はてなキーワード: 同性愛とは
いや単に金を持ってる同性愛者は日本のような保守的な社会ではカミングアウトできないだけで、一定数いるのだろうが。なんかやっぱり金が無いイメージがある。アメリカとかゲイカップルって2馬力エリートの最強層がいるけど日本ってそういう層がいるのかな
その政令がくだされたのは、なんでもない平日の午後のことだった。
昼休み、うちのクラスの担任である佐藤先生が慌てた様子で教室に駆け入ってきて、突然教室のテレビを点けた。
教室のテレビなんて、そうそう使われることがないから、点いてる様子を皆が興味深そうに眺めていたら、画面に写った知らない政治家のおじさんがそう言ったのだ。
◆
何故同性愛を認めないのか?なんてことはない、理由は知らない政治家が語った。
ここ最近、何度もニュースで聞いたような、ありふれた馬鹿らしい理由だ。
「ここ、足立区では同性愛を赦してしまえば、神の裁きが下り、滅びてしまいます」
◆
神の裁き?ばかな話だ。
ばかな話だけれど、どうも大人たちはそんなばからしい話を真に受けているようで、足立区からはここ数年で随分と人が消えていった。
3年ほど前、政府の生み出した『ホモヘテロセンサー』というムズかしい機械は、同性愛者になりうる遺伝子を判定しているらしい。
そんな機械の普及と共に、同性愛者への差別はトントン拍子で激しくなっていった。
挙げ句の果てに、ここ1年では本格的に疑わしい人間は次々に追い出されてしまった。
"遺伝子レベルの判定"だから、血縁者に一人でも疑わしい人間がいれば家族でまるごと追い出されることになる。
中学まで仲が良かった夏美ちゃんも、この夏休みでどこかに消えてしまった。
◆
一度、現国の田中先生に「どうして足立区だけが同性愛者を許してはいけないんですか?」と聞いたことがある。
別に、同性愛に憧れがあるだとか、やましい気持ちがあったわけではない。
ふと、なんとなく疑問に思って聞いてみたくなったのだ。
田中先生は数秒、床に目線をやりながら顎に手を当てて考え込んでから、少しだけ笑って答えた。
「足立区って、"アダム"って言葉に少し、似ているでしょう?」
先生の言葉は、私にとって突拍子もない言葉で、思わず聞き返してしまった。
私の問いに先生はただ「えぇ」と言って首を縦に振った。
◆
「確かに、春香さんの思う通り、この地、足立区にはアダムとイブなんてえんもゆかりもありません」
「それでも、この世界には"言霊"というものがあります。アダチ、アダチ、と呼ばれ続けたこの地に、もしもなんらかの神や仏が宿るならば、音を因果に引き寄せられてもなんら不思議ではないのではないでしょうか」
◆
「事実、この足立区には昨今、神からの伝令が届いてるとの噂です。そろそろ、"期限"も近いのでしょう。『仏の顔も三度まで』と言いますからね。──神様の顔が何度まであるのか、私は知りませんが」
「春香さんも周りに同性愛者のような人がいたら先生にこっそりと教えて下さいね。私も、まだ死にたくはありませんから」
私はただ「無宗教なのになんでこんなことになるのかな」なんて、そんなどうでもいいことを考えていた。
やっぱり、神の裁きなんてばかばかしい。
勿論、同性愛が芽生えたからって世界……じゃなくて足立区が終わるわけなんてないだろうけれど。
◆
──そんなことを思い出しながら、手元の牛乳パック、いちごオレに刺さったストローを吸った。
「神様って、いると思う?」
隣でお弁当を食べている秋穂にそんなことを問う。……購買で買ったパンを食べている私とは対象的だ。
「ひゃあ、ひょうひゃろね」
少しオーバーな仕草でごくん、とたこさんウインナーを飲み込んで、でもちょっと飲み込むのが大変だったのか苦しそうな秋穂にそっと手元のいちごオレを差し出した。
