はてなキーワード: 泥棒とは
「…ん?」と思った点
じゃじゃ馬なこの子。Chromebookと接続すると…
正常に動作しないAndroidアプリがある(すべてブラウザ版で代替可能)
接続するごとに解像度が変わる(1280と800を行き来する)
モニターへ直接給電しながら接続するとChromebookへも給電できる(低速充電)
Chromebookがスリープ状態でもなぜかすべての操作が可能
etc...(今後もいろいろ現れるでしょう)
https://koabe-cycle.hatenablog.com/entry/chromebook_dualdisplay
説明はめんどいのでWikipediaのリンクを https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%AD%A3%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BB%AE%E8%AA%AC
要するに「因果応報」「正直者は報われる」「最後に愛は勝つ」「お天道様は見ている」「罪のない犠牲者」ってヤツを哲学的に解説したものだ
良いことをすれば報われて、悪いことをすればバチが当たるという、よくある話
で、人間はコレを使って人を殴り殺すことが大好きだ
いじめられっ子に「いじめられるやつにも原因がある、加害者ばかり責めるな」「お前が不快だったからいじめられたんだよ」
泥棒に入られた人に「セキュリティ意識がなってなかったからこうなった」「わざわざ金があることを自慢してたから盗まれた」
たくさん頑張ったけど結局報われなかった人に「努力不足」「お前が人より劣った存在なのだから当然」
スマイリーキ○チや木○花に「そういう振る舞いをしてたからネットリンチされても仕方ない」「原因は自分にあったのにいつまで被害者面してんだ」
レイプ被害者に「夜道一人で歩いてたから悪い」「肌出して誘うような服装してたから悪い」「レイプ被害者にクンニ✋👁👅👁✋」と抜かすのはよくある事
よく見るよね、ここでも、ここじゃないサイトでも
特にお前らこういう理論大好きだよね、被害者という殴り返してこないサンドバッグをボコボコにするの
で、過去にこんな事があって、今もこんな事があってる
「○○という病気に罹るのは、そいつが過去になんかしたからだ、天罰だ!」とね
病気に罹らないように最大限努力し自重しても、罹ってしまうときは罹る
ほんの数分間、食料無くなったのでコンビニにマスクつけて行きさっさと買うもの買ってからまっすぐ帰って来ても、罹る
そして罹ったらお前達を始めとする無数の匿名、そして警察を名乗るバカ共(お前らのことだよ自粛警察、聞いてんのか!?)にブッ叩かれ、晒され
挙げ句「遊んでたからそうなったんだろう」と指をさして悪人に仕立て上げる
外で働かないといけない人や、どうしても在宅勤務が出来ず仕方なく職場に出向くしか無い人だって罹る
当然叩かれる、この場合差別が大好きなお前らを始めとする匿名は「そんな底辺職(底辺ポスト)だから悪い、ちゃんとしてればテレワークできる」とか付け加えるね
そうやって、被害者を悪人に仕立て上げる哲学が公平世界仮説っていうクソみたいな理論だ
「いい人だから報われ恵まれ幸運を得られる、苦しむ人や不運な人は逆説的に悪いやつ」という大きな大きな棍棒で、"悪いやつ"をミンチになるまで殴って殴って殴る
そんなクソみたいな理屈だ
昨今の新型コロナの蔓延を機に、在宅勤務ができるできないという話が盛り上がっている。その中の「在宅勤務だと社員がサボるのではないか」という議論がどうしても理解できないでいる。ネットで少し検索すると、在宅勤務で部下がサボるのではないかという上司の懸念、在宅勤務でサボったことがある人のアンケート、在宅勤務でサボりを監視するためにマウスやキーボードの稼働状況やカメラで映像を撮る製品など色々な話題が出てくる。これらの話を見聞きしてずっと疑問だったのが、果たして在宅勤務で「サボる」ことはそもそも可能なのだろうかということだ。
少し自分の話をすると、自分はB2BのIT企業に勤めており、新型コロナの騒ぎ以降ずっと在宅勤務をしている。自分の勤め先において従業員がサボることを気にしているという雰囲気はまったくないし、いわゆるサボり監視の仕組みも導入されていない、と思う。秘密裏に導入されている可能性を否定はしないが、少なくとも自分はPCの前から長時間離席することもそれなりにあり、それについて咎められたことはないし、勤め先のカルチャーから考えても、こっそりそういうソフトウェアが導入されている可能性はかなり低いと考えている。
