はてなキーワード: 無責任とは
交代で前線である程度ボールを収められる鎌田や堂安を下げた結果
三苫や伊東がサイドで高い位置でボールを貰えず同時に浅野が孤立して完全に攻め筋を失った
こっちは森保になってからこういう試合を死ぬ程見てるのでこうなるのも理解してた
戦術三苫と言えば聞こえはいいが、そのバックアップが無いのは最後まで変わらなかった
こんな事を4年間も我慢して見て来てんだよ、4年だぞ?
選手のキャリアの中でも貴重な4年、どれだけでも戦術を突き詰められる4年
それで本番で見せられたのは全てを投げ出した積み上げもない選手任せの博打
岡田の時代から直前で積み上げを台無しにしてるので、やってる事は何も変わってない
今日涙を流した三苫が無策である事を愚痴ってたのを知ってんのか?コーチ陣の無責任の結果PKはぶっつけの自己申告制で追い詰められて蹴らされた事を知ってんのか?
何が「PKの技術が無い」だよ、その技術以前の仕事にフロントがをもうずっとまともに仕事してないからこっちはキレてんだよ
W杯だけ見に来た連中は頑張ったって選手を労ってもいいが、采配や日本代表の方針については見続けてないなら黙ってろ
そもそもこの辺の人が本田△の時代から認識が変わってないので、今の日本代表は個々の力ならベスト8以上に十分届くのを理解してないのが最大の原因なんだろう
悪い報告は東リベ最終回を読んじまったってことだ
(上記から察することが出来ますが本エントリーは東京卍リベンジャーズに対しておおよそ肯定的とは言えないものです。ご了承下さい。)
あくまで私個人の意見だが、文句を言える作品は負の方向性であったとしてもそれだけ自分に響いたということなのである意味『受け取らせる力がある作品』だ、と私は思っている。
最新刊に追いつき、マガポケ単話購入で最新話に追い付き毎週読んでいた。
破竹の勢いで人が死ぬじゃん。
私は震えていた。
それでも彼等は彼等の成すべき事を成し遂げて、その積み重ねの果てにきっと彼等の信念や葛藤が報われる結末が見られる事を信じて読んでいた。
は?
それ以上でもそれ以下でもない。
視神経を通して脳に届いた東京卍リベンジャーズ最終回は、脳をそのまますり抜けていった。
文句さえ…出てこねぇ…。
あんなに魅力的だったストーリーもキャラクターも最終回ではスカスカのハリボテにしか見えない。
問題作でもなく、駄作でもなく、最終回を迎え幕を引いた東京卍リベンジャーズは私にとって『無』そのものになってしまった。
ロクな文句も出ないまま過ごしており、それ故にほぼ東京卍リベンジャーズという存在さえ忘れかけていた私はふと気がついた。
最初の頃、場地の親御さんはどれだけ嘆き悲しみ息子の様子を気にかけなかった自分を責めただろうと胸を痛めた。
ドラケンがこんな道を選ばず幸せに生きられるように養子に迎えてやれんか?とキモい庇護欲を湧かせていた。
要するに私は物語を楽しみつつも、彼等が未成年であることからどこか「保護者寄りの目線」で見ているところがあった。
キモいのは承知の上で私はみんなに幸せになって欲しかったし自分とは全く違う価値観で生きているみんなの幸せってどんなものだろうな、と悩んでいた。
ヤンチャして大人になって、物語としては旨味のない、数行のモノローグで説明できてしまうような人生を送って。
(勿論その全てに物語があるのは確かですが、東京卍リベンジャーズという作品が表現してきたものから逸れる内容ではあると思うのでこう表現しています)
私があの世界のみんなに望んでいた幸せをみんなは手に入れたんじゃないか?
伏線が回収されていなくても、武道とマイキーがやり直す前の世界であったことが無かったことになったとしても、私がみんなに望んでいたものをみんなは手に入れて、それを私は見届けることが出来たのに。
それを「無味乾燥」と一蹴してしまうって、なんか私って凄い無責任で冷たいやつじゃないか?
