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はてなキーワード: カエサルとは

2023-04-21

anond:20230421153533

1世紀の大プリニウスは、『博物誌』の中で、カエサル名前の由来をこう記している。

Auspicatius enecta parente gignuntur, sicut Scipio Africanus prior natus primusque Caesarum a caeso matris utero dictus, qua de causa et Caesones appellati.(母の死によって産み落とされるとより幸運である。そのようにして生まれた初代のスキピオアフリカヌスのように、また母の子宮を切ったことによってそう呼ばれた最初カエサルのように。また同じ理由でカエソもそう呼ばれる)

— 大プリニウス、『博物誌』第7巻 9章 47節

カエサルが長じてから生母アウレリア・コッタに宛てた書簡存在することから、実際にカエサル帝王切開で生まれ可能性は極めて低い。また、カエサル家はカエサルが初代ではない。

7世紀スペインイシドールスによって記された『語源』では、因果関係が逆転して記されている。

カエサルという語はユリウスに由来する。内戦が勃発するや、彼はローマ貴族として最高の地位を得た。他方で彼は死んだ母の切り取られた(caeso)胎内から引き出されたために、もしくは生まれつき豊かな髪(caesarie)を靡かせた子供だったために、カエサルとも呼ばれた。それ以来、彼の跡を継いだ皇帝たちもカエサルと呼ばれることになった。そして切り取られた子宮から取り出された者は、Caeso あるいは Caesar と呼ばれることになった。

— イシドールス、『語源』第9巻 3章 12

イシドールスによる『語源』は後世に典拠として採用されることが多かったため、caesarという単語は、本来意味と誤りを含んだ由来を併せ持ちながら、16世紀以降成立した帝王切開技術を追うように、ラテン語のsectio caesareaという名称へと結び付いたと考えられる。

このあたりの話じゃないの

anond:20230421131225

  1. ユリウス・カエサル母親の腹を切って生まれたか
  2. ラテン語で「切る」を意味する「caedere」の過去分詞「caesus」に由来している
  3. ローマ帝国法律Lex Caesarea = Imperial Raw)に「妊娠中の女性が死んだら胎児を取り出すべし」というものがあったか

1の説を採用するなら自動的に2の説も採用することになるのはわかるけど、2の説を採用すると自動的に1の説を採用することになる理由って何なの?

カエサル存在しなくてもラテン語「caedere」は存在したんじゃないの?

anond:20230421002026

元増田説明が混乱気味なので整理しとくわ。

古代ローマに「Caesar」という男がいた。

言わずもがなカイザー帝王)」という言葉の由来になった偉人ユリウス・カエサルである

さて、カエサル時代から100年後くらいに大プリニウスという有名な学者が「カエサル母親の子宮を切って生まれたかカエサルって呼ばれたんやで」と説明した。

これは、「Caesar」という名前ラテン語で「切る」を意味する「caedere」の過去分詞「caesus」に由来している、という意味である

ただし現在ではこの説は間違いとされており、正しくは「青みがかった灰色」を意味する「caesius」に由来するのではないかと言われている。

なぜ間違いとされているのかと言えば、カエサルが生まれたあともカエサル母親が生きていたかである

この当時の「子宮を切る」とは、出産の近い母親が死んだあとに胎児だけ取り出す、というような手術のことであって、現代的な帝王切開の手術ではなかった。

現代的な帝王切開の手術が確立されたのは時代が飛んで16世紀に入ってからである

まあ確立されたと言っても当時は消毒法や輸血すらないので母親の死亡率は非常に高かったのだが。

そして、その手術を呼称するにあたって、(現代でもそうだが)医学用語にはラテン語が使われていたので「sectio caesarea」という言葉が作られた。

そういう意味では「sectio caesarea」というのは後世の造語だったわけだ。

じゃあ、その「sectio caesarea」の由来って何?という話になるが。

そもそも母親の腹を切って生まれ子供」が「caesar」と呼ばれていたらしい。

まり、そういう子供(caesar)の切除手術(sectio)だから「sectio caesarea」とされたのではないか、と考えられる。

じゃあじゃあ、なぜ「母親の腹を切って生まれ子供」が「caesar」と呼ばれていたのか?

