はてなキーワード: 市民とは
特に戦術SLGやSRPGでは護衛ミッションが無いと残念に感じるくらいである。
単に護衛ミッションと言っても設定やマップの状況によって印象はだいぶ違う。
例えば
例えば
例えば
例えば
例えば
例えば
例えば
例えば
例えば
例えば
例えば
例えば
これらの組み合わせで色々な護衛ミッションが作れる。
逆に考えると戦術SLGやSRPGで護衛ミッションが一つだと物足りない。
沢山作れるし、沢山作って欲しいのである。
この獄門島も凄い。
輸送機は作戦地に初めから配置されているため、兵士が乗り込む前から守らなければならない。作戦地に初めは隠れており輸送機までやってくる兵士も勿論護衛しなければならない。輸送機が発進したら作戦地内を離脱ポイントまで飛行するので、その間も守る必要がある。
そして、輸送機を脱出できないようにしている施設を全て破壊する事が必要、自分たちも輸送機で脱出するというのが素晴らしい。
そればかりか最初の作戦には含まれていないが、ゲーム中では作戦地内で他に取り残されている兵士の存在が明らかになる。
追加での護衛と脱出まであるとにかく豪華な力作ミッションである。
本で見ただけだがこれも印象的だ。どうも捕虜の載せ替え?らしい。動かない捕虜収容所からトレーラーに乗せるのは羅刹オルタネイティブにあったが、動く馬車から馬車は見たことがない。
捕虜収容所からでも馬車からでもどっちでも変わらないのではないか?と思われるかもしれないが、救助する元の場所が動いているかどうかでもやっぱり印象は違うと思う。
ただし残念ながら遊んだことはない。
シークエンス・パラディウム2は今どきのOSでは動作しない。仮に動作しても難易度が高いようなのでそのステージまでいけないかも?
他に羅刹2というゲームでは、3台の車両をそれぞれ指定の位置まで護衛(行く場所が同じではなくそれぞれ指定されている)、
兵士を護衛し敵基地へ侵入させるとマップから消えるが作戦が終わるとマップに再登場するのでそれから兵士をマップ外に護衛するなどもあった気がする。
逆に護衛される系もあるのではないだろうか?
ファイアーエムブレムトラキア776などは4章外伝の自動操作のセティ様などは頼もしく、プレイヤーが守られている。
いやそれは大げさな言い方で実際には共闘だろうか。しかしありがたい。
トラキア776は市民(クラスはシビリアン)を守る印象が強いかもしれないがセティ様を忘れてはいけない。
羅刹の話ばかりになったが特定のシリーズとか特定のジャンルとか関係ない。
とにかく護衛ミッションはあるとうれしい。
はてブでは表現検閲と炎上していますが、私はまっとうな判断だと思いました。
私はグラビアファンです。リアルイベントに参加するほどの濃いファンではなく、新作のサンプル動画はすべてに目を通し、そのうち月に数本を購入する程度の、ライトな愛好家です。増田にもたびたびグラビアを楽しむエントリーを書かせていただいています。今の推しグラドルは星名美津紀ちゃん、林田百加ちゃん、佐々木萌香ちゃん、真田まことちゃん、大川成美ちゃん、村上りいなちゃんなどです。
そういう人間の眼から見て、埼玉県営プールのガイドラインには、努力の跡がうかがえました。
ガイドラインは物議を醸すかもしれない。しかしそれを押してでも、健全な撮影会は何とか許可してあげたい、そういう思いが伝わってきます。県は撮影会をできるだけ許可したいのです。
そもそもプールは泳ぐ場所です。公営プールの主な役割は市民が水泳を楽しむことです。それ以外のサービスはプラスアルファの付加価値にすぎません。撮影会に貸し出すことだって、本来あってもなくてもよいサービスです。「いかがわしい撮影会との線引きが難しいので、水着の撮影会向けの貸し出しは今後すべて中止します」と言うことだって簡単にできたはずです。なのにそうしなかった。茨の道を選んだのです。英断だと思います。
実際に行われている撮影会がどのようなものかは参加したことがないので存じ上げません。ですが、健全なものから相当きわどいものまで、幅広くグラデーションに分布した様々な撮影会が行われていたであろうことは想像できます。
