2013-07-27

「前に出る」と「木に登る」

特定の技術に深く通じたエンジニアは、経験を積むことで「専門家」と呼ばれるようになる。様々な技術に通じたエンジニアは、経験を積むほどに「便利な人」へと変貌していく。

身の振り方には「前に出る」方向と「木に登る」方向とがあって、一般的技能を広く身に着ける場で働いている人は、そこから先はどの方向に舵を切るのか、早めに考えておいたほうがいいと思う。

価値の見せかたには「薄利多売」と「高価格品質」、「ユーザー密着」の大雑把に3つの軸がある。軸ごとに「見せかた」を工夫しないと、エンジニア価値はお客さんに伝わらない。薄利多売の牛丼屋さんがいきなり高級化してみたところで、高級な雰囲気牛丼を食べたいお客さんは少ないだろうし、高級店が異様に安いメニューを追加しても、選択枝の数が増えた分だけ、お客さんの足はむしろ遠のいてしまう。

見せかたには間合いの問題がある。

地域密着型」の見せかたをしようと思ったら、腕よりもまずはその人の顔を覚えてもらわないといけない。お客さんが「困ったらあの顔」を思い出してくれることが、こうしたやりかたの目標になってくる。お客さんとの間合いはごく近く、お店を構えるのではなく、お客さんお家に上がりこむぐらいの気合で近づかないと、薄利多売の大規模チェーン店背中から喰われてしまう。

「薄利多売」の間合いはお客さんとの距離における基本であるといえる。お客さんは店に出向く。店の回転は早くて店員さんのサービスは均一で、どんな時間に来ても誰かいる。お客さんが思い出すのは店員さんの顔よりも看板でなくてはいけない。薄利多売の業態で「すごい店員さん」が出現したら、その人をお店の武器として押し出すのではなく、むしろそのすごさをマニュアルに落としこんで共有するのが薄利多売方式であると言える。

品質路線のお店はむしろ、お客さんからの間合いを遠くする。大事なのは「その人しかいない」、あるいは「その人が日本一」という状況であって、距離の要素は価値の伝達において無関係であるといえる。

「薄利多売」方式の施設で経験を積むと、いろんな事例に遭遇できる機会は増え、経験を重ねた分だけ火消しに強くなれる。火消しそれ自体はたしかやりがいがあるし、やっているぶんには食いっぱぐれることもないのだけれど、薄利多売方式のお店は、そもそも突出した個人をそこまで必要としていないような気もする。「すごく便利な人」の業務は、「そこそこ便利な人」でもたいていは置換可能で、結果として「すごく便利な人」になったところで、それが収益の向上には繋がっていなかったりもする。

何かのスキルで食べていこうと思ったら、最初のうちこそ「薄利多売」の施設で経験を積むことが必要にせよ、そこから先はお客さんに向かって「前に出る」のか、それとも機能に特化して「木に登る」のか、どこかで決断しなくてはいけないんだろうと思う。

お客さんを掴んでさえいれば食べていける。地元に支えられた開業医不況に強いし、寝たきりの患者さんで食べている在宅診療クリニックは、極論すれば、お客さんに別の選択肢がない。

機能に特化した人も、競合に打ち勝てるだけの知識と経験を持っている限りは食べていける。その機能必要とする人は必ずしも多くないかもしれないし、上下消化管内視鏡が得意な人が専門家を名乗るのならば、たとえば「上部は若い人に任せます」と宣言するぐらいのことは必要だけれど、代えの効かない知識はお金になる。

ならば一番お客さんが多い「「薄利多売」型の施設でずっと腕を磨いた人はどうなるかといえば、最終的に「ガス欠した便利だった人」になる。便利を維持するのには体力が必要で、知識は体力の不足を補ってくれるけれど、どこかでガス欠になってしまう。薄利多売型の施設でガス欠になると、下手すると詰む。こういう場所は、お客さんに顔を覚えてもらうためには間合いが遠く、今さら木に登ったところで、何年も前から来に登り続けている競合はたくさんいるから。

間合いを詰めるのならばお客さんを絞り込み、腕を売るなら専門分野を絞り込む必要がある。あらゆる客層に「便利」を売るサービスが生き残ろうと思ったら、必然として従業員が死なないギリギリまで絞られる。

ある程度一般的技能で食べていこうと思うのならば、やはりお客さんとの距離を思い切り詰められう場所を探す必要がある。

動こうかな、まだ間に合うかなと考える。救命救急技能経験を延長していった先にある場所というのは、個人的には在宅診療クリニックなのではないかという結論なのだけれど。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん