はてなキーワード: 生物とは
ルッキズムや特定の外見の美醜にこだわるのは、社会的な教育の結果だ。
健康・不健康・出産・育児に関わる外見に関しては、生物的な本能という言い訳ができるが、顔の造りに関してはほとんど関係がない。
たとえば子どもの頃から繰り返し目にするテレビ番組、部屋の中に置いてある本、散歩をしながら目にする広告、周囲の大人たちがそれらを目にした際の反応、そうしたものを通して「どういう外見が有利であるか」「どういう見た目を目指すべきなのか」を学習していく。
こういう言説、相手を見つけるために必死になってる野生動物をほんと舐めくさってるよなぁ。
公園でよく見る喉を膨らませて尾羽を広げてクルクルしてる鳩も求愛行動だし、奴らは興味なさそうに、疎ましそうにメスにあしらわれてもめげずに次に向かっていく。
2羽一組でいる鳩は大体つがいだけど、そこにだって果敢にアタックしていく胆力と行動力で相手を見つけるまで続けるのだろう。
それと比べられるような行動なんて起こす気すら無い俺たちは比較対象に上げられるのすらおこがましい。
今思えば過去に1~2度程度あったかもしれない向こうから来たタイミングでさえ、「どうせ俺なんかによって来る女なんて碌なもんじゃない」と自分に言い聞かせていた結果、こちらが押したらいけていたのにふいにしているのが俺たちだ。
次世代を産み子孫繁栄することが生物の目的みたいに言う人がいるが本当なのだろうか?
もしそうなら絶滅危惧種のオスメスを置いとけばどんどん繁殖して絶滅危惧種からとっとと脱出してくれないのだろうか?
ナーロッパ世界で『鑑定』は高い価値を持つ技能だということになっている。
その理由は『鑑定』が以下のような能力がセットになっているからだ。
(1) ボッタクリ商店の店主など持っている、アイテムの正体・価値を明らかにする正統派の能力。
(1)はまあいいのだが、この能力相当のコストで(2)(3)もセットで取得できている気がする。
こういう無趣味な人って、つまらない人生送ってて虚しくないのかな、何が楽しくて生きてるのかなと傲慢な見下し方してたけど、仕事や日々の日常生活を問題なく粛々と過ごしてるなら生き物としてはその方が超優秀なんだなと最近は思うようになった。
自分は生活する上で趣味にばかり時間やコストを割き、いつも趣味の事で頭がいっぱいで仕事もミスばかりのグズで、プライベートでもすぐに趣味に逃げようとするため自堕落的な生活を送ってる。
人間として生物として前者の無趣味人間より遥かに劣ってるのに、何で以前の自分は無趣味の人達をバカにできたんだろうかと思う。
もちろん世の中には仕事も日々の生活も全て完璧で、その上で趣味を楽しみまくって人生を謳歌してる人もいるだろう。逆にこれといった趣味もなく仕事もろくにできず生活もだらしない人もいるかもしれない。
とにかく言えるのは世の中においては趣味を楽しめる人より仕事や生活で社会をスムーズに循環させる人の方が正義だ。
結局のところ何が言いたいのかというと、他人に迷惑をかけず社会のお荷物となっていないのであれば趣味なんて無くたっていい。
みんな好きだよな
ブクマカってそんなばっかじゃん
正義と悪に分けられそうな話題に食いついて、自分は正義の側だよって言って気持ちよくなってる
賢いか馬鹿かより分けられそうな話題に食いついて、自分は賢い側だよって言って気持ちよくなってる
いい加減にせえ
分析力なんか当然ないから、ロシアウクライナの問題でも見解は全外しするし
この間の潜水艦の事故も、死人が出てるのに自分は賢い側だと言いた過ぎて人権無視の暴言吐いてるし
もうお前ら、人間として終わってるんだよ
犬猫やサルみたいな野性の社会性動物って、毛づくろいの時間の長さで愛情を伝えるんだよね。
