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はてなキーワード: 救急車とは

2021-05-05

anond:20210505101551

大阪は他のICUコロナ用に変えても病床足りず救急車数日待ちやから間違いなく超過死亡は発生してるぞ

2021-05-04

息が出来なくなる夢を見た。吸っても吸っても楽にならなかった。横になってもうまく息が出来なくてずっと思いっきり息を吸ってるのにずっと肺が苦しくてしんどかった。なにかの違法薬物を過剰に摂取してしまったみたいで、医療者の知人にLINE相談したら「それは病院で胃洗浄をした方がいい」と返される夢だった。大阪に住んでいるせいか夢の中なのに、「でもどうせ今は救急車が来ても搬送される先はないし酸素ボンベも不足してるからこのまま息苦しさがずっと続くんだろう」と考えていた。夢の中まで逼迫している。

起きてからも脈拍が早くて、ずっと苦しくて大変だったけど二度寝したらケロッとしてた。コロナにかかりたくないなあ。

2021-05-03

anond:20210503143456

でも「なにを助けてほしいかからないけどとにかく助けてください」にはみんな飽き飽きしてるんだよね。

病院があるのにどの科に何時にたどりつけば治療うけられるかわからないしちょっとググればでることを調べもしないで「病院がこっちに来い」しかたなく救急車呼んできたらきたで「おまえじゃない」と喚くのがセルフネグレクトの果てなんだろ。

もうこういう子供大人セルフネグレクトからの「他人ネグレクトする」と喚く虐待には世間は飽き飽きなんだよ

5歳だったらあらあらかわいそうねよしよしってなるだろうけどおまえら何歳だ

 

お 前 ら 何 歳 だ

 

丁寧に自分内面をみてググるくらいのことはしろ

どうしてもとっかかりがわからなかったらクロワッサンでもなんでも手当り次第見ろ

差別弱者はいはいはいはい

車椅子の人は歩けないという弱点をちゃんといってたよね

おまえらなにが弱いの??頭?意志

一般府民救急車にも数十時間待ちとか言われる中で、維新の会議員さんは熾烈な競争かいくぐってあっという間に入院できるのな

2021-05-02

オッスオラ主婦

連休どこにも行けないかドライブついでに普段行かないちょっと遠めの複合施設家族食料品買いに来たぜ!

密にならない範囲施設外を散歩した後、密になるから旦那けが食料品の買い物に行って主婦幼児と赤子が立体駐車場の車で待ってることになったぜ!

幼児大人しく本を読み始めたけど、主婦車で待機し始めてから腹の調子が悪くなってきたぜ!

ピンチになった主婦旦那に鬼電したけど、店の中が混んでいて旦那は結局電話に出なかったぜ!

大人しく旦那の帰還を待っていた主婦幼児が「おしっこ」と残酷台詞を吐いたぜ!

トイレに行きたいのはお母さんじゃこりゃあ!

急いで赤子を抱えて幼児の手を引っ張って車の鍵を締めて駐車場を爆進したけど、店舗と反対側に止めていたか店舗までが長いぜ!

何とか連絡通路まで来た!

トイレマーク発見

主婦お腹カラータイマーはもうすぐ三分だ!

しかも赤子を抱きながら幼児の手を引くというお腹に集中できないステータス異常!!

間に合うのか!!!

