はてなキーワード: 職業選択の自由とは
なぜなら、仮に裁判沙汰になったとしても、契約が有効と判断されるまでにはかなり高いハードルがあるからである。
以下の要素を総合的に勘案し、裁判所が有効性を認めない限り基本的には無効である。
一つ一つ詳しく見ていく。
「営業秘密」とは不正競争防止法で定義されている用語のひとつで、「秘密管理性(アクセスできる人が限定されていること)」「有用性(客観的に見て事業に有用であること)」「非公知性(公然ではないこと)」の3要件を満たしているもののことを指す。
よく言われる「企業秘密(Confidential)」とは似て非なるもので、不正競争防止法で保護されるのはこの営業秘密が対象となっている。
職位はあまり関係なく、この営業秘密に関する業務に従事していなかった(アクセスできない状態であった)場合、有効性が否定されるケースが多い。
(たとえば財務担当役員として財務情報にはフルアクセスできていたが、営業秘密に関する情報にアクセスができていなかった場合、契約は否定される傾向にある)
近年では2年以上の契約期間は「職業選択の自由とのバランスを勘案すると長すぎるのでは?」と判断されているようである。
有効性が肯定されるケースのほとんどが1年以内に集中している。
(そのため、実際の契約でも1年以内の契約期間が設定されているケースが大半であり、ここはあまり事例によって差がつかない部分だと思われる)
これはつまり禁止される行為の範囲について、企業側が守りたい利益との整合性を判断するということである。
例えば、IT起業にエンジニアとして勤めていたとして、単に「他のIT企業への転職(起業含む)を禁ず」程度の指定であった場合、有効性が否定されるケースが多い。
(これではエンジニア以外へのジョブチェンジまで禁止することになり、営業秘密を守りたいということと整合性が取れないし、そもそも職業選択の自由の原則にも反することとなる)
競業忌避義務の契約を結ぶにあたり、本来もらえる退職金や一時金とは別に相応の対価があるかどうか?ということである。
これは金銭的な対価に限らず、例えば独立支援などの制度的なサポートなども含まれる。
裁判所が最も重視していると思われる要素であり、特に代償措置が「全く」無い場合は有効性を否定されるケースが多い。
(ただし、それを織り込んだ給与が設定されていた場合などはこの限りではない)
https://www.meti.go.jp/policy/economy/chizai/chiteki/pdf/handbook/reference5.pdf
ていうか、この政策だと「産む」しか見えてなくて、子供のいる学費軽減の250万と、子育て費用1500万+生活苦と自由の欠落と未来のキャリアパスの制限がかかってどっちが得かって産まない方が得に決まってんじゃん。
下手したらそこに家事も育児もしない金も入れない夫と、意味不明な義家族とかまでくっついてくるとか、一瞬の気の迷いが人生を地獄の罰ゲームにするのとか、正気の沙汰じゃないよね。
誰もこんな条件で産まないよ。ハンガリーとか元東欧である程度職業選択に自由のある国の状況引き合いにして増えた効果あるとか言ってるけどここは極東ジャパン女性の職業選択の自由度が問題になってるのに同じことが起きると思ってんのかよバーカ。
長髪の男子だからとかさ、そういう差別、もういらないでしょ。就職もできない、バイトとしてさえ雇ってもらえない。あまりに極端な髪型だったらは分からなくもないけどさ。ステレオタイプに沿ってないと、平然と差別するの、もうやめようよ。
髪型ってさ、自己表現であり、自分のアイデンティティなんだよ。自分の好きな髪型でいるだけで、心が落ち着くし、嬉しくなるもんなんだよ。
