はてなキーワード: コンサータとは
借金玉センセイは「双極性障害+ADHD」を「コンサータ+カフェイン+糖質+ニコチン」という双極性障害のアクセルをベタ踏みにするハイになる(合法)薬物で今の地位をゲットしているから、攻撃的なのは仕方がない。彼の鬱病は、双極性障害からきているので、一般的な鬱病と同一視するのは危険だし、彼のような躁鬱にコンサータをだしている医師はヤブな可能性が高め。躁うつ病には炭酸リチウムが良いけど、こいつは腎臓に悪い。躁うつ病には第一選択肢だけど、借金玉センセイは腎臓キラーのような生活しているから、真似しちゃいけない。透析なんてしたら、彼には治療法がなくなる。彼の本が美しいのは彼が命を削った刹那さに、敗北主義者たちが傷なめする要素があるからであって、暴走族のヘッドの話が「昔は悪だった」という要素でウケるのと同じだよ。再現性がない。バカバカしい。(^ν^)
そういえばコンサータ飲んでたら間違えて量を多くした次の日に猛烈な倦怠感というか気分が悪くなったな
日中眠すぎることはないかと医者に言われて、そりゃまあ眠いことはあるけどこのくらい普通だろうと思って「別にそれほどでは」と言ったけど、コンサータ飲んでみたらマジで全く眠くなくなって、健常者はデフォルトでこれなのかよ理不尽すぎんだろってなった。
私はADHD傾向のある腐女子だ。社交不安障害もあり、かれこれ四年間、精神科に通院している。
社会に出てこの方、ずっと漠然とした不安や恐怖と共に生きてきた。
思い返せば幼稚園の頃は潔癖症になって毎日苦しかったし、それがおさまってからもほんの小さなことが病的に気になったり、同級生と全然喋れなくていじめられたりと、あらゆることで悩んでばっかりだった。社会に出ると更にしんどいことだらけで、無能の私は仕事も三回クビになっている。私はこの県で一番役に立たない人間なんじゃないかな、とも思った。
二十六歳の時に勤めた職場で、人生の何もかもが面倒になって衝動的に車道に飛び込みかけ(今考えると迷惑な話ですね)、初めて精神科に行った。うすうす気づいてはいたが、自分がADHD傾向にあると改めて知った。
薬を貰うことで異常な確認癖は落ち着いたものの、どうにもならない部分もある。注意力散漫と衝動性は、長年の訓練もあって多少マシにはなったがやはり健康な人たちにはかなり劣る。コンサータ(ADHDの薬)は効き方にかなり波があるので全面的には頼れない。今の職場にはアルバイトとして入っている。数少ない友人が紹介してくれたところで、穏やかな人が多く、今まで渡り歩いてきた職場に比べればまだ馴染めている(かなりギリギリだが)。今のところまだクビになる気配はないけれど、色んな事情であと一年くらいしか居られなさそうだ。
基本的に流行りが過ぎたジャンルにしかハマらないけれど、一ヶ月に一~二万字の話を二、三本ほど書いてpixivにアップすれば、感想をくれる人たちがそれなりにいる。本を出せば少部数ではあるけどちゃんと完売する。
書いてる途中で飽きていやになっても、完成したらそれだけで嬉しくなるし、反応があってもなくてもまた書こうと思える。
いかんせん性格がねじ曲がってるので、自分の心の平穏のために他のジャンル民とは交流せず一人で黙々とやっているが、かなり楽しいし、これからも続けてゆきたい。
問題としては私の創作への原動力が『怒り』や『不満』や『恨み』であることだ。
日常がつらいほど、死にたいと思えば思うほど筆がのる。周囲の人間に腹の立つことを言われれば言われるほど、満足のゆく話が書ける。
今のジャンルも、書き始めたキッカケは逆CP腐女子がツイッターで自CPを検索避けもせずにボロクソに言っていたのを見て、腹わたが煮えくり返るほどメチャクチャにムカついたことだった。
それで怒りを昇華させられるなら良いのだろうが全然されないし、三年たった今でもずっとムカついている。とにかく私は恨み深い。自分を棚に上げて、人にされたイヤなことばかり覚えている。
だから、承認欲求が満たされ過ぎると書けなくなる。前にいた旬ジャンルを一年半ほどで移動したのもそれが理由だ。旬というだけで不当なぐらいにちやほやされるのは、嬉しいといえば嬉しいけどやっぱり合わなかった。
