はてなキーワード: 天皇陛下万歳とは
その朝、ぼくは学校に行くのがひどく遅くなってしまい、それに高森先生がぼくらに連体詞について質問すると言ったのに、まだ一言も覚えていなかっただけに、叱られるのがすごく怖かった。いっそのこと授業をさぼって、野原を駆け回ってやろうかという考えが頭をかすめた。
すごく暖かくて、よい天気だった! 森の外れではツグミが鳴き、原っぱでは、製材所の向こうで、アメリカ兵たちが教練をしているのが聞こえた。どれもこれも連体詞の規則よりはずっと面白そうなことばかりだった。だが、ぼくは誘惑に打ち勝つことができて、大急ぎで学校に走って行った。役場の前を通りかかると、金網を張った小さな掲示板のそばに大勢の人が立ち止まっているのが見えた。二年このかた、敗戦だの、徴発だの、アメリカ軍政庁の命令だの、悪いニュースは全部そこから出て来るのだった。で、ぼくは止まらずに考えた。
「今度は何かな?」 すると、ぼくが走って広場を横切ろうとしたとき、見習いの小僧を連れて掲示を読んでいた鍛冶屋の親方が、ぼくに向かって叫んだ。
「そんなに急がなくてもいいぞ、ちび。学校なんて、いつ行っても遅れはしないからな!」
ぼくはからかわれているんだと思った。で、はあはあ息を切らせながら高森先生の小さな学校の中庭に入って行った。ふだんだと、授業の始まるときは大騒ぎで、勉強机を開けたり閉めたりする音や、よく覚えるため耳をふさいで、みんながいっしょにその日の授業を大声で練習するのや、それからまた先生が大きな定規で机をひっぱたいて、「ちょっと静かに!」と怒鳴るのが、道まで聞こえてくるのだった。
ぼくはその騒ぎを利用してこっそり席にもぐり込むつもりだった。ところがちょうどその日は、まるで日曜の朝みたいに、すべてがひっそりしていた。開いた窓から、仲間がもうきちんと席に並び、高森先生が恐ろしい鉄の定規を小脇にかかえて、行ったり来たりしているのが見えた。戸を開けて、それほどしんと静かな真ん中に入って行かなきゃならなかった。ぼくがどんなに赤くなり、びくついていたか、分かるでしょう!
ところが、そうじゃない! 高森先生は怒りもせずにぼくを見て、とても優しく言った。
「さあ、早く席について、ジソン君。君がいないけれども、始めようとしていたんだ」
ぼくは腰掛けをまたいで、すぐに自分の勉強机に坐った。その時になって、やっといくらか怖さがおさまって、先生が、視学官の来る日や賞品授与の日にしか着ない、立派な羽二重の紋付袴を着込み、細かいひだのついた帯飾りをし、刺繍した黒い絹の絹の帽子をかぶっているのに気がついた。その上、教室全体が何かふだんと違って、厳かな感じだった。
けれども一番驚いたのは、教室の奥の、ふだんは空いている腰掛けに、村の人たちがぼくらと同じように、黙って坐っていることだった。三角帽子をかぶったスニル老人、元村長、元郵便配達人、それからまだ多くの人たちも。その人たちはみんな悲しそうだった。そしてスニルさんは縁がいたんだ古い初等読本を持って来ていて、それを膝の上にいっぱい開き、大きな眼鏡を両ページの上にまたがって置いていた。
ぼくがそうしたことにびっくりしているうちに、高森先生は教壇に上がり、さっきぼくを迎えてくれたのと同じ重々しい声で、ぼくらに言った。
「みなさん、私がみなさんに授業するのは、これが最後です。朝鮮の学校では、これからは朝鮮語だけを教えることという命令が、アメリカ軍政庁から来ました……。新しい先生が明日来ます。今日はみなさんの最後の日本語の授業です。熱心に聞いて下さい」
その言葉を聞いて、ぼくは強いショックを受けた。ああ!ひどい奴らだ、さっき役場に掲示してあったのはそれなんだ。ぼくの最後の日本語の授業だって!…… ぼくときたら、やっと日本語を書ける程度なのに! このままの状態でいなくちゃならないわけだ!……
今になってぼくは無駄に過ごした時間のこと、鳥の巣を探して歩いたり、川で氷遊びをするため、欠席した授業のことを、どんなに悔やんだことだろう!
