はてなキーワード: 自尊心とは
俺は無能側なんだ
無能な俺と一緒に仕事をする時に有能な君が病まない方法を伝授してあげよう
有能な君は1週間も一緒に仕事したら、俺が無能なことに気づくだろう。
そしたら君がすべきことは、無能に頼む仕事を考えることである。
無能に重要な仕事や緊急の仕事を頼むのは、有能な君のリカバリコストばかり増える。
結果君は疲弊する。
一見価値がありそうにみえるが、それをやりきってもやらなくても業務に影響ない仕事を作り出し、それを無能に割り当てよう。
空気を読まない無能な俺は、君が集中したいときとか狙ってしょうもない質問をして、有能な君の生産効率を落とすぞ。
朝と夕方の10分を、進捗報告と相談の時間として決めて、それ以外は質問禁止にする。メールとかチケットとか非同期的な手段は許しても良いが、面倒になりそうなので封印した方がいいだろう。
緊急でもなく重要でもないタスクしか割り当ててないから別に質問回答が遅くなってもなんの業務影響を与えない
無能自身をうまく(実は)なんの価値もない仕事だが、無能本人からはこの仕事には価値があると思い込ませるんだ。
無能を追い込んだり自尊心を破壊させるのは気持ちいいが、有能なあなたがパワハラしたとか疲弊する原因になる。
本質的に無能は不要だと考えるなら、無能を上手に解雇するように会社に働きかけなさい。
でも、そもそもほとんどの有能な君は、別に会社の利益が上がっても給与あがらない固定費(働かせ放題プラン)で会社と契約してるだろう。
自尊心として使っている例を寡聞にして知らない。見かけるプライドの使い方ってほぼ全部「虚栄心」なんだよ。
よく見る使用例)
・プライドが傷ついた
自分を尊んでいるなら傷云々はないだろ。持つ持たないだろ?内面的心情や評価を表しているんだからさ。
・彼はプライドが高い
自らをどう評価しているか尊いものだと感じているかどうかを外から測れるか?近いのは自己肯定感とか自己評価であって、ちゃんとその意味で使われている例をまず見かけない。
正誤表)
✕「彼はプライドが高いから指摘すると不機嫌になるよ」 → 他人に(無条件に?)尊重されたい。外から見るとある意味みっともない、むしろ悪い意味で使われる。
◯「私はプライドを持っているので、自分の仕事に手を抜かないんだ。」 → 自らに恥ずかしい行いをしたくない。内面的な尊厳を保とうとする心。本来いい意味だ。
結論)
「人からよく見られたい、バカにされたくない下に見られたくない、他人に尊敬されたい願望が強い」=つまり「虚栄心」の意味で使ってる人がほとんどだと思う。
補足)
矜持って言葉が本来のプライドの和訳なんじゃないかと思う。いつの間に自尊心なんて誤訳、なんなら逆の和訳が定着してしまったのか。それとも「自尊心」の日本語に対する自分の理解不足だろうか。「自」分が他人からめっちゃ「尊」いと思われていたい「心」、願望、気持ち。の略だったりするのか?
