はてなキーワード: 共依存とは
気持ちの整理も兼ねて、匿名性の高いここで吐き出させてほしい。
金銭面や自分のキャリア、出産育児のことを考えると、"この人との結婚は現実的ではない"と気づいて別れを切り出した。
切り出した途端、堰を切ったように私に対して思っていたらしい様々なことをぶちまけてきて、
多分別れを切り出されたことによる感情の高ぶりのせいもあったんだろう、
敢えてひどい言葉を選んでいるのかとすら思えるような発言の数々だった。
お互い家庭環境が複雑だったり過去の恋愛等で色々拗らせており、
若干共依存気味だった節はあったものの、なんとか成長しあいながら年月を重ねてきた。
付き合っている中で、
当初聞いていた年齢や家族構成が違うといった些細な嘘から始まり、
今後の信用に関わってくるような嘘も度々吐かれていた。
それでも彼が私を好きでいてくれていることは伝わる言動があったし、
私も好きだったから、内心傷つきながらも信じようと努力していた。
私はこの人に愛されているし、支えあいながら生きていくんだと信じて疑わなかった。
付き合い始めた当初は話し合いすらままならず、意見交換も妥協点を探ることも全くできなかった。
このままではだめだと説得し、数年かけてようやく話し合いができるようになった。
話し合いができるようになったことで、お互いに"共感できなくても理解し合えている"と思っていたが、
彼的にはそもそもそこが思い違いだったらしく、私は彼に結構な我慢を強いていたようだった。
私は何かあるたびに、自分の行動原理を言語化して説明していたつもりだったし、
彼もそれを聞いて共感はできなくとも理解はしてくれていると思っていた。
が、実のところ理解はしておらず、「自分が我慢して受け止めることで支えなければ」とかなり思い詰めていたらしい。
コミュニケーション不足だと言われればそれまでだけれども、私も余裕がなかったのかそこまで気づけなかったことにとても後悔している。
とはいえ、理解が得られないのであれば今後もうまくいかなかっただろうから、これに気づいた時点で別れは早かれ遅かれ必然だったとも思う。
私には精神的な既往歴もあり、昔とは比較できないほど安定したものの
自分の活動量をコントロールするのが本当に下手で、頑張りすぎて鬱っぽくなることが多々ある。
これは多分今後一生、1人では完全に改善できることはないし、むしろそれすらもうまくコントロールできる人と一緒になる必要があるのだと感じている。
我儘でしかないとは思うが、ここまで頑張って来たけどどうにもならなかった、自分の弱点の一つという認識。
彼も心身ともに強いほうではないし、ただただ"相性が悪い"という結論に至った。
これまで相当な無理をさせていたんだな、とも。申し訳なかったな。
ただ私は私で小さな嘘が重なって少しずつ傷ついていたし、最近はセックスに逃げているんだろうなと薄々感じてしんどかった。
実際別れ話の中で「嫌なところから目を逸らすためにセックスに逃げていた節がある」とも言われたし、
答え合わせになってしまって正直堪えた。が、自分の言動で彼をそうしていたと思えば自業自得でもある。
別れ話の中での諸々の発言を見るに、俗に言うモラハラ夫になっていただろうから、結果としてこれで良かったのだろうと思う。
子育ての方向性の違いやモラハラ気味な発言が元で別れた両親を見ているので、
「愛さえあれば」なんてものは幻想だと知ってはいたものの、ちゃんと身をもって学びになったと思えば無駄ではなかった。
この増田は、孤独で気が狂いそうだ(https://anond.hatelabo.jp/20220116164742)の続編である。あの時心配してくれた皆さんにご報告をしたいと思って書いた。
私は32歳の女で、生まれつき発達障害があり、父との共依存関係に悩んでいる。
結論から言うと、父とは家を別にすることになった。別居先は、空き家になっている築45年の父方祖母の家で父の持ち物だし、経済的に自立できるまでの間、生活費の一部は父に出してもらうし、1日に1回は父から電話がかかってくる。とても自立とは言えない。それでも、別居だ。別居なのだ。自由だ。
相談支援専門員さんの件はどうしたかというと、父から離れたら、一生生活保護で、治安の悪い地域のボロアパートだねと言われて、ビビって逃げられなかった。ごめんなさい。
