はてなキーワード: 精神安定剤とは
タバコ吸ってな人が副流煙でニコチン依存症にならないの今ひさしぶりに自分で自分を操作できてるんだけど、何すると楽しいんだっけってなってる
あれ、今疲れてるっけ?こういうとき寝るんだっけゲームするんだっけって感じ
せっかく操縦できてるので勉強したいが
中途半端に酒を飲むとこうなるんだっけ?
いまいち思い出せない なんだこいつら なにしてんだ 誰が何を楽しもうが自由
すべて楽しくない→じゃあなにしてもいいか なんだこいつら なにしてんだ なにが楽しいだろ こいつら
なんでそんなことして楽しんでるんだ 何してもいいと思います 2chで荒らしてもいいと思います
バカなんじゃないの なんだこいつら バカなんじゃないの なんだこいつら
何してもいいと思います ヒステリックはどうかと思います おれとセクスしてもつまらないと思うよ ヒステリックにならないから
クロニックやるか クロニックのゴールはポイントとること これがゴール じゃあ人生のゴールは? ない
だから何やってもいいと思いますけど。ヒステリックになってPCに毒されるんじゃなくて 論理的に生きたらって思います
クロニックは精神安定剤 なにを思い続ければいいのだろうか?
かわいいと思い続ければいいのだろうか
ブロリーをみてまるまるしたいって言い続けてもかなわないことを知った
持ち物の中に精神安定剤を入れてた筈なんだけどあれ、今日入れてなかったか?でもさっきダイスを転がす時に見たようなアレ?入れたっけ?入れてないっけ、もう、ああもうじゃなくて、クソ、ああ精神安定剤、精神安定ざいっ!!無いのか!!ある???あるな??入れてた筈だぞ入れる筈だぞ!!!入れろや!!!クソが!!!お前は!!!いつもいつもいつも!!!いつもだ!!!ああ!!鞄の中!!!ないか??入れるだろ…ふざけんな…クソが…水、水とか飲んで…落ち着こう…水….水無い…無いに決まってんだろ!!!ないだろどうせ!!!!クソッッ!!!!!ダイスは?ダイスならあるなダイスを転がせばいいか、転がすかダイス、なんか起きるか?
この世にありふれている悲劇とわかっている出来事でも、いざ自分の身に降りかかると、気持ちの整理に時間がかかるもので。
先日、自分が推していたコンカフェキャストが卒業した。コンカフェというものに初めて訪れて、初対面で気に入ったキャストだったので、今後その娘以上に特別な存在は現れないだろうと思えるほど、素敵なキャストだった。自分にとってのコンカフェとは、その娘のいる空間のことだった。
喪失の悲しみと向き合うために、今の自分の感情を整理する必要があると思い、コンカフェに通う中であった悲喜交々を文章としてアウトプットすることにした。取るにたらないオタクの身辺雑記でしかないが、今コンカフェに推しがいるヒト、推しの卒業が迫っているヒトにとっての一つの導になれば良いなと思う。
元々コンカフェというものに興味があって、職場の同僚と飲んだ後に、「一度寄ってみたいんだ」と誘い、とりあえず最寄りの評価が高そうな店を訪れたのがきっかけだった。前提知識がない状態で入店し、そこでたくさんお話をしてくれたのが推しだった。
推しの魅力はなんといっても人間離れした美しい顔立ちとプロポーション、そしてコンカフェ嬢らしからぬ素朴さにあるのだが、これは万の言葉を尽くしても伝え切れるものではないので置いておく。
推しと出会ってから卒業までの1年と数ヶ月、ほとんど欠かすことなく通い続け、多い時では週に4〜5回行っていたこともあった。店が帰路の途上にあるのでアクセスが良く、推しの出勤日は帰宅時に必ず寄るようにしていた。
仕事の疲れや日々の嫌気は、推しと接することで解消され、明日への活力になった。推しと出会ってから仕事のパフォーマンスも向上した実感がある。職場でも、コンカフェに通っていてこんなに可愛い推しがいるんだと喧伝していたので、良いイジられのネタにもなって、コミュニケーションも活性化した。「今日は推しの出勤日なので」といえば、残業も切り上げられ、飲みに誘われることもなかった。コンカフェに通っている間は、私生活にも良い影響が多分に出ていて、「推しは精神安定剤」とはよく言ったものだと実感した。
