はてなキーワード: point of no returnとは
厨二感あるのにあまり聞かないのはなぜだ
半端な夢のひとかけらがーって歌詞は出てくるけど、タイトルが出てこない。調べたらPIECES OF A DREAMっていうらしい。もう一つ夏草がーって歌もあるけど、あれもタイトルが出てこない。これも調べてみたらPoint of No Returnっていうらしい。下手に英語でつけるよりか、「夢のかけら」とか「夏草」で良かったんじゃないかな。今更ながら思った。
適当にググってみた。
日韓関係はPoint of no returnを超えました。拉致問題で北朝鮮に対する、尖閣漁船事件で中国に対する日本の世論が激変しましたが、同じことが起こっています。
次の世論調査が楽しみです。
竹島上陸の一件で日本側の隠忍自重や善隣友好の精神は吹き飛び、日韓関係が後戻りできない破滅を迎えたことを、それでも構わない、日本には何をやっても良いと宣言する韓国は、もはや自由主義の価値観を同じくする同盟国とは認められない。何故なら自由主義とは、隣人を尊重する価値観を含むからである— 古谷経衡@『愛国奴』『女政治家の通信簿』発売中 (@aniotahosyu) 2012年8月11日
さて、韓国は遂に後戻りのできない対立へと一気に舵を切ったわけだがその意味がわかっているのかな。今後の日韓交渉では竹島の帰属が曖昧にして先へ進めない。些か無責任に過ぎると思うが辞任したらまた逮捕されそうな状況なのか?(笑)— 徳川 家康 (@bornekiller) 2012年8月10日
釣りをするつもりはない、先に書いておこう。うんこは漏らしそうになったがギリギリセーフだった。お前たちのそういう期待には応えられない。俺の衣類は無事だ。
俺が問題視しているのは渋谷駅の構造だ。お前らは渋谷駅周辺で便意を催したときにどこに向かうだろうか?
20年ぶりに渋谷を訪れた俺は適切なトイレを見つけられなかった。危うく漏らすところだった。お前らは思うだろう、漏らしていないならどうでもいいじゃないか、と。
違う。
漏らすのはある一線を超える行為だ。
誰にでもpoint of no returnがある。軽々しく越えてはいけない一線だ。うんこを甘くみるな。お前の括約筋が担っているものは決して小さくない。ロンドンにはビッグ・ベンがあり、お前の腸にもある。人が飯を食い生きていく以上、当たり前の話だ。
ロンドンでビッグ・ベンは時を刻み続ける――お前の腸内も同じだ。
うんこは時計の針とは違う。ただお前の体を通り過ぎ、いつかは出ていく。
その時、お前はどこにいる?
トイレを見つけやすい街とそうではない街がある。渋谷はうんこのできない街、それでいいのか?
工事の終わらない駅として知られる横浜で、俺はうんこに困ったことがない。トイレの場所は変わらないからだ。
俺の直腸は横浜で勢いよくうねり狂う――そのための場所があるからだ。俺の肛門が活躍できる場所があるからだ。便がほとばしる――俺の身体を飛び出していく。俺の消化器が奏でるビートが、TOTOの白い壁面を鳴らす。直腸を駆け抜ける放出感。誰もが知る、あの満足の瞬間だ。
だが渋谷は違う。
トイレが見つからない。俺の知っていた場所にはない。それでいいのか? 本当にいいのか? お前たちはどこでうんこをする? お前たちの菊はどこで花開く?
主語が大きいことはわかっている――だが、渋谷はうんこに冷たい街だ。いいのか? それでいいのか? 誰もうんこと無縁ではいられない。渋谷にうんこは必要ない――そうかもしれない。だが、うんこを排除することは人を排除することだ。