中学受験をして入った私立の中高一貫校は、生徒みんなが旧帝大の医学部を目指すバリバリの進学校だった。毎日、大量の宿題が出た。
両親は、
・時間を作らないお前が悪い
と言っていたのだが、それはゲームやインターネットの実質的な禁止だった。
私は鈍臭く、しばしば他の生徒から文房具を投げ付けられたりしていて、何だか勉強に身が入らず、成績が学年最下位付近をさ迷っていた。
ある日、私はどうしても我慢ができず、宿題が終わっていないのに、こっそり母の部屋からゲームを持ち出してやってしまった。すぐにバレた。父はいつも通り「誰がお前みたいなゴミを養ってやってると思ってるんだ。親の言うことが聞けないなら、今すぐ売春婦にでもなっちまえ」と怒鳴った。私を叱る時の決まり文句だ。父が私を押さえ付けて、母が私の頭を何発も殴った。
折檻が終わって、私は自分の部屋で一人になった。むしゃくしゃして、何か壊してやろうと思いながら部屋を見回した。家具やぬいぐるみを壊すのは可哀想でできなかった。代わりに、自分の腕や脚をカッターナイフで切り付けた。今思うと、カッターナイフでやってよかったと思う。カッターナイフで血が出る程度に切ったところで、跡は残らないからだ。
翌朝、傷を見せるでもなく隠すでもなく、朝ご飯のパンを食べていると、両親が傷に気付いた。「見ろよ、あの厨二病。自分が可哀想だとでも思ってんのかね、受ける」と両親は私を指さして笑った。
両親が心配するような期待はしていなかったけれど、喜ばれるとは思っていなかった。アホらしくなって気持ちが冷めて、その後自傷行為はしなかった。
ちなみに、この話を中3の時の担任にしたら「リスカを止めてくれるなんてなんて素晴らしいご両親なんでしょう!感謝しなきゃね!」と一人勝手に感動してうっとりしていた。
その時の、両親に怒鳴られ、殴られ、笑われる夢を見た。カッターナイフの刃が腕に入っていく感触も蘇った。
朝起きて、もう父と暮らすのは無理だ、と強く思った。父と一緒にいると、父がどんなに優しく親切にしてくれても、すごく苦しくてモヤモヤする。その正体を見たような気がした。
その日、私は父を拝み倒した。しばらく、おばあちゃんの家に住ませてください。どうかお願いします。お父さん、ごめんなさい。嫌な夢を見て、死にたくなりました。と言った。父はめちゃくちゃ動揺していたが、死にたいと言った私の勢いに押されて、別居する上に経済的援助をするという、無茶苦茶な条件を飲んでしまった。父のための家事を放り出すのに、お金を請求するのは自分でも無理筋だと思ったが、通ってしまった。あと、父は身内が生活保護になるのは困るみたいだ。
こないだジュンク堂で立ち読みしたギャンブル依存症の本が役に立った。ギャンブル依存症の夫を持つ妻は、治療のお金を夫の親に出してもらいましょう。1ぺこり300万円です。頭を下げてお金をもらいましょう。私はこれを読んで、生き残るためにプライドや気まずさを捨てよということだと思った。
とりあえず、半年分の生活費を私の口座に振り込んでもらった。汚い生き方だ。でも、死ななきゃいいんだ。
今はB型作業所だけど、父と離れたら健康になってもっと働けるかもしれない。そうしたら、いつか自分のお金で全て賄える日が来るかもしれない。そう思っている。
何となく反対って思っている人はともかく、周りまで巻き込んで強烈に反対を主張している人って
まず最初に「反対」という結論があって、それを正当化する理屈を探し出してきているようにしか見えないんだよね(本人は無自覚だろうけど)。
だから、費用が高い、というのだって、じゃあ幾らだったら認めるの、と言われても答えは出ない。幾らであったとしても文句を言うから。
法的根拠についても、完璧でないと批判をやめない。予備費制度をもとに閣議決定で行うことが可能(https://note.com/tokushin_note/n/ndd2dd5a64f42)とわかっても、
昔の法制局長官は3権の了承が必要と言っていた(らしい。もちろん公式見解ではないし、司法の了承とは何?)とか、大日本帝国憲法時代の国葬令が現憲法では廃止された、など過去まで遡ってとにかく否定する材料を探し出してくる。