それくらい、自分の日常の中に推しは溶け込み、なくてはならない存在になっていた。一年という期間は、推し活としては恐らく長いものではないのだろうが、ヒト一人の生活を変えるには充分な期間といえる。
推しのおかげで、自分の人生は間違いなく好転した。そのことについては、ただただ感謝したい。
ここからは少し愚痴っぽい話になる。推しは素晴らしいという前提は当然のものとして、コンカフェというシステム上、どうしてもつきまとう歯痒さというものがあって、これはいくらか共感を得られるのではなかろうかと思っている。
前述の通り、自分は推しの出勤日には必ず店に行くようにしていて、所謂全通オタク状態だった。滞在時間も大体2時間程度で、顔出しだけして帰るということは極力ないようにしていた。それは推しへの目配せとかではなく、単純に自分が少しでも長く多く、推しを見ていたかっただけだから、必然そうなってしまったのだ。
自分の知る限り、他に全通している推しのオタクはいなかったように思う。他のキャストからも「推しちゃんのお客さんと言えば貴方ですよね」という話をされて、嬉しかった記憶がある。店自体が、あまり単価の安いところではないので、足繁く通うことにたしかに抵抗はあったのだが、それを差し置いてでも通いたくなるほど、推しは魅力的だった。
しかし、会う頻度が高いほど、話す時間が長いほど、注ぎ込む金額が多いほど、推しの中での自分の存在は希釈されていく。これが避けようのないジレンマだった。
毎日顔を見る人間と、月に一度しか会わない人間、どちらとの時間を優先するかと言われると、それは後者だろう。1ヶ月ぶりにコンカフェに行ったのに、常連ばかりを相手にして自分は放置となれば、店や推しに愛想を尽かされてしまう。なので、毎日居て、いつでも話ができる自分のような存在はどうしても後回しになってしまう。
推しは客に対して非常にフラットな接し方をするタイプで、誰か一人を贔屓することはなかった。自分に会いに来る客は皆等しく対応し、新規の客にも積極的にアプローチしていた。これは自分が都合のいい解釈をしているだけで、ただ単に相手をするのが厄介だから干されていたという可能性も決してなくはないのだが、それを想定するのはあまりにも辛いので、見えないふりをしておく。
ともかく、通えば通うほど推しからの優先度が上がるというわけでもないので、実のところ、金額に対する満足感というのは求めるべくもなかった。他に全く客がいない、あるいは他キャストの担当しかいない状況であれば、推しと長く話すことはできたが、そうでない場合は、推しが自分のところにいてくれた時間というのは、決して長くはなかった。
それを不満と思うのであれば、コンカフェという、キャストにある程度接客の裁量が委ねられている業態の店に行くべきではないので、不満ではないのだという自己欺瞞は絶やさずにいた。
言い得て妙な話だが、キャバクラやガールズバーはお金を払って女性にチヤホヤされに行くところだが、コンカフェはお金を払って女の子をチヤホヤしに行くところなのだ。そこに気付くと、自分の立場が俯瞰できる。そういう業態の店をわざわざ選んで行っているのだから、甘んじて受け入れるべきだ。そう自身に言い聞かせることで、ジレンマと向き合っていた。
そんな、迂遠な理屈を介してでも行きたくなるほどに、推しは魅力的だったのだ。
推しは学生なので、学業及び就職活動に専念するために卒業する、というのが名目だ。
最終日、自分はオープン前から店前に待機し、一番乗りで入店し、ラストまでの8時間店に居続けた。
店で最高額のシャンパンと推しのオリシャンを一本ずつ入れ、フラワースタンドも発注し、細やかな誕生日プレゼントを渡し、物販のグッズは全て買い占め、ランダムのアイテムも全てゲットした。結果的に冬のボーナスを全て注ぎ込んでも足りない程の会計となったが、最後の花火なので、後悔はない。