ここで複数の説が登場する。有力なものは以下のとおりである

  1. ユリウス・カエサル母親の腹を切って生まれたか
  2. ラテン語で「切る」を意味する「caedere」の過去分詞「caesus」に由来している
  3. ローマ帝国法律Lex Caesarea = Imperial Raw)に「妊娠中の女性が死んだら胎児を取り出すべし」というものがあったか

1については、

先述のとおり大プリニウスの時点で「カエサル母親の腹を切って生まれた」という俗説は広く流布されていたので、

史実カエサルが本当に腹を切って生まれたかどうかにかかわらず語源説明にはなっている。

んで、その大プリニウスが「カエサル名前の由来はラテン語の『caesus』だよ」と言っているわけだから

カエサル母親の腹を切って生まれた」説を信じるなら自動的に2の「caesus」説も採用されることになる。

まり1と2はどこまで遡るかの違い、あるいは前後関係の違いにすぎない。

3は語源としてはやや強引な印象を受けるが、

いずれにせよ「Caesarea」が「帝国」という意味であるなら、それはユリウス・カエサルに由来していることになる。

結局、どの説もやんわりユリウス・カエサルに繋がっているので、

訳語が「Kaiserschnitt」だろうが「帝王切開」だろうがええんちゃうのという話なのだった。

anond:20230421074303

当時の帝王切開は死亡した母から胎児を取り出すものであり、帝王切開妊婦生存した記録は16世紀ごろまでなく、カエサル母親カエサル誕生後も生存していた記録があるから

anond:20230421002026

どうして見たことないのにデマって断言できるん?それこそデマでは?

Q カエサルさんが帝王切開で生まれたんだよね?

A これはめちゃくちゃデマ

帝王切開語源のややこしさの話

普段から由来やどうでもいい知識を調べるのが好きなのだが、帝王切開語源(由来)については何度も調べて分かった気になって2日後には忘れて再度調べる、というのをすでに8億回くらい繰り返している。それほどこの帝王切開という言葉語源について複雑、かついろんな説が出回っており、その説すべてで「この説が正しい。他は間違い」というスタンスなのでわかりにくい事この上ないのである

なので自分なりにわかやすくまとめたものをここに置いておく。ソースウィキペディアやどこかの医学系のサイトなど複数から取ってきて多数決を取った。同じ疑問を持つ人の目に止まれば幸いである。

これが本当に正しいかどうかは知らない。

Q 帝王切開妊婦お腹を切開して赤ちゃんを取り出す術式)ってなんで帝王っていうの?

A ざっくりこんな流れっぽい

フランス語opération césarienne」(切開する術式、的な意味でこう呼ぼう)

ラテン語「sectio caesarea」(切除して取り出す、的な意味。ここのcaesareaには帝王というニュアンスが無いことに注意。古代ローマのcaedere(切り取る)に由来。)

③並行してcaesareaには「分家」という意味があり、これがカエサルさんが有名になったことで後世では「皇帝帝王」という意味を持つことになる。同時に切り離す的なニュアンスが薄れていく※

ドイツ語「Kaiserschnitt」(Caesareaってなんや皇帝?まあ適当に直訳すればええやろ。schnitt(切開)も付けとくか)

日本語帝王切開」(Kaiserってついてるから帝王って意味やろな。直訳して帝王切開でええやろ)

Q つまり誰が悪いの?

A しいて言えば「意味を深く考えず直訳した適当単語を作ったドイツと、それを勝手単語バラバラにして安易に直訳した日本である

  でも"Kaiserschnitt"を訳せと言われたら"帝王切開"以外に訳しようがないのも事実

  一番の元凶はcaesareaが皇帝という意味を持ってしまたこである。これがすべてをややこしくしている。つまり誰も悪くない。

Q ドイツ人がcaesareaをKaiser(皇帝)に間違えたんじゃないの?

A 間違えたというよりcaesareaを訳せと言われたらKaiserとしか訳せなかったのであろう。

Q ドイツ語kaiserには「切り分ける」という意味もあるので日本が間違えたのでは?