(それぞれの主張に理がないと言っているわけではない。100点以外は認めない、という姿勢のことを言っている)
仮に、完璧な法的根拠があった場合には、他の論点で批判できる材料を探すだけだ。
こういうような「反対のための反対」をやる人たちを見分けるコツがある。
この人たちが「賛成」に考えを翻す条件は何だろう、と考えることである。そのような条件はない(どんな状況であっても反対する)と感じるのであれば、反対の結論ありきの人たちだ。
こういう人たちに直接反応するのは無意味なので、基本的には無視すればいい。
ただ、害悪もある。こういう人たちの扇動によって物事の重要性の軽重がわからなくなりやすいからだ。
批判の対象には、憲法違反から法律違反、倫理違反、説明不足など様々なレベルがあり、批判する根拠についても、確定情報から憶測に基づくものなど、様々なレベルがある。
「無条件の反対者」はこれらをどれも同じトーンで主張しがちなので、冷静な一般人は、それらの主張がどのレベルのものかを自分で判断する必要がある。
自分をまとも側だと自覚する人には、是非これらのことを日頃から意識していただきたい。
ちなみに、自分がなんでこのような考えに到達したかというと、自分が結婚するときに母親に猛烈に反対された経験があるからである。
文句を言われるたびに、説明を尽くしたり自分の行動を変容させたりしてきたのだが、そのたびに文句の内容を変えてきて時には自らの過去の主張も翻してきた。
(内容としては、奥さんとなる人のこの挙動が気に食わないだとか、結婚に向けた進め方が気に食わない、とかそういう類のものだ)
今から考えるとあまりにくだらない理由も多いのだけど、過干渉当たり前の家族で生きてきたため、強烈な怒りを前にして臆してしまっていた部分があった。
結果としては、このような親子の共依存関係から概ね脱して結婚できたのだけれど、なぜ母親がこのような態度を示したかというと、息子に執着しており手放したくなかった、というのが自分のなかでの結論である。
(様々な個別の批判は本質ではなかったということ。これらのすべての批判に対応できる完璧超人は存在しない)
このことから類推するに、反対のための反対をしてしまう人は、相手に対して何らかの執着や依存をしてしまっているように感じる。
国葬に関して言うとその対象は安倍さん(もしくはアベ的なるもの)になるのだけど、どのように執着しているのかは自分でもすぐにはわからないので、他の分析者に任せたい。
確認したいんだけど、あなたの知合いで同年代で高齢独居の母親持ちって人がどんだけいるのよ。
60代で配偶者が死んでる夫婦って、激レアとは言わんけど多くはないでしょ。
絶対数が少ないんだから稀になるの当たり前だし、親の様子をどう見てるとかよっぽど親しくないと一々他人に言わなくね?
だったら年越しの件で旦那さんが折れること無いやろ。
そこで折れてくれたんだから本当に全面的に受け入れていたわけじゃなくて、そこには旦那さんなりの判断が色々あったってことやろ。
異存傾向にある関係性が構築されているってのはあなたの中ではもう事実なんや。
そこを疑え、旦那を支えてやれつってんのに。
よかった
もうこれで私を理解ある彼くんの代替品として頼ることは当面なくなる
友達(女)は学生時代から精神疾患持ちで仕事を転々として実家に頼ったり理解ある彼くんを乗り換えながら生きてた
そして常に結婚を迫り理解ある彼くんを闇堕ちさせて別れてその度に私に連絡が来て一通り愚痴言われていかに自分が不幸か並べてしばらくしたらまたどこかから新たな理解ある彼くんを錬成して共依存に近い関係で数ヶ月過ごして、また闇堕ちさせて別れて…………みたいなのをこの5,6年続けていて私は理解ある彼くんと理解ある彼くんの間に理解ある彼くんの代替品として扱われているなと感じていた
多感な頃を一緒に過ごして私ももちろん彼女に支えられたことはあるけど、数年前自分がメンタル壊した時に真の意味で精神的自立をしたいと思いはじめてから彼女の行いに我慢出来なくなっていた
なんというか、十数年前の出来事に対して「こちらがあの時お前を支えたんだから、今の私の愚痴くらい聞け」みたいなオーラをビシビシ感じる
