はてなキーワード: クジラックスとは
俺は表現の自由を常々主張しているが、一元的内在制約説(+αは若干ある)的な「公共の福祉」に基づく表現の自由の制約は当然あると思っている。だから
元の増田やid:kamayan1980がどう考えていたのかはわかりませんが、私はゾーニングや年齢制限なども表現の自由への制限だと思ってます。
なので、許されない表現などないというとき、それは単に創作物の作成だけでなく流通への規制も一切ないという意味だと考えています。
真面目に表現の自由を主張している人でそこまで主張している人はまずいない(実は1人心当たりがなくもないのだが)。
満員の劇場で”劇場が火事だ!”と叫んで逃げ出す人々を生み出すことも現代アートです、と主張することは不可能ではないが、この場合は劇場への業務妨害が当然に成立するし、
創作物において、実在の事件で無罪になった人を犯人扱いしたことが名誉毀損罪になった事例は存在するが、公共の福祉における当然の制約だと思う。
現代の社会で、アダルト物や暴力表現が過激であるものがゾーニングされていたり年齢制限がかかっているのは、そういったものについて自由な流通は許されないと大多数が考えたからですね。
違いますか?
実のところ上で書いた例と比較した時に『有害だから子どもにエロ・暴力を見せたくない』というのは本当に内在制約と言えるのかは若干の疑問がある。
俺は子無しであるが、流石に子どもに無制限にエロを見せても良いとは思わない。ただ一方で、『エロを見せることは本当に子どもの発達に有害なのか』という研究はおそらく存在しない。というか流石にそんな研究は人道上許されないのは明らかだ。
この場合、子どもの成長への実際の害というよりも「子どもにエロをできれば見せたくない・ある程度コントロールしたい親の権利」との衝突で年齢制限がかけられていると一応俺は思っている。(規制の実態がそうなっているか、はまた別)
単純に考えて欲しいんですけど、「許される」派の人たちは深夜番組でCGのスナッフムービーが流されても問題ないと思ってるんですか?
テレビで、というのは若干の疑問がある。それはどうしてもTVの電波は有限のリソースだから(新聞や雑誌は商業的に成立するかどうかを抜きにすれば無限に存在することが可能だが、TVの電波は無限ではない)ある程度のバランスは必要になるとは思う。
ただその上で、増田は、気に入らないならチャンネル変えれば良いじゃないかと思う。
この例え自体現実味がないから考える価値がないというのであれば、かつて放送されていた深夜のアダルト番組がなくなったのはどうしてだと思ってますか?
「許されない」とされたからじゃないんでしょうか?
少しでも許されないと考えたものは存在を抹殺しようとする人がいて、そういう人による炎上を恐れたことによる商業的理由じゃないかな?
で、タイトルにも少し書いたけど。
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規制派「お前は子どもがレイプされるエロマンガを一切の制約なく流通させて子どもが見ても良いと思っているのか」
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この会話はフィクションだがこれに近い流れになることは多いし、実際に
自由主義(自らの自由と同様に人の自由も最大限尊重する)的な意味での表現の自由を主張する人に対し、自由(一切の制約なし)の意味だと受け取る規制派とのすれ違いがこの手の問題の根本にあるように思う。
女だけど、クジラックス超読む。
だから馬鹿な男がクジラックス危険だから規制だーとか言ってるの、呆れるよね。
じゃあ逆に女の子とかは、こういう危険があるからってことを啓蒙するためにもクジラックス超読んだ方がいいんじゃない?
っていうか、子供を持つ親とかにもクジラックスを周知してった方がいいんじゃない?そんなに影響力があるんなら。
なんだって隠せ隠せ規制規制ってやってると、犯罪するような奴しか規制をかいくぐって読めなくなるからより危険度あがるんじゃない?