ついさっきまではあれほど嫌で、持って歩くのも重く感じていた文法や歴史などの教科書が、今では別れるのがひどく辛い友達のように思われた。高森先生も同じだ。先生はいなくなり、もう二度と会いないのだと思うと、罰せられたり、定規でたたかれたことも、みんな忘れてしまった。お気の毒な人!
先生はこの最後の授業のために立派な晴れ着を着て着たのだった。そして今になってぼくは、村の老人たちが何で教室の隅に着て坐っているのかが分かった。それはもっとしょっちゅうこの学校に来なかったことを、悔やんでいるらしかった。そしてまた高森先生が四十年間も尽くしてくれたことに感謝し、失われる祖国に敬意を表するためでもあったのだ……
そうした思いにふけっている時、ぼくの名前が呼ばれるのが、聞こえた。ぼくが暗唱する番であった。あのややこしい連体詞の規則を、大声で、はっきり、一つも間違えずに全部言えるためなら、どんなことだってしただろう。だが、ぼくは最初からまごついてしまって、悲しみで胸がいっぱいになり、顔も上げられずに、自分の腰掛けのところで立ったまま体を揺すっていた。高森先生の言う声が聞こえた。
「怒りゃしないよ、ジソン君、もう十分罰は受けていはずだからね…… ほらそうして。誰でも毎日思うんだ。なあに! 時間はたっぷりある。明日覚えりゃいいって。ところがその結果はどうだね…… ああ! そんなふうに教育などは明日に延ばしてきたのが、わが朝鮮の大きな不幸だった。今あの連中にこう言われたって仕方がない。なんだ! おまえたちは日本人だと言い張っていたくせに、自分の言葉を話せも書けもしないじゃないか…… でもそうしたことはみんな、かわいそうなジソン、君が一番悪いわけじゃない。われわれはみんなたっぷり非難されるべき点があるんだよ。
君たちの両親は、君たちにぜひとも教育を受けさせようとは思わなかった。それよりほんのわずかな金を余分に稼がせるため、畑や紡績工場に働きに出す方を好んだ。私だって自分にとがめる点はないだろうか。勉強するかわりに、よく君らに私の庭に水をやらせなかったか? それから鱒釣りに行きたくなった時、平気で休みにしなかったろうか?……」
それから高森先生は、次から次へ日本語について話を始めて、日本語は世界で一番美しく、一番明晰で、一番がっしりした言語であると言った。そして日本語を自分たちの間で守って、決して忘れることのないようにしなけらばならない。なぜなら一つの国民が奴隷となっても、その国民が自分の言語を持っている限りは牢獄の鍵を持っているのと同じだと…… それから先生は文法の本を取り上げて、今日の課業を読んでくれた。ぼくはそれがあまりによく分かるのでびっくりした。先生の言うことが、みんなやさしく感じられた。これほどぼくがよく聞き、先生の方でもこれほど辛抱強く説明したことはないと思う。気の毒な先生は、自分がいなくなる前に自分の知っている限りのことを全部教え、それをぼくらの頭に一気にたたき込んでしまおうとしているみたいだった。
課業が終わると、次は習字だった。この日のために、高森先生は真新しい手本を用意してきていた。それには美しい丸い書体で、「日本、朝鮮、日本、朝鮮」と書いてあった。まるで小さな国旗が勉強机の横棒にひっかかって、」教室中にひるがえっているみたいだった。みんな熱心で、それに静かだったことだろう! ただ紙の上を走るペンの音しか聞こえなかった。一度などは、黄金虫が何匹か入って来た。だが、誰も気を取られたりせず、うんと小さな子供たちさえそうだった。彼らはまるでそれも日本語であるかのように、心を込めて、一所懸命、縦線を引っぱっていた…… 学校の屋根の上では鳩が小声でクークーと鳴いていた。それを聞いてぼくは考えた。
「いまにあの鳩たちまで、朝鮮語で鳴けと言われやしないかな?」