話を戻して、このような環境でサボることがそもそもできるかというと不可能である。自分の仕事は法人顧客対応、上司から指示された各種社内の取り組みの推進だが、仮に自分がサボってパフォーマンスが低下したとして、遠からず顧客は営業なり上司なりにクレームを入れるだろうし、上司は依頼した取り組みや作業が進捗していないことに気づくだろう。そのような状況では事後的に顧客クレームも上司の叱責も受け入れるという覚悟なしにサボるのはそもそも不可能である。自分はどちらかといえば技術職だが、同僚の営業職にしたって、サボれば四半期の数字が達成できないという形で遠からずパフォーマンス低下は露見するだろう。
仕事をサボるというと自分がイメージするのは、たとえば5人で回している小売業で、1人が店の裏でタバコでも吸いながらスマホをいじっていたりする光景である。これはうまくやれば残りの4人には気づかれないかもしれないし、事後的に売上の低下から特定の1人のサボりが露見する可能性も低いとは思う。こういうことが起こりうる仕事において、サボりに対する懸念が発生するというのは理解できる。
だが、在宅勤務は話が別だ。在宅勤務をしている時点でそもそも在宅で勤務できるようなデスクワークなのである。デスクワークをする従業員に対してサボる懸念が生まれるという理由の想像がつかない。マウスやキーボードやカメラで従業員を監視するというのはそもそもおぞましいし、従業員がサボることが不安で在宅勤務に踏み切れず出社させる会社というのも、一体具体的にどういうケースを心配しているのかが分からない。
自分はB2BのIT企業にしか勤めた経験がなく他の業界を知らない。在宅勤務可能な仕事で、かつ直接的な監視がないと会社にばれることなくサボれてしまうケースの具体例に興味があり是非知りたいと思う。
結構コメントをもらえてありがたい。けど、今のところしっくりくるサボりの具体例はまだ誰も挙げていないのかなと思う。ただ、よくよく考えてみると、もしかしてこれは「サボる」の定義が人によって違うのかもしれないと思うようになった。
自分はサボるという言葉を何らかの基準において仕事のパフォーマンスが低下するという意味で使っている。その意味ではアニメを見ながら仕事していようが、就業時間中に2時間桃鉄に興じていようが、結果としてアウトプットのクオリティが変わらないなら、自分はそれをサボっているとは呼ばない。「在宅勤務 サボり」の検索結果を読むうちに、世の中の相当の割合の人間が、サボるということを仕事のパフォーマンスが低下することではなく、仕事に取り組む姿勢そのものがだらしないという意味で使っているのではないかと思ってきた。その意味では、たとえ成果が変わらなくても2時間の桃鉄している時間は正真正銘サボっていることになる。昨今議論されている在宅勤務でサボるかどうか問題は、仕事のパフォーマンスの話というより、むしろ道徳とか規律とか精神性に属する話なのかもしれない。
サボっても仕事は減らないし、締切も待ってくれない、何より時間かけて成果物がしょぼいと評価が下がるのでサボるメリットがない。結局別の時間でやることになるだけ。
言い方は違うが自分が言いたかったことを端的に表している。同感。ちなみに自分は有給休暇についても同じ感覚を持っている。
①そもそもコロナ影響で全体が悪化していると、個人業績を平時と比べるのが難しいこと(営業職など)②サボらなくても結果が出にくく、短期での成果の定量化が難しい職種があること(研究職など)。
②については確かに在宅勤務でサボるというケースがあるかもしれないと思った。ありがとう。ただ、研究職に従事する人はかなり少ないと思うので、世の中的に研究職を念頭に「在宅勤務は従業員がサボらないか心配」と考えてるわけでもないような。
“遠からず顧客は営業なり上司なりにクレームを入れるだろうし、上司は依頼した取り組みや作業が進捗していないことに気づくだろう” この仮定が多分間違ってる。
自分が知りたかった疑問はまさにそこで、この仮定が当てはまらないケース、つまり在宅勤務でサボっても誰にも気づかれない仕事の具体例を是非教えてほしい。
労働者は文字通り「労働時間」を会社に売ってるので、その売ったはずの時間でゲームやってたら重大な契約違反だと思うんだけどな。サービス残業が泥棒なのと同じく、サボりも泥棒よ。