クジラックス規制は「オタクとかロリコンとかキモイ」みたいなクソ浅いモチベーション以外で肯定されようがないし
ごく一般的なリベラルの価値観を持ってればクジラックスだけピンポイントで持ち上げて規制するみたいなメチャクチャな言論統制と人権侵害が許される訳がないことくらい自明なのだが
前述したように「オタクとかロリコンとかキモイ」みたいなクソ浅い思考しか持っていないエセリベラルが発狂して本来仲間なはずのリベラルを叩き始めているので滅茶苦茶面白い
報道では「こんな服を着て、こんな荷物を持って、こんなセリフで児童の家に行けば入れる」なんて書き方はしてないわけだ
・「被害者女児」が「ロリマンガを規制しないことで将来的に生成される犯罪者が犯罪行動を起こした結果被害を受けるはずの未来の女児」のことだとわからない
・「実際にホモレイプ被害を受けた被害者」が本質的に「今回の女児」と棍棒性能としては変わらないということがわからない
・今回の事件の原因は100%クジラックスの漫画によるものであり、ロリマンガさえ規制すれば未成年へのレイプが撲滅されると信じている新興宗教の信者
どれ?全部かな?
コナンの殺人描写などを引き合いに出してる人が多いけど、決定的な違いは「正義や道徳がそこにあるかどうか」だと思う。
「快楽殺人犯の主役が、何の罪もない子供に蹴って殴って怯えさせて精神的にも追いつめて虐殺しました〜☆はぁ〜気持ちよかったスッキリ!次に殺すのは誰にしようかな〜(特に裁かれもせずエンド)」
こんな話だと思う。
別に、こんな話があってもいいのかもしれない。何かを表現しているのかもしれない。
だから別に自分は表現規制しろ派では無いんだけど、これを「ありがたいもの」として享受するのはどうなのかな、と思う。
子供を惨殺するような作品を見て、それに快楽を感じる性癖というのは、やはり普通じゃない。子供を性の対象にしてはいけない。
被害者のことを考えるなら、むやみに「再発防止」の話をしないでほしい。
「同じような事件をなくしてほしい」と考える被害者もいるだろうけど、そこは個人によって違うから、せめて当人の気持ちを確認してからにするべき。
あと、「被告人の権利を守れ」とか「受刑者の更生」とか、ましてや「死刑廃止」とは言うなよ?
言うまでもなく、警察は法にのっとった捜査をしないといけないし、裁判所も公正でなくちゃならないけど、そういうのは被害者に関係ない話だから。
リベラル思想は、ときに犯罪被害者の気持ちと衝突せざるをえなくて、残酷なものだよ。その場合は思想にもゾーニングが必要になるかもしれん。
クジラックスの案件と、はてなブックマークの反応を見て、そんなことを考えた。
オタクのことを「被害者のことよりエロマンガを守ることに一生懸命w」と評しているリベラルもいるけど、目糞鼻糞じゃん。
お前らも個々の被害者のことより、自分の主義主張を優先しとるがな。
前から興味があったのでこの機会にLO単行本と同人誌を買い使用した。一段落して確認したかったのはエロではなく巻末の但し書きである。
クジラックス氏の同人誌「がいがぁかうんたぁ」の最後のページにはこの4つの中の1と3と4は書かれていたが、2の犯罪を助長させない為の警告がなかったのである。
この穴があった為に警察が付け入るスキを生じてしまったのではないだろうか。既にニュースやブロガーによって著作権や官憲横暴云々、果てはコミケ準備会の話題まで出ているが、今一度、表現をするものとしてどのような対応をとるべきか考えたい。
P.S.この場合「かうんた警告」とでも言うべきなのでしょうか。LO単行本には「警告」といったお題はなく枠取りの中に1,2,3,4が書かれていました。
だがそもそも、子どもがセックスする話そのものが(作中でそれを描いているかどうかの違いであって最終的なことを考えれば)胸糞悪い。
>つまり、クジラックスの漫画に犯人が捕まるという結末さえあればOKというわけだね。
ぜんぜん違う。
仮に「犯人が児童レイプ魔になった経緯」を描くといった趣旨のストーリーなら、彼の生い立ちや育った環境、どこで道を間違えたかの経緯を描く必要がある。