秋穂は差し出されたいちごオレのストローをちゅー、と吸ってから舌をべーっと出した。
「文句言うな」
「そもそも春香はすごいよね。いちごオレに、メロンパン。よく甘いのと甘いのを食べられるよねー。私ならコーヒー飲んじゃう。あまあまにあまあまで、女子力だ!」
「甘いと女子力なの?」
「なんだったっけかなー。古い音楽なんだけどね。女の子はお砂糖とスパイスと素敵ななにかでできてるらしいの。お砂糖いっぱいは女子力なのです」
えへん、と秋穂は何故かドヤ顔で、大きな胸を張りながら語る。……いろんな意味で、ちょっとだけ羨ましい。
「じゃあ今度はカレーパンにしようかな」
「ほへ?なんで?」
「……女子力だ!」
「素敵な何かはどこに売ってるのかな」
「私との時間だよ!」
秋穂はそう言いながら両手を高く掲げる。彼女の仕草はいつだってオーバーだ。
私は少し笑いながら、すぐにお米とブロッコリーの間で箸を惑わせはじめた秋穂の横顔を眺めていた。
◆
秋穂は、重力に負け、垂れて邪魔そうな長い横髪を耳にかけながら私に目配せをする。
「ねぇ、どっちがいいかな」
上目遣いの彼女の視線──に、私の目線が重なることはなかった。
彼女の長くて黒い横髪がかきあげられて、あらわになった耳に、いくつもついたピアス。
私の目線は、そこに釘付けだった。
端的に言えば、意外だった。ギャップだった。
性格がゆるふわで、ほわっとしてて……見た目だって黒髪ロングで、あとさらさらで。
育ちが良さそうな──お嬢様っぽい、秋穂の耳にいくつも並んだピアスは、私にとってそれなりの衝撃だったのだ。
◆
私の目線に気がついた秋穂は「あっ」と小さな声を漏らした後、顔を赤くしてすぐに横髪を手ぐしで下ろした。
横髪を一通り整えた後、なんの関係もない、綺麗に切りそろえられた前髪を少しくりくりと弄りながら、悪戯な笑顔を私に向けて。
私は、その表情に見惚れt
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20201005091600
この増田のブコメで見かけたゲイ蔑視・ゲイ差別的な言説が本当に酷いと思ったので書く。
問題としているのは「セックス出来ないのが辛いならゲイに掘られれば」といった発言だ。女性らしきアカウントによるこうした趣旨の発言を複数確認した。スターを集めている物もある(という事は、誰かが押したという事だ)
こうした発言の何が問題なのか、という事を(全て網羅出来る訳ではないが)私に分かる範囲で書いておく。
なお、私は当事者ではないので「許す」事は出来ないが、今からでも撤回と謝罪はして良いと思う。そして、自らの偏見について反省できる女性は居ると信じている。
まず第一に問題なのは、女性がセックスしたいと思わない非モテ男性も、ゲイなら受け入れてくれる、という誤った前提だ。
当たり前だが同性愛者の中でも「モテ」は存在する。「ゲイは男性なら何でもいいんだろ」というのは女性だけなく男性も抱えがちな偏見だが、ゲイにも当然好みがある。
当事者ではないので詳しい事情は知らないが、ジャニ系やガテン系など、好かれやすい男性のタイプがあり、タイプの選別は厳しい人も居るらしい。
非モテ男性は言わば女性が食べない残飯である訳だが、そんな残飯でもゲイなら食うだろう、というのはゲイへの蔑視に他ならない。
問題の発言をした女性は、何故「セックス出来ないのが辛いなら女性をナンパすれば」ではなく「セックス出来ないのが辛いならゲイに掘られれば」と言ったのだろうか?
まず、私は女性へのナンパは加害行為だと考えている。そして相手がゲイでも同様だと思っている。
相手を性的に見ている事、性行為をしたいという意思表明は、相手を傷つけ得る。女性に対しては恐らく多くの女性が同意するこの事は、どうしてゲイが相手なら看過されるのだろうか?