ファンの立場から申しましょう。グラビアははっきりと不健全です。いかがわしいです。だから興奮します。そこが価値なのです。
ことに近年は全年齢向けグラビアの過激化が進み、露出や擬似セックス表現がいよいよ露骨になってきています。10年前なら着エロと呼ばれてR18指定されてもさほど不思議ではないような作品が、今や堂々と全年齢向けに販売されています。人気グラドルから着エロをスキップしてAVに転身した三田サクラ(旧芸名・二宮さくら)も、グラビアとAVの違いは表現のグレードにすぎない、地続きのようなものであると言っています。商業グラビアですらそうなのですから、露出で人気を獲得してきた地下アイドルやコスプレイヤーたちはどんな格好をするのでしょうか。
たとえば、あなたの町の公民館の貸し会議室でAV撮影が行われているとしたら、あなたはそれを許容できますか? あなたは許容できるとして、町のみんなは許容すると思いますか? 多くの市民は許容しないか、少なくとも抵抗をおぼえるでしょう。そういう後ろ暗い、いかがわしいことは、税金で運営されている施設などではなく、民間の施設でやってほしいと思うでしょう。なにしろ民間の貸しスタジオならいくらでもあるのですから。
いやらしい、はしたない、いかがわしい、といった〈風紀〉は主観的な尺度に過ぎませんが、それでも社会通念として機能していることは事実です。
公的施設は様々な目的で利用されますが、その目的のすべてを〈風紀〉という日付変更線でくっきりと弁別することは簡単ではありません。なにがエロでなにがエロでないか、そんな曖昧な地雷原にアウトとセーフに線を引くことは難しい、いっそ全部を禁止してしまえ、となるのがお役所の事勿れ主義です。厄介事には蓋をしてしまうのが一番簡単な解決方法だったはずです。埼玉県はそこにあえて線を引こうとした。私はこれを埼玉県の良識・良心だったと思います。泳ぐためのプールだけど、ほかにももっと色んなことに利用させてあげたい、でもエロだけは勘弁して、公営だからね、と。
埼玉県の差し出したNG集が生暖かい笑いを集めていますが、グラビアファンであれば納得の内容になっていたと思います。見ない人には面白おかしいものだったかもしれませんが、見ている人にとっては的を射た図でした。露出に挑戦するタイプのグラビアによくある代表的な扇情ポーズを端的に図示しています。とてもよく勉強しています。私は埼玉県の態度は支持しますね。
なぜ「普通の」男性の多くが「性交同意可能年齢なんて必要なの?」と疑問に思うかと言えば、「自分が未成年少女と性交したいから」ではなく、「自分がガキの頃に綺麗なお姉さんに誘われたら、喜んで性交したけどなぁ」という想定があるからだわな。
それはそれで視野の狭い話ではあるが、彼らのような「普通の」市民を、説得しようというのではなく、レッテルを貼って排除しようというのが、「民主主義的ではない」と批判されているんだよね。
「普通の」というのは、特別な教育を受けていない、大した教養もなく漫然と日々を生きている人のこと。
大学レベルの教養を「常識だ」と言って憚らないのは傲慢だよ。世の中には、事情があって大学に行けない人、高校にすら行けない人もいる。
誰もが不審者ではないけど安全を期するために、学校などの一部施設には部外者の立ち入りは禁止されています。
誰もが傷害/殺人などの加害を目的としていないけど、市民の安全と安心のために刃物やその他武器となり得るものの所持などは制限されています。
これと同じように、誰もが加害者ではないと理解していますが、女性の被害リスクが上がるので男性器を持つ人の女性専用スペースへの立ち入りは制限しますって話だと思う。
街ゆく人達の中で、誰かを身体的に傷つけてやろう殺してやろうと思ってる人なんてまず居ないでしょう。(そう思いたい)
でも、そうだからって「自由に刃物持ち歩いてOKです!お料理とかに使うだけで、きっと悪意なんてないもんね!」って法律で決められたとしたら、安心して街を歩けますか?
