はてなキーワード: 輪廻とは
・回線がつながらない
→わかる。だって市人口に比べてこの窓口4人しかいないもの。全員初日から裸足で逃げ出すほどのクレームの荒らしでコールセンター慣れしてる私達だけが残ったのよ。そしてそのクレームの大半が「回線がつながらない」。もともと回線が少ない&人が少ない=クレームが来やすい状況でクレームの嵐にあえばそらそうよ。環境がクレームを呼び、クレームがクレームを呼んでいる。そしてクレームになることによって通話時間が伸び、また回線が激混みする。クレーム輪廻地獄。ネットを今から人類の必修科目にしろ
・接種予定日が埋まるのが早すぎる。
→そうだね。そもそも一日数百人が限界らしい。どんだけスムーズにいっても会場設備が限界。ワクチンの保存場所もある。冷凍なのが意外にやっかいだそうで。あと車椅子とか入れるスペースもいるし、ここでもまた人が足りない。よぼよぼのおじいちゃんドクターに注射の練習してもらって参加を頼んでいる市町村もあるらしい。私の派遣先も近々そうなるらしいけどマジ???大丈夫?????
・なぜ予約制なのか
→マニュアルでは「会場の混雑回避及び、ワクチン管理と接種ミスをなくすため」らしい。どっかのとこで飛び込みで来た人をうっかり受付の人がとおしちゃって即日打てたってニュースがあったじゃん?受付が通しちゃっし余ってたしで特例で打ったのか、何なのか理由は知らんが。あれを見て当接種会場でも「キャンセルを職員に打つくらいなら私に打て!税金払ってんだぞ!!!」とゴネて打たせようとした人がいたらしい。そしてそれに関してのお問い合わせも増しマシ。ここ予約専用ダイヤルなんで苦情は総務によろしくー
・各自治体によって対応が違いすぎる。〇〇はもっと早く終わっていた
→その〇〇は村ではないですか?調べると大概私の勤務先の町より小規模か、逆にめちゃくちゃ大規模かなんですね。そらそうよ、としか。喉元まで「お引越しされてはいかがですか?」と出かけて「申し訳ございません〜。こちら窓口ですので担当のものにご意見伝えておきます〜〜」とへいこら。そうなんですよ。ここ予約窓口なんですね。引っ越せ
→逆に聞くけど、ワクチン打ってない人に対応されるのこわくない?まぁこれは個人的なご意見やし早く打って欲しい気持ちはわかるんやけど。ちなみに回答例は「基本的に当日キャンセルは予測できませんし、例えキャンセルが出ても解凍前にロット数で調節できれば余剰が出ない場合もございます。また混雑と二度打ち等防止のために当日での飛び込みやキャンセル待ちはご遠慮いただいております」です。予約制なのになぜか早い目に来れば早く打てると思ってる人もおるしね。そんなわけないやん。混雑やめてー。早朝の混雑エグすぎ
・キャンセル分があるのは知ってる。今打て
→お前総務の人のフリしてキャンセル数聞いてきたやつだな?もはや犯罪だよ。そらうっかり確認せずに基本的に秘密のキャンセル数を言っちゃった派遣の子にも落ち度はあるよ。あるけどこのクソ忙しい上に外部の人間が行き来する中で「総務の〇〇です。今外から個人ケータイでかけてるんだけどコールセンターのAさん(ベテラン派遣さん)います?あ、対応中ですか?そうですか。あ、今日初めて派遣に来た子なんだねー。申し訳ないけどワクチンの数が合わないから今日のキャンセル数すぐ教えてくれへん?」って来たらそら教えるでしょ。詐欺師か。そこまでして早めにうちたいんか??????怖いわ
・何度も同じクレームを言わせるな
→何度も同じ説明をさせるな。お前が同じクレームを言う限りこちらは同じ回答を言うしかないんですー。そしてそもそもこのダイヤルは予約ダイヤルでご意見は聞くんじゃなくて預かることしかできないんですー。あと検討中のは検討中以外わからないんですー。
→きみ昨日も同じクレームいれてきたな???昨日の今日で決まるくらいならはじめっから検討中にはならないのではないのかい?(ボブは訝しんだ)
・窓口じゃ話にならん。市長を出せ
→全住民がお前やったらこの市町村も平和やろーなー。うそ。地図から消えてそ。バイオ村のがマシレベル。まず財政から立て直す案でももってこいや。ワイは派遣やから定時退社で残業代も出るけどもう現場職員は過労認定出とるで
・今から直接乗り込んだるわ!オレは□✗(出身地)の〇〇や!!この〇〇✗✗(放送禁止用語)!△✗○(恐喝)!□□○✗(犯罪予告)!!