「掘る」という言葉はこういう文脈で使わないほうがいい、それは肛門に男性器を挿入する際の暴力性を強調する表現だ。
その背徳性を興奮につなげる目的ならまだしも、この文脈では、あなたは「ゲイとのセックス」に「暴力を受ける出来事」としての意味を期待している事に成る。
部外者がゲイ同士またはゲイとノンケのセックスを暴力だと決めつけるのは酷い偏見だ。愛のあるセックス、癒されるセックス、救われるようなセックスもある、それを「掘る」と表現するのか?という話だ。
それから当然ながら、ゲイとのセックスの場合、自分が挿入側に回る事もある事は付記しておく。
そして挿入される側に回る事には抵抗があるノンケ男性も、挿入する側なら抵抗は少ない場合はあると私は思っている。
どうも見ていると、「好きではない相手とのセックス」の象徴としてゲイとのセックスを挙げている人も居るらしい。
単純に失礼だろう。何故あなたの例え話の為に拒まれ嫌がられる前提の当て馬としてゲイを登場させることが正当だと思えるのだ。
最初の問題点と重なる部分もあるが、重要な部分なので改めて書いておく。
ゲイはあなた達女性がいらない男性を都合よく受け入れてくれる便利屋ではない。ゲイはあなた達女性がいらないゴミを入れるためのゴミ箱ではない。
こうした話題でゲイを登場させたいと思った時、そのゲイを女性と入れ替えて考えてみて欲しい。
「非モテでも受け入れてくれる女性とセックスしろよ」とあなたは言うだろうか?その女性の意志はどうなる?それは「女をあてがえ」論と似てはいないか?
「好きではない相手とのセックス」の象徴としてゲイとのセックスを上げているなら、例えば「死ぬほど不細工な女性とセックスしてろよ」とも言い換えられるはずだが、その言い様はあまりにその女性に失礼ではないだろうか?
なら、どうして女性には失礼なことが、ゲイ相手なら失礼ではないと思えるのだろうか?
「セックスできないのが辛いのか、女性に片っ端から土下座して頼めよ」というのは女性に対する迷惑行為の扇動に他ならない、それがゲイ相手なら許容されるとどうして思うのだろう?
あなたはゲイを、女性とおなじく意思も好みも拒否権もあり、暴力的でないセックスもあり得る、ナンパを迷惑とも感じ得る人間だと認めるべきだ。
あなたはゲイを人間扱いしていない、「非モテ男性」に思い知らせるためにカリカチュアライズされた道具としてしか見ていない、それは失礼だ。
自らの中にある偏見と向き合う事は確かに難しく、辛い事だが、それが重要な事である事は分かっている筈だ。
もう一度言う、今からでも遅くないとは当事者ではないので言えないが、撤回と謝罪はするべきだと思う。
「非モテ男性は言わば女性が食べない残飯である訳だが」の部分に引っ掛かっている人が居る様なので書いておくと、この部分は私自身が非モテ男性当事者なので、自虐と「女性が選ばない男性をゲイが選ぶと思い込むおかしさ」を強調する意味で書いた。
尤も、この増田の趣旨はあくまでゲイ差別であり、非モテ男性としての自分の意見をここで披歴するつもりは無い、そんな事をすれば主旨がブレるし、ゲイ差別の糾弾を非モテ男性蔑視への反撃の道具にするつもりはないからだ。あくまでこれはゲイ差別単体の問題である
まあそういうのは同性愛に限らず異性愛も婚外交渉=殺してオッケーだったわけだけどね。
近親婚にしてもそういう社会だと他の家に嫁に出した方が家族の利益が大きいってのもある。
同性愛がバレたら殺されるってどこの国の話?