「これに乗じた悪意ある人間が絶対に現れるぞ」って思いますよね。
こういう主張の人が大半なのに、その人たちまでトランスヘイターだターフだとバッシングされてるのなんでなん?まともなことしか言ってなくない?
性別に基づいた専用スペースで話題に上がるのは、いつも女性スペースだ。
女性と判断されやすい見た目で男性スペースに入って問題があるなら、理解を求めるべきはまず男性側なんじゃないの?
上記の主張は、そもそも「ジェンダー」なんて社会的規範のひとつなので、突き詰めた先にあるのは身体的な区別だけという考えに基づいています。
もちろん、今この瞬間に悩みを抱えているトランスジェンダーの人たちの苦悩を軽んじる意図はありません。
生まれた体と同じジェンダーで社会を生きるのが苦痛だ、そもそも自分の体の作りに違和感があると言うのはとても辛いことだと思います。
でも女性だって社会の中で作られた「女性」というジェンダーに違和感を持たない人はほとんど居ないし、それに伴う社会格差や被害のために声を上げてる人もたくさんいます。
(女性だって苦しんでるから、トランスジェンダーの人も同じく苦しめと言いたいのではありません。色々な方法で、あらゆる属性の人が快適に生きれる社会が理想だと考えてます。これはその"方法"の探り合いの話だと思う。)
例えば女性だけ、職場において身だしなみの範囲を超えた装飾(化粧やハイヒールなど)を強制されるのはおかしな話です。
けれど彼女たちは、別に「男性になりたい」訳じゃない。体の作りがどうであれ、平等に扱って欲しいだけなので。
同じように、別に男性の体のまま、どんな格好してもいいじゃないですか。
でもやっぱりどうしても、目の前の現実として女性だけが暴力、とりわけ性暴力の被害に遭いやすいから要所要所では棲み分けをして安全を確保せざるを得ないんですよ。
それをまず、大前提として分かって欲しい。
別に、外を歩いていたり、知り合ったトランスジェンダーに人を指さして糾弾したいんじゃない。ただ、自分たちの身体的な安全を守るためのスペースだけは守らせてくれという話だ。
「6回接種!マスク厳守!PCR検査必須!」みたいな知恵遅れみたいな事未だに言ってるし、コロナって老人のわがままに付き合わされただけなんじゃねーの?
ちょっと調べりゃ付着と発熱の区別も出来ないPCRなんか何の参考にもならん事位判るのにな。発病のみ判明する抗原ならまだ判る。
なんかアレよな。戦争が終わって自分だけ鬼畜米英って1人で竹やり振り回してる変わり者の市民に付き合わされてる気分。
若者とかホント良い迷惑だわ。何人健康被害被ったと思ってんだよ。人間何やっても死ぬときゃ死ぬんだよ。それが運命・天命だろ。まゆりが何度も死ぬみたいに、決まってる事に逆らっちゃイカン
id:goldheadはその前から「人殺しの顔」論法を使っているが、
https://goldhead.hatenablog.com/entry/20101003/p2
たとえばこちらの記事では、横浜市が「市民の半数がアダルトビデオを問題視するように教育する」ことを目標にしていることについて、
とし、
と結論している。
「人殺しの顔をしろ」ってそういう意味じゃないだろ……って見かけるたびに思っている
このフレーズってこのブログの記事がきっかけで広まった認識なんだけど
