はてなキーワード: 市民とは
議論自体は割とどうでもいい感じなんだけど、その流れで、お前が卑怯者だ、いやお前のほうこそ卑怯者だ、という言い合いになったみたいなんだね。
で、「卑怯者を殺すべきというなら住所教えろ、俺がそっちに言ってやるから殺してみろ」「○○××に住んでるから来れるものなら来てみろよ」「よしちゃんと待ってろよ行ってやる」ってことで、2/5もしくは2/6に神戸から東京まで出てきたのだが、本人不在、そのまま帰る、ということになったらしい。
で、そんな無駄な金があるならどこかに寄付するか東北に金を落として復興に貢献しろよ、意識の高い市民様、と俺は批判しているわけ。こいつらの議論の本題にはなんの興味もないや。それ以前に行動がバカ過ぎるから。
そんなことしたら、仕事そっちのけで35歳定年に備えて転職活動する奴らが問題になると思う。
たとえば、税金由来の潤沢な資金をバックに研究やら調査やらをきままにやって、その成果を公共に還元せずに転職先の手土産にする奴とかが絶対出てくるし、企業側もそれを狙ってくる。本来であれば広く公開され市民に等しく供されるべき成果物が、特定の個人や企業に独占されてしまうことになる。
個人的に知ってる話だが、某政令指定都市の農水試験場に勤めていた研究員が、その後その果実の一流ブランドになる品種の生産に成功したわけだけど、それを上に報告せずに退職し、あろうことか後から個人で特許申請して、今はその品種のロイヤリティで当人は悠々自適な生活してる、というケースがある。たぶん毎年億単位が転がり込んでるはず。自治体側も自らの監督責任に及ぶのを面倒がって放置してる。本来であればもっと安く、その自治体の税収として長く得られる予定だったロイヤリティだったんだが。
翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」
(訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)
村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。
ところがその目論見は外れることになる。
期待していたのは、バルセロナやパリやベルリンのような街だった。
そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ、劇場、文学、シットコム、フィルム・ノワール、オペラ、ロックといった、
西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタンな世界都市を私は期待していた。
誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。
実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。
そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。
アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、
私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。
最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、
どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。
私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。
そして蜂の巣状のガラス製ピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき、
ついにユキという村上のアシスタントに見つけてもらうことができた。
あまりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。
実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。
そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。
村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初の記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなたの最初の記憶はなにかと尋ねる。
それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。
彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。
流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル。
そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。
「明確に覚えている」と彼は言う。
「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」
村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。
その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶は自分の中にある、と感じた。
ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。
村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分の記憶を写し込んでいたのだ。
村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中、
週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。
その結果、電力、公衆衛生、メディア、政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。
大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。
この本はアジアで数百万部を売り上げ、
まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。
62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学の最高峰としての地位を確かなものにしている。
疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界の大使となった。
そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。
アメリカによる戦後占領を受けた1949年の京都、日本の前首都である。
「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。
「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。
「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。
彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、
そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である。
彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説とジャズに没頭して十代を過ごした。
二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブを東京で開いた。
掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、
作家としての村上のキャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。
どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生を根底から変えてしまう。
29歳の村上は地元の野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴ・ヒルトンというアメリカ人助っ人バッターが二塁打を打つのを見ていた。
平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上は天啓に打たれた。
そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。
そして彼は書いた。
数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。
それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。
アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。
わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。
『名犬ラッシー』、『ミッキーマウス・クラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲、フランスの映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディラン、マーヴィン・ゲイ、エルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストック、サム・ペキンパー、ピーター・ポール&マリー。
以上はごく一部に過ぎない。
そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本の芸術の引用がまったくない。
村上作品のこうした傾向は日本の批評家をしばしば苛立たせている。
そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆に時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。
「時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。
30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。
すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。
彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。
そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。
「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」
そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。
30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンル(SF、ファンタジー、リアリズム、ハードボイルド)と様々な文化(日本、アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。
どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。
そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。
彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。
なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。
とはいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。
特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。
安全な言葉遣いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。
私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。
数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。
彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロン掛けが好きだという)。
靴は履いていない。
彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップでブラックコーヒーを飲んだ。
その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からのお気に入りの小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。
