はてなキーワード: 佐野とは
他所で書いたが消されてしまったのでまとめ直してここに書キノコす。
模倣元とされるアレが、ヤン・チヒョルト(Jan Tschichold)氏のイニシャル「J.T.」であるように、初期案の赤丸は「省略を表すピリオド」を模していると考えるのが自然。
Tに様々なキーワードの意味を込めてるとは最初から言ってるし、読点付けるデザイン自体はごくありふれたモノだから(例えば「モー娘。」)、氏の作品を見ずとも「T.」+九分割であのデザインに至る事は十分あり得ると思われる。
ところが。
以上を見るに赤丸がピリオドである可能性は自ら否定してしまっている。
しかもアルファベット一覧に赤丸の無い字もある事から、重要な要素だという説明まで否定されている。
デザイナーの言うように、素人はデザインについては詳しくない、もしくは分からない。
だがパクリが悪いという事ははっきりと分かる。
つまり一部のデザイナーが素人は黙ってろと主張したのは、パクリを最大の争点にするのをアシストしたのかもしれない。
逆に素人とじっくり議論する構えを見せていれば、デザインの良し悪しだけをずっと争っていた可能性も微レ存。
思いつくのは2つ。
深津氏の http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/ とそのブコメを読んで問題が混乱してるのを感じたので書く。
ただし自分も法律の専門家ではないので,これを読んだ法律家の人がちゃんとした記事を書いてくれたらありがたく思う。
それぞれ保護の目的や保護される範囲,侵害の判定基準が異なる。
権利 | 保護の対象 | 保護の目的 | 侵害の判定基準 | 権利の発生 |
---|---|---|---|---|
著作権 | 創作物全般 | 創作物の公正な利用→文化の発展 | 類似性&依拠性 | 自然発生 |
商標権 | 商標(ロゴ,マーク,社名/ブランド名等) | ブランドの信用維持→産業発展及び消費者保護 | 類似性 | 登録 |
意匠権 | 製品デザイン | 意匠の創作の奨励→産業発展 | 類似性 | 登録 |
商標権と意匠権は割と似てるが,違いは商標権が商標を一つ登録するだけで(特定産業分野の)あらゆる製品についてその商標が保護されるのに対し,意匠権は製品の意匠(デザイン)が保護対象なので,製品ごとに登録が必要な点。自動車を例にとると,自動車会社のエンブレム=商標を一つ登録すると車種に関係なく保護されるが,意匠は車種ごとに登録が必要になる(自分で書いててあまりいい例じゃないと思ったが,他に思いつかないのでこのまま進める)。つまり今回のエンブレムのようなものは,意匠権での保護は難しく商標権での保護が一般的ということになる。あと商標権は登録者だけじゃなくそれを見てモノを買う人=消費者の保護も重要な目的だが,意匠権は専ら登録者の保護が目的。
1. 原案の提出
ここで問題になったのは「商標権」であり「著作権」ではない。従って侵害の有無は類似性のみに基づいて判断される。コンセプトとかは一切関係なく,見た目が似てたらアウト。但し保護目的の大きなウェイトを「消費者が誤認しないこと」が占めるので,誤認しない程度の類似なら許容される。
3. 一次修正案の提出
6. 最終版の公表
7. 最終版がベルギーのリエージュ劇場のデザイナーから著作権侵害として使用停止を求められる
ここで問題になったのは「著作権」。著作権の侵害は,類似性と依拠性(被侵害著作物を知っていて,それを真似した)の両方が立証されて初めて成立する。従って元の著作物を知らずに作ったものがたまたま似てしまった場合は,著作権侵害にはならない。佐野氏が pinterest の会員だったかどうかが問題になるのも,この「依拠性」の証明に関係してくるから。但し単に会員だったというだけでは依拠性の証明としては全く不十分。佐野氏が(一次修正案以前に)リエージュ劇場のロゴを見ていたという蓋然性が高いことを示す証拠(例えば pinterest のログ等)が必要。
他方,深津氏は「依拠していない」ことの証明として「コンセプトが違う」ことを挙げているが,これも現時点では証拠としては弱すぎる。証拠というよりは傍証レベル。まずその「コンセプト」なるものがすべて頭の中で考えられたものでしかない。つまりリエージュ劇場のロゴを見たあとでも,言い訳としてそのようなコンセプトを考えることは極論今からでもできる。「いや,このコンセプトでずっと考えてたんですよ」ということを示す物証(ラフスケッチや素案,メモ等)が出てくれば多少マシだが,それでも「見ていない」証拠としては弱い。ただこの場合挙証責任は基本的に訴えた側のドビ氏にあるので,よっぽどマズい法廷戦術をとって挙証責任を押し付けられない限り,佐野氏側は「依拠していない」ことを証明する必要はない。
