はてなキーワード: めくらとは
東京の大学(偏差値60くらい)の文学部なんだけど将来が見えてこない
弁護士会計士はもうオワコンとかサークル仲間の子たちは言っている
40歳、50歳くらいの自分がその業界で働いている姿が見えてこない
じつはひっそり夜間のプログラミングスクールに通ってたりするんだけど
WEBしかないんじゃないかなんて思ってたり(はてなブックマークの影響です)
WEBって40とか50でも働けるんだろうか
検索してると35歳定年説とかあったりするし
そういう耳年増になってばかりだ
お返事ありがとう
なんで文系いってんだみたいな意見がありますがいける学部行ったみたいな感じです
東大とかは知りませんが、うちの大学の連中なんてこんなもんですよ、ほんとよくないですよね
とりあえず大学はいけみたいな事いわれて、やりたいことも無いけどとりあえずそこそこ勉強してきたみたいな感じです
文理の区切りにこだわるなとかはもっともな話ですが、それって我々が気にしてる話じゃないでしょう
世間が気にしてるというか人事のおじ様が気にしてるわけ
人生ゲームの当たり判定を一大学生がきにせず特攻しても砕けるだけですよね
もちろん気にしてない判定人も世間には多くいることは認識できますけど、おでこに書いてるわけでもないしわかるわけないですよね
例えにならないかもですけど、セクハラとかLGBTと似てる気がします、だれが自分と同じ価値観もってるか可視化されないので
私というか、学生という存在は評価する側ではなくされる側なのに、ある時点から急に自分の価値を評価を強いられ就活戦線に乗り出すわけです
高校までは恋愛禁止だったのに、急に自由恋愛とか言われて子供作れとか言われること似ています
圧倒的に数と地位と名誉とお金で優位にあるオトナたちが評価をする人生ゲームなのに、文系理系気にしてるのはオトナのほうなのに、なぜか学生に文系理系気にするなって無理じゃないですか?
AKBとたいして違わなくて、選択肢が渡されないのに個性出せとか言われるわけです
そういったなかでWEBは比較的文理にこだわらない業界だと感じたことが、気になってる理由だったりします
そもそもオトナがいないですよね
何度かの失敗を踏まえて今回の方針。
・本格的なダイエットの前に、まずはダイエットのための運動や食事制限に耐えられるだけの体力をつけるところから始める
・寒い時期は飯を食わないと寒さに耐えられないし、風邪やインフルエンザが流行しているときに体力を落とすと悲惨なことになる(※以前、風邪が肺炎まで進化して死にかけた)、春〜秋の始めくらいまでに期間を限定する
・とにかくダラダラと無理なくやる。最初のうちは週に一回、三十分でもジムに行ければ上出来……くらいの感覚で考える。
みたいな感じ。
動機は、
・メンタルを整えたい。
・やっぱり恋愛において太っているというのは、よっぽどの人間力がない限りひっくり返せない。人並みにモテたい。
こんなとこ。
というわけで、また秋に報告しに来るぜ。あばよ!
じゃあめくら判も追加しようか
3回めくらいのデートだったんだけど、有名な回転寿司チェーンに一緒に入った時、相手が最初のオーダーでコーン軍艦頼んでた。
「え?コーン?」と思って尋ねたら「昔から大好きなんだよね」と無邪気な笑顔を向けられたけど、なんかガキっぽい人だなと思って少し覚めた。
そういえば何年か前に今は別れた別の人とデートした時に同じく回転寿司入ったら、こっちの意見を何も聞かないうちに「穴子、エンガワと、中落ちね」と勝手に2枚頼まれて食べさせられた。
「なんで?」って聞いたら「ここのはこれが最高にうまいんだ」と言われたけど、最初から三枚も相手の趣味で食べさせられてなんかやっぱり覚めた。
https://mechaag.tumblr.com/post/121072089332/%E3%82%81%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%86%E3%81%A1
そういえばブラインドタッチのことを1980年代ぐらいまでは「めくら打ち」とみんな平気で言っていた。というかむしろその頃は「ブラインドタッチ」なんていうと、「こいつ、いい子ぶりやがって」みたいな雰囲気だったように思う。
まあ雰囲気は俺の周りだけかもしれないが、「めくら打ち」と普通に呼んでたのは確か。「めくら板」とかも普通に使っていたし(PCのケースのDVDドライブの位置についてる板とかのことね)。
以前、2chで議論になって、最近の奴は「めくら打ち」というのを本当に知らないらしい。「おまえ、鉄砲のめくら撃ちのことと勘違いしてるんだろう」とか逆に言われて、二の句が継げなかった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Window_blind
There are also several types of window coverings, called shades, that use a single piece of soft material instead of slats.