なるほど。
ただ元増田の言う「同性婚を認めても同性愛者は生来のもので数は不変だから増えないし、異性婚する人の数も変わらない」の意味するところは、
「同性婚を認めても(両性愛者や、極端な性比の状況下にある者も含めた、ごく広義の)同性愛者は生来のもので数は不変だから増えないし、略」
ということのように、前段を読んでいるだけに思えてしまう。
それに対して
ただこの文の前節「同性愛者は生来のもので数は不変」というのはある程度科学的に裏付けられた定説なので、そこまで詭弁と含めてしまうのはおかしいと思う。
同性婚が認められたら、同性婚するのは゛生まれついての”同性愛者だけではなく
言っている意味はわかる。
今までは割合としても数としても、同性婚が0で、異性婚が100だったわけだから、無論異性婚は割合としては当然減る。
>> そういった現実を無視して「同性婚を認めても同性愛者は生来のもので数は不変だから増えないし、異性婚する人の数も変わらない」 <<
ただこの文の前節「同性愛者は生来のもので数は不変」というのはある程度科学的に裏付けられた定説なので、そこまで詭弁と含めてしまうのはおかしいと思う。
両性愛者や数世紀前の一部地域の特殊の状況と、"生まれついての"同性愛者は弁別して考えるべき。
>> 同性愛者ではなくても異性婚するより同性の友人と同性婚した方がメリットがあると考える人が同性婚を選ぶ事もあるわけだし <<
よね。
実際に昔の日本で衆道が盛んだったり、宗教施設や刑務所等異性と隔離された場所で同性愛が流行ったりとかの例があるわけだし
同性愛が禁忌で異性婚が文化的に強制されている地域・時代であれば、同性愛者であっても隠して無理やり異性婚するわけだし
両性愛者も異性婚しか認められていない状況なら異性婚するけど同性婚も認められている状況なら同性婚するって人も出てくるだろうし
異性愛者でも異性婚するより同性の友人と同性婚した方がメリットがあると考える人が同性婚を選ぶ事もあるわけだし
それでも同性婚は認めた方がいいと思うんだけど
そういった現実を無視して「同性婚を認めても同性愛者は生来のもので数は不変だから増えないし、異性婚する人の数も変わらない」
人に説明する時に・・・と言っても、通常そんなシチュエーションは発生し得ないと思うけど(自分の性趣向言って回るのは基地外)
なぜかその必要性が出たなら、その枠組み乗っかって、適当に枠に入れとけば理解は得やすいのでは?ってだけなので
親しい人には同性愛者かなって思われるだけで特になんも言われんし
そうでない人には、モテないんだな・孤独を愛する人なんだな・なにかトラブルがあったんだなって思われるだけ
セックスする気がないけど結婚のパートナーを探すのは別にいいんじゃないの?
それで見つけた人はそれなりにいるようだし。はてなblogにもいるよ
[新R25] どんな人たちが選択するの? セックスのない「友情結婚」相談所が語る、新しい結婚観
https://r25.jp/article/726256000457387610
あつた
どっちにしても、性行為を望まない人たちなんですね。
中村さん
はい。みなさん昔から違和感はあったけれど「いつかは結婚できるだろう」と思っていて。
でも婚活をしてみて「セックスが前提の一般的な結婚は向いていないのかも」と気づくみたいです。
恋愛感情を持たないという「アセクシャル」は、最近“自分もそうかも?”と感じる人が増えているそう
中村さん
その方々の多くは、積極的にゲイとして男性と交際したいわけではなく、
「女性と結婚したい」「性的なこと以外は一般的な家族を持って家庭を築きたい」などの理由で友情結婚を選択されます。
あつた
中村さん
男女ともに医者や弁護士、公務員や大手企業の会社員など社会的地位が高い方も多いです。「普通のレールから外れたくない」
逆に、ITやマスコミ系、美容師など、自由なイメージのある業界の人は少ないかもしれません。
個人的にはシングルに寛容な日本で結婚しないと社会的地位がとか言ってるのは自己認識がバグってるのでは?って思ってしまう
あと、セックスをしたくないはひとつの性趣向であって、人自体は好きなんだよっては人はいると思う
そういう人向けに、こんなのもあるよ ↓
https://www.huffingtonpost.jp/tsutsu/asexual-interview-2_a_23261562/
「この作品はポリコレだから素晴らしい」的な批評をする人が増えすぎたせいか
一部でアンチポリコレの風潮が強まってきて、「この作品はポリコレだからクソ」みたいな批評をする人が出てきた
気付いてるか?お前は同じ穴の狢だよ。ポリコレでもポリコレでなくても、作品ってのは驚くほど沢山の顔を持ってるものなんだ。
それをポリコレか、そうでないかだけで見れないなんて「浅い」よ。
ポリコレへの過度な好感・嫌悪を抱いてやたら過敏になって、なんでもポリコレ/アンコレ認定する奴も馬鹿馬鹿しい。
女みたいな男、男みたいな女、狐みたいな兎、トランスジェンダーだって黒人だって、ポリコレなんかよりずっと前から存在してるんだっつうの。
実在人物もキャラクターも、別にポリコレではねえの。お前は同性愛者に会ったら、「ええ?同棲がお好きなんですか!あなたの愛は政治的に正しい!」とか言うつもりなのか?