シャンパンを開ける時も、フラワースタンドが搬入された時も、推しは喜んでくれた。推しのコンカフェ人生の集大成に、多少の花が添えられたなら、これに勝る喜びない。
最終日の8時間の内、推しと会話ができた時間はおそらく30分にも満たなかった。対面で5分以上連続で話したタイミングは一度もなかった。
推しほどのポテンシャルがあるキャストの生誕卒なので、当然ながら店は盛況を極めた。推しは絶えず各席を回り、オタク達に別れを告げ、思い出話に花を咲かせ、これからの人生の展望を語っていた。
それを横目で追いながら、机上に増えていくグッズを眺めることしかできなかったことが、とても寂しかった。
ほんの10分程度でも積もり積もった思い出を語らう時間があれば、この寂しさを覚えることはなかっただろう、ということはきっとなく、ヒトの欲に際限はないので、10分あったならばもう5分、さらに5分と、より長い語らいを求めていただろう。なので、この寂しさは決して埋まることはなかったのだ。最終日を迎える時点で、抱えるべくして抱えた当然の帰結だった。
ただ、しかしただ、ほんの少しでも、この一年と少しの期間の思い出が報われる時間が欲しかったと思うのは、贅沢なのだろうか。推しのために誰よりもお金を使った。自分は高給取りではないので、決して平然と出せる金額ではなかった。当日も、誰よりもイベントを盛り上げるべく尽力したつもりだって。誰よりも推しと長い時間を過ごしてきた。そんな自分が、多少でも特別扱いを求めるのは、傲慢だったのか。
推しのオリシャンは、閉店1時間前に急遽下ろしたものだった。店長には「せめて、推しのコンカフェ人生最後のポンは、自分にさせて欲しい」と頼んだ。自分のオリシャンが空いた数分後に、別卓でも軽快な破裂音が鳴っていた。自分は、横に座っていた会社の同僚の肩を叩きながら、腹を抱えて笑った。周りにいたキャストが引き気味に目線を寄越すくらいには、大声で笑った。おかしくて仕方がなかった。
その後、店長が気を遣ってか、「一番最後に退店してもらうので、席に残っててください」と声をかけてくれた。
自分と、会社の同僚と、地元の友人の3人で店を出る間際、もうここしかタイミングがないと思い、「少しだけ語らせてほしい」と推しに声をかけた。とにかく何かしら思い出を語ろうと思ったが、酔いが回っていて、うまく言葉が出てこなかった。ヘラヘラ笑いながら「これからも頑張ってね」的なニュアンスを伝えた気がする。みっともない限りだった。
それで、終了だった。
こうして文章にしてみて、自分は結局最終日に構ってもらえなかったことが悔しかったという、それだけが言いたかったのだと気付いた。
お金と時間を費やせばそれだけ推しにとって特別な存在になれるのだと勘違いしていたその結果の醜態だった。
当然、そんなわけはない。コンカフェとは、支払った分の見返りを求めて通うところではないのだと、自分は最後の日まで気付くことが出来なかった。理屈としてはわかっているつもりだったが、その日まで実感を得ることができなかった。
あるいは自分がもっと、ヒトとして魅力があって、喋りも達者で、推しを楽しませることができる人間だったら結末は違っていたのだろうかと、詮無いことを考えてしまう。ただ座って会話もままならない状態で金だけ注ぎ込んでいたら、それは養分になって当然だ。
自分の非を治そうともせず、そんなところで延々愚痴を垂れ流すことしかできない下らない人間なのだから、相応の結果だったのだろう。
推しが居ない生活に戻って、自分はこれからどうなるのか、今はまだよくわからない。
願わくば、推しの今後の人生で、ほんの一瞬でも自分のことを思い出す時間があれば良いなと思う。それが少しでも良い思い出としてだったなら、多少は報われるだろうかと思う。
8年前に結婚した当初から、あまりsexの回数は多くなかった。
でも、ハグもキスも良くするし、食の趣味も似ているし、仲は良い方だったと思う。
今年のGWが過ぎた頃、朝起きがけに突然、男と浮気したことを告げられた。
隠し通すのが辛くなったとのこと。
それを聞いた時は、ショックすぎて過呼吸を起こした。
