はてなキーワード: 中学生とは
・大学受験前、志望校のことが知りたくて2chで情報を集めたりしていた。その流れで在校生に質問したりしていた。
後日、スレを開くと
息子は受験が心配でこのような場所で皆さんに質問しているようですが、私からも質問よろしいでしょうか?
みたいな書き込みがあった。
その件に関しては問い詰めたりはしてないが、母親から「私はあんたがパソコンで何調べてるか全部知ってる」みたいな、監視をほのめかす言葉を言われたことがある。
・中学生の頃、学校の帰り道にローソンによって友達とアイスを買い食いしてたら、車で通りがかった母親が駐車場にいる俺をみつけて急ハンドルで俺の前に付けたかと思うと、窓を開けて「何買い食いしとんねんはよ帰れ、家帰ったら覚えとけよ」と言われた。
その直後車を発進させたが、俺の足先をタイヤで轢いて行った。
そんなに痛くなかったけどさすがにバックしてきて「バチが当たったんや」と言ってきた。
前の車の後部座席にでかいぬいぐるみがこっち向いて座っていて、それが面白かったので写真を撮ってツイートした。
するとツイートを見た母親が電話してきて「運転中に携帯触るな!」と怒鳴られた。
・転職して鬱になり休職することになったので母親に報告したところ、俺に内緒で会社の社長宛に超やんわりとした文体ではあるが要約すると「うちの息子が鬱になってもとるけどおたくの会社は社員をどういう扱いしてんねん」という内容だった。
手紙の事は社長と俺の上司しか知らず、俺にも伏せられていたため発覚が遅れた。
上司が隠している事に耐えられなくなって、俺に話してくれたことにより知ることとなった。
一生許さないとも言った。
・俺が鬱になった時、俺にあまりにも冷たく突き放されたことがショックで、息子に捨てられたと思ったらしく、精神を病み俺が通っていたのと同じメンクリに母親も行ったらしい。(母親の自白により先日判明)
先日また別件でストーカーまがいのことをしてきたので「怖い」と伝えたら泣いてしまい、翌々日には長文で「もう親子関係も何もかも壊そうと思う」とメンヘラめいた事を言われる。
意味がよくわからかかったけど、母親を辞めたら?俺も息子辞めるから。と言ってみた。
その後必要最低限の連絡だけ(今までもそうだけど)になった。
他にも挙げたらキリがないけど
ちなみに母親とは同居してない。
何年も連載してて一度だけ唐突におっぱいが出てくる作品がある。
作者がその理由について言及してたらぜひ教えてください。マジで。
・北斗の拳
みんな知ってる1ページ丸々マミヤ。
中学生の時に道端でジャンプ読んでてこれが出てきたときは、誰かに見られてないかと周りを見渡した。
今連載中の実写版ではどうなるのか、初回から楽しみにしているオッサンは多いはず。
マジ意味不明。
こっちも1回だけ出てくるので、自分の中では河合克敏は「乳首券一枚の男」となった。
(「うどんちゃん」は全部読んでないけど、さすがに出てこないよね?)
出しそうで出さない作品かと思ったら、終盤でいきなり大量に出てくる回がある。
まあこの人は別名義の時の作品が(略
他にもあったら教えてください。
まだあったはずなんだけど思い出せないので。
要約
小説を読むのは好きだ。私は小説を読む時、主人公に感情移入して読んでいる。そして、本を読み終わった後も本の中の主人公の思考から抜け出せない。そのため読了後、本の中の憧れの世界と、自分のどうしようもない生活との落差に驚かされて憂鬱になってしまう。皆さんはこの落差と、思うようにならないことも多い現実に、どう向き合っているのだろう?