トイレマークの下に「この階にトイレはありません」の非情文字

主婦無事に死亡。

しか主婦は死んでも幼児がいる。

幼児は万が一のことを考えておむつを履かせていたのが救いだ。

主婦は無の境地で施設の1階に向かったぜ。

なんでエレベーターしかないのだ階段を設置しろよぉとかエレベーター待ちながら思ったぜ。

1階のトイレにも「工事中。3階のトイレをお使いください」の非情文字

主婦幼児に「頑張って」と言いながら3階のエスカレーターを登ったぜ。

3階に到着してトイレマークを探したけど見つからないぜ。

途中で100均見つけて後でお世話になることを確信したぜ。

100均の前を通ってトイレマークを探して、50mくらい歩いたぜ。

多分旦那が帰還していても主婦は死んでいたと思ったぜ。

しばらく歩いてやっと多機能トイレを見つけたぜ。

その時旦那からやっとコール

時既に全てが終わって始まるところなんだぜ。

とりあえず赤子をオムツ替えシートに縛り付け、幼児おしっこの世話をしたぜ。

幼児おしっこ我慢できてたんだぜ。

おむつしていたのにすごいぜ。

ちゃんとは大違いだぜ。

旦那トイレ場所を伝えるも、別のトイレに向かってしまったようだぜ。

おむつ替えるわけでもないのにいきなりオムツ替えシートに乗せられて泣く赤子。

おしっこ終わったのにトイレから出ない母を訝しがる幼児

「赤子の泣いてるトイレに来い」と告げ、主婦被害状況を確認

パンツだけ何とかすれば何とかなる。

主婦旦那の到着を待つ。

数分後、悲惨社会情勢を憂う旦那登場。

「これは初見殺しの無理ゲーだったな」と苦笑い

主婦幼児と赤子を旦那に任せて100均ダッシュ

必要物品と幼児向けのプレゼントを購入しトイレに帰還。

処置を済ませ、何事も無かったように車に帰還する主婦と一同。

「何が壊れたり誰か他人が傷ついたわけじゃないからヨシ!」と旦那

かに主婦はよく緊急事態に陥るので慣れっこだけど、ここまで過酷ミッションは今までなかったぜ。

救急車沙汰にならなかった分本当によかったんだぜ。

しかし「007 主婦は二度死ぬ」という感じだぜ。

主婦は死んだけど幼児は本当によく頑張ったぜ。

赤子もすまなかったな。

そしてそんな緊急事態にも冷静に対応してくれる旦那には頭が上がらない。

誰も悪くないんだ。

悪いのはお腹見積もりを誤った主婦と運だけだ。

運か、そうかもな、HAHAHA。

2021-04-30

anond:20210430211532

ワイの近所は爆音で走るバイク・車は皆無やで

救急車が昼夜問わずずっとピーポーなってるけどな

2021-04-29

anond:20210429134530

地震を怖がる人は少なくとも311までは腰抜け扱い、津波警報を見て逃げる人は異常者あつかいされた

病気にしたってそうで、感染症が怖かったら風俗店に行けないが、高額料金が証明する通りそういう店は勝ち組男性が主な利用者

大きな会社に入ったら浴びるほど飲み会をし、救急車で運ばれるリスクを受け入れなければ自主的に辞めることになる

少なくとも前例があることについては、チャレンジして無意味に命を張らないと、日本ではボッチになる

疑問や違和感を感じる男は脱落して消えていき、残っている人はそういう人だ

マッチョでタフな人が頭脳派だろうと残るアメリカと変わらん

2021-04-28

維新を選んだ大阪人wwwwwwwwwwwww

看護師もない呼吸器もない麻酔薬もないwwwwwwww

救急車で一晩過ごすwwww急性アル中で死亡wwwwww

トリアージ始まってんね。命の選別。大阪人が命を選別してもいいよって政党に入れたんだから仕方ないね。好きでしょ?自己責任

維珍なんかを選んでた大阪人自業自得から。苦しんで死ねば?それかリコールでもしろよw大村にやってたみたいにさw

あれも維新議員がかかわってたらしいね

維新議員って中国ホテル会社金もらってたよね?秘書が車で人をひき殺そうとしてたりしたらしいね。ねえなんで支持してるの?

野党に対して売国政党とかレッテル貼ってた結果だよ?

何をもって売国と言ってたの?日本政府批判したら売国?「貶めた」ら売国維新愛国心にあふれる素晴らしい政党なの?韓国とか在日とか、それお前の生活関係ある?

イラつくとかそういう感情抜きにして。いい?慰安婦像作られてイラッとするのは単なる感情なの。わかる?その感情って、今まさに大阪で命の選別が行われてるけど、それよりも大事ことなん?

