はてなキーワード: 社会貢献とは
一個人では影響力がないので、支援のブクマやツイートなどお力添えしていただけると、うれしいです
「NPO法人 キャンサーネットジャパン」(http://www.cancernet.jp/)はどういう団体なのでしょうか。
というのも
友人が、ボランティアをしているというので、何をしているのかと聞いたところ
1)フェイスブックとツイッターのアカウントを取るよう指導される。
2)キャンサーネットジャパンや、かるてぽすと、キャンサーチャンネルのツイートには公式リツイートをする。
2)同じく上記のフェイスブックのページにいいね!を押しまくる。
のが社会貢献だとして作業させられているというのです。
さぼっていると怒られるというのです。
公式リツイートや、いいねは、本人がそう思うから行う行為であり、ボランティアとして命令されて仕事としてやることではないと思うのです。
それが社会貢献だと信じて行っている、がん患者である友人は、ある種の洗脳を受けているのではないかと心配になります。
そうしたら
http://anond.hatelabo.jp/20101030222916
の書き込みを見つけました。
大きな活動をしている団体のような気がしますが、これだけの活動をしている患者支援団体に
我々が日頃、新聞や雑誌で目にするような有名な患者会の人たちが参加していないのも気になります。
【関連リンク】
キャンサーネットジャパン : http://www.cancernet.jp/
キャンサーチャンネル : http://www.cancerchannel.jp/
かるてぽすと : http://www.kartepost.info/jp/
やっぱり自分のブログに投下する勇気がでないので初めて増田に投下してみる。
[コラム] 「好きを貫く」ことと大企業への就職 - http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070402
大企業で働くということ - GoTheDistance - http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20070503/1178198680
を読んで、概ねほんとそうだな〜って感じだけど、
多分これに直感的に全部当てはまる!って人も全然違う!って人もいないんじゃないのか。
人間ってどちらの側面も備えているものだと思うし、考え方が変わる人もいると思う。
とりあえず、大企業に勤めて8年目になる俺なりに、考えなおしてみた。
Yes.
悔しいことに今の会社に入ってから気づいたけど課題解決型の仕事は合ってると思う。
新規創造型の仕事をしたし、させてもらえるいいポジションではあるけれど、
やればやるほどセンスがないなぁ、無理だなぁと思う。
俺にはトップに立つ仕事は無理だけど、トップを横で支える仕事が向いてる。
どちらかというと Yes.
好き嫌いやこだわりが細かくないというか、全てのことに好奇心ありすぎなんだよ俺。
なので好き嫌いを考える前にとりあえず全部やりたいと思う。
だから人に対しても好き嫌いを感じるより前に、こんな考え方をする人がいるのかぁ、世界って広い!って思う。
苦手を克服するのは苦手だと思うけど、結局好奇心のほうが勝つのでなんとか頑張ってる。そんな感じだと思う。
学生時代なら全然Yes. 今は気持ちはYesだけど体力的にNo.
これはなんというか今の会社のワークスタイルに慣れてしまった感が本当に否めない。
持久力はなくなってしまったなぁ。。
他社とか行った友達見ると、死ぬなよ、、と思ってしまうと同時に俺の仕事超ぬるいなぁと思う。
No.
自分がとても頑張った仕事でも、名前が載ることはないに等しい。
あと大企業ならではだと思うけど、入社8年目にもなるのにプロジェクトリーダーとかやったことないぜ!
いつまでも下っ端。プロジェクトの舵取りは俺がやってても、リーダーは別の人。
あいつらリーディングじゃなくてコンヒュかけまくってるだけだぞ現場に。
他社の友人たちがどんどん肩書きとかもらって自分の裁量であれこれやっているのを見てると
羨ましいというのを通り越して、
他社に転職とかもう無理なんだろうなーと人生諦めてしまう感じがする。
すごく熱をいれてやったプロジェクトでも、
プレゼン自体は先輩がやる、とか
その後の経過は知らされない、とかしょっちゅう。
で、知らないうちに、自分が思い描いていたコンセプトと違う方向性に決まってて
そんなプロジェクトしらんわ!ってなる。
せっかく顔が繋がった他部署や外部の人との関係も、
プロジェクトが終わると続きづらい。
だって続くための仕事を発注する裁量がないし。もう慣れたけど。
なので、最近今後も何かしら続いておきたいという人とはSNSの連絡先を交換するようにしている。
名刺交換をする機会が多いのは、今の部署の特権なのかな。
政治的行動は好きではないし苦手だけど
責任感は強いほうだと思う。
昔だったらNo, 最近は居心地の良さに慣れてしまったんだろうYes.