https://goldhead.hatenablog.com/entry/20101212/p1
言っておきますが、この記事にはお化粧も、予定調和もありません。いつものように、人間のふりをしていません。私は人殺しの顔をして書いている。だから、さらに話を広げてしまうとすれば、私にはこの記事の町内会長の男性(62)のように持ち家も土地もありませんし、おおよそ年収200万円程度の人間に過ぎませんが、私も失いたくないし、私のこの生活が成り立つためであれば、どこかの誰かが職を失ったり、人格が破壊されるほど惨めな目にあったりしようが、知った話ではありません。ましてや、日本であるという程度の理由でこの王侯貴族のような暮らしが成り立つなら、どこかの国で悲惨な児童労働が何百万件行われていようと、知った話ではありません。知った話だとしても、知った話ではありません。せめて、人殺しの顔をしたい。
「今の私の暮らしは他の誰かが犠牲になることで成立している。だが私自身が代わりに犠牲になりたくない。しかしせめて誰かを犠牲にしたという自覚を持つ。」って意味だと思うんだよね
それが芸能人が自殺して、批判だか誹謗中傷だかしてた人に「人殺しの顔をしろ」って言うのは……
「自身の行為が悪だと自覚せよ」って意味で言ってるんだと思うんだけどね
そりゃ「自身の行為が悪だと自覚せよ」って意味の大意は同じだけどさ
生活を成り立たせるためにやむをえず行う「人殺し」と、積極的に批判だか誹謗中傷だかをする「人殺し」は違うだろ
まあミームってのは意味がどんどん変質していくものだから、これは当たり前の事ではある
だが元々のブログ記事が言いたかったことが忘れられているような気がしてちょっと悲しくなってしまう
(それとも私が知らないだけで「人殺しの顔をしろ」ってセリフは他に元ネタがあったりするのかね、だとしたら納得ではあるんだけど)
https://anond.hatelabo.jp/20230713110743
id:goldheadはその前から「人殺しの顔」論法を使っているが、
https://goldhead.hatenablog.com/entry/20101003/p2
たとえばこちらの記事では、横浜市が「市民の半数がアダルトビデオを問題視するように教育する」ことを目標にしていることについて、
とし、
と結論している。
教えてくれてありがとう
「りゅうちぇるへの誹謗中傷は身勝手への誹謗中傷!!だから正しい!!!!!」みたいなやつ
関東大震災で無辜の市民ブッ殺しまくった自衛団かと思っちゃった
仮に正当性を主張するなら、
・「身勝手」とは何か?
→「身勝手」の定義が適当なものであり、りゅうちぇるさんの言動が明らかに「身勝手」であり、かつ「身勝手」であるとされる論拠が妥当である場合、
・それがなぜ自殺という結果を招いた誹謗中傷の正当性と結びつくのか?
を検証しなければならないのに、そんなこと一切触れないで、ただ「身勝手!正しい!ムキー!」って言ってるだけでしょ?
りゅうちぇるきも、しね!!!!!え、しんじゃった………………わたしわるくないもん!!!!!みんなそうおもうよね!!!!!!!!!!
うん!!!!!わたしもそうおもう!!!!!!!!!わたしたちはただしい!!!!!!!!!!