ちなみにもしリエージュ劇場のロゴが商標登録されていたとしたら,商標権での争い,すなわち類似性のみでの争いになるため,「専門家であるデザイナー」諸氏がどれだけ「コンセプトが違うから違う」と言っても一笑に付されていたはず。もっともそうなる前に商標調査で引っかかった可能性は高いし,また類似性のみの判断になるとしても消費者が誤認するレベルかというと正直微妙だとは思う。
以上に書いたことを冒頭に挙げた深津氏の記事,特に「まとめ」の直前に掲げられている5項目と読み比べてみるとわかると思うが,2番目の「コンセプト」の話以外はだいたい同じ。2番目の「コンセプト」の話も「コンセプトが違う」ことを以て「(著作権侵害で問題になる)依拠性はない」という主張を補強する傍証としているだけで,デザイナーの専門性とかは本質ではない。
つまり,深津氏は「法律的には問題ない(はず)」と言っているだけなので,だったら「この問題の専門家はデザイナーじゃなくて法律家じゃね?」と考える次第である。
権利 | 保護の対象 | 保護の目的 | 侵害の判定基準 | 権利の発生 |
---|---|---|---|---|
特許権 | 自然法則を利用したアイディア | 発明の奨励→産業の発展 | 類似性 | 登録 |
実用新案権 | 自然法則を利用した物体の形状や構造に関するアイディア | 考案の奨励→産業の発展 | 類似性 | 登録 |
特許は機能を実現する方法や装置などの技術的手段のアイディアを保護するもの。実用新案も,特許をラスボスとした時の中ボスみたいな位置付けだと思うので,意味的には特許と変わらない。いずれも機能とは無関係な表現としてのデザインの保護とは全く異なるので,そもそも特許制度と比較してどうこうというのは筋違いだと思う。
そりゃ人類集めたら頭悪いやつらのほうが圧倒的に多くて、
頭悪いやつらの理論の方が圧倒的に大多数の支持を受けるのは当然だからな
佐野の件も低知能デモクラシーに反発した有識者層との戦争みたいなもんだし
癒着はともかくデザインについてのパクリかどうかの解説してやってるのに
今回の一件はすごくわかりやすいほうだと思う
共感を得に来た。
近頃のオリンピック騒動を見ていたら、論議があさっての方向ばかり向いている。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/
やれパクリだの、やれパクリじゃないだの、正直そんなことが重要なわけではないと私は思っている。ってことで各論者たちにツッコミを入れに来た。まぁ見ていってほしい。
あのな、このロゴはな、タイポグラフィーを主としたデフォルメ系のロゴデザインなんだよ?どれも似通って当たり前だろ!目を覚ませ!
何が裁判だ提訴だ。こんな曖昧なもの法廷に持ち込んでどうするんだ!?結果が出ると思ってんのか?てかそれ誰が得するの?
法廷が正義だとか思ってるの?法廷なんて政治ゲームだろ。こんなもん裁判に持ち込んだら、適当なパワーゲームになってうだうだやるだけじゃねぇか!それで結局三面記事の良いネタになってコンテンツ力を失うんだよ!
世はフラットデザイン全盛なんだよ!似通ったロゴなんていくらでもあるだろ!全部訴えろってか?
あのさぁ、言いたいことはわかるけどな、これは芸術じゃないの。クライアントが存在するデザイン業なの。わかる?わかるよね。それが仕事だもんね。
ってことでさ、デザイナが独りよがりで作ったってどうにもならないよね。
ホントはさ、リリースする前に一般人的客観的感覚で、アウトプットを精査すべきだったんじゃないかな?一般人から「これパクリじゃね?」とか「これ○○に似てるよね?」とか意見が出るの目に見えてたよね。それってまずいよね。
そういう精査をしなかったじゃん?だから叩かれてるの。クライアントの感覚置き去りでデザインが世に出ちゃったからさ。
え?「クライアントは国であって、国民の事は知るか」って?それは横暴だよ。国家的イベントであるオリンピックのロゴ制作だよ?一生名前が残るよ?すごい大仕事だよ?それはすごーーーく丁寧にやらないとダメじゃない?