そうそう。
ブラインドタッチっていう和製英語は、「見ないで打つ」って説明されて、そういうもんだと思ってた。
窓に使われる日本で言うブラインドの意味は知ってたけど、アメリカではWindowShadeって言ってたと思う。
「(窓の)ブラインド」は「日光を遮る」という英語がもとだけど「ブラインドタッチ」は「盲人のようにタイプする(めくら打ち)」という日本語がもとなんだからそりゃアウトでしょ。
今年のはじめくらいにTRPGを初めてそこで自分のキャラを動かす楽しみ方を覚えた
元々動画でTRPGを知っていたし、Skyrimとか自キャラを動かす系のゲームが大好きだったからハマるのは必然的だったのかもしれないけど、
以前まで版権ものが大好きでそればっかり描いていたのに今ではめっきり一次創作にしか興味がなくなった
それでいいじゃんって話だけど問題は他の身内との所謂うちよそにハマってしまったこと
うちよそをよく組んでいる身内の一人は 別にそこまで創作にハマっているわけでもなく、あくまで二次創作メインなので
自分との熱量の差に勝手に苦しんで勝手に悲しんで勝手に病んでしまうのを本当になんとかしたい
一時期は相手も一次創作に大熱中して自分と同じくもう二次創作書けないと言っていた時期を知っているから余計苦しい
自分だけ閉じたうちよそにハマっているのが本当に悲しい。
ハマらなきゃよかった
スライド表示が嫌い。SlideShare とか SpeakerDeck とか。
全画面と「次のページ」「戻る」しかないインタフェースがつらい。
流し読みできないし
スライドを一枚ずつめくらないといけないインタフェースがうざすぎる。
発表資料をアップロードしてくれるのはありがたいし、発表者がそのままアップロードするだけの手軽さは賞賛されるべきだが
スライド表示モードは発表者という特殊な立場の人のためだけに必要な特殊なモードであって
特別なボタンを押したら、スライドモードになる くらいでちょうどいい
SlideShareとか昔はスマホで見ると縦スクロールできたのに、わざわざスライドモードを実装して何考えてるのって感じ…
学生時代、女友達に抱きつかれたり、冗談で胸を揉まれたりスカートをめくられたりしたことのある女性も多いことだろう。学校で友達同士のこういう光景は珍しくないし、アニメや漫画でもこういったシーンは平和で微笑ましいものとして描写され、特に男性向けの美少女アニメにはほぼ100%登場する。
しかし私はそんな女性からの過剰なスキンシップがどうも苦手だ。
もちろん他人が友達同士でやっている分には一向に構わないし、アニメや漫画に文句をつける気も更々ない。
ただ、自分がされるのはあまり良い気持ちはしないし、自分は友達にそういったことは出来ないしやりたくもない。
私がこの「女→女セクハラ問題」について考えるきっかけとなった人物がいる。大学のとある女性先輩である。
ある日私が大学内を一人でブラブラと歩いていると、突然背後から誰かにガッと胸を掴まれた。私がびっくりして振り返ると「おっ、E(カップ)くらい?」とにこやかな表情で笑いかける部活の女性先輩(以下M先輩とする)。突然の出来事に多少戸惑いつつも「凄~い!よく分かりますね~!」などと適当な返しをする私。
自分で書いていて思うが、わざわざ事細かに描写するのも馬鹿馬鹿しい、実に「よくある」光景である。
この出来事において私がまず引っ掛かったのは「M先輩と私は大して仲良くもない」ということである。このとき私とM先輩とは知り合ってから日も浅く、当たり障りのない会話くらいしかしたこともなかった。その程度の仲でこういった行為ができることにまず驚いたのだ。
M先輩は私と仲が良いつもりだった、あるいは仲良くなりたかったのかもしれないし、いずれにせよ彼女なりのスキンシップだったのだろう。
だが、仲良くなるためのスキンシップ、あるいは仲良し同士のスキンシップとしてもこれは少々危険ではなかろうか。
この一件でM先輩がまず私にしてきたことは「後ろから胸を掴む」である。
まず 後ろから、つまり誰か認識できない状態で突然こんなことをされたら相手が誰であれ怖い。正直「チカン!」と悲鳴を上げられ突き飛ばされても文句は言えない。実際ひどいビビりの私は心臓が止まるかと思った。