そもそもちゃんとしたストーリーがある場合、わざわざ「児童をレイプするシーン」を具体的に描く必要性はまったくない。このシーンをメインにして後の背景をとってつけたようではただの児童ポルノと同義。
クジラックスのマンガの件で過去の例に漏れず「表現の自由」信者がネットであふれかえっていて本当にうんざりしてる。
ああいった事件の後でなおも迷わずに「表現の自由を守れ」と声高々に主張する方々に聞きたいのだが、君たちはその発言が「表現の自由を守るためには、多少の公益や子供の安全を損なう結果になっても仕方ないと思ってます」と言っていると同義だとちゃんと理解しているのだろうか?別にコレについては批判するわけじゃない。権利を守るというのは時としてそういうモノだ。たとえば凶悪事件の犯罪者の人権を過度に守ろうとするとその犯罪被害者の人権を侵害することが多々あるし、音楽や書籍などコンテンツの著作者の権利や利益を過度に守ると、今度は消費者が不利益をこうむることなど多々ある。すべての権利を平等に尊重するのは不可能で、片方の権利を過度に守ろうとするとそれに相対する別の権利を侵害することになるからだ。だからそういう意識があって「表現の自由」を訴えているならいいのだが、どうもネットの書き込みの大半からはこういう葛藤など一切感じられず、純粋に「表現の自由を守ることが絶対正義」と信じて疑わないような連中が多すぎるんじゃないか?と思ってしまう。
たしかに「表現の自由」というのは近代社会の中では守られるべき価値観の上位にあがるものである。なぜなら「表現の自由」は往々にして「権力の監視」「権力からの自由」に密接に関係してくるから、国家の権力の暴走を防ぐには必要不可欠である。ただ「表現の自由」の名の下になんでも表現していいというわけではない。たとえば欧米では「表現の自由」のなかに児童ポルノやレイシズムを煽るような表現には厳しい制限がかかる。児童ポルノコンテンツや欧米人には子供にしか見えないアニメ顔のエロコンテンツは所有しただけで逮捕される国も珍しくないし、ヒトラーの「我が闘争」は発禁扱い。ヘイトスピーチデモも表現の自由には認められない。少なくてもクジラックスのマンガをこれらの国で自主出版でもしたら確実に逮捕事案である。これを「表現の自由なんていって欺瞞じゃないか!」と批判するのはお門違い。だって「表現の自由」は絶対的ではないんだよ。
ここまで書くと「それじゃ殺人やレイプ描写がある小説、ドラマ、映画も規制しろよ」などと反論してくる連中がでてくるだろう。まったく馬鹿げた反論だ。一口に「殺人シーン」といっても、その作品内の背景とかストーリー上の設定などで意味合いがまったく変わってくるからだ。たとえば同じ惨殺シーンでも「羊たちの沈黙」のように主要登場人物の異常性・神秘性を演出するために使われたり、戦争映画のように人間が虫けらのように殺される描写で戦争の凄惨さ、残酷さを演出したり、または復讐ジャンル映画では家族を殺された主人公がどれほど強い動機で相手に復讐していくか演出するなど様々である。小説、ドラマ、映画で殺人やレイプシーンが許容されているのは、人間のコアな部分を演出するには、時には人間の暗黒面をちゃんと見せることも重要だからである。それにこういった作品でもどのように陰惨に殺害されたか、激しくレイプされたかなんて長い尺をつかって表現するコンテンツなんてごく一部だ。(「食人族」とか)
もちろんその殺人シーンやレイプシーンが「ストーリー上それは必要不可欠なのか」「ただの過剰演出ではないか」という疑問は常につきないものだが、今回のマンガの件ではその議論以前の問題である。概要を読むだけであれは「未成年の女の子を大人が騙してレイプする行為を楽しむコンテンツ」以外に何者でもないことが明白だからだ。だからもしあの作品を他の実写映画でたとえるなら女性や女の子をもつ親御さんにとっては「ストーリーなど特になく、哀れな被害者が凶悪殺人魔に追い詰められジワジワと惨殺されていく映像を延々と見せられるだけ」な内容と同義である。君たちが「表現の自由」の名の下に守ろうとしているコンテンツとはそういったモノなのだよ。