現実がしんどいので趣味の世界だけでも幸せな居場所を作りたいのに、私の創作活動はいつも何かへの憎しみに紐づいている。それがたまに辛い。
私が推しCPへの純粋な愛だけで話を書ける日は、二度と来ないんじゃないかと思う。最初は間違いなくそうだったはずなのに。
一億円あれば多少は心が豊かになるんじゃないかなと思って、宝くじを三枚買った。当たりますように。もしくは世界中のみんなが私ぐらい無能になりますように。
Amazon Alexaのアラーム音が鳴り、カーテンが自動で開く(Switch Bot)。朝日と共に起床。コーヒーメーカーが自動でコーヒーをドリップし始める(スマート全自動コーヒーメーカー+Style)。
キッチンでトーストをトースターにセットし、風呂へ。シャワーの湯を出す。パジャマと下着を脱ぎ、パジャマは即座に洗濯機へぶちこむ。
シェービングクリームを塗ったくり、髭を剃る。泡のついた顔のまま、シャワーの下へ立つ。頭を濡らしながら、全身シャンプーをボディスポンジで泡立てる。この間にシェービングクリームが落ちる。
髪→身体の順で洗う。秒数を数えながら立った状態で洗うことでつい時間をかけてしまう事態を防ぎ、2分以内にシャワーを完了することができる。
洗濯機に取り付けた「洗濯機前ラック(towerシリーズ 山崎実業)」から大判フェイスタオル(東急ハンズで購入)を手に取り全身を急いで拭く。洗濯機の上のラックからエアリズム(UNIQLO)のシャツを取り出し着る。パンツと靴下を手に持ち、トイレへ。
排便しながら、靴下を履き、パンツを足首にセット。トイレに置いたドライヤー(Panasonic)で髪を乾かす。髪が乾いたら、尻を拭き、トイレを流す。立ち上がりながらパンツを履く。
コーヒーをマグカップへ注ぎ、皿にラップを貼る。トースターからトーストを取り皿に乗せる。冷蔵庫からレタスとゆで卵を出す。
ボールに水を張ってレタスを洗い、ゆで卵の殻を剥く。使い終わったボールは簡単に水ですすいでシンクの横の壁にかける。片手に朝食、片手にコーヒー入りのマグカップを手に持ち食卓へ。
手を合わせ、いただきますという。朝食が始まる。
タイマーによってテレビが自動でつく。はなかっぱを見ながら、コーヒーを飲む。
皿とマグカップを持ってキッチンへ。ラップは剥がしてゴミ箱へ。マグカップで水を汲み、ほ?のりコーヒー味のする水でコンサータを飲む。マグカップとコーヒーサーバーを簡単に洗う。マグカップで水を汲み、コーヒーメーカーのタンク入れる。空のコーヒーサーバーを所定の位置に、洗った皿・マグカップは濡れたままトースターの上へ。
明日の朝食の準備が整う。
洗濯機の上の棚にかけたハンガーから、形状記憶シャツ(1200円/枚)を取り、着る。ボタンを閉めながら玄関へ向かう。
玄関のコートかけからスラックスを取り、履く。と同時に、玄関先の全身鏡で寝癖をチェック。寝癖が有れば玄関のドアにマグネットで貼り付けたワックスを手に取り、整える。
シューズボックスの上の棚で充電して置いた仕事用のスマートフォンでその日の天気・気温を確認。腕時計をつけ、気候を考慮してジャケットを着、傘を持つ。
シューズボックス上の棚に置いた、ガムボトルから歯磨き用のガムを出し、口に放り込む。
スマホで鍵を閉め、駅まで歩く。カーテンを閉めるテレビ・照明を消すなどが自動で実行される。
だいたいこの時間に駅に着く。ポケットからさっきむしりとった日めくりカレンダーをだし、噛んでいたガムを包む。7:45分の電車に乗る。
自席のPCの電源をつける。会社のゴミ箱にガムを捨てる。歯磨きセットを持ってトイレへ。歯を磨き、排尿する。席に戻り、その日のタスクを確認する。
始業。はてな匿名ダイアリーにアクセスし、増田を書く。
アンタら20代の判断つく年に、年功序列の息苦しい日本社会から自由になりたいぜとかいって小泉・竹中改革と新自由主義を称揚しておいて
当然、ハンデ無しの競争社会でボッコボコにされてこんなはずじゃなかった、昔の日本の方がよかった、小泉と竹中が憎いって、ムシが良すぎやしない?