弱者男性にもかかわらず、女性を批判するやつがいる。どう考えても自分の薄汚さの方がキツいはずなのに、自分があたかも女性よりも上のような発言を見ると、身の程を知れと思う。
低い人権意識・コンプラ意識によって、ただでさえキモいのにキモさが増えている。黙っていればまともに扱ってもらえるはずなのに、それさえも放棄して、自分の不幸を嘆く。
世間に攻撃せず自分自身を絶えず攻撃しておけばいいのに、なぜか世間だけが悪いことにして世の中に害悪を撒き散らしている。
この世の中ははっきり言えば「強者男性>強者女性>普通男性>普通女性>弱者女性>弱者男性」というような仕組みになっている。弱者男性を選び取るメスはいない。遺伝子は滅びゆくのだ。
痴漢をするだとか、暴走してストーカーするだとか、そのくせエロい目線で女性を見るとか。はっきり言って迷惑極まりなく、なぜ性欲を消そうという努力をしないのか。
そういう努力をしないくせに、お手軽に自尊心を満たそうとする。一切の努力を放棄して、自分の腐った性格を変えようとしない弱者男性がなぜ存在し続けているのかがわからない。
なぜ弱者のくせに弱者らしく振る舞わずに、殿様気分でいようとするのか。
どうして平然と生きていられているのか。別に死んでほしいと言っているわけではない。
日本社会には「良いものを安く売ることが良いことだ」ということを美徳だと感じている人たちが多いと思う。
しかし良いものを安く売ることは、その良さを減じている。良いものとは高いのである。良質なものは珍しいことが多く、手に入らないから高いのだ。
良いものを作り安く売ることで、作り手には何が入るのか。名誉である。
良いものを安く売ることで「あの人はいい人だ」「できた人だ」「立派な人だ」という称賛を浴びることができる。
逆に、買い手はその安さのかわりに称賛を売っているのだ。
もし良いものが価格に十分見合ったものだったらどうだろう。買い手は「こんなものか」「そういうものだろう」「なぜ感謝しなければならない」「正当な対価である」と感じるのだ。称賛などしない。
「良いものなのに安くする」というのは、自信の無さの裏返しである。高い値をつけたときの罵倒に耐えきれないから、その自信の無さが値段に出るのだ。
「でもみんなに提供するためにこんな低価格でやっているんです」と言えばみな納得する。「そんなに安いならしょうがない」「こんなに安いのにうまい」「こんなに安いのに高品質だ」という評価になる。
その頑張り、その苦心がいっとう評価される。買い手は安くものが手に入って満足する。素晴らしく理想的な物語である。
しかし良いものとは高くなるべきなのである。本来もっと価値があってしかるべきである。そういう売り手と買い手だけが存在する一商品のクローズドな市場ではなく、世の中には別の市場もある。世界とは魑魅魍魎が跋扈する極めて不安定な世界であり、小さなクローズドな世界とは性質が完全に異なる。その別の市場での価値からだいたいいくらぐらいになるのかを知っているのが転売ヤーである。
転売ヤーは基本的に悪である。買い手からすれば、「手に入るハズだったものが、欲しくもないヤツに目の前でとりあげられて、ニヤニヤされるムカつき」を味あわされる。
そうして「どうせ手に入らないなら手にした者が破滅すればよい」というルサンチマン・すっぱい葡萄の合理化から、転売ヤーが敵視される。
これは自然な感情であるので、転売ヤーを擁護することはしない。転売ヤーは大人しく罵倒を受けていればよい。
売り手からしても、転売ヤーは名誉をかっさらうモンスターである。自分には人徳があり、美徳を重んじたために、その対価として名誉を得られるはずだったのに、転売ヤーは購入しても売り手に称賛など送らない。したがって売り手も転売ヤーを敵視する。顧客が高い金を払って転売ヤーから買った場合、顧客は称賛など一切しないからだ。