ホントはさ、国民は佐野さんに唯一無二でズバッとした有無を言わさぬデザインを生み出して欲しかったんだよ。たぶん。
ここにほかの人を引き合いに出すのは良くないとは思うけどさ、岡本太郎とかすごいじゃん。唯一無二感半端無いよね。きっと国民はそういう仕事を期待してたのだと思うよ。きっとね。
みんな頭を冷やせ!冷静になれ!
お前たちの戦う相手はそいつじゃない!
ここまで燃えたんだから、みんな悪者が欲しいに決まってる。あいつが悪いって言いたいんだろ?
ってことでとっておきの敵を提供してやる。それは広告代理店だ。
そもそもロゴなんてものはシンボルだ。そいつをみたら「あぁ東京オリンピックだな」と思えるものがシンボルだ。
だからな、乱暴な言い方をするとデザインなんてどうでもいいんだよ!要は決めるプロセスが重要なんだよ!
適当なストーリーと適当な理念と演出で、B層共が適当に納得するように仕向けるプロセスが重要なんだよ!
電通だか博報堂だか知らないけど、ちゃんと仕事しろ!ネゴシエーションしろ!CM打て!適当に民放で「2020年東京五輪 期待!開催までの道のり ~本邦初公開ロゴ誕生秘話~」とか言うタイトルでそれっぽい薄っぺらいストーリーなテレビ番組作っとけ!
広告代理店が無理なら国が仕事しろ!もっと上手くやれ!旗振り役が不在なんだよ!
基本的にオリンピックってのは成功することが前提で出来てるから、成功しても成功したことに対する利益が得られねえんだよ!モチベーションが高まらないんだよ!
用意してください。
用意してください!お願いします。
割と東京オリンピックで古いインフラをリニューアルして、更に東京は住み良い街になると信じてます。なので成功させてくださいお願いします。
ドビ氏にもメールを送った奴がいるわけで実際にはチクリだよ。
そうなん?Facebookで自分で見つけて言い出したことだと思ってたけど、
メール貰ったんだけど、みたいなのあった?
まだ本人がパクリを認める前にいきなり週刊誌かなんかに妻がお漏らししちゃった感じで。
で、そこから上手いこと全部部下のせいにしたけど。
その部下がどれで、その部下に対する処罰とか全く何も無いんだけど。
デザインって特殊な高等民族様の仕事でしょ?そしたら個人が重要なんだからそのパクリ部下を表に出すべきだと思うんだが、しないよね。居ないのかもしれないけど。
で、パクリって結構な重罪だと思うんだけど、それ、出したもの辞めるよ、サーセーン、で済む話なの?
それが「責任取った」って形なの?
まあ、知らない所できちんと支払金戻して更に賠償金払ってるのかもしれないけど、賠償金の話になるなら軽く裁判とかになって表に出てきててもおかしくないもんだけど。
深津氏の文章を読んで、本当に佐野氏のロゴは著作権的にアウトじゃないか
ことを代わりにやってみた。
著作権侵害が成立するには
1.依拠性
2.類似性
の3つをすべて満たす必要があるらしいので、順番に検討してみようと思う。
(http://www.saegusa-pat.co.jp/copyright/cr_02_3.htm)
を参考にした。
1.依拠性
証明する必要があり、Pinterestの閲覧の有無が争点になると思う。
当然ベルギーのデザイナーはPinterestに自分のロゴを登録しているし
佐野氏もPinterestに登録していたことが確認されている。
これによって佐野氏がベルギー側のロゴを見たということには充分妥当性があるように思う。
ここで佐野氏が実際にそのページをみたかどうかの証明は必要ないし(もちろん証拠があればそれに越したことはないが)、
佐野氏がもし仮に、見ていないと発言しても、忘れたと発言しても依拠性が覆されることはない。
2.類似性
まず佐野氏のロゴとベルギー側のロゴの類似している部分を列挙してみる。
・中心の縦の棒のパーツ
・左上と右下におかれたパーツ
・3つのパーツにより切り抜かれた円の形を視覚的に感得できること
・パーツの組み合わせにより『T』と『L』の合字が視覚的に感得できること
以上の4つではないかと思う。
判例では、他人の著作物の表現形式上の本質的な特徴を直接感得できるかが判例の判断基準となるようだ。
類似性があるとは認められないのと同じ。
これは一目しただけで、類似していることが認められるのではないかと思う。
相違点はベルギーのデザイナーのデザインが外側に黒丸で囲んであり、
モノクロ(2色構成)で構成されているのに対し、佐野氏の、エンブレムは
外側の黒丸に対する円がなく、4色構成であり、右上に赤い丸があることの