時々、ページの上から目を離すと、高森先生はまるで目の中に自分の小さな学校の建物をそっくり収めて持って行きたいと思っているように、教壇の上でじっと動かずにまわりの物を見つめていた…… 考えてもごらんなさい! 四十年来、先生はその同じ場所に、中庭を正面に見て、まったく変わらない教室にいたのだった。ただ腰掛けや勉強机が、長年使われて、こすれて磨かれただけだった。中庭のくるみの木は大きくなり、彼が自分で植えたホップは今では窓を飾って屋根まで伸びていた。気の毒な先生にとって、そうしたものにみんな別れ、そして頭の上での部屋で妹が、荷造りのために行ったり来たりしている音を聞くのは、どんなに悲痛なことだったろう! なぜなら明日は二人は出発し、永久にこの土地を去らねばならなかったのだ。でも先生は勇気をふるって、ぼくらのため最後まで授業を続けた。習字のあとは歴史の勉強だった。それから小さな生徒たちが声をそろえて「五十音」の歌を歌った。あちらの教室の奥では、スニル老人が眼鏡をかけて、初等読本を両手で持って、子供たちといっしょに字の綴りを読んでいた。老人も一所懸命なのがよく分かった。感激して声が震えていた。それを聞いていると実に奇妙で、ぼくらはみんな笑いたく、そしてまた泣きたくなった。ああ! ぼくらはその最後の授業のことをいつまでも忘れないだろう。
突然、学校の大時計が正午を打った。それに続いて鐘の音が。それと同時に、教練から帰って来るアメリカ兵のラッパの音が、窓の下で鳴り響いた…… 高森先生は真っ青になって、教壇に立ち上がった。先生がそれほど大きく見えたことはなかった。
「みなさん」と、彼は言った。「みなさん。私は…… 私は……」
でも、何か胸につまった。終わりまで言えなかった。そこで先生は黒板の方に向き直り、一片の白墨を手に取って、全身の力を込めて、精いっぱい大きな字で書いた。
「天皇陛下万歳」
それから頭を壁に押しつけたまま、そこに立っていて、口はきかずに、手でぼくらに合図した。
「おしまいです…… 行きなさい」
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 82 | 11656 | 142.1 | 24 |
01 | 39 | 4952 | 127.0 | 38 |
02 | 33 | 9040 | 273.9 | 79 |
03 | 32 | 14764 | 461.4 | 128 |
04 | 20 | 2954 | 147.7 | 130 |
05 | 18 | 1314 | 73.0 | 62 |
06 | 24 | 4160 | 173.3 | 58 |
07 | 41 | 2698 | 65.8 | 19 |
08 | 57 | 3098 | 54.4 | 25 |
09 | 43 | 5185 | 120.6 | 51 |
10 | 53 | 7278 | 137.3 | 42 |
11 | 64 | 9955 | 155.5 | 66.5 |
12 | 88 | 9287 | 105.5 | 49 |
13 | 134 | 8581 | 64.0 | 33.5 |
14 | 131 | 12123 | 92.5 | 39 |
15 | 96 | 16062 | 167.3 | 39.5 |
16 | 116 | 19828 | 170.9 | 50 |
17 | 118 | 22493 | 190.6 | 46 |
18 | 83 | 11177 | 134.7 | 47 |
19 | 108 | 7036 | 65.1 | 31.5 |
20 | 112 | 14019 | 125.2 | 36 |
21 | 79 | 12713 | 160.9 | 47 |
22 | 116 | 17013 | 146.7 | 71 |
23 | 137 | 17557 | 128.2 | 52 |
1日 | 1824 | 244943 | 134.3 | 43 |
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さよなら平成、カウントダウン、そして令和になりました!新時代の幕開けです!!
街はテレビはお祭り騒ぎ。どうやら改元がめでたいらしい。......めでたいのは改元だっけ?
虚心坦懐。真にめでたいのは新しい天皇陛下の即位。新しい天皇陛下が即位されたから改元が起きた訳で。つまりHappy New EraじゃなくてHappy New Emperor。
しかししかしHappy New Emperorを和訳すれば「新天皇陛下即位万歳!」とかその辺り。さすがに戦後アレルギーの日本人、天皇陛下万歳とは叫びにくい。
そこで「天皇陛下即位」→「改元」をひっくり返す。メディアもみんな「令和」三唱!なんとなく「改元すると新しい天皇陛下が即位する」錯覚に陥ってみる。
「天皇制」にまつわるフィクションを、「改元」というフィクションで包む。包むとなんかそれっぽい。それで上手くいく。
