はてなキーワード: 当事者とは
確かにこれはちょっと思った。当事者の事よりも若者の声を聞いて、当事者を推し量っているように見えた。
日経としては、高齢独身者を社会生産性のないもの、つまり、失敗した政策によって発生したゴミであるとナチュラルに見下している感じがあって、日経はこうでなくっちゃ!とワクワクした。
どう頑張ってもできないことなら助けてほしいけど、頑張ればできることには手を出さないで欲しい人はそりゃいるでしょ
頼まないけど助けてって人もいるけど、そっちのほうが理不尽に思う
篠原や篠塚、篠岡、篠崎など「篠」から始まる名字の人に聞きたい。
「しの」と聞くと「死の」を連想するのが一般的だと思うので、篠原系の名字は
「死の原」「死の塚」「死の丘」「死の先」など、不吉なものを連想してしまうと思います。
他にも、死の村(篠村)、死の蔵(篠倉)、死の場(篠場)、など枚挙にいとまがありません。
なので、名前を伝えたら相手に「あっ・・・」と思われてしまうと思うのです。
そういう、空気を壊してしまったような、相手に気を使わせちゃったような、
都の仕組みは分からんけど契約行為は担当→係長→課長→部局長→都道府県知事に決済、稟議が回るんですよ。
これが基本で1000万以下なら部局長で止めていいよ。とか運用が決められるわけ。(財務規則や専決事項で概要わかるはず)
俺にところで使ってる単語と違うから違うかも知れんけど、今回は都知事が権限持ってるのに都知事に書類が回ってない状態。
これはあり得ん。
上に書いたように複数人の目に触れる、押印する書類なのでどこかで誰かが違うって気づくはずなんよね。(誰も気づかないならそれはそれで無能)
それが誰も気づいていない。これは全員クソ無能か上からの圧があったの2択。
契約行為なんてありふれた事なので、それなりの質を持った行政職員が全員気づかないのは現職としてはミリの可能性もないぐらい信じられん。ということは……ってかんがえちゃいますね。
もしかしたら契約行為の決済じゃなくて、支出負担行為の決済かもしれないが、どっちにしろ同じ構造です。
支出負担行為=誰々にどの予算から幾ら払いますよー。って決済とるもの。大抵契約書と同時に回る
政治力などの圧がかかってるなら内部告発してほしいもんだが難しいよなあ。おれが当事者なら、次の職の担保ないとだんまりを決め込むと思う。
義憤じゃ飯は食えねえ
まあ日中からSNSに入り浸っている人間ではあったから暇人なのは確かだろう。
訴えられたのは友人の知人、、、などと言いたいが残念ながら身内なのでほぼ当事者だ。
書き込んだ内容は完全にアウト。相手の職業から家族まで中傷し、勝手に外見を想像しては酷い罵倒を浴びせていた。
相手がどうこういう問題では無い。言ってはならないラインを超えていた。
訴えられ、身内は「自分は悪くない!」と最後まで言い張り、何度説得しても和解にも応じず裁判にも出ず、当然相手の請求は全部通り満額請求。
「ひろゆきみたいに慰謝料なんて払わなくても良い!」とか言い張っていたけど、他人事ですからって漫画を読ませたらビビったのか渋々支払ったよ。
強制執行は怖いもんな。ご近所さんの噂にはなりたくないからしょうがない泣き寝入りするって言ってやっと応じた。加害者はこちらなんだが……
もっとも金を出したのは全部自分だけどな。貯金ある癖に金無いとかストレスだから仕方無いとか駄々こねやがって。ここまで幼稚だとは思わなかった。
結局身内は今でも「私は悪くない!」って態度で逆ギレしてるし心配してない自分はDVだの何だの騒いでる。
典型的なネトフェミ仕草でうんざりするが子供がネックになっている。
こんなんでも離婚したら親権はあちらだし金だって搾り取られるだろうな、無職だし。
仕事して生活費稼ぐ事が育児実績に認められないんだから差別としか言い様が無い。
身内は相変わらずネットに勤しんでいる。
転生アカウントは把握しているけど相変わらずだ、不特定多数の暇人、有名人に汚声を投げつけている。
反論されたらこんな酷い事を言われた!酷いと、同類のゴミ共と被害者面しているのも変わりは無い。
何でこんな金食い奇声虫を飼わなければならないんだとうんざりしている。