昔だったら体力あったから短期決戦大好き!
今は、、ちょっと避けちゃうかも。
No.
大嫌い。
Yes.
No.
嫌いだけど、ルール作らないと効率的に仕事回らないから作る側に回らざるを得ない。
Yes.
仕事失敗してもきっと誰かがカバーしてくれるだろうし。(っていう気持ちで仕事したことはないけどな)
Yes.
うーん、いるにはいるかも。
それでも、何も考えなくてもっていうのは言い過ぎだとは思うが
専門外の職場に異動してもなんとかなるっていうのは大企業ならではなのかな。
意味はあるとおもうけど、無用の仕事を生み出しているとも思う。
なのに、本当に忙しい部署にはなぜか人がいないっていう。
Yes.
似たようなプロジェクトが他部署でもやってるなんてことはザラ。
同じ会社なんだからもっとオープンにしようよーと思うことしばしば。
明日には決めてほしい内容でも
平気で1週間とか待たされる。まじでふざけんな。
ペーパーワーク80%といっても過言ではない。
最高で8人の偉い人のハンコが必要な承認案件に関わったときはマジでアホかと思った。
これ書いてて思ったのは、入社当時とは明らかに考え方が変わってるな〜ということも確実にあって
そこについては、いいことなのか悪いことなのかまだ判りかねています。
染まってきちゃったのかなぁ。
京都に住む友人から「ちゃんと選挙に行きましょうね」なんて唐突に言われた。
ええまあ、とか何とか言いながらお茶を濁してその場を凌いだわけだが、
先刻、全く別の知人から「今だからこそ選挙に行くべきです」などというメールが届いた。
ちゃんちゃらおかしい。
よく考えて見るとよい。
果たしてこの国は選挙に行かなければ意思表示もできないような国なのか。
選挙というのは意思表示の「ひとつ」であって「すべて」ではない。
まるで選挙に行かない人間は何ら意思表示をしていないかのようである。
「選挙に行かない奴らは意思表示ひとつできない腰抜けのファッキン野郎だ!それにひきかえ選挙に行く俺たちは自分たちの意思を示すことができる最高にイカしたナイスガイだ!」とでも言いたいのであろう。
実にくだらない。
それでいて選挙行け行け連呼していれば社会貢献になるとでも思っているからお気楽なもんだ。
「俺たちは社会貢献に人生を捧げる最高にヒップなボーイズエンガールズだ!今日も50人の友人に選挙に行くようメールしたぜ!この社会から選挙行かないヴァンパイアを退治するためになっ!」とでも言いたいのであろう。
盲目的過ぎる。
はっきり言おう。
そして行かない人間に干渉するな。
その後、その友人と知人を着信拒否にしたのは言うまでもない。
グリーは海外にこの金を搾り取るシステムが通用するか試すという。
いろいろ試すのはいいことだ。
このふたつをとりあげていた。
1つ目の「ソーシャル」これはNHKの言葉の使いかたが間違っている。
ソーシャルゲームは何もモバゲーのような携帯電話のゲームだけではない。
仲間と一緒に遊ぶのが面白い、他の人と協力してボスキャラを倒す
ゲームの楽しさを、こう利用者は語っていた。
アホだ。貴重な時間を使ってしまっていることに気づいていないのだ。
自分に必要なことよりも不必要なことに時間を使ってしまっていて
幸せになれると思っているのか。
幸せ=充実感=自分が生きていて他の人に役立っていると実感すること
他の人のために役立つには、何か仕事をしなければいけない。
自分が他の人のために働き、その人のために良いことをしたからお金をもらえる
仕事をするには3つ必要なことがある
学校でまなぶこと
他人のために働く
早いうちに始めるのに越したことはない。
なりたい将来の自分について「紙に書きましょう」
気づこう。
やる必要のないことはできるだけやめることだ。
遊ぶことは必要な場合もある。知的作業の後20分以上遊んだほうが
うまく利用してください。
NHKの放送では、100円で一定時間待たなくてもプレイできたり
欲や怒り嫉妬を発生させてお金を知識のない弱者からむしり取る。
おいおいと思ったが、DeNAも気をつけなければいけない。
しかし
知識のない大人がモバゲーを遊ぶのは
学習や仕事に使えば、これほど役立つ効果のあるものはめずらしい。
例えば
そういうのでもいいと思う。
対戦ゲームで欲を煽るより、協力してお互いのプレイヤーがいいことをする
そういう流れにするべきだ。
番組の合間に秋の東北の映像が流れるんだけど、これがよくできていて、東北に行きたくなる。
放射能の脅威については百家争鳴だから、はっきり言って何を信用していいのか分からない。
「ほんとはやべーかもしんないけど時間も経ったし生産者や議員からの圧力があるしでテキトーに出している」ものなのだ。テキトー極まる。