散々氷河期世代が馬鹿にしてるゆとり世代やさとり世代なんて、その選択さえ選べないままに地獄の新自由主義スタグフレーション国民総セルフSNS監視国家の今の社会を生きざるを得なかったんだべ?
そんで今頃国が何とかしろとか被害者ヅラして謝罪と賠償を請求するニダ!とかあまつさえ単に自分が社会や人間そのものが嫌いなのにフェミ思想かぶせて周りの人間を委縮させるようなテロ活動に等しい迷惑なことやってるオッサンやババアが多いけど、何甘えたこと言っちゃってんの?自分らの立場わかってんの?
言っとくけどな、名前出して主張してるだけ竹中先生は立派だぞ、アンタら氷河期が若いころいじめられまくったブラック企業の社長やセクハラジジイなんかその狂った思想や変態願望を声高に自分の名前と肩書で喧伝したか?やってないだろ
アンタら氷河期のオッサンやババアがやってることはな、当たり屋や通り魔と一緒なんだよ、恥ずかしいと思わないの?
恥とか言う概念もないくらい頭おかしくなってんなら、黙って精神科でもいってコンサータなりクロームプロマジンなり筋注しまくってセルフ蟄居閉門してくれよ、子供部屋とオナニーできるオカズとエロゲーさえあれば生きていけるだろ?お前らみたいなクズなんて
知的障害疑いの人は多分、「予約をとる」ところから億劫だと思うからそこから説明するね
ADHD・ASD等 知的障害疑いありのひとの診察フローチャート(簡単に)
・予約
(Google口コミがあんまりにもやばいのしか無かったら違うところにしよう!)
↓
「インターネットの自己診断でADHDの疑いがあるとでました 検査してもらいたいです」
と伝えましょう
色々きかれるとおもうので、
①行けそうな日(3つくらい候補を出しておく)
②当日の持ち物の確認
③困っていること(簡単に)
を手元にメモしておこう
↓
・初診日
そのときに
・近況でのエピソード
などを"くわしく"書いたメモ書きを持っていって、そのまま医者に渡すと楽です
↓
・検査の日
知能検査をするよ
絵を見せられて答えたり、記憶力テストしたり、有名なIQテストをすると思うよ
まあ言われたままにやればおっけーで、1番の盛り上がりポインドだね
結果が出る日と次に来院できる日をきかれるとおもう
↓
・結果が出る日
○ADHDだったら
投薬治療の説明とかになると思う まあここまできたらなされるがままです!
(ここでコンサータとか処方をオススメされるとまた面倒なことになるので、そこはそうなってから先生に聞いてくれな)←コンサータについては詳細はググッてくれ
○ADHDじゃなかったら
残念ながら自分はADHDって診断されちゃったからこっちのパターンはわかんないです(◞‸◟ㆀ)
・毎月 最低1回の通院
処方できる薬の上限の関係上、1ヶ月に1回は通院することになるよ
逆にいえば、1ヶ月に1回の通院ですむよ
以上ですね!