このコメントにはハッとさせられた。長時間労働も残業も基本的に評価されない会社に勤めていることもあり、自分は労働の時間ではなく労働の成果を会社に売っていると思っていた。だけど確かに成果などとかっこつけたところで法的には時間を売っているに過ぎず、寝てたりゲームしてたりしたらサボりというシンプルな定義もありうるかもしれないと思った。この定義で行けばキーボードだのスクリーンだの映像だので監視するというのも一応筋は通ってる。ただ、従業員がサボらないか心配する企業 = 労働時間主義の企業ってことになるのだろうか。成果主義を謳いながら在宅勤務で従業員がサボらないか心配する企業というのはないのだろうか。
自分としては腑に落ちるコメントがあったので、これを最後に紹介して追記を終えたいと思う。教えてくれた人ありがとう。あと研究職について「確かに在宅勤務でサボるというケースがあるかもしれない」というコメントは良くなかった。気を悪くされた人は申し訳ない。自分が言いたかったのは、「自分の定義する意味でのサボりという観点で、研究職であれば理論上は在宅勤務でサボることができうる」という可能性の意味であって、研究職がサボってるとかサボりやすいとは全く思ってない。
https://anond.hatelabo.jp/20210115063653
あと、上のように仕事掛け持ちなので、特定の仕事のパフォーマンスが下がっていても、他のプロジェクトで頑張ってるせいかとか見えないような形になっていて、全体を通してどのようなパフォーマンスなのかとか、全然外から見えないような不透明な働き方をしている
これは思いあたることがあり、自分の勤め先には、社内の複数の部署の人から相談されるようなある役割の人がいて、この役割はどの部署からも「あの人は色々な部署から相談がきて忙しいから反応が悪くてもやむをえない」と思われている。だから多少仕事が遅かったりクオリティが低くても、しょうがないと思われている。何を言いたいかというと、社内の関係者に仕事の全体像を知られなければ、クレームという形でパフォーマンス劣化が露見することはないのかもしれない。
これ以外に、法令遵守とか資料の確認系の仕事だとサボりが発生しうる、みたいなコメント見た気がしたのだけど見失ってしまった。この場合も納得感があり、そもそもの発生率が低いミスをチェックする役割などは、パフォーマンスの劣化という形で事後的にサボりが露見する可能性は低そうだなと思った。
アメリカや西側諸国を皮肉る愛国中国人風刺絵師が描いたトランプ支持者による米議会襲撃事件の風刺絵
オーストラリア軍のアフガン人虐殺事件の風刺絵を発表して中豪間で国際問題となった例の烏合麒麟さん
新图三权分立 记录一下荒诞但真实的历... 来自乌合麒麟 - 微博
https://weibo.com/1566936885/JCugXts0m?from=page_1005051566936885
絵には「Thief(泥棒) Mob(暴徒) Murder(殺人者)」と書かれてる
泥棒は政治家を表し、男性は憲法で顔をガードしながら暴徒(トランプ支持者)から、後ろの女性は死者から票を盗もうとする様子が描かれ、
暴徒はそのままトランプ支持者の侵入者のことで、プラウドボーイズの旗を持った男らが米下院議会の儀仗を凶器にし政治家に襲いかかり、
殺人者はピストルを構える警察で、すでに一人撃ち殺した死体が星条旗で隠されている(死体はトランプを表し、かたわらにはTwitterの凍結画面が表示されたスマホが落ちている)
壁に空いた4つの銃痕は、当初報じられていた事件による4人の死者を表す(後に5人目の死者が発表される)
また作者は意図的に票を盗む政治家に赤いネクタイをさせ、トランプ支持者に青い衣服を着させて、共和党と民主党のシンボルカラーを逆転させている
ただ適当に流れで雰囲気に任せてしようとするやつはセックスをちゃんと遊びでスポーツみたいなもので、なんて考えてないやつだからやらなくて正解だよ
遊びじゃなくてだいじなものだと考えてるやつが明確に内容を確認せず流れで適当にする訳はないので、あわよくば人が持ってるお宝をかすめ取れたらいいなって思考してる泥棒みたいなゲス野郎だよ
遊びやスポーツ感覚なのだったらまずルールやフィールド確認して楽しめるかどうか確認するはず
有耶無耶に一人勝ちするために初心者狩りしてるようなやつも最低のゲス野郎なので無視でよし
大事なものだって価値観でも大丈夫だし価値観同じ人と時間をすごしていくのがいいよ
遊びを知ってる人に遊び方を教えてもらうのもいい