薬害エイズでもB型肝炎でも何でも後からでも十分にひっくり返る。
そしてそれは仕方ないことなのだ。
政府に万能を求めてることが間違っている。政府はただの組織だ。神でもなんでもない。
(オマケに「政府を小さくすべし、自己責任である」と6年前に選挙で意思決定したのは何処の誰だったかね)
チームを潰すには、同士討ちが一番効率が良い(諫早も農水省が地元を分断させて事業を進めた)。
被災地を信用できない。
悲しいことだと思う。けど、どうしようもない。
CMがいつも痛々しい。社会貢献やタバコ以外の事業部門の紹介、いかにタバコの害を減らすかの取り組みばかり。
ああこの会社の至上命題はそもそも存在意義の模索なんだな、そしてそういった命題を抱えた組織というのは、外から見るとひどく痛々しいのだな、と思った。
まあJTは言ってみれば麻薬製造会社で「死の商人」なわけだから、タバコが叩かれそういった窮地に陥っているのは仕方ないだろうし、いずれタバコをやめて違う会社になるだろうと思う。
ただ、東北は違う。
彼らは望んで放射能を浴びたわけではないし、正直あまりにも気の毒だと思う。
現在の放射能被害の責任は、ほぼ100%ずさんな原発管理をしていた東電にある。
ああ、この人達は望まないのに、ゆるやかな死の商人になってしまったのだ。
そして彼らは薄ぼんやりとそれに気付いている。
除染は終わらない。放射能は消えない。けれど、あえてキャンペーンを打つということの意味。
それは、「放射能に汚染されたかもしれない地域をPRするということは、観光客が放射能に汚染されるかもしれないということを分かっている」ということ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.pjnews.net/news/794/20100326_2
2010年03月27日 07:18 JST 【PJニュース 2010年3月27日】異例の再投票に持ち込まれた日弁連会長選挙(2010年3月10日)では、無派閥の宇都宮健児弁護士が主流派閥の支持した山本剛嗣・日弁連前副会長を破って当選するという快挙を成し遂げた。改革を訴える宇都宮氏の当選は、弁護士の置かれた状況への強い問題意識が背景にある。宇都宮氏を当選させる至ったエネルギーは弁護士会の内外で噴出している。 兵庫県弁護士会(春名一典会長)は3月23日の臨時総会で、司法試験の合格者数を年間3千人まで増やすとする方針を見直し、年間千人程度に段階的に減らすよう政府に求める決議をした。日弁連会長選挙で宇都宮氏は1500人程度への削減を訴えていたが、兵庫県弁護士会の求める削減幅は、それ以上である。これは宇都宮氏の改革に対する地方からの援護射撃となるものである。また、中途半端な改革に終わらせないためのプレッシャーとも読み取ることができる。 この兵庫県弁護士会の決議と同日に日経BP社が運営する安心・安全情報ポータル「SAFETY JAPAN」には悪の弁護士が増えているという衝撃的な記事が掲載された(夏原武「「モンスター弁護士」急増中。「借金整理を頼めばかえって損」「自ら詐欺主導」「夫婦で8億脱税」など。 今後弁護士が信用できなくなる「理由」を、全部書く!」SAFETY JAPAN 2010年3月23日)。 http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20100318/216607/ 記事では依頼人を食い物にする弁護士や、偽造した代理権委任状で交渉の相手方から金を詐取した弁護士の事例が紹介される。このようなモンスター弁護士出現の背景として法曹人員増加を指摘する。また、避けた方がいい弁護士として「広告をばらまいているような弁護士」に言及する。これらは宇都宮氏の問題意識と重なる。
今気付いたが、この記者は私のツイッターをフォローした人だ。ユニオン告発だって別ユニオン関係者が横にいる弁護士告発の席で行われている。この林記者にツイッタ内で「追い出し屋対策で検索してフォローしてるのかもしれませんが、私は追い出し屋被害に遭ったのではなく、追い出し屋対策弁護士の被害に遭ったのですが、なぜか追い出し屋対策を書いている林さんにフォローされました」と言う意味の事をツイートしたら、反応は「○さんの幸福をお祈りしています。」だった。その後書き込みしたオーマイニュースをリンクしたが、、また幸福をお祈りだった。
下のはPJニュースの米しようとしたら、サインインできなくて入らなかったもの
それは殊勝な心がけだと思いますが、実践されなければ意味が無いと思います。そう言葉で言う事によって、イメージアップを図り外面を整えているだけではないですか?
