はてなキーワード: 五輪とは
ちょっとまとめてみようと頑張ってみました。2020年以降の時系列がまとまった資料がなく苦労しました・・・。世界よこれが日本のレガシーだ!!
7月8日、東京五輪が無観客開催になった時点で、状況は根本的に変わったんですよ。
すなわち、五輪を観戦する方法は、事実上『お家でテレビ観戦』する以外なくなったということ。
すでに学生は夏休みに入っているし、お盆を前に勤労者もどんどん休みを取るようになる。
今まで我慢してきたぶん感覚がマヒし、帰省に行楽地にと大挙して出かける様子が見て取れるじゃないですか。
デルタ株は今までと全く違う!感染し呼吸苦になっても入院できないよ! このままでは医療崩壊してしまう!
・・・・と恐怖感を煽り叫んでも、もうすでに声が届かなくなっているんですよ。
ところがです。ここで『外出自粛』を実現できる強力なコンテンツが身近にあるじゃないですか!
やはりスポーツはライブが命。同時進行で繰り広げられるゲームに思わず没頭した経験が誰しもあるはず。
感染対策に、外出自粛を実現する強力なコンテンツとして、『家で五輪をテレビ観戦』することを推奨すべきです。
五輪中止派の方々は、すでに手段が目的化してしまっていることを自覚すべきです。
本来、感染対策として五輪中止を叫んでいたはずが、五輪中止自体が目的化してしまったことを。
むしろ今は逆に、五輪を中止すれば外出自粛が守られなくなり感染拡大してしまう恐れがあることを。
もちろん五輪には色々問題はある。IOCも自民も菅も糞だし電通の体質にはウンザリする。まさしく仰る通り!
今、男子柔道60キロ級で、高藤が金メダルを取り号泣してました。思わずグッとくるものがありましたよ。
五輪中止派の方々も、その貴重なご意見はしばし置いて、あくまで感染対策としてでもいいので、外出自粛の手段としてでも、五輪を楽しみませんか?
ねえ、先生。
https://twitter.com/nishiurah/status/1418718988901642247?s=20
柔道の一本はまあまあ理解しやすいが、指導は審判の裁量次第なので日本が勝ってももやっとはする。
でも厳密に数値化できないしね。
吉田秀彦が泣いているのでなんかストーリーがあるんだろうがそこまではわからない。
むしろ吉田秀彦がPRIDEでタンク・アボットに肩固めで勝った試合が思い出される。
吉田はあの試合で重量級のタンク・アボットにパンチで勝負を挑んだ。
それもそれほど上手とは言えないパンチでぐらつかせ、最後は片羽絞め。
すごかったね。あれは。
五輪楽しんでるなぁ。
■パヨクの歯軋りでメシが美味い
https://anond.hatelabo.jp/20210723225938
https://anond.hatelabo.jp/20210723223439
masaru_al ここ数年、特にネット上の五輪反対派があまりにもうざったくてうんざりしてたから、いまこういうことを言ってやりたくなる気持ちは凄くよくわかる。無事オリパラが終わったら反対派の墓でも立ててやりたい
https://b.hatena.ne.jp/entry/4705875146605858018/comment/masaru_al
zuiji_zuishozuiji_zuisho まあ、なんか今回のオリンピックは、人死にを屁とも思わない賛成側を相手に、反対側は人死にが出ても決して喜ばない理性を試されてる感じはあるよね。
samehadax このところの無視・強行は学習性無力感を覚えさせるためのムーブだと想定してキチンとムカつき続けるよ
kuzumimizuku こういう煽り、大嫌い。どーせ五輪関係者本人でもない限り(それはそれで唖然とするけど)「煽って自己満足したいだけのクソガキ」なので相手にしなきゃいいんだけど、つい反応しちゃう自分も大嫌い。
sacatorine 成功するんじゃなくて、「成功した」という扱いをされると思っている。COVID-19感染者が増えたり、選手やボランティアが熱中症などで倒れたり最悪死んでも「終わってみれば悪くなかったね」という空気を作る。世間が。