また身体的特徴は本人にとってコンプレックスである可能性だって高い。胸なんて最も分かりやすい例で、小さくて悩んでいる人もいれば 反対に大きくて変に目立つ・太って見えると悩んでいる人もいる。幸い私は胸に関してのみ言えば 自分のものに特に不満はない。M先輩は、私にはコンプレックスがないと思ってやったのかもしれないし、実際ないのは確かだが、そんなことは結果論にすぎない。しかし恐らくはそんなことまるで何も考えずにやったのだろう。そもそもコンプレックスがあろうとなかろうと、いきなり触られてサイズを外で言われれば愉快ではない。
ここでM先輩の人物像について言及したい。彼女は簡単に言うと「体育会系」の人間で、上下関係にうるさく、男勝りで、かなりハッキリと感情表現をする人だった。
またM先輩は女性にしてはかなりの長身かつショートカットでボーイッシュな雰囲気も相まって、特に部内の女性陣から「イケメン」扱い、例えるなら宝塚の男役スターのような扱いをされていた。
M先輩自身もその扱いに満更でもなかったからなのか、「可愛い女の子が好き」などとよく言っており、私を含む女性陣にハグをする・頬にキスをするなどといったボディタッチをしていた。一応補足しておくが、M先輩には彼氏がおり、同性愛者というわけではない。
そんな彼女からのスキンシップは、少なくとも女性陣の間では「王子様からのサービス♥️嬉しい♥️」という空気があった。
私はM先輩からこのスキンシップを受けるたび「も~やめてくださいよ~(笑)」というような態度を取るしかなく、結局最後までこういった行為は止まらなかった。
客観的に見れば「嫌ならはっきり本人にそう言えばいいじゃん」と思うだろう。しかし実際この立場に立ってみると、それがなかなか難しい。
私はスキンシップが苦手なだけであってM先輩のこと自体は別に嫌いなわけではなかった。M先輩も私のことを恐らく後輩として気に入って、そういう風に接していたのだろう。
そんな彼女に「実はあのスキンシップ嫌なんですよね」と言うのは結構勇気がいる。M先輩は話せば分かってくれたかもしれないが、彼女を傷付けてしまうかもしれないし、以前のような接し方をお互いにできなくなってしまう不安があった。
また、私以外の人が彼女のスキンシップをどう思っていたのかは分からない。
しかし私が感じた限りでは、当時の部内では、M先輩からのスキンシップは喜ぶべきで、下手に「やめてください」などと言えば、こっちが「好意的なノリを拒否してM先輩を傷つけた」悪者になりかねない雰囲気だった。
男性に同じことをされたら、(少なくとも大学内では)どんなイケメンの人気者だろうと躊躇なくやめろと言えるし、周りもこちらの味方になってくれるだろうに、相手が女だからということでそれが難しくなる。
結局この一件以降も私はM先輩と特別仲良くなることはなく、彼女が卒業し私も部活を辞めた今、私と彼女の接点はほぼないのだが、未だに部内では「イケメン王子様のM先輩」という風潮が残っており、私はこのことを愚痴ることもできず モヤモヤしたものを感じている。
ネタバレを気にしすぎて、一番大切な定義付けが出来てなかったことに
気付きました。
現行敵との対戦で危機が増して行く中でメイン女性キャラ二人の戦う理由が浮き彫りになる
っていう流れを予定してるんですが、とりあえず現行敵シナリオは回収段階で選択肢がほぼ無い状態なので、なんとかその間(あと3話)引っ張れるよう各話単位で冒頭からしっかり定義付けして、少しでも楽しんでもらえるように頑張ります
≫まず、絵においては「引き(ロングショット)」の絵、「俯瞰」の絵が少ない。これらは特に場面転換時には意識的に挿入すべきだとされています。
3話では意識していたつもりだったのですが、まだ足りなかったかもです。
下の無駄なセリフの項目にも絡みますが、余計なやりとりを削って情景描写に回そうと考えています
これは最初の一話目描いてる時からずっと悩みのタネで、客観視出来ないどうにか克服できないかと暗中模索していました。
なるほど、コマ単位で吹き出し数文字数に縛りをかけるのはアリですね。早速導入します!
