はてなキーワード: マイケルとは
単調なビートというか、反復を繰り返しながらメインのメロディだけをどんどん発展させるアプローチはそれこそジェームスブラウンだかの時代のファンクソウルからポップスに定着してる。
誰でも知ってるマイケルジャクソンの「スリラー」や「スムースクリミナル」もトラックだけ見れば1つのリフレインだけで出来てるし、それ自体は目新しいことでもない。日本でもオザケンの「ラブリー」等、局所的にそういうものがヒットすることはあった。
ただRandBやヒップホップといったブラックミュージックの色合いが強いこのスタイルが、アリアナグランデやジャスティンビーバーといった白人中流層に支持されるポップスターや、J-popのYOASOBIや瑛人のヒット曲に取り入れられたというのは時代の潮目なんだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=tcYodQoapMg
https://www.youtube.com/watch?v=8EJ3zbKTWQ8
ビートが一本調子というのはNiziUやモーニング娘。の新しい曲でも見られる特徴なのでより一層こういうものが主流になっていくのかもしれない。
(反復っていうのはテクノもそうだけど、テクノはミニマルすぎてポップスに転用できる音楽ではない。電気グルーヴにしてもChemical Brothersにしても歌もの要素が大きくなるにつれテクノ本来とはやや趣が変わっていった。)
https://www.youtube.com/watch?v=a6QT0acJFQE
https://www.youtube.com/watch?v=Ty0dkunCvNw
宇野さんが崇拝に近い持ちあげ方してる宇多田ヒカルもかつてからループさせることへの意識が高かった。
First Love時こそ「稀代の歌姫」として売り出そうというレーベルの意向もあってか、ディアンジェロ風の粘っこいドラム等といった当時のトレンドを表面的になぞっただけで、アレンジ面では当時のJ-popとそこまで違いはなかった。しかし「Distance」以降はRandBからの影響が強い宇多田ヒカル本人の意向が反映されだしたのかどんどんアレンジがミニマリスティックになっていった。
注意深く聴けば20年前の「Addicted to you」や「Can you keep a secret?」のころからすでに16ビートをキープしながらコード進行は8小節ほどで完結してしまっていることがわかる。
(このころはジャム&ルイスの手腕によるところも大きいのだろうが)
さらに言えばセルフプロデュースに切り替わってからロンドンに拠点を移すまでの2005~2015年あたりの宇多田ヒカルはいかにも宅録、DTM然とした手作り感あふるる音を時折鳴らしていなかっただろうか。
マスタリング等のポスプロによってある程度計算ずくで仕上げられたものにしても、Keep tryin’のパッドシンセはあの曲にしては音が厚すぎてややアンバランスだし、Kiss & Cryのホーンはモジュレーションであることを隠そうともしていない。しかしながらそんなことは取るに足らないことだった。
あのころはまだDTMそのものが新しくて費用が掛かる手段だったこともあって、宇多田ヒカルの孤高なイメージをより強固なものにしたし、なにより彼女が自宅にこもって自分の感覚だけで作ったものが、ダイレクトに自分のコンポやミニプレイヤーに届いてきたようなあの距離感がファンにとっては痛快だったんじゃないか。
「Ultra Blue」や「Heart station」時特有の浮遊感のあるきついリバーブや密室感のあるピアノの音像は、宇多田ヒカルの心象世界を垣間見ているようだったし、私生活でのラフな顔を晒してくれている様でもあって一つの魅力になっていた。
DTMはこの20年でどんどんハードルが下がっていったし、ネット上での音楽のコミュニティも成熟してきてる。今のアーティストを取り巻く環境ってあの頃の宇多田ヒカル周りの雰囲気とちょっと似てる気がする。ライブはあんまりやってなくてひたすら曲を書いてブログを書いていたのが宇多田ヒカルだった。