でも時間の長さを指標に使ってるから一人に愛を伝えるのに時間かかるし(トートロジーに非ず)、同時に複数相手するのも不可能なんだ。
でもヒトには言語がある。
言語があるから、時間をかけて単体を毛づくろいするよりも、効率的に愛情を伝え、社会関係を維持することができるのだ。
それが、ヒトって生物が、規格外にデカイ群れを持てる理由の一つだとされている。
全長1.5~2mからある動物が、100匹とか群れて村的なコミュニティ作ってることある? 他になかなかなないわけだ。(もちろん、農業で食糧事情が物理的に良いって理由もデカいけど)
社長と旦那がめちゃくちゃ仲良くて二人ともヤンキー気質だし女好きだからキャバクラに毎週土曜日に遊びに行く
遊びに行くのはいいし土曜日の夜は一人で過ごせるからいいと思ってる
けどなんか寂しいしムカつくのはなんでなんだろう
一般の女性との浮気なんて絶対にしないしそんなダサいことあんな男らしい旦那がするはずはないけど、キャバクラだし多めにみてる。ちなみに風俗もOK。
旦那も社長と遊んできてスッキリして帰ってくるのはいいことだしそれのおかげで仕事もやる気になって働いてきてくれる
嫁という認識よりも彼女としての認識が勝ってしまい嫉妬や寂しさを感じてしまうのだろうかとたまに思う時がある
旦那は絶対に浮気(セックス)なんてしないし、したとしても絶対にバレないようにしてくれる信用はあるから
社長と遊びに行くのはとてもいいことだと思うしいつもお金がだしてくれる社長には頭があがらないし、ありがとうって思う
だけどなんで寂しいのかなって思ったら私が一人で「勝手に」家で待ってる選択肢をしているから寂しさと楽しみやがってという「嫉妬」があるからなんだなと思う
だから土曜日は一人でどこか遊びに行きたいと思って遊びに行っても元々朝方だから夕方には帰ってきて家事して愛しの猫と犬の世話してお家で自然と旦那の帰りを待っちゃう。
帰ってくる時間は深夜過ぎてて汗臭くて洗濯したベットシーツの上でタバコとお酒臭い服のまま寝てしまうけど、、、
かといって「旦那の洗濯とかご飯作るのやめたら?」というアドバイスももらう。
私もそうしたらいいと思うんだけど、家にいる犬と猫のお世話=部屋掃除だから洗濯物やご飯をしないという選択肢ができない。
猫のご飯はカリカリだけど犬のご飯は手作りにしてるようにしてるし犬や猫の毛が服についたら部屋が毛だらけになってくしゃみしゃうし、
犬に関しては保護犬で鼻の先っちょがえぐられてて家の中でほこりとか毛をふわふわさせたくない。(鼻がだめになると目ヤニが出る犬なので)
犬と猫のことを考えると旦那のキャバ遊びを「いってらっしゃい」と見送る選択肢しかないと思う。私はそのぐらい動物が大好きだし猫と犬のことをみてると笑顔になる。
これで妊娠と出産して子供できたら旦那はもっとキャバ遊びして最終的には知らない女性とホテルとか行くんだろうなあと考えてしまうぐらいに今旦那に対しての信用がない。
旦那はもちろん大好きだし愛してるけど期待するのはやめようと思った。
旦那が私のことを必要としてるのもわかってるし、必要としているからこそ、社長ともしっかり遊んでお金を稼いできてくれるのはとても感謝する。
旦那と出会う前はいつも一人で犬と猫だけがいればそれで寂しさも感じなかったのに旦那と出会って結婚して昔みたいに寂しがり屋になっちゃったから
カウンセリングでもなんでもして、自分のメンタルが一人でいても大丈夫という強さを持とうと思った
今はひたすら猫や犬の可愛い笑顔を見つめながら旦那や家族や自分を大事にしていこうと思う
頑張らないとな〜
でもこれは増田のみんなに聞きたいんだけど、「キャバクラでお酒を飲みながら仕事の話」ってできるの?