そこまで言うなら、宇都宮弁護士さんも関わっておられた追い出し屋対策会議の他の地域の弁護士も見張られたらどうでしょうか?
私はそこの弁護士に法的に間違った事を言われ、他の弁護士に相談すれば仮処分申請してくれたかもしれないのに、その機会を失いました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1367730408
相互リンク http://b.hatena.ne.jp/entry/www.pjnews.net/news/794/20100326_2
苦情は責任者ではないが、アパートの保全ができると言って(電話相談時)実際に動く弁護士を紹介したこの地域の追い出し屋対策会の中心人物に、言っても「保全してくれると思います」(アパートが壊される前)
壊されてから事務所に電話しても、事務員しか出ません。向こうから折り返しの連絡は返ってきません。大変顔の広い方である政党の無料相談の弁護士も路上生活のボランティアに関わる人も名前を知ってました。
私が何年か前にボランティアで行った事務所と同じ名前だったので、そこの代表の弁護士ならその人に話ができるかと思い、電話したら、今はその代表者は居なくなり、そこの事務所ともう一つ違う市の事務所と両方その人が代表をやっているとの事でした。
電話相談に電話して苦情を言っても、ボランティアが出るとまだまともに聞きますが、弁護士だと相手にされません。ボランティアもまた聞いておきますと言いますが、会のまとめ役がその人なので、返事はありません。
過払いや債務整理や生活相談も追い出し屋対策と一緒にやってます。
私は家賃滞納はありません。大家が代替わりし息子さんが居住者付きで売却した業者が、立ち退き交渉もせず水が止まると言ったり、こちらが立てた調停中に、アパートを半壊にしたのです。半壊になるだいぶ前から相談していたので、仮処分申請する時間はありました。その時に「アパートの保全はできない」と言ったのです。こちらが京都の借家を半壊で勝訴した事件番号2455号の資料を持って相談に行っているのに!!(判例 2455 でぐぐる) ある政党の無料相談では、「勝てるだろうけど、賠償金が数十万だから弁護士が嫌がる。費用対効果、もっと言うと労力対報酬だわな」と言われました。それで今までの弁護士達の不可解な態度にも納得できました。電話相談では調停を立てた事をなじるように「自分で立てちゃって」という言い方をチンピラのような弁護士にされた事もありました。この人は名乗らずにPHS番号だけ教えました。今考えると変です。phsはいつかけても電波が通じない所にいるか電源が入っていませんになります。
自己管理できない状態の人が相談者に多いからと言って、自己決定権を奪っていいわけはないのではないか?とこっちの地域の路上支援の医者もこの会を紹介していたのでメールしましたが、全く返事はありません。
大阪のこの地方の会を紹介した電話相談に電話しても、聞く人もいれば聞かない人もいますが、聞いても上の者に言っておくというだけで、返事は無く、電話の返事はどうなったのか切手を同封した手紙を書いても、返事はありません。ボランティアは善良そうで、過払いばっかり拾いに来て!と怒ったら、テレビで宣伝しているような所のように2割も取ってません、とか、債務整理では本当に深刻に悩み自殺を考える人もいますので、と真面目に返されたりしました。ボランティアの人も騙していると思います。なぜか大阪の司法書士の電話番号を教えられたので、電話したらヘラヘラ、ヘラヘラして、こっちが水道止めると言われ、払う必要のない家賃に込みの水道代を「水道代払ってますか?」と言われたという話をしたら、「水道代払おうね」と言われました。こちらの地域の水道局まで電話しましたが、名義が大家のもの(その当時はまだ前大家)だったので、名義変更しなければ支払いを受ける事はできないと言われました。もっと色々ありますが書ききれません。
このように、ものすごく相談者を疑ってます。何か非がある人だろうと思ってます。
宇都宮先生、先生のやってらっしゃる弱者救済に群がる弁護士たちは、何とかなさらないんですか?
