はてなキーワード: とりまとは
これ元のラブコメ増田とは別人の釣りだね。ラブコメ増田に比べて文章が達者過ぎる。
音引きの使い方と表面的な文体をざっくり真似ただけじゃラブコメ増田の味は出ないよ。
俺はこいつが出てくるたびに嫌な気持ちになる、はっきり言って。
で、なぜこうするのか?
作者的にかっこ悪く描いてるのはほぼ間違いないと思うんだけど
なんでそんな風に描くかというと
こういうギリギリ大人の日本語として成立してる文章を意図的に書くのはなかなか難しいんだよね。破綻しきってないから余計に。
やたらに句読点を連打しても電磁波攻撃の被害者の文章を模倣できないのと同じ。
ラブ増が長い話を区切るとき文頭に「で」を付ける傾向があるのを見逃してるよ。ラブ増はこそあど言葉が大好き。「あと」「なんか」「とか」を多用する。改行も大好き。読点を打った直後に改行することがある。気を抜くと関西弁が出て句読点を使わなくなり、読点は全角スペースで代用する。3点リーダーの使い方にはこだわらない。
ね。改めて比べると全然違うでしょ。誤字を入れる程度じゃ誤魔化せないよ。
とりあえず全体的に平仮名増やして語彙絞った方がいいよ。語句の理解が曖昧なのを匂わせつつ、必要に応じて誤用するとそれっぽくなると思う。いらん文節増やして語順ももうちょいグダらせた方が良い。
「根拠はない」の5文字で片付くところを“別に凄く自信がある仮説でもない”と書いてしまうラブ増から突如こんなリズム感のある文章が出るわけないのよ。
文体を変えていたという理屈も通らない。記事へのリアクションに浮かれて追記しまくってしまうラブ増がはじめから反応されやすい文章を書かない理由がないので。
ラブ増がこんな長いセンテンスを違和感なく仕上げられるわけないでしょうが。エミュるなら真面目にやりなさいよ。なんならちょっと素が出てるじゃねえか。
書くなら、
こうだろ!
こうだろ!!
こうだろ!!!
はい、やり直し。
お前さぁ……20年ぐらいず~~~っと同じことやってない?
火力と携行弾数を両立できる大型マシンガン系(今作だとガトリングだけど)で雑魚も大型も安定させつつ、脚部は飛行能力を高めにジェネレーターは大きめにしてあとはひたすらブーストちょんちょんでバニーホップ
もうずっとこれ
シリーズ10作か20作かあった気がするけど、対AC戦以外全部コレでいけるっつーか対AC戦でさえ基本ちゃんと守ってればコレでいけるんだよね
まあストーリーモードはただのオマケで本番は対人だからストーリーに最適解があっても別に問題ないやろってのは分からなくはない
でも毎回同じアセンブリして安定しちゃうってのはちょっとどうかと思うんだよね
各作品毎にそれぞれの装備に強い弱いがないとそれを手探りしていく面白みがないじゃん
近接武器はシリーズ毎に強い弱いがあるし使い方の癖も変わるけど実弾系の銃器は大体さわり心地いつも一緒だよね
ハンドガンとエネルギー武器はそこそこ体感変わるけどアサルトライフルやソレに近い使い心地のはどれも弾薬数と重量見ればどういう立ち位置か簡単に分かっちゃって面白くない
つーか問題は大型マシンガン・大型ガトリングが概ね全ミッションで90点ぐらいの正解度で安定しちゃってるのが本当駄目
それって面白いか?
MTGがスライ(赤の速攻)を握って20年ずっと勝ち続けられるゲームだったらこんなに売れたか?
ちょっとずつ正解や触り心地が変わるのってやっぱゲームとして必須だと思うわけですよ。
「今回のマシンガンは弱すぎるな~~~」って言わせて欲しいもんだね
なんか毎回「今回も強すぎるな~~~~」って言わされてる
使うやつが悪いの?