違いであるが、これらの違いはベルギーのロゴが土台にあってはじめて
成り立つものであり、ベルギーのロゴが本質的な特徴であることが理解できる。
つまりベルギーのデザインが土台にないと、佐野氏のデザインはまず
構成できないことに着目したい。
主張していて立証は難しいように思える。
着目してみたい。
である。
ここに飛躍的がある。
出発点となっているため、飛躍的な超越はない。ここにベルギーの
おそらく佐野氏は『L』の合字部分に気付かなかったのではないか。
ベルギー側のデザインが『T』のみのロゴだと思い込んだのである。
つまり佐野氏のロゴは、『T』としては非常に不自然な形状をして
いることになる。この不自然さこそ、一般的でないことの証明であり
創作性を保有しているということになる。
という着想を得たのだろうか。
あきらかに五輪エンブレムとして利用すれば利用行為を行ったことになる。
佐野氏がエンブレムを取り下げたために、ベルギー側も告訴を取り下げるしかなかった。
はないかと思われる。
これを読んでもみんな(深津氏や山本一郎氏を含む)は、佐野氏は
エンブレムをパクッてないということになるのだろうか、聞いてみたいところである。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20150903190148
よろしくどうぞ
http://twinavi.jp/topics/news/55ed5ffc-0a30-4ffc-a057-3b8eac133a21 これ。
なんとなれば「T」に隙間の無いステンシル書体が存在することは、リエージュロゴがステンシル書体をモチーフにしていない理由にはならないから。
元記事(よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?)では、名刺やデザイン展開を根拠にリエージュロゴはステンシルをモチーフにしている、としていて、そうすると「Théâtre de Liège」の頭文字TLを合わせたあのロゴの隙間が論理的整合性を保って説明できる。
一方反論記事(デザイナーの『ごまかし』 本当に「五輪とリエージュのロゴは似てない」か?)では、
リエージュロゴについて言えばむしろ、(佐野氏が五輪エンブレムのモチーフとして紹介した)DidotやBodoniのようなローマン系のフォントのセリフ(文字の端のヒゲの部分)から発想し、エリアを囲む四角形を外円の円周をあてて切り抜いた、と考えるほうが自然に思われます。
となっていて、その根拠が全く示されないため「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」と言わざるを得ない。
そして反論記事後段の「ごまかし」の指摘。ここも微妙だったりする。
「似てない」根拠は、「似て見えるか、似て見えないか」でも、エンブレムのデザインそのものではなく、デザインする上での「設計思想」のみと言うことになります。
──つまるところ、この記事の解説は、佐野氏が会見で行った解説に、自分に都合のいい事例だけを付加しただけの「ごまかし」ということになるのではないでしょうか?
反論記事の筆者は上記のように元記事を批判しているわけだが、ここに反論記事自身の「ごまかし」がある。元記事の主張に向き合わず周辺箇所にレッテルをはることで矮小化しようとしている、とでも言えばいいのか。
どういうことかというと、元記事の主張は、両ロゴはコンセプト(=設計思想)が違うため、「似てない」とするデザイナーが多い、である(個人的には「似てるけど設計思想が違うから別物」と表現した方がいいとは思う)。
これが元記事の根幹であり、元記事を批判するのであれば最初にツッコミをいれるべきだと思うが、反論記事はここをスルーする。そして逆に、元記事におけるステンシル書体や商標のくだりを「自分に都合のいい事例」と批判する。
しかしステンシル書体のくだりは、リエージュロゴ側のコンセプトを推論したものであり、主張の根拠となり得るものだ。他方、商標のくだりは何故事前に類似を見抜けなかったのかや、何故ロゴを事後修正したのかという疑問に答えるためのもの。
いずれも元記事内での役割があり、その役割に妥当性もある。決して「自分に都合のいい事例」でもなければ「ごまか」すためのものでもない。逆にそうレッテルをはってしまう反論記事に「ごまかし」を感じてしまう――のだが、はてなの諸賢にはどう映っただろうか。
ドビ氏にもメールを送った奴がいるわけで実際にはチクリだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20150907223211