あと「今の私の愚痴を聞いてくれたらいつかそちらの愚痴も聞きますよ」みもある。でも私は一生彼女に負担になるような愚痴は言わないだろうから、すごい一方的に善意の応酬を要求されているような気分。不快。
だからすごい年下の新たな理解ある彼くんが出てきた時は安心した。話を聞く限りその彼は「かわいそうな人を助ける自分が好き」的なタイプ。長持ちしそう
彼女は結局、自分をかわいそうな人として扱ってくれる相手が常にいないと自分を慰められないんだろうから、彼が闇堕ちする前に結婚まで持ち込めてよかった
もしかしたら私は自分にはいない理解ある彼くんの錬成に成功し続ける彼女に嫉妬してこんなことを思うのかもしれないな。でも理解ある彼くんがいないと女友達に依存するような存在が近くにいると自分もそうなりそうで怖いよ。そんな恥ずかしい女になるくらいなら1人で家で酒でも飲みたい
なにはともあれ、結婚はめでたい。
家庭版のまとめサイトを見ていたら、コメント欄での報告者叩きが後味悪かった
ペットに危害を加えられそうになったことでそれまで閉じこもっていたトイレから出た
報告者は無残なペットの死骸の傍で犯されたという内容
確かに、報告者にも落ち度はあった
・トイレに籠城したさい、携帯を持っていたのに警察に電話しなかった
(通報している声がドアの外にいる彼氏に聞こえたら逆上されそうなうえ、
父親にメールで助けを求めたにも関わらず外面のいいDV彼氏を信じ切っていた父親は信じずに、
だけど、その落ち度から
「ペット殺しの共犯」「お前がタヒねば良かった」「メンヘラビッチは氏ねwwwwwww」
元増田です。
私自身も理解ある彼くんエンドに苛立つメンヘラだった訳で、書くかどうかは迷ったわけだけど手軽なハッピーエンド感に妥協してしまったんや、ごめんね
学生時代は彼とはただの友人で、当時他の女の子に片思いしてたのも知ってるから、私のことはマジで何とも思ってなかったと思うよ、好きでもない女のつまらない愚痴を延々と聞いてくれる底無しのお人好しだった。
彼と深い仲になったのは、社会人になったあと彼がメンタルやらかして休職中だった頃で、彼目線なら私は理解のある彼女ちゃんかな?まあ、客観的に見ればメンヘラ同士の共依存。
その後お互い転職して、今はなんとか元気でやってる。彼は私がいてくれて良かったなんて言ってくれるから、多少は心の支えになれてたのかな。全然何もしてあげられなかったどころか、彼の負担になってただけな気がするんだけど。
結局、メンヘラから立ち直るには他者の介入が不可欠で、周りからの支援の受けやすさに性差はあると思う。
恋愛的・性的な部分を抜きにしても、所謂「愛嬌」みたいな部分は、傾向として女性が得意だったりするよね。人に甘える、とか弱音を吐く、とかも。生来的なものなのか、後天的に獲得したものかはさておき。苦手な女性も得意な男性もいるけどさ。
助けを求められずに弱っていってる人に気づいて味方でいてあげられる人間でいたいな、と思うけど、恋愛的関係になる気がない相手にそれをやると、結局最後の最後で梯子を外すような感じになってしまってやるせない。
恋人になってあげられないならメンヘラに手を出すな、となってしまうんだよなあ……私も彼が大事なので、今後は目の前に悩んでいる人がいても依存されそうな気配がしたら距離を取らなくてはいけないんだろう、冷たいけれど
彼が私を好きになってくれて良かった、私が彼を好きになれて良かった
好きな人に愛されるという究極の他者承認の効能を実感してしまったあとだと、恋愛に癒しを求める気持ちを悪く言えない
みんな愛されて元気でいてほしい
味は一切わからなかった。吐きそう。吐きそうだから、ここに吐き出させてくれ。
経緯だけ。何が起きたのかは書かない。経緯だけ。
僕は高校に入った直後から、イジメでずっと暴力を振るわれていた。
家に帰っても、親の前でいい子にしないといけなかった。逃げ場がなかった。
女の子に興味ある年だったのに女の子も怖かった。劣等感しかなかった。
金を取られたり火を付けられそうになったりした。死にたかった。
イジメっ子のグループの中で居場所を作ればいつか止まると思って、自らイジメられるようになった。
おかしくなってた。
もちろん自分はゴミだと思っていたし、彼女なんてできるわけがないと思ってた。女の子には笑われる人間だと思ってた。