互いの罪悪感チュパチュパしてるだけじゃん
マジで気色悪い
消すなよ
すっかりお茶の間の顔になったマツコ・デラックスだが、ジャニー告発を発端とする今の流れが別の議論を呼ぶ前に、今のうちに引退するのが正解に思う。(逆に引退せず自分を自分に取り戻すチャンスとしても良いが、茨の道だしテレビでそれをやり切るのは難易度が高すぎる)
ジャニー告発により性被害が女性特有のものであるという社会の認識は今後ゆっくり変わっていくと考えられる。元々当たり前のことなのだが、これまでの現実社会では被害は女性、加害は男性という構図が出来上がっていた。その証左に電車には女性専用車両があるわけである。男性の性被害は社会としてはほぼ考慮されていない(もちろん法律の守りは最低限あるが)。今回は加害者は男性だが、これまでも某議員など女性からのセクハラも世間としてはほぼ無風だが現実として存在する。スカートめくりとレイプを同一視してきた向きがいる社会である、これが程度の差であるなんて口が裂けても言うことはあるまいや。
他方マツコ・デラックス。軽妙な憎まれ口と印象的な見た目、そして時折見せる教養で気づけばテレビでは見ない日がないほどの人気者となった。また氏はゲイとされており(真実は知らん本人に聞いてない)、前述の特徴も相まって普通の人間では炎上してしまうような物言いも許される状況を作り上げており、テレビはこぞって男女に言いたいこと決めつけに近いことを氏に言わせるのである(尤も、それは本人が完全に望んだものではないと推測できる。氏はブラックジョーカーとして人を楽しませることは好きであろうしそういうことが許される状況を産み出せる気遣い上手であることも自覚のあるところであろうが、そうして作り上げた地盤にまあ裸足で上がられて色々と代弁させられている。氏はおそらく「商品」としての自覚もあり人のせいにすることはしない矜持もあることでその業を少しずつ背負っているのだろう。しかしそれは心も体も蝕むことである(元来働くとはそういうものでそれは氏も理解の範疇ではあるにしろ)。賢い氏のことなので自分に嘘にならないギリギリを行こうとしているだろうがそれも物量の前には諦めざるを得ないところもでる。おそらく氏は今後への漠然とした不安(今は大分小さいかもしれないが)とこのソウルジェムの穢ととはいえ自分の表現の場を失う恐れを天秤にかけてはいるだろう。ただ今はすでに天秤を見るエネルギーも少なくなっているのではないかと、氏の言動からは推察される)。
さて、氏はよく男の品評をする。これはもちろん本音もあろうが(でなくば的はずれなものになる)、自分に期待される役割・コンテクストを全うするというところが大きかろう。これが許されているのは社会的な「男性は性被害に合わない」「ゲイのギャグ利用」という意識であり、この令和でもセクハラだ不快だと言われづらい(「男」が「女」に同様の品評をすればそれなりのクレームは免れない)状況となっている。
これまでジャニーの行いは告発本もすでにあり世間の知るところではあったが、それはある意味生々しさを失ってほぼ「ギャグ」として扱われてきた。メディアに限らずほとんどの市民がそう扱ってきたのである。しかし外圧から始まる今回の一連の流れにより市民は一気に(自分のこれまでの認識を無視して)厳しい目を向けるようになり、果ては山下達郎まで炎上するほど関心が高まっている。ジャニーの行いに生々しさが取り戻されたのである。
するとどうなるか?社会の認識では性被害は女性が対象でありそこに反論しようともミソジニーのレッテルにより閉口させられてきたものに生々しい反論がうまれる。加害側にしてもジャニーは男であるが、先に言ったように女性からの性加害も挙げれば出てくるわけである。そのように世論が傾いてくるとニュースでは女性から男性の加害も取り上げ始める。そうして性被害は誰にでも起こるものと認知が広がり、徐々に「性被害は女性のもの」を前提とするテレビのコメンテーターの発言は炎上の種になっていくわけである。
もちろんマツコ・デラックスも例外ではない。氏の男性への品評は紛うことなきセクハラであり、言われた側も「あとから考えればあれ嫌だったな」といくらでも言える状況になってくる(もちろんマツコ氏は人を選んで発言するが、もはや言われた側の意向など無視して当人置いてけぼりで発言者を批判する現代にそれはあまりにも弱い論理なのである)。そうなると辛い。そうなってから「世の求めに応じて演じていた」と言ってもすでに世間は聞く耳を持たないのである。その世間の求めが氏を作り上げたにも関わらず(世間というのは個人ではないのでここが非常に恐ろしい)。
長くなったが、つまり結論として、マツコ・デラックスは今引退するのはある意味でとても良いタイミングではあると思う。テレビで見る氏のことが大好きな自分にとってはとても辛いことだが、氏の人生こそ氏にとって最優先にしなければならないことであるからして、周りの人を考えすぎず決めてほしいなと、そう思うものである。