要約終わり
小説を読むのが、苦手というか、嫌いになった。
小学生の頃は、学校図書館にある本とか地域の図書館の本をかなり読んだ。
中学生の頃は、学校図書館の本だけでは飽き足らず、友達からラノベを中心に本を借りて読んだ。
高校の頃は、「国語の勉強」と言い訳して読書と受験勉強を1対1ぐらいでしていた。
登場人物の気持ちに思いっきり感情移入して話を読み進めるのにはワクワクする。
とっても綺麗な情景描写を見つけたときは、まるで自分が本当に綺麗な景色を見てるみたいでとっても感動する。
悲しい話だったら心が締め付けられるし、いい話だったら心がぽかぽかする。
ハッピーエンドで本が終わった時には、感動して涙が出そうになる。
でも、小説を読み終わった後が嫌いだ。
頭の中は小説の世界でいっぱいで、私は主人公になったみたいに心が揺れ動いている。
でも現実はそうじゃない。
友達と遊ぼうにも、あまりにも突然すぎて誰も乗ってくれないと思う。
頭がぐらぐらする。
本の中と現実が違いすぎて、その落差に頭がついていけない。
本の中では、楽しいことと、辛いことがバランスよく混ぜ合わされて出てくる。
主人公の行動が、周りに影響を及ぼしている。
高校生が主人公の小説なら、雨の日の通学が面倒な様子とか、あんまり書かれていない。
友達と何を話していいか分からずに悶々とする様子とか、あんまり書かれていない。
自分のいないところで友達が楽しそうに遊んでる様子とか、あんまり書かれていない。
現実はそうじゃない。
楽しいことも辛いこともある。
でもそれと同じぐらい、面倒なこともあるし、どうしようもないこともある。
本と違って現実は決して都合のいいところで終わらない。
いつまでも終わりが見えない道が続いてく。
本を読み終えると、まず現実との以外に驚く。
そして、もっとこうしていたらと自分の今までの生活を責めてしまう。
後悔というよりは、諦めだ。
どうしようもない。分かってる。
でも現実は本の中と違って退屈だし、私は本の中の主人公と違い、空虚な人間だ。
小学生の男女の幼馴染が、お互いの家庭環境の悩みを共有しつつ成長していく話だ。
男の子は近所に引っ越してきたみなしごとの関わり方に悩み、女の子はお母さんの再婚相手とそのことどう関わっていけばよいか悩んでいる。
物語が進むにつれだんだんとお互いに秘密を共有しだし、仲が深まってきた中で、突然に女の子の引っ越しが決まり、卒業式を迎える。
「きれいな景色を見ていると、いろんなこと、もう、どうでも良くなっちゃうね。」
本当にそうだと思う。きれいな景色を見たり、きれいな本を読んでいると、いろんなことがどうでも良くなってしまう。
「そうだといい。でも、きっとそうではない。どうにもならないことって、ある。けっこうたくさんある。」
この本を読みながら、私は小学校の頃を思い出した。
でも、私は幼馴染になるほど人と関わる努力をしていなかった。
本の中と違って、現実はどうにもならない。
どう受け入れていけばいいのだろう。どう向き合っていけばいいのだろう。
私は本の中から、その答えを読み取れなかった。
数年前には見られなかったこのような意見が、ここ最近 はてなブックマーク や togetterのコメント欄 で人気だ。
男性が女性販売員に迷惑行為を働くが、彼がターゲットを選ぶ基準に「女性だから」があるから、その時点で「まず差別」なのだという…。
しかし私には(しばらくこうした差別論から距離を置いていたので感覚が追いついていないせいか)いまいち納得できない。
「女性だから」を基準にするのは加害者男性の性欲が原因のはずだ。性欲は… それそのものは合理的だ、という社会的コンセンサスがあるよね?
被害それ自体がヒドイ事だというのはもちろん前提だけど、これを差別にカテゴライズするのは… どうなんだ。
「まず差別」を認めると…
女性専用車両が痴漢対策のために設けられてるけど、電車内の痴漢は女性をねらっているので「まず女性差別」になってしまう。
男子中学生が、女子生徒のうなじで変な気をおこすのも女性差別に当たる。
ウクライナを攻めているのは「まずウクライナ人差別」になってしまう。
…それでいいのか?
