2013-07-28

今日思ったこと

猫を拾った時に人は自ら忠誠を誓う奴隷になる、とはよく言われている事だ。

その心の底から湧き上がる可愛さと愛らしさ、内に秘めたしなやかさ、双眸に澄んだ水のような瞳、風を引き連れて練り歩く凛々しさ。

成る程、確かに頭を垂れながら脇腹をスリスリしてしまうのは必然と言えるかもしれない。

だがそれは、どの動物に対しても同じと言えよう。ハムスター、犬、鳥、蛾、蛇etcetc

それが多大な出費を伴う事にわかっていながら、己の自由を束縛する事を理解していながら、何故人は動物を飼ってしまうのか。

近隣の住民に迷惑をかけるかもしれないというのに、奴隷達はあまつさえ自由を放棄する事に喜びを感じ、己らの主君に愛と心酔、なにより銀のスプーンを献上して至極の悦に入っているというのだ。

何故だかわかるか!? 何故我々は可愛いものに対しいわゆる「萌え」を感じながら崇拝し、自らその首に見えざる首輪を嵌めて喜ぶのか!?

そうだ!人は支配されたがっているのだよ!とりわけ己がそれ程美しくないと自覚しているものは!己より美しい物に対し・・・羨望と、崇拝の念を抱かずには済ませられないのだ!己より優れた物を敬わずはいられないのだ・・・

人との間でも感じた事があるはずだ。人と人との助け合い責任ある者の決死の判断。その心をほっこりさせるような、嬉しくさせるような物はその者達だけの主観的経験であり、我々がその時その場面で体験できる物ではない。手に入らないのだ!特に、それらに類する物を持っていない者達には。

「己が持っていない物をあらかた併せ持つ動物」、ならばこれに崇拝と愛情を抱くのは当然ではないのか。

その凛々しい凱旋に心ときめかずにいられる者が、何人この世にいるというのだ。誰がその美しさに、決して手に入らぬ美しさに、唾をつけて放り上げる事ができるというのだ!「猫」に対しては出来るかもしれない。その美しさに興味のない物ならば。

だが、例えば聖女と世に謳われる少女達、荘厳な大自然の営み、あの森林のなかに静謐と共に佇む古城、漫画アニメの中で活躍回る女の子達、これらならば全くの別だろう。どれも手に入り難き、真に迫った美麗のみ。ケースの中に入った高価な宝石でもいいぞ。金の浴槽でもいい!

まりは、だ。人は己の持っていない美に対して愛情と崇拝を抱き、その前に拝して自ら首枷をつける事を望んでいるのだ。それは知性ある生命体としての、己の経験を彩る為の屈従に他ならぬ。人は!ホモ・オモヒアなのだ

美に対し絶対の忠誠を誓わずはいられない奴隷なのだ

崇めよ!その真に迫った美麗達を!

それで全てが統治され、全人類が頭を垂れる時が来るだろう。耳無き物に美麗の福音を知らせねばならんのだ。盲目の物に、音楽の流麗なる水の如き美を、見せてやらねばならんのだ! 美なき所に崇拝と羨望は訪れないのだ!

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