はてなキーワード: 世界史とは
まあ元増田の意向に沿ってセンター試験としては古漢を廃止することにしよう。でもその変わりに文語文読解は欲しいかな。
で、いっそのこと理科社会を分量を調整しつつ3科目3科目にしよう。
で、現状理科は物理基礎、化学基礎、生物基礎が必修なのをプログラミング基礎新設して生物基礎と排他にしよう(僕は化学生物選択で生物大好きなんだけど生物という科目自体最低でも化学が入ってないと概論しか掴めない面があるのは認めざるをえない)
社会は倫理と政経を本格的に統合しよう、世界史日本史も選択のままにするか悩むんだけどここら辺はあまり実感がないので⋯⋯まあ世界史は地理の上に軽く補わせるとかは思いつくんだけど。まあ上手いこと整理して地、歴、公民をすべてこなしてもらおう。
こういう問題で「ケースAはありだけどケースA'はダメだな〜」っていうとダブルスタンダード指摘されるじゃないですか
だからそういう時はAとA'の間の差を考えるんですが、結局は自分にとって面白いか面白くないかの差しかないと思うんですよ
だって生まれとか性格とかがある以上、立場を超えて完全にニュートラルに物を捉えるのなんて無理じゃないですか。とくに面白いか面白くないかみたいな感情の部分に関しては自制したところで心の中で面白がるのはやめられないですし
個人的には浜田のエディーマーフィーには爆笑しました。はあちゅうがセクハラ糾弾する一方童貞いじるのは(謝罪も含めて)不快ですが童貞いじり自体は悪意がそこまで感じられない限り嫌じゃないです。
例えば、海外のインターネット上での面白コンテンツは全般的に「meme」と呼ばれるのをご存知でしょうか
「meme」と世界史を絡めた「history in memes」という世界の歴史を面白おかしく茶化すコンテンツがあるんです
敗戦国の日本はドイツほどではないにしても当然茶化される対象なんですが、ニュートラルな立場で見たら面白いだろうなというネタに対しても日本がバカにされているものだと複雑な気持ちを抑えられません
そういう部分もあります
最近ようやく最終巻を買ったのでこの際だからとゼロの使い魔を最初から読み返してる
三銃士の時代って世界史的には三十年戦争辺りになる訳だけど、あのくらいの時代ってなんというかちょうどいいとゼロ魔読みながら思った
ファンタジー小説って剣一本でズバズバ大勢をやっつける凄腕の戦士や魔法使いが戦術兵器、さらに凄い戦士や魔法使いだと戦略兵器扱いされてたりする訳じゃん
でも近代的な武器と大軍を運用するノウハウが出揃ってくるとそういう人達って相対的に地位が下がっていく
個としての強さよりも数を揃えることとそれを運用することの方が重要になってくる
もちろん魔法や個として飛び抜けて強い人を近代的な戦術に組み込んでいく事は当然あると思う
でもそれってファンタジー世界の剣と魔法、分かりやすい英雄譚としてのそれではなくなる
対戦車魔法兵の話とか面白そうだけど、どう考えても泥臭い話になるじゃん
ゼロ魔の主人公である才人は作中である事情から7万の大軍と単騎で対峙することになる
その結末は一応ネタバレになるからさておくとして、それがお話として成立するのはゼロ魔の世界観の文明レベルくらいが限界だと思う
そういう意味でもゼロ魔の世界観の扱い方は凄く上手いなぁって思う
プロに上手いって偉そうだとは思うんだけどそれ以外の表現が思いつかない
惜しい人を早くに亡くしてしまったのだなぁと改めて思った
今度会社立てるんだが
手伝ってくれてる人達やその周囲が自分よりはるかに優秀でつらい
俺が社長でほんとにいいのか? しょぼいぞ俺、そこらの増田だぞ
(ちなみに俺の人柄で手伝ってくれてるとかではない、たまたまだ)
いや違うな
そういう「そこらの社長よりはるかに優秀な人」って世の中ちょいちょい居るよな
手伝ってくれるけど社員にはなってくれないんだよ