(ウチの場合はページめくらずスクロールしっぱなしなので段単位として見た方がいいかもしれないけど)
≫ゴール(目標)が見えない
とりあえず各話ごとにその話の目標を冒頭スクロール前の段階で分かるように定義して乗り切ろうと思います。
次シナリオからは最初の段階でそのシナリオでメインキャラがどうしたいのかしっかり描いていきます!
≫読者のことを考えた作品作りをすることが大切
はい。。。。とっても難しいですが、それが一番大事だと肝に銘じて勉強し続けます。
ありがとうございました。
など。もともと見どころのある生徒をさらに高めるために殴るのと、マイナス評価をゼロに近づけるために殴るのと両方ある。さらに
というのもあって、これは普段から関係性を作っておくことで、本来の指導の言葉も響きやすくするためのもの。これらは絶対なくすべきだと思う。タバコ吸ったとかそういうのも殴る必要はない。
で、自分も体罰は絶対なくせると思ってたんだけど、ちょっと考えが変わってきたのは次の例
こういうのを止めるのって、暴力を使わざるを得ないこともあるのかなって。説得、恫喝、羽交い絞めくらいでなんとかなればいいけど相手が興奮していたりすると効かなそう。とりあえず放置して平和的に後から賠償請求をするって手もあるけど。
今回のヒノテルの件は、一見(A)のようだけど、自分が準備してきたイベントを30分以上に渡って壊し続けられたわけで(B)の要素もけっこうあるな、と思った次第。
私はとある事務所のとあるタレントのファンである。前々から顔は分かるのかなぁとは思っていたが、何も見せていないのに名前を呼んでくれたことがあった。死ぬほど嬉しかったことを今でもよく覚えている。
基本的に『認知』という言葉が嫌いだ。認知なの!?と聞かれるとうーん、まぁそうみたい、、?と返すことしか出来ないし、むしろそうみたいと言うことも躊躇われる。
というのも、『認知』はひっそりしていなくてはみたいなものがこの界隈にはある気がする。別界隈だと普通にTwitterのbio欄に「認知頂いてます💓」とか書いていたりするので驚く。
ファンになりたての頃から顔認知になった頃までは、完全認知への憧れが凄まじかった。元々ファンが少ないタレントだったから、周りのファンはもうみんな顔なじみだった、タレント本人含め。そこにぽっと出の新規として突然入ったわけだから、私も早く覚えてもらいたい願うのは当然のことだったように思う。
日を増すごとに、氏(名は伏せるためこう記述する)との距離は縮まった。ステージから客席を見つめる視線の動きが、私で止まるのが嬉しかった。アピールなんて必要なかったし、見つめているだけで十分だなんて、何て楽なんだろう。それは今でも思う。
しかし、『認知』されることで大切な何かを失ってしまったな、と最近爆発的に感じている。
氏は元々ファンサらしいファンサはあまりしない。代わりに無反応なことも絶対にない。客席の隅々まで見るタイプだから、後列にいても埋もれても気付かれないことはまずない。
ファンになりたての頃は、手を振ってくれたり、微笑んでうんうん、と頷いてくれたりした。
最近は、もっぱら会釈や"よっ!"みたいな扱いになった。私は別に挨拶をして欲しい訳ではない。友人から聞くファンサの話が羨ましくてたまらなくなる。
指さしてもらったの!見つめ合って歌ってくれたの!一緒にハート作ったの!投げチューしてくれたの!どれもされたい。私もそれ、されたい。一緒にハートとか作りたい、bio欄に私と君でスペシャルハート♡とか書きたい、しんどい。
『認知』になることは、私たちからタレントとファンらしい付き合いを奪い去ってしまった気がする。
私には氏と同事務所に1人推しているタレントがいる。先日初めて推しの現場に行ってみた。楽しかった。とても。タレントがTHE☆ファンサ!みたいなファンサをくれた時は感動した。
同時に、同じことを氏と出来たらどんなに素敵なことだろうと、思わずにいられなかった。どうしても、願わずにいられなかった。
所詮私は氏と知り合いになりたいわけではないというか、身内じゃないんだからもっとファンとして扱ってほしいのだ。
手を振ってほしい。
指を指してほしい。
投げチューをして欲しい。
一緒にハートを作って欲しい。
氏とやってみたいことはたくさんある。