昭和から平成も昭和天皇は崩御されてしまったけど、改元の印象としては官房長官の「平成」の文字がめっちゃ強い。
あい、あのー、今日はね、2019年の4月30日。えー、5時32分ね、夕方の。天皇がね、辞めました。あの皆っ知ってると思うけど、辞めやがってあいつ。天皇を辞めやがってよ。でー、まさっきまで、テレビ見てて。生前退位の儀式見てて。それ終わって今すっ飛んできて。動画ね、撮ってんだけど。あのー、ちっ、すー、まあ世間はねえあの、天皇陛下お疲れ様でしたと。これからはね、ゆっくりね、ご自分の時間を過ごしてください。みたいな、そんな声でね、溢れかえってるけど。(ドンッ)ふざけんなよ。なに辞めてんだよお前。おい。あのー、俺はね、俺はね。今、中央大学商学部会計学科4年、高学歴皇室ジャーナリストのね、私ステハゲは認めないからね。すー、ということでね、あの今回ステハゲのね、時事問題シリーズ第2弾としてね、天皇の生前退位を、ぶったぶった切る。
あのなんでね、なんでね、この俺がね、このステハゲがね、ここまでね、ブチ切れてるか。天皇の生前退位にね、世間はね、歓迎ムードの中で、ただ一人ブチ切れているかっていうとね。やっぱねえ、あのー甘えだと思うんだよね。その、まあ皆もう知ってると思うけど、ニュースとか色々見てると思うけど、天皇はねえ、もう死ぬ前に生前退位っていってね、自分の皇位を自分のね、子供に譲るっていう、生前退位をしたっていうのはね、今まで202年間なかったんだよね。最後にね、この日本っていう国で生前退位が行われたのは202年も前の話なんだよ。でこの202年間ね、誰一人として、天皇はね、生前退位なんていう甘えにね、甘んじることなくね、自分の公務を全うしてきたんだよ。その点でまずね、何でお前だけ辞めてんだよ、おん。ってのを言いたい。で、次はね、まこれはねやっぱね、あの-みんな国民の皆も思う事だと思うんだけどさ。僕らやっぱ、ね国民、日本国民はさ、毎日毎日日々ね、汗水垂らして、働いてる訳じゃないですか。で汗水垂らしてね、仕事して。で学校行って、勉強して。そんなね、あのー、日本国民がね、毎日必死になって生きてんのに、何でお前、日本の日本の、象徴とかいうね、お前が勝手に辞めてんだよ、ちっ。すー、そこはね、納得がね、行かないんだわ。ホントに、。おん、ちっ。ちょっとね、うん、すー一国の象徴がね、ふざけた真似されたらね、萎えるんだよほんとに。
でー、ちょっとねあの、ウィキペディアこれね。あの、天皇のウィキペディアなんだけど、これ明仁っいうさっき辞めたあいつのね、ウィキペディアだけど。明仁ね。ちっ、舐めた名前しやがって、おい明仁ね。聴いとけよ、お前ちゃんと。明仁のウィキペディア行くとですね、何かね、色々あるのよ、来歴とか人物とか、あってさあ。こんなさあ、あの、逸話っていうね、ページがあんだけど。逸話。こんですね、とんでもない情報が書いてあって。これ見てね、俺これで正直俺ブチ切れたんだよ。何かっていうとね、ここです。あい。えー、半年に渡って外遊した結果、単位不足で進級できず留年を回避するため、学習院大学政治学科を中退し、聴講生として大学に残ったっていう。(ドンッ)。ふざけんなよお前、ホントに。お一っとお前らよく聞いとけや、日本国民の皆さん聞いといて下さい、これねえ。このねえ、このポンコツね。大学時代に留年したんですよ。おん。単位不足でね、半年に渡ってね、遊びまわった結果、学習院大学留年だよ。ふざけてるでしょホントに。うん。あの-、まあ過去にね、僕やっぱ学歴系、学歴系のね、学歴系ジャーナリストだから、あのー、大学のね、話とかね、色々としてるの知ってると思うんだけど。あの、留年する奴はクズだと、常々あの言ってきてるんですよ。皆分かると思うけど。で、まさかのね、まさかのこの、明仁。大学を留年するクズだったんだよ。調べたらね。これ見てね俺もう、おったまげて。クズじゃねーかよとこいつ。おん。大学1つね、ストレートで卒業できない、クズじゃねーかよって思ってね。アンチになっちゃったね、俺ホントに。この、しかも、留年した理由がさ、半年に渡って外遊だよ。何外遊って。おん。カッコつけてんじゃねーよ、外遊じゃねーだろお前。どうせお前な、お前、皇室のあの、潤沢な資金使ってお前金遣いまくって、お前外で遊びまくってたんだろお前、ホント。皇后とパコってんじゃねーよ、ホントに。金遣って女とパコってんじゃねーのかよ、ホントに。口が回んねーよ、お前。