それにさ、髪型って簡単には変えられないんだよ。髪色だったら、1Dayヘアカラーで変えられるけどさ。髪の長さって、一度切ってしまえば、また伸ばすのに何ヶ月もかかるよね。休日だけ長髪を楽しむってこともできないわけだ。
あとは、セクシャル・マイノリティの問題もある。例えば男性として生活しているものの心は女性、という人は、長髪スタイルを好む人も多いし。逆もまた然り。
それなのにさ、黒髪短髪じゃないと雇いません、とかさ、完全に差別じゃん。そんなに嫌なら「髪型自由」の職場に行けばいいって?いやいや、そんな職場、結構少ないんですよ。ファッション系や理美容師、裏方の仕事など、一部の業界でしか働けない。職業選択の自由とはって感じ。
チンコ生えてることと短髪であることに、なんの関係があるの?みんな毎日人の股間まで気にして生きてるわけか?気持ち悪い。
過去の国政選挙はだいたい「選挙区は民主党系、比例区は共産党」。吉良よし子議員にも入れたことがある。ただ、立憲民主党が立ち上がったときは御祝儀で両方立憲民主党に入れたし、れいわ新選組が立ち上がったときは一票入れた。「俺の一票が国会議事堂のスロープになった」と思うと誇らしい。ロシア非難決議に対する対応とかで「どうしようもねえなこいつら」と思ってはいるけど、国会に何人も重度障害者を送り込んだ実績があるので完全に嫌いにはなれないんだよな……
政治的スタンスとしては、象徴天皇制支持、日の丸君が代に愛着あり、日米安保支持だが、どうせ今すぐに共産党が政権獲ることはないだろうし、と思って少しでも生活をマシにしてくれそうな党に入れていた。共産党が恒常的に第二党になり天皇制や自衛隊への攻撃を強めてくるようになったら流石に別の党に入れるだろうけど、現状の勢力ならまあ天皇や自衛隊の脅威にはならんだろうな、という判断。
過去の地方選挙はだいたい共産党一択。地方選挙なら共産党がいくら勝とうが天皇制や自衛隊に直ちに影響があるわけではないので、安心して共産党に入れられていた。
で、前置きが長くなったけど、昨今の共産党について。正直、かなり失望している。
失望のその1は表現規制問題だ。かつて共産党が表現の自由のために戦ってくれた経緯があるのは知っているし、そこは感謝しているが、最近の共産党は表現規制派のフェミニストに乗っ取られてしまったかのようだ。『温泉むすめ』へのバッシングには何人もの共産党の地方議員が参加していた。地方とはいえ仮にも公職にある者が、たかだか地域おこし用のご当地萌えキャラ程度のものに「ゾーニングすべき」などと堂々と言ってきたのだ。『月曜日のたわわ』だってそうだ。他にもいくらでも事例は挙げられる。そしてとどめが、一昨年の衆院選だ。
不安定な雇用に振り回される萌えオタクの俺は、安定した雇用や充実した福祉と天秤にかけて、俺の嫁たちを選ぶことにした。まっとうな仕事がないのは俺が人文系などというカネにならないことでは定評のある学問を専攻したからであり、自己責任であると諦めもつく。一念発起して資格を取るなり起業するなりすれば一発逆転ができるかもしれないのにしていないのも、最終的には俺が怠惰なのが悪いのだ。しかし、彼女たちがいったい何をしたというのか。たかだかスカートに皺が寄っていただのといったくだらない理由で、彼女たちがあそこまで攻撃され、貶められてよいはずがない。金がないのは耐えられる。でも俺たちの文化が貶められ、排除されようとしているのは耐えがたい。
失望のその2は、まあその1とも絡んでくる話だが、Colaboの件だ。モリカケサクラであれだけ特定の民間人との癒着や公的リソースの私的流用や公文書の黒塗りを批判してきた共産党が、Colaboをあそこまで庇うとは思っていなかった。まだ知らんふりしてColaboを詰めてくれた方が全然よかった。暇なんちゃらが「共産党と強いつながりのある~」って枕詞を使ってたときは「まあそりゃ事実っちゃ事実だけど下品な攻撃だなぁ」と思っていたんだけど、あそこまで全力で都の不明朗な会計を庇い始めるのは予想外すぎた。本当にあったのかよ強いつながり。俺はお前らが行政の透明性をうるさく追及する党だと思って、そういう政党が議会制民主主義には必要だと思って、だからずっと貴重な一票を入れてきたんだぞ……