ただああいった作品が実際に性犯罪を誘発しているか?という疑問はさすがにわからないとしかいえない。もちろんゼロとはいえないだろうが、それ以上の事は調査する人のバイアスや価値観によってどちらにも転ぶ内容だと思う。これについては結論はでないだろうから議論するのは無駄だと思う。ただああいった作品が自主出版とはいえその気になれば個人で入手できる状態だという事実の一つ一つが日本の性風俗文化を少しずつ形成しているのは間違いない。
児童ポルノや児童買春について絶対的に厳しい価値観の欧米(かといって厳しくすればするほどその禁忌を破ろうとする人間がでてくるのも悩ましい)にとって、先進国でありながら日本の性風俗のゆるさはやはり衝撃的だろう。風俗禁止法というものがありながらソープみたいなサービスが当たり前のように存在し、AKBみたいな大半が子供にしか見ないような女性グループが下着がもろに見えるダンスをしながらテレビで踊っている。これらから彼らが感じることは「法律上では児童ポルノって駄目だけどさ、本音では若い子のほうがいいっしょ?20代30代のおばさんより10代の女の子のほうが興奮するよね」という空気ではないだろうか?欧米の知識人が日本の性風俗文化を軽蔑するのも無理はないと思う。
さてここまで長々と書いても、大半の「表現の自由」信者には俺はただの欺瞞者で権力者側の規制賛成論者にしか見えないのだろう。別にそれはどうでもいい。ただ最後に忠告するのは、これからも「表現の自由」で何やっても許されるのが当然だと思っていたら、最後にしっぺ返しを食らうのは君らだということだ。今回のような事件は単発であって欲しいと願ってはいるが、もし何かの間違いで1年の間に何回も立て続けのように起こったら、それこそ日本の世論の大半は一気に「あんな児童レイプを助長するようなマンガを許すな!国はちゃんと規制しろ!」に傾くだろう。そのときにネット住民や一部の知識人が馬鹿の一つ覚えにように「表現の自由の重要さ」だけを訴えたところで大半の世論からは「ただのロリコンの似非リベラル」のレッテルしか貼られないだろう。そもそも児童ポルノ関係では日本よりはるかに厳しい欧米のほうがちゃんとメディアによる権力チェックができてるんだから、「エロコンテンツの規制を認めたら権力の暴走を招く」論はまったく理屈が通ってないのである。
もし俺の予想するような最悪なシナリオがおきて日本の性風俗に関する規制が厳しくなったとき、おそらく君らは日本人の不寛容さ、無教養を嘆くんだろう。違うから。君たちの救いがたい傲慢さが原因だよ。もし今後も欧米よりもゆるい日本独自の性風俗や表現を守っていきたいと思うなら、むしろ君たちこそが行き過ぎた表現にはちゃんと警告をだして業界内で自浄作用が起こるように注意しなきゃならない。「こりゃ論理的にやばいだろ」ってコンテンツ見つけたら乙武張りに「超えちゃいけないライン考えろ?」って冷や水ぶっかける努力を続けないとならないんだよ。
ま、たぶん無理だろうけどね。
元々漫画を書く数ヶ月前に大阪で起きた連続事件をモデルにして書かれたエロ漫画なんだよね。
被害者少女は50人いて、誰にでも出来る手軽さから模倣犯もいた。
その手軽で誰でも出来る犯罪をロリコン相手に具体的なノウハウと性的興奮をセットにしてエロ漫画として拡散させたのがクジラックス。
そら犯罪を生み出すわって話。
例のアレで吹き上がってるやつが多すぎるんだが、何が問題かあるいは何の法に触れるのか明確に根拠を示してるやつを見たことがない。
ただ自分が嫌。
ただそれだけ。
現実ではないただの絵空事の中で行われていることを、現実の犯罪かのように断罪しようとする。
包丁をつかった犯罪がなされたとき、悪いのは包丁をつくった職人か? 包丁を使った犯罪が起こるたび包丁をこの世からなくせというのか? 違うだろ。
夜道を女が歩いていてレイプされたら悪いのは女か? そのたびに夜道をひとりで歩く女を取り締まれというのか? 違うだろ。
幼女レイプ同人誌が犯罪を引き起こす怖いと言ってしまう馬鹿にはこういった論理が考えられない。
だから感情で「創作物が原因、規制せよ」などと吹き上がってしまう。
ひとはあらゆる創作物から影響を受ける。ありとあらゆる創作物はひとに影響を与える。