あとは自立支援医療(通院費用が1割になる)とかの申請とか、場合によっては障害者手帳、障害年金の申請とかも全部「病院で」聞けばやってくれます。
小中学校はずっといじめられてた。みんなが当たり前にできることができなくて、どうして自分にできないのか理解もできなくてパニックになってよく泣いていた。勉強はできなくもないけれど得意な訳でもない。板書が極端に遅くて、授業後はいつも黒板消し係の人に急かされていた。運動は目も当てられないくらいできなくて、友達も少ないから体育の授業の「二人組をつくって〜」で余るのが常だった。中学くらいになるとそういう時に相手を探す行為自体が無意味だと悟ったのでただ時間が過ぎるのを待っていた。そして先生と組む。
学校生活がうまくいかなくても頭がバカなので不登校という発想がそもそもなく、あと学校に行かないと親にクソほどキレられるので学校がある日は半泣きになりながらも登校していた。学校が嫌いだったから勉強も好きになれず、でも勉強しないと親に怒鳴られるので勉強は大嫌いになった。
勉強はしたくなかったから高校は普通科ではない少し特殊な学科を選んで入学した。これがたまたま合っていたのか、成績はクラスでも上位に入るようになった。授業は楽しいしクラスメイトも優しくて、初めて学校でいじめられなかった。高校を卒業したら同じジャンルの専門学校にでも行こうと思っていた。が、ある時担任にこの成績なら大学も視野に入ると言われ、それを親に話したところいつのまにか第一志望が大学になっていた。高三の頃には中学のいじめのフラッシュバックでメンタルが限界を迎え、卒業式も保健室で迎えた。遅刻も多かったけれど成績は維持できていたので、地元のそこそこ良い大学へ指定校推薦で進学した。
大学生活は大変だったけれど今までで一番楽しかったかもしれない。
勉強の習慣がなかったから毎日の予習復習ができるようになるまで二年かかった。基礎もできていないから授業にもついていけない。それでも、今まで学んだことのなかった社会学、心理学、哲学、法律、外国の文化、歴史、英語以外の外国語… 高校でやった普通科目がかなり少なかったのもあるのか、俺は義務教育でやったような国語算数理科社会みたいなやつだけが学問だと思っていたからとにかく衝撃で、全てが新鮮だった。
人間関係は相変わらずカスだったが、何とかグループに入れてもらってその人たちと一緒にいくつか講義を受けたりした。大学は一人でも勉強できる環境はあるけれど、「あの先生の講義は楽」
だの「この授業が面白かった」「課題の提出期限が変わる」「今度こういうイベントがあるらしい」とかの情報があると段違いで勉強しやすくなるから友人はいた方がいい。
大学三年のある日、そのグループの人たちに合わせて一緒に取っていた言語学関係の講義で発達障害の存在を知った。
俺のことかと思った。
俺が発達障害?
気になるとそのことしか考えられない。
数日後には県内の発達障害を扱うメンタルクリニックを予約していた。初診は1ヶ月後しか受け付けていないと言われたがメンクリでは珍しいことではないらしい。素直に1ヶ月待つ。
「恐らく、自閉症スペクトラムと呼ばれる発達障害の可能性があります」
絶望した。
自分が障害者なのかあんなに知りたかったのに、いざ面と向かって発達障害だと言われるとそこには絶望しかなかった。
俺は「あなたは発達障害ではありません」と言われたかったのかもしれない。自分は普通なのだとその証明を医者から貰いたかったらしい。そのことに、発達障害だと診断されてから気付いた。
今までできないなりに努力もしたつもりだったけれど、お前の能力では努力してもどうにもならないのだと、現実を突きつけられた気分だった。
医者に進められるがままにwaisというIQテストを受けることになった。
waisの結果は最悪だった。
総合的なIQは平均以下の90、特に低い処理速度が65、作動記憶が70。
自分のできないことが数字として可視化され、心理士に読み上げられる。情けなくて悔しくて、でも誰にもこの感情をぶつけることができなかった。
それから投薬が始まって、聞いたこともない名前の薬が沢山出された。
一番飲んでいた頃は一日で
インチュニブ2mg
コンサータ18mg
ルネスタ3mg
レンドルミン0,25mg
を飲んでいた。ストラテラのせいで異様に目が覚めるから睡眠薬で無理やり寝て、それでも3-4時間で起きてしまうから毎日睡眠不足だった。卒論がうまく書けなくてそれを主治医に言ったらこうなった。
大学卒業後、よりによってアスペに不向きな接客業に就職してしまったので結局ストラテラは減らせなかった。仕事はできない上に人間関係も上手くいかなくて、薬を減らしてもっと無能になるのが怖かった。夜は眠れない。朝が来たら仕事に行く。
その状態で一年働いて、心身共に限界がきてついにこの前仕事を辞めてきた。
ストラテラもやめた。
もう嫌なんだよね、俺が何かするたびにおかしい目で見られて、俺が喋ると会話が止まるの。仕事ができないのも悔しくて、だって俺さ、接客業やりたかったんだよ。この仕事に就きたかったんだよ。バイトで接客業やってさ、楽しいなって思って就職して、でもできなかった。やりたいことだったのに、好きだったのに、できなかった。
普通じゃないってなに?
数が多いってだけでお前らが正しいの?
指摘されたこととか、怒られたことを思い出して俺の何がダメだったのか、どうすればよかったのか考えてるんだけどさ、
もう何も考えたくない
何も考えたくないよ
貯金が尽きるまでは本を読んで、ゲームをして、アニメを見る生活を楽しもうと思う。
私のコンサータわけてあげるね🤜➰💊