自己管理できない容易に自己決定権を奪える相手だから、自分達のいいように利用して、ボランティアは外向きのイメージ戦略で誤魔化し、やってる事は弱者救済に名を借りた、貧乏な弁護士救済じゃないですかwww
法テラスの受任料わずか10万でも拾いたい、けど、調停イヤ訴訟絶対イヤ><だめ絶対>< みたいな。 やる事は何か書くだけ。
こっちは、図書館にあった弁護士が書いた本に、「法テラスは半分ボランティアみたいなもの」とかネットで見た「受任料が相場の半額になってしまう」とか そういうのを知っていたので遠慮もありました。
しかし、弁護士を一人作るために、公費がいくら使われているか考えると、疑問にも感じます。公共性や公益性がある高い倫理観を要求される仕事だからこそ、たくさんのお金を引っ張る事ができるのです。
今は、食い詰めた弁護士が多いから、弱者救済にマトモな人が周ってこないのではないでしょうか? 昔は企業の仕事をしてる余裕がある事務所でも、社会貢献みたいな(本来の弁護士法に謳ってある仕事はこっちですけど)つもりで、弱者救済の経済的合理性には欠ける仕事もやってたのが、食い詰め弁護士が仕事が無いから、社会貢献的にやってた分野で食っていこうとしているから余計ややこしくなるのではないですか?
早く弁護士にも保険制度を導入し、企業と個人で負担額を変えて、企業からたっぷり取って、個人は企業の負担分で賄えるようにして欲しい。 元々これに近い形で回せるようにしてきたんじゃないんですか? 賠償金が数十万だと弁護士が嫌がるとある政党の弁護士に言われたので、本当にそうなのかと裁判記録を閲覧しに行ったら、賠償金なしで家賃値上げに関する訴訟を見つけたので、その関係者に代理人も含め聞いてみた事もありました。 弱者救済と関係ない大きい事務所のようでした。原告側も被告側も不動産屋さんに弁護士を紹介してもらったと言ってました。
「収入あったら高貴」とか「いっぱい寄付したら高貴」じゃなくて、「社会貢献したら高貴」にもっとシフトしていけるといいねぇ。職業的にはただの営利企業で特別な社会貢献はしてなくてもいっぱい寄付したら高貴、でいいし、所得的に寄付はできなくても、社会が必要とする職業は高貴、でいいし、職業も所得も特別なもんじゃないけど、一生懸命ボランティアしたら高貴、でいい。そういうの、感覚的に変えていくのはどうしたらいいんだろうな。
吉野源三郎の君たちはどう生きるかを読むと日本もかつてノブレス・オブリージュはあったのかなと思う。というか金持ちも貧乏人も互いに尊重しあうべきって話だったと思うけど。
日本ってさノブレスな人たちに対してさえメディアがやたら悪く言うじゃん。もともとそれで溜飲が下がる人が視聴者層としてターゲットだったんだと思うけど「そうなのか!あいつら悪い奴だ!」ってなっちゃった人がいっぱいいるんだよね。
あとITってやたら持ち上げられる割にそれを商売にする人は軽視されてるし。
お金を持ってても尊敬されないどころか文句言われるならそりゃ社会貢献なんて意識はどんどんなくなってくよ。そんなのは金持ってるくせにわがままだって言う人もいるだろうけどどんなに金持ってたって所詮人間なんだよ。
たぶん一番いいのは、収入・資産の多寡に限らず寄付・社会貢献文化をつくることで、庶民でも社会貢献が普通なら、「金持ってる庶民」はもっと貢献すると思うんだよね。
ほんとにこれが一番だよね。
「みんなで寄付しようぜ!」って言われるほうが絶対いい。
で、いっぱい寄付したら「すげぇ!流石!」って言って欲しいじゃん。
きっと誰だってそうだよ。
本当に哀れなほど皮相な人間観だね。喜怒哀楽の波があってはいけないと?ふーん。
じゃあ例えば星野仙一とか金田正一とかは辺り構わずキレまくったりしてるわけだが、あれはかなり作ったキャラであるにしても、少なくともあれを見て星野仙一に「陰」のイメージを持つ奴はまあいないだろう。星野や金田は間違いなく「陽」側のキャラクターで、「陰」なのはむしろ喜怒哀楽を露わにしない野村克也とかだろう。幸せそうに「見える」のは星野や金田だろう。違うかね。