私は彼等を更生させる何かしらの人でもないしただ傍観しているだけの消費者なのだから、作品に対してどんな感想を持ったってそれは余程社会性を欠いていない限りは自由だ。
言ってしまえば「たかだか娯楽にそこまで真剣に向き合う必要無くない?」という話である。
でもさあ…素直に「みんなお疲れ様!おめでとう!先生もここまで描ききってくれてありがとう!この作品に出会えて良かった!」って言えないのほんと悲しいんだよ…自分が言ったことの責任も取らず、向き合う気にさえなれないのがめっちゃキツいんだよ…
フェリーズナヴィダーターッス
本日は世界エイズデー、日本では鉄の記念日、映画の日、いのちの日、デジダラ放送の日など色々ございます。
いよいよ十二月になりましたが皆様今年は特に何もありませんでしたか?
何かありましたか?なんて言ったらあるのが当たり前みたいじゃないですか、あなたが無事ならそれでいいんだと思いますよ。
仕事上の失敗だって取り返そうと思えばきっと取り返せるはずさ、きっと、多分、ですし。
日常生活での失敗も言わずもがなです、傷口に塩を塗ることもままあります。ここで安易に回復出来るとか言わないのは匿名サイトの無責任さからです。
ともあれ生きてなければどの方向にも進めようがないので、生きるという苦しみを抱えながらここまで来れたあなたはすごいなぁと思います。
どこかでこの苦しみから解放されるのか、それともこれがデフォだったのか、更なる負荷が未来に待っているのか、わかったもんじゃありませんが
まぁ、なんとかなりますよ多分。なんとかしますよ未来のあなたが。
なんて、コレを書いてる自分自身に向けて書いてるのかもしれません。
いやぁ、えらいなぁ自分。
ということで本日は【負荷のかからない持ち方よいか】でいきたいと思います。
これはほんとうに無責任な意見なんだけどろくに社会保険も払わずにふらふらしてる少女に軽い気持ちで政治活動参加させるの別に良くない?思想への影響より政治に参加するという行為に価値があると思うわ
私はOfficial髭男dismの『115万キロのフィルム』に酔っ払っている人が苦手だ。
とだけ述べると意図を曲解される可能性が大いにあるため、まず前提を箇条書きする。
・Official髭男dismのファン全般への批判でもない
・あくまで「『115万キロのフィルム』に酔い切っている人」が苦手であるという話
これらを踏まえて読んでいただければ幸いだし、前提の時点で不快感を覚えた方は他の記事を楽しんでほしい。
Official髭男dismは私も好きなバンドであり、なんなら仕事柄よく聴く方だ。
今回匿名でこの記事を書いているのも、仕事上の公平性を保つ必要があるためである。
昨今のインターネットはとかく極論に取られがちなので、念入りに書かせていただいた。よろしいだろうか。
ロックバンドOfficial髭男dismの人気曲で、カラオケはもちろん結婚式などで頻繁に使われている。
「僕」の一人称視点で語られ、恋愛や人生を映画に喩えた世界観に仕上がっている。
あまりの人気曲である故か、この曲に苦手意識を感じる人間などこの世に存在しないと信じ切っている者たちである。
こちらが「あまり好きじゃない」とでも言おうものなら説教する勢いでこの曲の魅力を滔々と語り、散々論点をズラした挙句「お前がひねくれてるせい」で締めることが大半。
3.「『115万キロのフィルム』に酔っ払っている人」は歌詞を冒頭から終わりまで語りたがる
酔っ払いがこの曲について語るとき、たいがい当然のように歌詞の「僕」=自分だと思っている。
曲の構成上それは構わないのだが、厄介なのは聞かされる側に「君」への感情移入を半ば強制することだ。
「こうされたら嬉しいだろう?」「こんな喩えをされたらときめくだろう?」、聞かされるたびにこちらは凄まじい同調圧力に「ソウデスネ」と答えるほかない。