社員になったとしても1年だけとかだ
非常に自立して、それぞれやるべきと思うことをやってる人たち
社長ってそういう人をどう巻き込んで手伝っていただくか、みたいなところあるよな
自信ねーわ
何やってんだ俺
全員のなかで一番下が俺じゃねーか
優秀になりたい
どれだけ成功しようが優秀にはなれない
だめだ考えるのをやめよう、手を動かせ
こんなしょぼしょぼを手伝ってくれてありがとうございます靴舐めます
はぁ
__
思い出したが俺の周りはいつもそうだ
田舎の小学校の友人は京大で今教授コースに乗ったらしいし、別の友人は弁護士になった
何でだ、何であいつセンター試験1週間前から世界史始めて91点取ってんだ
俺の地理71点だぞ
皆俺の低レベルっぷりを認識していない、TOEIC350点の実力を見くびっている
無勉で600点しか取れなかったとかいう友人の話を聞くたびに顔が引きつる
英語は世界共通語かもしれないが、俺のハウスルールではそうではないから、すいません、英語覚えてる暇ないの、ジャパニーズプリーズ
帰ってオナって寝たい
東西冷戦末期、1989年ベルリン。「壁」崩壊前夜のこの街で西側諸国のスパイ情報がKGBの手に渡ってしまう。それを奪還すべく、ロンドンから一人の凄腕女スパイが世界史に残る大イベントを迎えんとする狂騒の街へと送り込まれた――。
と、『アトミックブロンド』はベルリンでの任務から帰還した女スパイ(シャーリーズ・セロン)が上司のMI6幹部から事の顛末を尋問される形で進行する回想劇なのだが、タバコを吸いながらふてぶてしい態度で語られる女スパイの武勇伝のまぁド派手なこと。
まずベルリンに到着して数分でドンパチ(出会って4秒で合体かよ)。
その後も次々と修羅場が訪れるも、複数人で襲いかかってくる男どもをタマキン蹴り上げながら、ほとんど素手でバッタバッタとやっつける女スパイ。
まるで軽快さのない痛々しいアクションシーンに顔を歪めつつ、次第に慣れてきた観客は気づき始める。「ははーん、シャーリーズ・セロンが男のタマキンを蹴り上げたいだけの映画だな」
そんな男には容赦のないセロンもカワイコチャンにはめっぽう弱い。夜の盛り場で出会ったキュートなフランス娘に「これは即ハメボンバーですわ」とメロメロのセロン。辛抱たまらずクラブのトイレで濃厚キス。「スパイの用心深さはどこにいったんだ」と呆れる観客を尻目に滞在中のホテルにお持ち帰りして、「ほな、お先にアタイらのベルリンの壁、崩壊しますわ」とばかりに濃厚レズセックスを繰り広げる。
男に対してはあんなに厳しいのに女同士だとここまで激甘なのかとばかりのネットリ系プレイで、観ているだけで糖尿病になりそう。これにはMI6幹部も「その話kwsk」と身を乗り出し尋問に熱が入る。「さすが紳士の国」と観客は心のなかで日英同盟即日発効。
その後も「モブ厳」ならぬ「タマキン厳」シーンは続く。西ベルリンから東ベルリンへと潜入した女スパイ、入国直後に尾行され(スパイのくせに気づかれすぎだろ)、とっさに入った映画館で尾行を撒こうとする。非常ベルを押して混乱がおきた隙に逃げ込んだ先は、映写幕の裏。
映画が投影された映写幕をバックに格闘を繰り広げる女スパイ。タマキン蹴り上げノルマをきっちりとこなしつつ、「あの映写幕に突っ込むんやろなぁ」という観客の予感にキッチリと応え、頭から突っ込んで映写幕をブチ破る女スパイ。
これには私たち観客も阿吽の呼吸で「そのためのヤシの木かよ」と自分たちの観ている映写幕にツッコミを入れないわけにはいかない。
※参考資料:そのためのヤシの木とは (ソノタメノヤシノキとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
その後も、次々と襲い掛かってくる男どもの顔面にタマキンに攻撃をくわえ、奪い取った銃で頭をぶっ放し、弾が切れたら銃のグリップで頭を殴りつけ、タマキンを蹴り上げる。
