はてなキーワード: 図書館とは
ある日のことである。以前のブルマーに関する調査に物足りないものを感じていた僕は、なんとはなしに「ドイツ ブルマ」で画像検索した。すると、個人のブログで、戦後の西ドイツを舞台にした「橋」という映画にブルマーが映っているのが紹介されていた。1959年の映画であるが戦時中が舞台なので、これは明確に戦前にもショーツ型ブルマーが使われていたことを示しているようだ。Youtubeにも動画が上がっており22:48頃からブルマーの出てくるシーンが確認できる。
そんなことから、もうちょっとドイツのブルマー事情について調べたくなった。
自分が以前調べたナチスのブルマーとは、ドイツ女子同盟のものだ。
ウィキペディアによれば、ドイツ女子同盟は、もともとナチズムを信奉する少年の有志で構成されていたヒトラーユーゲントの下位組織として発足したものだが、ヒトラー政権の成立から3年後、全ての未成年男子がヒトラーユーゲントに編入されると、これに伴ってドイツ女子同盟も強制参加の団体へと変化した。
設立の理念は、ドイツの将来を担う「良妻賢母」の育成であり、軍人教育は施さなかった。よって、健康な子供を産むためにカリキュラムは家政学ではなく、体育の方に重点が置かれた。つまり、国によって「女らしさ」「母性」「健康」が強制されていたわけである。そのせいか、略称をもじった卑猥なジョークもあったらしい。
さて、そういうわけで、軍服のような制服のみならず体育教育に使う、こちらのように黒い短パンというか提灯ブルマー姿の女性を確認することができる。写真によっては、サイズがあっていないせいか、角度のせいか、ほとんどショーツ型ブルマーのようになっているものもある。
ちなみに、こちらのサイトによれば、ブルマーを卒業すると白いワンピースになったそうである。また、色は黒であると言及されている。
しかし、写真を見る限りでは、冒頭の映画ほどハイレグではない。これは地域によってブルマーの規格に差があったのか、それとも監督の趣味だったのか、よくわからない。1930年代のThe Woman’s League of Health and Beauty(英国の健康増進団体、ヨガも取り入れている)ではhttps://flashbak.com/the-womens-league-of-health-and-beauty-nazis-pilates-and-the-birth-of-the-keep-fit-movement-4580/:title=
ショーツ型ブルマーに似た制服]で運動しているし、https://aurora-ray.blog.ss-blog.jp/2017-09-15=ドイツ女子同盟のフィギュア(オーロラモデル 1/35ミリタリー WWII ドイツ少女同盟 体操着姿 ガレージキットフィギュア ML76)]ではやっぱりショーツ型ブルマーに似ているのだが、詳細はわからない。冒頭で紹介した映画ではのんびりしたシーンであり、ナチス的な全体主義をあまり感じない。もしかしたら、ドイツ女子同盟とは別に、普段からブルマーがそれなりに普及していなことも考えられなくもない。
その後ドイツではブルマーはどうなったか。以前の記事にも書いたように、東欧ではブルマーが採用されていたことを示す写真はちらほら見つかったが、制服として具体的にいつ頃採用されていたかなどの情報は見当たらなかった。そのため、しばらく調査は暗礁に乗り上げていた。
きっかけになったのはDeepLやGoogleの翻訳である。英語のショーツ型ブルマーを意味する語の一つ「gym knickers」をドイツ語にしたところ「Turnhose」という語が出てきた。これで何かがわかるかもしれないと思った。確かにこれは「短パン」を意味する言葉に過ぎない。だが、ドイツ語のウィキペディアには、英語版とは違い、こんなことが書いてあった。
Für Frauen, Mädchen und Jungen (bei Jungen aber nur bis zum Alter von etwa zehn Jahren) gab es etwa zwischen 1960 und 1990 Turnhosen in Slipform, die zwar umgangssprachlich Turnslips genannt, im Katalog aber unter der Bezeichnung Turnhose geführt wurden. Als Material verwendete man anfangs schwarzen Doppelripp und Helanca. Passend dazu gab es auch die Turnhemden.