→あんまこんなん言いたないけどそういうことするから差別されるんとちゃう?学校で習った時はなんで出身地ごときで差別されんねやと思ってたけど、君が当時の人間でもないのに被害者意識丸出しで今も恫喝紛いなことするからや。世代も変わって外部の人も移り住んできて普通に暮らしとる人もおるのに。せやからスタッフの間で「○✗の住所は要注意」ってお触れがこっそり回るんや。あと録音しっかりしとるから後日謝罪に来いよ。警察も呼んどるで
時給いいし仕事無いしでコルセンどうかなって思ってる人は参考にしてみてね
もちろん各自治体によって違うよ
受け流せる人やこうやって愚痴って昇華できる人はむいてるかもね
それ以外の人はせんほうがええと思うよ
・
2020/1/19(コロナ前)
去年結婚した。結婚に伴い、新卒より働いていた会社をやめ、福岡に越してきた。Web系に再就職したが、給料が安い。自分で選んだとはいえ、みじめだ。仕事はキツくないが、常に追われている感じはずっと続いている。根底には常に焦燥感がある。これならば、前職と変わらないではないか。むしろ、前職の方が良かったかもしれない。
福岡に来て、友達と遊ぶ機会がなくなった。代わりに夫と過ごす時間が増えたが、既にマンネリ気味だ。
他者との交流の代替なのか、kポップのペン同士で交流にのめり込んできた。はじめは、EXOが好きだった。今も好きだけど、どちらかというと、フォローしている人とやり取りするのが楽しくなってきているのかもしれない。一度もあったことがないのに、ツイートを見て、リプライして、現実の友人よりプライオリティが高くなっている。情けない話だ。
プライドが高いせいで、フォローしている人と自分を見比べ、渡韓できないのが悔しくなってしまっている。〇〇がしたい!と思っても、夫の目が気になったり、実際に止められれて、出来ないことが増えた。一人暮らしをしていた時より、不自由なことが増えて、ひとりの時間もなくなり、「結婚とはなんだったのか?」と考えるようになった。
結婚すれば、必ずしも幸せになると盲目的に信じてたわけではないのに、今直面している現実を受け入れられない。不幸なことに、私は金銭的な理由で、離婚なんて決断はできず、おそらくずっとこのままだ。
この状況が好転することはあるのだろうか。薄々気付いているのは、どんな状況でも不平・不満は必ずあると知っていること。それを承知の上で、この先もずっと、この不幸は続いていくのだ。
来年こそはイギリスに行こうと思ったとき、私に来年があるのかと思った。自殺はしないだろうから、来年はあるのだけれど、自由に出来る身体なのか、自由に決断できる環境なんだろうか。
あの時はこんなことを考えるようになるなんて、思いも寄らなかった。新しい人生の始まりに胸がわくわくしてた。まさに、一寸先は闇。
「終わった」人生は、とても味気なく、何のためにこの先も生きていかないといけないのかと考える。いや、考えないようにしてるが、もはや私の人生を生きていた時の気力はなくなった。
顕著なのは、外見がそこまで気にならなくなったこと。そこで、カンフル剤のように私の人生に、喝を入れているのが、EXOだから、これはもう宗教なのかもしれない。
中高での毎日の礼拝は何も響かなかったが、今なら懸命に祈るかもしれない。どこに向かって、人生を進めているか分からない者にとって、キリストの教えは羅針盤のように道を照らしてくれる。古くから人々が宗教にすがってきた理由がよく分かる。
この先もずっと続くであろう鬱々とした私の人生の霧が晴れることはあるのだろうか。それとも、「諦めが肝心」と自分を納得させるしかないのだろうか。おそらく後者であるが、現状を打破する方法が皆目検討つかない。いや、わかってはいるが、怠惰な自分がそれを選んでこなかっただけだ。
いつから、私の人生は終わっていたのだろうか。絶頂期をすぎ、暗く長い坂をゆっくりと転げ落ちている。行き着く先は地獄だが、あまりにゆっくりとしたスピードなので、到着地が地獄なんて気付かなかった。まあ、人生なんてそんなものなのかもしれない。
結局死に向かって突き進むほかないのだから。
この日常に耐えきれなくなったら、その時、また人生について考えようと思う。
2020/1/19の私の日記は、私にしてはよく書けていて思わず感嘆してしまった。