このプレッシャーと並行して、なぜか酔っ払いは歌詞の「うまいこと言っている部分」をあたかも自分の手柄のように振りかざしてくるのだが、このコンボ効果がこちらの疲労を促進する。うまいこと言っているのは酔っ払いではなく髭男である。
更に、その場がカラオケであった場合は最悪の状況を想定しなくてはならない。心を込めてこの曲を歌われた日の夜、私は自室で爆音のバカサバイバーをループしながら頭まで布団を被って寝ることになる。
私は世間一般でいうところの「非恋愛体質」にあたるだろう。人付き合い自体はそれなりにするが、恋愛対象として接されると途端に回れ右してしまうタイプだ。
多くの場合、恋愛とは相互干渉の状態を指す。心を尽くした分リターンが欲しいという恋愛人が大半ではないだろうか。もちろんそうでない人もいるだろうが、私は毎回「期待されるだけのリターンを与えられない」ので交際そのものを長らくしていない。
そんな考えの人間が『115万キロのフィルム』を聴くと、置いてけぼりになるのである。
ここからは歌詞を抜粋して追いながら、具体的に[]で心情を綴っていく。
これから歌う曲の内容は僕の頭の中のこと
主演はもちろん君で[脳内で主演にされていたことに慄く] 僕は助演で監督でカメラマン[少なくとも「僕」が3人いる撮影現場を想像して慄く]
くだらないなと笑ったんなら[ついていけていない] 掴みはそれで万事OK![ついていけていない]
呆れていないでちょっと待って きっと気に入ってもらえると思うな[「気に入ってもらえる」から既にリターン圧を感じる]
ここまでのダイジェストを少しだけ見せるよ[もうダイジェスト版があるんだ…]
初めて喧嘩した夜の涙[のっけから喧嘩シーン] 個人的に胸が痛むけれど[心の準備をする予告編がほしかった]
ほら ここで君が笑うシーンが見どころなんだからさ[「ほら」で自分の顔を見せられるのか] ah[ご満悦なところ申し訳ないが]
どれかひとつを切り取ってサムネイルにしよう[やめてほしい] とりあえず今のところは[助演の顔に挿げ替えてほしい]
きっと10年後くらいにはキャストが増えたりもするんだろう[出産前提の圧を感じる]
今でも余裕なんてないのにこんな安月給じゃもうキャパオーバー![だから助演で監督でカメラマンを一手に担っていたのだろうか]
苗字がひとつになった日も[どちらの姓を前提にしているのだろうか]
今 目を細めて恥じらいあって永遠を願った僕たちを すれ違いや憂鬱な展開が引き裂こうとしたその時には[どう解決するのだろう]
僕がうるさいくらいの声量でこの歌何度も歌うよ[??!!!?!!!?!?!!?]
クランクアップがいつなのか僕らには決められない だから[またうるさいくらいの声量でどうにかしたらどうしよう]
風に吹かれていこう[……?] (風に吹かれていこう)[誰?!]
フィルムは用意したよ (フィルムは用意したよ)[3人の「僕」でやっているのか?すごい絵面だ]
一生分の長さを ざっと115万キロ[80年分もフィルムに先行投資するから安月給でキャパオーバーしたんじゃなかろうか]
撮影を続けよう この命ある限り[先80年分のリターンを見積もって胃が痛い]
5.結論
何も否定していないのに、一方的に捕まえてこちらの考え方をなじってくる酔っ払いが多すぎる。
恋愛体質でない人間に当然の感動を強制するのは、あまりに楽曲任せで無責任だ。
『115万キロのフィルム』の「僕」と「君」が成立するのは、二人に明確な信頼関係が確立している場合のみである。
もっと言えば、夜景もディズニープロポーズもバラの花束もフラッシュモブもお姫様扱いも、万人が喜ぶ演出ではない。
大切なのは相手の好き嫌い・性質を把握することであり、ロマンティックな演出も独りで酔っていてはまるで意味がないのだ。
当たり前だろ、お前みたいなつまんねぇ女と誰が付き合うんだ?結婚するんだ?