これも自然な感情であるので、転売ヤーを擁護することはしない。転売ヤーは大人しく罵倒を受けていればよい。
そう。悪いのはすべて転売ヤーである。転売ヤーは徹底的に悪である。
しかしその罵倒のメカニズムもまた、市場経済に組み込まれている。転売ヤーは、罵倒されることで、金銭的な利益を得ている。
一方で売り手も買い手も、適正な価格というものを理解していない。売れるならば、それで手に入るユーザーが少なくなっても高くしなければならない。それが適正価格だからだ。
この適正価格では、名誉の売買などされず、感謝はない。単なる正当で公平な取引である。もちろん「価格以上のものを売る」というピュアな精神自体は素晴らしいものであり、経済を推進させるために重要なものだ。
買い手の「高くて買えない」「高いなら買わない」という思想は、資本主義を悪とみなし、みんなが平等に貧しくなろうとする清貧な思想につながる。
結局のところ「そこまでして欲しくはない」のだ。「そんなに高いのならいらない」のだ。適正価格よりも安くすることで、本来手にとれないはずだったユーザーにまで裾野を広げ、そして人気と称賛を得る。
安いのだから、責任は負いたくない。どこまでいっても、最後の最後で「だって、こんなに安いのだからしょうがないじゃないか」という言い訳を作ることができる。
だから成長しない。
適正価格よりも安くすることで、従業員の給料なども安くなる。取引先にも「安さ」の圧力をかけ、よりものを安く安くと要求する。「いいものを安く」とは聞こえがいいが、「安くなければまともに買ってもらえない」「安くなければ称賛などされず対等だと思われてしまう」ことを知っている。
「高いけど買う」「買うために稼ぐ」「ほしいものを手に入れるために戦う」という思考にならなければならぬのだ。
日本はこの「名誉」とその逆である「恥」を子ども時代から徹底的に教育されている。「嫌われること」「排除されること」「村八分にされること」を必死で恐れている。
現代日本で起こっていることは、名誉の価格が下落しているということだ。名など腹の足しにならず、名を取っていると死ぬときが来たのだ。しかも、名のため他人のためにどれだけ自己犠牲を払っても、他人はそれに見合った称賛をくれはしない。名を贈る余裕がなくなった。いよいよそれが耐えきれなくなったときに日本人の感情は爆発する。「実ばかりだけでなく、名も無いぞ」と。
誉や称賛を重視して、良い人であろうと、純粋であろうと、潔癖であろうと、善良であろうとするから、転売ヤーを敵視するのだ。実際には血塗れで強欲で禍々しいはずなのに。
実際には、転売ヤーだけが悪なのではない。売り手も買い手も悪なのだ。その悪を直視せず、小さな世界だけで完結しようとして、己と異質の黒船民族を排除しようとするのは、尊王攘夷と何が違うのか。江戸はもう終わったぞ。
いい加減「いいものを安く」はやめろ。良いものは高いのだ。高くしろ。プロであるならば。感謝や称賛など求めるな。
ダンピングしてお手軽に名誉を獲得しようとする輩は、徹底的に糾弾し、より合理的・徹底的に搾取しなければならない。それが全体のためにふさわしい。
直接口に出されこそしない「使えねーな」「もうちょい急げよオラ」を毎日浴びせられて過ごしている。
毎日のように削り取られていく自尊心を癒やすために『いつか凄い人として羽ばたくサナギとしての自分』をいつも空想している。
両親から運動音痴と自閉症スペクトラムを引き継いだ所に早生まれが重なったせいで生まれついての引きこもり気質。
保育所の広場で遊ぼうとすれば「お前がいると負けるから来るな」と追いやられ、一人でブランコをしようとすれば体格のいい子に追い出され、仕方がないからいつも絵本を隅っこで読んでいた。