米津玄師にしろ須田景凪やヨルシカにしろ、宇多田ヒカルが敷いたものの上に立ってるんじゃないかな。立ってるというか宇多田さんは彼らのようなことを前時代にやりとげてしまったのかもしれない。
宇多田ヒカルの「traveling」は「夜に駆ける」に似ている。4つ打ちでビートに統一感を出している点や、トニックから長七度上(一度下)への移動が含まれる4小節ほどのコードパターンをひたすら繰り返している点、代理和音や経過音でコードに飽きがこないよう細かく配慮していることやフィルインの多さ、歌メロの譜割の細かさ…と共通項は多い。あの頃は幼くて単にかっこいい曲だなと何も考えず聴いていただけだが、当時の宇多田ヒカルはやはり規格外の存在だったんだなと今にして思い知らされる。
https://www.youtube.com/watch?v=x8VYWazR5mE
シーズン1、2はすごく良かった この時代のエンタメとしてダイバーシティを掲げていくんだという気概も感じられたしそれがあからさまじゃなくさりげない形で示されていて痺れた。
マイケルとタイラーの関係は古いありがちな男女関係の裏返しになっていてタイラーは二人のアルファオス的な女性の間で翻弄され(性暴力の被害にも遭いPTSDに苦しみ)最後は子供をもうけて子供の守護者的な役割に専念するためにステップバックする。
スタメッツとカルパーは普通にゲイのカップルだがそれが美しいだけじゃなく、永遠の愛はあるか?という普遍的な問題に向き合ったり、とにかく丁寧にステレオタイプにならない描き方をしててSF的にも、全ての謎が解けるシーズン2最終話は素晴らしかった。
なのにシーズン3。なんだこれ。
マイケルは人格が完全に変わってしまっていて、意図的にそうしたんだろうけど、本人も視聴者も「新しいマイケル」に馴染めないままどんどん進んでいく。ブックの、動物愛護npo活動家(平たくいえば)という薄いキャラ設定。それ2020年ならいいけど何世紀も後に同じような議論してるの不自然だと思わないのか?
新キャラのトランスも同じで、イシューが現代的というよりあまりに近視眼的で、何世紀も後に「私はthey」と呼んでくれ、なんて議論が、今と同じようなインパクトがあるっておかしすぎないか????
一事が万事この調子で、最後はシーズン通してバタバタしてた大きな謎がただの引きこもりのパニックの自分探しだったみたいな結末になっていた。なんだよこれ。
私の雪国に対しての類義語が雪国まいたけしかない昨今いかがおすごしかしら?
雪が降ったり寒くなったりすると
雪国まいたけって言いがちなんだけど、
ここでマイケルジャクソンさんばりにポーとか言わないところがまだ理性があるところだわ。
本当に寒くって、
お友だちの家に行ったら頼みの綱のボイラーがまさかの凍結っっ!
ああ言うのって凍結した管に熱湯かけたりしたら、
爆発するらしいので、
翌日には凍ったのがディナーの前の謎と共にとけたんだけど、
なんでも10年に一度の未曾有湯のお味噌汁味ってなわけなのよ。
途中そのお友だちの家に行くときに、
雪でバスも全滅だったので、
そこはネットで調べたら一目も瞭然なんだけど、
雪で可愛そうだから、
ここまで来て思い出せないあの日本昔話を地で行くように、
私は情報バイアスなんて言わないで確実に確実にバス運休情報をゲットしている持っている情報の強みを活かして、
待ってる人が気の毒だったので教えてあげたの。
そのあとそのまんが日本昔話ばりの恩返しはなかったんだけど、
それだけが気がかりよ。
寒い中突っ立ってるのって辛いじゃない!
これが一番雪に対抗できる運動靴かも!と思ってハイテクシューズを履いてくんだけど、
まあ足もと慣れない歩きだけど、
雪中訓練みたいなかんじで
辛かったけど、
到着したら一入。
疲れているから一塩つまんで入れて、
味わいそのものはダイレクトに舌に伝わるお汁粉の味だピュアよ。
こんなことは滅多中の滅多にはないだろうけど、
楽しい思い出の1ページ的なページとして
記録に残る積雪より記憶に残る積雪としてのオリンピックイアーを今年はどうしても開催したいところ!