いつも「仕事だから多めにみてください」って言われるんだけど。
男だったら正直に「キャバクラで社長と飲んで遊びに行きたいです」のほうが潔くていいんだけどなんで旦那っていう生物は嫁が「行かせたくない」っていう選択肢ばかりを選ばせてくるんだろう
どんな弱者男性(ニート、発達、浪人界隈)でも、「俺は男だから女より偉い」と思い込んで女叩きするよね。「女は劣等生物!女は人間じゃないオナホだ!ま〜ん!男は論理的で偉いんだ!女は男に逆らうな!女に人権を与えるな!」ってめちゃくちゃ言う。
こっちは女は劣ってる劣ってる劣ってるって何回も聞かされて、凄く自己肯定感が下がったよ。なんであいつら曰く「女尊男卑社会」であんなに男であるというだけで威張れるんだ。
ちょっと優しくされて「あの子は俺のことが好きなんだ!」と勘違いする男も自己肯定感高いよね。低かったらそんなこと思いも寄らない。自分は好かれるものと思い込んでいる。
性犯罪者、性的虐待加害者もそうだ。平気で「被害者から誘ってきた」とか言う。自分の加害が求められていると思ってる。自己肯定感が高すぎる。
逆に女の自己肯定感は低すぎる。とくに性被害に遭ったことがあると、自分は生きる価値がないと思い込む。その裏で加害者は自己肯定感マックスで生きていく。
「あいつが誘ってきたんだ!罰せられるのは不当だ!」なんて考えてる性犯罪者じゃ、そりゃ投獄されるのは辛くて苦しくて仕方ないだろう。
自己肯定感が低い方が「私はこんな目にあって当然なんだ」と納得し、ささやかな幸せに喜べる。
いやでも、逆にコンクリ事件の犯人は何故自殺しないのか不思議だ
それとも周りが守ってくれてるのかな。
おれのすきな生物
カブトムシ:自分の体重の数十倍のものを持ち上げるらしい。パワーを感じる。それでいてクワガタと違って挟み殺したりはせず、樹上から払い落とすだけらしい。かっけえ。でも平地や虫カゴの中でクワガタと一緒にいると斬首されるらしい。ムシキングで海外の派手な奴らが流行ったけど、やっぱ国産のアレがシンプルでいい。「カブトムシ」はいるのに「クワガタ」はいないのが気持ち悪い。
カニ:パワーを感じる。葛西臨海公園でカニ網にかかったワタリガニを突っついてたら指挟まれてめっちゃ痛かった。外骨格の奴らは総じてパワーがあるのかもしれない。甲羅もなんかギザギザして攻撃的だし、掴むだけで痛かった。
おれはエビは割と好きだけどカニは食わない。似たようなもんだろと言われるけど、何かしら違うから好き嫌いが分かれるんだろうがよ。伊勢海老とロブスターも食わんから多分エビよりカニに近い。
タラバはヤドカリというのは有名な話だけど、それは彼らがカニぶった変態というよりは生物の分類の雑さを示しているだけのように思えてならない。カニがカニたる所以は脚の数じゃねえだろ。
ウナギ:水槽に入れても逃げ出すガッツがあるらしい。人間と馴れ合ったり飼い慣らされたりする連中と違って気骨を感じる。湿ってさえいれば地上でも結構な間生きていられるらしい。タフな生き物も好きだ。
生き物を飼うならおれのエゴに抵抗するくらいの気骨を見せて欲しいが、おれの支配に抵抗するような手間のかかる生き物は飼いたくない。
ウナギを食えばタフさにあやかれるというのが未だそこそこ言われてるが、なんと野蛮な発想か。実際栄養は豊富らしいが……
そしてウナギは美味い。ウナギ自身の旨さなのかタレと調理のなせる技か、はたまた値段に惑わされてるだけなのかはちょっと分からない。
クジラ:地球最大の動物はコイツらが占めてるらしい。デカくてかっけえ。陸に上がっておきながら再び海に戻る回りくどくて変態的な道を選んだ気骨を評価したい。それが進化か退化かは彼らが決めることだから、ただ変化と言ってきたい。
デカすぎて浜に打ち上げられただけで死んでしまうらしいけど、逆に言えば海に行かなければあそこまでデカくはなれなかった。
竹︰草とも木とも言い難いらしい。イネ科ってことで草寄りともとれるし、硬い幹?を持ってるから木ともとれる。強いて言えば竹は「竹」らしい。他人の勝手な枠組みに収まる事を許さねえ個性がおれも欲しい。
一度根を張ればドクダミのごとく無限に増殖して、家屋もブチ抜いたりもして、山林の管理者は竹に困ってるらしい。ガッツを感じる。クマムシもプラナリアも潰せば死ぬが、竹を倒すには枯葉剤を持ち出すくらいの覚悟がいるらしい。
人間の敵かと思えば、食料、食器、燃料、建材、武器、無限の可能性を秘めている。白熱電球のフィラメントにすらなった。無人島や異世界に持っていくべきはコイツかもしれない。
悠仁親王殿下とか小泉進次郎とか河野太郎とか防衛省の次官とかに「おもしれー女」とか言われてイチャイチャしているようなもんだろ。
権力大好きで業が深いな。