仕事をしている時はまだまともだったと思うのだが、育児に専念名目で勝手に仕事を辞めて
暇な時間が増えた暇人になってから、身内はおかしくなっていった。
人間は暇になると鈍するのかな……
[B! 原発] 坂本龍一さん 政府の原発回帰に「なぜ」「なぜ」「なぜ」 本紙に寄せたメッセージ全文:東京新聞 TOKYO Web
今回の東京新聞を始め常々思っているのだが自分たちの主張に沿う芸能人を祭り上げるの恥ずかしいからやめてほしい。
ここなら知っている人も多いと思うが「左」の界隈ではよく反原発や反××法案に絡めて芸能人の画像と発言を引用した投稿がバズり「さすが○○さん!」「あの○○さんもこう言っています」のような反応と共にシェアされる。
学者でも専門家でもなく一般人と変わらない素朴な感想しか持っていない。
なんなら彼らは才能や環境に恵まれた成功者で浮世離れした生活を送っており、当事者性もない一般人以下の意見と言えるかもしれない。
でもネットで個人が情報を調べられる現代、芸能人の素人発言は稚拙な発想が透けて見えたり粗が目立ってむしろ運動の足を引っ張ってるように思う。
新聞の一面を割いて載せて欲しいのはググっても出てこないような中身のある情報であって素人ポエムじゃない。
名のある人が言えば正しい、正しいと思わせられるみたいな安易さもすごく恥ずかしい。
こんな事もうやめませんか?
わかり手こと小山晃弘も、白饅頭も、弱者男性のことを収入・容姿・コミュ力・モテなどが不足した社会的弱者ととらえてきた。
そしてその層の生きづらさと鬱屈の責任を、弱者男性と対をなす「強者男性」ではなく、「弱者男性を相手にしない女性」に結びつけてきた。
声なきマイノリティのあり方に耳を傾けるテイを取りつつ、彼らの声を聞き届けないのはあくまで「女」だということにしていた。
こういう風に「女性」に矛先を向ける議論は、多くの弱者男性当事者にとって心地よい、受け入れやすい議論だった。
自分を弱者男性だと考える人が「強者男性」の格差について正面から向かい合ったら、そこには自責の余地が生まれる。
自分は「彼らより」収入が少ない。容姿が劣る。コミュ力がない。なぜそうなのか。どうすればいいのか。
考えても解決するわけではない「劣り」について考え続けるのは、緩慢な自傷行為だ。
それとは真逆に、「女性」に矛先を向ける議論は、他責の矛先を提供してくれる。
弱者男性が救われないのは、彼らの弱さに配慮しない社会、彼らの弱さを受け入れない女が悪いから。
そこでは「弱さ」は所与の前提になり、ことさらに「なぜ」を問われるべき課題ではなくなる。
ところが去年、白饅頭が医療従事者を社会的強者として叩いて炎上した。
https://togetter.com/li/1926636
今回、わかり手が大谷の容姿をネオテニーだ中性的だとdisり、白饅頭がそれを擁護して炎上した。
https://togetter.com/li/2098940
どちらも、これまで彼らがあえて焦点化してこなかった「強者男性」自体を直接射程に入れた議論だ。
「医者はもっと強者であることを自覚して(医療負荷について悲鳴を上げたりせず)わきまえろ」「大谷の顔は小綺麗で知的でブルジョワっぽいからキモい」「SAPIXっぽい」「高学歴エリート層と同じ」「実家が経済的に豊かであり、幼いころから潤沢な英才教育を受けていたアマチュア・エリート出身者」「メス化」…。
ここで語られていることが事実かどうかはさておき(たぶんだいぶ事実と違う)、
それも、「強者男性にはもっと旧来のマスキュリニティを発揮してほしい」という、倒錯した批判だ。
(「白饅頭の言う「かわいそうランキング」で下位に位置する強者=医療従事者の訴えが世間に聞き届けられるのはおかしい」と言いかえてもいい)
彼らがこれまで語ってきた世界観と、世間で活躍する「強者男性」たちの実像のズレが露呈しつつある。
だから彼らは、そうした現実をファンタジーの方に合わせようとして、
彼らの先入観と違う振る舞いをする「強者男性」を批判している。
彼らは強者男性にいつまでも「古き良き強者男性」らしくしていてほしい。
雄々しく、力強く、堂々としていて、だからこそ思うままに「メス」を手に入れられる、