小学校に入ってからはせめて勉強ぐらいは頑張ろうとしたが、運動も会話もまともに出来ないくせに勉強だけは頑張っていたのをメガネザル系のキャラとして扱われ、頑張って勉強していい高校に入ったら周りは運動も勉強もできる人ばかりで何も持ってない底辺として暮らす日々。
大学でも同じような現象が起き、周りは自分と同じ程度の学力だけどソレ以外の能力では圧勝されているので自分に自信を持つことは全く無い。
学歴を印籠みたいにかざして無理やり通り抜けようとした就職活動はボロボロになり、自棄糞になって受けた公務員試験でもペーパーで取った有利を集団面接で全部吐き出し切って完敗に終わる。
やりたい仕事もやるべきだと思う仕事も稼げる仕事も遠ざかり、とにかく数を集めて谷底に突き落とすタイプの会社に入って、適性もないままに椅子にしがみつくことでなんとか生き延びてきた。
自分が仕事の中で相性が良いと感じることを上から上げていくと「分析」「整理」「定型化」だと思うのだが、自分が主にやらされているのは「営業」「懐柔」「折衝」で、正直この辺は死ぬほど苦手でせめて電話・口頭中心じゃなくてメール・チャットでやらせて欲しくてたまらない。
企業風土が自分とあっていると思えないのだが、この仕事を通して積み上げてきたものが自分と相性が悪すぎるからそれを売り込んで入れるような転職先は結局同じような所だろうという蟻地獄に人生が囚われてしまった。
無能扱いされてもいいからせめて平穏に暮らせたら良いのに、毎日のようにせっつかれるしなんだか分からない責任問題に次々巻き込まれている。
本心から望んでいるのは「貧乏でもつまらなくてもいいから平和に暮らすこと」だ。
でもその競争倍率がクソほど高くなってどこも高値で売りつけられていると聞いてもう怖くなって完全に動けなくなってしまった。
毎日この人生からまるごと降りたさに包まれながら職場に向かっていて、そうして一日かけて傷つけられた心を風呂場やベッドに入って「でも僕は近いウチになんか良く分からんがビッグになって大逆転するんだ」という中身のない妄想に浸ることで癒やしていく。
なんなんだろうこの人生は。
最底辺の人間が敷き詰められた狭いアパートで寝起きして、最低限の味と栄養しか無い配給食を食べるために並んで、残った時間は図書館で老人と本や新聞を奪い合いながら暇つぶしをするだけの人生でもう十分なんだ。
どっかの金持ちが無駄な背伸びを繰り返し使い切られてしまったこの世界の余裕を補充し直すために、自分の心を砕きながら社会のひび割れを埋めさせられるのにいい加減うんざりする。
なんでただ生きるためだけに毎日こんなつらい思いをする必要があるんだろう。
最低限度の生活の値段が高すぎる。
生活の値段が高いと言うより、あらゆる労働の性質が非人道的すぎる。
人道的な労働環境に生きたい。
俺の本当の願いはそれだけだ。
でも叶うとは思えないから「ある日凄い人になった自分が凄くチヤホヤされるから、今の苦しみはその時に全部相殺されて「生きててよかった」と思えるはずだ」を毎日妄想するんだ。
辛い……そうして「いつか自分は凄くなるんだ」を握りしめてるせいでかえって人生が苦しくなっている面もあるんだろうな。
これはもう麻薬みたいなもんだ。
どいつもこいつも平然とした顔で「いつかビッグになるよ。良く分からないけど。だから今は頑張ろうね」と麻薬を高値で売りつけてきやがる。
教師も親も誰も彼もが平然とお互いの口に麻薬を詰め込んで適当に酔っ払ってるすきに自分の好きなように操れないかと画策してる。
なんなんだろうなこの世界は。
俺は本当にもう疲れた。
いつ死んでもおかしくない。
親は物心つく前に片方死んで、家父長制の権化のような毒祖父に叱られ続けた学生時代。毒祖父のせいで家庭は崩壊してた気がする。