いまの私は五月病なのか、暗い日々を過ごしている。2020/1/19に比べ世界は大きく変わった。大袈裟ではなく、あのコロナウイルスによって生活様式が一変した。「世界が変わった」と言っても差し支えないはずだ。
私自身の環境も大きく変わった。生活を良くするために仕事を変えた。元鞘に戻ったというのだろうか。住むところも変わった。
なのに、この憂鬱な結果はなんだろうか。
ずっと纏わりつく閉塞感、無気力感。当時感じていた強い絶望感はないけど、じわじわと私の気力を奪っていく。何をしても楽しくない。何も食べたくない。もはや人生の目標なんて考えない。目の前の時間を問題なく過ごすことで、いっぱいいっぱいだ。
八方塞がりに近く、ただ日々の時間が過ぎるのを待つ人生。これが、これからも続くのだ。ぞっとする。
コロナで死ぬと遺体となっても、家族と対面出来ないまま灰となる。それは、あまりに酷だ。私は魂の救済や輪廻は信じていないが、遺された家族があまりに不憫で可哀想だ。今までは無かった死に方は、遺された者に多かれ少なかれ影響を与える。なるべくなら、そういう最期は避けたい。
だが反面、不可抗力にも近い形で人生を終わらせることが出来るコロナは、今の私にはとっては福音でもある。恥ずかしい話だが。
あまり苦しまずこの生を終わらせたい。出来れば、交通事故のような突然死ではなく、徐々に時間をかけて自分が死ぬ事実を、家族が理解できるスピードで終わらせたい。
流行りの病で亡くなった事実は、あまりにやるせないが、死に対して一定の説明責任を果たす。本人の精神状態を問わず、運悪く流行りの病に罹患して命を落とした事実だけが残る。精神が鬱屈していたかどうかは関係ないのだ。無視される。好都合だ。
この世界を変えた感染症が収束した時、私の気分は少しでも晴れているといるだろうか。おそらくだが、そこまで明るくなく薄暗いじめじめした中をナメクジのように這いずり生きているだろう。最悪だ。
1. 白装束に着替え、儀式での作法を覚えさせられる。「南無阿弥陀仏」と10回唱え、独自の拝み方を
覚える。信貴山朝護孫子寺の張り子の虎のように、首を振って頭を打ち付け眉間(白毫)の第三の目を開
2. 儀式は仏間で行われる。手を消毒薬で洗い、口を塩水でゆすぎ 再び手に塩をつけて流す。一人ずつ
順番に並び、仏間に入る。目をつむり、胸元で死人の様に両手を組み、襟をつかむ。合図で前にある打敷
きに頭を打ち付ける。
「よし」と言われ、信心決定となる。お礼で、五体投地と「南無阿弥陀仏」を唱える。
3. 仏間は暗い布で囲われ、祭壇と阿弥陀如来の掛け軸がかかっている。 日光菩薩、月光菩薩と一体に
なる儀式。善知識と対面して座り、片手を合わせる。善知識の「南無阿弥陀仏」を復唱した後、強く息を
吹きかけられる。口をつけた盃の水も飲まなければならない。日光菩薩は10回、月光菩薩は5回行う。
4. このことは絶対に他言してはいけないと宣誓させれれる。順番に、鈴を鳴らし、「絶対に他言致しま
せん」と誓約。
5. 次の日は、朝早くから白装束で仏間に入る。その後、菩薩となった証を見せ
るとのことで、黒法衣で外に出る。太陽を直視することができるようになったとのことで、太陽の輪郭が
はっきりと見える。太陽を見た後でも足元の暗いところがはっきり明るく見える(日想観という)。
6. 儀式を受けたので、死して六道輪廻に入らず、阿弥陀のもとに行ける身となったと説明。そして、
7. もうひとつの証は、化仏化菩薩を見ることができる。また外に出て、黄法衣の方に見方を教えて
もらう。方法は、青空を見上げ、眉間の20cm程前に焦点を合わせていくと、空中に白い小さな光が飛
び回るのが見える。眼鏡をかけても見える。背景を白い壁に移しても見られる。
【参考:ブルーフィールド内視現象】 http://nenbutsushu.blog.163.com/blog/static/192499239201171183815163/
8. このほかに月を見ること(水想観)もある。日想観・水想観・化仏化菩薩、この三つが重要であ
る。最後に「南無阿弥陀仏」と写経した紙を仏間に供え、線香をあげて経を唱える。そして、写経した
「南無阿弥陀仏」の紙は、家に帰り、夜中12時前にへその上に貼って眠った後、早朝、近くの川に流し
に行く(御六字)。
①社会的地位を利用し、断りがたい立場の人に狙いを絞り、お金は38万必要だ
が とてもいい話が聞ける。この様に誘われることすら、得がたいことであ
