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はてなキーワード: ディスコミとは

2017-01-25

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.ブコメトラバなどで、全く関係のない支離滅裂な内容を書く人がいるのはなぜですか。

いい質問だ。

俗にいう“脳トレ”さ。

例えば

今日天気予報は何ですか」

に対して

朝ごはんモツ煮込みを食べました。あなたは何時に起きましたか?」

といったように、あえてディスコミニケーションを行うことで脳を鍛える方法なのさ。

よし、次の質問に対して、試しにやってみようじゃないか

Q.好きな動物は何ですか。

猫だ。

……おっと、何かまるで違うことを答えると思ったか

趣旨にそぐわない』という意味合いでは、これも一環だぞ。

2016-12-05

[]

普段感想書きではなく、趣向を変えて書いてみる。

今回のテーマは、「ちょっと敬遠したくなる作品」。

それでも、アクの強さに見合った魅力があることも確かだと思った漫画

現在連載中、或いは最近完結した作品のみを対象ピックアップし、核心に迫るようなネタバレも避ける。

ゲハ

人間と蝶の未熟児みたいな謎の生命体を、主人公が不純な動機で飼うことから始まる。

この漫画は全体的に「不快感」を意図的に漂わせている。

タイトルの『オゲハ自体、その謎の生命体に主人公が「汚いアゲハ蝶みたいだからオ(汚)ゲハ」と名付けたかである

謎の生命体の生態や、登場人物たちの事情を全て俯瞰して見れる読者だからこそ分かる、綱渡り状態の危うさが度々提示されるのが見所だ。

だが、意図的はい作品全体に漂う不快感はいかんともし難く、冒涜的ととられる表現も多い。

序盤で描かれる、オゲハ相手にほくそ笑む主人公に眉をひそめる人は多いことだろう。

そこらへんを漫画必要演出として割り切れるなら、どうぞ。

不登校日常

タイトルの通り、不登校児の主人公のを日常を描いた漫画

雰囲気コメディ調で、主人公は何か重苦しい理由のせいで不登校というわけではない。

そのため不登校という要素から連想される後ろ暗さはなく、重苦しい漫画ではないものの、それ故に主人公の身勝手言動は同情の余地がない。

主人公家族は善良なので、その身内たちに一方的迷惑をかけながら惰眠を貪る主人公は、コメディである前提を考慮しても眉をひそめる人も出てくるのは仕方がない。

そこを許容して、あくまコメディとして楽しめるなら、どうぞ。

まあ、正直なところ今回紹介した中では、これはかなりマイルドな部類なので万人受けしやすい方だと思う。

ファイアパンチ

1話から大きく注目された漫画だが、あれで作品方向性を読み違えると肩透かしを食らうかもしれない。

「強力な力を持った主人公を中心に、復讐のために道中の敵と戦いながら活躍するヒーローもの」みたいなものを期待すると裏切られる

まず、主人公は不死身に近い再生能力説得力を持たせるため、敵にいいようにやられることが多い。

主人公目線物語が語られたり展開することは意外にも少なく、サブキャラたちだけのやり取りが圧倒的に多く、群像劇の側面が強い。

1話カニバリズムや、炎で焼かれ続けるなどのトーチャーポルノ表現もそうだが、以降も獣姦などの異常性癖狂言キャラ出張る、ディスコミニケーションの連続など、無批判で受け入れるには厳しい要素がどんどん出てくる。

あと、アクションシーンはお世辞にも上手くない。

それでも、作風方向性から漂う個性というものは間違いなくあるので、そこに魅力を感じたのならどうぞ。

ラフィリア~人間椅子奇譚~

対人恐怖症の主人公が、想い人の生徒会長に気付かれないよう、かつ傍にいたいがために生徒会室の椅子を改造して、その中に自分が入る。

プロットから分かるとおり、とんでもない変態マンガである

誰得椅子の改造方法を詳しく解説したり、主人公生徒会長に対する情念たっぷり独白など、「変態」な人間表現するための描写をかなり念入りに行う。

ただの変態人間独白だけで物語は進まない。

周りに認知されない存在からこそ偶然知ってしま登場人物たちの秘密を、主人公垣間見しまうのだ。

事件が起こり、それを隠蔽しようとするとある人物の一連のシーンが、これまた丁寧に描かれていて、妙なところにリアリティを追求している点も見所だ。

プロットインパクトに負けない、圧倒的な描写や展開が魅力でもあるが、構成されるほとんどの要素がアウトローな上、それをやたらと丁寧に描いているので、そこに拒否感を覚えなければどうぞ。