個人的に釈然としない部分がいくつかあるので整理・言及したい。
-----
1. 「劇場ロゴのパクリ」は争点になっていない。五輪エンブレムとして採用するか否かが争点
2. 類似性(似ている/似ていない)が認められるかどうかということが話題となった
3. パクったかどうかに関係なく、単に似ているということで著作権上の問題が生じる
5. 「劇場ロゴのパクリ」はなくても、チヒョルト展のパクリはあったと認定できる。その根拠は次の二つである。
5-1. 文字とは無関係の装飾要素かつまったく不要な赤丸が原案の右下にあったから
5-2. 「(佐野氏がチヒョルト展を訪れた事実を認めた上で佐野氏がチヒョルト展のロゴを)覚えてない」と弁解したことについて、彼は嘘をついている、プロならばこれほどのデザインをあっさり忘れるはずがないから
6. 深津氏は争点になってないものについて解説しており、深津氏の見解そのものは意味を持たない。
7. 「劇場ロゴとのパクリではない」なんていうどうでもいいことを持ち出して、「専門家の言うことを聞け」と述べるような深津氏の主張は妥当ではない
8. 深津氏の見解の主要な点は「専門家に任せるべきだ」とした部分にあるが、最終案を決めたのは素人である武藤事務総長であるため、深津氏の主張は成立しない
9. ベルギーの劇場ロゴとの類似性が認められるかどうかという法的争点を抱えている状況の中、佐野氏の他の案件におけるパクリが判明。加えて、原案と最終案はまったく違うものであるほか、最終案を決定したのは事務総長ということが判明した。これをふまえて、「五輪エンブレムとして採用するには適切ではない」という民意が生じた。
10. 9 を無視して「専門家の判断に任せよ」という深津氏の主張は問題をデザインの面だけに限定しており、きわめて視野が狭い。まったく問題の所在を理解していない。
11. 今回のエンブレムは、エンブレムのデザインとしての良し悪しで決まったのではなく、展開力で決まった
12. (原案の)丸と三角と四角というデザインはあまりにも単純で凡庸であり、これを「美しい」「見事だ」と思うようなデザイナーはいないだろう。専門家は民衆の声と自分の心の声を聞くべき
13. 心の底では「くだらん」と思いながらはっきりと口に出せない。「展開力が優れている」と言われると「なるほど」と言って承諾するだけで「エンブレムとしてはあまりにも凡庸な図形だ」という本音を口にできない。
15. 「(劇場ロゴと)似ているか、依拠しているか」というような話題は争点ではない
16. この事件の問題点は、ベルギーの裁判で勝つかどうかじゃない
17. 著作権を問題にしていない。そもそもベルギーロゴとの関係も問題にしていない。ベルギーロゴとの関係などはどうでもいい
id:bros_tama のコメントに対し:
18. “五輪エンブレムのデザインで何が問題であったのか”ということは今回の騒動ではほとんど意味がないことだというふうに評価している
19. 「パクリデザイナーの作品を五輪に正式採用することの倫理的な是非」が問題
20. 美術的な問題はない。美術的なことをいくら論じても、今回の騒動には何の関係もないというのが本項の趣旨
21. 劇場ロゴとの類似性とかパクリとかはほとんど話題になっていない
22. 深津氏の見解を否定しているわけではなく、本質とは関係ないとして軽視しているだけ
id:Eizo0000 氏のコメントに対し:
23. この問題を専門家(つまりデザイナー)に委ねるべきで、大衆がこの問題に口出しするべきではない、という発想を問題視している
id:honma200 氏のコメントに対し:
24. 問題の本質は、法律違反をした(あちこちで画像の盗用をした)作者のデザインを五輪に採用するかどうかという倫理的な部分にある
25. 23 の主張も、深津氏の記事が訂正されたことによりかなり色褪せてきたとも言える。
-----
全体を通して、おそらく増田氏は「犯罪者である佐野氏がデザインしたエンブレムを採用することは倫理的に問題がある」ということを言いたかったのだろう。
しかしながら、その結論に向けて展開した論理が歪んでいること、根拠が不十分であったりすること、本筋とは関係ない論理が混じっていること、
「話題」「争点」「問題」といった言葉の使い分けが曖昧であることが、エントリのわかりにくさや理不尽さを生じているのではないかと考える。
冒頭で個人的に釈然としない部分があると述べた。論理が歪んでいるのが気持ち悪いと思う私的な感情から、その部分について指摘していきたいと思う。