話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。
その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。
「大きいな」と村上は言った。
「電話帳みたいだ」
下記の文章を送信しました。
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本来、大阪市に住むものではないので、大阪市の税金の使い道にあれこれ言うのは筋違いかもしれませんが、
送信させていただきます。
必要になってきてしまうのではないでしょうか。
さらに、それらは買っておしまいではないのです。
常にメンテナンスが必要で、その維持費もバカにならないというところです。
大阪市音楽団は、東京で営利団体化し、商業吹奏楽団として変化するのであれば、
採算が合わず、解散ということになってしまう危険性をはらんでいると考えます。
これは、京阪神地区で吹奏楽の演奏活動を通じて子供の情操教育や、
楽器演奏への間口を閉ざしてしまう結果となりえると考えています。
まずは、「市民の対価への考え方を変える」こと。
このように私は考えております。
突然民営化するには大阪市音楽団をただ潰すということになってしまうことから、
そうならないように必要な環境の整備を同時に行いつつ、
段階的に民営化することは、
そして問題なのが、大阪市音楽団は全国でも数少ないプロの吹奏楽団である。
というところです。
これを潰すようなことになってしまうと、全国の音楽・吹奏楽愛好家に申し訳が立たないと同時に、
学校教育で吹奏楽で目標・指標となるものがひとつ消えてしまうことになります。
どうぞ、この点をお汲み取りいただけます様。
宜しくお願いいたします。
まず橋下市長の敗北とは何かを考えると、市民の支持を失い次の選挙で落選する事だと思う。
落選させる為には市民が橋下市長以外の人に一票を投じないといけない。
市民は候補者たちの「何をやるか」という約束を並べて検討し、一番期待できそうな人に一票を投じる。
全候補者の約束に期待ができない場合のみ、消去法で一番不信感の低い人に票を投じる。
という事は「橋下市長のどこがダメか」を延々と訴え続けてて不支持率を上げても、
他に期待できる約束を提示できる候補者がいないことには確実に落選させる事は難しい。
市民は消去法など本当は選びたくない。
「候補者のどこがだめか」よりも「候補者が何をしてくれるか」が大事なのだ。
さあ頑張れアカデミズム。答えはもう出ている。
まあ食えない奴が急増して、そこらじゅう行き倒れの死体が転がりまくりな事態になったら普通に嫌だわな。
でも強制的に徴税されて、とりえのない奴に配布されて、それをとりえのない奴らが当然の権利と思っているのが狂ってると思うんだよ。
違う違う。
社会保障の無い世の中ってのは、一部の人間を除いて、未来に不安しかない世の中なんだよ。
病気になったら大金がいる、職がなくなっても大金がいる、大きいケガなんかしたらそこで人生終わり。
だから、社会保障の対象に当てはまる人は、「当然の権利」として主張できなくちゃいけない。
そこに「とりえがある」なんて項目を付け足した瞬間に、制度としては死に体。
2011年12月31日、僕の父方の祖父、父の父が亡くなったと田舎から連絡が入った。
葬儀は三が日が明けた4日になるそうだ。父の田舎の風習で、先に火葬を行うとのことで、火葬を3日、葬儀を4日に行う予定だ。
父は長男なので、当然喪主となるべきところなのだが、数年前に脳卒中をしており、言葉と体が不自由だ。
近しい親戚がいるので、その親戚が喪主をすることになる。本来は長男である父がすることであるのはわかっているのだが、
挨拶が満足にできない、歩くのも立ち上がるのにも時間がかかる父が、喪主のような忙しい役目は果たせない。
親戚が喪主を務めることには誰も反対しなかった。大晦日の時点で、祖母もそれを了承していた。
我が家は田舎から離れているので、2日には現地入りができるように移動手段・ホテルの手配をした。
ここでも本来ならすぐにでも駆けつけなくてはいけないのだが、31日はまだ帰省ラッシュであり、新幹線も飛行機も取ることができなかった。
ここからが問題なのだが、1日年が明けた頃に親戚から連絡があり、父は出席をしないように、と母が言われたのだ。
田舎では、脳卒中のような病気で障害をもつと、狐に憑かれたとか、祟られたと思われるというのである。
父が脳卒中をして体が不自由なことも祖父母は近所に話をしていなかったそうだ。
そんな馬鹿な話があるだろうか。
実の息子である父が、障害を持っているからといって、葬儀に参加できない理由になるだろうか。
そりゃあアメリカだって創造論や神の存在を一般市民が信じているのだから、日本の片田舎の住人が狐の祟りを恐れていても不思議じゃない。
しかし、親の死目に立ち会えなかった父が葬儀に出れない理由にはならないだろう。
無理解ゆえの憤りを、これほど覚えたことはない。
もちろん親戚や祖母も、父には来て欲しい気持ちがあるのだ。それは分かっている。
だからこそ、世間の目のために葬儀に出席できないというのは、やりきれないのだ。
父は言葉が不自由だからか、葬儀に連れて行かないことを告げても何も言わない。
おそらく田舎の考え方が分かっているのだろう。しかし、葬儀に出たくないはずがない。
普通の家庭なら、親の葬儀にはなんとしても参加したいはずなのだ。どうかしている。
長男不在のまま、長男の息子として出席する。おそらく何かしらの役目を果たすこととなるだろう。
きっと会ったこともないような祖父の知り合いなどに、父は病気で来れない、とか嘘をつくだろう。
そう言うように、という説明を親戚なりから受けるのだろう。
どのような顔をして親戚や祖母に会えばいいのか、まったく分からない。
教育とか宗教とか、原因を挙げて批判したって虚しいだけなのだ。
実際彼はある種独裁的で、現状の問題に対して民主主義的解決をする気は(あまり)ないというのを理解した上で
「民主主義のルール」に抵触しない形でやっていると自分は評価している。
橋本氏は「"市民"社会組織の自治」も「反対意見へのアクセス権」も認めている
発言に矛盾はない
風当たりの矛先を一般市民に向けるのは、これは本当にお門違いだろう。
あなた方大阪市市職員が一部の労組員のせいで槍玉に挙げられているというのなら
矛先はその労組の連中に向けるべきだろう。
問題の労組員の排除に尽力して、そのうえでここにpostするべきだ。
「わたしたち一般職員は橋下市長とともに労組員の排除に成功しました。その経緯を説明します。」と。
上述している主の言い分を真に受けて「そうかぁ市職員も悪いひとばかりじゃないんだな、うんうんわかる、職員さんカアイソウ。」
なんて靡く一般人が出てきちゃったら、せっかくの橋下市長の政策にほころびが出るばかりか
問題の労組員の格好の隠れ蓑を作ってしまうことになり得ると思わない?
ははぁ~ん、主の正体は労組員だな?と疑われる羽目になるとか、考えつかない?
