2013-07-18

◯◯でよろしかったでしょうか

2chまとめで話題を見かけたので思うことを書く。

自分は、言葉は変遷していくものなので別にいいんじゃね?派なんだが、それはさておき、気になったのは「よろしかった」という過去形おかしいだろ、という文法的な指摘だ。でもこれ、文法をもちだすのなら、むしろ逆に納得のいく説明ができる。

動詞に「た」をつけた形は、「過去形」ではなく、そのまんま「た形」と呼ぶ。なぜそう呼ぶかというと「た」がつくのは過去に限らないからだ。

「た形」のもうひとつ重要な使い方は仮定法。「もし明日雨が降ったら」というときの「降った」が過去のことを指していないのは言うまでもない。そして、この点、日本語英語は似ている。英語でも仮定法では過去と同じ形の動詞をつかう。

さらに、仮定法と丁寧な言い回しに密接な関係がある。英語で Would you like ~ というときwill過去形である would を使っているのはもちろん過去からではなく、これは仮定の語気を含んでいるからだ。「もしあなたがお望みであれば〜」というニュアンス。「私の押し付けではなく、私にはあなたが何を望んでいるのかを断定するつもりはなく、あくまであなたが望むなら」という気持ちがこもっている。それがひいては「丁寧な言い回し」となる。

というわけで「過去形」「仮定法」「丁寧な言い回し」の間には、密接な関係があって、それは日本語にも英語にも通じる。たぶん、言語を問わず人間が生まれもった言語論理自体にもともとそういう類似性が含まれているんだと思う。

よろしかったでしょうか」という言い方を使う人が「よろしいでしょうか」をすこしキツいと感じているとすれば、それは上記のような理由。人間言語能力的に、必然的な感覚なんじゃないかな。

  • 注文を確認しているのは店員側で、 客が「よろしい」かどうかを判断できるのは確認されている今現在しかありえないから 「よろしかった」はおかしい、というだけの話。 よろしいか...

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