高卒が望ましい。大学はただのモラトリアム。若くから働いて税金を納めること。
稼げる仕事につく必要はない。貧しくとも生活のために一生懸命働く姿が美しい。田舎者は地元で就職すること。
結婚は出来るだけ早くすること。晩婚や同性愛は非生産的。異性に対し選り好みせず、結婚した相手との生活の向上に努めること。遊びまわって家庭を持たないなど言語道断。子どもは最低でも2人、できれば3人以上作ること。
夫婦どちらかの両親と同居して、子育ての手伝いなどをしてもらうこと。親が老いてからは出来る限り自宅で介護すること。
田舎では特に、行政サービスの低下が見込まれることから、住民自らの手による地域のための活動が望まれる。近隣住民と助け合い、声を掛け合って生きること。
超少子高齢社会という国難に直面した今、国民一人一人が一丸となって国のためにはたらくことが大変重要です。自分一人が良ければ良いというような自己中心的な考えは捨て、みんなのために生きましょう。また、みなさんの周りの人が立派な模範国民になれるよう見守り、声かけなどのサポートを徹底しましょう。
クローゼット(英語: Closeted、および英語: in the closet)は、ゲイやレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー、クィア、クエスチョニング、インターセックス(LGBTQI)の人々で自身の性的指向や性同一性を公表していない状態を暗喩する言葉である。
言葉の背景
20世紀後半のアメリカでは「クローゼット」はゲイの歴史学や社会動態を把握するための重要なメタファーになっている。クローゼットの概念はカミングアウトのそれと切り離せないものがある。衣類を仕舞う「クローゼット」を当人の心に見たてて、「(性的指向を)隠している状態」(in the closet)と「表に出した状態」(come out of the closet)の二つの状態を暗喩して、当人の性的指向や性同一性の扱いを二元論的に示している。この背景から「クローゼット」な人物は「偽って暮らしている」「不幸な人生」という皮肉の意味でしばしば用いられている[1]。
前述の意味での「クローゼット」は第二次世界大戦後となる1950年代のアメリカで始まったとされる。「第一次世界大戦後のゲイの人々は…今の "coming out" という表現を使っていなかったが、 "into"という表現(同性愛社会やゲイの世界の『中に』入る)はあった。その当時も世間は大きくて人々の交流も盛んだったから…まさにクローゼットに隠しているようなものだった」(Chauncey 1994, emphasis added)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%88_(%E6%80%A7%E7%9A%84%E6%8C%87%E5%90%91)
それは単に個人差あると思うというか、大半は男女とも表面的な付き合いしかしていない
なんならその友人(?)関係を維持するコスト払うメリットあるの?くらいのレベルの付き合いだからでは?
自分は困った時に助け合える友人がいるけど年がら年中会ってないし飛行機が必要な距離だし
趣味もぜんぜん違うし仕事も違うし年収も違うしあるある話もせんよ
あるのは時間と信頼の積み重ねだけだよ
具体的に少し書くと、自分は高校時代、学費自分で払ってた+進学費用自分で貯めてたので
昼飯代が勿体無くて食わなかったんだけど、友人がいつも弁当恵んでくれていたよ
みんなでどっか遊びに行こうぜってなった時もお金が勿体無くて躊躇してたら全額友人が払ってくれてたよ
でも友人の家は小金持ちどころかむしろ経済的に厳しめで週5〜6でバイトしてたよ
加えて友人はバイト代は全額自分では使えず家に生活費としていくらか入れてたよ
だけど弁当恵んでくれたし遊ぶ時は助けてくれたよ
そんな感じだったから、現在、年収が違って食の好みが違っても遊ぶ時に困らんよ
出せる方が出してるよ。それがお互い当然だから
もう一人の友人の方は特定できる要素が多過ぎるので書けることだけ書くと
通常口にしないお互いの家の事情知ってるけど、そのことで愚痴りあったり語り合ったこと一度もないよ
あと友人は常に異性がいないとダメなタイプで、まったく異性の気配を感じない自分のことを同性愛者だと思ってるよ(なお違います)