間宮さんといっしょ

この漫画の何が面白いかといわれると、正直なところ私はうまく説明できない。

要人物の多くが独自価値観を持っており、しかもそれを前面に出して展開される。

もちろん、そんなことをしてまともなコミニケーションなど成立する筈もなく、不可解さや不愉快さは読者にも伝染しやすい。

それは主人公たちの人格も同様で、読者が共感できるような普遍的な是非で物事判断しないし、動かない。

それでも、一見すると作中ではなぜか成立しているような気がする人間ドラマは何とも奇妙だ。

私が解釈するこの作品テーマメッセージは、「社会的な、或いは政治的観点での『正しい人格』の押し付け拒否し、確固たる自我確立を目指すこと」だと思う。

それでも、露悪的な言動をする主人公や、我を通す人間イニシアチブをとりつづける世界観は、結局のところ側面的には『正しい人格』を別のものに摩り替えただけで、読んでいて気持ちのいいものではない。

それでも魅力を語るならば、主要人物たちの関係性や、ディスコミニケーションのまま成立する人間ドラマの妙さだと思う。

2016-11-23

パラパラとかディスコミュージックみたいな、ギラギラした音楽と言うかショーはどこが発祥なんだろう

youtubeドラムライン動画を見て、イギリスとかそのへんの伝統的な兵隊のような動画を見て、かっこいいな〜と思った

日本の同様なパフォーマンスをみて、ギラギラしすぎててなんだか悪く言うと下品だなあという印象を受けた

いや、それなりに技術もあるし真似はできないっていうのは確かなんだけれど

日本ってそもそもパフォーマンスが厳格なものって雅楽ぐらいなのかな?

祭りとかに関しては、砕けてみんなで盛り上がろう的な風土なのかなあと思った

キッチリとしたもの見せるよりも、それをベースに砕けてまわりを巻き込む、見るだけじゃ終わらせないみたいな感じ?

動画で見る分にはイギリスのがいいんだけど、実際リアルで見るのは日本のヤツのほうが自然とノレるし、楽しめそうだ

でも下品な感じは好きじゃない、なんであんギラギラなんだ

2016-02-14

オデッセイ結構がっかりだった

凄くアメリカブラボーアメリカン映画だなって感じで、意外と自給自足してないし、極限ってほどには追い詰められないし主人公は終始明るく前向きだし、古いディスコミュージックはダサいし、ピンチに負けずに明るくアメリカンジョークをとばしながら戦うタフガイ主人公みたいな人がアメリカ人理想性格なんだろうな

2015-10-11

最近ゆうきまさみがいいな

パトレイバーとか鉄腕バーディーとか、面白そうな素材なのに表現上品すぎてあんまりおしろいって思えなかったんだよな。

今やっている白暮とディスコミ面白いわ。

2015-09-21

新・オタク経済 3兆円市場地殻大変動 (朝日新書) 原田曜平

キレそう…。コイツ、一番踏み入れちゃいけない場所に足を踏み入れたぞ…

昔のオタク像がおかしいのであって、オタクだってジャンルによるのにやれ最近オタクリア充だの、やれおしゃれもするだの言うけど、それって「レイヤーさんとかは昔からそうだったんじゃないの?」「親がオタクではない子どもは割りと昔から普通っぽい人が大学入ってからヲタ化してたのでは?」と

だいたい、オタクがオシャレになったのなってないの、と言うのはコミケで3年間以上開始前の準備列で並んだことのあるやつならだれだって感じそうなことなんですよ…。でも、本当にコテコテの、中学高校からオタクやっててガッツリオタクな奴は見ればわかるほどガッツリオタクなんですよ!はい

こんなオタク見たことない。コミケ待機列にもニコ動イベントにもいない。割りと観測範囲広いつもりだけど、こんなオタク見たことない。特に、声オタならなおさらこんなののイメージない

メイド喫茶からにいるオタクだの、メイド喫茶というフレーズが出たからといってバカにしてはいけない。メイド喫茶の種類によっては客引きや外から中が見える軽薄なメイド喫茶とは比べ物にならないぐらいガチなところもあり、そのガチなところにお色気目的じゃない理由で行く奴はかなりのガチから

節子それニセオタやない!ぬるオタであり、にわかであり、新参や!そういう奴に限って一人でオタクに染まり始める(話す相手がいないままアニメゲームと向き合う時間を過ごす)と濃ゆいオタクになってカムバックしたりするんや!伸び代あるで!