また夏どうなるか分からないけど、
雪中切に思ってやまない、
この思い届きますよに!って
帰りの新幹線で思ったわ。
帰りの新幹線も雪で徐行遅れが発生!なんて言ってたけど
500kmの道のりを2時間ちょっとで本当は着くTGV的なものでも
まあ時速100キロで走れば5時間で到着するからいいじゃん!って心の持ちようなのよ。
のんびりしてるわーって思いながら、
それを日本のとに比べたら、
5分遅れただけでも申し訳ございませんって、
ホテルのドラマの高嶋政伸さんばりの謝りはいらないし大袈裟だと思わない?
ちょっとやりすぎだと思うわ。
おかげで遅れると言っても
本当に迷うところよね。
この昨今車内は行きも帰りも人1両に対して私含め4~45人ってところだったから、
車内販売の人の上がりも歩合制なら本当に気の毒よね。
私が一杯水飲んだところで
ペットボトル3本としても、
その車内販売の売り子さんの歩合のさ上がりがさ20円ぐらい上がるだけじゃない。
少しでも売上に貢献できたらと思って、
少しは貢献しているはずよ。
うふふ。
苦手じゃないけどあえて言うならってことよ。
寒いのでホッツ白湯ウォーラーインほうじ茶ヒーパックを浸けておけば、
本当に寒いわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これはマイケル・フリン将軍とトーマス・マキナニー将軍へのインタビューしたニュース放送から、ビデオの約41分30秒からの箇所を訳したものです。
マキナニー将軍は、第305軍事情報大隊および他の米国諜報機関から受け取った情報に基づいて、次のことを確認しました。
CIAにはHammerand Scorecardと呼ばれるソフトウェアがありました(これは他の国の選挙を操作するためにCIAによって作成されたソフトウェアです)
オバマ大統領は、米国市民と政治的の敵に対してハンマーとスコアカードを使用しました。それは過去の米国の選挙に影響を与えるために使用されました。
Dominionソフトウェアは、HammerおよびScorecardソフトウェアに基づいて作成されました。
米国特殊部隊は実際、ドミニオン/ Scytl / CIAソフトウェアとデータが保存されていたドイツのフランクフルトにあるCIA基地または施設を襲撃しました。
米国特殊部隊とCIAとの間で銃撃戦がありました。米国の兵士はCIA準軍組織との戦いで死亡。
米国特殊部隊(およびおそらく米国連邦捜査官)はサーバーを押収し、トランプに忠実な連邦法執行機関および/または諜報機関(言い換えれば、国と米国憲法を擁護するもの)がそれを確保しています。
弁護士シドニー・パウエルは、米陸軍第305軍事情報大隊から情報を入手しています。シドニーが「クラーケンを解き放つ」と言ったとき、彼女はマスコットが「クラーケン」である第305ミリタリーインテリジェンス大隊のことを指していたのです。
シドニーは、不正選挙に関して法廷で提示する証拠のことを言っていたのではありません。彼女は、第305大隊に言及していたのです。
トランプ大統領に恩赦を受けたマイケル・フリン将軍は、第305ミリタリー・インテリジェンス大隊を担当した陸軍将軍であり、彼からシドニー・パウエルはドミニオン/ Scytl / CIAソフトウェアについての情報を入手しました。
この電話インタビュー中で、マキナニー将軍は、ジョー・バイデン、ナンシー・ペロシ、オバマ大統領、およびアダム・シフ下院議員が、米国政府の転覆の試みに関与したと、すなわち、米国に対する「反逆」を行なったと非難しました。
米国司法省(おそらくトランプ大統領の承認を得て)は、死刑の方法として数日前にガス室または銃殺隊の使用を承認しました。この承認は、反逆者へのメッセージなのです。
日本人は議論が苦手だ、とは長年言われてきた。実際どうだかは知らない。比べるほど世界を知らないからである。日本では西欧に比べて議論が好まれない、と主張する文化論がある。これは実体験として概ね正しいと思える。実際にそうかはわからないが。
ともかく日本人は議論もしないし苦手と言われているにも関わらず、ネット上では議論が盛んだ。ネット上で議論するようなレスバオタク野郎にはリアルの居場所がないからかもしれない、が、ともかく日本人もネットでは活発に議論している様が観察できるのである。