■増田氏が取り扱う問題と深津氏が記事が取り扱うことが違うということを増田氏自身が認識していない
増田氏は、深津氏の記事を「劇場のロゴのパクリではないと言っているだけ」としたが、この時点から既にズレが生じている。
記事は、「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーがどうしてそのように考えるかといった点にフォーカスしたものに過ぎず、増田氏が取り扱いたい問題については言及していない。
増田氏自身も、ロゴのデザインがどうとか劇場ロゴと似ているかとか著作権がどうとかは争点ではない(主張1、15、16、17、18、20)、
自身の取り扱いたい問題の本質とは関係ないとしている(主張22。これらの主張だけを見れば主張6 も「(増田氏にとって)意味を持たない」として解釈することができる)。
それなのにも関わらず、自身が問題とすることを深津氏の記事と結びつけたために、6、7、8、10 といった見当違いな主張が生まれ、(はてブのコメント欄で観測する限り)読む側に混乱が生じたのではないだろうか。釈然としない。
■各人のコメントに対する返答の的はずれさ
3、4 に対し、id:sisya 氏は「単に似ているだけでは盗用にならず、依拠しているかどうかが重要」とコメントされたのではないだろうか。
そのことについては深津氏の記事の「前提知識1」の項に書かれており、それを踏まえてid:sisya 氏は「参照元のエントリを全然読解できていないように見える。」「もう少し元記事を読み返すことをお勧めする。」と述べたと思われる。
そう考えると、id:sisya 氏に対する返答は的外れである。
id:bros_tama 氏の「あの記事は“五輪エンブレムのデザインで何が問題であったのか”について書かれているんです」というコメントに対し、
「それはわかっている」「本質とは関係のないことをいくら解説しても、そんなことはどうでもいいことだ」と返答しながらも、なぜ自身が問題とすることを深津氏の記事と結びつけたのか。
その矛盾がid:bros_tama 氏がコメントをする動機となったと思われるが、いかんせん増田氏の返答は的外れである。釈然としない。
■根拠不十分
4 については、実際にトートバッグの件について佐野氏側が「第三者のデザインをトレースしていたことが判明」と発表していることから、間違いのない認識だろう。
しかしながら、5 については何の根拠もない。その根拠とする5-1 についても5-2 についても不確かではないか。釈然としない。
ちょっと主語が大きすぎるのではないかと思う(主張9、12、13)。自身の思いを投影しただけに過ぎないと感じる。釈然としない。
「犯罪者である佐野氏がデザインしたエンブレムを採用することは倫理的に問題がある」という結論に向かう上で、6、7、8、10、11、12、13、14 は必要のない論理ではないか。
深津氏がいわれもなく謗られたと受け取る可能性がある内容を記述することに何の意味があるのか。釈然としない。
■犯罪者呼ばわり
トートバッグの件について、佐野氏側はトレースした事実を認めたが、それ以外の案件についてはまだはっきりとした裏付けはとれていない。
何らかの罪に問われたわけではない現在の状況下において、一個人を「大犯罪者」と呼ぶのは果たしていかがなものか。一個人が一個人を断罪することは危険ではないかと私個人は思う。釈然としない。
■ずれる結論
「犯罪者である佐野氏がデザインしたエンブレムを採用することは倫理的に問題がある」(以下、結論Aとする。)という結論に向けて論理を展開したかと思いきや、
id:Eizo0000 氏のコメントを受けて「この問題を専門家(つまりデザイナー)に委ねるべきで、大衆がこの問題に口出しするべきではない、という発想を問題視している」(以下、結論Bとする。)と結論を変更した。
その後、深津氏が記事の結論部分の表現を変更したことを受け、増田氏は「問題視したことは、かなり色褪せてきたとも言えます。」「「大衆はデザインには無知なんだから口出しするな」というような方針が、少しは改まったのだとすれば、本項は一定の役割があったと言えるでしょう。」と追記。
なんだ、結論Bを言いたかったのかと思いきや、さらにその後のid:honma200 氏のコメントを受けて、再び結論Aを書き連ねる。これでは、結局言いたいことが錯綜しても仕方ない状況だ。釈然としない。
■まとめ