愛国心でバチーンと死ねよwww

anond:20210428100551

結局、本来なら呼ぶ必要のなかった救急車ってことでしょ

死んでないんだし

anond:20210428100046

事故にあって救急車呼んだら48時間待ちですって状況だけど

大阪センスが光る救急

たぶん無意識ツッコミをやってる。

大阪市消防局救急隊員の男性

救急車で待機する患者さんが10人いてますと。順番待ちですと言われるわけです。救急じゃないじゃないですか

評価したい。

https://www.ktv.jp/news/articles/1fefc22e_3bdc_4763_8b02_05ed23cbb8e3.html

もうさ、ホント限界超えた状況なんんんだよマジで

首を吊ってる母親を、自分の手でドアから降ろした話。

これも結構前の話になる。

「そういえばあの時、どんな気持ちだったっけ?」と思い返す機会があったので、折角なので文字に書き残しておきたい。

そうすれば胸に落ちるものも、もしかしたらだけど多少はあるんじゃないのかな?って感じで。

内容が内容なので、少し長くなるかもしれないけど、お暇な方がいらっしゃいましたら読んでやってください。

あんまり仔細に年月日を狭めすぎるとアレなので、時期は今から7年ほど前。

ちょうど今のような、若干寒さも落ち着いてきたかな?ってぐらいの春頃のお話だと思って下さい。

当時の俺は大学入学したての、ピカピカの一年生でした。

兄の方がとても優秀だったんで、随分と見劣りはするけれど、俺の通っていた高校レベルからすれば「まあ頑張ったんじゃないの?」程度の大学へと入学

その筋のマニアには結構有名な、二郎インスパイアの名店が近くにある登り坂の長い大学ですね。

あれは本当に数少ない良い思い出です。メチャメチャ美味かったな。店狭いし、オッサン怖いし、汚いけど。

オススメは小ラーメン・麺少なめ・ニンニクマシ・アブラシマシです。

しか高校まではチャリ通で10分だったところが、電車を乗り継いで1時間半になったのは本当によくなかった。

職場学校は、絶対に自宅から近い場所を選びましょう。近い場所にないのなら、あなた引っ越ししまいましょう。(経験則

そんなこんなで深夜までゲームやらアニメうつつを抜かしては、中途半端時間に目覚めて、一限は余裕でアウト。

気付いた母親に叩き起こされて、仕方なく起床。もそもそと着替えて、遅刻前提の移動。

それで素直に大学まで向かえばいいものを、「途中で行くのも面倒くせえな」と地元カラオケで朝割フリータイムしてたり、本屋立ち読みしてたり。

入学当初からそんなんだから、とにかく授業内容は良く分からないし、眠くて眠くて仕方なかった。

何よりも人見知りだったもんで、良くも悪くも自由大学形式の授業とサークル活動に、いまいち馴染めずにいた。

大学は少中高と違って、能動的に働きかけないと友達はできないもんなんです。あの頃の俺に教えてやりたい。本当に。

夢見ていた大学生活は、俺にとってはただの眠気との闘いに成り代わっていたのである……。

そんなんで仲の良い友達全然いないもんだから、授業サボりまくって、図書施設ビデオ設備で「ロード・オブ・ザ・リング」とか「戦場のピアニスト」とか見てたな。

いや、完全に余談でした。すみません

とにかく、こんなカスの具現化みたいな大学生活を送らないよう、新入生の皆さんは頑張ってください。

話を戻します。

俺が小学校に上がるぐらいの前に、うちの母親は一度離婚している。だから俺は種親の顔をほとんど覚えていない。

自分ママとパパと話すけど、ふたり全然しゃべらないなぁ」とか「やたらと関西実家に行ったり、親戚の子がうちに来るのはなんでだろ?」とか。

そんなことを子供ながらに思ってたんだけど、今思い返せばそういうことだったんだと。

そんなこんなで気付いたら第一父親が消えて、俺が小学校二年生ぐらいの時に、新しい父親が来た。

第二の父親は、俺は子供ながらに「良い人」だと思った。

そりゃ向こうも腹を据えて、血の通ってない兄弟二人を抱えるわけだから、多少の上っ面は確保してくるには違いないんだけど。

一緒にお風呂に入れてもらったことが嬉しかったのを覚えてる。そんな第二のお父さんの背中には、ご立派な龍のモンモンが彫られていたけど。

仮初でも、その人は優しくて良い人で、色んな場所に連れていってくれたりした。なんかホテルが多かったな。海ほたるとかもよく連れていってもらった。

多分これまでの人生25年、その人が来てからの数年が一番幸せだったんじゃないかな?