ホント、おめーみたいな、明仁みたいな、おめーみたいに口回んなくなっちまった。っていうね。何が外遊だよ。調子乗んなよ。でね、あの聴講生となってからは、クラブ活動に原則参加できなかった。おん。陰キャラじゃねーかよ、おん。クラブ活動に参加できない、俺以下じゃん。おん。ホントねえ、舐めてんだよね、こいつほんとに。すー、っていうね。まあソースがありまして、おん。天皇陛下なんか、天皇陛下万歳とか言ってるけど、じゃあもう本質はね、本質は、ただのあのー、バカですよホントに。このねあの俺ですら、留年したんことないんだよ。今までにね、大学2つ中退して、今3つ目の中央大学に通ってるけど、この俺ですらね、留年したことないのに。明仁はステハゲ以下ってことだね。っていう。すー、まあね、こんな、こんな、こんなんがね、日本の象徴とかね、笑わせてくれるよなホントに、象徴じゃねーよな、嘲笑だよ。嘲笑ですわな。何が象徴だよ。あん。まーホントね、中央大学の、あの象徴おん。この俺から、俺ステハゲからしてみればね、象徴…ちゅん?嘲笑だよ。
すーtまあ、こんなんがね、こんなんが日本の天皇だからね。あのー眞子様が、眞子様が、小室圭にね。お前寝取られるんだよ。恥ずかしいったらありゃしねーや、何が小室圭だよ。ショーン・Kみたいな名前しやがって、ちっ。笑われてるよ、今頃笑ってるよ。今頃小室笑ってるよ、小室ホントに。あいつ。悔しいね、ホントに、お前。あんな舐めたさ、舐めた奴がさ、眞子様と結婚するのが。俺が結婚してやるよ。俺が結婚した方が100倍マシだよ。で、何だあの佳子様、佳子様とか。あー、そうだ佳子様も何だっけ、大学ころころ辞めたんだっけ、す-、そりゃねえ。ジジイがね、自分のおじいちゃんがね、大学留年するようなポンコツなら、そりゃあ孫もね、ころころ大学変えますわな。俺と同じじゃねーかよ、おい。ちっ。でー何だ?悠人、悠人。あのー、つい一昨日だっけ、悠人のさ、机にあの、包丁置かれてたんでしょ、お茶の水、女子、女子附属?お茶の水女子、付属中学校に通ってさ、悠人がさ、机に何か刃物なんか置かれちゃってさ。舐められてんね、ホントに。舐められたもんだよ、ホントに。まあこれもね、それも、これもあれもね明仁、このさっき辞めたあの、あいつ、あいつ。あいつがね、この体たらくだから。舐められてんだよ。明仁があのな、天皇はな、シャキッとな、キッチリちゃんとしっかりした姿見せてれば、舐められはしねーんだよ。だから、ホントね、何もかもね今の皇室のこの現状はね、あのこのね、明仁のせいだよ。ちっ、うん。ホント。あの愛子もわ、愛子も笑ってるわ、ホント。あの顔で笑ってるわ愛子も、おん。とんでもねー、とんでもねー家に生まれちまったって、笑ってるわ。愛子も。っていうね。
すー、まホントに、あの、これちょっと後ろね。本棚、これ今おばあちゃん家なんだけど。これ見てもらったら分かるけど、これね、小さいころからね、あの教育、ホント色んな学術誌をね、見せられてね。ホント、俺も見えると思うけど、ブリタニカ百科事典とかね、色々とね、こんだけの書物があると色々な、あの日本の歴史まあ皇室について。教育を受けてきた僕ステハゲがね。本日、ちょっとぶったぎらせて、ぶった切らせて頂きましたけど。そんなね、うんな舐めたね、ことしてんだったらね、俺が天皇になってやるよ。あんな、誰でもなれんじゃねーかよ。おん。こんなさあ、学習院大学をね、あのFラン学習院大学をね、留年するような、雑魚がね、あの、天皇やってんだよ。誰でも出来んじゃねーかよ、そんなん。おい、俺がやってやるよ、そんなん。あん。ほんと。学習院で天皇なれんだったら、中央でもなれるから。でー、あの佳子様。おん、佳子様。佳子様とヤらせろよお前、佳子様、佳子様を佳子をな、佳子をな、佳子、佳子とパコってな。おん、孕ませてやるわお前、ホントに。おん、新しいね、新しい皇太子を俺が作ってやるからお前。差し出せよ、差し出せよ佳子をな。佳子をな。そんな感じで、まあ何でもかんでもね、天皇だからって、あが、崇めなきゃいけないなんてね、そんな法律ないから。うん。俺、思ったことは言わせてもらうからね。っていうね。しー、まあ今後はね、日本。そして世界が、どうなるかね、大変ちょっと、おん、心配ですけど。まあね、あのー、皇室ジャーナリストの、兼まあ、インターネットジャーナリストの、私ステハゲ、がね、コレからのね、日本、そしてね世界を取り巻く時事問題についてね、またね動画で語らせて頂くのでね、是非皆さん、チャンネル登録とかね、ツイッターのフォロー、願いします。