中途半端に自分だけ楽しむために常識とか雰囲気とか一般とかみんなとかそういうもんじゃんって他人の尺度でことを済ませようとするクズはすぐに縁を切るのがよいよ
「泥棒というクソワード!キィー」とかいいだしたらやっぱそうだろうね
泥棒扱いされたら抗議すればいいし警察に通報されたら警察に泥棒でないことを説明すればいいだけなのになんで言葉のせいにしておわらせようとするのかこの手のキチガイは
「加害性ということばを使う人」に申し上げたいことがあります、じゃなくてどうして「加害性そのもの」がクソワードってことにしようとしてんの
おまえらはそのクソワードをつかって加害性なんてもっていませんって真っ向から説明すりゃいいんじゃないの
加害性を狩って「んあ~、あれ、その、アレをオレはもってないので」っておどおどしていたいのか
音を立てないよう細心の注意を払い、そーっと閉める。
次に洗面所で手洗い。ここは楽勝だ。ドアさえ静かに閉めれば気づかれない。
階段を登ると一番の難関が見えて来る。
そう、幼児用の開閉式ガード柵だ。
開けるときはいいが、閉めるときはかならずカチャンと音がしてしまう。今のところ1勝8敗くらい、負け通しだ。
ゆっくりゆっくり閉めるが、無情にもカチャンという音が鳴ってしまう。
気づかれてしまった…。
「今のはじいじだよ」とごまかしてくれる母や姉の声を聞きながら、部屋で着替えを済ませ、リビングに合流。
なぜこんな泥棒ミッションをしているかというと、先日帰宅して、うちに来ていた姪っ子と遊んでから着替えに退出したところ、大泣きされたのである。
なので中座しないでもいいよう、部屋着に着替えた上で合流したところ、帰宅に気づかれていたのでこれまた大泣き。
先週はブルマーの紺色の起源について調べた。ブルマーはアメリカでも紺系統の色だったが、現在の色になる過程で日本の伝統色の影響を受けた可能性について検討した。本記事では、臙脂色・小豆色・赤色のブルマーがいつごろから存在しているかについて調査する。また、他の色のブルマーについての情報があった場合はそこにも触れる。
主として https://www.buruma-joho.com/という個人サイトに掲載された、映画やドラマに出てくるブルマーの色について調査し、おおよそ何年までさかのぼれるかを検証する。ただし、あまりにも近い年代のものは省いた。すべてを引用しても年代の特定の役には立たないし、2000年以降のブルマーはほぼファンタジーに属するからだ。ブルマーにまつわる映画作品を網羅したい方は、ぜひ上記サイトをと参照していただきたい。どうして個人の記録ではなく映像作品で確認するのかといえば、ブルマーが日常的に存在していた当時の映像作品には、コスプレ的で奇抜なブルマーは出てこないと考えられるからである。また、個人のサイトやツイートは消える可能性があり、文字による証言だけだと正確さが担保できないためである。また、盗撮画像を使うわけにはいかないのはもちろんだ。
なお、バレー部のブルマーとそのほかの学生のブルマーについては、分けて考えたい。
加えて、プロのバレー選手の映像は多くなるので、赤ブルマーについては泣く泣く割愛した。
「オシャレ泥棒」1989年 https://www.youtube.com/watch?v=COpUgdGuoLE
「としごろ」1973年 https://www.youtube.com/watch?v=zRDoJFgS_wA
「青春の構図」1976年(女子大生。乳房の露出があるので直リンはしていない。各自で探してください)
「燃えろアタック」1979年 https://www.youtube.com/watch?v=qHFnZx0LT6Q
「転校少女Y」1984年 https://www.youtube.com/watch?v=li46Tlzuz_w&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=37
「挑戦」1963年 https://www.youtube.com/watch?v=krbJ1MBYXTo&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=5赤、青、緑三色のブルマー。
「典子は今」1981年 https://www.youtube.com/watch?v=Eh-8MVOJ6Ig濃緑で、芋ジャージの緑とは違う。障害者の社会参加を訴えたドキュメンタリー。
「蘇れ魔女」1980年(バレー選手)。Youtubeに動画はあるが緑ブルマーは確認できず。