同じ穴のムジナに見られたくなければ、やるべきことは一つしかないだろ。
このpost見てつくづく、一般人の感覚とどれだけ乖離しているか改めて理解した。
この役立たずの穀潰しめ。
そこは正直別問題だと思うよ。役所がどうこうっていうより日本全体の問題だし、うち(民間)でも年功序列の恩恵に与った爺どもは美味しい思いしとる。
あとヤミ専従は違法だから罰せられるべきだと思うけど、正当な権利の範囲にある労組活動そのものまで潰しに掛かってるのは反対かな。
マネジメントの問題は人的な問題っていうより制度的な問題だからねぇ。府民・市民が「いかに大阪府をシンプルな制度にするか」って考えていかないとどうしようもない。
それにマネジメントの問題なので働いた分の給料は寄越せってのは正当な要求だよ。少なくともマネジメント側が失敗しておいて下っ端に責任押しつけるのは間違ってる。
公務員は「お役所の適切な地位は上場企業平均レベル」くらいだと思っていて、市長は「お役所の適切な地位は中小ブラック企業」くらいだと思ってる
多分その差
まあ大企業だって東電みたいなことはあるわけで、お金がない以上は長期的に合理化に進むことは適切だと思うけど、そういうのって本来は労働者に責任押しつけて終わりって話なわけなくて経営者(市長)や株主(市民)の問題でもあるわけで、安直に不法労働行為で乗り切ろうとするのは色々問題があると思うよ。
お役所が守らん労働基準法をどこの民間が守るんだよって話になるわけで、一周回ってリーマンが自分の首を絞めることになる。
そもそも公務員叩いて溜飲下げてはい終わりって話でもないし、元々大阪府・大阪市の財政問題は人件費が主たる問題ではないので、このまま行くと溜飲は下がるが何も解決しないことになりかねん。
友人家族からこの一ヶ月で10回以上言われた言葉です。もうさすがに聞き飽きました。マスコミというのは本当にいい加減な情報を流す事があって、いったん流れ始めた適当な情報はなかなか消えずにこうやって固定観念として人々に植え付けられてしまいます。
敵視していません。全くの誤解です。むしろ大半の職員は諸手を上げて歓迎しているぐらいです。。。
大阪の財政難が全て大阪市の職員の責任であるかのごとく報道するテレビメディアのせいで、ここ数年市民からの相当きつい言葉が職員に日々投げかけられています。
「ぬくぬく生きやがって高給取りが」冗談じゃないです私の給料はむしろ世代平均を下回っています。
「お前も労組なんか?市民の税金で労組活動とはどういう了見やねん」私は労組じゃありません。
市民と直に接する部署では毎日のようにこのような罵言が職員に浴びせられます。「大阪市公務員」とひとくくりにして、悪者扱いするマスコミのせいで市民の職員に対する敵意感情は異常なほどに熱を帯びています。怖いです毎日。明らかに離職率が高まっています。
私たちは決して大阪市民を出し抜いてぬくぬくと生きているわけではありません。普通のサラリーマンと同じ程度の給料と、職場環境で淡々と働いているだけです。
一部で報道されている労働組合については我々一般の職員も常日頃から疎ましく思っています。信じがたいかもしれませんがフルタイムで組合活動に従事している職員もいます。その人達の大義名分は「職員のために我々は闘う。それが市民、そして大阪市全体の為になる。」意味がわかりません。彼らがフルタイムで組合活動している穴埋めを他の職員がやっています。その結果市民へのサービスは劣化します。組合活動の利益を享受できるのは一般職員でもなければ市民でもありません。組合中枢の幹部のみです。大阪全体の癌と言ってもいいです
だからこそ新市長の当選に我々は沸き立ちました。敵視しているのは一部の職員だけです。特に労組関係のパニックぶりはちょっと笑えます。早々に新市長に白旗を上げてギブアップした労組職員もいるようですが、一般職員からもフルタイム労組職員からも白い目で見られて居心地が悪そうにしています。
そんなに頭は良くないですし器量も良くないかもしれませんが、コツコツと大阪市民のために仕事をしているつもりです。
繰り返しになりますが世代平均よりも給料は低い方です。公務員といっても色んな職務があります。一緒くたにしないで欲しいのです。我々を敵視しないでください。
フルタイム労働組合従事者のような人達は新市長の下で淘汰されるはずです。
市民vs職員とか市長vs職員なんて構図は存在しません。存在してはいけません。
はあ年末に何書いてるんだろう私。
それではよいお年を。
おやすみなさい。