そしてその行為を実際にやるまでには無数の壁がある。たいていのやつは行動を起こさない。なのに行動を起こしたひとりのやつがために創作物を規制せよと声高に叫ぶのは包丁が悪い夜道を歩いた女が悪いというようなもの。作者や作品に犯罪者の犯罪行為をなすりつけるな。
もしここまで言っても幼女レイプ同人誌と包丁を夜道を歩く女をいっしょにするなと思ったお前。
「影響されて犯罪をおかすやつがいる。規制しろ」みたいな話ならまだ分かるけど、「放射能検査だと子供を騙すなんて巧妙な手口は一般人は考えつかない。そんな手口を教える漫画は規制すべき」みたいなことを言ってるやつが昨日暴れていて頭が痛くなった。
同人誌なので正規に手に入れる手段はないが、内容が気になるという人もいると思うので。
市役所の役人を名乗って放射線レベルを調べるという男が家に尋ねてくる
少女は初め警戒気味だが、男はリアルな役人っぽい演技をしながら、まんまと家の中に入ることに成功する
カッターで脅しながらガムテープで口をふさぎ結束バンドで手の親指を繋いで拘束する
一ヶ月前から調べて親がいないことも把握済みの男
出し終わってよっしゃまだ行けるかといったところで一巻おわり
あとがきのところに子供の落書きみたいな絵で犯行に使った男の鞄の中身の紹介
2巻は前回の続きで、咥えさせたりスク水着せたり色々
自分の名前を呼ばせ、大好きとか結婚しようとか言わせつつひとしきり楽しんで、パンツを持って男は去る
エピローグ、完全にトラウマになりプリントを届けに来た友達のピンポンが聞こえただけで激しい恐怖に襲われうずくまる少女
場面変わって別の少女の家、ガスの点検を名乗る男がやってきたところで終わり
とらのあな商品ページ(18禁)https://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/15/79/040030157963.html
当然これを購入するような人間なので規制されろとは思わないけど、
まあ確かに実際に事件が起きて、犯人がああいう供述をして、これを見れば警察としては注意をせざるを得ないんじゃないかなと思う。
部数が限られてるとは言えネットがあれば誰でも買える通販で売ってるわけだしね。
TVで犯罪の手口を紹介しても何も言われない、ということを言う人もいるけどそれも邪推じゃないかな。
強姦を暴行と言い換えたり、いろいろなところで自主規制が入ってるのは注意されてきた事があるからだと思う。
一昔前だとパンチラの盗み撮りの仕方とかバラエティーで紹介してたことも合ったらしいけどねw
この件で問題だと思うのは作者は穏便に話が進んだと言ってるのに、メディアの表現と食い違うところだね。
警察からマスコミへの伝え方に問題があったのか、マスコミの伝え方が悪いのかわからないけど、
必要以上に事を大きくしようという悪意を感じるね。
https://anond.hatelabo.jp/20170615003042
がいがぁかうんたぁ読んで、幼女になんて酷いことをするんだと当然思うし、自分の中にもある倫理に照らして、こんなこと許されないと当然のように思うよそりゃ。
なぜそうなるか、普段の嫁さんとのセックスなども思い出しながら、冷静に考えみた。
結論としては、男性が持ってる性欲と、女性を支配したいという欲求は、ぴったり完全一致じゃないにしても、だいたいざっくり同じ領域の事なんじゃないかなあと思うわけです。
なんで女性を性的に支配したら性欲求が満たされるのかよく考えてみたんだけど、とくに論理的根拠が存在しなかった。とにかく、女性の性を自分の圧倒的支配下に置くことに、強く興奮を覚えるんだ。なんかそういう風に体ができてるので、自分でもどうしようもないわ。俺の性欲、全然倫理的じゃないよな。本当にごめんなさい。俺の性欲は完全に倫理に反しているし、ポリティカリーコレクトネスに反してるんだわ。
かと言ってそれすなわち、ガイガーで自宅侵入!みたいなことをやろうとは1mmも思わないんだけどさ。