そうした軸において弱者男性がかなわない「アルファオス」であってほしいのだ。
この数年プチバズり続けているタワマン文学(窓際三等兵など)は、
こういう「おとぎ話のような強者男性」像に対するアンチテーゼにもなっている。
そこで語られるのは、端的に言えば、教育・就職先・文化資本・社会階級をめぐる堂々巡りの自意識だ。
そこでの「成功者」は、マッチョでもないしモテるわけでもないしコミュ力が高いわけでもない。
単純に「親が金持ちで人脈があってSAPIXや鉄緑会に入って良い大学を出て良い会社に入って
高収入を得て美しい妻を娶って生まれた自分より目鼻立ちの整った子を自分以上のレールに乗せられる男」が
人生の勝ち組であり、その中でも新参者や中途半端な位置づけの人間は「さらに上」への嫉妬に身を灼かれる。
この世界観の中でも女性は相変わらず「トロフィー」ではあるが、
トロフィーを手に入れられる人間とそうでない人間の差はほとんど宿命的な筆致で描かれ、
そこにはもはや「女性は弱者男性に目を向けるべき」などという主張が介在する余地は全くない。
一億総中流と言われた社会が解体しきって、日本でもペアレントクラシーによる
階級再生産のサイクルが強固に確立したことを苦々しく再確認する物語だとも言える。
わかり手や白饅頭らは大谷批判の中でこうした論点を取り込もうとして、失敗してしまった。
その白饅頭自身が今やnoteで稼いだ金で買ったタワマンに住んでる勝ち組だから、という皮肉な現実はさておいても、
そもそもこうした露骨な階級社会論は、これまでの「女性が悪い」系の弱者男性論とすこぶる相性が悪いからだ。
タワマン文学時代の強者男性とは、すなわち階級的強者であり、自らがずっと勝ち続けるための盤石の基盤を整えた勝ち組たちだ。
そうしたペアレントクラシーによる階級の固定化を緩和するなら、再分配すべきは、女ではなくカネと教育だ。
でも、こんな野党みたいな話をして、弱者男性を自認する当事者が「そうだそうだ」と溜飲を下げるだろうか。
そんなわけがない。「いま」弱者男性である当事者が、カネと教育の再分配によって階層を浮かび上がれるはずがない。
語ってはいけない真実、語れば絶望しかもたらさない真実というものがある。
3/13のマスクの着脱自由化でちょくちょくこの手のプチバズり系の話を見かけるようになって、まあ、マスクを外すのを強要する行為自体は普通にクソなので当事者が怒るのは当然のことだとは思うんだけど、それに便乗して「やっぱりマスク外す派はクソ!」みたいに盛り上がっている奴等が分からん。
俺自身は「付けるも外すも個人の自由でそれに干渉する奴こそ悪」って考えだけど、そういう立場からクソな個人の話ではなく属性単位で見ると、マスク外せ派よりもマスク付けろ派の方が強要も同調圧力もよっぽど酷いように感じるわ。
個人の選択や個人の自由というモノを弁えられていない人間はマスク付けろ派の方が多い印象はある。
マスク付けろ派は強烈なヤベー奴がいるけど全体で見れば少数で、マスク付けろ派の方がナチュラルに自分の基準を他人に押し付けて良いと思っている傲慢な人間が多いように感じるんだよな。
ジェンダーニュートラルの風潮に乗って様々なジェンダー語が言い換えられている。
中でも男性配偶者を意味する「旦那」「亭主」「主人」はもう絶滅種と言っていい。
アナウンサーは、インタビューで婦人に「旦那様はどんなお仕事を?」とは訊かない。
今やNHKのアナウンサーでも「夫さんはどんなお仕事を?」と訊く。
今日は東日本大震災のあった日なので、震災関連の報道が多かった。
老齢のご婦人がインタビューに答えて「津波で亡くなった主人の遺志を継いでいきたい」というようなことを語った。
当事者が自分自身の配偶者を主人と呼ぶことすらNHKは許さないのだ。
この老婦人にとって夫は主人と呼ぶべき人物だったのであろうし、この世代の人々にとって「人前で自身の男性配偶者を呼ぶ場合は自分がへりくだる」というのは当たり前の価値観である。
たとえ家庭内ではカカア天下であったとしても、ともあれ人前では、自分は夫を立てる身だというポーズをとることが彼らには自然であるはずだ。