女性、女の子、男の子の場合(ただし、男の子の場合は約10歳まで)、1960年から1990年の間にパンティーの形のジムショーツがありました。これは通称ジムブリーフと呼ばれていましたが、カタログにはジムショーツとして記載されていました。当初、使用された素材は黒いダブルリブとヘランカでした。それに合うジムシャツもありました。
やっとのことで、具体的な年代を特定できる情報を見つけた。1960年から1990年、確かにドイツではショーツ型のブルマーが採用されていたのだ。
もちろん、出典が明記されていない以上どのくらい正確な情報かはわからない。ショーツ型ブルマー(上ではジムブリーフと訳されている)を意味する「Turnslips」で画像検索してもまったくそれらしいものは該当しない。だが、調査は確実に一歩前進した。
ドイツでブルマーがいつまで採用されていたか、かなり具体的な情報を手にすることができた。しかし、今回のドイツや前回のチェコとは違い、ポーランドやロシアに関する情報はなかなか手に入らない。昔の記事のように確かに写真はある、動画もある。だが、文字情報が乏しいのだ。「ソ連 体操着 歴史」「ソ連 体育 制服」「体操着 1960」などと単語を変えてもなかなか引っかからない。おまけに、ポーランド語でgym knickersを訳して「majtki gimnastyczne」で検索すると、スポーツ用の下着しか出てこない。また、言語によっては体操着に該当する言葉を探しても、レオタードしか出てこないこともある。
プロの陸上選手がブルマ姿になっているものは出てくるが、学校での採用事情については、なぜかデータが少ない。
資料が見つからない理由は恐らく三つある。一つは、ロシア語やポーランド語ではブルマーを何と呼んでいたか、正確な名称がわからないことだ。チェコ語では、幸運なことに「Jednotný cvičební úbor」が「体操用の制服」といった意味で、直訳でもよかったようだが、他の国の言葉ではそうでなさそうだ。
もう一つは、そもそもネットに資料が載っていない可能性だ。国によってネットの普及した時期は異なるが、紙媒体の資料をわざわざネットに乗せる熱意や理由がないことも考えられる。
最後に、これは前述の熱意がないことと重なるが、欧米ではそもそもブルマーに対して関心が薄いのではないか。海外にも服装に対するフェティシズムはあるようだが、何がセクシーと感じるかは国によって全然違う。ブルマーフェチの人は海外では人数が少ないのではないか。
全くの推測だが、ブルマー時代末期には、ブルマーを性的に感じるあまり盗撮する者が後を絶たなかったという。それが原因で、ますますブルマーが性的だという感覚が強まった。となると、日本でブルマーマニアが増えた理由は、個人のカメラやビデオが日本で普及した時期にも理由があるのかもしれない。
ポーランドやロシアでのブルマーについての文字情報が見つかったら掲載する。しかし、いつになるかはわからない。また、東ドイツと西ドイツとでブルマーの普及に違いがあったか。このあたりも資料が乏しいが、見つけたら公開したい。
また、今まではブルマーはほぼ紺色と思い込んでいたが、黒という記録を見つけた。白黒写真の画像しか見つからなかったケースを、再検討する必要がある。
【マンガ】本を片っ端から読んでいるのに「賢くなれない人」の残念な習慣
https://diamond.jp/articles/-/279317
全く同じ理由で図書館で借りた本に書き込みしてるという10歳上の元友人思い出した
「図書館の本はみんなで使うものだから書き込みしちゃダメだよ」と言っても「本はそうやって読むもの。皆もそうやって読めばいい。俺は借りた本に書き込みしてあっても気にしない」って話にならなかった
私に彼氏ができてあまり構えなくなったら吐き捨てるように告白して来たのでブロックした
この生物は単細胞だが、性別(EとO)が有り、異なる性別の個体同士で生殖を行なう。具体的に言えば、異なる性別のゾウリムシ同士がペタリとくっ付く。