A これはデマ現代ドイツ語にそんな意味はない。

Q 結局どういうこと?

A そもそも誰も「誤訳」や「間違い」なんてしていないのだ。歴史言語翻弄されただけである。彼らは忠実に訳していっただけ。

Q カエサルさんが帝王切開で生まれたんだよね?

A これはめちゃくちゃデマ

Q 帝王切開にはハサミを使うからシザー→シーザー、なのでは?

A これもめちゃくちゃデマ

※結局②と③の因果関係が未だにはっきりしていない。卵が先か鶏が先か、みたいな話である

23/04/21:コメントをもとに追記修正

2023-04-15

anond:20230415161057

ブコメ

denimn 言うてユリウス・カエサルルビコン川渡河も元老院に対する明確なテロ行為だしな。

 ← おい、カエサル元老院メンバーたちを殺したのか? 違うだろ。 あれはテロじゃなくてクーデターだよ。(もちろん革命ではない)

2023-01-15

物語の中で女が男に体を許したあとで願い事をするシーン

確かセイラさんはアムロ

シャアを殺して欲しい」って願うんだよな。

アムロはそれを聞いて、ああそういうことかって思うんだったっけ?

よく覚えてない。

セイラさんはセイラさんで実の兄を殺してほしいなんて願うには赤の他人はいえないか

とかそんな理屈があったんだっけ?いやこれは記憶捏造か。

つーかシャアを殺して欲しい、なんてセイラさんは言ったっけ?

小説版ガンダムって何回も読んでるんだけど

まりにもアニメガンダムが強すぎてどうしてもストーリー記憶に定着しないんだよ。

アムロが装甲が厚そうだからガンキャノンに乗りたいんだけどなあと思いながら渋々ガンダムに乗ることとかセイラさんのオッパイに手のひらを乗せて幸せを噛みしめるとかそんな些末なシーンしか覚えられない。

 

後の初代皇帝アウグストゥスであるクタヴィウス少年が恋慕する姉であるクタヴィアと思いを遂げたあと、姉は少年秘密を話すように要求する。

それを聞いて、オクタヴィウスは、ああなるほど、という。

なるほどとはなんですか?と問う姉に

クタヴィウスは

貞淑な姉上が近親相姦をするなど何事かと思ったらそういうことだったのですね

姉はそのものいいに抗議するが結局は本当のことなのだ。

クタヴィアは貞淑だが恋多き女でそのときかつてのカエサル愛人であったセルウィリアと同性同士の恋人となっていた。

自分を捨てたカエサルに深い恨みを抱くセルウィリアはオクタヴィアを通じてカエサルの弱みをつかもうとする。

クタヴィウスがその秘密を知っているようだと推測したセルウィリアはオクタヴィアに秘密を聞き出すように命じる。たとえ弟と寝ることになったとしても。

結局オクタヴィウスは秘密を話すことになるがそれはカエサル秘密ではなかった。

しかし、その秘密きっかけとなって最終的にカエサル暗殺成功する。

このドラマはかなり好きなドラマで何度も繰り返し見ている。

アウグストゥス少年時代は天才少年と描かれていてとても魅力的だし吹き替え白鳥哲が名演している。

このドラマは大ヒットドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」の雛形となっている部分が多くあって同ドラマが好みの人なら好きになると思う。

2022-12-21

アーマードコア二次創作について語る

前書き

かつてアーマードコア二次創作コミュニティーファンにとって分かりやす構造になっていた。


どこか有名どころのサイトアクセスすれば、そのサイトから別の有名どころへとアクセスできるネットワークが発達していた。インターネットってそういうものよね。古き良きインターネット

当初はそのような「有名どころ」について幾つか紹介しようと思っていたのだが、あんまり面白くなさそうなのでやめた。結局、ある一つの有名なAC小説について語ることにする。

タイトルは『人間世界である。今はもう削除されてしまっているが、ネット上のアーマードコア二次創作フリークの中にはこの小説を目にした者も多いであろう。冒頭で説明した通り、AC小説の有名どころに当時は簡単アクセスできるようになっていたからだ。『人間世界』が掲載されていたサイトもまた、そのような有名どころの一つだった。