そして失望のその3。今回の党首公選問題だ。たかだか党首公選すべきだと本を出し記者会見をした程度の党員をあそこまで攻撃するのはドン引きするほかない。「気持ちはわかるけどすぐには難しいっすね~。貴重なご意見あざーっす」で済ませていればすぐに鎮火しただろう問題をここまで燃え広がらせているのは、すべて共産党自身が招いたことだ。
俺は党首公選が絶対に必要だとは思わない。それは2つの理由からだ。理由のその1は、紙屋研究所の人が書いていたように、公選のみが民主主義だということになったら、じゃあ国会はどうなんだ、という話になってしまうからだ。当たり前だが首相は国民による直接選挙ではなく、国民に選ばれた議員の互選である。それでも、安倍晋三や菅義偉や岸田文雄は競争的な選挙で選ばれた政府の長であるということになっている。ならば、別に政党内部でも間接民主制であって悪いわけではない。すべてを直接選挙に還元するのは議会制民主主義の否定だ。
けれど、問題は、それで20年以上も同じ人物が党首の椅子に座り続けていることだ。いやもちろん、指導者の在任期間が長いことそれ自体が直ちに問題になるわけではない。たとえばドイツの首相は非常に長期にわたって在任することで知られており、アンゲラ・メルケルは16年にわたって首相府に君臨してきたが、ドイツが民主国家ではないと言う人はいない。しかし、ここは日本だ。たいていのアメリカ大統領が経験する8年間の任期を勤め上げたら憲政史上最長の長期政権になってしまう国だ。かつては1年単位でコロコロ首相が代わり、選挙に負けたら与野党の党首が腹を切らされ、ポスト○○は誰だという話でワイドショーがもちきりになる国だ。麻生太郎も野田佳彦も、そして最初の組閣時の安倍晋三も、選挙に負けて党首を辞めさせられてきた。選挙にはめっぽう強かった再登板以降の安倍晋三は、コロナで失政をやらかした(と国民から思われた)ために首相を辞めた。じゃあ、志位和夫は? 共産党の党勢を爆発的に伸ばしたわけでもなく、有能な首長を何人も輩出したわけでもなく、山本太郎や福島瑞穂のように事実上の個人政党を統べているわけでもない彼は、なんでずっと党首の椅子に座っていられるんだ? ヘルムート・コールが25年にわたってCDU党首を努めたドイツであればいざ知らず、安倍晋三ですら10年も自民党総裁の椅子を温めることができなかった日本において、それはあまりにも異様で非民主的に「見える」光景だ。
もちろん、党内で綿密な議論を重ねた結果、たまたま有為な人材が連続して選出されているのだ、という主張をすることは可能である。自民党の世襲政治家の皆様も、有能な人材がたまたま息子だった、と言いたいことだろう。我が国には職業選択の自由があるので、それは一概に否定できることではない。そこで、党首公選が絶対に必要だとは思わない理由のその2になる。共産党の人びとがここ最近力説されているように、憲法には結社の自由が定められており、なおかつ、政党は党員による直接選挙で党首を選べ、と規定している法など存在しないのだから(政党内部の民主主義に関する法がないにもかかわらず多くの政党が党首選挙を採用しているのは、日本が成熟した自由民主主義社会であることの証左だと思う)、そんなもんは共産党の自由なのである。究極的な話になるが、神のお告げで党首を選ぶ政党があってもよいし、レスラーが立ち上げた政党であればリングで党首を決めたっていいのだ。嘘をつかずに「我が党は格闘や神託で党首を決めています」と言ってくれさえすれば、あとは国民の方で判断すればいい話なのだから(現に、「○○の息子でございます」と名乗った上で自由選挙で選ばれている世襲政治家は大勢いるわけで。そして世襲政治家であっても当選が保証されているわけではないことは、偉大なる田中角栄のドラ娘が見事に証明してくれた)。