中学に上がる前ぐらいの、それぐらいの間。ホント幸せだったと思う。ボンボンボンボンで、当時Xbox360COD4ネット対戦してたの俺だけちゃうレベルで。

母親も、その時が一番楽しかったんじゃないかな?

俺も兄貴母親父親も、心から「家族」を感じてた最後の瞬間だったと思う。

で、俺が中学に上がった頃に、第二の父親が手掛けていた事業が一気に傾いてしまったと。

これは直接見たわけでもなんでもないけど、父親の元同僚の方に聞いた話なんで、間違いないことだと思います

首の回らないレベル借金も抱えることになったと。

そっからの酒乱っぷりたるや本当に凄くて、中学生ぐらいになると俺も兄貴も(特に俺は)夜更かしをするようになってるから

ベロンベロン状態で帰ってきた泥酔親父に、子供相手に何を言い出すねんみたいな絡み方をされだして。

うわぁ、イヤやな……って、毎日夜になる度に鬱になってたのを思い返します。寝てたら寝てたで起こしにくるし。逃げようないやん。

そんな紆余曲折を経る中で、第二の親父が俺に放った言葉

「お前なんて、オレの本当の子供じゃねえんだからな?」

この一言が本当に忘れられなかった。シグルイのあの人ばりに、(この傷は二度と戻らんな)と泣きながら感じたのを覚えてます

しかもこれ確か、母親の目の前だった気がするんですよ。なんか二人で揉めてて、俺が仲裁に入るじゃないけど、間に入ろうとしたらこうなったみたいな。

酔うと貯め込んだ本質が出るタイプの人っているじゃないですか。つまりはそういうことだったんだな、と。

それ以降、父親と心を通わすことは一切なくなった。もちろん話したりってことはあるけど、他人みたいなことで。

そんなこんなで、それでも気付いたら中学生になって、高校生になって。

第二の父親は家からはいなくなって、お金だけを入れながら、たまに連絡を取るぐらいの関係になって。

こっからはもう蛇足なんで、ちょっと飛ばし飛ばし

小中校まではすごい楽しかったんですよ。面白い友達もいたし。なんで急に大学ダメになったのか、不思議だなぁ。

母子家庭あんまり余裕のある生活じゃないけど、塾にも行かせてもらって、奨学金も出る。

大学にも行けるんだと思えば、ちょっとぐらいの家庭内のゴチャゴチャがあるぐらいで不幸ぶんなよ、俺よりひどいやつなんて山ほどおるぞと自分自分を戒めたりもして。

そして母親の様子がおかしくなりだしたのは、このあたりだったと思います。ちょうど俺が大学受験を終えたぐらいの時分。

深夜、お腹すいたなーと思ってリビングに行くと、母親ワインと大き目なビニール袋みたいなんを用意してて、一人で黙々と飲んでて。

で、ちょっとなんか変な感じがして、母親の目から。据わってるって言えばいいのかな。とにかく、明らかに普通じゃないけど、普通を装うとしているのが伝わってくるような、そんな感じで。

無言でいるのも変なので、「なにこれワイン?家での飲んでるの珍しいね、いいやつなの?」みたいなことを訊いた覚えがあります

うちは父親の件もあったので、母親とはすごく仲良しだったから。

思い返せば、極度のマザコンだったんだと思います特に兄貴が遠方の大学にいってからは、実家には俺と母親の二人だけだったから。

とにかく変な雰囲気だったから、「お酒家で飲むの初めて見たかも!俺もひとくちもらおっかなぁ」みたいな、おどけてなんとかしようみたいなムーブをした記憶があります

「いいよいいよ。飲んでみな」と、母親が余裕で許可をくれたことも結構意外でした。酔ってたのかな?分かんないけど。

ド深夜、テーブルライトだけつけたリビングの机、ワイングラス、謎の大きなビニール袋。

なんかすげえヤバイことになってんのかな?と。

なんでだろう、このあたりから薄々感じ取り始めたというか、そんな気がしました。今までにこんなことなかったよな?って。

そして寝て起きたら、横に母親がへたりこんでるんです。体育座りを右斜めに崩したみたいな恰好で。

俺は一瞬、本気で死んでると思った。でも慌てて抱き付いたら、ちゃんと体温も呼吸もしてたので、本気で安心したのを覚えてます

えっえっ?ってなって、どうしたん?って聞いたら「いや、ちょっと……」みたいなことで、手元を見たらスカーフ?とハンカチを束ねて作ったような、首吊り用の縄?があって。