人間世界

小説人間世界』は、とあるアマチュア小説家によって書かれたアーマードコア二次創作である

主人公黒人男性で、かつては妻子を儲けていたが今は独り身である。また、アーマードコアを操る"レイヴン"を生業としている。彼はある任務ブリーフィングにて、同じく黒人の、若い女レイヴンと待機室で出会う。

レイヴンには人格破綻者が多く搾取主義的な人間も多いことから、二人は出会うなり警戒心を抱き、一触即発のような状態になる。しかし、最終的に主人公の次の言葉が、二人の諍いを鎮めることとなった。

あんたは俺の妻に似ている。

毒気を抜かれた女性レイヴンは、彼が今回の任務市街地に潜伏したテロリスト殲滅する二人のレイヴンの片割れであることを知り、改めて協力関係を構築しようとする。二人はブリーフィングを経て、AC輸送するキャリアに搭乗すると、任務が行われる当該地域へと移動することとなるのであった。

これが本小説のあらすじである


この小説の特徴は、死人が出る度にその数をカウントすることである


例えばこんな具合だ。男のACの肩部からナパーム性の弾頭が発射され、検問詰所に直撃した。加熱された半固体状の燃料を浴びて、検問所にいた二人の男性が死んだ。といった具合に。

男と女はそれぞれのACを駆り、テロリストの陣地奥深くへと侵攻していく。ACは作中世界――『大破壊』と呼ばれる破滅戦争によって文明恩寵を大きく失い、地下へと追放された人々によって構築された黙示録世界――における最強の戦闘兵器であり、その前に立ちふさがった者は次々と死んでいった。老齢の戦士、二人の手練れのパイロット若い兵士女性子供。それらが死ぬ度に作者は死者をカウントしていく。"MTAC廉価版兵器)に乗ったパイロットが二手に別れ、一方が囮としてACの背後に回り込もうとするものの、ACパイロットである男はその目的を悟っていた。男は冷静に正面に立ちふさがるMT破壊する。その後、回り込もうとしたもう一体のMT破壊した。二人の男が死んだ。”といった具合に。

最終的に、二人はテロリストの陣地の最奥部へと侵攻する。その時二人が見たものは、ゲートの前に立ちふさがる複数の子供と女性たちであった。手には旗を掲げ、『Don’t fire !』と文字を書きつけている。


『こんなの聞いていない!』と女性レイヴンが叫ぶ。

それに対して男は淡々と答える。

レイヴンだろ、お前も』

テロリスト排除するのが仕事だって聞いていたのに、こんなのって』

繰り返し攻撃を打診する男性レイヴンに対し、女性パイロット否定言葉を連ね、最終的にこう告げていた。

『こんなこと、人間のすることじゃない!』

その瞬間、男は溜息を吐き、突如として女性レイヴンの駆るACへと攻撃を開始するのであった。


フロムソフトウェアの描く悪意

男は逃げ惑う四脚型ACフロート部位に攻撃を集中させ、AC回避行動を停止させる。もう逃げることのできなくなったACを前に、男はゆっくり距離を詰めていく。女性レイヴンは絶叫する。

私はあんたの妻に似てたんじゃないの

しかし、それに対して男は冷たく答える。

俺にはACしか見えん

男は女性の駆る四脚AC破壊する。作者はその淡々とした描写に更に付け加える。女が一人死んだと。

そして、男は周囲一帯にナパーム弾頭をばら撒き続ける。男たちが暮らす地下世界において空気循環は最重要インフラである。男は炎の巡りが十分であることを確認すると、ACでゲートを突破し、区画の最奥部にある空気循環装置破壊する。男は全ての仕事を終え、燃え盛る地下区画にてACを停止させた。