ウェイサーのオタクはウェーイであって、オタではない…は言い過ぎだとしても、オタをいらつかせるよくわからない資質を持ったオタだとは思う

半可通にアニメの話をしたがるにわかは確かにうざい。でも、そういう奴に限って周りのブームが過ぎ去っても、本気でアニメにハマり続けたり、一人になった途端にじっくりと考えはじめたり、もっとアニメの話がしたくて濃ゆいところに行こうとするから、最終的には濃くなってこじらせてるんだよなぁ〜にわかには「このにわかが」と言ってもいいんだけど、それと同時にそのにわかギリギリ用意できない次のステップを用意してあげるんだ!コミケに行った後はそれ以外の即売会例大祭でもティアでもOK)へ道筋を引いてあげると、そいつドンドンこじらせていくから大事なのは緩やかな普及です

kanose 自分が半可通にアニメの話をしたがるにわかオタクからよくわかるんですね。

これ嘘っぱちだろ!ドルオタカラオケ宴会の盛り上げ役なんかしねーよ!逆に自分が歌ってる曲が思いの外知られてないか、熱を入れすぎて引かれるかによるディスコミュを避けて陰日向存在として表の世界では生きてるイメージだよ!

2015-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20150826223149

女は何でもお見通しだけど男は何も分かってない

ってむしろ男性による女性理想化・神格化の反映だと思うけど。

人間自分価値観が違う相手とのディスコミュに、自身価値観を無理やり当てて理解するので、大体の女像は男に、男像は女に、むしろ当てはまるんだと思う。

まんまこれ

男が考える女の価値観が逆と比べて頓珍漢になりやす理由

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150825225733

人間自分価値観が違う相手とのディスコミュに、自身価値観を無理やり当てて理解するので、大体の女像は男に、男像は女に、むしろ当てはまるんだと思う。

ってのがあったけど。

大体の女像は男が作っているためにむしろ男に当てはまるけど、大体の男像を作っているのも男なので、男像も多くが普通に男に当てはまるんじゃなかろうか。

女が考える女像や男像は「女性向け」の狭い範囲しか流通しないから、世のスタンダードとしては扱われていないと思う。

世の情報は「一般向け(=基本男向けだが女も見る事を想定)」と「男性向け」「女性向け」に分けられていて、

「一般向け」「男性向け」は勿論「女性向け」の一部も男の価値観で作られているし、社会のもの基本的に男の価値観で動いているので、

女なら普通に成長する過程で男の価値観を学ぶし、ある程度男の価値観理解していなければまともに社会で生きていけないけれど、

男は女の価値観を学ぶ機会が少ないし、女の価値観理解していなくても生きていくのに大した支障がない。

非モテ男が頓珍漢な女性観を主張する事が多いのに対し、喪女男性観はそこまでずれていないのは、この違いが大きいと思う。

2015-04-05

テロリストになってみた


これはひどく狭い世界の話だ。
要するに、
創作関係コミュニティで内輪揉めを引き起こして、
結局なにひとつ現状は変わらなかった、というだけの愚痴だ。

数年前からそのコミュニティに参加し始めた。
コミュニティの一生」というコピペがあるが、
あれでいえば俺はちょうど面白い人とつまらない人が入れ替わる、
その一番最初に来たつまらない人、という位置だろう。

当時はにぎわっていた。
最初にその場を耕し、育てあげた人々はみな何らかのノウハウがあった。
意外にも、本来いるべきその道の専門家は少なかった。
しろ優れた部外者たちの試行錯誤やぶつかり合いが場を育てた。
たとえるなら、
トランペット小学生の頃から続けてきたベテランが、
その経験を活かしてセンスある創作料理を次々と生み出すようなものだ。
それほどに無関係な分野の人たちが、
「その道の専門家」を圧倒する勢いで傑作を生みだしていった。