元々そういうタイプではないのだから、望むだけ無駄なのかもしれない。そういう対応をされたいなら別の人に降りたらいい。自分でもそう思う。
でも私は氏が好きだ。容姿全てが好きだ。記憶力が良くてよく気が付くところが好きだ。皮肉屋ですぐ否定する天邪鬼なところが好きだ。氏との距離はこれ以上縮めたくない。でも私は氏が好きだ。だから、これからも会いに行く。矛盾だらけだ。
思い出が増えれば辛くなると分かっていても、求めている対応を受けることが出来なくても、氏が好きだ。頭と心は別だと言うが、それを今、私は身をもって感じている。
感情のコントロールは難しい。好きであることと楽しいと感じられること、どちらを大切にしたら充実感を得られるのだろう。そもそもタレントを追いかけることに充実感なんて求めること自体が間違いなのだろうか。
考えても考えても、答えは出ない。
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個人的には、もっと見直されてよいと思う。(もちろん、若年者もだけど)
また、特に家賃が高い地域は、コンドのシェアとか、中年でも独身であれば、ごくごく普通にいる。
日本でシェアハウスって言うと、その形態自体がやや馴染みがないせいか、
なんだか”共同生活”や、”ウェーイ!”といったようなイメージがある気がするけど、実態はそうでもなくて、
住んでる人、それぞれに距離感を意識して生活していることのほうが多い。
そりゃそうなんですよ、みんなそれぞれただの日常で、なるべく自分のプライベートを守って生活したいって思うのだから。
特に、キッチンやリビングを共有していなかったり、生活リズムが多少ずれていると、同じ家、隣の部屋に住んでいても、
なんとなく居るのはわかるけど、稀にしか顔を合わせない、なんてことも多い。
たまに顔合わせたり、食事時にキッチンで週に何度か一緒になるにしても、独身で寂しく暮らしてると、これはこれで程よい他人との距離感になる。
オーナー同居の物件もあるけれども、オーナーの人柄に左右されはするものの、変な人にあたらなければ、これはこれで何気に快適。
だって、家の面倒なんて全てオーナーが見てるんだもの。自分は家に帰ればよいだけで。
家をしばらく空ける、なんてときにも気を使わないし、郵便物とかも受けてもらえたり。独身だと結構ありがたい。
あとは、あまり安いところにはやっぱり相応の層が集まりがちなので、
相場よりほんの少し高いか、相場の範囲内において高めくらいのところを選ぶのがおすすめ。
ただ、日本でなんでシェアハウスが海外のように普及しないかというと、
日本の場合、シェア向けのマンションや一戸建て、あるいは家が大きくて部屋がたくさんあまってるような人とか、
都市圏だとそれほど多くなさそうな上(利用用途・契約内容的な問題もあるでしょう)、ワンルームアパート・マンションという選択肢があるから。
日本的なワンルームって、自分の知る限り、海外(の複数地域)でほとんどみかけたことがない。
なまじあんなものが沢山あるのが良くないんじゃないかってちょっと思う。
これからはアパート・マンションもどんどん老朽化してくるだろうから、
今後はワンルーム潰して、シェアに利用できるところとか、そもそもそういう用途の施設でも作ればいいんじゃないか、と思う。
独身の中年が増えて居るわけで、普通の社会人でも利用できる雰囲気とイメージ戦略を打ち出し、程よく快適であれば、需要は結構あるのでは。
わりとビジネスチャンスある領域なのだろうけど、投資が必要だからコケたら大変そうではある。
あとは、今は中年独身者が良く話題になるんだけど、当然ながら、みんな老人になっていくんだよね。
仮に中年向けのシェアや寮を作るとして、中長期的にみて、居住者が老人になったらどうするか?どういうサービス形態にすべきか?
まで考えておかないと、また別の社会問題が出そう。
追記 ---
そういえば、シェアっていうと、シングル専用って発想になりがちですが、カップルや夫婦もたまにいます。
また、シェアって一口にいっても形態が様々で、恐らく日本人の多くが想像するような普通(?)のところから、
1ユニットに複数階あるようなコンドミニアム(内部が3階建とかあってびびります)のワンフロア貸切(もちろん、キッチンやシャワールームも専用である)みたいなところもあります。