り、行けば必ず納得してくれるだろうと、教団名、宗教であることを隠して
勧誘する。
②京都へ行けば、2日間にわたり、念仏宗・無量寿寺信者としての(かなり洗
このとき、念仏宗の秘儀というものも教わるが、(太陽を裸眼で見る方法、
化仏、化菩薩を見る方法等で、この秘儀を伝えられたことにより、極楽往生
が決定し菩薩の仲間になったと教え込まれる。) これは普通の生活では経
験していないことを教えるだけで、同じようにすれば、誰でも見える。また
徹底した秘密 主義を誓わせ、たとえ家族のものであれ念仏宗無量寿寺で聞
③釈尊本来の仏教というよりも 浄土系、密教系の複合したもので 開祖、久
世太郎(本名 福井真尚、別称 戸倉貞和)教と呼ぶべきものである。ちな
みに開祖の前歴は占い師で詐欺による訴訟を神戸地方裁判所にて起こされた
こともある。
④念仏宗 無量寿寺の会員(同行という)になると、3人を済度(信者を勧誘
すること)するノルマを与えられる。
⑤学術的文献によれば一般に 「隠し念仏」と呼ばれている。浄土真宗側から
仏教歴史学によれば、秘事法門と呼ばれ、 布団被り、御蔵法門、御杓子講
空也派、天王寺派等、が存在するようだ。念仏宗が、どの派に近いのか、ま
た、混交したものであるのかは不明である。 いづれにしても 善智識と呼
ばれるものを立て、自宗の奥儀として儀式を秘匿し、門外に他言すれば地獄
におちると 信者に言い含めるのが特徴としてみられる。
⑥2チャンネルの「念仏宗無量寿寺」掲示板や、「知りたい。。。」掲示板の
元信者、現信者家族の書き込みに寄れば 無量寿寺への入信が原因で、離婚
や、家庭不和、鬱病に悩まされているという報告が数多く寄せられている。
また、念仏宗の幹部、であり、回向相伝を授けられた土屋 悟 氏が(2001
護持費(会費)1口 2000円・・毎月支払い、口数は各信者の自由意志
その他、地方会費(各地区の別院、檀信徒会館、等施設維持のため)として
信者1人当たり1000円 ~5000円/毎月)の支払いがあるようだ。
回向 (先祖供養等) 一体1口 10000円 (1年に先祖1人につき6回必要)
集中回向 一体 100000円
法名 100万円
仏像 一体 100万円
本堂の柱 寄進 1本 1000万円
⑧念仏宗無量寿寺は昭和54年に宗教法人としての認可を監督官庁から受けた。
平成4年に 日本の仏教 第14宗として監督官庁に認可されたと、無量寿寺
の月刊誌に書いてあるそうだが、監督官庁が認可した事実は無い。
⑨開祖の久世太郎は 真言宗第195代 琳真大僧正の6番目の末弟というふれこ
みだが、真言宗に確認してみると そのような事実は無いとの返答であった。
⑩念仏宗・無量寿寺 信者として、六大祭事(初詣、大涅槃会、観音祭、降誕
⑪これまでに5回 世界仏教サミットを開催しているが、これは念仏宗のお手
盛り、宣伝的なイベントであり、 日本の仏教会からは 全く無視されてい
る。
日本の仏教会は、全日本仏教会という組織(日本仏教会の9割以上が参加)
があり、これまでに20回以上も 世界仏教徒会議というものに参加している
を受けるに当たっては 五具足相伝に300万円、回向相伝には1000万の冥加
金を支払わねばならない。
念佛宗では信者が儀式の際に使用した上記のものを死後8時間以内にこれら
を身に付けさせ、蝋燭を燈さなければ輪廻の輪から解脱出来ず、極楽浄土へ
向かう事が出来無いとしている。
胎内にいる間に、仏との縁を結び、無事にこの世に生まれさせていただくと
いう儀式 いわゆる、安産祈願、不退は産まれてくる子が 真実の道、浄土
へ向かう道から外れないという意味を含むようだ。この儀式を受けたあかち
ゃんは臍のおが白いと云われるが、元、念仏宗信者の言によれば、他のあか
開祖の久世氏をはじめとして、法主:宮川氏、善智識:郡氏、清水氏の4名
かと思われる。清水氏は企業セミナーの講師もしているとの情報あり。
⑯念仏宗・無量寿寺 同行となったものは 精進しなければならない。(具体
的には、本山、 別院、檀信徒会館、王堂 関連の 維持、管理、世話等の
仕事が順番に回ってくるらしい。)
「年が若くて美人なら天使のように優しいはず」、という謎の偏見ってどこから来たんだろう。現実で「天使のように優しい美人」と彼女や友達付き合いをした経験があるからとか?それともマンガとかアニメとかなの?