しかし、ここで憂慮すべき事態は、ネット上の議論はほとんど噛み合わないということである。例えばTwitter、例えば増田、5ちゃんでもYouTubeのコメント欄でもいい、少しページをめくれば簡単に議論のダイアログは見つかるが、見つかるものはどれも頭が痛くなるような破綻した議論である。このような破綻した議論の多くが
・論点がはっきりしない、ずれている
・主張の根拠が示されていない
というものではないかと思う。その欲求に従って議論すると上記のような実のない議論になりやすいのだろう。また、テキストによる議論では相手の反応が窺えないためすれ違いが生じやすいと言うのも理由の一つだろう。更に、インターネットには知識の量・方向性が異なる様々なか人間がおり、背景知識の共有がなされていないというのも大きな問題の一つである。
実りある議論を行うにあたって重要なことの一つが議論の場を作ることだ。議論の目的を設定し、事前配布資料を用意し、進行をおき、書記をおき、発表者をおき、聴衆をおく。各々の役割分担をはっきりさせ、進行役に従って議論を続けることが望ましいだろう。
インターネット上で果てしない議論を生んだ案件の一つに石川優実氏発端のkutooがある。
と、レスバトルを発展させやすい格好の材料だったと認識している。この案件の特徴的な点は「進行役を設定してルールを決めて討論会」を開いた点である。発達バズりアカウント借金玉氏主導で、彼の友人でありネット論客を自称するアカウントせいしきあろん氏(変換がめんどくさい)と石川氏がプレゼンテーターとして聴衆を招いての討論会を行った。これは今までのネットの議論ではなかった画期的な試みである。自分はこれに大変期待した。現地には赴かなかったものの、有志のメモやツイート殆どに目を通した。
特に最終的にアジテーションに終わったと言う点から(また他の様々な理由で)この討論会には失望しかなかったが、それはともかくとして、あの討論を開こうとしたこと自体は素晴らしい行為だったと思う。最近では、ネットでレスバトルをしていたもの同士がツイキャスで公開討論を行うこともあり、レスバトルに時代の風を感じる今日この頃である。
ネット上の議論のホットスポットといえばTwitterだろう。Twitterは議論の場としては最悪である。
話者にとって
・140字という制限
・横やりが入りやすい
聴衆にとって
・発言を追いにくい
・後から見返すことが難しい
という絶大なデメリットを抱えている。また、基本的に議論は2者の間でしか行えない。グループで議論すること(討論)は出来ないのである。これは大きな制約である。
インターネットで質の高いレスバトルを繰り広げるための案を考えてみた。
①進行役を設定すること
②議題を絞ること
④議事録をつけること
⑤外部ツールを用いること
である。無論こんなに意識の高い議論などなかなか成立させられるものではないだろう。だが、少しずつなら可能だろう。クソリプがついたらすかさず「②〇〇についてわたしはこう、あなたはそう思うんですね。③あなたの意見を理解したいのでもう少し話してもらえませんか?××についてはどうお考えでしょうか?」と畳み掛け、議論の場に引き摺り出すのである。④はTogetterなどによって実現可能だ。①については難しいが、ツイキャス討論会を開くのと同じ程度の労力だろう。
先ほどからリプが続いておりますがこのままでは水掛け論です。進行役に@unchiburivurigogogoさんを招いて議論しましょう
とかなんとか書けば済む話である。
⑤は、Twitterよりも議論に向いたSNSでレスバすることだが彼に関しては適切なものを見つけられていない。Wikipediaの議論のページのようにテキストでの議論のために設計されたものが必要だ。さらに、匿名でアカウント開設が簡単でスマホで見やすいことが最低条件だろう。さらにそこに、議長AIなどがいれば完璧である。例えるなら白熱教室のマイケル・サンディルのように(例えが適切か自信がないが)、話者の発言の趣旨を汲み出しながら議論を進めるAIがそのうちきっといつか開発される筈だ。
ここまで書いていて思ったが、wikiの討論ページならオープンソースで誰でも開設できるじゃないか。少子化、働き方、移民、表現の自由、とか、その辺のセンセーショナルな話題で掲示板感覚にひとつ開いてみれば良いのかもしれない。