私は、僕リベラルに、このような状況で話すのは空しい。しかしながら私は、リベラルというものを、この僕リベラルを頼もしく思ったからだ。こういうことを考えたんだ。しかし日本は、経済的繁栄にうつつを抜かして、ついには精神的にカラッポに陥って、政治はただ謀略・欺傲心だけ・・・・・・。これは日本でだ。ただ一つ、日本の魂を持っているのは、リベラルであるべきだ。われわれは、僕リベラルに対して、日本人の・・・・・・。しかるにだ、我々は僕リベラルというものに心から・・・・・・。
静聴せよ、静聴。静聴せい。
リベラルが日本の・・・・・・の裏に、日本の大本を正していいことはないぞ。
以上をわれわれが感じたからだ。それは日本の根本が歪んでいるんだ。それを誰も気がつかないんだ。日本の根源の歪みに気がつかない、それでだ、その日本の歪みを正すのがリベラル、それが・・・・・・。
静聴せい。静聴せい。
それだけに、我々は僕リベラルを支援したんだ。静聴せいと要ったら分からんのか。静聴せい。
それでだ、二〇十四年の八月の六日だ。何が起こったか。二〇十四年の八月の六日に何が起こったか、二〇十四年の八月の六日にはだ、朝日新聞で、慰安婦関連の記事取り消し、これで大衆世論が完全に反リベラルで制圧されたんだ。俺はあれを見た日に、これはいかんぞ、これは僕リベラルが唾棄されると感じたんだ。
なぜか。その日をなぜか。それはだ、大衆世論というものはだ、大衆世論というものはだ、リベラルの知的権力の欺瞞に気づいていかなる世論誘導も嫌疑できるという自信をもったからだ。
僕リベラルはいらなくなったんだ。僕リベラルはいらなくなったんだ。僕リベラルがいらなくなったのが、すでに憲法改正が可能になったのだ。分かるか、この理屈が・・・・・・。
諸君は、二〇十四の八・六からあとだ、もはや憲法の欺瞞を守る愚かな守旧派になってしまったんだよ。僕リベラルが何十年間、血と涙で待った護憲ってものの機会はないんだ。もうそれは政治的プログラムからはずされたんだ。ついてにはずされたんだ、それは。どうしてそれに気がついてくれなかったんだ。
二〇十四の八・六から数年間、俺は僕リベラルがまともになるのを待っていた。もうこれで護憲のチャンスはない!僕リベラルが主流派になる日はない!憂国の本義はない!それを私は最もなげいていたんだ。僕リベラルにとって存在の本義はなんだ。自由を守ること。自由を守るとはなんだ。自由を守るとは、社会の公正と多様性を守ることである。
おまえら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話をきけっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。
それがだ、いま日本人がだ、ここでもって立ちあがらなければ、僕リベラルが立ちあがらなきゃ、護憲ってものはないんだよ。諸君は永久にだねえ、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。諸君と日本の・・・・・・アメリカからしかこないんだ。
ポリティカル・コレクトネス・・・・・・ポリティカル・コレクトネスに毒されてんだ。ポリティカル・コレクトネスというのはだな、知性主義でこらえるのが、ポリティカル・コレクトネスじゃないぞ。・・・・・・そこでだ、俺は四年待ったんだよ。俺は四年待ったんだ。リベラルが立ち上がる日を。・・・・・・そうしたリベラルの・・・・・・最後の三十分に、最後の三十分に・・・・・・待ってるんだよ。
諸君はインテリだろう。諸君はインテリだろう。インテリならば、自分らの信条と相反する内向きな議論の9条を、どうして守るんだ。どうして国際協調主義を否定し、国際協調の上の平和を阻害するような9条の議論というものにペコペコするんだ。これがある限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。
諸君は永久にだね、今の僕リベラルは政治的謀略に、諸君がインテリだかのごとく装っているが、僕リベラルは衆愚なんだ。きさまたちも衆愚だ。僕リベラルというものは、衆愚を守る大バカ者になったのだということに、どうして気がつかんのだ!俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりにまどわされて、本当に日本のために立ちあがるときはないんだ。