異性がいないとダメなタイプだけど武勇伝語りとかパートナーの愚痴とかいっさいなしないよ(触れてはいけない話題扱いされてる草)
だけど中学時代からいまにたるまでずっと友人で物理的に距離があるけどお互いの近況報告はお互いにしてるよ
自分のスケジュールが無茶目でも地元に帰った時は必ず時間を作ってくれるよ
ただ、セーフティーネット・ビジネスチャンスとして友人を見た場合は、
親友というよりも、ゆるく広く表面的な付き合いの方がセーフティーネット・ビジネスチャンスして機能しやすいらしいよ
【佐々木俊尚】友だち関係を広げていくことが、新しい時代のセーフティネットになる
https://www.any-times.com/blog/15755/
いろんなところでいろんな人と知り合い、その関係がだんだん輪のようにつながっていくんです。仲良くなったマンション仲介の不動産営業マンと友人になり、一緒にキャンプに行くようになりました。自家用車を買ったカーディーラーの人と仲良くなり、料理が上手だというので、引っ越ししたときのホームパーティーで料理を作ってもらったこともあります。そのうちエニタイムズでお仕事を頼んで、それで友だちになるってのもたぶん当たり前になってくるんじゃないかな。
仕事の関係か、プライベートの関係か、なんてことは、もはやどうでもいいんじゃないかと思います。仕事で知り合って、個人的に仲良くなった友だちもいる。友だちと盛りあがって、一緒に仕事をはじめることもある。会社員だって、同じです。日本でも政府が正社員の副業を後押しする時代ですよ?正業か副業か、はたまた遊びかという境界がなくなってきているんです。
そういう友だちの関係を住んでいるところ、働いている先にこだわらずに広げていくことは、新しい時代のセーフティネットになっていくのではないかと思います。仕事をしているような、遊んでいるような。そういうのって、ブラブラ遊んで生きてるように見えるかもしれません。でもブラブラしているからこそ、いろんなネットワークとつながることが可能で、実はそちらのほうがひょっとしたら安定しているんじゃないでしょうか。
ひとつの会社にぶら下がって閉鎖的な人間関係の中で生きているよりも、たくさんの仕事をしてブラブラのほうが安定している。まあ収入は安定しませんが、それでも友人がたくさんいれば何とかなるかなという安心感もある。そういう意味では、いい時代になったともいえますね。
男をやめた話のブクマ
「男らしさを捨てる」を「去勢」と極端に捉える男性もいて、逆にそう極端に捉えてしまうほど、自分が「男」に支配されてるという事で。「男らしさを捨てる」って「男」としてではなく「自分」として生きることだよね
ただ「男を捨てる」っていうのは男性器を捨てない限り無理なんじゃないか?と思った。
・女性が絡んだ時の男のひがみ
・マッチョイズム
に分けられると思う。(混ざる部分もあるけど)
今回は上のひがみの話をします。
残念だけど、少なくとも生物的に男性器が付いてる以上、自分もだし周りの男たちも許してくれないと思う。
結局オス的な部分で競い合う本能的な気持ちがあって、ハルオサンが「モテている」様に見えて悔しかったんだと思う。嫉妬。
めちゃくちゃアホらしいし残念だけどそういう気持ちになってしまう事自体は仕方ないとも思う。
(モテないことを弱音にできず攻撃にしてしまうのがマッチョイズムなのかとも思ったけど、そういう僻みは女性社会にもあるか。表じゃなくて裏で出しそうだけど)
小学生の頃から変わらないんだと思う。女子と話してたら、からかわれる。
それは結局生物として羨ましいという気持ちから来てるんだと思う。
アホだね。
ちんこついてるから嫉妬されるし、嫉妬してしまうんじゃないか。
昨今のポリコレで思うことがあるけど、意識は更新されても根本的な生物としての本能は変わらない。
いじめと同じで根絶するなんてことは不可能なんじゃないかと思う。
男性器が身体についてる以上(それか同性愛をカミングアウトするとか以外)は、自分が「男」を捨てても周りのオスの嫉妬を消し去ることは不可能。
できることは出来るだけそういう人がいない職種に移るとかせいぜいそのぐらいで。
自分の場合は男性社会から逃げて、女性社会でも別の地獄が見えたので、結局人と距離を置くことにした。
それはそれでストレスは溜まるので、