その後、男の過去についての描写が、あっさりと挿入される。

男はかつて妻と娘がいたが、一緒に暮らすにつれて妻は男に対して憎悪を抱くようになってきた。妻はレイヴンである男を憎んだ。あんたみたいな男は人間じゃない、と。

叫ぶ妻を前に溜息を吐くと、男は妻を殺害し、ガレージの土壌がむき出しになった部分に埋めた。

更に年月が経ち、娘は男に対して反抗的になってきた。

ある時、男はふとしたきっかけで娘を殺し、再び妻を埋めたガレージ一角に娘を埋めることになった。男は溜息を吐いた。また一人になってしまった、と。


そして、物語ラストシーン。再び男のAC炎上する町に佇んでいるシーンに合流する。そして、次のように語られる。

街が炎に包まれていた。

30679人死んだ。

そこにACが佇んでいた。パイロットは暫く死ぬ予定に無い。その男は優れた人間からだ。そしてその男世界中の全ての愚者を嘲っていた。


ArmoredCore6 Fires of Rubicon

これはあくまフロムソフトウェアの手を離れた創作であり、あるいは、フロムソフトウェア作品であるAC世界観とは、直接何の関係も無いと、そう断じることもできると思う。しかし、フロムソフトウェアACという作品を通じて描こうとしていたテーマに、底無しの悪意があるということは明らかである

ACには二十五年前から次のような場面が時折現れる。

市街地を襲撃して護衛の兵器破壊する任務鉄道インフラを襲撃しモノレール破壊する任務。多数の民間人の乗る航空ユニット破壊する任務

それらのゲーム中の要素はフロムソフトウェアが二十年以上前から描き続けてきたテーマであった。つまりは悪だ。

人間は容易に悪になることはできない。ある種の人間にとっては、それは息の詰まる事実である。そこで、フロムソフトウェアはその息苦しい現実に僅かばかりの空気穴を設けようとしてくれたのである。それは、例えば有名なソウルシリーズにおける、聖女アストラエアを自殺に追い込む一連のストーリーなどがそれに当たる。

崇高な目的を以て活動する聖女の、護衛役である男性殺害し、その事実を告げることで女性自殺に追い込むというストーリーデモンズソウルには存在している。このように、フロムソフトウェアは明らかに暴力や悪意や、煎じ詰めれば悪そのものを描き、時にそのテーマプレイヤーたちが演じられるように取り計らってさえくれているのである


先日発表された最新作、アーマードコア6の副題は『ルビコンの炎』である。つまり、かの英雄カエサルが渡ったルビコン川の存在を、象徴的に用いている。

そして恐らくは、そのタイトル原初戦火を、つまり暴力の始まりを指しているのであろうと推察される。


先日公開されたティザームービーでは、凍結し白化した地球映像と、人工の構造物の映像ばかりが流れる中で、川や森といった自然の造形物は映し出されなかった。一方で、過剰なほどにクローズアップされていたのは、ACの頭部に映ったカメラアイの赤い光である

人間を模した頭部の、瞳を模した部分に絶えず映り続ける、赤い光。暴力目的とした兵器の頭部に映り続ける、赤い炎。

恐らく、ルビコンの炎とはそれのことだ。人の瞳の奥底に映る、仄暗い暴力と、憎悪と、悪意を秘めた炎。

古代における戦争の端緒は、兵器にあったのではなく、人間のそのような悪意にあったのではないだろうか。ルビコンの炎とは、我々の中に巣食う原初の悪意と暴力を名指しているのではないだろうか。そのような印象は、前作タイトルAC5のキャッチコピーが、『全てを焼き尽くす暴力』であったこからも無理なく推察できると思われる。

我々人間は悪意を時に成す。我々の瞳の奥底には仄暗い炎が灯っている。それは、いずれ戦火の発端となるだろう。この世界のどこかでは、そのような炎は未だ燃え広がり、人を殺し続けている。

灰の最後の一片に至るまで燃やし尽くす、暴力と悪意の火を焚べること。それが、AC6の描こうとしているテーマであろうと私は推察している。

2022-11-20

猫焼き(ねこやき)は、18世紀以前のヨーロッパで行われていた、厄除けと娯楽を兼ねて猫を焼き殺す催しである五月祭や、もともと夏至祭りである聖ヨハネの日の前夜祭などに、数十匹の猫が網に詰め込まれ焚火の上に掲げられた。中世から近世にかけて、猫は虚栄や魔術と関連づけられており、悪魔象徴として焼かれることがあった[1]。