いや、よくわからない。バレンタインデーは女子が女子に送るケースは以前から結構あるし、ついこないだは男性がチョコを作るYoutube動画も観た。時代は変わりつつあるのかもしれない。
サンダーバード号のレイプ事件の時、犯人は武装してないのに見てるだけだった人が日本人の乗客の全員なんだが
最近のジョーカー事件でも犯人が弱そうな中学生の時以外は何もできない人が日本人なんだが
しょせん包丁程度の武器しか持ってないジョーカーなんだから、身近な道具でも絶対に戦えないってわけでも無かろう
小さい頃に「江戸時代の平均寿命は50歳ぐらいだったんだよ」って親から教えてもらった。
馬鹿だったからそれから漠然と「江戸時代の人はみんな50歳ぐらいで死んじゃうんだ」と思ってた。
江戸時代の人で50歳なんだから紀元前の人とかなら尚更すぐ、20歳ぐらいで死んだに違いないと思ってた。
時が過ぎて、中学生になって、倫理の授業でプラトンやソクラテスが超長生きだと知った。
まだ馬鹿だったから「哲学者みたいな凄い人は長生き出来るんだ。凄いな!」って思った。純粋だった。サンタさん信じてた。
高校生になって、やっと気づいた。
平均寿命には幼い頃に亡くなる人の数が反映されることに。
あー恥ずかしい。
大体使い切るまでのペースに合わせて
—-ないと困るレベル——
トイレットペーパー 1000(多分小の分だけ余計に使うと思う)
おりものシート 1000
ヘアオイル 1700
ファンデーション 3000
パウダー 700
化粧水 1000
乳液 1000
—-ざっくり15000円くらい—-
月にすると5000円くらいか。
たぶんこの辺までは中学生くらいになるとかかるのではないかと。
頑張れば月2-3000円くらいまでは落とせそう。
—-外出時—-
アイシャドウ 1000
アイライナー 1000
マスカラ 1000
チーク 500
リップ 1500
ヘアスプレー 500
——月にすると2000円くらい—-
ドラッグストアのコスメでこれくらい。こだわりはじめてあれこれ買い替えたりすると天井知らず。
—-気合い時—-
カラコン 9000
—月にすると1万くらい—
コロナ禍でほぼ使わなくなった。
今は個人情報の問題があって難しいと思うが、私が子供の頃は、担任の先生から必ず年賀状が来ていた。
よく考えたら、年賀状代はおそらく私費なんだろうし、40人分近く印刷するのだって、それなりに手間がかかる。
そんなふうに、プライベートな費用と手間まで費して、教員というのは本当に大変な職業だと思う。
その点ではむしろ、教員が生徒に向けて年賀状を出す習慣というのは、無くなった方が平和なのかもしれない。
さて、年賀状は来たら基本的に返信するものである。私も担任の先生に返信していた。
そして、担任から外れた次の年からは、感謝なのか慣習からなのか、年賀状は自分から出すようになった。
すると、いつ辞めるかが問題になる。私の場合は大学生になってようやく辞めた。
逆に言うと、大学生になるまで、担任だった先生への年賀状を延々と出し続けていたのだ。
初めてもらった年賀状は幼稚園の先生からだった。なので、一番長い先生だと10年以上やりとりを続けていたことになる。
そんなに長くやりとりが続いて、微笑ましいことだって?