正直ワインときから厭な予感はしてたから、メチャクチャ驚いたし、なんで?ってなった。

「それはだめだって、それだけはだめだよ。これからどうすんの?」って泣きながら問い詰めた記憶があります

人間、本当に近しい人であれば、ちょっとした行動から、「なんとなく自殺しそうだ」というのが分かるものなんだって思いました。

マジでここらへんの記憶が、ずっと頭からこびりついて離れない。身体を下ろした時よりもキツかったかもしれない。

未だに良く分からない。要するに母親は、部屋のドアノブに縄を引っかけて、首吊り自殺をしようとしたんだと。

しかも俺の部屋のドアノブだった。誰のだったらいい、ということじゃないけど。この時には、兄貴はとっくに外に出ていたはずなのに。

首元を見たら、真っ赤っていうか、うっ血したようなアザになっていて、「失敗しちゃった」みたいなことを半笑い、作り笑いで言っていたような記憶があります

未だに後悔しています

あれだけ明確に希死念慮を見せていたにも関わらず、なにもできなかった。

母親がこのとき、俺に助けを求めていたのかは分からない。あるいは本当のショックを与える前に、「私は死ぬからね」という予告をしたのかも分からない。

兄にも周囲にも連絡をしなかった自分の愚かしさ。せめて身内だけには言うべきだった。

でも、言ってもどうにもならないんじゃないか、言われた側に負担を強いるだけになるんじゃないかと、どこかで想ってしまっていたのも事実です。

母親自殺をするかもしれない。どうか助けて下さい。」この言葉を俺はいったい誰に伝えればよかったのか、いまでもわからない。

救い方があるとしたら、それは俺がどれだけ母親が好きで、愛していて、感謝しているかということを、心変わりするまで何度でもいうことしかなかったんじゃないかと。

ある日、大学に行った。四月の上旬。はっきりと覚えてる。

ちょっと早めに授業が終わったのか?サボったのか。正直どっちでもいいけど、俺は家に帰った。

なんだかすごい胸騒ぎがしてた。兄も俺も家にはいない。家にいるのは母親だけ。

ただいまとドアを開けた瞬間、やはり自分の部屋の前で、足元に椅子を置いて、スカーフで作った縄を首にかけて、うなだれて扉にもたれかかる母親を見つけた。

凄まじい衝撃と同時に、「やっぱりこうなった」とどこかで思う自分がいた。

首にかけているスカーフ素手では取れなかったので、キッチンからハサミを持ってきて、片方の刃で切り落とした。

抱き抱えた母親身体は、思い返せば想像よりもずっと軽かった。

「誰か、誰か助けてください」と今までにいったことのような言葉を金切り声で叫びながら、居間の上にあおむけにさせて寝かせた。

そして震える指でスマホをうって、まず兄にコールした。

兄は大学二年生で、本来なら学生寮にいたはず。この日はたまたま里帰りをしてきて、何かを読みに本屋にいってくるといっていた記憶がある。

しかすると母親は、この日を待っていたのかもしれない。兄弟が揃う日じゃないと死ねないと思ったのか。分からない。

ママが首を吊ってた。いま俺が下ろしたけど、意識がない。救急に連絡するから、すぐに帰ってきてほしい」

と言って、すぐに電話を切った。兄は「わかった」とだけ言っていたような気がする。

家の場所を伝えて、どうか助けてくださいというと、すぐに救急車と救助隊の方々が来た。

俺は人命救助の方法とかがまったく分からなくて、もしかすると心肺蘇生とか、胸骨圧迫とか、本当はいろいろなやりかたがあって、

待っている間にそれができていれば、母親を助けられたんじゃないかと思う。

でも本当に現実現実として受け止められてなかった。頭がヘンに冷静だったのは、「こんなことになったけど、きっと助かるよな」と無根拠に信じ込んでいたからだと思う。

ここではどうにもならないから、と救急車に乗り込んだ。

ハサミで深く切った指から血が流れていることに気付いた。痛みはまったく感じなかった。

俺「こんなんなっちゃったな」

兄「俺、これからどんな顔して顔あわせればいいかわかんないわ」

俺「そうだなぁ」

こんな会話を、兄弟で悠長に会話していたのをハッキリと覚えています