猫を焼く儀式はかつてヨーロッパ全域で一般的であり、ポルトガルバスク地方フランスドイツイングランドで報告されている。この慣習は紀元前ケルト人風習までさかのぼることができ、ストラボンやカエサルは生贄として動物や人が火に奉げられたことを記している。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E7%84%BC%E3%81%8D

2022-10-06

anond:20220918200837

逆に「切開」という物騒な言葉から日本流行ってないんだろ

英語では「caesarean」(カエサルの)という簡潔でかっこいい名前だぞ

2022-07-26

anond:20220720073032

元増田です。

https://archive.ph/v58xA

ぶっちゃけ、「カエサルのものカエサルに」ができてません、てことよな。

https://archive.ph/ybsyY

大体「民法出でて忠孝滅ぶ」というけどさ、忠孝そのものksやんけ、と言い続けないと行かんなあ、と。

民法コスモポリタニズムで行きましょう、と。

2022-06-22

賽は投げられた

ルビコン川を渡る

回帰不能点を越え、もはや後戻りはできない状態を表す言い回し

point of no return

カエサル2000年前に言った言葉に由来する

日本でこの表現が定着したのはいつ頃なのか調べる

また、この表現が定着する前の日本point of no return状態を表すことわざ的なものがあったのかどうかも調べる

2022-05-23

皇帝を「しいざあ」と読ませるキラキラネーム、あまりにも教養ありすぎて「シーザーってなんだよw カイザーだろw」と馬鹿にされてるの可哀想すぎる。(「カイザー」の語源である「(ユリウス・)カエサル」の英語読みが「(ジュリアス・)シーザー」。)

2022-04-27

素人は何でも戦車って呼ぶから困る

って言う軍オタは、実際にはそれほど多くないんだろうと思うが、ちょっともにょるくらいの人は多いだろうと思う。

ここは考え方を変えて「装軌でも装輪でも火器積んで、薄くても一応装甲があって見た目が自動車っぽくなければ戦車で良い!」ってことにしたらどうか?

で、いわゆる戦車はもうMBTと呼ぶことにすれば良いんじゃないかと。

MBT戦車一種

自走砲戦車一種

IFV=戦車一種

APC戦車一種

カエサルとかアーチャートラックっぽいので戦車じゃない

ハンビー=ジープだよね?

みたいな。

2022-03-28

ウィンブルドンと見せパンアンスコ)、あるいは国会での見せパン論争

テニスアンスコといえばフリフリ白パンツか、紺ブルマーイメージだ。純白のスカートから躍動する脚、チラチラのぞきブルマー。実物は見たことないのに、なぜかドキドキしてしまう。この偽装された記憶はどこから来たのだろう。

ウィンブルドン小史

ウィキペディアによれば、第1回大会センターコートに置いてあった芝生の手入れ用のローラーを新しくする資金集めを目的に、1877年7月9日から始まったそうだ。種目は男子シングルスのみのアマチュア大会だった。

1884年女子シングルスと、それまでオックスフォードで開催されていた全英男子ダブルスウィンブルドンで開催されるようになった。1913年には女子ダブルスミックスダブルスが加えられ、1968年にはプロ選手の参加が認められた。

世界中から強豪選手が参加するようになったため、地元イギリス出身者は長らく優勝できなかった。男子シングルスでは1936年のFrederick John Perryから2013年のSir Andrew Barron "Andy" Murrayまでの77年間、優勝がなかった。また、女子シングルスでは1977年のVirginia Wadeの優勝を最後に40年以上イギリス人の優勝者は出ていない。

ちなみに、このように海外勢いに門戸を開いた結果、地元勢が淘汰され消沈することを「ウィンブルドン効果」という。

開催時期は原則として6月最終月曜日から2週間で、ちょうど英国の社交の季節だ。競馬ロイヤルアスコット(「マイ・フェア・レディ」に出てくるあれ)、競艇ロイヤルヘンリーレガッタもこの時期だ。