なぜなら、担任の先生が年賀状を送るのは、おそらく「学級通信」の延長みたいなもので、
担任としてのコミュニケーションを円滑にするためであろう。そうであるならば、担任と生徒の関係が終わったあとは、
こんなに長く年賀状をやりとりするなんて望んでいなかったんじゃないかと思うのだ。
年賀状でしか接点の無い単なる一生徒から、10年以上も年賀状を送り続けられて、果たして嬉しかったのだろうか。
「○○高校に行きました」と報告されても、多数居る教え子の一例でしかないのだ。
そんな多数の中の一情報に「嬉しい」と感じられるものなんだろうか。私が教員なら無理だと思う。
それに、この件で何が一番たちが悪いかというと、私自身の対応の仕方だ。
大学生になるまで担任だった人に年賀状を出し続けるというのは、そもそも私の本意ではなかったのだ。
他人と年賀状をやり取りできる嬉しさで、10年以上も会っていない人に年賀状を出し続けたわけではなかった。
具体的には、「担任だった先生に年賀状を出さないなんて礼儀を失している」と親に怒られるんじゃないかと思っていた。
担任の先生を想ってではなく、親に怒られるのが怖いという一心で、出したくもない年賀状を出していたのだ。
先生も年賀状を作るのは手間だったろうが、当時子供だった私には、年賀状作りなんて冬休みが憂鬱になるほど面倒な作業だった。
30代を終えようとしている私が子供の頃は、PCなんて普及していなかった。
そのため、自分で干支のイラストをクーピーで書き、「高校では○○部に入り、云々」みたいな近況を知らせる文面を考え、
ペン書きなので、書き損じにならないよう(つまり、無駄になったと親に怒られないよう)、必死に気を使って書き付ける。
そんな、夏休みの工作みたいなことを大学生になるまで毎年繰り返していた。
高校3年生の受験シーズンでも、受験時のナーバスな時期だからこそ、親に怒られるなんて絶対に嫌だと思って、
干支の絵をお絵描きしていた。そしてそれを、例えば幼稚園のときの先生に送っていたのだ。
こうして、改めて今になってよく考えると、本当に頭のおかしいことをしてたんじゃないかと思う。
高校生になっただろう相手(男性)が、小学生みたいな干支のイラストで毎年年賀状を送りつけてくる。
きっと、なんでこんな稚拙な絵を延々と送り続けてくるのか、新年早々の疑問になっていただろう。
などと客観的に考え出すと、我ながら恥ずかしいことをしてきたと、枕に顔を押し付けて叫びたくなるほど後悔する。
受験勉強をセーブしてまで、やりたくも無いお絵描きを10枚近く、きっと存在しなかった親の怒りを恐怖するために書き続けていた。
そう、この恥ずかしい行動の原動力は「親への恐怖」だったのだ。ここがいまだに、自分のことながら意味がわからない。
どうして、そこまで親に恐怖していたのだろう。別にそこまで仲が悪いわけでも無かったのに。
12月になると、特に希望もしていないのに、親から毎年無地の年賀状を10枚渡されて、
それを無駄にすると怒られると思ったから?それにしたって、「もう高校生だから」と断ればよかったのだ。
本当に、私は頭のおかしなことをしてたと思う。「親への恐怖」という妄想で、かつて担任だった人々に迷惑をかけた。
まあそれでも、大学生のときには、担任だった先生への年賀状を辞めることができた。
大学生になったので、塾のバイトを始めて給料が手に入り、年賀状くらい自分で買えるようになる。
当然、親から年賀状をもらう必要も無い。「年賀状は自分で買うから」と、ようやく断ることができたのだ。
そして、自費で年賀状を買う段になって気づいた。気づいたことは2つある。
まずは、それなりの額を出せば、イラストが付いた年賀状が買えるのだということだ。
それまで、イラストと挨拶が書かれた年賀状は、大人が業者に頼んで大量注文しないと手に入らないものだと思っていた。
それが、大学生協に並んでいたのだ。これは、本当に救われた!という気分になった。
そんなの、コンビニやスーパーにも並んでるから大学生にならなくとも気づくだろ、と思われるかもしれない。
しかし、私は大学生になるまで、ろくにコンビニに入ったことが無かったのだ。
その理由は、私の家ではお小遣い制度が無かった(金銭は必要なときに必要なだけもらえる)というのが大きい。