ここまではすごくハッキリ覚えているのに、ここから先があいまいなのが不思議で、不思議で。

確か夜の病棟に運ばれて、「自意識が戻る可能性はない」と言われたこと以外は、実はほとんど覚えてないんです。

翌日の病室の面会で、意識のない母親を前に過呼吸になるぐらいに泣いてしまたことを覚えてます

そして「自意識が戻る可能性はありませんが医療を続けますか?」というような旨を医師の方に伝えられて、「もういいです」と伝えたことは覚えてます

そしてずっと病院に居るわけにもいかいから、家に戻って、母親のいない家で過ごして。

三日後か四日後、電話の連絡で「お母さんは亡くなりました」と同僚の方から連絡をいただきました。

母親の死に目に会わなかったのは、自分にとって幸運だったのか、不運だったのか、未だに分からずにいます

からない、本当に今でもわかりません。

あのワインの日から自分に何が出来たかをずっと考えています

間違いなくサインとなっていたあの日ちょっとでも行動を起こす勇気自分にあったのなら、もしかすると母親は今も生きていたのかと。

anond:20210428000256

えぇそうなんだ。めちゃくちゃ怖いな。でもまだ救急車できちんと運ばれたおかげで意識不明で済んで良かったな。

良いことな人生だけど俺も死ぬのは怖いよ。

大阪の方だと救急車すら来ないらしいし孤独死しそう。

2021-04-27

千分の一のコロナ訪問看護


今の神戸の実情です。

神戸訪問看護藤田愛さん投稿コピーして皆様にご紹介させていただきます

自分事としてどうぞ皆さんお考え下さい。



敗戦中の従軍看護師はこんな気持ちだったのだろうかとか、毎日ぼきぼき心が折れてゆく。1日回れても8人、重症者が増えてきたので1件ずつの訪問時間が長くなる。

「せめて入院までの間、訪問してくれる訪問看護ステーションをご存じないですか?」

うそ保健師さの声が悲鳴である

知っているけどないとは言えなかった。「行きますよ」と返事してしてしまうのが、自分の弱さだと分かっている。

有料道路を乗り継いでいく初めての土地、真っ暗だからここは県外か?どこに向かうのかとか訪問先のことなのか、自分のこと何か分からん問いがわいてくる。

到着が21:00になった。家のドアを開ける時に心が定まる。できることをする。

待たせてごめんね。病院廊下でもいいですから入院させてほしいとお母さんに手を合わされても、私にはどうすることもできない。咳き込んでいるので、窓全開でも気が散りそうになる。集中して血管を探す、よし入った。ステロイド入りの点滴、焼け石に水でもないよりまし。来てくれただけでも命が見捨てられてないと感じて希望が持てます

こんなこと誰が知っているのか、どう発信すればいいのか。

今ここに居合わせている私でさえ、信じたくなさの気持ちが反発しているくらいなのに。

呼吸数54回、酸素吸入72L、39度台の発熱が続く。

病院で陽性だけ検査して帰宅後、1週間。おいおい、これはこのままじゃ今夜死ぬかも。持病の薬が床に散乱してる飲めないよね呼吸数54回じゃ、まだ30代できることは正しく、危機感が伝わる報告をすること。

保健センターに、数値と判断を伝える「早急な入院治療必要です、そうでなければ感染症呼吸不全心不全かで急死の可能性があります。」

どれだけ同じような報告を保健師が聞いているだろう、悲鳴の向こうにまた悲鳴がある。

訪問を終えての帰路、保健センターから電話が入った。

10分後に救急送できることになりました。」

「もしよろしければ搬送先を教えていただきたい。」

「○○病院です。」

おー、重度者治療病院である。救えるかも。

「ああ、よかった、ありがとうございます。」

保健師とほんの数分言葉を交わし、一緒に悲しんだり喜べるのが支えとなる。

コロナ訪問100件を超えただろうか。入院調整中の数の増加に1000分の1と思う。急変を見つけても頼るかかりつけ医入院もないなら私のやっていることに意味があるのか。いや、あるからやっているのだ。信じたくなくても、一丸となって本気の緊急事態宣言を皆でがんばるしかない。飲食観光、私の人生の一部だ、絶対に守りたいと思う。だけど今の命なくして、未来はない。