そのために、われわれの宰相を蔑むのはどういうわけだ。
リベラルだからだ。リベラルのために、日本を骨なしにした僕リベラルに従ってきた、という、ことを知らないのか。諸君の中に、一人でも俺といっしょに立つ奴はいないのか。
一人もいないんだな。よし!知というものはだ、知性というものはなんだ。自分の使命・・・・・・。
まだ諸君は僕リベラルのために立ちあがらないと、見極めがついた。これで、俺の僕リベラルに対する夢はなくなったんだ。それではここで、俺は天皇陛下万歳を叫ぶ。
自分が「戦争はいやだなあ……」と漠然と思う気持ちの根底が、この二人の体験を聞いたことによって、
戦争が人の人生を強烈に歪めるということを肌で感じたことによるものっぽいので、ちゃんと覚えているうちに一度書き出しておきたいと思う。
(1)
一人目は離れて暮らす祖母で、確か終戦時10歳かもう少し上か、その辺りだったと思う。
祖母は満州から引き揚げてきたそうだが、祖母の父が警察?か何かの職に就いていたらしく現地で一時投獄されていたそうだ。
警戒されにくい子供の祖母が差し入れとして羊羹を持っていくのだが、その羊羹の中に毎回カミソリの刃を忍ばせていたという。
そのカミソリが何用なのかは教えてもらえなかった。
祖母が住んでいた町は、ある日やってきたロシア兵に制圧されたそうなのだが、
「女だけの家があると知れると、夜になるとロシア人が数人で来て、朝になると帰るのよ」
「お菓子で子供を釣ろうとしていたけれど、近所のお姉ちゃんやおばさんに何をしているか知っていたから、私は一度も受け取らなかったわ」
「日本に帰るために街から逃げる直前に、遂にロシア人が私たちの家にも来たのよ。でも、お母さんは病気だったでしょう?妹はまだ5歳でしょう?」
俺がまだ子供だったからか、それ以上の事は語られなかったが、祖母は今もロシアが大嫌いだ。
しかしそれ以上に天皇を「コイツが余計なことを始めたせいであんな目に」と毛嫌いしているようで、今でも酒が入るとすぐに「天皇家は早く滅びろ!」と喚きたてる。
同時に、幼少時に現地の子たちと一緒に遊んでいた影響らしいが、中国・韓国への親近感が非常に強いようで、
成長後バリバリの左翼になって共産党に入党し、国交が本格的に再開する前から限定的な市民交流として招かれて中国に渡ったりもしていたらしい。
最終的には自分が人生で最も重視するもの=活動のために動きやすくなろうと、子(俺の母ら)を残して祖父と離婚したというから筋金入りだ。
ちなみに、祖母が漬けたキムチはめっっっちゃ美味い、そして市販品がサラダに感じるくらい辛い。ポイントはアミ(エビ)を入れることらしい。
(2)
祖母から話を聞く以前、誰かから初めてきちんと戦争体験を聞いたのは、
ノストラダムスで世間が盛り上がっていた小学生の頃、「戦争体験者を探して話を聞きに行ってインタビュー記事をまとめる」という宿題が出た時だった。
大抵の子が自分の家のばーちゃんあたりから「この学校の校庭で芋作ってた」的な話を聞いてきた中、
先述の祖母が遠方住まいだったので身近に戦争を体験した人がいなかった俺は、近くに住んでいた清さんという90歳越えの元兵士の爺様に話を聞きに行った。
清さんから聞いた話の中で一番印象に残っているのは、
「戦争の時、大陸にも行ったけど、捕まえた女の人の股に一升瓶がどこまで入るかって遊びをやって、途中で女の人が死んでしまっても笑っているような連中をたくさん見た。」
という随分エグい話だ。
まだ女性の体の仕組みもよくわかってなかった時分だけれど、淡々とした話を聞くだけでとにかくゾワゾワと怖くて、その時感じた嫌悪感は今も強烈に覚えている。
「あーいうことをやるのは陸軍ばっかりだ、陸軍はロクでもないのが混じってる。」
その後清さんは、太平洋戦争中に南方(東南アジア?)の島で滑走路の脇にいたところ、
戦闘機に機銃で近くを撃たれたか、すぐ近くに爆弾か砲弾が着弾したかで左手の指を数本持っていかれて、氷川丸という病院船で日本に帰ってきたそうだ。
当時の俺は、一番印象深かった話は少々ショックが強すぎたのか一旦記憶にフタをしていたようで、
清さんが途中途中で妙に楽しそうに話してくれた、上官に木の棒でぶん殴られる話とか、南の島で現地の人と仲良くなって食べ物を分けてもらった話とか、