横暴な論理を振り回すことは非常に危険な行為ではないかと思います。しかしながら、増田氏が問題視する倫理面に切り込んでいくことは重要と思うので、これについて僕も書けたらよかったのですが、見識がなく断念しました。どなたかお願いします。
スポーツの祭典を象徴するロゴの騒動は、辞退した事もあって一応の落ち着きを見せ、総括の段階に入ったようだ。
つまり、アレは一体何だったのかという説明と、それに対する反発の第二ステージに入ってきたと言って良い。
ロゴに関しては、専門家の説明と素人の感情の両方がネットでは読めるので、説明はしない。
ここで触れるのは「自分がもしも佐野氏の立場になったら」という対処法だ。
一番簡単なのは、諦めることだ。
店長を思いローソンカラーに塗ってみたら面白かったので、Twitterに写真を載せた。
「それ、セブンイレブンのパクリでしょ?」「べつやくれいが恐竜に塗ってたのパクった?」
続々とリプが飛んできたとしよう。クソリプとは言えない。適切な感想だし。
ここで、「いや、思いつきで」とか「セブンイレブンのヤツは今ググったけど、みたことない」
みたいな反論は火に油だ。転載されてどこかのまとめサイトにでも載ったら、まあオシマイだろう。
最終的に識者に「著作権的にはグレーですが、迂闊な公開とは言えるかもしれません」とかオチが付いたりする。
相手の意見を肯定しつつ諦めることで、2,3日すれば「消すくらいなら上げるな」的なクソリプも収まる。
ちょっとややこしいので、まず分類しておこう。
「パクリ」と「似てる」には明確に差があって、
「パクリ」は「誰かのに似せる」という「行為」を問題視される。盗用や盗作等、黙って使うと非難される。
「似てる」は「誰かのに似ている」という「結果」を問題視される。途中経過は、あんまり関係ない。
「パクリ」とは「似せる」という「行為」を問題にされるので、やってるやってない双方で証明は異常に難しい。
これは「所有権を主張するなら、譲ってもらった相手が譲ってもらった相手のそのまた譲ってもらった(以下略」と最初まで遡って証明せよ、と言われていたいわゆる所有権の悪魔の証明みたいになる。
そして、対処法も法律の枠組みと同じになる。証明責任を転換させる「権利推定」という手法だ。
「この事実があるんだから、この権利があるものと推定する」という方法。
プロセスに沿って仕事してましたよ、と説明すれば良くなる。(というか、良くなることにしないと進まないのでそう決めてる)
先行技術調査、なんていい方をするけど、似た特許がすでに無いか調べてから出願する(特許を出す)のが一般的だ。
この場合、特許庁に登録されているもので調べれば、少なくとも仕事の上では、以後問題になることはない。
プロセスに沿って仕事していれば、特許無効審判で潰されても、賠償問題にはならない。
ポイントは大きくは2つあって、まあ「格」と「情緒」と言っても良い。
人間の屑であってもクレバーな人間は多いし、サイコパスだからこそ社会的に成功するなんて論文もある。
冷静に考えれば、「人間性」と「その人が行った成果」は、全く関係ないんだけれども、世の中そうはなっていない。
「格式」は、服装振る舞い挨拶儀礼ほぼ全てについて回るので、まあ、根強いし仕方のない面もある。
「情緒」は、論理性とかは特にないので、同じように情緒的に対応するしか無かったりする。
こういう場合、特許情報プラットフォームで調べると、出願されてるかは判る(例えば「はてブ」は、登録5672858で登録済み)
例えば、全くの天啓で「アノニ増田」を思いついたとする。(これは商標登録されてない)
こういう時は、弁理士か弁護士に依頼して、商標出願してもらうのがプロセスになる。
こうすると、「パクリじゃない」と調査してくれた上で、「似ている」場合のリスクの報告もしてもらえる。
そして、法律上の問題点をクリアした上で、「格式」として、類似に見えるサービス展開はどうだ?みたいな話になる。
なんで言質をとって関係者展開で事実を積み上げるかというと、次への布石になるからだ。
「格式」や「情緒」しか問題がない場合は、明らかな「難癖」は、見た目で判りやすくなるからだ。
(仕事で良くある「それは法律上の」とか「それは盗作や盗用のリスクが」という批判を潰せる)
まあ仕事でもないと、プロセスに則って何かをやるってのは難しい。
個人では弁護士に依頼して調査してもらう(お金で責任の肩代わりをしてもらう)ことはまずない。
そうすると、言質をとって対応するのが次善の策になる。
「パクリだ!」→「これはこういうことで」→「そういうことを言ってるんじゃない!」というのを、前提とするってことだ。