全例入院治療がいいに決まっている。でも叶わないなら、医師コロナ特例で免責されて、対面なしで在宅酸素ステロイド抗生剤、解熱剤、点滴をコンフォートセットにして処方できるようにしてほしい。まだ私自身は実施例は少ないが、これで救える命もかなりある滞在時間も30分以内に留められる。

でも回復約束できるわけじゃない。何もせずにいつとも分から入院を待つよりいい。それを離れた家族は知っておいてほしい。たかがそれでも引き受け手がない中で全力を尽くしていることを理解してほしい。この事態について全国民理解必要である。県外に住む家族に「おいこらオマエ、治療せんか、入院させろ」とすごまれたってできんものはできん。

心配でしょう、そうですよね。私たちが生まれて、急病なら医師の診察、救急車があたりまえでしたね。残念ながら今の神戸はその状況にありません。静かに強く現実を伝えてゆく。もう何回目か覚えていない。30分から1時間はかかる。10しか担当していない私でさえそれだから保健所電話がそんな電話で埋まる。保健師が次々倒れて、より人が減るのもあたりまえだ。倒れなければ休めない。

1000分の1のコロナ訪問看護を綴ってゆきます

今、酸素飽和度85%だった方、あかんかと思ってたら酸素ステロイド抗生剤3日目、94%にあがったと電話。そんな会話できる人だったことを今初めて知ったわ。私、こう見えて商売人やもの。話得意やねんで。うれし泣きで始まる今日の朝。

2021-04-26

anond:20210426150250

俺去年地下鉄階段転げ落ちて骨折したよ。

救急車で運ばれたんだが、今みたいな状況じゃなくてホントよかったよ。

こりゃ大阪の吉村知事のコロナ病床削減政策が当たったのかもしれない

どれほど声をからしても増加の一途だった大阪感染者数が、いよいよ医療崩壊か、と報じられた途端に再生算数が0.996

そうだよねー。どんなに行政が声をからしても、結局は市民一人一人の心がけでしか感染は防げない。

「まだ病院は空いてるでしょ。へーきへーき」と思っている間は決して自粛はしない。

「もう病院が溢れてる」とか「救急車患者を運ぶまで47時間かかった」とかの報道があると、ピタリと行動を変容する。

ならもう、その時期を早めるしかないじゃないか。じゃぁ、病床を最初から減らした方がマシだわな。

東京再生算数全然下がらないので、このままじゃ2週間後に大阪のようになる、と思って先手で緊急事態宣言したけど、Twitterで溢れる声は「まだ病床余裕があるのになんで?」の疑問の声。

挙げ句の果てに、「うちは営業を続けます」という寄席とか、全然危機感がわかってない。

そうなんだよね。周囲が無事平穏に見えるなら、営業制限なんて理不尽しか感じないわな・・・

それが人間というのもわかるが、文明人なんだしもう少し、未来予測する力を発揮して欲しかった。

2021-04-23

anond:20210423102244

階段から落ちて頭打っても救急車来ないとかなったら嫌やん

そういうことは考えんのか

2021-04-22

anond:20210422142304

あのー、世界史で、禁酒法アメリカアルカポネなど)習っていないし、全く知らないという日本史専行の方、もしくは、俺馬鹿から、という水商売アルコールを男に飲ませないとどうなるか?というのを