学級帰りにコンビニに立ち寄ってパンでも買って帰ってくる、みたいなことをするお小遣いが手元に無かったのだ。
スーパーにしたって、中学生以降は親と行動するのが恥ずかしくなるわけで、ろくに立ち入ることが無かった。
まあ、そもそも田舎に住んでいたので、自宅から歩く距離にはコンビニもスーパーも無かったわけだが。
話が横道に逸れたが、とにかく、金を出せば年賀状に稚拙なイラストを載せなくてもよいと知ったわけだ。
そして、もう一つ気づいたことは、そもそも論になるが、担任への年賀状に意味はあるのかということだ。
それは大学生になって、担任というシステムから解放されたのが大きい。
(いや正確には、学年全体での担当教授は居た気がする。しかし、有名無実というか空気みたいな存在だった。)
大学では、自分の知識は多くの教員がバラバラと与えてくるものであり、担任という唯一の存在に依存する必要が無い。
(まあ、ここについても、研究室に配属されるようになると、考えはまた変わってくるわけだが。)
そう考えると、それまでの「担任」という人々に、こんな10年も経ってまで感謝を示し続ける必要があるのか疑問になってきたのだ。
そういうわけで結局、大学一年生のときに年賀状は完全に取り止めた。
ちなみに、当時は実家暮らしだったため、自分が年賀状を出していないというのは、親にも当然バレるはずだった。
正月以降に、毎年来るはずの担任の先生たちから年賀状が全く来ない、という形でバレるはずであり、戦々恐々としながら新しい年を迎えた。
しかし、親には怒られなかった。
今考えれば、親に怒られるなんて全て私の妄想だったので、当然の結果だったわけだが、当時は心の底からホッとした。
まあ、そこからようやく「親への恐怖」が自分の妄想であることに気づくようになり、
前述のとおり、これまで稚拙な年賀状を出してきたことをトラウマに感じるようになってしまうわけだが。
結局、自分の妄想で他人を振り回してしまったわけで、その点は今でも申し訳なく思っている。
そして何より、自分自身も稚拙なイラストを書いたり本当に苦痛だった。
そんなお互いに苦痛な習慣を、自身の勘違いで長年続けてしまったのは本当に黒歴史だ。
リアルな相手にはとても言えないけど、黒歴史な思い出は文章にしてちゃんと客観視しないと、
いつまでも「思い出しアー」になって苦しむことになる(実際、毎年年末に思い出して苦しんでいる)ので、一通り書き出した。
あとはこうして、匿名掲示板に記して供養としたい。
ちなみに、年賀状はトラウマになったので、大学生以来誰にも出していません…
となれば、お話し的にはキレイな展開なんだと思うが、高校のときの友人との年賀状は、数枚ながらもまだ続いている。
大学生の頃は、年賀状なんか一生出すもんか!とも思っていたのだが、卒業すると就職で散り散りとなり、お互いの近況を知りたくなった。
現在であれば、それはLINEか何かで実現できるのだろうが、15年以上前の話なので、そこはやはり年賀状でのやり取りとなった。
携帯メールはあったんだけど、何かこう、正月だとかのきっかけがないと、お互いやりとりしないよね。
って、やっぱり私も古い人間なのかも。
まあとにかく、子供の頃は色々やってしまったけれど、年賀状を誰かに出す習慣はまだ潰えていない。
今はさすがに年賀状はコンビニで買ってきたものを使っているけれど、その印刷された文面の端っこに、
ここ(https://anond.hatelabo.jp/20220205170423 )
色々考えたけれど、初めから私が存在しなきゃ良かったのだと思う。
私が存在しなければ、中学生だった兄は私に性的なことをすることはなかったのだから。
多分書いてなかったと思うけれど、家はお金が無くて、大学も奨学金がないと行けない状態。
感謝しなきゃいけないのは分かってる。
かつて性的なことをしてきた相手から借金をせざるを得ない状況だった事実に対して、どうしても屈辱的な気持ちになるんだ。
でも、これも私が初めから存在しなきゃ良かった話よね。私がいなかったら、兄は金銭的な負担をすることはなかったんだから。