ドレスコードが厳しいのでも有名で、原則身に着けるのは白一色である汗じみが見苦しくないようにともいわれる。ブリタニカのページなので確かだろう。

https://www.britannica.com/story/why-do-tennis-players-wear-white-at-wimbledon

女性テニスプレイヤーファッションドレスから見せパンまで

https://www.messynessychic.com/2017/07/07/from-corsets-to-culottes-the-women-who-dared-to-change-wimbledon/

元々、ウィンブルドンでは女性はロングスカートや分厚いシャツそれから帽子かぶることが要請されていた。こちらではコルセット付きだったとも(ただし白い衣装について異説を紹介していることに注意)。20世紀初頭のテニスプレイヤーは道行く女性の姿と大して変わらなかったのである。だから本気で優勝を目指すことはおろか、ちょっと大きな球を返すのさえ大変だった。当時の男性がずっと軽装だったのと対照的である

流れを変えたのはDorothea Douglass Lambert Chambersという選手で、1900年により簡素シャツネクタイ姿で登場した。7度シングルで優勝し、1908年には夏のオリンピック金メダルを取っている。彼女1910年ドレスコードやエチケットについての本を著している。

その後フランスのSuzanne Lenglenがテニス界のフラッパー(新しい女)として知られるようになった。飲み物ブランデーと入れ替えたり、強めのメイクをしたりといたずらも好きだった。負けると感情的になったことでも知られる。彼女は白のみのファッションを許容していたウィンブルドンに立ったが、エキセントリックファッションセンスでも知られていた。ミンクオコジョコートをまとい、当時としては短いスカートプレイしたのである彼女が次の世代女性たちに道を切り開いた。

そして戦後1949年、Gertrude Moran(Gorgeous Gussie)がスキャンダル引き起こした。というのも、ウィンブルドン意匠は白一色だと規定されていたのだが、そのあまりにも「明らさまな」白い衣装に観客はショックを受けた。どういうことか。試合の前にMoranは公式開催主のTed Tinlingに衣装デザインしてくれと依頼していた。一見すると規定に従った衣装に見えるのだが、実際にプレイするとフリル付きの下着が丸見えになったのだ。

これに関し、All England Club’sの委員会は「ウィンブルドンに野卑と罪を持ち込んだ」と猛烈に批判し、国会でさえ適切な衣装についての議論が起こった。Tinlingは33年のキャリアにもかかわらずウィンブルドンホスト追放された。にもかかわらず、Moranは魅力的な姿から彼女は人気だった。彼女は後に「自分はただの女の子だったが、メディアが大げさに書き立てたのだ」という趣旨発言を残している。彼女60年代まで活躍した。

見せパンの定着以降

https://www.thecut.com/2018/08/womens-tennis-outfits-convtroversy-history.html

衣装に関する議論は定期的に起きている。全ての内容を翻訳していてはページが長くなるので、見せパン関係するいくつかのみをピックアップする。

1958年アメリカのKarol Fagerousは金のラメ入りの見せパン全仏オープン披露したが、すぐさまウィンブルドン大会への参加を禁止された。「対戦相手不快にさせる」のがその理由だ。しかし、金のラメを白いレースで覆うことで参加を許可されている。

あるいは2016年ナイキデザインしたベビードール風のテニスウエアがある。しかし、選手身体を隠すのに苦労したし、ひらひらして浮いてくる。実際写真検索するとしょっちゅうパンというか見せパンが丸見えになる。なので、ナイキはすぐにその衣装改善したそうだ。

https://www.slideshare.net/guimera/wimbledon-2014-fashion-through-history

見せパンについてはこちらも参照。たとえば6番目の写真のChris Evert、1976年ピンクの見せパンや、41番のTracy Austin、1981年黄色の見せパン確認できる。50番はTatiana Golovinは赤の見せパン(短パン)で、このときウィンブルドン衣装がすべて白という規定抵触するかどうかでもめたらしい。一応、下着の色は自由だということでおとがめなしだったそうだ。56によるとMaria SharapovaSerena Williamsの赤の短パンが、そして色付きのネイル問題になったらしい。

https://www.dailystar.co.uk/news/latest-news/bbc-bosses-blasted-focus-female-17086364

なお、大衆紙によると2016年BBCの偉い人がテニス選手の見せパンやお尻ばかり撮影したと批判されたようだ。以前にビーチバレー記事でも書いたが、カメラ性的にならないようにする工夫というのは必要である

じゃあパンツの歴史は?