単に八つ当たりしてるだけじゃないの。これは「啓蒙」なの。おわかり?キレ口調も釣りが半分以上ってわからんかね。
ここまでばらしてやらんとわからんとはもはや哀れを催してきたが、ナチスなんて言葉をわざわざ題名に入れるのも半分「釣り」なの。ホッテントリ狙って取りにいってるの。
勿論、出生前診断がナチス的な行為であるというのは俺の信念であるしそれに対して怒りを持っているのも当然だが、それを抑制した冷静な口調で、例えば論文調で書いたとしてだ、それがホッテントリになるか。ならんわな。「長いので3行でまとめて」とかいう脊髄反射トラバが1個ついて終了だ。
ところがこうやって釣ることで、ブクマした人数だけで300人以上、実数で言えばもしかすると1000人以上に俺の主張を伝えることができたわけだ。はっきり言って類型的な主張だよ。でも、世の中あまりに無知な人が多いからね。この程度だけでも心の中に引っかかりを作ることができれば、あとは何かの機会に自分でどんどん学んでいってくれることもあるだろうしさ。そういうことだよ。
悪いけど、「ちょっと知ってる人にとっては常識だけれど世間では余りに知られていなくてトンデモが跋扈している話題」に心を痛めたとき、多少でも啓蒙活動したければ増田って凄くいい場所なんだよ。今年に入ってから増田にホッテントリ3つ載せて合計で1500ぐらいブクマつけられれてるよ。ちょっとした社会貢献になってると思うんだけれどね。それが自分のストレス解消も兼ねてるんならまあ趣味としては悪くないんじゃないかね。
「金儲けなんかより善いことをしたい、何か社会貢献をしたい」と思う自分がいる一方、
「善いことなんてどうでもいい、金儲けをして贅沢な暮らしをしたい」と思う自分もいる。
これはあくまでも一つの例であるが、このような自身に内在する一見矛盾した関係にある二つの自分の存在に対して自分は深く悩んでいた。
自分の軸はどこにあるのか?そんなに優柔不断でいいのか?というように。
そこで、悩みを解消すべく、この自己矛盾の正体について考えてみようと思った。
まず初めに考えたのは、
仮に自分を中心とした円形に広がる輪(自分→家族→友達→所属するコミュニティ→所属する組織→…という広がりをする輪)
があったときに、「内側から外側に向けて優先度をつけて物事を考えていく自分」と、
「外側から内側に向かって優先度をつけて物事を考えていく自分」という二つの自分がいるのではないか、
それこそ矛盾する二つの自分の正体ではないか、というものである。
しかし、すぐにそれは違うと思った。
そもそも「外側から内側に向かって優先度をつけて物事を考えていく自分」なんて存在しない。
時と場合によって自分と対象との距離が変化することはあるけれど、
人は、自分を中心に輪の内側から外側に向けてでしか物事を考えることができないからだ。
ただ、そこでふと思ったのは、中心となる自分がただ一つとは限らないということだ。
人は自分を中心に輪の内側から外側に向けて物事を考えるが、中心には様々な欲求を持つ自分がいる。
そして、何か物事を考える際、その時の自分の欲求によって判断基準が左右される。
食欲、睡眠欲、性欲、購買欲、顕示欲、愛したい欲求、愛されたい欲求、悪意、そして善意も欲求の一つであるが、
これら判断基準を左右する「欲求」こそが自己矛盾の正体なのではないか。
つまり「金儲けなんかより善いことをしたいと思う自分」と「善いことなんてどうでもいい、金儲けをしたいと思う自分」
が共存するのは矛盾しているわけでもなんでもなく、
そう思う自分にいたるまでに生じた欲求がその時々によって異なるから、ということである。
例えば、誰かから善意を受けたときに自分の中に同様の善意の欲求が生じ、
それが自身の全体欲の大半を占めた場合、「善いことをしたい」と思う気持ちが強くなる。
逆に誰かから悪意を受けたときに自分の中の善意の欲求が削られ小さくなった場合、
「善いことなんてどうでもいい」と思う気持ちが強くなる、という具合に。