じゃあどんな感じかというと、嫁さんが嫌がるのに、いやらしい下着とかえっちなコスチュームを、頼み込んだり褒めそやしたり、まああの手この手でお願いして、なんとか着せて、そんなコスプレをすごい嫌がってるのに、着せたままエッチすることで消極的支配を完成させて興奮したりする小規模なマチズモフレンズなんだね俺。
そんな小規模な俺にとって、クジラックス先生のエロ漫画はかなり刺激が強いよ。よくこんな、支配欲を刺激する構造のおはなしを描けるなと舌を巻いて勃起してしまう。
でさ、女の人の側も、どうやら男どもは女を精神的だか肉体的だか社会的だかに支配して屈服させることに興奮してんなって気付いてるでしょ。てか口には出さないけど常識レベル的に理解してるでしょ。
でさ、俺の嫁さんには申し訳ないことをしてると思いつつ、嫁さんの方もコスプレくらいで支配欲が満足するならそこらへんが落としどころかな?とか思ってると思うのよ。まあ健全な攻防だよ。
そこにきてがいがぁかうんたぁはやばい。健全な攻防なんかすっ飛ばして、圧倒的弱者である幼女をキチガイおじさんパワーで性的に支配してしまっている。
大多数の成人の男女が支配/被支配の健全な攻防ごっこしてるところに、圧倒的な暴力によるテロ行為がご提案されてしまっている。これはそりゃ女は黙ってないと思うわ。
結局さ、がいがぁかうんたぁも普通のセックスも、程度の差はあれ男性の支配欲に駆動されたどうしようもなく野蛮な行為なんだよ。あの漫画はその事実を突きつけてくるから、我慢ならない人はほんとうに我慢ならないと思う。
実はロリコンを誘惑して嵌めたのは被害者と嘘情報を2ちゃんとTwitterで拡散し、皆でクジラックス先生を守ろうと少女をズタボロにする
いつものやり方だわ
クジラックスの件。表現の自由が大切だ、ということは認めよう。
しかし例えばアメリカ兵が少女をレイプする同人誌があったとして、
なによりこういうときに感じるのは“共感”力が失われているのだろうと思う。
俺は違う、俺は大丈夫、そうした空気でいることで暴力に直接加担しないことで
ただ、今回の表現方法、一生福島や原発は差別的に扱われるんだろうなと思ったし、
守られるべき、救われるべきは被害者が一番。なんだか違うんじゃないの?
「漫画アニメは人格と行動に影響ある」んだから過激な表現は自粛してくれよって意見に対して、
「世の中の大半の人間は、創作で気分に変調をきたしても、いざ犯罪行為に及ぶ前に理性でブレーキをかけるものなのだが、そういうのに自信がない増田のような人間の責任を、表現者が負わなければならないのだろうか?」と来た。
http://b.hatena.ne.jp/entry/340126537/comment/whkr
少なくとも今回の件について、クジラックスに刑事的な責任がたとえ及ばないのだとしても、自身の漫画を読んで犯罪を犯した者がいて、自身の描いた漫画のようなひどい目にあった少女をこの世に一人生み出したことは一生責任を感じて欲しいと思うし、民事での賠償責任を追及される可能性だってなくはない。
そもそも、「世の中の大半の人間は」ということは、逆に言えば世の中にはごくまれとは言え、こういう作品を読んでやろうと思う人が数名いることがわかっているわけだ。
人気になればなるほどそういう人の目に止まることがわかっていて、一定の確率で犯罪者とその被害者を生むことがわかっていて、そこになんの責任もないなんてあっていいのだろうか。
普通は理性でブレーキをかけるという言い分はわかる。でもそれは犯罪者側の責任の話だ。
ただしその表現物が生み出した成果は、名声や対価だけじゃなくて不名誉や犯罪被害についてもきちんと受け止めて欲しいと思う。
それが取り返しのつかない結果を招く可能性があると思うなら自粛するべきだし、世の中の大半の表現者は理性でブレーキをかけて自粛するものなのだが、そういう発想のない表現者の責任を幼女が負わなければならないのだろうか。
こういうことを言い出すと結局ISやアルカイダを生んだイスラム教や十字軍を生んだキリスト教だってだめってことになるのだが、
実際イスラム教は欧米社会でかなり肩身の狭い立場なんてものじゃなくてあからさまに差別的な扱いを受けることもあるよな。
拳銃や銃弾を作る会社に拳銃でなされた犯罪の責任はあると思うか?私はあると思うよ。