レスリングやイタコで党首が決まる政党であっても、俺たちの利害を適切に代弁し、国民の自由を保障してくれるのなら一票を投じてもよい。非民主的な発想かもしれないが、少なくとも俺はそう思う。だから共産党にとっての真の問題とは、そのようにして擁護してくれる人の数を年々減らしていったことにあるのではないか。俺は、あんたらがフェミニストと手を組んでゾーニングだの何だのと喚き散らしたりしなけりゃまだ共産党に票を入れてただろうし、松竹伸幸を強引に追い出したりしなけりゃ、結社の自由戦士になって共産党を庇ってもよかったんだけどね。
そもそも放映基準を決めてるのってフェミじゃなくて保守のオッサンじゃん
そりゃ保守のオッサンは影響力あるだろ、日本で一番権力がある層だぞ
オタクが喚く表現規制だの何だのってのもやってるのは全部保守のオッサン
それがたまたまフェミの意向と一致した場合にフェミのせい扱いされてるだけ
フェミがいくら喚こうと保守のオッサンの同意がなきゃ実現しないし
フェミがいくら嫌がろうと保守のオッサンが望む事は続くんだから
フェミが言う女性の人権だ職業選択の自由だ何だのってのはどうでもよくて
女性も労働力にすると儲かるという保守のオッサンの思惑が実現しただけ
でも夫婦別姓はフェミがいくら喚こうが世論調査で賛成の方が多数派だろうが保守のオッサンが同意しないから実現しない
そんなもんだよ
とかの部分で一つにまとめられているけど、実際は女性の採用を阻む障害が無数にあるんだと思うのよ。
とある職場に男性しか居なかったら、その男性たちから、「産休制度が不便だから変えたい」なんて声は上がらないでしょう?
みたいな、悪意をもって女性を排除しているわけではないが、女性が就業先に選ばない業界があちこちにあって、
それを変えてゆくには、とりあえず、半分は女性を無理やり入れてしまう(=アファーマティブアクション)か、
の2択しか無いと思うのね。
私は本人の才覚を無視したアファーマティブアクションには反対だけども、
女性がいるかどうかにかかわらず、将来やってくる女性のために福利厚生を充実させる義務はどんな職場にもあるべきだと思ってて、
肉体的ハンデの大きな女性にも働きやすい社会を作ることは、巡り巡って男性も弱者に落ちたときに働きやすい社会となって
万人にとってお得なんじゃないかなと思ってるよ。
これって、どっちの解決を望んでるんだろうか
それとも
仮に、ネグレクトなら、子供たちにこのような仕打ちをしたのは、国じゃなく親なんだが
罰則を重くして、軽微な状態でもバシバシ親を捕まえて、子供を施設に放り込めばいいか?
親の貧困がダメなのだという話になるならば、国内のあらゆる人が貧困を許されないとなる
育てられないなら子供を作るなとは言えないし
いっぱしの豊かな暮らしをさせる事になる
真面目に働く意味って何だろう?とは思うが
どんな人間でも子供を十二分に食わせられるようにするってのはそういう事だ
(生活保護じゃだめなのか?とか思うが、なんで言及されないんだろ)
で、そうじゃない、そうじゃないんだ
みたいな話になるとしたならば
ただ、仮にそっちの話だとしたならば
これを
という切り口で語るのおかしくね?
介護士の労働改善と一緒で、予算を付けて補助金制度を設けよう、みたいな話だよね
それがない国だから、子供のネグレクトを放置しているのだ、先進国とか笑わせる、みたいなのは、さすがに変
それはそんな社会認識がおかしいんで、子どもたちにこのような仕打ちをする国の前に、市民をなじるべきよね
途中まで、おぉ寄付でもしようかねと読んでたのにさ
なんか、落し所がねじれてね?