【DJ SODAに有利な事項】
┗①性被害者である事実をもって非貞淑さを責めることはセカンドレイプ
【DJ SODAに不利な事項】
┠貞淑さはもともと持たない
┃┃┗最前列まで寄ってエロパフォーマンスするのはいつものこと
┃┗特に強く触れたのは女だった
┃┠それホントでござるか〜?という真っ当な疑い
┃┃┗(証拠動画の拡散があったが、本人がガードマンの手であると否定)
アホ「これだから男は」
┗やったのは女
有利の天秤にドカンとデカイ錘が乗っているのだが、不利の天秤にドスドス中規模の錘が乗っていくので、その評価によって個々人の天秤の傾きが異なってしまう……のだと思った。
旦那が買ってきたアダルトプレジャー ToyCod 立鳥「タトリ」が最高でした。
吸引も流行り、二刀流も流行っているのでそーゆー意味でも二刀流です。竿は一本ですが。
所詮は数千円の機能もりもりのお手軽アイテム枠と侮り、大した期待はしていませんでした。
「こんなもんでイクわけなかろうて・・・」と思っていた私も彼の絶妙なる吸引で秒でイカされました。
誇張でもなく「秒」です。はい。よーいどんからの即落ちです。完敗です。
あまりのスピード感に旦那も「冗談やろ?」っとニッコニコでしたが、ニコニコしながら押し当て続けるのでそのまま何度もイカされました。
こういったおもちゃ類は人工的な硬さもあって「気持ちはいいんだけど、異物感やらなんやらで微妙」というのが正直な印象でした。
しかし、彼の舌(?)技にはそういったものはなく、人じゃ不可能な動作、刺激で即落としに来ます。即落としに来ますが無理やり感がないのです。
痛みもないので体力の続く限りイキまくれます。その様は陸に打ち上げられた魚のごとしです。
余韻が残り、中毒性がありますので一度手放しても気が付けば手が伸びて押し当ててしまいます。
キリがありません。おかげで筋肉痛になりました。
旦那にアソコを舐められるは、においが気になったり汚いとかで抵抗感がありましたが彼には一切の罪悪感を感じません。
「どんどん吸い上げたもれ」です。Ybです。そもそもオホッてるので考える余裕もないのですが。
旦那にも感動を伝えたいのですが、旦那とは生物学的にも体のつくりが違うため試してもらうこともできません。できませんので筆をとりました。
あの夜以来、彼のことが頭をはなれません。
何をしていてもふとした拍子にあの夜を思い出します。
彼の性なる魅力にウットリです。
これは恋といっても過言ではないと思います。
私はToyCod 立鳥「タトリ」に恋をしました。
「性」が転じて「正」。正とはTruth。これすなわち真実の愛に間違いないでしょう。
興味を持った方はぜひ使ってみてほしいです。これが「浮気ではない」というのは何らかのバグなんじゃないかとおもいます。
「浮気はしたくないけど浮気はしたい」そんなあなたにピッタリです。こんな支離滅裂な思考も彼の「せい」
プレイがうまい男性は共有することはできません。いくら良くても一度でもほかの女に貸したくもありませんが、これはポチれば共有できます。
大量「生」産のなさる技です。しつこいですか。彼の吸いつきはもっとしつこいですよ。
竿でもないし穴でもないので何兄弟なんでしょうか。姉妹ですか。アクメイツでいいですか?