魚雷を回避するための航法とか、合図のラッパの話とか、氷川丸(生き残って今も展示されているらしい)の話とかを中心に無難にまとめて提出した気がする。
「私は運よく五体満足で帰ってこられた」(指ぐらいは清さん的にはノーカンらしい)「ただ運がよかっただけだ」と繰り返し言っていた清さん。
隣を歩いていた仲間が一瞬後にミンチになって自分は"たまたま"生き残ったり、
手足がもげて臓物をまき散らしながら殺してくれと懇願する仲間を拳銃で介錯したりしながら、
明日は自分もどうなるかわからないという地獄を繰り返し繰り返し味わいながらも、自分たちの行い・戦いが正しいものだと信じてそれを頼りに耐えていたのに、
帰ってきて戦争が終わったら「あれは全部間違いでした」と言われても、頭ではわかっても、
どうしても自分のしてきたことや仲間の死の存在が大きすぎて、90歳を超えてもまだ心で受け入れられない、と仰っていた。
戦争はよくない、あんな思いをこれからの若者たちにさせてはいけない、ということを強い口調で語る一方で、
「天皇陛下万歳」と唱えると、先ほどまでパーキンソン病で若干フルフルしつつ話してくれていた温和そうなおじいちゃんが、別人のように背筋がピンと伸びて腕を振り上げよく通る声を出す様子や、
軍歌やラッパの音の入ったテープを何本も持っていて、今でも毎日聞いてしまうのだと言っていた清さんの様子を今になって思い返すと、
皇居なんてものはな 公園にしてニューヨークのセントラルパークみたいに開放して欲しいよ
ヒトラーやムッソリーニのようなヒロヒトの一族に媚びてる神道信者の連中は異常
昔は天皇が「天皇陛下万歳」って叫ばせながら自爆テロやらせたんだろ?
イスラム国と同じだよまったく
神道なんてものは何の教義も救いもない古代の権力者のための土人宗教がしぶとく残っただけだし
とにかく天皇や神道ごとき普段はどう〜でもいいカスのように思ってるノンポリ層をもこんな感情にさせるのが新元号の話題なんだよ
新元号の話題さえなければ天皇や神道への敵意はまったくないんだが 向こうから社会の中心気取って制度を支配しようとしてくるので仕方ない
悔い改めろ
なんでワッチュワネーム?(What your name?)じゃないの?かっこつけてんの?ワッチュワネーム?はダサいの?だったら日本語タイトルも「君の名」でいいだろ「君が代」みたいでウヨクっぽいじゃん「君の名」。「君の名は。」にしたければ英語もワッチュワネーム?(What your name?)にしとけよ!!かっこつけて【your name】とか、それじゃ「君の名」だよ。国歌斉唱!!君の名!!天皇陛下ばんざーい!!「君の名は。」が使いたければ正直に「君の名は?」にしてワッチュワネーム?(What your name?)使っとけばいいじゃねえか!!かっこつけんな!!
追記:「君の名は。」はyour name is だからワッチュワネームじゃない!みたいな意見を多く見かけるが、だったらなんでis取ってんだよって話なんだよ!!【your name IS】にしとけよ初めから!!【your name】だと「君の名」だろうが!!「君の名」だったら「君が代」みたいで天皇大満足みたいだから嫌だってか??だったらワッチュワネームでも「君の名は?」でも【your name IS】にでもしておけばよかったんだよ!!それなのに【your name】それ「君の名」じゃん!!今日からお前はきみのな!!キミノナ!!
追追記:「邦題と英語タイトルで言葉が違うなんて日常」みたいな意見を見かける。別にそれはかまわんよ、英題が【your name】でも邦題が「君の名は。」でも好きにしてくれたらいい。でも併記してるじゃん!!並べて書いてるじゃん!!【your name】を日本で見せなくて英語圏向けのタイトルとして発表してるなら好きにしてくれたらいいんだけど、明らかに日本人向けに【your name】って謳ってるじゃん!!日本人は「君の名は。」ってタイトル聞いてワッチュワネーム?かと思いきや横に書かれた【your name】ってそれ「君の名」じゃん!!「君の名は。」かと思いきや「君の名」国歌かよ!!国歌斉唱!!!天皇陛下万歳!!元旦の靖国神社かよ!!どっちかにしろよ【your name】=「君の名」もしくは【your name IS】=「君の名は。」でもなんでもいいんだけど統一してくれないかなーでも俺んなかで君の名は既に「君の名は。」でなくて「君の名」だからよろしくキミノナ!!