昔のアニメって「美人だけど性格悪い役」って定番だったし、「美人だけど性格が悪い」「イケメンなのにヤリチンで性格悪い」「カネモチだけど屑」みたいなのって、当て馬役の典型だったりするじゃん。陳腐だけどある種のステレオタイプでもあると思うんだけど、そういうのに触れてこなかったのかな…。
もちろん、優しい美人もいくらでもいるよ。でも、それを言うなら優しいブスもいくらでもいる。子供の頃からの友人にふくよかで美人とは言えない友達が居るけど、彼女はすごく優しくて思いやりのある人で、見た目のアドバンテージは小さかったかもしれないけど、良い出会いがあって結婚して、今でも落ち着いた良い家庭を作ってるよ。私も彼女の存在に助けられたことがたくさんある、でも彼女だって、いつでもごきげんに落ち着いて人を助けてばかりではない。私がサポートになったことも(多分…)あると思う。
そもそも、美人だろうが不細工だろうが若かろうがBBAだろうが、24/365いつだって誰に対してだって優しくあれる人なんていない。逆に、いつでもどんな時でも他人に敬意を持てずに優しく出来ない人ばかりでもない。みんなそれぞれのキャパシティのなかで誰かに優しくあろうとするだろうし、自分のキャパシティを超えて優しさの大安売りする人なんてまず居ない。居たとしても、そういう人はもう少し対象を広くしてボランティアとか社会活動してたりするけど、金でコミュニケーションを買って甘えたがるような無職の童貞にまで、そんなにエニタイム全方位に優しくコミュニケーションしたりはしないと思うよ。もっとお金を貢げば(高級クラブとかに通えば)ショーバイとしてその時間内だけは優しくしてもらえるだろうけどね。
そもそも、特に男性、特に特にオッサンなんて、人類のなかでも他人に優しさを提供することが少ないカテゴリなわけで…ほんっと、自覚無いよなー。人に優しくしてもらえないのは、自分が人に優しくしないからなのにさ。
もちろん、優しいオッサンも沢山いるけど、優しさ貢献ほぼゼロみたいな人もたくさんいるよね。そして優しさ貢献ゼロに近い人ほど、コミュニケーションコストを負担せずに甘えたことばっかり言うし、女や若い男女に優しくないと言って(年長への敬意はないのかとか言い出すんだ)怒り出す。
コミュニケーションコストを負担せずに優しくだけしてほしい、それもBBAより若い美人がいいとか、どんだけ図々しいのよ、あの増田やあの手の人間は、死んだら餓鬼道に落ちて一生輪廻せずにいてほしいわ。
昔々、それはもうあきれかえるくらい昔。重箱の隅をつつくようなこの世界の片隅に、
仙人のごとく白髪白鬚を腰にまで下ろした枯草のような顔のおじいさんと、
齢千年に及ぶ木の皮の表面のようにしわくちゃな顔のおばあさんが住んでいました。
おじいさんは大気圏を超えるほどそびえ立つ山へ芝狩りに、
おばあさんは大河のように広い川へ、一億二千枚の服の洗濯に行きました。
おばあさんが川で怒涛のように洗濯をしていると、
ドドドドドドドドドドドドドンブラコ、
ドドドドドドドドドドドドドンブラコと、
大河の両岸を削りながら超巨大な桃が流れてきました。
婆「おお、こいつは重畳(ちょうじょう)!!じいさんへのみやげにしてくれるわ!」
おばあさんは超巨大な桃によってできた洪水を乗り越え、その桃を片手でつまみあげると一飛びで家へと持ち帰りました。
そして、おじいさんとおばあさんが桃を食べようと、対城用超超巨大白銀刃(しろがねやいば)で舞空術(ぶくうじゅつ)からの天地開闢(かいびゃく)切りで桃をたたっ切ると、
なんと中から家の屋根をぶち破るほどクソデカい男の子が飛び出してきました。
爺「でかぁあああい!説明ド不要!こいつは神様からの超贈り物ぉ!」