微妙に怒られそうなのでハメ姉妹としましょう。これを読んだあなたも私とハメ姉妹になりましょう。
彼の手にかかれば快楽は仕舞になりません。即落ち3秒からの無限アクメ編の開演です。
「AVの煽り文句まじだったんかー」からのエンドレスプレジャーを楽しみましょう。
どこまでお伝えできたかわかりませんが、このあたりで筆をおきたいとおもいます。では。
※なお、ハリガタのほうも試してみましたが、こちらは質感が硬すぎて私には痛いです。イキますが。
機械的にゴリゴリうごくし痛みがありました。奥にも届いてガシガシされるので派手にイキますがあまり好きではありませんでした。
有休は労働者の権利なので自由に取っていいし、そもそも理由を言う必要もない。
でもさあ、労基法上の有給休暇に関する規定だと、有給休暇って6ヶ月間継続勤務して初めて与えられるものなんだよね(労基法39条1項)
仮にこの新採用の人が今年の4月に採用されたとしたらまだ5ヶ月目に入ったばかりなので、
それなのに有休が取れるって時点で、恵まれた特権階級にある訳で、その事に対して問題意識を持たずに手放しで称賛するのはおかしいと思う。
実際には大手企業の正社員ならば6ヶ月を経ずして有休が与えられるところが少なくないし、
労基法上通りに6ヶ月経ってようやく休める非正規や中小との差が開くばかり。
有給休暇に関するこの定めって「雇用の流動性」を図る上では不都合でしかないのに
https://twitter.com/papagreen10/status/1688542514461257729
@papagreen10
当時住んでいた家は北側道路の家で、南側には子どもが遊ぶには申し分ない広さの公園があったのだけど、その公園は完全に別市の管轄だったから、本当の本当に最南端にある家だったんだと思う。今はもう取り壊されて無くなっちゃったけれど。
わたしには、公園を挟んで向かいのアパートに住んでいる同じ歳の友達がいて、小さい頃からよく遊んでた。
わたしの家からダッシュで1分もかからない距離のアパートなのに、彼女はわたしと住んでいる市が違って、同じ小学校には通えなかったんだけどね。でも、一番仲の良い同級生だったから、学校が終わってからは各々家にランドセルを置いて、公園に集合して暗くなるまで一緒に過ごした。
お互いの家を行き来してDSで通信することもあったし、少し歩いたところにある本屋さんでファンシーな文房具を見たり、駄菓子屋に行ったりもしてた。狂ったように2人で手を繋ぎながら一輪車で回り続けたりとか。身体測定の結果を見せ合って、やばい!ダイエットしなきゃ!と公園をずっと走ったこともあった。
学校が違うからこそのメリットもあって、相手の素性を知らないからこそ、恋バナを包み隠さずにできたりもしたな。あとは、わたしの小学校にはない図書室の本を貸してもらったりとか。本当はよくないんだろうけど、ちゃんと返却期日までに読んで彼女には返していたから、たぶん大丈夫。
本当に仲の良い友達だった。自分の通う小学校にも友達はもちろんいたけれど、彼女だけは別格だった。今思えば、彼女はわたしにとって親友だったんだろうね。
でも小学校5年生になるタイミングで、わたしは家庭の事情で引越しをすることになった。同じ県内ではあるんだけど、それなりに離れたところ。小学生が電車を乗り継いで遊ぶには、少し難しいくらいの。
彼女と別れるのは寂しかったし、引越し直前には2人してワアワア泣いてた。当時の連絡手段って手紙しかなかったから「プロフ帳に書いてくれてた住所に手紙送るねぇぇ」とか言いながら、本当にずっと泣いてた。
小学生の手紙なんて、本当にしょーもない学校の話に、しょーもないイラストを添えただけなんだけど「会いたいね」とは、お互い、いつも文末に書いていた。とはいえ、気軽に会える距離ではなかったから、現実的ではなかったんだけど。
そうこうしているうちに中学生になり、わたしは剣道部に、彼女はバスケ部に入部して、土日も練習や試合で忙しい日々を送るようになった。お互い休みの少ない運動部に入部してしまったばかりに、行動範囲は広がったというのに、会う時間を作ることができなかった。
そのまま徐々に文通の頻度は減り、受験生の本番である中学3年生の夏頃、「受験やだねー、志望校どうしよー」「とりま勉強がんばろーね!」というような、何気ないやり取りを最後に、ぱたりと彼女との連絡は途絶えてしまった。
それ以降、彼女とは一切連絡を取っておらず、どこで、何をしているのか、何も分からない。
わたしは社会人になった。高校・大学をストレートで卒業し、就職をしてから今年で2年目となる。
文通をしなくなってから、彼女のことなど思い出すことなく過ごしてきた。しかし最近、不思議な縁があり、なんと彼女が住んでいた市に赴くことになったのだ。
用事があったのは彼女の家から少し離れたところだったけど、車を走らせたら大した距離ではない。まだ住んでいるだろうか。きっと住んではいないだろうな。とはいえ、懐かしい景色見たさもあって、わたしはGoogleに例の公園までの経路を表示させて向かった。
辿り着いてみると、そこには思い出深い公園だけがあった。彼女が住んでいたアパートは、形こそかろうじて残っているが、どうやら今はアパートとしての機能を無くしているようだった。
というのも、かつて彼女が住んでいたアパートは、今現在コミュニティスペース・ワークスペース、またはカフェなるものとして提供されているらしいのだ。流行りのリノベーションを受けたアパートは、築年数を感じさせつつもおしゃれな建物となっていて、地域の人たちがつながる場として賑わっている。そのときは子連れのお母さま方が楽しそうに過ごしていた。
彼女はどこに行ったんだろう。
真っ先にそう思った。アパートがアパートでなくなったことなど、わたしは知りもしなかった。一体いつから?順当に考えれば、彼女も、彼女のご家族も、引越したんだろうとは思うが。
唯一わたしに残されていた彼女の手がかりが、今や地域活性化の拠点となっていたことで、わたしはもう二度と彼女には会えないのだと再認識せざるを得なかった。彼女の今を知る術は、本当にもう何もない。
またいつか、生活を続ける中で、わたしはふと思い出すのだろうなと思う。
小学生の頃に、近所にすごく仲良くしていた親友がいたこと。その親友とは引越しと同時に疎遠になり、今はもう連絡の取りようがないこと。
そうして、きっと考える。菜々子、今どこで、何してるんだろうって。
ジブリの新作がそうでもなかったや…という事実にしょんぼりした理由は、自分に響いたのが
持つ者の冒険譚
よりも
持たざる者の救済譚
だったからだ。
ピンドラについてはいろんな人が言及してると思うから割愛する。
今回は、ジブリの新作がピンと来なかった地味なショックについて書こうと思う。
君たちはどう生きるかの中で印象に残ったのは、黄泉の国という名の生き地獄になっていたペリカンたちが最後あの塔から飛び出して、眞人に「出られたんだ、よかったね」と言われるところ。
そこで初めて自分が、乙事主よろしく老いたペリカンが語った「絶望感」に共感していたのだと気づいた。
扉を開ける直前にお母さんが言い放った「火は得意よ、素敵じゃない!」は普通に泣かせポイントだったからそれはそれとして、
たしか、家族観をめちゃくちゃ大事にする文化を持つ韓国の人たちが千と千尋を見た時に号泣したのが冒頭の「両親が豚になる」シーンだったと聞いた。
それと同様に、半ば宮崎駿の自伝ともいえる今作の通低音が「今を生きる人たちのバックボーン」とは異なりすぎてて、しかも我々のそれが割と地獄めなベクトルへ向いていることを、「自分にピンとこなかった」ことで改めて突きつけられたような気がしたのだ。
冒頭から描かれる「すげえいいとこの家」という事象だけがギラギラしちゃって、内容が頭に入ってこない。
「金持ちの家の子」という要素だけで、「自分とは違う子」として切り離して捉えちゃって、主人公やその周りの人物の誰にも共感できない。
目の前に展開されているのはフルスロットルの宮崎駿なのに、最後までついぞ一緒に冒険できなかったのだ。
金持ち描写一つで足止めを喰らい、あの作品を正面から喜んで受け取れないくらいには、自分が貧しくなっていた。
なんかそれが妙にショックだったというか、悔しかった。
と同時に、かねがね思っていた〝最前線の文化教養は「生存に不安のない者」たちからしか生まれてこねーんだな、そいつらの夢想という名の創作物をありがたがって消費してるのが私なんだな〟という、自分でもびっくりするほど狭量な感覚に襲われた。
ってゆー結論になっちゃうのがどうしても悔しいからもう一回観に行きたいなとは思ってるんだけど、Twitterとかで「とりまもっかい見る」つってる人たちの心の中、なんか同じような感覚の人いない?
ねえいない??