特に、発言の多様性で意味を変えてくる(大抵謝ったりしない)相手に対応するときの基本方針になる。
これは、コミュニケーションを繰り返すという意味ではなくて、想定しておくという形になる。
この深津氏の説明が優れているのは、「言質をとって切り分ける」想定問答集として理想的な形になっているからだ。
たいへん雑で恐縮だが、「対処法」に絞って整理すると、説明としては以下のようになる。
途中、デザイン寄りだったり、秘匿性の話が挟まっていたりはするものの、きちんと切り分けされている。
「オマエのことが気に入らない」とストレートに言う人間は、実は非常に少ない。
「俺は、なんとなく、気に入らない」は、ほぼ無敵で対処法が存在しないけれども、
「みんなは、法律的に、問題視するのでは」という「第三者批判」は対処法がある。
その為、深津氏の説明は、
という流れで、以下の結論に持って行ってる
反論しようとすると、法律の問題か感情の問題かのどちらかをハッキリ言わないとバカに見えるようになっている。
(オリジナル部分が違えばパクリではないと規定しているが、妥当な前提だろう。似てるだけなら全部ステンシル書体のパクリになるし)
(「著作権的にオリジナル主張が難しい」という弁理士や弁護士やその他デザイナーが指摘はできる構成)
仕事上で諦められないなら、プロセスに沿って仕事してた、対応は粛々としますと切り返せ。
仕事でネット上で炎上したら……感情の解消と、法律面の対応は、両輪。
「情緒」の解消は、基本的に当事者間の話し合いになるので、そこをクリアするとネットは沈静化するよ。
(法律面は粛々と対応。「格」対応は、週刊誌ゴシップで蓄積有るはず。基本根回しとコネ)
……上記は、難癖対応であって、弁護士が代理人としてやってきたら、ちゃんと対応しよう。
まあ、今までは週刊誌で盛り上がるだけなんで抑えも取引も効いただろうけど、ネットから燃え広がるとコントロール難しいからねー
http://anond.hatelabo.jp/20150907223211
佐野氏が後日発表した、レンブレム展開例のアルファベット一覧。
これ、Tだけ余分な要素が付いているから後付けだ、という人が多いけど、その説明がデザイナー側からされていないので書きます。
これを展開させるためにアルファベット一覧を作った。
この順番です。
表層的な部分は似てるって。
それは何としても理解してもらわないと。
深津さんも世の多くのデザイナーも、多分、佐野がどうなろうがエンブレムが何になろうがどうでもいいと思ってるよ。
ただデザインってのに真摯になると、デザインに対する世間の誤解を放置したままではいかんと、逃げずに説明しなきゃなんないと思ってるんじゃないかな。
あの記事についた、現時点で400件近いコメント一つ一つに今だに未だに深津さん答えてるからよく読んでみなよ。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/
な、なんですって。。。これは私の文章が分かりにくかったという事かもしれません。
貴方の主張はなんでしょう?
書いてある事は、主張と言うよりブログを読んだ感想で以下の通りです。
・自分の意見に固執している人のコメント(行動)はエセ科学信者のそれに似ている。
・似ている点として、以下の特徴があるように見える。
- 自分(または他の人)が良いと思っているから正しいと主張する
きっともう一度読んでもらうと分かっていただけると思いますが、
反論出来ないと見るやいなや、「お前の論点はずれてる」論法ですか。。。
貴方の主張はなんでしょう?
まずはフランスパン等、後から見つかったものに関しては関係なし、とせよ、ということですね?
ですが、第一に、「一般国民」の方々はデザインのコンセプトがどうこう、と言うより、
あのエンブレムがオリンピックに「ふさわしいかどうか」が一番の関心ごとです。
そして、それについてはもはや誰がどう見ても「ふさわしくない」です。
実際、取り下げた理由も様々な面から「ふさわしくない」という理由からです。
(それが「佐野家に今後弊害をもたらす」という理由なども含め。)
で、あなたはこういうことは関係ないだろう?と言いたいわけですよね?
そのエンブレムがどうか、と言う話に関してです。
それに関しては、
これが全てです。
「一般国民」の方々があれは似てる!と言って騒ぎ出した話ではありません。
コンセプトなどの話も十分理解されてる上で、あれは似ている、と訴えています。
勿論、それがただの言いがかり、と終わるかもしれませんし、逆に訴えが認められるかもしれません。