ここではあえて「二つ」としているが、実際には欲求の数だけ異なる自分がいるのだ。
ある欲求が満たされると全体欲に占める割合が小さくなり、
代わりに違う欲求の割合が相対的に大きくなることでその欲求が強くなる。
全体欲に占める様々な欲求の割合の変化によって物事を考える際の判断基準にも変化が生じ、
なるほど、と自分の中で合点がいった。
そしてさらに考えた。
様々な欲求を持つ人ほど多くの自己矛盾を抱えるのかもしれない。
満たされない欲求の数だけ判断基準に変化が生じるからだ。
また、欲深い人ほどその自己矛盾に悩むのかもしれない。
満たされない欲求の分だけ判断基準が変化する頻度が増し、それに伴い、物事を不要に多く考えてしまうからだ。
「自分が様々な欲求を持っていて、且つ、欲深い人間だから」なのではないか。
あれもしたい、これもしたい、でも何も出来ない。こういった焦燥がさらに悩みを加速させている。
でも、それならば悩みを解消するのは簡単だ。
欲求が多様性に富んでいるにせよ、欲深いにせよ、一つ一つの欲求を満たしていけばいいのだ。
そうすれば自己矛盾は小さくなり、物事を不要に多く考えることもなくなり、悩みも減るだろう。
では、どうすれば欲求を満たすことができるか。
残念ながら今の自分では多くの欲求を直接満たすことができず、その前段階である「準備」しかやれることはない。
それが結果的には多くの欲求を満たすことに繋がるからだ。
つまり、少なくとも今現在の自分においては、勉強することこそが、悩み解消への一番の近道なのである。
このようなことを考え、勉強机に向かったのであった。
文部科学省は、国費を財源とする無利子奨学金の貸与を大学生らが受ける際の条件について、成績や世帯収入に加え新たに「社会貢献活動への参加」を追加する方針を固めた。
税金が入った無利子奨学金を受ける際の基準に社会貢献活動が追加されるというニュースだ。ツッコミどころがありすぎて何から始めたらいいか分からない程のダメさ加減だが三点ほど。
まずは、何度も指摘しているが、「奨学金」という言葉遣いだ。無利子奨学金というのはあくまで貸与であって、政府の補助は「無利子」の部分でしかない。はっきり教育ローンと呼ぶべきだ。
次に、この政策はその目的を果たすと思えない。
同省は、公費で学ぶ学生に社会還元の意識を根付かせたいとしている。
どうも希望と現実が混同されているようだ。社会貢献活動を義務付けると社会還元の意識が芽生えるというメカニズムを教えて欲しい。税金を払わせると寄付の心が芽生えるだろうか。
また、目的を達成するかどうか以前にその目的の設定に問題がある。奨学金や教育ローンの政策目的は社会的に望ましい(教育)投資に対して、補助金や流動性を提供することだ。決して「社会還元の意識を根付かせる」ことではない。条件・義務を増やすことはこの本来の目的に反するし、二つの目的があるとそれが達成されているかを測定するのも難しくなる。
ちなみにこのように一つの政策で複数の目的を達成しようという試みは、しばしばやりたいことがあるにも関わらず他人を説得できる策が思いつかないときに行われる。この場合であれば、「社会貢献活動を増やす」という目的があるのに、それを達成する有効な策がないために教育ローンという入れ物を利用している(どっかの外郭団体が無料ボランティアをほしがっているのだろうか?)。
社会貢献活動がそんなに重要なら、兵役のように全国民に義務付けてしまうこともできる(みんなが社会還元意識をもったほうがいいだろう)。それをしないのはそれだと支持を得られないからで、かわりに立場の弱い教育ローン受給者だけに絞ったのだろう。
最期に一文だけ繰り返し引用する。
成績や世帯収入に加え新たに「社会貢献活動への参加」を追加する方針を固めた
貧しい家庭の出身で一定の成績を修めている人にたった今から(!)社会貢献をしろと言っているようにしか読めない。よくもまあそんなことが言えると思う。
そういう意味では「医者から漫画家になった人」も、医師育成のリソースを無駄にしてるんだよ。