仕事上の付き合いでお前と関わってて、総合的に気分が上向くことネンだわ。
微妙に癪に触るような物言いといい、返事しづらい話題といい、なんとなく無責任な主体性のなさといい。
お前みたいなつまんねぇ女と付き合っても楽しくネンだわ。
お前と同居するとか考えられネンだわ。
顔とかスタイルとかじゃネンだわ。
一緒にいて気分の上下が差引でプラマイゼロが結婚の最低ラインなんだわ。
お前みたいな、日頃の言動や態度からツマンネェところが滲み出てる奴は人付き合い向いてねぇよ。
結局、そういうところの積み重ねが所謂日頃の行いの良し悪しとして返ってくるんだわ。
他責にしてチクチク口撃すんのやめろ。
その返事で相手がどう感じてるか考えろ。
男も女もねぇだろコイツ。
あー面白くねぇ奴。
「リベラルはなぜ嫌われるのか?」は、端的に言えば「進歩的な考えは旧弊な価値観の人間には嫌われる」というだけの話なので、所謂リベラルは一切気にする必要はないと思う。
「リベラル」の定義は色々あるが、「リベラルはなぜ嫌われるのか?」ということを言う連中は「リベラル=進歩的思想・左派」と言う意味で使っていることが多いので、ここでもそれに従う。格差や差別を容認し価値観を無責任に相対化する新自由主義(ネオリベ)は含まない。
嫌う人はリベラル(進歩的思想・左派)を嫌うだろうが支持する人はリベラル(進歩的思想・左派)を支持する。
「リベラルはなぜ嫌われるのか?」を気にする国民民主党より、筋を通す立憲民主党や共産党の方が支持率は高い。
立憲民主党についても「提案型野党」などと称した泉代表の現在より、与党との対決を明確にした枝野代表時代の方が支持率も得票率も高かった。
リベラル(進歩的思想・左派)は嫌われてナンボや。ネトウヨや差別主義者からはむしろ嫌われた方がいい。そのほうが支持率も得票率も上がる。
途中までは楽しく見てたんですよ、いきなりのティ・チャラの死の喪失感から始まってタロカン帝国の壮大さ、シュリをはじめとして活躍するのはほぼ女性キャラ、こんなに充実していていいの?というくらいのフェミニズム描写
キルモンガーの登場や、復讐心を乗り越えて前に進もうとするシュリには感動した
それがずっこけたのはスタッフロールの途中で唐突に出てきたナキアの息子
最初は養子の可能性も考えたが、残念ながらティ・チャラの実子で間違いないらしい
まさか「女の王は中継ぎ!男系男子こそが正当な後継者!」なんて話をフィクションの中でまで見せ付けられるとは…
つい先日イギリスのエリザベス女王が惜しまれつつも亡くなった記憶が新しいのに、なんで映画の中で今更こんな古臭い描写?
作中でも女性が王になる事への反対意見とかがあった訳でもなく、みんな当たり前のように女王を受け入れていたのに
スタッフロールをぶった切ってこの唐突な男系男子至上主義描写。
ていうかナキアがティ・チャラの子供を産んで、ティ・チャラもそれを承知でハイチでナキア一人で育ててましたって
父親が甥を見捨てた事に憤ったティ・チャラとも思えぬ無責任さ。
育児放棄のクソ親じゃん…
恋人に子育てを全部任せて、母親や妹には王位の面倒なところを押し付けて、自分と同じ名前の息子が正当な王位継承者ですって?
ティ・チャラ役のチャドウィック・ボーズマンって確か、結婚はしてても子供はいなかったと思うけれど、彼に対してもあまりに失礼じゃないだろうか?
ラストの「ブラックパンサーは帰ってくる」って、ティ・チャラの息子を指しているとしか思えないし
要はシュリは正式なブラックパンサーじゃなくて女王は中継ぎに過ぎないって事だよね?
アフリカ系の人達ってなんだかんだで異性愛至上主義かつ男尊女卑の保守的な人が多そうだから、その辺の人達に受け入れられるようにした結果なのかね。
異性愛なら普通にリリのポジションを年頃の男性キャラにして、シュリの婿として迎えられて二人の子供が後継…みたいな感じじゃいけなかったのかねえ
とにかく絶対に男系に拘りますとでも言いたげな製作陣の態度に、秋篠宮妃が突然第三子を妊娠した時の事を思い出したわ
もうシュリはネイモアと組めばいいんじゃないかな…ネイモアの言う通り、マジでシュリが孤独で気の毒になった
対等な友達になれそうだったリリも結局出て行っちゃうし、愛する兄は自分達に内緒で子供を作っていた事が明らかになるし。
こりゃあ闇落ちしても仕方がないわ
幼少期から愛情を注がれて、不自由のない生活をさせられて、生まれてきて良かったと思い続けられるような子供はまだいい(それですらたまたま幸せになれたという結果論でしかないが)。
碌に育てる体制もないのに無責任に子供を作り出し、不幸に陥れる親のなんと罪深いことか。
今の日本ではあまりないが、労働力や介護要員として子供を産むなんてもはや論外だ。
ペットを無責任に飼育放棄するななどと話題になるが、犬や猫よりずっと頭が良い人間の場合、それどころではないくらい重大な問題なのではないか?
これは許されないことだ。