でも告白したら彼女は付き合ってくれることになった。初めての彼女だけど、自分にとってそれ以上の意味だった。
当時僕は、彼女はもちろん僕のことを好きだから付き合ってくれていたと、思い込んでいた。
でも、違った。 彼女は中学のときにレイプされてから境界性パーソナリティ障害的な自傷行為として、いろいろな男に身を売っていた。
単に僕もその一人だっただけだった。
彼女は付き合ってすぐ僕に、「彼氏がいても他の男とセックスする汚い女だから別れたほうがいい」と言ってきた。
典型的な境界例の試し行為だった。普通の男なら秒で別れるところを、
僕は、地獄に降臨した神様を失いたくない一心で「それでもかまわない。好きだから一緒にいたい」と言った。
彼女は、わざと他の男と関係をもって「ほら別れたいでしょう」という行動を、僕に何度も繰り返してきた。
もちろん当時は精神分析なんてできないので、自分から別れを切り出さないのに、別れを勧めてくる彼女の意味がわからなかった。
付き合っている人が自分以外の男と関係を持つという苦しさも、別れてまた一人ぼっちでイジメを受けるよりはマシだった。
結局、それが彼女にとっての承認になった。図らずも、彼女にとってはありのままを知っても受け入れてくれる存在になった。
そこから、お互いがイジメとレイプそれぞれの暴力による苦しみからの精神的な逃避場になり共依存になった。
彼女は僕に救われたし僕は彼女に救われた。周りからは卒業したら結婚するだろうと言われていた。つかの間の幸せだったかもしれない。
僕にイジメがなくなり彼女も他の男に身売りしなくなって3年たった夏のある日に、僕が浮気した。
僕は軽い遊びのつもりだった。けど彼女にとっては男性への信頼が崩れたフラッシュバックになった。
自傷行為が激しく再発して、手当り次第男と寝るようになり、そのうち父親不明で妊娠した。彼女はひとりで生むことを選んだ。
自分のせいで再び狂っていく彼女を見て、僕は必死に謝ったり、駆け落ちをしようとしたりした。
けれど彼女からの信頼は戻らず、結局最後には、彼女から逃げ出すことにした。
大学に入ってもうイジメもなくなっていたし、浮気相手の子と付き合って、すべて忘れて過去と決別して、新しい人生を送ろうとした。
あれは全部なかったことだと、イジメも、そこから救ってくれた彼女も、その彼女を自分で再び壊した自分も、ぜんぶ悪い夢だったんだと
それから10年ぐらい経って、僕はサラリーマンになってそれなりに成功して、独立をしようとしていた。
そのあたりから体に異変が起き始めた。毎年、夏のある日になると眩暈や吐き気や自律神経失調に悩むようになった。
ガン化した記憶にはうすうす気が付いていた。毎年大きくなっているのも知っていた。だけど見て見ぬふりを続けた。
数年前からは、夏の日の前後に鬱になるようになり薬を飲まないといけなくなった。
カウンセリングをうけると、当時の後悔と自責の巨大なトラウマがあり、時間が経てば立つほど一層ひどくなると言われた。
僕は20年の時を経て、あのときと同じように、彼女に助けてもらうことを選んだ。
自分の封印を自分で解いて、彼女に会って、その後20年でいったい彼女になにがあったのかを知ることにした。
そして、勝手に謝って、あわよくば許してもらって、助かりたいと思った。
カウンセラからは、彼女の状況によっては僕の症状は急激に悪化するかもしれないと言われた。
刺されてもおかしくない。でも、そもそも僕は高校で死んでいたかもしれない。
あわよくば助かりたい。でも刺してくれるなら、刺してほしい。あの人に殺してもらえるなら、それ以上の喜びはない。
そんなエゴにエゴを重ねた理由で、20年ぶりに、銀座で彼女と再開した。
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どんどん詰ってくれ。詰りまくってくれ。20年たってもう一回繰り返してるんだから。
会社起業の軍資金は、その時に一人で子供を産もうとする彼女を誘拐して駆け落ちしようとしたときの軍資金だよ。警察沙汰になって失敗したけど。
だから経営と投資に成功すればするほど、メンタルが壊れてきてるんだよ。自慢してるのか自傷してるのかわからん。救いようない。