大核は、普段の生命活動に必要なmRNAの転写以降のプロセスに関わる。
小核(染色体数は2n)は、生殖の際に減数分裂を行なって2個の生殖核(染色体数はn)を形成し、そのうち1個を生殖相手に与える形で相互に交換する。
生殖が終わると、2匹のゾウリムシは離れる。この時、ゾウリムシの細胞内には2個の生殖核、自分由来のもの(染色体数がn)と相手由来のもの(染色体数がn)が存在する。これが融合して新しい細胞核(染色体数が2n)になる。
融合した生殖核から、やがて新たな大核と小核が形成されて、古い大核は分解消失する。新たな大核は、再び普段の生命活動のために機能し(なお、染色体数は2nよりも大幅に増える)、小核(染色体数が2n)は次の生殖まで遺伝子を保存し続ける。
ここまで読まれた人は「あれ?生殖の前後で個体数が変化していないのでは?」と思われたことだろう。そのとおり、生殖する前のゾウリムシは2匹で、生殖した後のゾウリムシも2匹である。それについて、今から説明する。
生殖を終えたゾウリムシは、一定期間は生殖が出来ない未熟期の細胞である。
それが、細胞分裂をある程度の回数行なうと、成熟期の細胞になり、この時には生殖が可能である。生殖を行えば、もちろん再び未熟期の細胞になる。一つの細胞が分裂する時には、大核も小核も分裂して娘細胞にコピーが受け継がれる。ただし、大核の方は普段の生命活動に支障さえ無ければオーケーなので、コピーはかなりアバウトである。大核の染色体数が大幅に増えるのは、このアバウトなコピーのためである。
細胞分裂を繰り返して成熟期の細胞になっても、もしも生殖しなければ、そのまま細胞分裂だけを繰り返して、やがて老齢期の細胞になる。老齢期の細胞は生殖ができない。この後、寿命を迎えて死ぬ(細胞が崩壊する)。生殖しないまま細胞分裂を繰り返せば、それは同一の遺伝子を持つクローン単細胞の集合である。
ヒトを含めた多細胞生物を元に考えると、生殖イコール増殖と勘違いしがちである。しかし、ゾウリムシのような単細胞生物を元に考えれば、理解しやすいだろう。生物の個体数が増殖することの本質は、細胞分裂である。もしもヒトを含めた動物が精子や卵子を作るのが、生殖の時の1回だけだったならば、世代を経る毎に個体数が減少していくことだろう。もちろん現実はそうではない。精子や卵子を複数回作る(複数個の生殖子を作る細胞分裂を行なう)ことが出来るからこそ、多細胞生物の個体数は増えることができるのである。
そして生殖というプロセスは、異なる個体に由来する生殖子(ゾウリムシならば生殖核、ヒトのような動物ならば精子と卵子)を交換・融合させることで遺伝子をシャッフルするとともに、細胞を若返らせる。若返ることで、細胞は分裂できるようになる。すなわち、個体数を増やせるようになる。
遺伝子のシャッフルは、子孫が同一の遺伝子しか持たないクローンの集合になってしまい、環境変動に対応出来ないなんて事態を避けるという意義がある。
まとめると、生物が個体数を増やすためには細胞分裂が必要であり、その細胞分裂を行えるような細胞であるためには、生殖という遺伝子のシャッフルと若返りのプロセスを必要とするということである。
ちなみにゾウリムシの細胞が成熟する時期を知るためには、細胞分裂の回数を数える必要がある。それには、顕微鏡を観察しながら1匹(1個の細胞)のゾウリムシを採取して試験管に移し、細胞分裂して2匹になったら再び1匹を採取して移し、……という地味な作業を繰り返す。詳しく知りたい方は、図書館などで『性の源をさぐる』『ゾウリムシの性と遺伝』等の本を検索して読むと良い。
当時、日本で出版されていた11社38種のピノキオ本の回収を要求した。
本作は、弱点を克服し成長する子供の可能性を描いた作品であり、
「めくら」「びっこ」という言葉で障害者差別に結びつけるのは拡大解釈で作品の意味を汲んでない。
回収を行えば障害者差別が無くなる道理も無く、「言葉だけで何かを変えよう」という幻想に繋がりかねない。