子どものいなかったおじいさんとおばあさんは三日三晩踊り狂うほど大喜びし、二人は男の子をクソデカ桃太郎と名付けました。
クソデカ桃太郎は笑っちゃうほどスクスク育って、クソ強い男の子になりました。
桃「このちっぽけな銀河の端くれでクソ鬼どもが悪さをしているらしい。俺は惑星鬼ヶ島へ行って、悪鬼羅刹(あっきらせつ)を退治してくる」
おばあさんは天界で仕入れた黍(きび)を使い、地表の三分の二を覆い尽くすレベルの黍団子を作って渡すと、クソデカ桃太郎は、その九割を一口で食べると思い切り跳躍して宇宙へと飛んでいきました。
アステロイドベルトにまで到着すると、月くらい大きい犬に出会いました。
桃「クソ鬼ヶ島へ、クソ鬼退治に」
犬「それでは、お腰に着けた黍団子!一つと言わず全部くれ!お伴してやろう!」
桃「貴様には一つだけで十分だ!」
犬は隕石大のきび団子を口に突っ込められ、桃太郎のおともになりました。
そして、アンドロメダ銀河を飛び越えると今度は木星くらいあるサルに出会いました。
桃「クソ鬼ヶ島へ、クソ鬼退治に」
猿「それでは、お腰に付けたきび団子!1つと言わずお前ごと食らってやろう!」
桃「貴様にはその辺の星で十分だ!」
サルは近くの星を口に突っ込められ、桃太郎のおともになりました。
そして、別の宇宙にまで到達すると今度は銀河系どころの大きさじゃないキジに出会いました。
桃「クソ鬼ヶ島へ、クソ鬼退治に」
雉「それでは、お腰に付けたきび団子!1つと言わずこの世の全てを食らい尽くす!」
キジは無数にある宇宙の1つを口に突っ込められ、桃太郎のおともになりました。
こうして、イヌ、サル、キジの仲間を手に入れたクソデカ桃太郎は、ついに一片の光もない虚無の底、全宇宙の始まりの場所である「無」に存在するクソ鬼ヶ島へやってきました。
鬼「察する通りだ。我らは全生命体の魂に潜む『悪』『欲望』『怨念』を司る鬼である」
闇に巣食うは一兆一京(いっけい)を超えた無量大数の鬼。蛇蝎魔喝(だかつまかつ)にして、永劫不変(えいごうふへん)の、人の原罪!
鬼「我らは人の数ほど存在し、ありとあらゆる欲求の渇望、競争を生む概念そのもの!」
鬼「我らを滅するは全宇宙を腑抜けにすること。繁殖欲求すら失うならば人の滅亡!それでいいのかクソデカ桃太郎!」
猿「ば、ばかなぁあああああ」
雉「鬼は人。人は鬼。それもまた一つの側面ということか」
三匹の視線がクソデカ桃太郎に集まる。彼は今の一瞬で三千世界の悟りを開いた。
桃「ふはははははははははあ!」
彼が手を叩くと、その衝撃が宇宙を超え、銀河を超え、ある惑星の、大河に佇む老婆の横に咲く、無数の花を揺らした。
桃「俺はこのために生まれたのかもしれん」
鬼「何?」
桃「かかれええええええ!」
クソデカ桃太郎と三匹は無限の鬼の大群に突っ込んでいきました。それはどれだけ時間をかけても終わらない戦いでした。無の外では、宇宙の滅亡と誕生を繰り返す輪廻(りんね)の輪が広がっています。生命が一つでも宇宙にある限り、鬼は滅ぶことはない――彼らはいつしか互いに相反(あいはん)する概念として溶け込んでいきました。
やがて混沌とした無の中で一つの芽が生まれ、宙(そら)に向かって落ちていきます。原初の海から数万億光年先へと飛び立つと大きな爆発を起こして新しい世界が始まりました。
岩が星となり、その地に生命が生じ、絶滅と進化を繰り返していきます。知恵ある生物が文明を興し、それもまた滅亡と勃興(ぼっこう)を数えきれないほど繰り返していきました。
子「ももたろさん、ももたろさん、おこしにつけたきびだんご、ひとつわたしにくださいな」
そんな他愛のない昔話を読む姿を両親は優し気に微笑むのでした。
そう――彼らは今、かけがえのない善性となって全ての人間の心の中にいるのです。
完