自分は以前“その道”に近い場所にいた。
からはじめ、彼ら先駆者よりも自分の方が優れたものを生み出せると、
そんな驕った考えでその場に近づいていった。
そして打ちのめされた。
最初半年一年くらいは、彼らの生み出した言語習得に追われる日々だった。
夢のように充実していた。

彼らは小手先作法などでなく、本質を素手で掴まえようとしていた。
最盛期は「いかによりよいものが作れるか」と夜な夜な語り合い、
酒を片手に垂れ流すようなバカ話も交えつつ、
時には場を凍らせるような尖った言い争いを起こしつつも、
全体としては実りある技術論をしていた。僕にはそう映っていた。
みんな、過去の話だ。

やがてある時から、人の気配が減り始める。
そのコミュニティがどこまでも膨張していったが、
筋違い非難関係者への人格攻撃も増えていった。
先駆者たちの多くは、そこらで別の居心地良い場所を探し始めた。
自分も彼らの後を追ったり、まだ元の場所に居着いていたり、
あるいは全く別の場所に触れてみたりしつつも、
心まではコミュニティから離れられずにいた。

衰退以前からコミュニティ関係者の間ではSNSが普及していた。
SNSは確かにコミュニティ活性化の起爆剤ではあったが、
同時に終焉へと向かう引導でもあった。
当初の目的を外れた雑談日常生活での愚痴などが空間を占め、
居心地の良い場所となっていった。
そこは創作行為をしなくてもぬくぬくと過ごせる場所に変わっていった。

世代交代はゆるやかに進んでいった。
かつての先駆者たちが作り上げた傑作に魅了された、新しい作り手もやってきた。
だがすでにそこは見えないルールでがんじがらめとなっていた。
尖った作品、極端な作品は叩かれ、無難ものけが場を占めるようになった。
それどころか、作品評価と作者の評価混同されはじめ、
SNSで良い顔をしている作者は叩かれない」という
まりにも本末転倒した状況が生まれつつあった。

コミュニティからまれ作品を保管するサイト運営もまた、世代交代した。
以前の運営コミュニティ参加者とは一定の距離を保っていた。
必要最低限のことしか話さず、任務遂行していた。
運営引退すると、別の参加者が次期運営に名乗り出た。
それから運営が交代し、ついにSNS参加者の手に運営が移った。

その運営作品への非難を許さず、すべてに全肯定で返した。
作者の人格キャラ化してSNS上での人形遊びにかまけては、
作者と作品安易な結び付けを積極的に促した。
作品非難に対しては、その質を問わず断固たる態度で臨み、
場合によってはアクセス禁止を断行した。
ユートピアによく似せたディストピアがゆるやかに形作られた。

以前はどうだっただろう。
かつてはつまらないものはつまらないと叩かれ、
時には手ひどい長文バッシングアンチストーキングさえも起きていた。
だが、それは間違いなく健全場所だった。

飛び抜けて優れたものが絶賛を超えた絶賛を受け、
見るに堪えないものはこっぴどく叩かれる。
だが、そうした歯に衣着せぬやり取りこそが、
本当の意味作品に触れることでもあったのだ。

現在、そのコミュニティには酷評も絶賛もない。
悪いものには反応がなく、
よいものにも「お疲れ」「よかった」程度の寒い拍手が並ぶ。
中身を見てなどいないのだ。
現在でも本当に飛び抜けて優れた作品が生まれるが、
参加者にそれを賛じるだけの語彙がない。
この語彙というのは単なる辞書的な意味ではなく、
作品を底の底まで見抜く目と、それを素直に口にする心意気だ。

今は作品ではなく、生身の人間としての作者との馴れ合いが優先される。
彼らは何を作り上げるかではなく、儀礼で作った愛着にしがみついているのだ。

私はコミュニティにとって老害だ。
本当はすでに別の場に片足どころか重心まで移しておきながら、
さらに当時のコミュニティで腕を奮っていた作者たちをそこに呼び寄せながら、
こうして元居た場所を憂う資格など、本当はないはずだ。