物理的に包丁向け合ってた家なので子供が得るべき基本的な安心感みたいなのは育まれてないと思う。何をするにも劣等感にまみれてたし、運動音痴だし、友達は少ない。インターネットに救いを求めてた。当然ブスでオタク。承認欲求だけが育ち、当たり前だがスクールカーストで地を這う。田舎でむくむくと恨みを育て続けた。自分を取り囲む環境の全てに復讐したかった。
で、まずは大学受験をしたけれども経済力と偏差値が足りず県内進学。私は頭の出来も普通に悪かったようだ。死にたい。ただし、国立だったので地元では「頭の良い学生」になれた。ギリギリ自尊心が壊れずに済んだ。ついでに目の上に線を足す整形もした。
だがカスみたいな地元で上位層になっても仕方ないので「地元で結婚して子供を産みなさい」という大人たちを振り切って上京し企業就職した。
希望の業界だった。まあまあの大きな企業。唯一、業界内で貰えた内定。
希望の職種ではなかったが、こんな自分なんぞが業界に入れただけで誇らしかった。あとゴミみたいな地元からも足を洗えて最高だった。このままコネ作れば希望の職種に就けたりして、と妄想してた。第二の人生始まると思ってた。
が、同業界で希望の職種に就いてる人間を見ていると圧倒的すぎる。
「東大卒です」
「センター利用でMARCHは受かってたのでそこから大学選んだよ」
「実家に家賃として毎月3万円納めないといけなくて大変なんだよ」
「同業界の最大手に受かってたけど、弊社の方が雰囲気良さそうだったから選んだんだ!」
ふざけんな。
こんなに恵まれてる奴らと同じ職種を目指してたのがバカすぎる。同じ土俵で戦える訳あるか。家柄、経済、学歴、容姿、すべて最初から持ってる奴らに勝てる訳ねえ。初期条件が違いすぎる。
ところで、こうしてやいのやいの言ってる自分の職種だが、先輩には高卒の方がいる。仕事ができる人というのは分かるし尊敬もしてる。ただ、なんか色々頑張ったけど東京に住む高卒=地方Fラン国立大卒は同じレベルの仕事をやらされるんだなと思いやりきれなくなった。そもそも最終学歴や出身地にこだわってる自分がゴミすぎるしな。あーマジで何だこれ。
自分がそんな愚かなクソボケだと認めたくなくて足掻いている。頑張ってることしか取り柄がないので、この頑張りを諦めてしまったら○ぬしかない。
自分が首を括るか、希望の職種に転職できるか、幼少期の環境全てが爆発するか、そのどれかでしか報われない気がする。助けてくれ。
女性を女性として偶像として見て緊張してしまい、人間らしく扱えない、普段の自分らしく振る舞えないというのは実は非常に重要な気付きです
驚いたことに「女性」を「女性扱いする」かのように見える「ナンパ師」や「出会い系攻略界隈」が行なっているのはまさにその部分になります。
おかしな話ですが、50万くらいかかる「ナンパ塾」みたいなところに行って実際に行うのは、「超美人なモデルをスタジオに呼んできて、その女性の目を5mの距離から10秒見る」その後「1mの距離で10秒見る」再度「5m離れて目を見ると、心理的に余裕が出て目を見れるようになる」というような実践を行うことで、女性への心理負荷をどんどん無くしていくようなトレーニングが行われます。
また、私たちの見ている「女性」がどのようにして「女性」になっているかを認識するのも大事です。
肌のケアや化粧、髪型など、実は男性は気づいていませんが、「魅力的な女性になるためのテクニックによって女性になっている」ことが多いのです。
美容師のインスタアカウントのビフォーアフター動画などを見て見てください。
ビフォーでは「あまり魅力的で無い」と感じる女性が、アフターで魅力的に見えることがあると思います。
テクニックを使うのは馬鹿馬鹿しく恥ずかしいことのように思いますが、しかし、それであれば女性がしていることはなんなのか。そして、実際に我々はどう感じてしまうのか?
同じことをもし、男性が行ったら?
あるいは、女性の努力をキチンと理解した上で女性に接することができたら?