母はよく私に「何も考えずに3人産んだ!」と言うけれど、父とよく考えて出産して欲しかった。私を産んで欲しくなかった。
【追記】
中学生の頃の思い出。ある時読書感想文の課題があり、当時作文が、特に読書感想文がどうしても苦手だった私は代わりに創作文を書くことにした。本を読むことは好きだったが、読んだ感想というものがよくわからず、それならば一層のこと最初から自分で考えた方がまだ簡単だろうという目論見だった。創作なんてしたことは無かったが、何故か当時の自分は自信に満ち溢れていた。だが、実際に考え始めると、物語を考える行為は予想していた以上に難しく、結局ゲームの設定の世界でクエストをやるような、今で言うなろう系の成り損ないのような話を書くことになった。そうして出来上がった内容は、村人である主人公が仲間と薬草を取りに冒険に出る、みたいなものだった。文章は主人公がしたことの箇条書きでしかなくて、小学生が自由帳に書き殴ったかのような内容とクオリティだったと思う。それでも、当時の自分は完成させて、書き上げた物語にとても自信を持っていた。そして私は自分の物語を見せびらかしたい一心で、同じく創作文を選んだことを聞いたクラスメイトに、参考にしたいから書いた文を見せてほしいと頼んだ。しかし、私はそれを後悔した。当時の創作文の上限は2万字近くだったと記憶しているが、それに届くかに思えるような圧倒的な量と、pixivの人気字書きが書く綺麗な二次創作を一次創作に落とし込めたようなクオリティをクラスメイトの作品は兼ね備えていた。思うに、そのクラスメイトは普段から創作活動に励んでいたのだろう。対照的に私の作品は下限ギリギリの原稿用紙数4枚程度を、出来事を羅列したプロットに近い形でなんとか埋めたようなものだった。そんな作品を、私はクラスメイトの作品を読ませてもらった後で、お返しに読んでもらおうと握りしめていたのだが、クラスメイトの原稿の一枚に軽く目を通すや否や、自分の作品が恥ずかしくなって、思わず借りた原稿を返した。そして、そのまま自分の原稿用紙を人に見つからないように自分の家へと持ち帰り、ゴミ箱に捨てた。結局、課題は何も出さないまま提出期限を迎え、締切を延長してもらい、怒られて急かされても尚何も出さなかった。ここでこの黒歴史は終わりである。話のオチになるような出来事はとてもないが、あの時自分の書いた文章を恥じた感情が、少しでも今の自分によって弔われていると良いなと思った。今でも自分の文章を巧いと思うことはなければ、他人に書かれた優れた文章と比較して劣っているように感じることもあるが、それでも自分が書いた文章を好きだと、自分で言ってやることはできるようになったのだから。
日常のふとした瞬間に思い出してしまう.考えないように,思い出さないようにしていることだ.
もし自分が賢ければ,優秀だったならば,本を読む人間だったならば人生はもっと明るく楽しいものだったのでは無いだろうか.そんなくだらないもしものことを考えてしまうときがある.
例えば今日だ.思い出すきっかけはくだらない,日常のそこかしこに散らばっている.
自分でもこんな"もしも"を考えることはくだらないと思っているし,こんなことで悩む自分自身が嫌いだ.
ただ,これは呪いなのだ.自分自身に掛けた呪い.きっと死ぬ直前,ベッドの上で横たわってるその瞬間になっても消えることはない.惨めたらしく"もしも"を考えながら死ぬのだ.
どうしてこうなってしまったのだろうか.
中学生の頃はまだ自分が人生の主人公だと思っていた.運動も勉強も出来なかったが,未来は明るいものだと漠然と考えていた.
高校生になった.世界の広さを知った.自分がちっぽけな存在なのを理解した.理解したときにはもう手遅れだった.
これまで積み上げてきたものは無かった.努力する方法も知らなかった.ただ流されるまま生活し,時間を無駄に消費することしか出来なかった.
自分は逃げてしまったのだ.夏休みの宿題と同じだ.先送りにしたのだ.その結果八方塞がりになって死にたくなった.消えて楽になりたかった.
でもそんな覚悟も勇気も無かった.どこまで行っても自分は半端者だったから.
これは言い訳なのだ.今頑張れないことの言い訳.外的要因のせいにして,自分は悪くないと弁明しているのだ.惨めだ,消えてしまいたくなる.