記事が長くなるのでこちらの週刊誌記事を貼っておく。

https://www.news-postseven.com/archives/20190904_1444086.html?DETAIL

エラリー・クイーンを読んでいた時に、確か「Zの悲劇」だったと思うが(いや、「レーン最後事件」だったかな?)、ペインシェンスという娘が恋人スキャンティパンティー、ショーツの別名)を買いに行く場面があった。同時代小説での証言として興味深いのでメモしておく。

https://www.elle.com/jp/fashion/fashion-column/a35747586/history-of-pantslooks2021/

また、パンツでヒットしたのでここに記す。死文化していたが、フランスでは女性スカートでないパンスタイルをはくことが法で禁じられていたとのこと。女性の権利に関して非常に進歩的である地域に見えても、案外不平等システム残滓が残っていたりするのもので、ときおり愕然とさせられる。たとえばスイス女性参政権が得られたのは驚くなかれ1991年である女性への制限男性への制限、どっちでもない人への制限、みんなで少しずつなくしていきたい。

ところで……

よくドレスコードなんかでもめる話で、ハイヒールを必ずはくよう要請される場所というのがある。なんかの映画祭でも話題になっていたことを記憶している。伝統に敬意を払うのは大事だが、はいていないと入場できないのはやりすぎのように思う。ドレスコードってのはみんなが居心地悪くならないようにするためのもので、人を縛るものとはちょっと違う。

例えば、足を怪我していたらどうするのか。もっと極端な話、脚が生まれつきない人はどうするのだ。茶化しているのではない。様々な疾患や障害があろうが困らないようにするほうが、誰にとっても生きやす社会になるはずだ。

結論

余談1

「Tennis Girl」というスカートからお尻丸出しの歴史的に有名な写真がなんと英語版ウィキペディアには掲載されている。ウィキメディアコモンズにはときおりとんでもない画像があるから驚かされる。

余談2

自分投稿ブルマ増田としてまとめてくださる方がいる。あるいは、いつも応援コメントをつけてくださる方がいる。ありがたいことだ。けれども、どうやって拾い上げているのだろう。一日に何千件も投稿されるはてな匿名ダイアリーの中から見つけるというのは大変な作業だ。すべてが注目エントリに入るわけではない。いったいどうやっているのかちょっとうかがってみたい。ブルマーというキーワードで定期的に検索をかけているのだろうか? それともそういうスクリプトが組めるのだろうか?

次回は?

気になっているテーマ複数ある。

例えば女性ショーツ(そして見せパン)の形の変遷、チアの見せパン歴史。また、古代エジプトクレオパトラカエサルと会ったときにどういう服装をしていたのか(絵画のようにトップレスになることがあったのか)、それからトップレスが許容されていていた地域時代的変遷だ。これは身分にもよるだろうし、少し複雑になるだろう。あるいは、どうしてギリシアローマの流れを引き継いだ西洋絵画では、長らく女性器と陰毛があまり表現されていなかったのか。多くの古代文明では時に具象的に、時に抽象的に表現されているのに。謎は多い。

インターネットだけでの調査にはおのずと限界もあるだろう。仕事家事時間がとれるとも限らない。

相変わらず次回はいつになるかはわからない。またいつか会いましょう。

2022-01-27

anond:20220127145749

https://www.y-history.net/appendix/wh0102-091.html

ローマにおいても共和政時代市民重装歩兵として軍事的基盤をになったが、次第に有力者が没落した市民私兵として雇うようになり、マリウスの兵制改革職業軍人制が導入され、市民

体制が崩れていった。カエサル代表される有力者はそれぞれ私兵を養って勢力を伸ばし、互いに争った。

2021-11-18

「さすがのサルトル」とかないの?

ひかりカエサルはあるのに…

2021-10-31

さて選挙行って飯食ってくるとするか。

どこにいれようかなあ。

与党以外にいれるんだけど。

れいわでいいかなあ。

最高神祇官カエサルに❌

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