個々の企業に対する脅しが差別の撤廃にはならないし、体制も変わらない。
とする「反論声明」を提出した。強引な告発に対して批判があったが、小学館側の回収についても「安易」だとの批判があった。この騒動に対し「ピノキオ退治は世界の笑いもの」と揶揄する声もあった。
もうすぐ8月も終わる。こんな状況じゃなかったら海外に遊びに行ってヘラヘラしている大好きな夏だし、フジロックとかフェスに行って幸せ噛み締める大好きな夏なんだけど、全く夏らしいことをしていない。私の地域では未だにワクチンの順番が回ってこないから余計遠出なんかもっての外だと思う。でも旅行もライブが大好きだからどこに気持ちをぶつけようか?と思った瞬間、ある人を思い出した。
リゾートバイトで知り合った彼女は冬の間だけスキー場で働いてそれ以外は全部自転車で日本一周をしているそうだ。だから冬の間は一切お金を使わずに過ごし、春夏秋をスキー場で得た給料で過ごしているらしい。だから旅行中もかなりストイックだ。宿泊料なんか勿体ないからとテントを張って野宿をしたり、汗で蒸れるしシャンプーリンスの手間がかかる為坊主にしているらしい。大きい理由としては、悲しいことに単身女性が野宿をするのは男性と比べてリスクが高くなるが故に、ぱっと見ただけでは女性と認識しにくい坊主が1番理にかなっているということだ。全て自転車で移動するのでエコであり密を回避出来るので感染リスクを抑えながら旅行をしている。とキラキラした目で語ってくれた彼女だ。
私は彼女のような勇敢な行動を真似することが出来ない臆病者だが、話を聞いて彼女に憧れを持った。だから今日は日々の怠惰な生活からの脱出と少し生活の質を上げてしまったが故に元に戻れなくなってしまった自分に喝と矯正を兼ねて野宿することにした。目的地は家から20キロ先にある図書館。そこの図書館が1番勉強に集中出来るし、本も沢山あるので自分に教養をつけるのに適しているので明日の朝から図書館に引きこもろうと思っていた。近くには野宿出来そうな公園や橋の下などあるのは把握していたので星空を眺めながら考え事をしようと企んだ。そして今日夕方に先日修理代が1万かかった相棒の自転車と共に出発。プチ野宿だがワクワクが止まらなかった。しかし、30分後に雨が降ってきた。天気予報では晴れだったのに。色んな天気予報のサイトを見たのに。紛れもなく雨が降っていた。急いで目の前にあった百均に寄り雨がっぱを購入して、目的地へと急いだ。歳をとったのか記憶より道のりが遠く感じながら2時間後に到着した。しかし、思ったより静かそうに見えて人通りがあること、街灯が明るすぎること、雑草が生い茂っていて虫が大量にいること、そして何より雨が降っている。楽しみにしていた星空を見ることが出来ない。それでも野宿することに意味があるのでは?と自問自答を続けながらも「10分弱自転車を漕いだらネカフェがあるよ」と頭の悪魔が囁く。
そうだ。タイトル通り私は野宿に失敗をした。今はブランケットに包まりながら鍵付き個室のネカフェにいる。なぜ鍵付きにしたかというと今日は土曜日だ。フロントとドリンクバーに近いオープン席だとダーツやカラオケ目的で来た人達が大勢来ると思われるのでガヤガヤすることを見込んで鍵付きにした。最高に快適だ。しかし、野宿目的でここまで来たのに何故今ネカフェの個室でのんびりしているのだろう。意志の弱さに自分でイライラする。
歴史って大嫌い。歴史って「昔から居るコテハン」みたいなイメージ。理由もわからないルール(昔そういう事象があったから)を押し付けてくるって感じ。知らねぇっつうの。
だから、今回のサークル文化の消滅も知らねぇって話。新しいサークルが生まれるために、古いサークルの歴史なんてむしろ邪魔じゃん。
あと図書館もあんなにいらないと思う。市町村ごとに図書館があるなんて無駄(学校や研究所付属の図書館だけあればいい)だし、図書館のせいで書籍(一般書)の売上はだいぶ減っているので、図書を作る側にもダメージがある。つまり、文化の誕生にダメージがある。