けれども、もし、と考えてしまう。
もしこの場で、
かつてのように良いものを良いと、悪いものを悪いと言えたら。
言える人物がいたら。
まっとうな評価があれば、少しは何かが変わるだろうか。
風を起こせるだろうか。・・・そんな夢物語を考えてしまう。
ディスコミニケーションが極右思想をそそのかしてしまう。

そこで、修羅仮面を被ってみた。
最盛期よりも過剰に、気に入った作品を絶賛し、
逆に気にくわない作品を立ち直らせぬほど叩き潰した。
実作評価コミュニティ評価乖離した作品は許さなかった。
借りてきた怨念を込めて、身体に空く穴もいとわず
保管庫とその運営に向けて呪いをぶちまけた。
耳に入る同志たちが影でささやいた恨み辛みを糧に、
自分が真っ先に身をなげうって、
健全精神」の持ち主が後に続く道を切り開こうとした。

もちろん、そんなことで現状は何一つ変わらなかった。
今でも参加者はいちゃいちゃと馴れ合い続け、
自分酷評に対しては見当違いな人格非難憂さ晴らししてやり過ごし、
彼ら参加者は己の手で愛すべき土地を汚して踏みにじっていることに気づかず、
ぬくぬくと余生を過ごしている。
恥知らずにも、その手は未だに僕や出て行った人々にまで向いている。
突き返して叩き落としても、彼らに言葉は通じなかった。
反吐が出る思いだ。
だが、祖国に泥を擦り付けたという点では、自分もまた同罪かそれ以上なのだ

先駆者たちは正しかった。
何もせず、すっと離れる方が殉教などより遙かに賢い選択だった。
中でも先陣を切った人は、コミュニティ樹立どころか、
人が集まる気配すらも避け続けているように見える。
根無し草というより、難民のような様相だが、
己の創造性や価値観を守るには賢明な選択なのだろう。

作品の質云々も、手前の好みにすぎないと言われても反論しきれない。
運営理想主義者の皮をかぶった独裁者であるのと同様に、
自分もまた、ある種の独裁思考の持ち主にすぎない。
ユートピアを語るものは、そのユートピアでの独裁者である
そんな言葉を何度となく噛みしめる。

ちょうど一連の出来事は、例のISIL事件と同時期に起こっていた。
比べるのもばからしいほど規模の違う話だが、
テロリストになるとはこういうことなのか、と共感してしま自分がいる。

僕はもう諦めてしまった。
例のコミュニティから距離をとりつつも、へらへらと生きていくのだろう。
死んでいく老兵の遺言として、この文章をのこす。

さあ、四月から新生活だ。
がんばるぞ

2015-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20150112014944

すげえ小町案件だな。

それお前さんが考える「理想の先輩とはっ」であって、

しろそういうディスコミな先輩がいるってことが後輩にとってありがたいケースってのがあるわけよ。

そもそも女社会なんて息苦しいのに、

そこでなれ合わない先達がいるってのは

もしそういうタイプの後輩がいるのであれば、ありがたいことだよ。

増田の考えは、限りなく押し付けに近いってことが分かっているか

その人にそう言えないんじゃないのか。

2014-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20141103234031

中二病根底にあるのは思春期になってアイデンティティ確立しようとしての事故なので、

「○○したら大人っぽいだろう、他の奴らとは違うだろう」って考えて「お前らJPOPなんて聞いてないで洋楽聞けよ」とか言ってみたり「コーヒーブラックしか飲まない」とか言ってみたりするわけだが

「他の奴らとは違うだろう」の方向性が「大人っぽさ」ではなく「全能感」というか「もしかして俺がこの世界主人公なんじゃね?」みたいな方向に振れると自分異能であるかのように思う込んでしまうわけ

『「能力者」みたいなのは幼稚だから「大人っぽさ」を志向する中二病とは違う』と思うかもしれんが、「大人っぽい」「全能の主人公」どっちにしても「他の奴らと違って俺は優位である」って思いたいわけ。