五輪の開会式でゲームのBGMが大々的に使用されていて好評を博していた。
世界中の選手が入場し、天皇陛下や総理なども列席するイベントの音楽にゲームBGMが採用され、アナウンサーは「日本が世界に誇るゲーム音楽」という感じで紹介していたようだ。
これ自体は文句なく素晴らしいことだし、開会式も思っていたより遙かにまともだった(事前のゴタゴタで期待値が低すぎたせいもあるが)。
しかしながら、末席ながらゲーム業界で働いている者の実感としては、なんというか違う世界を見ているような気分になったのも事実だった。
というのも、私の実感ではいつゲームが国家の一大イベントの音楽に採用され、「日本の誇り」と当たり前のように語られるようになったのか解らないからである。
思えばリオ五輪の閉会式でも当時の安倍総理はマリオのコスプレをしていた。これもまた画期的なことで、政府が世界に通用する、知名度の高いコンテンツとして実利的な観点からゲームを選択したと言うことだ。
しかし、日本政府はそこまでゲーム産業の知名度や競争力を理解しておきながら、ほとんど国家としては何の支援もしてこなかった(そして現在も特にしていない)。
クールジャパンという題目が掲げられて20年ほど経つが、その間についぞ政府の支援を受けてゲームが作られたという話を私は知らない(これは本当に無知なだけかも知れないが)。アニメ業界にも共通する、末端のクリエーターの低賃金、長時間労働は一向に解決されていない。
マリオの生みの親、宮本茂は2019年に文化功労者に叙されるまで何の政府からの表彰もなかった。人間国宝でもおかしくないだろうに。
世間の目も一貫して冷たかったはずだ。ゲーム脳等というオカルトが蔓延ったのはさすがに一昔前だが、今でもゲームというのは教育に悪いもので、映画や文学などの「芸術」とは違う、低級なモノという偏見は拭われていない。香川県では県ぐるみでゲームの規制が進行している。
そもそもゲームがお茶の間の話題になるのはせいぜい新型ゲーム機が発表されて電気屋に行列が出来たときか、任天堂からポケモンの新作が出たときくらいである。
例えば日本のゲームがGoTY(その年に発売された全世界のゲームの中で最も優れたゲームに贈られる賞)を受賞しても、それを大きく報じるのはあくまでゲームメディアだけで、一般のメディアには触れられさえしなかった。
国産ゲームがGoTYを受賞するというのは、その競争率や産業の大きさを考えれば「邦画がアカデミー作品賞を受賞する」「日本がワールドカップで優勝する」といったインパクトに匹敵する偉業といっても大げさではないと私は思う。
しかし全くニュースにもならない。ゲームというコンテンツを楽しむ人の数は映画やサッカーに全く負けていないはずなのに。
ちなみに日本は2000年代以降でもGoTYを3度受賞している。
このようにして、日本のゲーム産業というのは国から無視され、社会から蔑視されつつ、勝手に作品を作ってきた。予算の桁が一つ違う海外産のゲームにアイデアと日本独自のテーマなどを駆使してどうにか張り合ってきた。
そうしているうちに海外では評価されるようになり、今や一部の例外的なジャンルを除けば、国産ゲームの売り上げの大半を海外での売り上げが占めるようになった。
自分の認識している日本におけるゲームの立ち位置というのはおおよそ上記のようなものだ。
だから、オリンピックの式典のようなハレの舞台に唐突に日本のゲームが登場し、「日本が世界に誇る~」みたいな紹介をされているのを見るとパラレルワールドに来たような気持ちになった。
「今まで無視してきたのに都合良く利用するな」という憤りより、戸惑いの方が大きい。
ジャズ評論家さん、若者ならともかく40超えてこの呟きはある意味すごいな。
五輪に賛成反対は人それぞれだが、色々な葛藤があって出ることを決めたであろうに。
ダセーな。
オァーッス
先日はオリンピックの開会式を踏まえた上でオリンピック反対派を煽る増田が多かったのですがそこまでブクマされず、個々で感想文を書いてる様子が見受けられました。
反対派も一緒に五輪を見て楽しんでて体調が悪くなった増田も見受けられたので、今日は体調管理に気を遣って過ごしてほしいです。あと単純に暑いので。