「時をかける少女」1983年 ttp://wainn.jugem.jp/?eid=1364
ところで、先ほど両腕のない女性の映画を紹介したので、せっかくだから話そうと思う。以前NHKで「アニ×パラ」と称して https://sports.nhk.or.jp/paralympic/video/81d717ec76b544d8922c17f10889dee6/ 車いすの少女が陸上選手になるショートムービーを放映していた。また、警視庁か何かのポスターでも、ブルマー姿の義足の選手が被写体として用いられていた。義足の陸上選手を扱ったポスターはイラストも実写も検索すればいっぱいあるし、中西麻耶選手はセミヌードも披露している。
僕は素直に美しいと思ったし、義足の機能美にも魅力を感じた。義足は隠すべきもの、障害は隠蔽すべきもの、そうした空気がなくなっていくのを感じるのは、僕としても嬉しい。しかし、そこに難しさがないわけではない。美しいと思うこと、セクシーだと思うこと、障害者に対する態度、こうした扱いの難しい問題がぎゅっと凝縮されているからだ。障害のある選手が自分の身体や努力を誇りに思う気持ちと、そうした選手に憧れ、称賛すると同時にどうしてもブルマー姿に萌えてしまう自分の率直な気持ちとの間に、どのように折り合いをつけていくか。あるいは、特にアスリートではない障害者に対してどうふるまっていくか。特段「美しい」わけではない多くの障害者にどんな態度を取るか。様々な障害を抱えた人々と関わりながら生きていくうえで、考え続けばければならない問題だ。麻痺した身体を公共の場で堂々と見せた、とある活動家のことを思い出す。特段「美しい」わけでなく、それどころか「痛ましい」という印象すら与えてしまう身体。痛ましいと思うのはこちらの上から目線だが、スポーツで称揚される「美しい」身体とは別の身体が、隠蔽されてはいないだろうか。
今の職場は身体障害や聴覚障害のある人、あるいは精神障害のある人と働く機会があり、毎日が学ぶことの連続である。意外と「普通」だなと思ったり、逆に思いがけないところにつまずきポイントがあったりで、どうやったら一緒に働けるかは調整の連続だ。でも、いろんな人と働ける機会があると、気づかなかった偏見から自由になれる機会も多く、ダイバーシティってそのためのものなんじゃないかって思う。みんな仲良く、というきれいごとよりも、もめたり話し合ったりして、どうやったら一緒にやっていけるかを考えるのがきっと大事だ。そうしたら、道ですれ違った障害のある人により上手に配慮できるんじゃなかろうか。
本当のバリアフリーとは、障害があっても普通に隣で働くことだけでなく、ブルマーと義足の組み合わせに何の屈託もなく素直に萌えることなのか。茶化したような問いだが、パラリンピックにおける障害のある身体の宣伝的な側面も含め、真剣に考えたい。パラリンピックに出ることのない、大多数の障害者はパラリンピックをどう感じているのだろう?
前回の記事では、スク水がハイレグ化した90年代(ttps://www.footmark.co.jp/about/id001575.html)に臙脂ブルマーが生まれたのではないかと推測していた。だが、実際にはそれ以前に臙脂ブルマーは存在していたことが確認できた。その後、バレーボール選手のブルマーが学生のブルマーに影響を与えたのか、さらにブルマーの色が自由になる雰囲気があり、それが同時にスク水のハイレグ化を生んだのか。おそらく前者は正しいと推測されるが、後者の確証はない。そして、ファンタジーだと思っていた白ブルマーの存在も確認した。
今後は、同じ赤色でもどのような幅があったかについて調べたい。臙脂、赤、小豆色は少しずつ色が違う。現に、個人がアップロードした写真には、蛍光色に近い青・赤・緑のブルマーが確認できるものがあり、上記映像作品には登場しない色のブルマーが一定の範囲で分布していた可能性が検討できる。また、企業の公式情報や新聞紙などの証言から上記内容を補足し、フィクションからのデータだけに頼らない、実際の臙脂ブルマーが誕生した年代についても調べたい。新聞は白黒が多く、苦労しそうではあるが。
さらに、イギリスなど諸外国には赤ブルマーがなかったかも調査せねばなるまい。
加えて、身体障害が憐れみの対象やスティグマではなくなっていく過程についても気にかかるところである。美しかろうがそうでなかろうが、「健康」であろうがそうでなかろうが、そして「猥褻」であるかどうかにもかかわらず、自分の身体を見せる権利を改めて問い直したい。