邪気眼とか影羅とか、やってる本人は幼稚だとは思ってないだろうしね

から根本的な部分は一緒だと思うよ。幸運なことに能力者的な部分は人には言ってないが、俺は両方やった。主に植芝理一ディスコミのせいで。

2014-01-17

http://nanaoku.hateblo.jp/entry/2014/01/17/130610

牛丼屋で低所得者層がどーたらのアレ。

https://twitter.com/nnnn330/status/423953954267856897

まりにも誤解を招きやす言い回しだったのが炎上火種でしょうねコレ。本人のいうとおり、言い方が本当によくない。どこをどうみても上から目線がちらつきます。とにかく本質的イラってなる文面ですが、それについて本人がまったく無自覚なのがもうヤバイです。物書きとしてのセンスに少々難を抱えているのやもしれません……。

「パッと見では底辺っぽい人ほどご馳走様と良い添えてから牛丼屋を出てゆく。サービス的には本来そんな礼儀必要はないのに。興味深い現象だ」とでも言っておけば……………いや、やっぱダメだこれ。これでも誤解招くわ…。140文字じゃこれ伝えられん。

こいつの主張そのものはこの際どうでもいいんす。問題はそのあとで、『ぼっくんがこんなに誤解されているのは、お、おまいらの読解力がノミにも劣るからでしゅ!ツイッター民脊髄反射ばかりで救いようがないでしゅね!ぷんすこりん!』とでも言わんばかりにツイッターブログをフル活用してぶーたれているという点です。いいね……実にいい。この自意識、この逆切れ感! 胸が踊ります。じゃ何でわざわざツイッターでパナしたのというツッコミが速やかに脳裏をよぎります。このまま炉端で天日干しにしたらいい味の珍味になりそうですね。

――ていうか、そこまで珍妙な主張でも無いですよね。高収入っぽいヤツほどなんか飯屋でエラそうだしね! なのでまあこの人も「自分も言い方が悪かったっすわ!めんごめんご!」とでもしておけば、やがては鎮火する程度のボヤ騒ぎだったと思いますしかしながら7,000フォロワーに裏打ちされてお餅のごとく膨れ上がったプライド邪魔でもしたのでしょうか、「これはツイッター特有脊髄反射ディスコミュ・炎上である。くりかえす。脊髄反射ディスコミュ、炎上である。ぼっくんは悪くない」という文脈に位置づけてみのまもりを固め、賛同意見ばかりを矢倉囲いのようにRTしまくるなどなど、まぁド定番もいいところの展開を見せており、興味深いです。個人的には牛丼屋の消費者層よりよほど興味深いです。もちろん反対意見にまったく耳を貸しません。まるでゲンロン界(笑)の英傑めいた高邁さであります。わざわざツイートについての解説エントリーを立ち上げて、なんでぼっくん炎上してるの?おしえてインターネット!と自分から尋ねておきながら「身なりで他人の属性を判断すんな」だとか「挨拶が本来不必要だというのはおかしい」などのまっとうな指摘を200%ガン無視してますからねえ。そんなブルドーザーのごとき氏のご活躍に今後とも期待してゆきたいです。ええ。

https://twitter.com/nnnn330/status/424050279617544192

オチ。安い挑発にのっかって自らの価値を急速に貶めていくスタイル

(18:58 追記)

どうやらブログを非公開設定にした模様です。意味がわかりません。「責められるようなことはなにひとつ言ってないと自負」しているのならブログを閉める必要なんてないのでは? おそらく応対が面倒になったから元を断ったんでしょうけど……。しょせんコイツのことばの重みなんてこの程度だと、言うだけ言ってみるけども炎上したなら消しちまえと、そういう性根であったということか。俺も面倒になってきたからひとまずそういうことでケリをつけるといたします。お疲れ様でした。

2013-03-13

スタンスを正しくアピールする、または読み取る能力

■「セックスしないならいいよ」っていったんだけどな~

最近付き合い始めた彼がプチ旅行(近郊の宿で一泊デート)しようってしつこいから、行ってきたら最悪な事態になってしまったよ。あらかじめ、ちゃんと「セックスしないなら行ってもいいけど、するなら嫌だ」ってはっきりいったのになんで求めてきたんだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20130311155911