体感でご存じないという方がいらっしゃいましたら、駅前でポピドンヨードダンスを踊ってください。

発見され次第、救急車保護の人が急行すると思います

2021-04-20

普通のことだから

深夜のネットカフェ、隣の部屋から「くちゅくちゅ」聞こえて、吐息も聞こえて、

メンブレンキーボードを打つ音だって自分で気を使うくらいの作りの店で、

天井の空調の銀色の配管見たら、眼鏡女の子ヘッドホンしてスカートを腰まで上げて、

大股開きでおなにーをしてるように見えた。上を向いて目を閉じてかな。

女の子だってうんこもするしおなにーもするって。

衣擦れの音の速さと息を止めたときとその後の10秒くらいの無音と、

軽くため息と大きなため息と背伸びしてあくびして。

神田とあるネットカフェは「完全個室防音」ってあったから行ってみた。

部屋に入ると確かにしーんとしていて静かだった。が、「ハックション」とくしゃみが聞こえてきて、

お客がみんな静かにしてるから静かなだけだった。

昨今はリモートミーティングする機会も多い。

部屋で1人で喋ってると大声になるし、防音して静かにする方向だとむしろうるさい。

ネットカフェの防音じゃリモートミーティングできない。

鶯谷ラブホもいいけどネット回線が「Wi-Fi完備」だから心もとない。光回線引いて欲しい。

防音ならカラオケボックスかAPAホテル。でも回線弱い。

御徒町のHailey'5cafeは良かったかも。

反対側のmonopolyは部屋はまあ良いけどPCゲロすぎ。

部屋の作りは他より良いけど、それでもワイの向かいの部屋のバカリモート面接してた。

それ、周りが静かだから防音と勘違いするけど、喋ってるのは筒抜けだからな。

外の救急車サイレン聞こえるだろうが。

職場男子トイレの個室の壁に耳を当てて澄ませると、

女子トイレの音が聞こえるから聞こうと思ってたら自分名前が聞こえて

それで怖くてもう無理。「ぷっ。あ、おならしちゃった//」を想像してたのに

2021-04-19

anond:20210419172804

クソ酷い目にあった

ほんの一口だけ、アルコール度数の低い酒を飲んでみて

そんで何か受け付けないようなので、それ以上飲まず安静にしてたのに

それからだんだん体調が悪化していって

からピューと吹き出すようなゲロ吐くし

ケツからは完全に液体のクソが噴き出すし

時間ずっとトイレに籠ってた。便器にしがみついてたわ

やたらと寒気が凄くて凍えるし、目の前が暗くなるし、動けなくなるし、ガチ死ぬと思った

救急車呼ぶ体力も無くなるし、というかそういう頭にならなかったし、もう絶望だけだった

酒はだめだ

せっかく買った酒どうしようかなあ。俺これは飲めない

明日会社休もうかなあ、つっても絶賛テレワーク中だし、体力使う仕事じゃないけど

2021-04-18

anond:20210418133437

大事に。熱が38度越えたら危険領域。一応、救急車を呼ぶ覚悟は持っておいて。運んでもらえないかもしれないけど…。

2021-04-17

anond:20210417223934

ワイが倒れたときはすぐ助けてくれたで

あそこの、携帯カバンにいれといてくださいって言ったら入れてくれた

その人が救急車呼んでくれた

両親がコロナになった

実家暮らしを続けている社会人です。この度、両親がコロナになりました。

いまは中傷という感じで、救急車を呼ぶ瀬戸際状態


できればそのまま死んでほしいと思っている。最低なのは分かっている。誰にも言えないから増田に失礼してる。


ヒステリックで子に依存してる母親他人批判しかしない大して能力もない父親

ヒトとして、どちらも嫌いだ。

私自身の性格はなかなか酷く、その原因は育った環境。頑張って矯正中だ。

とにかく否定されて育ったせいで、自己否定希死念慮に苦しめられてきた。今も完全に治っちゃいない。


ならば家を出れば.......と思うだろうが、試みた際に母が自殺するんじゃないかって勢いで止めてきた。

私を育てるしかなかった両親への同情から実家に留まることとなった。


可哀想なのでそばにいて、優しくして、まるで幸福な家庭を作り上げている。褒めてほしい。

心の中ではずっと、早く死んでくれないかなあと願いつつ。


そこでコロナが広まった。

ずっとずっと願ってた。両親が感染し、亡くなることを。

ついに、その時がきた。あと少し。

早く私を解放してくれないだろうか。


ちなみに、コロナへの対策バチバチに行っていた。

どこで感染したのか本当に分からない。

もはや気をつけても罹るみたいだから、みんなはどうか生き抜いてください。

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