男女の貞操観念が逆になった世界。要するに多くの女性が性的なことにオープンで、多くの男性が奥手という状況の世界。
ここに何らかの理由で通常世界の人間が移動するというジャンルが、数年前にエロ漫画で発生、その後、ノクターンノベルスなどWeb上のエロ小説投稿界隈で長く生き延びている。
まず、男女の貞操観念が単に逆転したにとどまらない、不自然な世界観と化した。
一般的な男性は極めて性欲が弱く、絶対に性的なことはしたくない、女性に生理的に嫌悪感を持っているくらいの設定が付与されるのが、基本的になった。
単純に男女の貞操が逆転したというのなら、これが通常世界の女性の在り方ということになるが、さすがにそこまではいかない。
一方で女性の方は性的な行為ができることに喜び、積極的になるというだけで、その他の観念(恥じらいとか)はわりとそのまま持っている。これも逆転していない。
次に、生物的な変化。
男性は月に一回しか射精できないとか、射精量が少ないとか、体力がないみたいな設定が次々に付加されて、通常世界から来た主人公のアドバンテージをこれでもかと上げる作品がほとんどとなった。
女性の方も、射精されたら絶対に妊娠するとか、男性に嫌悪感を抱かれる女性とそうでない女性がいるとか、通常世界とは異なる生物的設定を付与されるパターンが少なからずある。
そして最後に、男女比。
上記の2点と相互に関係はしているのだが、現在主流で投稿される貞操逆転世界ものでは、男女比が異様に偏っていることが、もうほぼ常識のように設定されている。
男性が異常に少なく、女性の5分の1とか、10分の1とか、100分の1といったところまで行く。
本筋からは逸れるが、政治家の世襲は別に大した能力のない奴が親や先祖の功績によって重要なポジションに着くのかまずいわけで、漫画ですごい親からすごい子が生まれて活躍する話が人気を集めるのとは違う
2000年代以降の人気漫画の主人公の親が偉人である例が多い気がするのは同じ印象。数えたことがないので本当のところは知らんけど
最近のネット見てると、よく「コイツは非論理的非合理的な思考のお気持ち野郎だ」とか、そんな求められてもいないであろう説教をかます人間を多々見る。
それは裏返せばオレはそういう奴らとは違ってロジカルな人間なんだぜという自負を掲げているのではないかと邪推してしまうけれど。
感情を一切排して論理的に言ったら人間に生きる意味も価値もない。
読書をし、運動に励み、賃金労働や金稼ぎに繋がるスキルを身に着け、家庭を持つ。感情を一切無視して論理だけで言えば、それは不快を避け快楽を最大化するという「お気持ち」ベースの全くもって無駄な行いということになる。
ハサミはモノを切るという使命を帯びて作り出されるが、生物にそういった意味はない。自我を持ち動き回るという点を除いてその辺の石ころと何も変わらない。
サルトルだかの実存主義やウェーバーの資本主義の精神みたいな、前世紀からされてる話。
感情論と善悪を区別しろみたいな事言う人いるけど、論理という道具を使って既存のそれを顧みる事はあっても、詰めていけば快不快の多数決だろって思うけどね。
人をブチ殺して回りたいというのは社会的にあまり良しとされないお気持ち。それが良しとされないのはどこからかポップした善悪や規範、まして論理でもなく「殺されたくない」というまた別のお気持ち。
そのお気持ちの多数決をまとめてちょっと論理で整えてやったものを善悪と呼ぶのではないかと思う。
まあこの程度の話、お気持ちを非難するインターネットの聡明な皆さんがまさか通っていないはずはないと思うけれど、ではお気持ちを捨てた生き方とはどのようなものでいらっしゃるので?って思う。
とても論理的でいらっしゃる皆さんも恐らく寝食に労力を割き労働に励んでいるのだろうけれど、なぜそんな無駄な真似を?
わざわざ自殺する道理もないけれど、わざわざ生きる道理もないよね。
でなければ合理性や論理を極めて、「無」を受け入れて、涅槃の境地を目指すような生き方しかないと思うんだけど、そんな人を見かけた事はない。
今日はそんな事を考えてました。
なんやかんや研究や説があって、まだ進化上の理由は確定はしないけど、どうもヒトっていう生物がもともと一夫一妻制をとるみたいだ。
ニホンザルやライオンみたいなハーレムは作らないし、浮気されたら怒る。
世界の文化を総覧したら一夫一妻制が大半なので、それはまあ確定。
そのうえで、ヒトは合理性の生き物でもあるので、本能を裏切って、お前のように理性で考えた結果、あるいは権力のパワーバランスの作用の結果、一夫多妻にした文化もある。寡婦を養うのが美徳とされたイスラム教、我らが日本の貴族にみられた大奥制度なんかが代表的ですね。
今の我々が一夫一妻制なのは、誰かが恣意的に社会制度をどう決めたかの問題ではないということ。