この場合、男も女も、相手への「自分スタンスのアピール」が足りてないんだよ。または「相手のスタンスを正確に読み取る能力」に欠けているんだよ。もしくは、その両方。

このアピールってのは、言葉だけじゃなく、雰囲気とか表情とか目つきとか行動とか相手との距離とかの非言語コミュニケーションも含む。男女関係に限らず、世の中には、言葉とは裏腹とか、駆け引きとか、体面と本音とか、言ったじゃんとか、察してよとかがあるからややこしい。

元の記事は、結果的に女のギリギリの抵抗と男のギリギリの自制心のおかげで、デートレイプとやらにならなくて良かったじゃん、って話。初めてお互いに本音で話し合えたんだから、2人の関係はこれからなんだけどなあ。たぶん、別れちゃうんだろうね。

お互い、もっと相手を傷つけ合わないように、腹の探り合いが上手に出来てたら良かったね。恋人なんてだいたいは好み優先で探しちゃうから、全く同じ価値観、同じレベルの鈍感さと敏感さのパートナーを見つけるのは、すごく大変。何度か傷付いたり傷付けたりして、だんだん間合いを勉強して、全く同じじゃなくてもコミュニケーションが取れるように成長していくんだろうね。

ところで、異性から無理矢理に貢がせられたり高価な物を買わされるのは、デートレイプならぬデート詐欺とかって呼び名でいいんだっけ? キャバクラとかホストクラブとかヒモのように、片方が完全に分かってやってるのも含めて、こっちもディスコミニケーションの産物だよなー。

2012-05-22

ディスコミ

犬も食わない奴継続中。

僕はもう、怒っていない。むしろ日常に戻したい。

でも何を話しても全くいい方向に向かう気配無し。

自分を落ち着かせるためにもここに書いてみる。

ことの発端はやかんを少し斜めにおいていたこと。

妻が「ころぶと危ないからちゃんとおいて!」といつものように小言をいう。

僕は本に夢中になってたから、少し生返事して直さなかった。

それが頭に来たのか、なんでそんな簡単なことできないの?としつこく怒る。

「分かったよ、でもすぐ目の前にあるんだから、怒るのもいいんだけど、ちょこっと直してくれればいいじゃない?」

自分で直して!」

この問答が少し続いたら妻がきれた。

僕は何故そこまで怒るのか、何故そんなこと直してくれないのかが分からなかった。

壁をたたく、暴言を吐く、手が着けられなくなった。

はいそいそとおふろに逃げ込む。騒ぎに気付いて子どもが起き出す。

そこでさら逆ギレ

僕は悩んでる。何故そこまでに怒るのか、何故それくらいのだらしなさを認めてくれないのか。

妻に聞いても…

もういいや、こんな日記

何の意味もない…僕がだめなだけなのかもしれないけど。

2011-07-27

よく見かける「レッテル」一覧

はてサ」「自演」「ネトウヨ」「ニート」「左翼」「右翼」「非リア充」「メンヘル

レイシズム」「ヘイトスピーチ」「差別」「匿名」「日の丸アイコン

クラスタ」「無能」「愛国」「売国」「保守」「リベラル」「ガラパゴス

気に入らないコメントに貼って貼りかえされぐるぐる廻るインターネットの「輪」

【追記】この現象を「disる」と「ディスコミニュケーション」とかけて

disコミュニュケーション」とときます

そのココロは「リスペクト」に欠けているコミュニュケーション

2010-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20100719230822

そして現場のままお荷物中年になって、将来はリストラ候補の筆頭になる。

同期は上に、下からは新人が入ってくるから、ますますディスコミが増えていってどうにもならなくなるんじゃないか?

2010-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20100201184847

なんというか、在特会みたいな人たちと普通に話し合える方法ってないのかな、と思う。

あまりにもディスコミニュケーション過ぎるじゃないか。

2009-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20090728120227

現代社会において携帯電話を持たないということは、

大変不謹慎かつ極端な例になるが、一部の情報伝達手段が閉ざされているという点において、

視覚障害者あるいは聴覚障害者とと同様に一種の障害を持つということに等しい。

  

携帯電話の場合は障害を意識的に選択したか否かという問題が出てくる。

金銭的な理由であれば選択の余地が無かったということになるだろう。

単なる特権性を得たいがために持たないというのであれば、それは自身の選択から出た問題である。

しかし、知覚器官が常に外部に開かれた状態に耐えがたい苦痛を感じるという理由で、

意識的ではあるがやむを得ず持たないことを選択する人間がいる可能性もある。

  