世の中が家父長制を否定しつつあるという風潮と、ある一個人が家父長制を受け入れているかどうかは、まったく別次元の話である。
耳の聞こえない人がこの報道を見たとき、「ああ、このご婦人は主人とは呼ばず夫と呼んだ」と思うだろう。
夫という言葉には、主人という言葉に込められていた思慕や崇敬の念が抜け落ちている。
主人と呼んだか夫と呼んだかで、在りし日の夫婦の関係性のニュアンスの受け取られ方が変わってきてしまうはずだ。
主人って呼んだのに。
世の趨勢に合わせてNHKが言い換えを進めるのは別にかまわないと思う。それを迎合とは思わない。
マリウーッス
本日はパンダ発見の日、日本においては東日本大震災の日となっております。
何年経っても忘れられるようなものではありませんが、スマートフォンの流通などによりいつでもいろんな記録を撮ることが出来ていているからこそ、忘れられないように出来ているのだと思います。
勿論、当事者の人達も忘れないようにしている部分があるし、あまりにも身近な自然災害への対策だからこそ忘れてはいけないのだと思います。
堤防があっても避けられないこともあります、だからこそ逃げる時はちゃんと準備して逃げることが大事なんですね。
今回はまずは何があって、どんな警告をされたらどう逃げるべきかを理解しておくことが大事です。
つまり、その土地ではどういう災害が起きやすいかを理解しておくことです。
川が増水したら家に浸水してくる、とか
自分が住んでいる地域にはどういう自然災害が起きやすいのかを確認して、もしもの災害に備えておきましょう。
どうしたってマイノリティと衝突する
これが、リベラル男性のやってる、特に女性に阿らない反差別活動なら
自分の看板が大事だから、最弱属性を優先し、綺麗事を並べるだろう
一般男性ならまだしも、LGBT(若い男子が好きなおじいちゃん)が悪さするなんて想像できないもん。
当事者になったら周り助けてくれなくてファックと思うのは仕方ないと思うけどなあ。
さっさと通報して良い!
当事者であろうが第三者(目撃者)であろうが、交通事故レベルで、ともかく通報しましょう!な風潮にもってこうとするのが、現実的な対処ではなかろうか。
そりゃあ中には面倒がるKもいる。っていうか面倒がるKしか居ないかもしらんけど。
建前上Kは、ぜひ通報してくださいって言わざるを得ない案件なんだわ痴漢。
即解決しなくても、積み上げていく事で地道に異常者を減らしていきましょう、が日本的なアプローチかと思う。
益田は被害者で、そこを疑う気も何もないし、被害者は労られて然るべき世の中であって欲しいんだけど。
その上で、どうして見ず知らずの第三者が必ず助けてくれると思うのか不思議。
一昔前ならともかく、このご時世で。
痴漢なんてするような異常者に立ち向かうには男性でもリスクを考えるのが先になるの、しゃーねーと思う。
そんで一部の異常者(痴漢)に遭遇したのが不運。
ちょっと時間経過とか位置関係とか曖昧なので議論以前じゃない?
痴漢が逃げて、おっさんが冤罪かけられるまで数秒とかだったの?
当事者が間違える程度に巧妙な痴漢を、第三者が確信を持ってぶん殴れるわけなくない?疑わしきは罰せずな道徳な日本だと特に。
ぶん殴ったあと、間違ってたら謝ればいいマッチョ文化じゃなくない?
んで、多分お兄さんの価値観的にレイプされてるわけでもない女と痴漢冤罪で社会的に死にそうなおっさんを比べて、関わった場合の自分のリクスと勘案して、社会的に死にそうなおっさんを助けたって事では?
昔、「自分を女と言い張るおっさんが女湯に入って逮捕!」というニュースがあって、スタジオのおっさんと若い女は「なんでそれで通ると思ったの?」とかなんとか言って笑いと呆れに包まれる中、「オネエ」タレントの人だけが「でもセクシュアリティは人それぞれだし、この人もこの人なりに何かあったのかもしれないね。わかんないけど」って頑張ってて、俺は心の中でこの人を応援してた。
ジブリパークでバカな写真とって批判されてるバカについても、フィクトセクシュアル当事者の俺としては、その批判の仕方について思うところがある。
それが良いか悪いかではなく、それに対する社会全体の態度と空気感といったところに、強い差別心の蔓延を感じる。そういうことがしばしばある。