「そんなのないよあり得ない」と思いながらも、激動のど真ん中にある東西ベルリンを舞台にしていることもあって「それがありえるかも」と思わせる力技で物語は進み、緊張感を保ったまま最後まで持っていく。
とまあ基本的にはご都合主義なんだけど、いちおうは男女のパワー差を考慮して、女スパイがエレガントに軽く一撃でやっつけるということはしない。普通に反撃を食らって、顔に大きなアザを作り、脳震盪を起こしてフラフラになりながらも戦い続ける姿は悲壮感すら漂ってくる。(それでも「素手で何人もの男をやっつける時点でご都合主義だろ」と言ってしまえばそれまでなんだけど)
それに、キュートな女性を目の前にしてスパイ失格レベルで知能を低下させている様を描いており、「男と変わんねぇじゃねえか」と観客に突っ込ませる余地も与えてくれている。
とにかく非現実的な「完璧な女性像」を作り上げて観客をシラけさせるということはしていないので、そのあたりは良くできていると思った。
ともあれ、モラハラ上司や元カレなど身近にいる男のタマキンを蹴り上げたい! と日々ストレスを抱えて生きている女性は「ぷいきゅあがんばえー!」のノリでシャーリーズ・セロンを応援できるし、心の日英同盟締結済みの紳士諸君(同士よ!)にも十分楽しめる映画となっている。ヘテロ男はお呼びでない。
【以下蛇足】
今まであまり映画を見てこなかったけど、最近にわかに映画欲が湧き出し、映画館に足繁く通うようになった。
それで思ったのは、「アメリカ人はいつまでソ連に怯えているんだろう」ということだ。
『ドリーム』は、「ソ連がミサイル撃ってくるの?」と怖がる3人の娘に「だいじょうぶ、母ちゃんNASAでがんばるからね」となだめて寝かしつけるも、ソ連の前にまず自国の差別と戦わないといけない黒人シングルマザー細うで繁盛記だし、
『バリー・シール』は「ソ連はこんなヒドい国なんですよ!」と国際社会にアピールするためにもっとヒドいことをするアメリカと、そんな母国に利用される小悪党パイロット(元トップガン)という話だ。
そして『アトミックブロンド』も言ってしまえば、西側のスパイ情報がKGBの手に渡り「ソ連に殺される……!」と怯える人たちの話であり、結局アメリカ人は冷戦が終わって何年経とうと「ソ連こわい」映画をこれからも作り続けるんだろうな。
ちょっと前に観た『ダンケルク』もナチスに怯えるヨーロッパの映画だし、日本人は「悲惨な戦争に翻弄される庶民」映画を、中国人は「我らの大陸を土足で踏みにじった野蛮な日帝」映画を作り続けることだろうし、やっぱり戦争ってよくないな(なんだそのまとめ)。
とにかく、劇場で映画を観るのはとても楽しい。単にデカい画面と音というだけでなく、何というか「体験している」という感じがあって良い。しばらくは映画館通いの日々が続きそうだ。みんなのオススメ最新映画を教えてくれ。
道徳や知識が中途半端に行き渡ったことで利己心と交雑して過保護な世界(例えばクレーマーとそれに対する対応、公園の遊具などへの規制、グローバリズムに対してのナショナリズム)になったなあ、とか、
日本が社会主義と比喩されるのは自分の利益を追い求める資本主義の中でも社畜精神が強いから本来勤労意欲減退の原因となるはずの薄給もなんだかんだ許される(俺も苦しいからお前も苦しめ的な風潮、圧力)し、それでうまくいっているから、とか、
考えるけど人には言いづらい。
経済学も新書でかじった程度、世界史も教科書の知識しかないぺーぺーだし、この思いつきもTwitterを見てて着想を得た程度だかられっきとした根拠があるわけじゃないけど自分の頭からどこかに書き出したかった。
資本主義も格差拡大が止まらないという点でだいぶ限界を迎えてるんじゃないかなと思うけど、もう半世紀は生きるかもしれないから健康で文化的な生活を送れる程度に稼げる職に就きたい、のし上がりたい
お金欲しいな〜〜