知覚が常に外部に開かれるとは情報が不定期かつ断続的に与えられる状況に置かれるということだ。

そうなると得た情報を自身の内で整理する時間を持てなくなり、

他者から得る情報自我を既定されてしまうという事態に陥る。

そしてコミュケイションを常時とり続けていないと不安を感じるようになる可能性が出てくる。

そういう人間もいる。

携帯電話の電源を一定時間切っておけばいいだけではないかという反論も聞こえてきそうだが、

携帯電話を持っている以上常に連絡を取れて当たり前という風潮が特に強い昨今、

そういった中途半端が余計にディスコミュニケイションを引き起こす可能性もあるだろう。

  

ならばいっそ持たない方がいい、そう考える人間がでてもおかしくはない。

  

これは携帯電話を持たない人間ポリシーの一例でしかないが、

「みんな持つのが常識だみたいな先入観に毒されてる」という、相応に思想があってのことかもしれない信念を一蹴してしまうような発言は、

他者と真に理解することを拒み、表層でしかコミュケイションを取れない自身の浅さを露呈させることになってはいないだろうか。

  

携帯電話を持たない人間と接することは身体障害者と違って通常知覚の範囲外においての

コミュケイション手段があるかないかというだけの話なのだから、

彼らを親しい友人と考えるなら一定の理解を示し、その程度の不便さを引き受けるだけの寛容さを持ってもいいのではないだろうか。

2009-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20090213191739

アルファルファモザイク

そうだとしたら、抽出された部分はそこまで「赤松計算ずく」みたいな流れではないし、

そもそもスレの流れとアンケートの内容が一致してないとディスコミニュケーションだという理由が分からない

びっくりした

あるコピペブログで、赤松がガモウのことを批判してた記事がのってたんだ。

その批判の内容がまあキャラクターに「理想的な自分」を投影してるって内容なんだけど、

ネギま!」は欲望充足漫画ではないのか?ってのがコピペブログアンケート一位だったんだ。

その転載されたスレの流れは、「赤松計算ずく」みたいな流れで、

それは決して自分のための漫画じゃないって流れだったのに。

なんというか、びっくりした。

ディスコミニュケーションの一端を見た。

2007-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20071204201913

残念。

ディスコミュというか、どうも言葉がねじまげられて伝わっているような感覚

最後に勘違いして怒って終わらせてしまうあたり、特に。

で、核心をついてるつもりっていうのはコレ?

なにより、インターネットでの「日記」という言葉は「ノンフィクションの身辺雑記」というよりは「文章」のほうが意味は近い気がする。

いや、ナイ。

日記」=「文章」はないわ。

自分の感覚を信じるのはいいけれど、ちょっと突拍子もないのが多いよ。

辞書に載ってる言葉の定義まで変えちゃうのは行き過ぎでしょ。

で、

ノンフィクションであるかのように他の増田の中に紛れ込んだ。

(これが日記文学と違うところ。)

日記文学は明らかにノンフィクションであるかのように存在していると思うのだけど(『土佐日記』『和泉式部日記』とか昔のでもいいけど、武田百合子富士日記』とか『断腸亭日乗』とか風太郎とか、要はその辺。この辺は、どれが真実でどれが嘘か。まさか、日記がすべて本当であるとお思いか。日記こそ、ノンフィクションであるかのように、ところどころに嘘が、他の日記の中に紛れ込んでいく。あなたは乙一『小生日記』がフィクションであると知って激怒する読者であるはず)。

いやいや、大事なのそっちじゃないから。

増田の中に紛れ込んだ」の方だから。

そして『小生日記』にキレるなんてありえないから。

一番最初のレスはまだ書き直す余裕を持っていたみたいだけど、あまりにも理解しようとする姿勢に欠けてるんじゃないかな。

(とてももう一方の流れを読んでくれたとは思えない。)

もう一人の方とはお互いの意見を確認できたけど、あなたには正直疲れました。

まあでも、こちらにも落ち度はあったろうし、自分の思考を見つめ直すきっかけをくれたことは確かだ。

感謝するよ。

じゃあ、またいつか。

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