その後、不思議と怒りの感情はなく、ただただ今まで至らない妻だった自分を責めた。
気づくことができなくて、申し訳ないとも思った。
実際、私はいい妻ではない。
何度も転職をしてしまうし、PMS時のヒステリックは筆舌に尽くしがたい。
そして、いつまで経っても英語が喋れない。
ただ、家事においてはまぁまぁ頑張っていた。
水回りに水滴をつけたままにしておくことはないし、
床やテーブルに物や埃が落ちているのは即片付けるので、
家が汚れてると感じることはほぼ無い。
料理も得意で、作るのも食べるのも片付けるのも楽しんでいる。
食に関してだけは、カナダでは食べたことがないようなものもたくさん作ったし、夫も何度も絶賛してくれた。
まぁ、それはそうと。
「①sexの回数が少なすぎるのと、②昔からポルノは男の人が出演するものばかり見ていた」
とのこと。
①に関しては、私の責任でもある。
でも、大きすぎて痛いのだ。
もちろん、当人には伝えたし、最初の頃はどうにかしようと二人で試行錯誤してみたが、
だんだんそれも億劫になって、気がつけば半年、一年と時間が経っていった。
なお、夫は私の前に一人だけ彼女っぽい人がいたらしいが、
SEX中に爪を立てたり叩いたり(?)という、かなりのメンヘラ女だったらしい。
そんなこんなあって、VRチャットで知り合った男と、何度か寝てみたところ、
そもそも②昔からポルノは男の人が出演するものばかり見ていた時点で、
女体より男体の方が好きだったのでは。
優しい先生で、事情を話したら睡眠薬と精神安定剤を処方してくれた。
薬はすごい。
睡眠薬は、しっかり効いた。
でも、起きた時にずっと頭がぼーっとしてるので、
あまり使い続けたいとは思えない。
お互いを責めあうこともなく、
なんとなく、今までと違った「他人感」を感じながらも、
このままいれば、十年後、何もなかったことのように、
笑えるのかもしれない。
だけど、今は、将来夫と何年も一緒にいるのは
難しいんだろうなと、漠然と思う。
あ、あなたゲイだったのね。Ok。私もあまりsexに乗り気じゃなかったしねって、
別になんでもないことのように、居れれば楽なんだろうけど、無理だ。
私はロボットじゃない。
感情がある。今は、どんな感情なのか、複雑すぎてわからないけど。。
女としての魅力がなさすぎたとか、
いや、そもそも夫は男がいいのでは?
なんで結婚したのよ。
とか、色々考えると、
夢診断で検索してみたら、
自分ではどうしようもないストレスを抱えている時に見るって書いてあった。
まぁそうでしょうね。
まさに今、そんな感じなんでね。
涙とため息しか出ない。
自分自身が他人に対して怒鳴っても脳細胞は劣化する。他人が他人に対して怒鳴っても脳細胞は劣化する。
低用量ピルは悪阻症状の他に、血栓症による突然死や脳梗塞と、高プロラクチン血症による骨粗鬆症とメラニン活性作用によるシミの誘発作用、体毛の剛毛化、発がん性がある。
精神安定剤は、鎮静効果のあるものだと肥満、アルツハイマーやパーキンソン病を誘発する。
活性作用があるものは性欲亢進、不眠作用がある。どちらも常習性が高い。
命の母は合わない人だと鬱になることがある。本人が乗り気で、自己観察しながら合う飲み方を判断する必要がある。
どの症状で病院へ行ったとしても、まず勧められるのは食事療法と睡眠時間、休息時間の確保。薬を飲んでも根本がおろそかだと大した効果は出ない。
2年前に離婚した。
今は一人暮らしをしている。
特に子供が産まれてから子育ての方針が合わないこともあり、ケンカばかりしていた。
現在、妻と子供(小2)は30分あれば会える場所に住んでいる。
だがそれ以外の時間は一人だ。
離婚当初は子育てからも家事からも離れられて、随分気が楽だと思っていた。
精神安定剤などは抵抗があるので、漢方を処方してもらっている。
思えば妻とは15年以上の付き合いだった。
出不精だった私は、妻に連れられて週末にはほぼ外出をしていた。
子供が産まれてからも子供を喜ばせるためレジャー施設へよく連れて行き、家にいることは少なかった。