女性への尊敬の念が浮かべば、男性側も自然と努力ができるはずです。
その努力や理解度を女性は見抜いて、「この人は魅力的な人である」とやっとその土俵に上がれるのでは無いでしょうか
ナンパ塾へ行っても良いと思いますし、ココナラとかでそういうコンサルを見つけてみるのも良いかもしれません
ただし、テクニックで身につけれる人間関係が「孤独」を解消するとは限らないのがポイントです。
しかし、少なくとも苦しみや努力を共有することは出来るかもしれません。
いかにも胡散臭いナンパ塾を勧めましたが、彼らが存在し続け、儲かっているのは、このことをほとんどの男性が知らないからです。知識の差があまりにもあり過ぎるのです。
だから、「ビジネスとして」女性とのセックスをあえて自慢して見せたりして、皆を煽ったりしていますが、実際にはビジネス要素が強く、セックスで得られる自尊心というのはちっぽけなモノです。
離婚しないでほしかったというと嘘になるくらいには苦痛だったしかすがいとしての役割はしんどかった
別に増田に離婚しろと言ってるんじゃなくてこれって私の感想ですよ
なんとか子供が居心地の良い折り合いをつけてほしいし多分PMS通り越してPMDDを患ってるであろう奥さんも健康に生きてほしい
父親は離縁する時にもらった母方の祖母名義だったマンションに住んでて母親から逃げるように行った海外出向時にやられた腎臓と肝臓を抱えてなんとか生き長らえてる
事故には合わなかったものの悠々自適の幸せな老後とはまあ言えない
母親は記憶の中の自分の年齢から逆算すると四十半ばから更年期で狂って私ときょうだいが成人した五十過ぎに落ち着いたけど狂ってた時期のことはケロッと忘れてる
ほんとに綺麗さっぱり忘れてるんで怖かった
母親が荒れた更年期の間に私がうつ病っぽくなったけど保険証ないから診断もしてもらえず今でも自尊心はないし悪夢にうなされる
参考までに
何度見ても不細工な顔だな…
モテた事もなく、老け顔だから自分の顔が嫌いだし、出会い自体にも億劫だった
どんなに頑張ったって異性から忌み嫌われる顔なんだろうなと思って見た目に気を使う事はしなかった
とはいえ、40歳が見え出してそんな事言ってたら本当に日の目を見る事もなく終わってしまう事が怖かった
最近運動で体を鍛え始めて少し自尊心が回復したのでその勢いで自分の写真を撮ってみたけどやっぱり現実は変わらないな…
簡単に画像をレタッチしていると、汚物を処理している気分になる
癖毛だから短髪にして櫛を通してもモコモコして毛が跳ねる…
目が細いから目付きも悪い
ほうれい線も目立ち始めた
旧帝大だと超優秀学生らに囲まれて研究がガンガン進むってのは漫画の世界だぞ!
大多数はたかが修士学生だし、
実際は、やる気ない系学生や、自尊心だけ高め学生の相手をしないといけないんだぞ!— Bruno🇺🇦 (@scshKWGQiixEWgD) August 1, 2023
ネット界では大学院生は優秀な研究者でむしろ給料を出すべきというのがコンセンサスであるはずですが~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~????
オシャレ(流行とか、男ウケとかの意味で)してない女性を見下す女性っているけど、俺の知ってる限りオシャレしてない女性って「オシャレしなくても大丈夫な何か」を持ってる事が多いんだよなぁ…金とか趣味とか仕事とか太い実家とか金とか発達障害(客観性を失わせるマイナスの持ってるもあるよ)とか
男でも、モテたいとか変にオシャレしなきゃーって思う時は、自尊心を失って補填しなきゃいけない時で、すごく手っ取り早く効果があるけど、多分長期的に見たら最適な解決策ではない。
オシャレは自分の為と言ってる女子もいるけど、それどうでも良いよ、他人、特に男からは。都合がよさそうか、こちらに合わせてくれそうかしか判断してないから
どれだけ世間とか他人とかからどう見られるかを気にしてるか、外見に出る。それって他人から影響受けやすくて操作しやすいって言ってるようなもんだし
正直なところを言うと、
金持ちの子とか女医とか公務員とかはオシャレじゃない(偏見)高い服着ても流行からはズレてるみたいな感じ?あとは主婦だなぁ…生命保険と離婚しても財産半分という安全地帯に入った状態だと男ウケはいらねえんだな。
まあ…申し訳ないけどオシャレしないといけないってのは、他人からの外見への評価で自分の価値が上下しちゃう事なんだよ。
おっさんはオシャレしないだろ。