった。
当日の朝、募金活動を始める前に、責任者っぽい大人がわれわれ子供たちにしっかりと言い聞かせたことがある。
「もらったお金がどの団体に行き、どのようなことに使われるか、質問されたら答えられるようにしなさい。それができないなら参加してはいけません」
もちろん、その質問の答えとなる内容もセットで教えてくれた。◯◯という団体に渡され、◯◯のために使われるのだよと。
わりと真面目な子供たちが集合していたこともあってだろう、みなふんふんと素直に聞き、街頭募金は開始された。やってみると、子供から見ると意外なほどに大金が集まる。紙幣を投じていく大人もいた。意味もわからず感激して、「ありがとうございまーす!」と声を大きくしていたような記憶がある。
始めて数十分だか、一時間超だかした頃、私の前に成人男性が立った。そして、こう言った。
「この募金って、何に使われるの?」
そう質問されたのだ。
どきっとしたものの、朝に教えられた通り、「◯◯◯◯に渡します、◯◯のために使われます」と言った。緊張と動揺でつっかえつっかえではあっただろうが、間違った答えはしなかったはずだ。「間違い」というのは、まあつまり、その瞬間の私にとってはクイズに答えるような感覚の問答だったということでもある。テストの答えのらんに確信を持って答えを書くときに似ていた。
男性は「そうか」と納得した様子で、募金に応じるにしてはやや高めの金額を投じてくれた。千円だったか、五百円だったか、そういう額だ。緊張で視線を伏せていたのだったか、その男性がどういう表情でそうしてくれたのか、印象すらない。
まるで仕込みのような展開だとすら思う。けれど、あれ以来、自分にとって街頭募金は神聖なものになってしまった。気軽な気持ちで行ってはいけないものになってしまった。
Wikipediaで「街頭募金」の記事を読んでみたら、「問題点」の項目があり、「街頭募金においては募集団体と寄付者が一過的にしか接触しないケースが多く、せっかく寄付をしても使途をそのお金が本当に目的通りに使われたのか追跡できない場合もあり、悪質な場合には募金詐欺であることもある」とあった。あのとき大人がわれわれに教えた内容は、なるほど、これに対するアンサーであると説明するのがわかりやすい。
そう、つまるところ私は、街頭募金の実行者に、資格のような、覚悟のような、そういう面倒なものを求めるようになってしまった。だからそれを持っていなさそうな人には訊ねてやりたくなる。あの男性と同じような内容を、しかしあの男性とは違って、ただ相手を咎めたいがためにだ。なんて底意地が悪いのだろう。
それに加えて、今の自分が出来高制で働いているせいで、街頭募金で集まる金額と、自分の時給とを照らし合わせてしまう癖がついた。大の大人が実際にその場に集結してまで、生産もせずに他者の余剰を集めるのは非効率的に感じられて見ていられない。そのぶん何かを生産して対価をえるか、もっと効率のよい方法でことにあたれないものかと、詰め寄ってしまいたくなる。
なお、東日本大震災に関わる募金を特に見たくないのは、もうすでに20万円ほどをチャリティに投じているからである。これ以上はキリがないのでもう応じないと決めている。
そんなわけで、街頭募金はもう見るのも嫌である。彼らから目をそらして歩く速度を早めるとき、私は心中で悪態をついてしまうのだ。