だが外出のきっかけを失った私は、週末は家にいることがほとんど。
友人はほぼいないし、結婚式に呼んだ数少ない友達も、離婚したこともあって会っていない。
妻の家族・親戚とも会わなくなったし、ママ友繋がりでの家族ぐるみの付き合いもなくなった。
妻との喧嘩、子育ても本当に大変だったが、それもある程度孤独を癒していたのだ。
でも今更妻と元に戻る気はない。
離れて暮らしているからこそ今の関係を保てるのであって、一緒に暮らしたらまたケンカばかりになるだろう。
妻の両親・親戚ともやり合ったし、修復は困難だ。
一番は恋人を作ることかもしれないが、安月給のバツイチアラフォー男が恋人を作るのは困難だろうし、そんな気もない。
やったことは、トレーニングジムに通うことと、資格取得の学校に通うこと。
ただ資格は合格し、ジムは体を痛めてしまったのでどちらもやめてしまった。
YouTubeも始めたが、登録者数が1000人を超えたところで飽きてしまい、放置している。
こうなると、今のところやれることが少ない。
だがなんとかしてこの状況を乗り越えたいと思っている。
今はどうかわからないし、一部にしか当てはまらないとも思うけど、主体性だと思った
占いを信じてラッキーカラーを身に付けたりおまじないを実行したりの行動は指示されるまま、というのが多い。信じるし疑わないし、踏み込まない。そのうち飽きる。
オカルト知識を活かそうとする。万一妖怪出てきた時のために攻撃手段として九字覚えたり。
幅広く色んなオカルトを試してみる。気が向いたら踏み込んで調べる。ムーとか読む。そのうち飽きる。
飽きる前に、踏み込んでるか、疑ってるか、それに妥当性がないことを薄々気づけているかという差が出てくる。
いわば免疫みたいなもので、中二病経由の男子のほうがオカルトとかスピリチュアルなものや偽科学にハマりにくくなっていそう。
逆に、そういう精神安定剤的なものがないからおっさんで苦労してる人も多いが。
ムーとワンダーライフとMMRとか読んでてそれこそ中学生の頃は半分信じてた。
ほどなくして自分に霊感とかないことで絶望する。現実を見てしまった。ここ何年もかめはめ波が撃てるか試してない。どどん波ぐらいならワンチャンとはひそかに思っているが。
20歳超えてから、まだ可能性を捨てきれず、第二次オカルトブーム的なのが到来して、風水とタロットと数秘術を学んだ。
学んだといっても図書館にある本だいたい読んで、アマゾンで数千円する書籍を5冊ぐらい買って読んだだけだけど。
色んなジャンルの占い本を読んでみると、おお、根拠がねーと気づく。
同時期量子力学に興味を持ち始めた。
科学的側面から、オカルト力を発揮する道筋がないものかと検討してみた。脳量子波みたいなのがあればワンチャン。
哲学の読み物とか読んだりしてると、決定論的なのと非決定論的なので悩む。世界はどちらか。
自分(増田)は全部薄く浅くしか知識がないが、科学を突き詰めていくと宗教的な考えに至る(高名な学者のエピソードをちらほら聞いたことあるのだけど実例は一個も出てこない。)のもなんとなく理解できる気がする。
それは真理の追究を放棄したわけでもなく、古来の教えやどこかの教祖の言うことをそのまま信じるのでもなく、なんとなく非科学的なもの(今はまだ科学とされていないもの)がぼんやりと遠くに霞んでいるのを感じたような。
デート1回目から、お付き合いしましょうということでカップルになった。
彼女の家は、二人ぐらい暮らせるぐらい大きくて綺麗だったけど、
炊飯器とかないし、食器があんまりなくてよく生活していけるなと思った。
でも女の子の一人暮らしを知らない俺は驚きはしたものの「そんなもんか」と思っていた。
その際に家財道具も一緒に消えてしまったので足りないものが多いんだという。
正直俺は「かわいそう」という感想よりも「夜逃げされるような女」って思ってしまった。
思い返してみれば、出会ってすぐにしたセックス。何度も「好き」と言わせようとしてくること。常用しているという精神安定剤。
たぶん近々別れると思う。
俺は最低だ。