むしろ、図書館から図書を減らし、勉強スペースを増やした「学習館」みたいなものを作るべき。自宅に勉強スペースの無いかわいそうな子供たちのために。
あれはホームレスには悪いけど図書館が適切な場所とは自分には思えない
冷暖房とかのために来てる人の方が多いのではないかと思うこともあって、
もちろん、図書館は公共の施設である以上、本が目当てでないけど、
知らない街を歩いてて図書館があれば、ちょっと入らせてほしいとか、
すぐ抽象化して単純化して深遠なつもりのお題目に落ち着かせる。 図書館の椅子占領されちゃ困るってのと生きる価値無しってのと、無関係じゃないけどまるで次元の違う話だぜ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4706865540241907490/comment/anagumaxxx
元からこんなもんだぜ
https://anond.hatelabo.jp/20060924
↑ ここに好きな日付を入れると好きな日の増田が見れるやで
2006-09-24
自分のサーバーでやれよって感じだなぁ、と言っているとラボが終わってしまうので気分の良い時はてきとうなものを作ることにする。jkondoのkondoは公私混同のkondoやで。
これくらいのものを2日に1つとかのペースで出していったら話題になるだろうか。12週連続リリースみたいな。
貧乏人が増えたくらい
anond:20210814085831 anond:20210912092309 anond:20211001233907
が、情報の引き出しが無くなるのは怖い。
ツイッターのトレンドで代用しようにもアレはアレで偏った世界に見える。
個人ニュースサイトはブームが終わったせいか皆やる気を無くしているように見える。
ヤフーニュース等の企業系スクレイピングランキングサイトもそれぞれのカラーが強くなってきて総合的なトレンドを追う役にはたたなくなった。
ツイッターでニュースアカウントを片っ端からフォローしたリストは3種類ほど作ってみたがどれも内容が薄い上に重要度が分かりにくい。
そもそも必死になってニュースを追う必要があるのかどうかが疑問なのだが、全く情報を閉ざしてしまうと何も知らない人になってしまいそうで怖い。
とりあえずあれだけ見ておけば最低限度の情報は入ってくるし、情報ソースによる偏りも「はてなブックマークを使っているから」だとヤバい人だが「朝のニュースはあのchの」と言っておけばまだ許されそうな気がする。
そういう時に理由付けとしてニュースキャスターの好みなんて言っておくと政治色が抜けて無難なのかも知れないが、突然の性癖暴露は現代社会ではセクハラなのでこのやり方は時代遅れに思える。
どういうやり方がいいのかが分からん。
とりあえずはてなブックマークで上位のニュースは見るけどブコメは見ないというのはありかも知れない。
晒し上げとしてトップに来ているのかどうかの確認が出来なくなるが、そもそもヤフーAPI導入によって今やまともな意見はかき消されていちいち🐻のAAを並べているような承認おばけと、ダラダラ話が長いだけの承認おばけばかりで、副読URLなどのちょい貼りは流されがちだ。
ネットはドッグイヤーと考えればかれこれ私は50年ぐらいはてなをやっている。
50年、人も会社も何回でも腐り果てることが出来るだけの時間が経っている。
思えばかつて私は個人ニュースサイトだとか2chまとめサイトだとかに張り付いていたのが、カトゆー家が本当に断絶した頃にははてなに重心が移っていた。
これからまた次の時代に備えて重心の位置を変えていくべきなのだろう。
そもそも自分の年齢を考えるとそろそろ表層の薄い知識を追うのを減らして腰を据えて深い知識を集めなければいけない時季だ。
学生時代に暇つぶしでちょこちょこと図書館で知的好奇心のために本を借りていたのと比べると今のインプット量はあまりに少ない。